浅草

 まず最初に、今回、非常に不快な表現がございます。所謂、差別用語もございます。しかしながら、どうしてもその表現をあてるしかなかったのでございます。それに関しましては深謝致します。ご寛容をもってお読みいただくか、読まずに閉じてくださればと願うものでございます。

 昭和44~50年頃の浅草。そう言いますと懐古趣味的な話の感じがしますが、まさにその通りでございます。
 この当時の浅草寺界隈と言うのは、新旧入り乱れての大衆文化と申しますか、とにかくいろんなものがございました。映画館、寄席、夜逃げ屋、たたき売り、ストリップに、歌劇場、スマートボールなどと、町全体がゴミ箱のような、玉手箱のような、見る角度によっては非常に如何わしい場所柄でもあったわけです。とにかく繁華な風俗地帯でございました。
 浅草寺吉原界隈と言いますれば、名高い文学作品の舞台になってございます。
 「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯黒溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取るごとく…」と樋口一葉が描き、或いは、廣津柳浪が「不夜城を誇り顔の電気燈にも、霜枯れ三月の寂しさは免れず、大門から水道尻まで、茶屋の二階に甲走った声も聞こえず。…」と綴りましたる作中の風情は既に失われておりましたのは当然ですが、その残照がまだほんのわずかばかり、それこそ息も絶え絶えなほどですが幽かに感じることができた頃であります。
 と申しましても、吉原には「遊郭」と呼ばれる建屋は既に消え、「トルコ」などと呼ばれた特殊浴場に取って代わられておりました。念のため付け足させていただきますが、私、当時はガキもガキ、小僧の身分ですので、吉原へなど足を踏み入れることは、めったないことではありました。何をする場所かも知らずな頃であります。誤解ないようお願いする次第です。

 昭和50年、浅草。

 アサヒビール社屋を後ろに吾妻橋を渡りまして、松屋デパートから浅草寺雷門へと足を運び、仲見世を通り抜け、宝蔵門をくぐり本堂の前を折れ、花屋敷へと向かったところに見世物小屋がございました。「ございました」と言いましても、常にあったわけではございませんで、期間限定の興業でございました。
 で、その見世物の噂を仲間の一人が聞き付けて参りまして、「いざ、観に行かん」となったわけでございます。
 どういう見世物かと言いますと、「へび女」「怪力男」「瓶喰い爺」「魔術師」「火だるま男」「山のこびと」「犬女」などとうたわれておりました。
 夜と昼では出し物が違うのでございますが、夜は子供は入れてもらえませんで、見ることなく過ぎ去った次第ですから、昼の出し物のお話でございます。
 その小屋ですが、まるで建ち古びた納屋のようなものでございまして、床に木はございません。土でございました。辛うじて室内照明はあったものの、差し込む陽射しのほうが強く思えるような場所でございました。
 客足のほうも大盛況とは間違っても言えませんで、それこそパラパラと、と言った具合でございました。その日の最大の団体さんが、私ども小僧四人組であったことを申し添えておけば察してもらえるところもあるかと存じます。

 出し物の概要は以下の次第でございます。

 「へび女」… 半裸の女性が身体にニシキヘビを巻きつけておりまして、それと終始戯れるという出し物で、何が面白いのかわかりかね、ただ、床でねっとりと絡みつく姿態を眺めると言う出し物でございました。夜はちょっと別の趣向を凝らすそうではございました。
 へび女が袖に下がる前に、見物客がヘビに触らせてもらえるというサービスがございました。

 「怪力男」… いわゆる力持ちでございます。100キロはあろうかと思われる石を、額に血管を浮き上がらせ、脂汗を垂らしながら持ち上げると言う力技でございます。鉄パイプを腹にあてて折り曲げるなども披露しておりました。これも最後に、石に触らせてもらえ、持ちあげられたら「木戸銭お返しいたします」と口上がございましたが、木戸銭、わずかに150円(こども)でしたので、それほどこちらも真剣には取り合わずと言ったところでございました。

 「瓶喰い爺」…体を張った見世物が続きまして、読んで字のごとし、コーラ瓶を齧る爺の出し物でございます。これにはビックリ、逆さに持ったコーラ瓶を底のほうからガリガリと食べるものでございまして、空いた口が塞がらないと言うか、せめて空き瓶にしていただければ、飛び散ったコーラで服を汚すこともなかったものをと、今でも思い出す次第でございます、はい。
 ついで申しますと、「コーラ瓶を喰えたら木戸銭返します」の特典はございませんでした。

 「魔術師」…手品師でございます。プリンセス天功のごとき大がかりなイリュージョンではございませんで、テーブルマジックや零れない水、空飛ぶリカちゃん人形などでございます。かなり高齢の手品師ではございましたが手際が見事でして、流暢な仕草に感心いたした次第でございます。私が初めて間近でみたマジックでもございました。

 「火だるま男」…体を張るしかない見世物なのですが、はっきり言いまして、これ、つまらなかったです、はい。
 どういうものかと申しますと、上半身裸の男が出てまいりまして、つきそいがおりますのですが、これが「山のこびと」でございました。背丈180以上はあったかと思われる大男の「火だるま男」に向かって、その三分の一ほどの小男の「山のこびと」が、噴出する花火を向けたり、燃える(消えかけた?)松明を押しつけたりと言うものでございました。「どこが火だるま?」と疑問に思っておりますと、そう思ったのは私だけではなかったようで、端におりました見物人が「火だるまなのは一座の台所かぁ?」などと素直な野次をとばしておりました。
 
 「山のこびと」…これは先に申しましたように背丈の低い男のことでございまして、非常に愛想の良い好人物であったことを覚えております。この男、50センチ四方にも満たない林檎箱の中へすっぽりと身を隠し、出たり入ったりいたしまして、座長が「移動する時は荷物の中におりますので電車賃を払ったことがございません」などと、さも誇らしげに申しておりました。

 「犬女」…奇体の女性でございまして、手足がまさに犬の様相をしておりました。この登場までには、座長の長々しい前口上がございまして、概ね、次のようなものであったと記憶しております。

 『さて、さてさて、次なりますは人の罪業の深さを身につまされる小物語がありまする。犬猫畜生といえども命は命、粗末にすれば百代も祟ります。信じない方もございましょう。しかるに、犬の屠殺を生業とする男を父にもったが不運の児のお話聞いていただきまする。… 母は幾たび児を宿しながらも児を産めず。やっとのことで授かった女児。喜び勇んで相対したものの、その異形に母はその場で事切れて、父は号泣し出たまま行方知れず。あやうく隅田の川に流されそうになった児を、拾い上げたが私め。… さあ、お目を確かに、犬女でございます。』

 これは見て後悔したものでございます。不憫を見世物にしなければ生きられぬ境遇と売り出すを、潔しとしないのは当時も今も同じことでございます。子供心ながら、あまりの残酷さに眼をうるませた記憶がございます。

 以上で、この一座の出し物は終うのでございます。

 小屋の外では、先ほどの「山のこびと」が既に木戸に出ておりまして、「またのお越しを。夜は特別興業がございます」と見物客を送りだしておりました。
 大人客が帰る中、座長とへび女が「特別に」と言って、再度、ニシキヘビをだしてくれまして、それをさんざっぱらペタペタと触ってから、ほとんど最後に小屋を出た私どもを見、木戸口の彼が声をかけてまいりました。ほんの一言二言でございます。
 
 「坊やたちが大人になったら、こんなんで喰わなきゃならないのを作ってくれるな。どんなんも公平に生きられる世間にしてくれな」と、私のお尻をポンとひとつ叩きました。


 どうでございましょう?今の社会は彼が望んだものになっておりましょうか?
 今一度、お考えくださりたくお願い申し上げて、今日は終わりに致します。

 
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