スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大庭みな子「寂兮寥兮(かたちもなく)」

 寂兮寥兮
(河出書房新社、1982年初版)

 有物混成 先天地生 寂兮寥兮 獨立而不改 周行而不殆
 可以爲天下母 吾不知其名 字之曰道 強爲之名曰大 
 大曰逝 逝曰遠 遠曰反 故道大 天大 地大 王亦大 
 域中有四大 而王居其一焉 人法地 地法天 天法道 道法自然 

 有る物は混成し、天地に先だちて生ず。寂たり寥たり。独立して改めず、周行してとどまらず。
 もって天下の母となすべし。われその名を知らず。字してこれを道という。強いてこれが名をなして大という。
 大を逝という。逝を遠という。遠を反という。故に道は大なり。天は大なり。地は大なり。王もまた大なり。
 域中に四大あり、而うして王はその一に居る。人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。 (老子、象元第二十五)

 大庭みな子の「寂兮寥兮(かたちもなく)」の題は、上記にあげた老子の象元第二十五からの引用であることは推測できます。
 寂兮寥兮とは「ガランとして境目が明確に分けられていない」こと、つまり「はっきりしない」ことを意味しています。
 大庭みな子はここで「寂兮寥兮」を「かたちもなく」と表しています

 小説はつぎのように書き出されています。

 「明るい雪のあぜ道を野辺送りの行列が通って行った。あたり一面銀世界で、田の水だけが黒かった。乳色の柔らかな雲の間から、陽が洩れ、ときどき思い出したように白い花びらが舞い落ちた。
 四人の若い男が花嫁の輿を担ぐ晴れやかな顔で、柄のついた板の上にのせた棺をかついでいた。男の一人は死んだ兄の顔だった。」

 これは現実の話ではなく主人公である万有子の見た夢の話です。夢と言うのは一説には脳内の情報、記憶を整理するための過程で生じているものだと言われています。
 冒頭の夢の描写ですが「野辺送り」と言っていますので間違いなく「葬儀」であるはずですが、婚礼の賑わいを思わせる表現も交えられています。つまりこの時点で既に「生と死」が曖昧になっていることが語られています。
 それは「…万有子はそれが自分の葬式のような気もしていた。だがその夢の中で自分は死んだというわけでもなく、生きていた。どこかで、その葬式を見ていた。猫になっていたような気もする。死ぬということは多分そういうことなのだという気もした」という次章の出だしに引き継がれています。

 物語はこの夢の書き出しから始まり、いくつかの夢の話、古代倭神話を引用し、愛人である泊の書く小説と過去の記憶をフラッシュバックさせながら、それぞれが現実と平行に進められていきます。

 万有子の記憶は現実との境界を持ってはいません。現実のある一点からぼんやりと記憶が浮かび上がってきます。そして次第にそれは現実を飛び越えて細部まで鮮明に映し出されていきます。
 
 小説の中心をなすのは万有子、沌と泊の兄弟、それから各々の家族(夫、妻、両親、娘、息子)ですが、それぞれの家族的な境界も定かではありません。その曖昧さは物語の端々のみならず、差し挟まれている「鈴虫」と言う泊の書いている小説に暗喩としても込められています。

 この小説は人の頼りない本質、つまり不可解さを淡々と進めていくのです。
 
 「…多分、人というものは、自分自身でさえ自分のことなどわかりはしないのだ。今、何を考えているのかと訊かれて、何を考えているのか応えられる者などいないとも言える。とりとめもなく、ぼんやりと、あれこれ考えているだけだ。かりに目の前にかたづけなければならない仕事があって、そのことに集中していたとしても、それは考えていることがらの中心ではないかもしれないのだ。その仕事は単に日常的な習性のよすがでしかない。」 

 現実と夢。望みと義務。人と人。境界を求めないということは、相対するものにも、自分に対しても何らの制約をもたせないことなのでしょう。そこには犠牲という被害妄想もなければ、献身という自己欺瞞も生じません。ただ自分が「寂しいと感じた時にすりよっていける」場所があればいいのかもしれません。

 僕はこの小説を読みながら変なことを考えました。それは、脳は一時に一点にしか集中できないということです。同時に多岐に集中することなどできないのです。
 そのメカニズムを利用して手品師はトリックを考えます。注意を逸らす、意識を他に集中させる。そうして起こっている現象を見えなくしているのです。
 つまり僕たちは意識的にか、無意識的にか、人とうまくやるためにトリックを出し続けているのかもしません。そしてそのトリックは、共有している仕事、趣味、思い出などを利用して、自分、或いは、他人から注意を逸らそうとしているのでしょう。時に惹きつけようとして、時に突き放そうとして。
 
 大庭みな子の混沌は彼女が育った広島が影を落としているかもしれません。その寂寥は万有子が感じているような「他人と自分の区別のつかなくなってしまうような…」ものなのでしょうか。もっと読み進めていきたい作家のひとりではあります。




 
スポンサーサイト

テーマ : ひとりごと…雑記…きままに
ジャンル : 日記

コメントの投稿

非公開コメント

sidetitleプロフィールsidetitle

otosimono

Author:otosimono
全く役に立たない独り言です。

sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle最新トラックバックsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitleFC2カウンターsidetitle
sidetitleカレンダーsidetitle
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleブロとも申請フォームsidetitle

この人とブロともになる

sidetitleQRコードsidetitle
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。