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川端康成「金糸雀」について…個人的愚痴として

 以前にほんの少しだけ「掌の小説」に触れましたが、今回はもう少し自分を整理するために個人的な感想を書いてみようかと思います。

 「奥さん。― お約束を破ってもう一度だけ手紙を差上げなければならなくなりました。」

 「金糸雀」はこの一文から書き出されます。
 大正13年、川端康成が数えで26歳の時の作品です。書き出しにあるとおりこの短篇は「手紙」を装う形式で綴られています。差出人は「私」、受取人は「奥さん」です。

 貧乏画家である「私」と人妻である「奥さん」とは世を忍ぶ恋仲となり、昨年に別れたことになっています。この二人が別れた理由については明確なものは記されてはいません。ただ第三段落に次のように「私」を通して「奥さん」の言葉が伝えられているだけです。

 「あなたには奥さんがある、私には主人がある、お別れしましょう。せめてあなたに奥さんがいないのなら。」

 これが「理由」であるわけです。当人の「私」から言わせれば「そんなことは最初からわかりきっている」ことなのですが、敢えて「婚姻者」であることを挙げています。この第三段落はとても複雑に構成されています。
 主たる要件は「お別れしましょう」なのですが、その直後に「この金糸雀は私の記念に差し上げます」と言っています(しかもこの金糸雀は番いです)。
 この段落で述べられているのは、①別れましょう②記念に金糸雀をあげます③この夫婦の金糸雀は「どこかの小鳥屋が勝手に娶せたもの」であり「金糸雀の本意ではない」④生きている鳥を見て「私たちの思い出も生きている」のを感じてほしいと述べ、⑤「金糸雀はいつか死ぬ」と言い、「私たちの思い出も死なねばならない」と言っています。
 つまり「あなたと私の恋」は偶然が生んだものであり必然ではないとばっさりと切り捨てています。けれど「思い出は生きている」のだと言っているのですから、それなりの感慨があるのかと思うと「思い出は死ぬ」のが当然の帰結だと言うのです。
 誘っておいて突き放すような多情的傾向があります。思わせぶりに相手を惹きつけておいて、放り出してはその様を楽しむと言う一種のサディズムさえ感じられ、所謂、悪女の視線と言うか、カルメン的娼婦の性情とも言えます。そして「私」はその娼婦的な傾向を確実に感じ取っています。何故なら第六段落に「… それに、もうお忘れになってゐるかもしれない金糸雀なぞはご迷惑でせう」と「奥さん」の気まぐれな性格を看破し綴っていますから。

 では「私」の心情はどうなっているのかですが、これも不思議な形をとっています。
 第二段落で「私」は金糸雀を飼えなくなったことを述べているのですが、第四段落にはっきりとその訳が記されています。

 「小鳥を世話していた妻が死んだのです。妻が死ぬと金糸雀もまた死ぬだらうなんて― 。してみると、奥さん。奥さんの思ひ出を私に持たせてゐてくれてたのは私の妻だったのでせうか。」

 ここから「私」の視点が変わってきます。
 この後、金糸雀は「妻が死んで急に翼が弱ったやうに見えます」と言い、さらに小鳥を「奥さん」に返すのは「妻が飼っていた鳥だから嫌だ」と言います。そして第七段落では「妻に殉死させたい」と記し、最後には「奥さん、この金糸雀は殺して妻の墓に埋めてもようございませうね」と結論を突きつけることになります。
 この流れの葛藤には「奥さん」VS「妻」があります。「妻」は「私」の不倫など(実のところはわかりませんが)知る由もなく、献身的に金糸雀の世話をして「私と奥さんの思い出」を生かし続けてきたのです。「私」はその様子を見続けてきたわけです。そしてこの手紙を書く段になって主たる部分を占めているのは「妻の献身」です。

 手紙の差出人である「私」が書きたかったものは自分を棄てた「奥さん」に対して、「妻」の純粋な愛情を示すことにあったと解釈すべきなのではないかと思います。ただこれは単に「大和撫子的な献身」を賛美すると言ったものではないでしょう。何故なら、その賞賛の根底には「滅び」があるからです。「妻」が「奥さん」に勝利するためには「死なねばならなかった」のです。

 川端康成はその多くの作品の折に触れ「日本の美」と言うことを取り上げてきました。それを踏まえて「金糸雀」を読むと次のような印象が浮かび上がってきます。

 諸外国の斬新な文化の虜となり自身の持つ本来の姿を見失っていく日本という国。その嘆きを川端康成は「妻の死」を通して思い起こさせようとしたのではないでしょうか。
 一木一草にも魂が宿り、土や道具にさえも命があり、その全てに神がいるという複雑多感な日本的感覚を放棄して、一神教的な精神に似た合理的な思考を尊しとする風潮に対する警告だったのだと思えるのです。殉死させたのは一時的嗜好への傾倒であり、その結果として犠牲になったものと時間です。この短い一篇を通じて「失われゆく日本を今一度考えなおしてみようじゃないか」と訴えているのだと考えてもよいのではないでしょうか。
 これは別に「日本」である必要はありません。「個人」と言い換えても当然なものです。
 
 こうして突然、「金糸雀」の感想などを取り上げたのは僕自身に迷いがあって、その迷いに何とかしてケリをつけたいと思ったからです。僕自身の根底にある望みは何か、それを支えて来たものは何なのかを振り返ってみたいと、ここにそのためのごく一部を書きだしてみました。つまり「個人的な愚痴」です。



 

 
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