スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

宮内寒彌「からたちの花」

 以前に僕の思い出話の中にでてきた小説「七里ヶ浜」の著者である宮内寒彌の「からたちの花」を取り上げようかと思います。これは芥川龍之介の死と宮内寒彌の弟とを題材としています。

 からたちの花 (大勸堂、昭和17年初版)

 文芸評論家の浅見淵は「昭和文壇側面史」(講談社、昭和43年初版)において芥川龍之介の死について次のように述べています。

 「大正十五年十二月二十五日の、確か寒い未明だったと思う。その頃、ぼくは早稲田の近衛騎兵隊と道ひとつ隔てたところに住んでいたが、俄かに騒々しくなって軍馬の嘶きなども聞こえてきたので目が覚めた。咄嗟に、大正天皇が亡くなったのだナと思った。危篤が伝えられていたからだ。案の定そうで、翌日から昭和と改元され、昭和元年となったわけである。
 しかし、本当に大正時代が終わったという感じが沁々としたのは、明くる年の昭和二年七月二十五日の新聞の朝刊で、芥川龍之介の昨暁の自殺を知った時である。その時分、寝苦しい蒸し暑い日が毎日続いていた。これがいっそう芥川の自殺衝動を早めたのだったと思う。」(「芥川龍之介の死」より)

 浅見が大正時代の終焉を芥川の自殺に感じていた時、遠く南樺太の地で一人の中学生がその死に注目していました。
 夏休みが近い学校での作文の授業中、ある教師が「トロッコ」を作例にあげながら芥川の死について熱弁を振るっていました。がしかし、教師の熱心さと生徒たちには温度差が明らかにあり、ただ一人の生徒を除いては真剣に耳を傾けてはいませんでした。

 その14歳の少年は教師に質問をします。

 「先生、人間は、何故、自分で死んだりしなくてはならならいのでせうか。」

 その問いに教師は答えることができず、「そんなことは、まだ、君等に話してもわからない。もう十年もすれば自然にわかる」と彼の問いから逃げました。

 質問をした少年、それが宮内寒彌の弟(三郎)でした。
 彼の弟はその授業から13年後に自殺をしました。
 その自殺が芥川龍之介に関係していたのかはわかりません。
 しかし、あまりに熱心にその死について興味を抱いてた当時の様子から宮内寒彌は「その死に囚われていた」或いは「その時に自殺を切り札とした」と感じたようです。
 
 文筆家として生計をたてることを家族から公認され(弟から見れば)のうのうと生きている兄と、両親と妹の面倒を見るために家に残ることを選ばされた弟と言う図式によって、兄弟は仲が良いとは言えなかったようです。
 彼の弟は所謂、優等生であり、周囲から慕われ期待されもしていました。それは三郎にとってすべての不幸であったのかもしれません。

 三郎は兄宛の手紙にこう綴っています。

 「仲の良かった親友も、戀人(恋人)さへも、あなたは偉い人だ。あなたの道を歩いてくれ、われわれはお別れするより他ないと言ってこの頃はわらったりします。」

 三郎の葬儀には隣近所の人々は当然ながら、市中から広く、直接の面識のない踏切番の老人までが人柄を偲び、弔問したとあります。

 宮内寒彌は三郎の死を追い続けました。それは死の理由を解明するためではなく、弟の足跡を追うことでその死と向き合うためであったろうと思います。彼を容赦なく責め立てる積み重なった悔恨とその申し訳を綴ろうとしたのです。

 たとえば、彼は最後に弟と別れた時、「東京へ帰ったら、中村屋のカリントを送ってください。妻が好きなので」と頼まれ拾円を受け取りました。しかし、その年はカリントは発送しないと言われ、自分で荷造りし発送することも面倒だったので手紙も添えず別の菓子を送っています。
 その事に関して「先づ、とりかえしのつかぬ思ひをしたのはこれである。彼はカリントとわざわざ念を押したのに、ロシア・チョコレイトや支那菓子などを送って来た私を、どう思ったか、私はまださう遠くへは行ってゐないやうに思われる彼に電話でもして、このことだけはいひわけがしたかった」と。

 積み重なった些細な誤解は埋めることのできない暗澹たる海原となりました。宮内寒彌の「からたちの花」はそうした彼の弟に対する慙愧の念を綴ったものです。

 書名の「からたちの花」は、弟・三郎が残したロシアのヴァイオリニスト「ボリス・ラス」のレコードに収録された曲から採ったものでした。

 「私は辛抱している。そして私は思ふ。あらゆる不幸はそれと共にある幸ひを齎しくる、と。」(ベートーヴェン)
 
 これは三郎が卒業文集の寄せ書きに小さく記していた言葉です。

 自殺の理由をあげればきりがないのです。そしてそのどれもが核心であるとは断言できません。真実の理由など本人が語らない限りわかろうはずはないのです。もしかすると本人にも漠然としてわからないのかもしれません。ただ言えることは「耐えうる限界を超えてしまった」こと。

 不幸と共にあると信じていた幸せに裏切られたと思った瞬間を人は絶望と呼ぶのでしょうか。
 
 からたちの花 01 (浅見淵宛署名)





スポンサーサイト

テーマ : ひとりごと…雑記…きままに
ジャンル : 日記

コメントの投稿

非公開コメント

sidetitleプロフィールsidetitle

otosimono

Author:otosimono
全く役に立たない独り言です。

sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle最新トラックバックsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitleFC2カウンターsidetitle
sidetitleカレンダーsidetitle
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleブロとも申請フォームsidetitle

この人とブロともになる

sidetitleQRコードsidetitle
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。