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日向信夫「第八號轉轍器」 

 「なあ張徳有、北鐵時代はよかったなあ。」
 と、今夜も訪ねて來た同僚の李連福が、ウォッカにいい加減に酔って、いつもの昔話を始めるのである。
 「露西亜人(ロモーズ)は第一気が大きかったよ、事故が起こったって平気だし、列車が二時間や三時間遅れる位大っぴらだったからな。」
 主人の張に比べて大柄で年も若い李は、ウォッカを水のようにがぶがぶ飲んで、次第に大きな元気な聲を上げ始めた。
 「おい、静かにしろよ。隣の社宅は日本人じゃねえか。」
 張が小心らしく咎めると、
 「なあに構うもんか、満語がいけねえんなら露西亜語はどうだ。なあリベカさん、その方がおめえにも解っていいだろう。」
 「わたしやそんな愚痴は聞きたくないよ、どちらでもいいからさ、もっと稼いでお呉れよ。」

 日向信夫の「第八號轉轍器」の冒頭です。初版は昭和16年、砂子屋書房から刊行されています。これは彼が27歳の時に文芸評論家であった浅見淵の推挙によって出版が実現しました。
 浅見淵は出版前年の昭和15年夏、彼と満洲で出会った時の印象を「昭和文壇側面史」の中で「表情に一種の茫漠さと、同時に剽悍さとを湛えた背が高くて立派な身體つきをした若々しい偉丈夫」であると記しています。
 日向信夫は旧三高(京都大学の前身である第三高等学校のこと)を中退した後、満洲鐵道に着任し、満洲文話会などで文筆活動をしていました。そこでの勤務や満鐵弘報課の命で赴いた長白山探検などの経験を生かし、主に満洲鉄道で働いている日本人、満洲人、朝鮮人の心理的摩擦に着目し、興奮や感傷に流されることなく冷静に実情を踏まえた短篇小説を書きました。しかし「第八號轉轍器」「窓口」を代表とする満洲文学の秀作を数編残し、小説家としては未完成のまま沖縄戦において戦死しました。

 この「第八號轉轍器」の時代背景となっている康徳2年(1935年)は日本が東清鉄道(北鐵)を接収した年にあたります。もう少し詳しく説明しますと、1931年の満州事変による満州国の成立後、中東鉄路(中東鉄道、東支鉄道)はソ連と満州国の合弁事業となり名称を北満鉄路に変更しました。ソ連は日本との鉄道権益の衝突を避けるため鉄道売却を提案しましたが売却価格で折り合いが付かず、4年後の1935年3月にようやく合意し、ソ連は北満鉄路全線の利権を満州国に売却、満州から撤退しました。以後、旧東清鉄道は満州国有鉄道と名称を変え、軌道の幅員も1937年にはロシア建設時の広軌である1520mmから、標準軌の1435mmに改造されました。
 こういった状況下で働く鉄道員の姿を日向信夫は次のように描写しています。

 「蘇聯人の従業員たちが、波の引くようにどっと本國に引き上げてしまふと、日本人が彼等を支配するようになった。時間などてんで当てにならなかった北鐵に、世界一の正確さを誇る日本の技術がとって代わった事が、既に彼らにとっては不幸の種であった。高度に進歩した日本の技術の前には、十年一日の如く古びた信號機や、簡単な轉轍機を扱っている彼らの技術は、恰も児戯に等しいものでしかなかった。…」

 物語の主人公である張徳有とその同僚である李連福は北満洲に生まれ育ちロシア人に雇用されて生活を送ってきました。結果、彼らはロシア語の読み書きは覚えた代わりに自国語については文盲に近い状態になってしまいます。接収以前には日本人などみたこともなく、初めて耳にする日本語は強制的に参加させられる日本語講習会などで学ばされても、齢のいった人々にはその片言をも理解することが難しい状況でした。自然、旧北鐵の労働者は最下級におかれ整理の対象となっていきます。

 23歳で父親の後をついで転轍員となった張徳有。20年近くも北鐵の小駅でポイントを反す仕事以外には何一つとしてやったことのない、ただ黙々と真面目に生きて来ただけの平凡な人間です。日本語も毎日こつこつと独学をするものの覚えられず、結果としてその語学力の不足から脱線事故を引き起こしてしまいます。「没法子」(しかたがない)が口癖になり、どんなに仕事が増え、貧しく、温床的と揶揄されても「転轍員しか出来ない」と、現状に縋るしかありません。
 張徳有は、リストラされる前に退職願を提出した10歳以上も若い李連福の行動に羨望と不快を抱き、共同事業をもちかけられても未知の世界に踏み出すことを拒否します。かといって故郷、親類をもたない彼は他の同僚のように「故郷に帰って百姓になる」こともかないません。あくまでも転轍員しかないのです。

 この物語を読んでいると企業改革とか、技術革新とかの波に揉まれる中堅サラリーマンの悲哀の転々を見ているようです。PC操作はあたりまえ、社内会話は英語、職能資格試験制度、解雇の不安、脱サラするにも展望のない現実、何もしなくても嵩んでいく生活費・・・。
 
 物語後半で自分が人員整理対象になっていると周囲から聞かされ、自身でも観念し最後の仕事のつもりでひとつひとつの日課を辿ってゆく張徳有の姿は哀愁を感じさせると同時に、転職経験のある僕自身の記憶にも重なってきました。

 張の孤独な感傷の場面は特にそれを思い起こさせます。

 「手をかけると、ゆらゆら揺れる信號機の鐵柱へ、危なっかしく上がってどうやら燈を點け終わり、もうとっぷり暮れてしまった線路を、ぽつりぽつり帰って來ると、作業中遠くに行ってゐてもよく聞こえるやうに、ポイント小屋の軒に取り付けた電話のベルがりんりんとけたたましく鳴っていた。走って行ってかかると『XX列車出発』と、列車の隣接駅出発の通知だった。それを聞くと、急に胸に蟠る煩悶を吹飛ばして鋭い職業意識が蘇り、張は暗いいじけた気持ちを奮い立たせるやうに、ことさら大きく『オーライ』と叫ぶと、合図燈に燈を入れて戸外に出て、列車を第一本線に入れるべく、ポイントのリーバーを力を入れて引いた。夏とは言へ、八月も終わりに近いこの頃は、夜になると急に大気が冷えて、リーバーを握る素手がひんやりと、早い秋の氣配を傳えていた。」

 これで最後だと思う心境。そして、ことさら大きく叫んだ彼の気持ちは実感があります。

 働くものの歯がゆさと焦燥、セパレイトされた人間の繋がり、そして打算。そういったものは時代とは関係ないのでしょう。

 第八号転轍器 (砂子屋書房、昭和16年初版)


 蛇足ですが「不安のない社会は何よりも優れた犯罪政策である」と言うのを大学の授業で聞いたことがあります。
 誰の言葉だったか思い出せません。いずれにしろ今は不安だらけですね…。




 


 
 
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