松田瓊子 -少女小説- 紫苑の園

 もう少し松田瓊子についてお付き合いください。

 紫苑の園 美和書院 「紫苑の園」( 美和書院、昭和31年初版)

 彼女の作品について上笙一郎は「いずれもキリスト教信仰に基づいた教養小説とでもいうべく、感傷過多の美文的小説と波乱万丈の通俗小説の多かった少女文学の分野に新風をふきいれた」と評しており、漫画家の花村えい子も「『それいゆ』だったかに、松田瓊子さんという若い作家の遺稿とかで『紫苑の園』という小説があった。記憶違いでなければ野村胡堂氏のお嬢さんだったと思う。それはどこかエキゾチックな、のびやかな作風の少女小説で、当時としてはめずらしく垢抜けしたもので忘れがたかった」と言っています。
 松田瓊子の作品は、当時、確かに異彩を放っていたのです。浪花節的、講談的と言っても良いかと思いますが、そういったバタ臭いものから離れ、極めて欧米的な明るい色彩をもっていた作品でした(その作品的性格ゆえに戦時中は書籍化が許されず、その作品群が姿を見せるのは終戦後になります)。

 彼女の登場の意義については父親である野村胡堂が書いた、以下の「紫苑の園」のあとがきにある通りです。
 「(瓊子の中には)全く想像もしない『一つの光り方』と力があった。作物としてはそれはまことに稚拙なもので、文壇的には恐らく縁の無いものであろうが、少なくとも日本人が書いたものでは、まったく最初のものであり、読む者の心をひしと掴んで不思議な感激に誘い込まずには措かない、愛と純真さとを持っているのである。その中には世の所謂少女小説といふが如き、安價な感傷に溺れたものは一つもない、-中略-、大きく言えば人間愛と素朴な信仰が全編に行き渡っている」ものでした。

 彼女の福音的な傾向、つまり「信仰」はすべての作品を貫いています。彼女は「神は愛なり」という言葉を生涯信じて、純なる心、純なる命を求め続けました。彼女の信仰の最初がどこにあったのはわかりませんが、夫である松田智雄は「先に召された一彦君と、後には金澤常雄先生から学んだものであった」と述懐しています。

 金澤常雄(1892年3.17 ~ 1958年3.4 )は、内村鑑三主催の聖書研究社に助手として勤め、1922年10月から札幌独立教会の牧師に着任しました。しかし1927年に武蔵野・上祖師ケ谷に移り無教会独立伝道者となることを決意し、以後、その姿勢を貫き聖書伝導に努め、1951年には東京文化学園短大でキリスト教倫理の講義を受け持ってもいます。生涯を牧師として聖書伝導に尽力した金澤は、1958年に心臓麻痺のため死去しました。
 金澤の教えは極めて真摯で誠実なものを求めており、その一端は「信仰は思索や瞑想や哲学的体験とは異う。信仰は意志の問題である。神の聖前に自己の不義を痛感した者が神に向って之を正直に告白して御手による救いを求むることである」という厳格な言葉からも窺えます。
 松田瓊子はこの金澤常雄を師と仰ぎ、死の直前まで書簡で自分の信仰に対する疑問を打ち明け、教えを乞うていました。 

 小さな子供たちを何よりも美しいものとして愛情を注ぎ、福音的誠実さを一貫してその作品に謳い続けた松田瓊子。彼女の作品には確かに顕かな限界があります。それは、「七つの蕾」で序を書いた村岡花子が昭和16年「少女の友四月号」のブックレビューで書いている「松田さんの作品には何か説明の出来ない魅力があります。作品の構成とか、その他むずかしい文学上の技巧の問題から論じましたら、それぞれの批評はありましょう。何といっても若い、哀しいような若い瓊子さんでした」という書評が語っていると思います。彼女は自身が夢見たものを書き続け、書きつくさぬうちに23歳で生涯を閉じたのです。

 
 「紫苑の園」&「香澄」

 「紫苑の園 」「香澄」(ヒマワリ社) (中原淳一・装丁、ヒマワリ社刊)
 「紫苑の園」(昭和22年初版)「香澄」(昭和23年初版) 

 「紫苑の園」は第一部「紫苑の園」と第二部「香澄」とからなっています。
 2000年に小学館から刊行された合本版「紫苑の園」では「薔薇の匂う春の夕暮れ、女学生の香澄は武蔵野郊外にある寄宿舎『紫苑の園』に入園する。園を営む西方夫人に温かく見守られ、ルッちゃん、マリボ、横ブら寄宿生と愉快な騒動を引き起こす日々。が、病気の母が遂に還らぬ人に。悲しみに沈むなか、母の死と正面から向き合った香澄は、自らの〈癒える力〉を見いだす。やがて親友の兄に心ひかれ……。すがすがしい微風が薫り、感動を呼ぶ少女小説」と紹介されています。
 
 その物語は次のようにはじまっています。

 「薔薇色に匂う夕暮れを、空色の洋服を着た愛らしい少女が一人、スーツケースをさげて静かに野辺の小径を歩いていた。武蔵野のほとりである。」

 第一部は「新入生」から始まり「冬の夜語り」(全13章)で終わり、第二部は「日の光の里」で幕を開け「新しき芽」(全8章)で幕を降ろします。
 第一部は昭和17年(1940年)、「サフランの歌」に続いて遺稿集として甲鳥出版から刊行されましたが、第二部については松田瓊子本人が「私が三十歳になったら『香澄』や『野の小径』を本にしていい、それまでははづかしいから嫌だ」と語っていたらしい。第一部「紫苑の園」の発刊の企画がもちあがったのは松田瓊子がまだ存命中のことであり、彼女自身の意志で「紫苑の園」のみで物語を切り、発刊することに決めたということです。

 この前半の執筆にあたっては「…やがて書き始めると『湖畔の日記(第8章)』あたりまでは如何にも楽しげに筆を進めたが、『野の花の中に』のところで作者自身が悲しくなり、涙のために筆が止まってしまった」と松田智雄が語るように、自身の精神的、並びに、健康上の問題からの中断を挟みました(注意深く書き出された第1章から次第に筆が乗り、第5章「お店屋さん」、第6章「ぐみの木蔭」までは一気呵成に書きあげたかのような勢いが感じられます)。作者自身が主人公「香澄」の心情を慮りその境遇に同調して筆を進めることが出来なくなるほどに一体化していたのでしょう。もちろん、それは香澄やその周囲の少女たちの姿が、松田瓊子がほんのしばらく前に通り抜け経験してきた時間そのものであったことへの感傷もあったと思います。彼女自身は登場する少女たちのように明るい夢を語り、朗らかに歌い踊ることも自由にはなりませんでしたが、それ故に、とりたてて自己を主張しない存在ながらも、その心の美しさ、豊かさから、出会う人々の中に清らかな印象を残してゆく「香澄」という主人公を生み出せたのかもしれません。

 第2部「香澄」は「全てがハッピーエンドに向かうご都合主義的な夢物語」と批判をする方もいるかもしれません。彼女の作品は観方によれば、信仰心によって救われるという楽観的なワンパターンかもしれません。しかし、例えば一枚の絵の中に描かれた「明かりが灯る小さな窓」を想像するに、何故にそこに住む家族の不幸な情景を思いうかべる必要があるでしょう。その家の中は幸福に包まれていると信じ、それを見る人が幸福感を感じることができるなら、それで良いのだと思います。
 如何に自分が苦しむ時にも、見捨てられ忘れ去られているのではなく、そう嘆き苦しむ心の中に共に神様はいて、共に嘆き苦しんでいるのだと、そう信じて孤独を救うことができるのが宗教を離れた信仰なのです。それが短い生涯の後半生のほとんどを病床に過ごし、窓外の風景に幸福を夢見続けた松田瓊子の生き方だと思うのです。

 僕は個人的には宗教と言うものが苦手ですし、抵抗感をぬぐいきれません。暴論ですが、宗教は信仰ではなく哲学であり、組織的政治力であり、特権(選民)主義であるという批判意識もそこにはあります。信仰がそれらに堕した時、宗教はその本質を見失うのだと考えている僕に問題があるのかもしれません。自分が信じる精神の救済の先にあるものを、生命や世界の根源的なものを神と呼ぶのであれば信仰は宗派がなくても持つことは可能です。信仰に味方や仲間は必要ないのです。そんなものを作ろうとするから争いが生まれるのです。布教とは道しるべを伝えることであり、宗教はその手助けの域を超えてはならないと思っています。

 マハトゥマ・ガンジーはかつて次のようなことを述べました。

 「あらゆるものの神はひとつなのです。異なるのはどこを辿ってゆくかという道筋だけなのです。私はインドに生まれ、この国の体系のためヒンドゥー教を選びました。しかし、神はひとつです。ですから宗教をいかなる争いの理由にもしてはならないのです。神は全知全能です。問題があるのはその神を伝える人間があまりにも不完全なものであるということなのです。」

 松田瓊子の作品を「福音的、キリスト教的で苦手だ」と言う声を聞きます。ですがもう一度、信仰というものを宗教を離れて考えながら、その物語を手に取ってみてください。彼女は希望を伝える手段としてキリスト教を選択したことが見えてくるはずです。



 
 
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