田久保英夫「解禁」

 ヴァン・ゴッホの「アルルの跳ね橋」でも、アルフレッド・シスレーの「ヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌの橋」でもその他何でもいいのですが、絵や写真、映画などで見た風景を実際に目の前にしたとき、「この風景ではない」と感じたことはないでしょうか。時代の流れによる風景の変化云々ではなく、形や大きさ、彩りといった心の奥底に根付いたイメージが現実を否定、或いは、拒絶してしまうことがあります。そうした瞬間にであって初めて気づかされるのです。自分自身が渇いていることに。自分が望んでいたものは「自分が望むように自分を潤してくれるもの」であったことに。
 
 田久保英夫の小説に「解禁」という短篇があります。母が営む娼婦宿で起居する兄弟。兄はその年齢が考慮され遠方の親戚に遠ざけられますが、残された弟がそこで出会った「三千代」を通じて、次第に性と自我に目覚めて行く少年期の心理的過程を描いた物語です。
 彼は女性を「女」と捉えず「妓」、もしくは「GEIGI」と認識しています。そこに個の性はなく、職業としての性の認識が優先していたと言えるでしょう。彼はある日胸を病み、入院生活を余儀なくされます。そこで重い肺疾患で厭世的になった少年「宮内」と知り会い、一冊の画集を貰い受けました。彼の目を強烈に引き付けたのは「セント・リュシイの殉教」と言う一枚でした(セント・リュシイは、シラクサのルキアのことで、小説中には絵の作者などは示されていませんがダヴィデ・ギルランダイオの絵がもとになっているのではないかと僕は勝手に想像しています)。そこで描かれた聖女の苦悶と恍惚の表情は彼の心を魅了しました。
 ある夜、空襲警報が鳴る中で三千代を通じて彼が体験した性。そこには彼が望んでいた高揚も充足もなく、ただ失望感のうちに自分自身が欲していたものは性的な探検心ではなく、渇愛に基づく所有欲であったことに気づかされます。しかし娼妓である彼女を自己のものにすることは叶うはずもなく、その失望と葛藤は彼女を殉教させることへの欲望につながっていきます。この心理は金閣寺を燃やした青年僧・林承賢に通じるものがあるかもしれません。
 この小説の帯には「燃え盛る空襲の炎の影に、遂に迎えた性の解禁―少年の強烈しかもかなしい心理の衝撃を、鮮やかに跡づけた秀作」と書かれていますが、僕はこのアオリに異を感じています。少年が「解禁」したものは「性」ではなく、「自己愛」「渇愛」への明確な欲望でなかったのかと思うのです。単純に憧れ描いていた性の交わりとは少年にとっては「自分の愛する者が、当然に自分を愛してくれる」と言う所有欲の実現としての性行為であったのです。
 田久保英夫は詩人から転向した小説家らしく、心を砕き選び抜いた言葉を用いて非常に繊細に文章を組み立てています。

 昭和38年に新潮社より刊行された同書には「埠頭」「緑の年」が併録されています。

 「埠頭」は港湾の税関に勤める下級税官吏が、大手商社の羊毛の不正輸入を発見し、それをネタに同僚と組んで利益を得ようと目論む話です。しかし推理小説とか、企業小説の類ではありません。そういった要素は含まれてはいますが、根底は「罪」とその継承にあります。小説中に引用されている「それ一人の人の罪によりて罪は世に入り、また罪によりて死は世に入り、凡ての人、罪を犯しし故に凡ての人に及べり。律法のきたる前にも罪は世にあり、然れども律法なくば罪は認めらるることなし」(ボードレール、鈴木信太郎訳)に象徴されることになります。

 「緑の年」は地方出身の凡庸で真面目な青年が強盗殺人事件に巻き込まれ共に逃亡するはめに陥る話です。田久保英夫の処女作にあたります。
 青年は事件当初は強迫的な抑圧によって自由意志を奪われ逃走に加担しますが、その途上何度も脱出する機会を得ます。しかし青年は犯人たちと終始行動を共にし続け、その理由を彼は「自分一人きりになる恐怖」に見つけます。作為不作為によらず事件の一味と世間からとらえられた青年は、戻ることも交わることもできない「通常の社会」から隔たった存在になったと自分を認識し、自分を特別なものと知覚し卑下します。その弱さが強盗犯との同道へと結びつきました。しかし彼は逃げ続けることを通し自分が「闘争している」ことの自覚を生じます。このテーマは後に「遠く熱い時間」で再度取り上げられます。
 構成として粗い部分もありますが青年の心理は共感を得るものがあります。こういった心の動きを捉えた話での心理の変遷に無理がないというのは田久保英夫の小説の特徴だろうと思います。

 解禁 (新潮社、昭和38年初版)



 
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