日常のなかで

 明け方から降り続いた雨と微熱が続く体から抜けない怠さに憂鬱な一日でした。
 「どうすればいいのか?」なんてことは自分でもわかりようもなく、とにかく滅入っている気分を外に出さないように努めて過ごした一日です。そうして一日が終わってみるとそれが余計に疲労を増加させ結果として自己嫌悪を引き出します。

 僕は自分のブログよりも他の方のブログを読むほうが好きで、当たり前ですがそこで気づかされることも多々あります。
 たとえば、仕事や健康のことでいっぱいになって足元だけを見て歩いていたらゴールデンウィークも終わり、思い返せば鯉幟を見た記憶さえありませんでした。
 僕の住んでいるところは田舎なので農家や古くからある商家の庭には毎年鮮やかに鯉幟が翻っています。そのはずなのですが今年はそんなことに目をやる余裕もなくなっていたのですね。とある方のブログで青空を泳ぐ姿を見て「明日からは一日一度は空を見上げて記憶に残そう」と思いました。

 空が曇っていると夜明けが遠く感じたり、日暮れが早く訪れるような気がします。心模様も同じでしょう。
 やはり他の方のブログですが小泉今日子さんの「優しい雨」を取り上げていました。その日その時に心に浮かぶ音楽があるというのは素敵だと思います。

 以前に("Littel Tokyo"をお出しになられた頃だっと記憶していますが)小田和正さんにお会いしたことがあり、その時に小田さんは次のようなことをおっしゃっていました。

 「音楽は美しくなければいけないと思っています。そのメロディだけではなく、歌詞においても心を和らげられるようなもの。悲しみを悲しみとして伝えること、愛しいを愛しいと感じ合うこと、その対象は違っても心を揺り動かす喜怒哀楽は変わらないと思うんです。だから優しくなくてはいけないし、美しくなければいけないと。それはバラードでなければいけないとか、そんな作曲の技術上のことではありません。テンポやリズムのような上辺だけではないもっと奥にある優しさや美しさを伝えられば理想的ですね。それが歌となって誰かの思い出のなかで息づいているというのは最高のことです。僕にとって本当に必要とされている音楽とはそういうものではないかと思うんです。」

 怒りや悲しみ、時には憎しみさえ音楽は伝える宿命をもっているかもしれません。けれども、その根底にあるのは、生きることへの希望であると思うのです。絶望を歌うのは聴いている人々に絶望をあたえるためではなく、その絶望の悲しみを分かち合うことによって「より佳く生きよう」という共鳴を力を生み出すことなのです。

 心を鷲掴みにするような刺激的な言葉や暴力的なもの、シュールなものは人の心を捕えやすいです。それらは「カッコいい」と受け取られがちなのです。怖いものみたさは誰しもがもっているものであろうし、危険なものや醜いものに魅了される弱さもあります。ですがファッションだけでは心の琴線に触れることはできないのです。
 
 日常の中にある優しい風景にもっと目を向けられれば自分も変われるのかもしれないと、おふた方のブログを読んでいて思いました。




 

 
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