草の生き方

 先だって奥多摩へ行ってきました。廃村を訪ねる道合にまばらに咲く野菫を見ていて島木健作の「運命の人」の小説家・秋山信吉の台詞を思い出しました。

 「くよくよして、考え込んでばかりゐたって仕方がないぢゃないか。つまらぬ人間に生まれたといふことは、自分には仕方がないことでもあるんだ。しかしさういふ人間は生きていってはならぬといふわけのものでもないだらう。つまらぬものにはつまらぬものの生き方が許されてゐるだろうに。いろんなしくじりを重ね、いろんなめにあいながら年をとって行くだけでいいんだ。世間にとって格別の意味のあるものだけが存在せねばならぬといふものではないんだ。何一つしとげえなかったよぼよぼの人生には、それはそれでまた相応しい風光がひらけてこないわけでもないだらう。」

 野に咲く草花にはその草花の生き方があるでしょう。
 その一輪がどう生きて、どう枯れたか、誰も気にもとめないでしょうし、また、かの草にしても自分が野の自然生態系にいかなる影響を与えてその一生を閉じるかなどとは考えてもいないことでしょう。
 咲く花は自分が咲くことに懸命であって、それがどんなに小さな範囲であってもそれだけで手一杯なのです。それは人も皆同じこと。

 宇宙の広さは計算できても心の広さを計算することはできないですし、その中に生じている様々な感情の大小も比べることはできません。

 自分には思いがつまった場所が、他の誰かには足をとめる価値もない場所かもしれません。他人には一笑にふされる出来事が自分を部屋に閉じ込めることもあります。

 僕はつまらない、取り柄のない人間です。僕には自分が考えているよりも才能はありませんし、そのための努力もしてきてはいないでしょう。でも、そのつまらない人生だって僕にしかできない生き方なのです。

 「運命の人」の中の登場人物のひとりである杉原がこんなことを言っています。

 「… こんなところでもなけりゃ場所は与えられはしないからな。しかしどこだっていいんだ、おれにはどんなところでもいい、先づ場所が与えられるといふことが必要だったんだから。わるい条件のところがむしろいいかも知れなかったんだ。」

 その場所にはその場所の生き方があります。
 時代を選べなかった以上、その時代を乗り切ることを楽しむ方法を探したいものです。僕は少なくとも過去においてもっとも悲惨な時代に生まれたというわけではないのだから、その恵まれた環境で僕なりのつまらない生き方をしていきたいと思います。

 つまらない草にもその草なりの意気地があります。そして、その草が生きるためには土壌があり、大気があり、水があり、日光があり、昆虫や鳥獣がいます。すべてが良好な関係であるはずはありませんが、その関わり合いを嘆かずに受け入れる強さが欲しいと思いますし、元来、生命にはその力があるはずなのです。きれいごとの戯言ですがそう信じなければ明日を今日にすることができません。

 「それはそれでまた相応しい風光がひらけてこないわけでもないだらう。」

 何かを待つことは必要なのです。









 
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