明治35年11月、高山樗牛がその死のひと月前にこう綴っています。
「今の人は祈ることを忘れた。是れこそは今の世の最も大いなる禍と謂ふべきであろう。」
祈りとは本来、自我の欲を願うことではありません。それはもっと大きなものであるはずです。
その前年の8月「無題集」に彼が記したのは、
「はかなくも立つ烟かな 行方も知らず立ち迷へるさまの わが心に似たりけるよ。」
同じく「無題集」から、
「君よ、わが名を問ふ勿れ、別れてはまた逢はるべき吾ならず、見ずや、空ゆく雲の右と左を。」
言葉の断片を並べながら桜の花の下を歩き、春の日溜りと心地よい風と、それに釣り合わない自分の心を持て余しています。
こどもたちが花びらを追って走るのを眺めながら、この瞬間を彼らがいつしか思い出せますようにと願っていた自分が不思議で、その滑稽さから逃げるように歩を速めて離れました。
「櫻花 ちるもちらぬもかかわらぬ 小さき心になにをはぐくむ」 (柳原白蓮)
遠い記憶の向こうで、ある少女の言葉が僕の中で鮮明に聞こえます。
「あなたは私の名前をいつまで覚えていられるかしら。いつか私の姿を忘れたとしても名前だけは思い出してね。だから、身勝手な私は今からあなたに呪いをかけるの。それは私にとっての祈りであって、あなたにとっては呪縛となるように。」
東慶寺の鐘の音は円覚寺のそれより少し遅れて鳴るのだと、立原正秋の小説の台詞を借りて笑った彼女を思い起こしています。
「しひて行く人をとどめむ桜花 いづれを道と惑ふまで散れ」(古今和歌集 詠人不知)
あの日の僕にそう言える強さと弱さがあればもっと変わっていたのかもしれません。
いつまでも春のままではいられはしません。ですから、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の美しさを求めつづけているのでしょう。時々の幸を見つけられるように。それが祈りの姿ですから。
体調不良と仕事に忙殺され、心がまた後ろを向き始めた感じです。「ずっと見ていればそちら側が正面になる」なんて、そんなことはありませんね、きっと。
もう少ししたら前を向けるくらいの力が戻って来るでしょう。
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