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薔薇の木に、薔薇の花咲く

 眠れない夜が続いています。漠然とした不安と明確な危惧とが沈殿して僕の眠りを妨げます。
 「時が解決する」なんて真っ赤な嘘だとわかってはいるのだけれど、もう少し時がたてばどうにかなるのかもしれないと淡い期待をどこかに抱いている自分は「まだ神様を信じているのかも」とそう思ったりもします。
 僕が今抱えている不安などは一転してしまえば心を塞ぐような重さを失うはずです。それは思い通りにならない現実に対処する術がわからないという、ただそれだけの自分勝手な欲望にすぎないのだから。本当の不安とはそんな物理的要因を指すのではないこともわかっています。

 「人生に積み重ねなど必要ない。壊して壊して壊して常に生まれ続けようとする意志こそが本当に生きていることなのだ」と岡本太郎さんからお聞きした時、僕はその言葉の斬新さに感心し上辺だけで唱えていました。
 身を守ろうとするから落魄れるのが怖いのです。担うもの総てを投げ出してしまえれば、その勇気と力があれば気魂は人生に宿ります。そして、その勇気が僕にはありません。この不安は僕が生み出しているものなのです。まさに積み重ねた過去から滲みだしてくる汚物なのです。

 絶望とは消沈して不幸の中に蹉跌することではなく、突然に一切の望みが見えなくなり、幸不幸さえも感じなくなったことを指すのだとそう気が付いたのは18歳になってすぐのことでした。僕が夢見ていた理想はその瞬間に消えてしまい、後は抜け殻のような心だけを器につめて持ち歩いているにすぎないのです。
 それを埋めようとして僕は現実に手に取れるものを鷲掴みにしようとしてきました。いえ、現にそう行動し、行動しきれないことで今の焦燥があるのです。それは更に不安を生み出し続けます。

 何だか暗い文章になっていますね。話題を変えます。

 「薔薇の木」 (北原白秋)

 薔薇の木に、
 薔薇の花咲く。

 なにごとの不思議なけれど。

 白秋の詩集「わすれなぐさ」に収録されているごく短い詩です。初めて読んだ時はあまりの簡略さに不思議さは覚えても感動はしませんでした。ところが、ある日ふと開いた時に、道理を悟るということは高度な知識や経験によるものではなく、その理由は開いた薔薇を見る側の心の問題なのだと、その未熟さを不意に突きつけられたような気がしたのが思い起こされます。

 レイチェル・カーソンは「センス・オブ・ワンダー」の中で「人は、毎日頭上に輝く星にさえも気づいてはいないのです」と綴っています。
 日常に変化がないと目を伏せさせているのも、不安に取り込まれて周囲や自分を見えなくしているのも、やはり自分自身なのです。

 「安寧は捨つる先にあり」とは仏教における「空」のことです。生を闘うことも安んじることも「捨てる」ことにその真理があるのだと心で理解するまで、あとどのくらいの年月が必要なのでしょうか。

 
 
 


 

 

 
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