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恋風

 「恋風」というアニメ作品があります。原作は吉田基巳のコミックです。2001~2004年まで「イブニング」で連載、2004年4月からTV朝日系列で放映されました。
 テーマは「本当の妹に、本当の恋をした」でした。ストーリーの紹介をオフィシャル・サイトから引用させていただきます。

 「妹が生まれてまもなく、両親の離婚により兄妹はそれぞれ父側と母側へとひきとられ別々に暮らしてきた。そして10数年たった現在、結婚相談所に勤める耕四郎は妹がいることすら忘れて平凡に暮していた。ところがこの春から、高校進学に伴い妹・七夏がおなじ家で住むことになったのだ。ただでさえ困惑する状況の上に、耕四郎には別の悩みがあった。同居の前に妹とは気づかずにデートした揚げ句、失恋の痛手から思わず涙を流し慰められるという失態。離れていた時間を埋めるように、ただ純粋に兄を慕う妹。なんとか立派な兄であるよう心がけたい耕四郎だが、出だしからつまずいた上、異性として意識せざる得ないほど七夏は可愛い。隠さねばならない気持ちは純真な七夏に接する度にどうしようもない、苛立ちへと変わり衝突を引き起こす。そして自己嫌悪に嘖まれる日々が始まる…」

 恋風 1 恋風 5

 このアニメですが「プレスコアリング」と言う少し変わった方法で制作されました。どういうものかと言うと、通常は作成された映像に合わせて音楽やセリフをあてていく「アフレコ(アフターレコーディング)」が主になっています。プレスコアリングは収録されたセリフや音楽に合わせて画像を作成する手法のことです。但し、現在のアニメではレコーディング時に画像が完成していないことが多く、コンテに合わせてセリフなどを収録し、後日、デジタル調整で修正を加えていくことが多いので、広い意味ではこれも「プレスコ」と言えなくもありません。
 しかしながら「恋風」は途中までは完全プレスコアリングでの収録となりました。監督は大森貴弘(BACCANO、デュラララ、夏目友人帳etc)、脚本を高木登(BACCANO、地獄少女etc)、音響を岩浪美和(まほろまてぃっく、Fate/Zero etc)、主人公の佐伯耕四郎を三宅健太、妹の小日向七夏を中村有岐という布陣。原作は約3年半の連載で全35話。それを13話にまとめる形で放映されました。葛藤の経過を表すエピソードに不足している感は否めないですが、それは仕方がないでしょう。個人的には原作8話「夏の休日」からの七夏の里帰りや20話「はつ恋」からの耕四郎の別居前の出来事、32話「生涯の恋」の描写が含まれればと言った感じはあります。

 原作が漫画である場合、アニメではイメージを維持するのに苦労をします。まして「恋風」の場合はコミカルでテンポ良く進むと言った作品ではなく、心理描写を間で表現する部分、つまり静止画に重きを置く部分が多かったので特に苦労しただろうと思います。その中で非常に効果的だったのが「音を間引く」ことだったと思います。この「音を間引く」、すなわち「余計な音を鳴らさない」と言うことなのですが、これが簡単なようで実に難しい。それを大森貴弘さんと岩浪美和さんは見事にやってのけました。音が消える瞬間を生かしています。演技者の自由度の広さと音へのイメージの重ね合わせと言うプレスコの利点を十分に取り入れていた結果であり、それが作品の緊張感や抒情性を醸し出していたと思います。美術監督の西倉力さんと色彩設計の鈴城るみ子さんの繊細な水彩画のような雰囲気も非常に美しい作品でした。

 原作の話をしましょう。原作の主題は先に書いた通り「兄と妹の恋愛」です。同様のテーマを扱ったコミックやゲームは多々あります。「あきそら」や「ヨスガノソラ」などですが、この「恋風」はそれらとは似て非なるものです。テーマは同種ですけどインモラルな部分を強調し過度な性的描写に頼った演出により興味を惹くものではなく、恋愛の純粋さを求めた結果としてタブーに触れた恋愛を取り上げたことに意味があります。
 もともと兄妹間の恋愛、或いは、近親間の恋愛や婚姻といったものは禁忌ではありませんでした。古事記における伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)の国生みに見られるように、より純粋な神聖なものを生み出すためにごく自然に行われていたことです。
 国生みについては「妹」と言う字を上代言葉(古語)にある「いも」として、自分より年下の女性と言う意味であって血縁関係を表さないといった主張もありますが、それはやたらと皇族を尊崇し禁忌を忌避するための強引な展開ではないかと思います。近親婚を禁忌とするようになった理由や起源(少し難しい問題もありますが)から見れば、神代においては問題はなかったとすべきです。
 話題がずれてしまいました。もとに戻します。
 恋愛、純愛と言ったものを追及した場合、今日においてもっとも純粋な形で表現できるとすればタブー(或いは、インモラル)とされる境界を越えたものであるでしょう(削ぎ取られて残ったものが核であるのと同様に)。それが近親恋愛に結びつくことは不自然ではないし、ある意味、理想的な主題となります。しかし、現実には法的にも、世間一般的にも認められておりませんので「普通」の状態ではありません。
 作品中で耕四郎の元彼女の秋本宵子の「耕四郎って心から誰かを恋しいと思ったことはあるのかしら?」と言う投げかけから、終盤の千鳥要(耕四郎の同僚)の諌めに対する耕四郎の「不幸とかお前が決めんな」と言う流れまで、終始一貫して耕四郎が望んでいるものは「純粋に好きだ」と言える充足感、幸福感なのだと思います。物語中においては七夏の純粋な気持ちに基づく強さと、耕四郎の純粋さに基づく弱さとが交錯します。それが最終的に「一緒にいること」を選択し物語は終わります。
 アニメのオープニングの映像を最終話以後のエピソードと取って見ていると切ないものがあります。

 今日的な作品と比較すると地味と言えるかもしれませんが、じっくりと考えさせられる作品です。また、携帯電話が普及する前の、昭和の終りから平成の始めにかけての情景も非常に懐かしく、そのしっとりとした描写が作品の質を高めてもいます。
 こういった作品を見ていると「燃え尽きるのなら後悔がないほどに」と、そう言える若さがもう一度欲しいと思ったりします。

 恋風 サントラ




 
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