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ことはじめ… 高橋真琴先生のお姫さまの絵

東北関東大震災の被災者の皆様にお見舞い申し上げます。
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
災害からの一日も早い復興を望んでおります。
日本の奇跡は終わらない、そう信じています。



   ★   ☆   ★   ☆  ★



ことはじめ … 「高橋真琴先生のお姫様の絵」



 大分以前から個人ブログを始めようという気はあったものの、「取り立てて書くことも無く」を言い訳に、また、「今更に」とも思え、捨て置いたまま今日に至りました。
 友人知人に後押しされてようやく重い腰をあげ、ここに書き出してみようと思い立ったのは一枚の絵からのお話でございます。

 と、書き出してみたは良いが「絵にまつわる話≒幼少記」となるを恐れ、上の数行で小一時間ストップという体たらく。
 文才がないのは承知、文の作法もなっておらず、早速に書くことの苦痛を覚えてきました。
 それでも、思い立ったが吉日、ことの始まりが大切。
 この日記を書いている者がどういう人間なのかをいささかでも知っていただくのも良いのではと、すこしばかり道化た調子で、ちょっとお茶でもしたのちに続きを。

           

 父が、下町で営む小工場を取引先の倒産のあおりでたたむことになったのは私が4歳の頃。(いろいろと不思議の憶えある工場ではあったが、その朧な記憶話はまた機会があればの時にしましょう。)
 工場も家も取られ家族が一緒に住むもままならず、結果、私は置屋の叔母、母方の祖母、その他転々と親類縁者の間を流れるような暮らしぶり。それに生来の体の虚弱も手伝って、おとなしいといえばやや聞こえは良いが、人の様子を窺う引っ込み思案の根暗が実。
 人の言を信じず、自分の嘘を拠り所に現実を虚に置き換え、事実を絵空事に受け流す、そんなこどもに着々と育って行きました。
 嬉しいも悲しいも、美しいも醜いも、素直に表現せず、空想と妄想、理想と嘘の天秤。
どちらか一方が必ず重いはずですが、なのにどちらへも傾かない。混沌とした頭の中の世界はそのまま吊り合ってしまう。役たたずの秤のような壊れた子でありました。

           
 この様に書くと不義理な人に囲まれ、貧困と絶望の中に漂っていたかの錯覚をおこさせ、不幸自慢が始まるような浅はかさ。
 確かに、叔母は置屋が生業ということもあり気位高く、見栄張りで、短気勝手な質ではありましたが、理不尽に私をいじめるようなことは全くありませんでした(恩着せがましさは錦絵のごとくでありましたが)。
 祖母についても躾の厳しさ(当時、私は左利きで、祖母は箸を左で持つ人間を忌み嫌っておりましたので)はあったものの、大抵は面倒見の良い人でした。その他の親類縁者にしても気の合う合わないは至極当然としても扱いが酷かったことなどありません。

           
 そんなこんなで私も小学2年生。
 魚は水に慣れるもの。冷水も室温に並ぶもの。しかしながら人はそうも行きません。
 朱に交われば赤くなる。郷に入らば郷に従え。住めば都…云々。そうは言いますが、それは様式や習慣のこと。不安の中にいて不安に慣れるというものではありません。
 こどもながらの不安。それは家がない。それにつきるものであったと思われます。
 かつての時代、異国では「宿なし」が罪であったの如くに、それは後ろ暗くあり、怯えていたものです。家がないという劣等感が「自分には理想がない。夢がない」に通じていたのだろうと思います。
 家がないから、さも立派な家があるかのごとき嘘を吐く。理想や夢といったものは、自分の将来や清浄さの顕れであります。それがないということは、自分には将来はなく、汚れているという自己嫌悪。それがために夜眠られず朝を待ち、体力も精神力も削られて、結果として更に病気がちになるという単純算式。
 扱いあぐねた祖母が私に持ち出してきたのは童話の中にあるような読み聞かせ。
 「何を幼児じゃあるまいし」と心にうざく思えるものの。読んでくれれば聞くのがこども。
 それこそ眠るまで本を読む。立場変われば拷問のごとくに思われ、亡き祖母のご苦労に胸がしんしん痛みます。

 平井駅近く(当時、江戸川の平井にいましたので)に銭湯があり、その斜向かいに貸本屋が一軒。
 祖母は毎日のように本を借りては返すの繰り返し。(三省堂、紀伊国屋、丸善ほどもあれば良かったのでしょうが)
 そろそろ読む本も尽きかけようという頃、買ってきたのか借りたのか、一枚の挿絵が、閉ざした雨戸の隙間から零れる光のように現われました。
 載っている漫画に興味はなくとも、そこに絵物語がひとつ。その絵を見ているだけで夢見心地になるような、そんな心に優しい絵でありました。(その本が今も私の元にあるということは祖母が購入したものなのでしょう。定かではない記憶の奥に「この本は返さない」と駄々をこねた感触がわずかに残っております)

 その絵をお描きになられていたのが「高橋真琴先生」です。

           
 やっとここまで話が辿りつきました。これを読んでくださる方がいらっしゃるか否かはわかりませんが、お付き合いありがとうございます。ご寛容に深謝致します。


人魚姫 「にんぎょひめ」(復刻)



 高橋真琴先生については、私が詳細を述べるまでもないでしょう。
絵をご覧になれば同年代前後の方は「ああ」と明るい微笑を見せ、やさしい溜息をつかれることでしょう。
 先生の作品は、挿絵ばかりではなく、筆箱、ノート、鉛筆、絵葉書、シール、着せ替え人形、塗り絵。カバン類、水筒などもあったような気がいたします。あげればきりがないくらいに、私のその頃の生活に重なり合っていました。
 時が経ってもそれは変わることなく、高橋先生の絵は四季の花のようにそこにありました。

 高校生の時分、私は親戚の家近くにひとり住まい、何かと面倒をみてもらっていました。そのお返しというわけではありませんが、当時、まだ小さかった従姉妹の遊び相手をしていました。昭和56年くらいのことでしょう。
祖母が私にしてくれたように、私も本を読み聞かせてい、その中でも意識して先生のお姫さま絵本をとりあげておりました。それらの幾冊かは今も手元にあります。

 この日記を書きあげる頃には既に昨日になっていますが、3月25日午後、高橋真琴先生の画廊をお訪ねいたしました。先生は佐倉市にお住いになられ、真琴画廊をお開きになっていらっしゃいます。先生の画風情緒を伝えるような品の良い小さな白い洋館です。
偶然にもこの日、画廊には、作家の荒俣宏先生がお見えになっておりました。高橋先生にまつわる企画の収録であったようです。お忙しく見受けられたので早々に出はしましたが、瞬間ながら高橋先生とお話ができ、買い求めたオフセットにサインをしていただけたのは幸いにも増しての幸いでした。

 高橋真琴先生の絵は、私に常に新鮮さを与えてくれます。
 理想や夢は懐古に陥らない。常に新しくあり続ける。そう思わせてくれます。絵を見て、あの頃を思い。絵を見て、理想の変わらぬ形を知る。
 次に尋ねる時には、私の手元にある数冊の本を持って行きましょう。壊れたこどもであった私を救ってくれたのはこの本だったのですとお話をすることができたら、と思います。
 私がお姫さまの中にみたもの。それは誰にでも優しく、清らに咲く夢をくれる「家」でした。そして、今も私の中にあるのは、トゥシューズを履いた少女であり、人魚姫の清楚な美しさです。
 伝わる「幸せ」。高橋真琴先生の絵は、まさにそれなのだと思います。



あこがれ 「あこがれ」(復刻)

 次回は、高橋先生の作品のご紹介をできればと思います。


(to be continued)
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