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エピソードα ~ Somewhere in Time ~

 深夜から降り出した雨が正午過ぎに漸くあがりました。
 明るさを取り戻した空を見上げると地平近くに、飛び立つために広げられた翼のような形の雲が目に映りました。
 変哲もない雲がその様に見えたのは、僕がそう見たかったからなのでしょう。
 人は見たいものを見ているのです。
 嫌悪すべきものも、畏怖させるものも、憧憬さえも、見ることができるのです。
 空に描かれた翼は誰のためだったのでしょうか。
 僕の翼ではないことは確かです。僕の翼であるのなら、それは剥ぎ取られた残骸であったということです。
 でも空にあったそれはあまりにも清らに映えていたので、君の翼の象徴であったと思います。

 この日、ブリジストン美術館で長く学芸員を勤められた金森さんが北鎌倉に開いた蔵書票ギャラリーをひと月振りに訪ねました。
 ひと月前は、ホームを降りると北鎌倉全体を木犀の香りの風が柔らかく包み込んでいたのに、それが記憶違いのように、町には枯れ葉の匂いがしていました。
 紅葉はまだ先のことながら、秋はこうして僕たちの周りに溢れていきます。

 金森さんのギャラリーは「青騎士」という名で、これはドイツ表現主義派を牽引したカンディンスキーとマルクが主催した機関誌から採られています。

 北鎌倉駅を降りて円覚寺前の通りを明月院方面に向かって歩いていくと三叉路が現れ、真直ぐ行けば建長寺、左に折れれば明月院。
 「青騎士」は左に折れて直ぐの右側にあります。
 丁度、ミュシャとアール・ヌーボーの蔵書票展をやっていました。
 小さいながらも展示されている作品の情報量は多く、特に僕の目を引いたのはスペインとイタリアの蔵書票です。
 イギリス、フランス、ドイツの作品は日本でも多く見かけますし、チェコの蔵書票は最近はよく取り上げられるようになりました。けれどスペインとイタリアの蔵書票はあまり目にする機会がありません。思えば古書大国である両国に優れた蔵書票作家がいるのは当然のこと。その当たり前のことを金森さんのギャラリーで拝見するまで気が付かなかったとは、僕は何という穴だらけなのでしょう。
 金森さんの蔵書票語りは親しみがあり、造詣に富み、エピソードも興味深く配置されています。
 訪れた際には、人懐こい笑みを絶やさない金森さんにぜひ声をかけてみてください。
 決して怖い人ではありません。ご安心を。
 こんな風に尋ねると面白いお話をしてくださるはずです。

 「この紋章を覆っている羊歯みたいなのは何ですか?」

 僕はここで栗田政裕さんが制作した蔵書票を1枚購入しました。
 それを包みながら金森さんは「めったに売れることがなくて」と笑います。
 多くの人に蔵書票を知ってもらいたいという気持ちだけでお作りになられたギャラリー。
 これもまた道楽なのでしょう。
 そして空間を維持するためのご苦労も大変なものと察せられます。
 
 ギャラリー「青騎士」を出て鎌倉に向かって歩き出し、途中の小道とも言えない本当に見落としてしまいそうな細い通路の奥にある喫茶店に立ち寄り、遅めのランチを食べたのですが、うっかりお店の名前を確認するのを忘れてしまいました。もう一度見つけるのは難しいかもしれませんね。そこもまた趣味のお店のようでしたから。

 夜、仕事の打ち合わせを藤沢で終わらせ、和田塚にあるペンションに宿を取りました。当夜のお客は僕を入れて3組5名。夕食は鎌倉まで出て小町通に入ってミルクホールのある路地の少し奥にある「梅の木」で摂りました。今年の7月にできた新しい店内は清潔感に溢れて、お店のスタッフも細やかに対応してくれました。

 宿に戻ってもなかなか寝付けない夜。
 面白くもないテレビを点け流して、鞄にいれておいた本を捲っては目を閉じるふりをする。
 眠れない理由は何なのでしょう。
 身体を右に左に転がしているうちに、滔々と朝が白み始めました。
 うとうとしたのは6時のニュースの最中、しばらくすると携帯のアラームが朝食の時間を教えてくれました。
 簡単な朝食を食べて宿を後にしたのが午前九時。
 江ノ電で一駅先、鎌倉。
 若宮大路の人込みを抜けて杉本寺の方へ歩を進め、「分かれ道」を折れて、知人のアトリエを訪ねました。
 通された部屋のなかが珍しくあまりにも整理されていたので驚いていると、彼は照れたように「今は何も作る気がしなくてね。だから座る場所があるんだ」と言いました。
 僕は彼に頼まれた書籍を渡し、彼はそれを確認すると「ありがとう」と言い、「今日は出かけちゃうけど、ゆっくりしていっていいよ。鍵はいつものようにポストに落としておいて」と紅茶を勧めてくれました。 
 彼が出て行った後、アトリエの広い陽だまりに残された僕は、片付いた机の上に持っていた太宰の「女生徒」を広げ数行目を落としました。

…箱をあけると、その中に、また小さい箱があつて、その小さい箱をあけると、またその中に、もつと小さい箱があつて、そいつをあけると、また、また、小さい箱があつて、その小さい箱をあけると、また箱があつて、さうして、七つも、八つも、あけていつて、たうとうおしまいひに、さいころくらゐの小さい箱が出て來て、そいつをそつとあけてみて、何もない、からつぽ、あの感じ、少し近い、パチツと眼がさめるなんて、あれは嘘だ、濁つて濁つて、そのうちに、だんだん澱粉が下に沈み少しづつ上澄が出來て、やつと疲れて眼がさめる。朝は、なんだか、しらじらしい。…

 そこまで読んでパタンと頁を閉じる。
 疲れているなと自分でも感じます。理由はありすぎてひとつひとつ数えきることはできません。
 小さなひとつも、大きなひとつも等しく僕を打ちのめします。理由の大小は僕を疲弊させる力に比例してはいないので。

 どうして僕はここにいるのだろう。

 背中にあたる日差しは大きく取られた窓から十分な暖かさを僕に与えてくれています。
 不意に「シスカ」という単語が頭に浮かびました。
 何であったか凝っと思い出そうと努めていると、君が本を読み上げる声が幻聴となって僕の記憶を開きました。

…シスカ、二十七里向ふに日ソ國境のある村だ。僕たちは随分北にやつて來たもんだ。こんなに北に來たけれど、ここはまだ僕を満足させない。土人の家にいつたつて、森永のチヨコレートがあるやうに、僕の眼の前には何時も愚劣な文明がちらついている。…

 シスカとは敷香と書く択捉にある村の名前で、僕は君が朗読した丸岡明の短編で初めて知ったものでした。
 けれど僕はそれ以上のことは今も知らないでいます。町の名前の載った小説しか僕の手の中にはないのです。

 僕はどの方向へ、どこまで行けば十分だと思えるのでしょうか。
 動きたくない気持ちと動かずにはいられない気持ちとがいつも反目しあっています。

 生きるということ自体が徴兵に取られることのようにも思えてしまうのです。

 そこから逃げる手立てはあるのでしょうか。
 丸谷才一の「笹まくら」は徴兵忌避者の話でしたね。
 主人公は現実には不可能であった徴兵忌避に成功しました。
 死を選ぶことなく生きることで逃亡を達成したのです。
 主人公は徴兵前に出会った女性との短い恋の日々を幸福の象徴として逃亡し続けました。
 それは絶対に讃えられることはなく、英雄であるはずもない生涯恥ずべき行為なのですが、自由を妨げられた人々が真に望んでいたことの唯一の成功であったのです。

…人殺しをしたくないための行為が別の人殺しをもたらす。…

 彼の逃亡は世情の矛盾に曝され続け、自分が生き残るために別の死をもたらしました。
 もし僕が今の「生」という徴兵から逃亡したとすれば、どういう矛盾と犠牲が生じるのでしょうか。

 僕以外いない静かなアトリエ。
 冷たい風の届かない偽装された陽だまり。
 ひょっとしたら僕も存在していないのかも知れないと思わせるその穏やかさの中で、僕は机の上の大切なものを囲い込むように腕を置き、そしてそれらを上半身で庇うように伏せました。
 僕は何を隠していたいのでしょう。
 思い出そうとすることにも疲れました。
 今は眠い、のです。 
 少しだけ眠らせてください。
 どんなに疲れていようとも、目が覚めたらきちんとここから出て、また歩き出します。
 そうしなければならない理由は、そうしたくない理由と同じ位にあるものですから。

 青騎士01 
 ≪ギャラリー青騎士≫
 神奈川県鎌倉市山ノ内186-3
 ℡ 0467(40)4110
 営業時間:10時~17時・木曜日定休

 女生徒 太宰治「女生徒」(砂子屋書房・初版)

 柘榴の芽 丸岡明「柘榴の芽」(日本文學社・初版)

 笹まくら 丸谷才一「笹まくら」(河出書房新社・限定版)






 


 
 
  

 

 
 
 
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テーマ : ひとりごと…雑記…きままに
ジャンル : 日記

Coda ~ 鏡界面の書架へ~

 昨日のことになります。
 自称・佐伯修一(仮)という名刺を配って歩く友人から電話がありまして、
 「どうすんの?もう終わりでしょっ?」といきなり言うんですよ。
 まあ、何を指しているのかは直ぐにわかったので、「まだ決めてないんだけどね」とだけ答えると、
 「そっか、アメーバが空いてるよな?最初に登録したきりじゃんか。あっちにさ、整理すれば?」
 それだけ言ってプツンと電話をきりました。
 その電話の後、見計らったように今度は初島さんからかかってきまして、
 「あー、一年分ですねぇ。カオスなブログはどうするんですかぁ?」と言う質問に、
 「まだ、決めてないけど」と先ほどと同じ答えをしました。
 すると彼女は「あの不親切さは何とかして欲しいですぅ」と言うんですよ。
 「不親切?」と訊き返すと、
 「ですよぉ。鎌倉の話はそれでいいんですけど、引用されている本について何も紹介してないじゃないですかぁ?あれって中途半端ですよねぇ?ふたりの世界と言われればそれまでですけど、こうして書いた以上は説明義務ってあるんじゃないですかぁ?」
 その後、如何に僕が不親切かを滔々と諭されまして、結果、「考えとくよ」で話を打ち切りました。

 しかし、どうなんでしょうね?
 普通の会話のなかで使われた小説などのフレーズがどの作品から引っ張り出されたのかを説明したほうがいいんですかね?
 僕のなかではあまり必要性を感じないんですけど、それよりも彼女が言った「カオスなブログ」の方が気にかかりまして、確かに滅茶苦茶ですよね。

 そこで自称・佐伯が言っていたアメーバを3年ぶりにアクセスしましてブログを確認し、とりあえずは彼のつぶやき通りに書籍関連だけ移動しようかと思い立った次第です。
 そうと決めたら直ぐに実行しないと二度と着手しない性格なのは自分が良く知っています。
 ですので、立ち上げました。

 タイトルは「鏡界面の書架」です。

 アドレスは、http://ameblo.jp/pipi1964/

 まずは既存の記事のお引越しですね。
 転載するにあたって加筆しようかとも思ったのですがやめて、気が付いた誤字脱字などの簡単な修正のみにしました。
 書き直すの大変ですもの・・・。

 と言うわけで、書籍関係は今後すべてアメーバの方に転載致します。
 「本のことにしか興味はない」という方は多いと思うのでちょうどいいのかなとも思います。

 新しく本を取り上げて記事を書くかどうかは決めていません。
 当初の「一年分の記事」は何とか書くだけは書いたので、これ以後のことは追々考えます。

 僕にとって本を読むということは趣味ではなくて、寧ろ贖罪、罰に近いもので、そういう読書もあるのだと知ってもらうために書いてきたところもあります。
 
 それと「無かった事を書かない」というのはきついんです。
 仮想世界は現実世界よりも遥かに広くて、かつ、自分の思う現実に近いものを作りあげられるので書くのも読むのも楽なんですよ。重くないから。

 自分を絞って書いていると、どうしたってその辛さが内容に出てしまう。根が暗いものですから。余計に暗くなる。
 365個の記事で搾りかすになったわけではないですけど、区切りにはしていましたのでひと休みですね。
 しばらくはお引越しに打ち込みまして、その後のことは成り行きに任せます。

 お付き合いいただきました方々に本当に感謝申し上げます。
 役にも立たない愚痴のような、年寄りのエンドレス昔語りのような、すべてが自己満足のみに根差した散漫な日記で申し訳ありませんでした。

 ありがとうございました。

 少しお休みをいただきます。


 


 
 
 
 
 
 

 
 
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全く役に立たない独り言です。

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