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翠鳥、その後 ~鎌倉にて

 翠鳥が飛び去ったあと僕たちはゆっくりと昼食の続きを摂った。
 「ええと、あの・・・怒ってるよね?何となく。」
 僕がそう口にすると君はそんなの決まってるでしょうと言った顔で僕を見る。
 「怒ってるわけじゃないけど不機嫌になっていることは確か、です。」
 いつもと同じようにはっきりとした口調でそう答える。
 僕がまた、ごめん、と言いかけるとそれを予期して君が言葉を遮った。
 「あのね、私にとって今こうしていることは日課と比較すれば極めて特別なの。わかってる?あの雪の日から何回あなたと会ったかしら?その全部を、特に何もなかったって言われたら気分を害して当然です。お世辞を言ってほしいわけではないけど返答にもう少し配慮してほしかったわけです。」
 年下に諭すような口調で君は続ける。
 「確かに彼女でも彼氏でもないけど、友達っていうにはもう少し特別なのかなって思ってたのに。照れ隠しならまだしも、さっきのあなたは全部忘れてしまった顔をしてたわ。それも本気で。」
 僕は自分の失言の理由がどうしてもつかめなかったので弁解のしようがなかった。確かにあの時は「特に何もなかった」という言葉に嘘はなかったと思うのだけど、本当に何もなかったわけではないのは事実。僕にとって君に会うことも、鎌倉を訪れることも確かに特別な行動に他ならないのだから。僕は行き詰って当惑する。
 君は突然面白そうに小さく笑った。それは秘密の宝箱が案外簡単な場所に隠されていたのを見つけた時みたいに。
 「許してあげます!」
 僕は知らずに地面に落としていた視線を君に向けた。
 「言い訳をしないところをみると、ちょっとは反省すべき点に気づいたみたいだから、許してあげます。」
 君はてきぱきとランチの後片付けをする。
 僕には何も手伝うべきものがない。
 Box and Cox arrangement .
 僕には君が歌うようにそう呟いた声が聞こえた。
 けれど本当は君はそんなことは言わずに、僕の空耳だったのかもしれない。僕にはそれを確かめる勇気がなかった。
 「あなたはどこにおいでなのでしょうか。知ってる?」
 君は猫のような目に逆光を反射させて僕を見た。
 僕は暫時黙考、慌てて記憶の蔵書に検索を掛ける。
 「反橋?川端康成の住吉の連作、かな?」
 「反橋の中で主人公が古美術を手に取っているときの生の心境を述べるところがあるでしょう。思い出せる?」
 「ちょっと待ってね・・・。ええと、骨董を手に取っていないときは自分は汚辱と悪逆の中にいて、死のなかから微かに死に逆らっていたいに過ぎない、とか言うところ。」
 「要点としては合ってます。5点中3点くらいかしら」と笑う。
 それは採点が辛すぎると思いながら、次の言葉を僕は待つ。それはいつものことなので。
 「あんなに寂しい川端康成はほかにないと思うの。傷心というものが形をとったのなら、当に住吉連作に見られる川端康成になると感じてしまうくらいに。」
 そして、あなたも骨董が好きだったわね、と目で問いかけてきた。
 「僕は、わかる気がする。古美術品は時を経てきたという事実があって、それを手にした時、見も知らぬ記憶が連想されるような感じに襲われることがあるから。それって今の自分の不確かさを自覚させられるからなんだと思う。時を経てきたものの強さと、置き去りにされていると感じる自分の気弱さが突きつけられてしまう感じ。過去への憧憬ではなく、寂寥にある美しさとでも言うのかな。救い、かも知れない。」
 「網野菊の小説『海邊』にこんなくだりがあるの。『唯血を吐く為だけに生まれてくる。そういう子が実際にあるのだ。そうして又、そういう子の親達が実際にあるのだ』って。主人公の女学生が訪れたサナトリウムでの出来事なんだけど、どう思う?」
 僕はその作品を読んだことはなかった。
 そして君の質問を正しく理解することも出来なかった。
 君は言葉を閉じる。
 葦の合間から蝉の声が聞こえた。
 僕は、あんなところにも蝉は止まるのか、単純にそう思って繁みの中を目で探っていた。
 すると君は自然な眠りから覚めるように言葉を繋いだ。
 「私はね、見たことはないのだけれど、番の菊戴という小鳥は眠るときに互いに相手の羽毛に自分の頭を埋めて、まるで一塊の毛糸の毬のようになるらしいの。想像するとすごく可愛いでしょう。ボタンインコや十姉妹の雛が寄り添っているみたいな感じなのかしら。川端はそれを見てこう思ったの。人間でも初戀人ならば、こんなきれいな感じに眠つてゐるのが、どこかの國に一組くらゐはゐてくれるだらうか、ってね。」
 それは先の話とまったく異なる話題のようでもあり、また関係があるかのようにも感じられた。
 僕はしばらくの間、後に続く言葉を待ったのだけれど、君の話はそこで途絶えてしまった。
 バサバサっと何かが飛び立つ音につられて池を見た。しかしその正体はつかめずに、風のためか、飛び立った何かのせいなのか、判別のできかねる葦の繁みの大きな揺れが残されていた。その揺れは、飛び立った瞬間の翠鳥の瑠璃色の羽の輝きを思い出させ、その記憶に残る映像は、動き有るものの美しさのすべてを翠鳥に凝縮させていたのではないかと僕に思わせた。


 


 

 

 
 
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翠鳥 ~鎌倉にて~

 光明寺の池に翠鳥がやって来ると聞いた、と話した。すると君は、決まった日課をこなすように「それじゃあ、見せてあげるよ」ってあまりに気楽に言うので僕はちょっとだけ呆れて、それでも足を運ぶことにした。
 やって来るという事実は、会えるという事実を保証してはいない。けれど僕の、もうひとつの「会える」は翠鳥よりも幾分かはその確実性が担保されていたように思え、理由はそれで十分に満たされていたので、他のことはどうでもよかった。
 電話を切った後、光明寺を訪れるのはあの雪の日以来だな、と少し不思議な気持ちがした。
 そして、もう半年も経ってしまったのか、とも。

 僕たちは鎌倉駅で待ち合わせて珍しくバスで目的地に向かった。いつも通りに「歩いて」とは君は言わなかった。
 バスの揺れは時折触れる君の腕の柔らかさを伝えると同時に、僕を短時間の微睡へと誘った。
 「次、降りるわよ」という君の声で我に返った時、僕はすっかり寄りかかってしまっていたことに気づいた。さっと体を起こし、取り繕う言葉も不自然に感じられ、ただ「ごめん」とだけ言うのが精一杯。
 「夜中に漫画でも読みすぎたんじゃないの?それとも遠足が楽しみで寝られなかった?」と笑う。
 バスを降りると思いのほか爽やかな風が吹いていた。そう感じたのは公共の乗り物特有の澱んだ車内の空気のせいだったかもしれない。
 「あの雪の日以来だね」と僕が昨夜感じたことを口に出すと、「私は日課みたいに通っていたけど」とまた笑う。
 「まあ、それは冗談として、ひと月振りくらいかしらね。私もこっちにはあまり来ないし。」
 僕らは山門をくぐりまっすぐに池へ向かった。時間は正午に差し掛かろうとする頃。快晴の夏空。
 「ねえ、カワセミって川にある青い土の意味だって知ってた?」と君が話し出す。
 「青い土?セミが?」
 「そうセミはソ・ニが訛ったもので、ニはあなたも知っている通り土のこと。」
 「あっ、なるほど、青・丹か。美しくて、佳いものの枕詞。」
 光明寺は相変わらず数えもきれない五輪塔と苔むした墓石、朽ち果てた墓木が多い。こう数があると改めて見て回ろうとする気持ちも起きず、当たり前の添え物になってしまう。というかきちんと目に入っているかも怪しい。
 「さぁて、翠鳥が来るまでお弁当でも食べてましょうか。」
 君はさらりとカバンを広げて今日の献立を取り出した。
 山菜ご飯を詰めた小さな弁当箱がふたつ、おかずは大き目の折の中でバレンできちんと仕切られ行儀よくしていた。
 「あなたの嫌いな椎茸は入っていないから安心して。おかずは適当に摘まんでね。飲み物はいつもの通り」とご飯の入ったひとつを僕の膝上に置き、おかずの入った折と水筒を二人の真ん中に置いた。
 「ねえ、翠鳥が来るまでって何時まで待つ気?」
 「直に来るわよ。慌てることありません」と知り尽くしたかのように自然に答える。
 鳥寄せの術でもあるまいに、でも、まあ、いいか、と僕はランチに箸をつけることにした。
 七月も終わろうというのにこの爽やかさは何なのだろうと空を見上げていると君がぽつっと何かを言いこぼした。
 「うん?何か言った?」
 「あなたが言ってた、雪の日からの半年はどうだったの?って言ったのよ。」
 「え?どうっていうこともないけど。毎日じゃないけど学校に行って、バイトして、鎌倉に来たりして。でも取り上げるような特別なことなんてなかったな。」
 「露をなどあだなるものと思ひけん 我が身も草に置かぬばかりを、ってね。」
 「古今集?藤原の誰だけ?藤原の・・・。」
 「藤原惟幹。」
 「そっか。藤原惟幹ね。」
 「露に愛情を込めて呼ぶなんて素敵よね。露など、にしないところが歌人の素質なのかしら。」
 「それって格助詞の使い方を言ってるの?古典の授業みたいだね」と少し揶揄する。
 「そうじゃないけど。ただ露を愛おしむ気持ちはその落ちてゆく軌跡もきっと惜しんでいるんだろうなって思っただけ。」
 「残した後を辿るもののない虚しさ的なもの?」
 「墓木朽つべし、名滅せしむ可からず。ねえ、本当は皆、自分を残したがっているんじゃないかしら。でも誰しも思っていながら実行することは出来ないんでしょうね。在るものや、在ったものを残すということはどうしてこんなにも難しいのかしら。」
 君が蘆花の「寄生木」を思い受かべているのだと、僕が書棚から背表紙を見つけ出すのに時間を必要としている間に、池の葦の先に翠鳥が止まった。
 「ほら、あれ!あそこ!」
 君が僕を小突くように小さく叫ぶ。
 指を差したりはしない。
 僕は探すべくもなく、はっきりとその姿を捉えた。
 生まれて初めて見た本物の翠鳥だった。
 「ねえ、やっぱり特別なことなんてないって言う?」
 君が僕に問いかける。
 僕は答えるべき言葉を探せない。
 「自分の日常には何も変わったことがないなんて、そんなことはありえないのよ。」
 翠鳥は葦の先から水面をみているのだろうか。ピンと天を指す葦を不思議に思った。鳥の重さはどれほどのなのだろう。葦の茎が弛まないほどに軽いか、それともあの茎が意外に丈夫なのか。
 僕は彼女の問いから思考を少しだけ遠ざけて、戻る。
 「そうだね。目を塞いでいるのは自分自身なんだろうね。それじゃなければ見えていても見えていないふりをしていたいだけなのかもね。自分を知ることは怖いことだから。」
 「人は時間を材料にする盲目の職人。休むことなく何かをいつも作っているの。でもね、残念なことに作っているうちはそれを認識できないのよ。自分が何を作っているのかわからないの。やろうとしいてること、やりたいこと、やるべきこと、その三者にある微妙な違いにいつも戸惑いながら指先を動かして時間を紡ぐの。でも、確かにいつも何かを残しているのよ。それは書くべき人が書けば小説にだってなる。」
 君はきっと僕に苛立ちを覚えていた。僕があまりに自分を見ないようにしているから。
 「憶えていてもらおうとすることも、自分を残すことになるのかな。」
 君はそう言うとポイッと小さく切ったブロッコリーを口に放り込んだ。
 本当は誰しもが生きていながら自分の墓標が見えている。見えていなければならないんだろうな、と思う。けれど僕は過ぎるに任せて時間を溝に捨てている。
 僕は何を残せるのだろう。
 君は君が思っていたように自分を残すことができたのかはわからないけれど、僕の中にこの瞬間の君は確かに残ることになった。
 僕は止まっていた食事の箸を一口すすめる。
 翠鳥は隣の葦に飛び移るとひとつふたつ呼吸をする間を取ってから、呆気なく僕らの視界から飛び去った。
 

 
 
 
 
 
 

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「白蟻」 小栗虫太郎

 変容、変貌、転生と言ったものは古来より信じられてきましたし、それが人知を凌ぐ神の業として畏怖を植え付け、俗習を越えて権力を維持する方便ともなっていた時代があります。
 僕はオカルト的なものは信じない質ではありますが、山などに入り込んでいると、偶々見かけた樹の洞や奇態が人を想像させ、一瞬の怖れを抱かしむることがあります。特に寄生木のごとくは、気を許したはずみに道行く者にも絡みついてくるような不思議な生命力をもっています。
 小栗虫太郎と言う作家はその樹の奇態や土を通じて生命の変貌を主題とした小説を書きました。
 彼の作品は、比喩的、象徴的であり、引用も多く、また独特の専門用語(特に精神医学的な)を多用します。従って読みにくい印象を与えてしまう欠点があり、何にもまして場面転換が急で、読解力というよりも寧ろ注意力を試される作品です。
 それと当時の検閲に引っ掛かって削除が多いのが更に作品全容を分かり難くしています。そういう意味においては初版はあまり読書には向いていないかもしれませんが、装丁が素晴らしい!怪しげな雰囲気を簡潔な色合いで伝えてきます。この装丁を手掛けたのは、挿絵画家でもあります松野一夫です。

 「白蟻」(ぷろふいる社、昭和10年初版)

 白蟻 小栗虫太郎

 小栗虫太郎はこの作品について初版の序で次のように書いています。

…かやうのなことを、作者として口にすべきではないであらうが、自分が書いた幾つかのなかでも、やはり好きなものと、嫌ひなものとの別が、あるのは否まれぬと思ふ。わけても、この「白蟻」は、巧拙はともかく、私としては、哀惜措く能はざる一つなのである。私は斯こうした型式の小説を、まず、何よりも先に書きたかつたのである。私小説―それを一人の女の、脳髄の中にもみ込んでしまつたことは、ちよつと気取らせて貰ふと、かねがね夢見てゐた、野心の一つだつたと云へるであらう。…

 小栗の言う「私小説」とは、今日、僕たちが使っている意味とは大きく異なっています。ここにおいては、登場人物の個人的視点においての小説という意味に近いと受け取ってください。
 基本としては、「瀧人」(たきと)という女性が落盤事故をきっかけとして夫と別人が入れ替わったのではないかとの疑心を抱き、その原因を変容と転生とに求めるものです。
 主人公の長い独白が主となり、それと呼応するための執拗な情景描写が全体を埋め尽くします。この作品を楽しめるかどうかは、小栗が提示する情景を想像することができるかにかかっているかもしれません。
 作者はこの序の後段において「白蟻」をドイツ歌曲に譬えています。それは小説の形式をとっていても、この作品が叙事詩でもあることを示しているのです。

 物語は次のように始まっています。

…秩父町から志賀坂峠を越えて、上州神ヶ原の宿に出ると、町を貫いて、埃つぽい赤土道が流れてゐる。それが、二子山麓の、万場を発してゐる十石街道であって、その道は、しばの間をくねりくねり蜿々と高原を這いのぼってゐく。そして、やがては十石峠を分水嶺に、上信の国境を越えてゆくのだ。ところが、その峠をくだり切ったところは、右手の緩斜から前方にかけ、広大な地峡をなしてゐて、そこは見渡すかぎりの荒蕪地だつたが、その辺をよく注意してみると、峠の裾寄りのところに、僅かそれと見える一条の小径が岐れてゐた。
 その小径は、毛莨や釣鐘草や簪草などのひ弱い夏花や、鋭い棘のある淫羊藿(イカリソウ)、空木などの丈たけ低い草木で覆われてゐて、その入口でさえも、密生してゐる叢のような暗さだつた。したがって、どこをどう透し見ても、土の表面は容易に発見されず、たとい見えても、そこは濃い黝ずんだ緑色をしてゐて、その湿つた土が、熱気と地いきれとでもつて湧き立ち、ドロリとした、液のやうな感じを眼に流し入れてくる。けれども、そのやうに見える土の流れは、ものの三尺と行かぬまに、はや波のような下生えのなかに没し去つてしまふ。が、その前方――半里四方にも及ぶなだらかな緩斜は、それはまたとない、草木だけの世界だつた。そこからは、熟れいきれ切つた、まつたく堪まらない生気が発散してゐて、その瘴気のやうなものが、草原の上層一帯を覆いつくし、そこを匂ひの幕のやうに鎖してゐた。しかし、ここに何よりまして奇異なのは、そこ一帯の風物から、なんとも云えぬ異様な色彩が眼を打つてくることだつた。それが、あの真夏の飽和――燃えさかるやうな緑でないことは明らかであるが、さりとてまた、雑色でも混淆でもなく、一種病的な色彩と云うのほかになかつた。却つて、それは、心を冷たく打ち挫ぎ、まるで枯れ尽した菅か、荒壁を思わす朽樹の肌でも見るかのやうな、妙にうら淋びれた――まつたく見てゐると、その暗い情感が、ひしと心にのしかかつてくるのだつた。…

 ミステリーを紹介するというのは難しいもので、先の「本陣殺人事件」もそうですが、なるべく本筋に触れないようにしたいと思っています。結果がわかってしまうと好きでないと読めないものになってしまう恐れがありますので。

 僕が小栗虫太郎という人を知ったのは江戸川乱歩だったかの作品の後ろについている書籍紹介からでした。数行の紹介文からは内容はまったく読み取れませんが、「白蟻」という題と作者名に興味を惹かれ書店を探し回りました。

 小栗虫太郎のデビューについては巷間に通ったエピソードがあるので簡略に記すにとどめます。
 昭和8年6月に発売された「新青年」の7月号に掲載予定だった横溝正史の作品が急病のために原稿落ちとなり、その代替として採用されたのが小栗の「完全犯罪」でした。これは好評を博し、彼はミステリーの世界に躍り出て一気に人気作家の地位を得ました。救われた横溝と救った小栗とはその後も親交を保ち、「今度お前さんが病気をするようなことがあったら、私がかわって書いてあげよう」という約束をします。しかし、小栗は昭和21年2月10日、疎開先の長野県で脳溢血のため急逝。それはメチルアルコールによる飲酒が引き鉄だったともいわれています。

 小栗の描写は本当に独特で、読み難さと合わせて久作に並ぶかもしれません。
 推理小説や探偵小説としての整合性よりも、より詩的でオカルト的な書き方を追求していたともいえます。

…俗に腸綿踊りなどと申すものがござゐます。それは、今も申した心理見世物の一種なのですが、遠見では人の顔か花のやうに見えるものが、近寄つて見ると、侍が切腹してゐたり、凄惨な殺し場であつたりして、つまり、腸綿の形を適当に作つて、それに色彩を加えるといふ、いわゆる錯覚物の一種なのです。そうしてみると、腸綿がとぐろまいてゐる情態ほど、種々雑多な連想を引き出してくるものは外になからふと思われます。すると、あの時の鵜飼はどうだつたでしょうか。腹腔が岩片に潰されてしまつて、その無残な裂け口から、幾重にも輪をなした腸綿が、ドロリと気味悪い薄紫色をして覗いておりましたわね。ああさうさう、あのブヨブヨした堤灯形の段だらだけは、貴方にはご存知がないはずです。ですけど、私の眼にさえも、それは異様なものに映じておりました。多分それというのも、胆汁や腹腔内の出血などが、泥さえも交え、ドロドロにかきまざっていたせいもあるでしようが、恰度その色雑多な液の中で、腸綿のとぐろがブワブワ浮んでいるように見えたのです。…

 これは主人公の夫が入れ替わる瞬間を象徴的に独白した部分ですが、シミュラクラ現象とも、フラクタル効果ともとれる暗示がなされています。
 こういった描写は、主人公とその家族が食事をする場面においても取り入れられ、そこが常人の場でないことを読者にインプリントしようと試み、それは獲物の描写に拘ることから始まっています。

…騎西家の建物は、充分時代の汚点で喰い荒され、外面は既にボロボロに欠け落ちてゐて、僅かにその偉容だけが、崩壊を防ぎ止めているやうに思われた。そして、全体が漆のやうな光を帯び、天井などは貫木も板も、判らぬほどに煤けてしまつてゐて、どこをのぞいてみても、朽木の匂いがぷんぷん香つてくるのだつた。しかし、戸口を跨いだとき、滝人は生暖かい裾風を感じて、思わず飛び退つた。それは、いつも忌しい、死産の記憶を蘇よみがえらせるからであつた。しかし、そこにあつたのは眼窩が双方抉られていて、そこから真黒な血が吹き出ている仔鹿(かよ)の首で、閾(しきゐ)の彼方からは、燃え木のはぜるやうな、脂肪の飛ぶ音が聴えて來た。そして、板戸一重の土間の中では、恐らく太古の狩猟時代を髣髴とさせる――まつたく退化しきつてしまつて、兇暴一途な食欲だけに化した、人達が居並んでゐた。土間の中央には、大きな摺鉢形をした窪みがあつて、そこには丸薪や、引き剥がした樹皮などが山のやうに積まれ、それが、先刻から燻りつづけてゐるのである。そして、太い刺叉が二本、その両側に立てられてゐて、その上の鐵棒には、首を打ち落された仔鹿の胴体が結びつけられてあつた。その仔鹿は、まだ一歳たらずの犬ほどの大きさのもので、穽に挾まれた前足の二本が、関節の所で砕かれてゐ、かえつて反対のほうに曲つたまま硬ばつてゐた。それに、背から下腹にかけて恰度胴体の中央辺に、大きな斑が一つあり、頸筋にも胴体との境に小さな斑が近接してゐて、恰度縞のやうに見えるものが一つあつた。けれども、その二つだけは、奇妙にも、血や泥で汚されてはいなかった。しかし、それ以外の鹿子色をした皮膚は、ドス黒くこびり付いた、血に塗まみれてゐて、ことに半面のほうは、逃げやうと悶えながら、岩壁に摺りつけたせいか、繊維の中にまで泥が浸み込み、絶えず脂とも、血ともつかぬやうなものが、滴り落ちてゐた。それであるから、仔鹿の形は、恰度置燈籠を、半分から截ち割つたやうであつて、幾分それが、陰惨な色調を救つてゐるように思へた。…

 この後、主人公の瀧人は、自分の狂気と他者の狂気との真実を見定めるために自己の論理を尽くし、変容の正体を突き止めようとします。
 小栗はエドガー・アラン・ポーの持つ詩情に満ちた怪奇と幻想に憧れ、力強い陰影によって心を魅了するマーラーをはじめとするドイツ歌曲を思いうかべ、それらを自分の世界に再現することに尽くしました。「白蟻」の執筆中にはそれらの韻律が彼の頭のなかで鳴り響いていたのではないでしょうか。
 夢野久作が狂人による狂気を書いたとしたなら、小栗虫太郎は常人として描ける究極の狂気を日本語において書こうとしたのかもしれません。

 白蟻 奥付


 

 

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「本陣殺人事件」 横溝正史

 「本陣殺人事件」(靑珠社、昭和22年初版)

 本陣殺人表紙 本陣殺人事件奥付

 岡山県のとある農村にある旧本陣の末裔・一柳家の屋敷で長男・賢蔵と元一柳家の小作の出である久保克子の結婚式が執り行われました。宴が仕舞った未明、突如として新郎新婦の寝屋である離家から悲鳴と琴をかき鳴らす音が聞こえ、異常を感じ家人が駆け付けると、きっちりと閉められていた室の中で無残な新郎新婦の死体が発見されます。警察による必死の捜査も虚しく犯人にたどり着く手がかりもなく、ついに新婦の小父である久保銀造が数年前に面倒を見た探偵業を営む一青年を呼び寄せます。彼は巻き尺も虫眼鏡も使わず、状況を整理考察し、論理的分析によって事実を浮かび上がらせていき、ついに真相を割り出すことに成功します。

 「本陣殺人事件」はこんな感じの話です。
 僕は何度もここに書いていますが、推理小説、探偵小説一般が苦手です。
 こじつけにも似たトリックと結果を引き出すための荒唐無稽な強引に筋立てられた事件など読むに堪えない。
 「推理」とは論理を駆使することであって、「推理小説」とはスリリングな心理描写と論理を楽しむものではないのかとの疑問が常にあります。はっきり言って今の探偵小説、推理小説には魅力を感じていません。

 横溝正史の代表作である「本陣殺人事件」は昭和21年2月に起稿し同年10月に脱稿しています。その点から言えば、もはや古典の域に入るかもしれませんが、この作品が僕に初めて論理を楽しめる探偵小説のあることを教えてくれました。

  本陣殺人事件角川文庫

 僕がこれを手に取ったのは作品自体に興味があったのではなく、杉本一文さんが描かれた表紙の、あの妖艶な美しさに見惚れたためです。丁度、中学にあがった年になります。

 江戸川乱歩はこの作品について「随筆 探偵小説」(淸流社、昭和22年初版)の中で詳細に述べています。ここでの解説内容については多少改稿はされていますが、「寶石 第二十巻第二號」(昭和22年)に掲載されたものとほぼ同様のものです。
 今日は、この乱歩の随筆にそって話をしてみようかと思います。

…横溝君の「本陣殺人事件」が完結したので最初から通讀して色々感想があった。これは戰後最初の推理長編小説といふだけではなく、横溝君としても處女作以來はじめての純推理ものであり、又日本探偵小説界でも二三の例外を除いて、殆んど英米風論理的小説であり、傑作か否かはしばらく別とするも、さういふ意味で大いに問題とすべき劃期的作品である。…

 第一次大戦から第二次大戦の終戦までの一時期、探偵小説を書くことが許されませんでした。探偵小説作家は題材を他に取るなり、休筆することをやむなくされ、横溝正史も例にもれることはありませんでした。
 彼は「どうしても探偵小説が書きたい。そこで当時ゆるされていた時代物の姿をかりた」と言っているように「からくり御殿」をはじめとする「人形佐七捕物帳」のシリーズを執筆します。
 しかしながら本格的探偵小説を書くには制約がありすぎ、終戦を待って漸く彼は望むように執筆を開始することができました。その最初の作が「金田一耕助」のデビューとなった「本陣殺人事件」でした。
 密室殺人を扱うことは横溝の中ではだいぶ前から決まっていたようです。けれど彼自身は密室を扱った作品についてはかなり批判的であり、それは本文中の金田一耕助の言葉にも見て取れます。

…密室の殺人を扱った探偵小説も澤山あるが、たいてい機械的なトリックで終わりへいくとがつかりさせられる。…

 そこで彼は、その機械仕立てに日本の伝統的なものを取り入れ、緊張感を持った非常に複雑な独自のトリックを考案しました。
 乱歩はこの構造トリックについて次のように批判しています。

…凶器を屋外に運ぶトリック・メカニズムが一讀直ちには納得出來ない點である。水車、琴糸、琴柱、石灯籠、節抜きの竹などの道具は、純日本風で面白くはあるけれども、そのメカニズムが複雑すぎるために、讀者をして「そんなにうまい具合にいくものなのか」と感じさせる點にある。…

 確かに、作中のトリックが完全に動作するにはかなり微妙な力学的な調整や建物の配置が必要であり、もっとも重要なのは水車の位置と言えます。しかし、設計図的には物理的に十分実現可能なトリック・メカニズムになっているところが作者の苦心の賜物でしょう。あれは現実に稼働させることができるトリックです。但し、作品中の準備期間において可能であったかは甚だ疑問ではあります。
 乱歩は殺人事件の動機についても次のように言及しています。

…私の今求めるものは近代文學が提唱する所の最高のリアリティではなくて、犯罪動機等に於ける性格と心理の必然性或いは蓋然性に過ぎない。それは二千数百年の昔、アリストテレスがギリシア悲劇に對してなした丁度あの要求にすぎないのである。…

 アリストテレスがした要求とは、「詩人は實在可能だが到底信じられない出來事よりも、寧ろ實在不可能だが本當にありさうな出來事の方を選ぶべきである」、「たとへ詩が模倣せんとする實際の人物が矛盾ある人間であつて、そして斯様な性格として描かれるのであつても、やはりその矛盾が矛盾なく描かれねばならない」、「萬一詩人が非蓋然的な筋を描き、そして、人をして作者はその筋をもつと蓋然的な形式に書けば書けたであろうにと、明らかに思わせるならば、その作者は藝術上の過失のみならず背理の罪を追ふものである」というものです。

 事件を引き起こす動機は現実世界においては、小説に描かれるほど理に適ってはいません。実際の事件は理不尽と理解不能な心理によって引き起こされていますから。
 しかし、現実と小説とは違います。小説は娯楽を目的としたものであって、読者を楽しませるという点を見逃してはなりません。乱歩はこの作品について、そこが一番納得いかなかったのだと思います。
 事件が犯人の性格によって生じたとするならば、その性格を物語の進行に沿って書けたはずであり、最後になってそれを詳細に語り事件に結び付けようと持ち出すというのは読者に対して不親切だと言っているのです。

 さらに乱歩は、探偵小説とは犯人と探偵とが知力を尽くして戦うのが醍醐味であって、その過程に生じる焦燥、諦観、高揚などを描くものであると主張します。

…探偵小説は、殊に長編のそれは、なぜ例外なく殺人事件を扱ふのであるか。それは探偵小説が謂ふが如く單なるパヅルの文學ではないからである。謎と推理のみが唯一の條件なれば、殺人や犯罪を素材とする必要は少しもない。それにもかかわらず始祖ポー以來探偵小説には犯罪殊に殺人がつきもののやうになつてゐるのはなぜであるか。その理由は、探偵小説の魅力の半ば或いは半ば以上が、殺人のスリルと、犯罪者の悪念から生まれた絶望的な知力と、そして、世人が経験することを極度に怖れながら、しかも下意識に於いては却ってその経験を願望してゐるところの、犯罪者の戦慄すべき孤独感等に在るからである。…

 横溝正史自身も、この作品が論理に傾注し淡々とした性格を有し、スリル、恐怖、怪奇と言った要素に弱い点は認めています。特に事件の動機については出版されるにあたり大いに加筆し、犯人の性格を解いています。
 乱歩の言うようにそれは「後出し」的なもので不親切なのかもしれません。
 僕は本道の探偵小説がどういうものか分かりませんが、僕に向いている探偵小説もあるのだと教えてくれた貴重な作品です。
 この後、同じ横溝作品である「獄門島」「八つ墓村」「夜歩く」「悪魔が来たりて笛を吹く」「悪魔の手毬唄」と読み進むことになります。

 本陣殺人事件蔵書票 蔵書票・杉本一文

 

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「世界の子供たちのために」~別府葉子シャンソン・コンサートから~

 別府葉子TY2016b

 別府葉子さんがコンサートで取り上げる曲は非常に興味深いものがあります。
 今日は、ルーテル・市ヶ谷ホールで開かれたコンサートの曲目の中から、一曲だけ紹介させていただきます。
 「世界の子供たちのために(Pour les enfants du monde entier)」です。

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 1987年、フランスのシャンソン歌手イヴ・デュテイユはイラン・イラク戦争に徴兵されてゆく子供たちの姿に打ちのめされ、その言い知れぬ絶望からひとつの歌を作り出しました。

 この歌は周囲を圧倒するようなものではありません。
 切々と語り掛けるように訴えてくる反戦歌です。

 爆弾を抱え人込みに放り出されて、兵器にされる子供たちがいます。
 彼らが戻ってくることはありません。
 遠隔操作で押されたスイッチが、周囲とともに子供たちの命を奪うのです。

 小さな腕に銃を抱えて、希望のない瞳を空に向ける子供たちがいます。

 「私が一番最初に殺したのは、大好きなお母さんでした」と無表情に語る子供がいます。

 小説の中の話ではありません。現実におこっていることなのです。
 
 子供であることが周囲に安心感を与え、それを利用して彼ら自身が武器に仕立てられます。
 そうして奪われた命は、最後にどういう叫びをあげるのでしょうか。
 そうやって死んでいった命は、果たしてもう一度、人間に生まれ変わりたいと願えるのでしょうか。

 出口のない絶望だけを抱えた子供たちは確かに存在しています。
 僕たちの目が向くことはなくても、ビールジョッキを片手で口に運んでいる時にも、世界のあらゆる場所で子供たちの絶望は続いています。

 この日、別府さんが「世界の子供たちのために」を歌うことを知っていたら、もっと多くの人に声をかけていたのに。
 曲目を見た時、後悔しました。

 終演後、いつものように別府さんが見送りに出てらしていたのですが、申し訳なくて会釈するのが精一杯でした。
 こうして書いてはいても、ゲーム終了後のゲーム解説のようなお粗末さを痛感します。
 ですから、ご存じない方は、ぜひ一度、お聴きになってみてください。
 今だからこそ意味のある歌だと思います。


 子供たちに 「子供たちに」(2003年・キングレコード)


 「世界の子供たちのために」 イヴ・デュテイユ


 もうなにも希望を持てない世界中の子どもたちのために
 この地球のすべての支配者に向かって、私は祈りを伝えたいのです

 姿を消す子どもがでるたびに全世界が希望に線を引いて消しているようです
 未来が私たちのものになるという希望を線で消すようなものです

 唇に微笑みをたたえて心安らかに子どもたちが去るのを私は見ました
 子どもたちの行き先は死なのでしょうか、それとも大人たちが約束した天国なのでしょうか

 だけど、子どもたちが地雷の爆発で吹き飛ばされた時、殺されたのはモーツァルトでした
 もし幸福のためにこれだけの代償を払うのなら、幸福とはどんな地獄からその糧を得たのでしょうか

 そしてどれだけの沈黙と暗闇を代償として払わなければならないのでしょうか
 子どもたちの話の思い出を記憶から消すための代償として

 どんな遺言が、どんな福音書が、ものの見えない愚かなどんな手が
 この無垢な存在に、これほどの涙と苦しみを強制できるのでしょうか

 恐怖、憎しみ、暴力が子どもたちの命に火を放ちました
 子どもたちの道は棘と貧困と鉄条網でおおわれています

 自分の心臓の鼓動を聞くように独裁者に説くことはできるのでしょうか?
 大統領もときどきは泣くことがあると思ってもいいのでしょうか?

 泣く以外に声を出せない世界中の子どもたちのために
 この地球のすべての支配者に向かって、私は祈りを伝えたいのです

 あなたたちが目を開いたまま睡眠薬で眠っている間
 ほんの一瞬でいいから、あなたたちの童心の魔術を広げてください

 サンタクロースやクリスマスを理由にして世界では少しの間の休戦が可能なのだから
 その休戦の期間を永遠に続けられればいいだけなのに

 その休戦が永久に恨みを消し去って、心の底の復讐心と残虐さを鎮めればいいのに
 ずっと、永久に

 私には少しの権力もありません
 だけど今日、私の心は希望に満ちあふれ、命への賛歌でいっぱいです

 ゲットーから、スラム街から今世紀の流謫の心から、ほとんどあらゆる場所から声が上がり、人々を立ち上がらせ、歌わせます

 国境を閉鎖したとしても、港や川を通行禁止にしたとしても閉じられた心の中で密かに歌は徒歩で伝わっていきます

 母親たちが子どもたちに歌を教えて、子どもたちがそれを歌って、歌は自由の空の下で、ついに爆発的に広がります

 世界中の子どもたちのために

 世界中の子どもたちのために



 別府葉子TY2016a



 今が、戦前にならないように。
 子供たちの未来が永遠に戦後でありますように。
 そう願っているのが少数派でないことを、僕は信じています。

 

 


 

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ジャンル : 日記

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