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滑川 ~ 鎌倉にて

 近づく台風の影響か、暑さが一息ついたこの日、僕は公園で朝食代わりのメロンパンを齧っていた。
 鞄に入っていた大原富江の文庫本を取り出し、パンを食べながらそれに目を落としていると、風に絡んだ新聞紙のように三人の子供が走り出てきた。
 「スベリ台までだからね。とんだりするのはズルだから。いい?」
 三人のうちで少し年長に見える女の子がそう音頭をとると、「いいよぉ」と一番年下に見える男の子が答える。
 「じゃーんけーん、ぽん!」
 「私の勝ちぃ!」
 そう言って年長の少女は手を二人に確認させるように胸の前でチョキの形でとめた。
 そして、「ち」「よ」「こ」「れ」「い」「と」。
 やや大きく足を差し出して滑り台に向かう少女の姿を見ていた僕は、こんな遊びが今も残っていたのか、と少し驚いた。もう誰もやらないと思っていたから。
 グ・リ・コ、チ・ヨ・コ・レ・イ・ト、・・・。
 子供たちのゲームは続いてゆく、僕はそれを目で追う。

 「ぱ・い・な・つ・ぷ・る。」
 勝ったことを誇るように陽気な声が耳に届く。
 「全然、進んでないじゃない?ジャンケン、弱すぎ。」
 パーを天に差し出すように声をだす。
 君が勝ちっぱなしなのは、僕の勝負弱さに起因するものではなく、このゲームに対するヤル気の問題だよ、と胸中の言葉を別のセリフに置き換える。
 「気合い負けかな。」
 「元気がないぞ!こんな気持ちのいい日に!」
 滑川沿いを由比ガ浜に向かって僕たちはジャンケンをしながら進んだ。もっとも進んでいるのは彼女だけで、僕はほとんど止まっている。もうかなり大きな声を出さないとジャンケンが成立しないくらいに離れていた。
 僕は周囲を気づかいながら、遠慮深く声を出す。君はまるで二人きりの世界のごとく声を挙げる。この単純な遊びを心底楽しんでいるようだった。僕にはそれがわからない。
 最後の勝負に僕がパーで負けて、君が着地を決めた体操選手のように空に手を広げてゴールを宣言する。
 やっと終わったかとの思いを持つ僕は、リリースされた魚のようにヨロリと走りだし、徐々に速度を上げて君に近づく。
 けれど君は既に終わったゲームから心を離していて、見つけた何かを確かめようと立ち止まっていた。
 「ねえ、あそこ。わかる?鳥が集まっているでしょう?」
 示された指の先を僕は探りながら視線を伸ばした。すると十羽ほどの烏が集まっていた。
 「魚でも打ち上げられたか、捨てられているのかな。」
 君は視線を動かさずに答える。
 「あんなに沢山の鳥が食べ続けられるような魚が捨てられているわけないでしょう?あれは死体を食べているのよ。猫か、犬かもしれない。」
 「行ってみる?」
 君は僕の目を見返して、その実、さらに先にあるものを覗き込むように、こう言った。
 「女の子の死体だったらどうする?」
 「それはないだろ。」
 「女の子は親の進めた結婚が嫌で、最後の抵抗として海に身を投げたとしたら?」
 僕は君の少ない言葉を整理するためにやや時間を取った。
 そして君とは別の死を思っていた。それはアンデルセンの「寂しきヴァイオリン弾き」にあった鸛のことだった。
 彼は作中に、渡りの前の鸛たちは、旅に耐えられそうもない弱い仲間を突きあって殺し、一斉に飛び立った後には死体が置き去りにされていると書いている。
 君がまたいつものように何かを思い描いて口ずさんだ。
 「かくばかり、こがれしたえどつれなくも、そなたのそらになびくなる、けふりににたり我がこひは、形もあらず影もなし。」
 「片戀?田沢稲舟だったっけ?」
 君は頷首する。
 そして僕は「しろばら」に行き当たる。

…柏崎の荒磯に、波に着物もはぎ取られて、髪はさながらつくもの如く、あはれに亂れし少女の死屍、風のまにまに打ちよりしを、目さとく見つけし濱烏、早容赦なく飛び来たりぬ。…

 打ち上げられた少女の死体に群がる鳥の映像が僕の脳裏に浮かんだ。

 「一葉の創作ノートの端にね、田沢、田沢、田沢、稲舟、稲舟って落書きがあったらしいの。どう思う?」
 明治の女流文学の双璧であった二人に交流があったか僕は知らない。だが、二人が同じように恋禍に身を投じ、異なったカタストロフに行き着いたことはなんとなくは知っていた。しかしこの時の僕にはそれを結び付けることができなかった。
 「ライバル的な認識、かな。」
 君はこういう時、いつも本当に優しい微笑を浮かべる。
 「そう思うのは文壇を真ん中に置くからね。一葉にはライバルなんていなかった。彼女は自分の生涯自体がライバルだったのよ。一葉が羨むように稲舟の名を刻んだのは、稲舟の恋愛が一瞬でも夫婦という形を作れたからよ。一葉には叶えられなかったことだわ。」
 視線の先では相も変わらず鳥たちが何かに群がっている。
 君は波で洗われて角が落ちた小石を拾い上げて、鳥たちの方に向かって思い切り投げつけた。
 けれど石は、その目標地点には届かず、遥か手前に落ちた。


 
 

 

 
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曳舟の異空間 " LE PETIT PARISIEN "からのメッセージ

 LE PETIT PARISIEN の石川さんからメッセージをいただきましたのでご紹介します。

 From Ishikawa オーナーの石川さん

 「曳舟の異空間 LE PETIT PARISIEN」 は、当初『古書屋』を標榜しておりました。しかし、これは便宜的な間に合わせの肩書きに過ぎず、私が今後行っていきたい活動と相容れない属性を含んでいたことは否めませんでした。
 もとより、古書の販売を主眼に置いて運営する目論見は皆無であった訳で、寧ろ『販売しないことの意義』を鮮明に伝えることを念頭に置いていました。言い換えれば、『美術的作品としての書籍の価値も伝えて、次代に継承していく』とでも言いましょうか。言辞のみ矢鱈と壮大で、実が伴っていないという指摘はさておき(笑)、とにかく伝えていく為には、原本ありきでないと理解度が半減するだろうという思いから、書籍を無闇に販売しないという方針を採用した訳です。

 書籍を伝える活動に留まらず、個展および単発のイヴェントを実施する所以は、その際にご来場頂いた方達に展示作品やイヴェントをお楽しみ頂くついでに、書籍に目を向けて貰う機会を創出したいという思惑が潜んでいます。実際、個展への来場が目的であった方が、うちの書籍が目に留まったことによって、そのまま引き続きお越し頂いているケースが少なくありません。誰とは申し上げませんが、ね。(笑)

 活動を続けていくうち、いつしか『古書屋』から『書斎』へ、更には『オープンな書斎』と呼称することが多くなりました。私自身は勿論のこと、書斎に足を運んで下さる方達も含めて、『LE PETIT PARISIEN = お店』という意識が稀薄になってきたという証左なのでしょう。この意識の共有は、今後の運営を進めていく上で重要なファクターになると確信しています。
 サーヴィスを提供する側される側の関係では培われない、胸襟を開いたお付き合いをすることにより、相手の趣味趣向に沿った書籍の提示を容易にし、また芸術全般に限らず様々な情報の交換の場として機能し始めています。ゆくゆくは、全ての来訪者が言いたいことを言い合える場所になってくれることを期待しています。20世紀初頭のラパン・アジルのように。。
 そういう訳で、『ここをお店だと思わないで下さい』と、一見の方にはお伝えするように心掛けています.。(笑)

 LE PETIT PARISIENは、時代の変遷と共に埋もれてしまった作家や画家を再評価する活動も偉そうに開始しています笑 ま、こちらは細く長く続けていこうと考えています。求められる人間とそうでない人間というのはどの時代においても必ず存在しているので、現代の潮流なども加味しながら少しでも世に送り出していければなぁ。。と。あ、ちょっと酔ってます。(笑)

 話の画竜点睛を何処に定めれば良いか分からなくなってきたのでそろそろ終わりにしますが、とにかく私の理想というのは、私が現在所蔵している書籍の類を私の生きている時代を超えて残していきたいということに尽きます。そのために、自らの蔵書の魅力というものを多角的な観点から伝えていく所存です。殊に若い世代に向けて。。微塵も来てくれる気配が無いけど。」(笑)

 From Ishikawa



 自らを「異空間」と自覚されているところが、ある意味で酒井徳男さん曰く「書痴」の域に入りこんでいるのかも・・・。
 皆さんも、友達の家でお茶を飲むような気持で、ふらっと立ち寄ってみてください。
 特にお金のない高校生の方、稀観本が読めて、しかも涼しい!営業時間内なら追い出されることもありません。おしゃべりもし放題。うんちくなんて必要ありません。「本が好き」という気持ち、或いは、好奇心があれば十分です。




おしゃべりの裏側…水曜荘趣味誌「寿多袋」

 このブログの裏話というか、そんな大層なものでもないんですけどね。始まりの話をちょっとしようかと。
 以前に友人知人の勧めもあって始めたという書き方をしたのですけど、それは間違いではないのですが、少し違ったところもありまして、それがずっと引っかかっていたんですよ。
 それを今さらつらつら書いてどうなるのかとね。あくまで僕自身の問題で、読む側にはなんの関係もありませんので、いい迷惑だろうなぁとも思ってはいます。
 まぁ、立ち止まるか否かは通行人の自由で、関所よろしく足止めをするわけではありませんので、こうして書かせていただくことにしました。

 寿多袋01

 このブログ、随分と前からやっていた気がするんですが、よく見たらまだ5年なんですね。7年くらいやっていた気がしていました。けれどよくよく考えれば、あの大震災直後から始めたわけですから、僕の年月の感覚が狂っていたってことなんでしょうね。
 後輩(といっても僕の歳の半分以下)の女の子と悪友に「一緒にやるんなら気楽でしょ?」ってな感じで言われて、あまりに迫ってくるもんですから断るに断れず書き出しました。
 この「一緒に」っていうのは文字通り「一緒に」でして、本でいうなら共著ということになりますね。「誰かが書きたい時に書けばいいよ」ってなことです。
 そうそう、悪友がこうも言ってましたね。
 「俺の教え子に読めるように書いてくれよなぁ。読ませるんだから。」

 寿多袋02

 記事は未公開を含めると362件あるんです。公開されているのは353件。その全部に近いものを僕が書いたわけですが・・・。
 僕は義務感が強い方なので放置っていうのが許せなかったんですよ。たとえばネトゲでもね。
 しかし最初と話が違うでしょ?一緒に書いてないし。彼らの記事はほとんど未公開になってるしね。下書きのままとか。

 ブログの最初の記事に「リハビリがてら」って書いたのですが、あながち誇張でもなかったんです。
 あの当時ね、僕は対人恐怖症というか、対人嫌悪症になっておりまして、人と会って話すということに嫌気が差してましてね。仕事でも最小限度で用件を伝えると、あとは「うるさい。黙れ」ってな具合だったんです。こちらも沈黙、あちらも沈黙。
 それを見かねて彼らが僕を焚きつけたんです。放っておくと「また引きこもっちゃう」みたいな。
 言葉というのは使ってないと使えなくなるんですよ。外に向かって出していないと書くこともままならないんです。
 でね、彼らから言われたから動いた。それは確かにそうなんですが、もうひとつ理由があるんです。いや、挙げ始めたら一つじゃ足らないんですが細かなものは省くことにしてね。
 先に"LE PETIT PARISIEN "のオーナーの石川さんが少し「水曜荘」のお話をされていましたが、その水曜荘主人である酒井徳男さんが出していた同人誌、それが動き出す気持ちを与えてくれたんです。

 寿多袋03

 この同人誌は、趣味誌「寿多袋」と名付けられていて非売品、会員配布のみで限定300部。ガリ版刷り。手作り装丁。
 昭和42年8月に創刊号が出され、主催者の酒井徳男さんが亡くなる直前に出された昭和45年1月の「三十號記念」が最後。同年2月に出された「別冊追悼号」を含めても全31冊です。
 僕は残念ながらこの31冊の「寿多袋」以外の酒井さんの本を持ってはいません。借りて読んだものはありますけど。
 その酒井さんがこの趣味誌のなかで「好きなものを書きたいように書いて、千人の知らない人に読んでもらうより、少なくても確実に読んでくれる人の手に渡った方が良い。そこに同人誌の楽しさがある」と言われているんですよ。
 それはね、僕たちが学生時代にやっていた同人誌作りや交換日記の記憶が数えきれないほど詰まっていた言葉だった。
 もちろん「寿多袋」ほど贅を凝らしたものではありませんでしたけど。
 この酒井さんの言葉を見直した時に、「もう一度、書いてみようか」という気持ちがおきて来たのです。

 寿多袋04

 創刊号の執筆者は、水曜荘主人(酒井徳男)、八木福次郎、蘭繁之、岩佐東一郎、酒井秀夫。版画を宮本匡四郎、蘭繁之。カットを酒井秀夫。次号以下では、田中冬二なども参加しています。
 しかも、冊子中に実物見本が貼られています。古銭、メンコ、鉄道乗車券、観劇割引券、写真等が印刷ではなく、実物です。
 会員の中には「いつ実物見本がつきるのかが楽しみ」などという人もいたとか。何しろ300冊分の実物見本を毎月用意するわけですからね。そう容易いことではないです。

 寿多袋10

 第参號にこんな前書きがあります。

 「夏よ、さようなら」 酒井徳男

 とうとう念願の素浪人になることができた。昭和十六年に国民新聞社に入社。軍艦マーチ華やかなりしころ、都新聞と統合、東京新聞となった。ここでちょっぴり人生の悲哀を感じたが、その次には、兵隊で、こんどはなンと大日本帝国の敗戦だ。それから二十年たったら、東京新聞と中日新聞の業務提携という名の吸収合併。
 いうなれば敗け、敗け、敗けの連続だが、この敗けが人生の味だ。白虎隊も、彰義隊も、新選組も、勝ちどうしだったらロマンにもならぬ。敗けの味が人生の味、人生の味が浪人の味で、こんなことでもなければ、念願を果たすこともできなかったはずだ。
 おう、東京新聞よ、グッド・バイ。 …

 寿多袋05

 酒井さんはこの趣味誌を出す前年、大病を患い死の淵を彷徨い、余命宣言を受けました。「寿多袋」を立ち上げて僅か2年半足らずで世を去ります。決して万全ではなかったはずなのに、このエネルギーの充実は何なのでしょう。そこに趣味人としての生き様を見たというには、あまりに凄まじい道楽人生です。
 水曜荘文庫での最後の著書「らくがき古書道楽」にはそうした彼の粋が詰め込まれています。酒井徳男という人の人生を思うとき、この本を読むと感動がこみ上げてきます。
 僕にはこんな超越した道楽の道は歩めはしないけれど、何もしないで終わることのないようにしたいとの気持ちは少しくらいはあります。
 そこで、やはり酒井徳男さんの言葉を創刊号からお借りします。

…生きている限りは、何かしてみたい。何もしたくない人も、むろんいる。私は何かしてみたいの部類に属する人間で、何かする、とは、私にとっては何かを書く、ということでもある。以後、水曜荘主人の個人趣味誌として、好き勝手なことを草して行こうと思う。何も彼も自由なようにみえて、真実、自由なものは、実は何一つない。自由とは心の中にのみある、と言った人もある。心の中でのみ自由をうたっても、それが声にも歌にも文章にもならなかったら、何にもなりはせぬ。自由は心の中にのみある、とは、自由はない、というのと同じではないか。
 私は、かねがね、好き勝手放題な文章を草し、それを書物のかたちにしてみたいと考えていた。これは、できそうで、なかなか実行困難なことであった。そういう志を持ってから二十数年が無為に過ぎてしまったのを以ってしても、いかに難事であるかがわかる。…

 そう、自由というのは伝えることができて初めて「自由」と言えるんです。誰かに伝えなくとも、自分に実感を与えられるものを自由と言うんです。
 僕はあの当時、きっと周りから見て不自由に見えていたのだろうと思うんです。だから、背中を、ド突かれた。
 そうして、つけてもらった勢いは時折減速してしまうけれど、止まるまでにはもう少しだけ時間がかかると思います。ですから、もうちょっとだけお付き合いしていただけるなら嬉しいです。

 ところで、先日ね、鎌倉に打ち合わせに行きまして、ついでに長らく不義理をしていた恩師の墓参をしてきました。その折、恩師の書庫から数冊、譲りうけたものがありますので、近いうちにご紹介します。



 
 
 

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雨の日、図書館 … 鎌倉にて

 午前1時20分頃にようやく帰宅。
 「ようやく」と言っても普段とさほど変わりのない時間。
 違っているのは、情けない僕の姿。
 近づく台風のおかげで髪もジャケットもずぶ濡れになり、まるで水溜りから摘まみあげた新聞紙のようなありさま。
 窓外を見るとやや離れた街灯に映し出される真っ白な飛沫が、映写機かなにかの投影の名残のようにも見えた。
 朝に近づくにつれて雨脚は強くなり、風もでてくるのだろう。ピークは未明頃だと天気予報が言っていた。
 あの日もこうして酷くなってゆく雨を見ていたね。
 季節は夏ではなく冬に差し掛かったころで、場所は御成小学校の路地を入った図書館だったけれど。

 僕は永井路子の「氷輪」を机に置いたまま惘然として、激しさを増す雨を眺めていた。
 館内では大雨暴風波浪警報が出されたため帰宅の注意を促す放送が流れていたが、多分をそれを聞いている来館者は、働いている職員の数より少なかったように感じられた。

 「何を見ているの?」
 君がデュルケームと数冊の関連書籍を抱えながら椅子を引いた。
 「帰れるか、不安なの?」
 「いや。そんなことはないよ。」
 「でも、電車が止まっちゃうかも」と君が笑う。
 僕は「氷輪」の表紙を開いて書き出しに目を落としながらそれに応じた。
 「横須賀線は止まらないよ。」
 「なぜ、そう思うの?」
 「理由なんかないさ。ただそう思っているだけ。」
 「でも、誰かが、戸塚で線路が崩れて止まってるよって言ったら、信じてしまいそうな勢いで降ってるわよ」と、また君が言う。
 「日本の鉄道敷設技術は信頼性が高いんだよ。よほどのことがない限り大丈夫さ。多少の遅れは出てもね。」
 「ふうん」と君は興ざめともとれる相槌を打って、「自殺論」を目の前に置いた。
 「彼がこれを書いた歳のちょうど半分くらいね、私たち。」

 僕たちの行動を規定しているルールには明確に自覚される社会通念上のものと、意識されないものとがあり、人間個人の心理行動においては後者の影響の方が大きい。特に自殺するものにとっては。デュルケームはそのことに着目して自殺を社会学上で論じた。
 人間は簡単な理由で死んでしまうものなんだ。きっとそれは誰からも理解はされない。
 僕がそんなことを思いながら君が並べた本の表紙を眺めていると、君は次々と引き上げてゆく来館者の背中を見送りながら、一遍の詩を小声で暗唱した。
 それが詩の全編だったのか、一部分であったのか、その時の僕は知らなかった。

…花よ汝は 木の間に揺れて
 日を仰ぎ 風に語りて
 きょうの日を思いもみけむ。

 生まれきて 活きて流れて
 ついに来る 別れの日には
 ついに来る 終わりの日には、
 胸を灼き 心も裂かむ
 悲しみの あるを思へや。

 水の墜ち 花の散りゆく
 相生きて 人の去りゆく
 はたまたは 己の死をぞ、
 きょうの日にとくと思いて
 相ともに 和にこそ生きん。 …(金子晋「終わりを思う」)

 「誰の詩?」
 「金子晋さん。」
 僕は横殴りの雨をみながら本心からではなく、挨拶代わりに呟いた。
 「この大雨のなか、金子さんはどうしているんだろうね?」
 君は索引を照らし合わせながら、いくつかをノートに記し、ペンをとめることなくこう答えた。
 「手ほどきの本を片手に囲碁でも打っているんじゃないの?」
 僕は少しばかり意外に思えたので、即座にそれに応じた。
 「金子さんって囲碁の趣味があったの?」
 君は二拍ほどゆっくり間を取ってから、澄まし顔で言う。
 「知らないわ。適当に言ってみただけ。」
 たぶん僕はきょとんとしていた。
 「ああ、なるほど。ちょっとびっくりしたよ。そんな話出たことがなかったから。」
 今度はきちんと関心を君に向けて答えを返すと、いらずらっぽく、そして、やや不敵な笑みを交えて君は言葉を継いだ。
 「私たち二人だけの間でも、こんな小さな嘘が通じる隙間があるのに、底辺が広がった大衆の中なら、もっと有り得ない事実が具体化して伝わりやすいとは思わない?」
 それがジンメルの社会的水準を指しているのだと頭の中から拾い出した瞬間、僕は君に完敗したことに気づいた。
 思い返せば、僕はいつでも君に驚かされてばかりだった。
 「まだ何にもしてないけど、本当に帰れなくなっちゃうと困るから、そろそろ出ましょうか。私、これの貸し出し手続き取ってくるけど、その永井路子はどうするの?」
 ふうっと力を抜くようにして僕はこう答えたと思う。
 「本屋で買うよ。新刊だしね・・・。」

 
 
 
 
 
 
 

 

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"LE PETIT PARISIEN " 若しくは 隠れ家的な何か(後)

 後半は、オーナーである石川さんのインタビューをご紹介致します。
 店名の由来や古書を橋渡しの材料とする理由などについてお訊きしました。

「来たいから来る。
 話したいから話す。
 そういった場所でありたい。」


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 曳舟にある "LE PETIT PARISIEN " 。
 店名を直訳すれば「小さなパリの住人」となりますが、転じて「我らパリ市民」の意味になります。
 パリという街に囲まれた同朋たちと言うことです。
 これは1870年初から1930年代頃まで発行されていたパリのタブロイド紙の名前から採られています。
 この新聞はフランスにおいて日露戦争を大きく取り上げた貴重な資料として注目を浴びたことがあります。
 そのタブロイド紙と店名についてどのような思い入れがあるのでしょうか?

 「あまり期待させて悪いのですが、それほど深い意味はないんです。語呂が良かったというか、響きが自分に合っていたということが大きいですかね。勿論、LE PETIT PARISIEN の新聞としての役割にも注目はしています。
 当時のパリの教育の平均水準はお世辞にも高いとは言えませんでした。文盲の人も多くいましたしね。教育格差が非常に大きかった。この新聞はそういった人たちにも分かり易いように絵を多用し時事を伝えていたんです。
 ですから、僕の店も大衆性というものを主眼に置いて、誰にでもわかり易くしたかったというのはあります。」

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 次に、そのポピュラリティのツールに古書、それも作家存命当時、或いは、初刊行の書籍を中心に展開することにはどんな意図があるのかをお尋ねしました。

 「初版本に拘っているわけではありません。重版でも再販でもいいんですよ。ただ作家が小説なり随筆なり作品を書いた時、明治、大正、昭和初期(戦前)までは装丁を含めてひとつの作品だと考えていた。それを伝えたい。
 収録されている作品に対して作家が抱くイメージは装丁に表れているわけです。
 装丁は作品の入り口です。それを手に取ることによって、より作品世界に入りこんで行く手掛かりになればと思っています。芥川も佐藤春夫なんかも非常に装丁に拘っていました。そこを知ってもらいたいんですね。
 今の作家さんがご自分の本の装丁にどこまで拘っているのかわかりませんが、大概は出版社任せではないでしょうか。もちろんそこには出版コストという問題があるのは避けられません。
 今の出版事情で、作家や装丁家が芯になる紙を選定してそれを皮なり布で飾って、木版や銅版で挿画や題字を作り、見返しにマーブル紙を使うようなことをしていたら一冊がいくらになるのかわかりません。
 大量生産が可能になったために書籍はより大衆化したと言えますが、大量に作るためには簡単な材料でなければなりません。それが書籍の魅力を失わせてしまう原因にもなったと感じています。」

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 確かに室生犀星などはその随筆の中で極論とも言えますが「本の装丁に関わってこそ小説家である。それに関心を払わないというのは小説家の資質がない」と述べています。
 そこには昔と今の本の立場の違いが大きい。例えば芥川や犀星の随筆に「本を一冊売って生活費の足しにした」というエピソードが数多く登場します。彼らの当時、普通に販売されている書籍でも、ものによっては2~3日食い扶持を稼げたのです。
 本が高価な贅沢品であった点が現代との差であるかもしれません。
 現在販売されている単行本は1500~2500円くらいが中心です。勿論、それは安くはないです。しかし商品社会においてはほとんど価値を有していません。3000円で買った新刊を古本屋に持って行ってもせいぜい100円ってところでしょう。状態によっては10円と言われることもあります。最良の状態の本で頑張って300円つけばラッキーです。
 つまり今の書籍は流通コストを償却するための値段しかついていないのです。本そのものは無価値な消耗品になってしまっている。文具とかわりありません。そうなってくるとわざわざ高いお金を払ってまで嵩張る紙の書籍を買う必要がなくなります。
 そこでデジタル書籍の登場となるわけです。

 「デジタル書籍は様々な形で普及し始めていますが、それは単に作品を読むためだけのものであって、本を楽しんでいるのとは違うと思います。
 カバーの見た目、そしてカバーを外した時の書籍本体の作り、何よりも自分でページをめくることの楽しさ、それが紙の本が持つ固有の価値であると思っています。
 タブレットやスマホの画面を撫でているのは簡単で便利ですが、同時に文字も流れて行ってしまいます。自分で感触を得るという大きな楽しみが失われている気がします。」

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「できれば高校生とか
 若い人にこそ知ってもらいたい世界。」


 では、紙の本を残すということへのヒントというか、手掛かりというものはあるのでしょうか?

 「装丁の力は大きいと思います。まずは並んでいる本を手に取る動機になるわけですから。
 もうひつとには、蔵書票が紙の本を残すきっかけになるのではないかと感じています。
 けれど残念ですが日本では蔵書票自体の知名度が低い。銅版画を学んでいる美大生でも蔵書票を知らないという人が多いんです。
 現代においては、銅版画と蔵書票は、例えば同じエッチングという手法を使うものであっても分別されてしまっているのです。どちらも手掛けている作家はいるのですが、どうしても蔵書票の制作は手工業商品的な印象が強くなり、銅版画家を芸術家、蔵書票作家を職人のように見てしまう傾向が強くなります。
 ユメノユモレスク原画展も、実は、夢野久作の本を通じて蔵書票の存在を知ってもらいたかったという意図がありました。
 蔵書票って何だろうと思ってもらえれば、ある意味で成功でした。」

 今の蔵書票には少なからず問題点も存在します。
 それはコレクターズ・アイテムと化して実際に書籍に貼られることが少なくなってきたということです。
 蔵書票は大体1作品30~50枚で作ることが多く、票主は一部を自分の保存用として取り分けたら、残りは交換用として使用するケースが多くなってきました。
 これでは蔵書票ではなく、額に入れて眺める版画作品と変わらなくなってしまいます。蔵書票である意味を失くしてしまうのです。

 「蔵書票を作るというのは誰にでもできるというものではありません。制作費がかかるということもありますが、本に対する考え方というのが大きく作用します。
 高価な蔵書票をまず貼るということに対する抵抗と、大事にしている本に何かをするという抵抗があります。どちらも勿体ないという気持ちの表れですが。その勿体ないというのが実は大切なのです。
 貴重な蔵書票を大切な本に貼るということは、貼りたいという気持ちが強くないとできません。そこには、この本だけは手放さないという思い入れがないといけないんです。自分のものであることを主張し、残したいという感情がないと貼れません。
 そのためにも今の大量生産の普及版ではなく、一作品としての価値を持つ古書の装丁を知ってもらいたいんです。
 僕にできることは持っているものを見てもらい、それらを後に残していくことです。」

 オーナーにとって "LE PETIT PARISIEN "とは、どんな場所であるのでしょうか?

 「本の感触というか、楽しさというか、そういうものを残すことができる一助になりたいですね。
 古くなった本はゴミではないんです。
 様々な思いが詰まった作品であること、そういう時代があったこと、 そんな気持ちを伝えるきっかけとして作用してくれれば良い。
 うちは基本的には古本の販売をしません。飲み物も強引にお勧めしてはいません。
 来たいから来る。話したいから話す。そういった場所でありたい。
 皆さんがおっしゃるとおり、うちは外から見ると怪しい店で入りにくいんです。何のお店だかわからない。それはドアを開放してても同じだと思うんですね。
 ですから、その媒体としてドリンクの看板を出しているのです。その方が入りやすいですから。
 来店された方は、並べられた古書の背表紙を眺めて通り過ぎるのではなく、本を開いて、読んで欲しい。特に自分の知らない作家の本を手に取ることから始めていただければ、と思っています。できれば高校生とか若い人にこそ知ってもらいたい世界です。」

 (8.14. 2016)

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 ここまで話をしてきますと、このカフェの商売欲が希薄なのも納得いきます。
 要は、 "LE PETIT PARISIEN "というカフェは「サロン(運動体)」なのです。

 最後にオーナーの石川さんは、水曜荘同人の本を手に取り、その中の挨拶状を取り出して見せてくれました。
 そこには「特装本というのは道楽でないと作れない。自分の作りたい本を自分が納得する形に作る。後先を考えてつくるものではない」という様なことが書かれていました。

 非常なご苦労を重ねて場所を維持していらっしゃることは察しれらますので、それを道楽と言ってしまうと失礼ですが、道楽とは経済的余裕の表出ではありません。
 本当の道楽は借金をしてでもそれを貫き通すものなのです。
 「道の苦楽を合わせて楽しむことこそ道楽の極み。」
 誰だったかがそんなセリフを言っていました。

 "LE PETIT PARISIEN "というお店自体がオーナーである石川さんの特装本なのではないかと僕は感じて、今日のインタビューを終わりました。

 石川さん、長時間お付き合い頂きありがとうございました。

 後ほど石川さんからメッセージをいただくことになっておりますので、届きましたらご紹介したいと思っております。

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 【 LE PETIT PARISIEN 】
 東京都墨田区東向島2-14-12
 東武スカイツリー線「曳舟駅」より徒歩1分
 TEL 03-6231-9961
 http://le-petit-parisien.com
 営業時間  13~18時、19時~24時



 
 



 

 
 

 
 

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"LE PETIT PARISIEN " 若しくは 隠れ家的な何か(前)

 La personne qui a été évincée と、自分のことを呼ぶ人々がかつてパリの街にいました。
 彼らはオペラ座付近のカフェやパリ一区から締め出され、モンマルトルからモンパルナス、そしてペルヴィルへと流れ、やがて方々に散って行き、またモンパルナスへ戻って来るような、そんな人々です。
 思い浮かべるのなら、美術、詩、音楽、政治や哲学を論じ、自論を曲げることなく時代に抗った、若しくは、世間から理解を得られなかった人々。
 例えば、エリュアール 、ヴェルレーヌ。
 例えば、モジリアニ、クートランス。
 或いはカミーユ・クローデルの狂気もこのうちに含まれるかもしれない。
 棲み処を探し求め彷徨った、或いは、風変わりであったがゆえに社会不適合とされた彼らを、岡本かの子はまとめて「パトリエート」と名付けました。つまり、追放された人。
 けれど文字通りの追放者ではなく、寧ろ、門外漢と言い換えたほうが分かり易いのでしょう。
 パリを愛し、パリとともにあっても、疎外された人々。
 彼らはパリ以外の地からやってきて、活発な創造力を以って個々でありながら有機的で独特なコロニーを作り上げて行きました。
 パリの街にはいつの世もこういった風変わりな人々を呼び寄せる奇妙な香りがあります。それはパリ自体が放つ香気ではなく、小さな磁気が集まって大きな磁場を作り上げたのかもしれません。類は友を呼ぶ的な何か。
 いずれにしろパリには「落ちる」ものが溢れているのは事実です。
 恋、とか。

   ユメノユモレスク01

 「のっけから、また何の話をしているのか」と思う人もいると思いますが、人が場所を選ぶことの序みたいなものです。
 彼らが同朋を得ては離れ、孤独に煩悶し、貧困に喘いで、猶もパリを選ぶということ。つまりね、他人から見て悲壮感に溢れていても、現実において本人が苦渋に押しつぶされていようとも、その場所を動かない決意を保つというのはそこが真の居場所であると信じているからなんですよね。
 人間というのは居場所がないと生きていられないんですよ。それは土地というものに限ったことではなくて、友人、恋人、家族とか含めてね。たとえパート・タイムであっても自分を必要としてくれるものを探しているんです。その中で本当に自分の存在を認めてくれる人や地に出会えると信じてね。

 木枯し紋次郎や子連れ狼だってイベントで彼らが必要とされなければオープニング・テーマで The End なんですよ。物語にならない。漂泊に身を置いてもその人を必要とするイベントが発生するから、彼らは生きて行かれるんです。

 (話が逸れそうなのでもとに戻します。)

 考えると憧憬と妄想は同じだと思いませんか。目指しているものの健全さに違いがあるだけで。
 そう、営利を除いて人が集まるということは、この憧憬、若しくは、妄想を等しくするシナジーを互いに感じ取っているからなんです。単純に言えば「気が合う」ということです。
 そこには賛同もあれば否定もある。対立もあるし協調もあります。いけ好かない奴だけど気が付けば何だかいつも一緒にいるな、みたいなこともね。味方だけでは人生が充実することはありません。当然、共に歩む敵も必要なのです。そしてその全部を含めて自分の居場所なんですよ。

 そんな硬質で前向きな話とは別に、僕のような家庭難民にはね、外部における居場所が必要不可欠。会社もそうですけど。だけど会社はね・・・、いろいろあります・・・。言わずもがな。
 まあ、世知辛い話はウルツァイト窒化ホウ素で作られた箱に入れ、秘密の地下闘技場にでも丁寧に放置しておくことにして、僕にとっては大切なカフェの話をしましょう。

 最近、「立ち寄りたい」と思えるカフェ?を見つけたんですよ。実際に足を運べるのは月に1,2度なのが残念。
 ご存知の方も多いですが僕は仕事での行動範囲は広いけれど、個人としての行動範囲は引きこもりに近い。
 新たな場所にチャレンジしないせいと、行きずりの場所に関心がないためです。その僕が新しい居場所を見つけるというのは自分でも画期的なことだと思っています。

 お店の名前は、 " LE PETIT PARISIEN "

 きっかけは一冊の本。

  ユメノユモレスク03

 今年の6月に「ユメノユモレスク」という夢野久作の短編集が書肆侃侃房から発刊されました。
 挿絵を、アルフォンス・イノウエ、杉本一文、林由紀子、宮島亜紀という個性豊かな現在を代表する銅版画作家が担当しました。
 既に上梓されたこの普及版とは別に、ルリユールのように一冊ずつ手で製本される特装本の発行も来春に予定されており、その特装本の予約会を兼ねた原画展が " LE PETIT PARISIEN " で開催されたのです。

 そのためだけに踏み入れた一歩が、以後も続くなどとこの時点では予想だにしません。

 最初の印象は、一見さんお断り、常連客歓迎的な雰囲気。
 座って良いものか躊躇するテーブル席、どこに立っていればよいのかわからない狭い店内、カフェなのかバーなのか判断のつきかねる屋根裏のバールのような雰囲気がその印象に力を貸したかもしれませんね。
 けれど帰るわけには行かないんですよ。用事があるわけですから。予約しないといけない。
 で、予約を済ませてから、足を運んだ以上、何かを得て帰らなければ僕の気が済みません。しかし、展示されている原画は4点、他には夢野久作に関する作品が数点並ぶのみ。作品に関わることに限定すれば一瞥で終わってしまいます。
 正直、「どうしようかな・・・」と思い始め、俯いた僕に一冊の本が飛び込んできました。俯くことは時に大切です。
 龍胆寺雄の「かげろふの建築士」。
 おやっと関心をそそられ、その並びには芥川龍之介「矢来の花」他の初版本。
 改めて周囲に目を配ると、ビアズリーをはじめとする19世紀末、20世紀初頭の挿絵本など貴重な古書がズラーーーーっと。
 一見の客だった僕の目は、馴染めない雰囲気に気圧され、それまで何も捉えていなかったのです。
 つい、「これって販売しているのでしょうか」と尋ねると、「うちは古本屋ではないので基本的には販売していません。中にはお譲り出来るものもありますけど、手に取ってお読みいただくことを目的にしています」と、はにかんだようにスマートなイケメンさんが答えてくれました(このイケメンがオーナーさん)。
 線の細い外見、話し方も丁寧だけれど、かなり強いなこの人は・・・が初見の僕の人物評。それがあたっているかは、どうぞご自身で。
 
 petieparisien02.jpg

 閲覧可能な稀観本にばかり目を奪われると、このお店の本質を見逃してしまいます。
 勿論、古書を楽しむ時間は十分に魅力的です。
 しかし、ここの核はコミュニケーションなのです。
 ちょうど学生時代に時間を費やして入り浸った喫茶店のような場所。
 自分のお気に入りを相手の迷惑も顧みずに力説し、相手の自分の趣味に合わないお気に入りをコキおろし、友人を諭し、友人から諭された、仲間たちが定位置をもっていた頃の懐かしき溜り場。

 それとここはね、おしゃべり以外に随時、企画を通じて貴重な体験を提案してくれるのです。
 小さな個展、作家を招聘してのトークショー、企画展に関わる演奏会など。
 先月は、小説家の山口椿さんのトークショーとライブペイントが2日間に亘って開催されました。僕は初日に参加したのですけど氏の若き頃の話や永井荷風の話、藤田嗣二との交流など非常に興味ある話が聞けました。
 オーナーさんは「まだ未定」とおっしゃっていましたが、秋ごろに再び山口さんのパフォーマンスが拝見できるかもしれません。山口さんから届いた暑中見舞いにはそのような決意表明が書かれておりましたので。

 " LE PETIT PARISIEN " には作家、芸術家、その普及に関わる人、一家言を携えた普通の人々が集まってきます。サロンと呼んでも良いかもしれません。 
 学生時代のあの時間を彷彿させると共に、「今、この時間」を過ごしている実感を得られる貴重な身の置き場所なのです。
 ですから、ここを訪ねられた方は何でもいいから話しかけてみてください。
 材料はお店の中に揃っています。それを手に取ることを怖がらないでください。遠慮不要、礼節は適宜。
 僕などは多端寡要の無教養な話しかできませんが、そんな与太話にもお付き合いくださる懐の広いオーナーさんがいます。
 ただそれでも話しかけ難いという人のために話題のヒントを差し上げましょう。
 このお店には文学、推理、カルトと言ったジャンルを問わない書籍が並べられているのですが太宰が一冊もない。あのエピソードに事欠かない絶大な人気を誇る大衆作家の本が少ない。それが少し不思議だったのです。先日ね、意識的にではなくて自然に話題が太宰治に向かいまして、漸く理由の端が掴めました。
 ですから、オーナーさんに「太宰治が少ないですね?」と訊いてみてください。そこからきっと気の置けない時間が始まります。畏まった文藝論などとは違った本来のユーモアの広がりを最初は少し緊張気味に、慣れて来たらゆったりと胸襟を開いて楽しんでみてください。
 人見知りをする方は、一冊の本を読み終わるまで過ごしてみては如何?咎める人はいませんので。
 珈琲や紅茶を飲まなくても、お酒が苦手でも、カフェとかバーとか業態に関係なく、ここ " LE PETIT PARISIEN "は「人」を受け入れてくれる場所です。
 でも、できるなら、珈琲の一杯くらいは頼んでください。無理はしなくていいですけど。
 場所を維持するのって大変なんですよ。 
 
 (後半につづく)


 ユメノユモレスク02
 
 【 LE PETIT PARISIEN 】
 東京都墨田区東向島2-14-12
 東武スカイツリー線「曳舟駅」より徒歩1分
 TEL 03-6231-9961
 http://le-petit-parisien.com
 営業時間 13~18時、19時~24時


 
 
 
  

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キリギリス

 昔、昔のことです・・・。
 そう書いてしまうと本当にあったことでもなかったことのように響き、すべては遠い過去において終わってしまったかのように思えてきます。

 君は自分を「昔」に置いて話すことができますか。
 それは君にとってどんな意味をもつものなのでしょう。
 
 過去というアルバムにページの制限はありません。もちろん空白のページもありはしません。
 すべてのページに自分が綴られていて、それは存在した事実に他ならないのです。けれども残念なことにこのアルバムの最初から最後までを通してみることはできませんし、二度と開くことのできないページがあります。寧ろ開くことのできないページの方が多いのが真実です。
 開いてみるページは自分にとって傷になっていることか、都合の良いことが中心となります。
 そのどちらもが思い出になってしまった瞬間に、無意識に改ざんがなされてしまう。いなかったはずの人を自分の隣に座らせてしまうのです。
 難しいのは、自分にとって一番事実に近い傷になっていることが、自分が傷ついたことよりも、自分が背を向けてしまった過ちに対する傷であること、それに付きまとう悔恨なのです。

 球技大会の時に僕が壊してしまった君のカメラはどうしたのでしょう。せっかく撮ったフィルムが駄目になってしまい、僕は君の思い出を奪ったままで今日まで来てしまいました。
 なぜ、あの時、謝りに行かなかったのでしょう。起きてしまったことを恐れてその場から逃げることよりも、リフレインする過去の方がよほど辛いものだと、なぜ気づかなかったのでしょう。
 「ごめんね。大丈夫だった?」
 そんな簡単な言葉を言うことのできなかった僕が、あの時代の自分自身の悪意の象徴のように甦ってくるのです。
 そしてそれを誤魔化そうとしてあの魔法の言葉を冠頭に持ってくるのですが、自分のことである限りお伽噺にはなってくれはしないのです。

 君に昔話をします。面白くもない話で、興味もひかないでしょうけど。
 
 昔、昔のあるところに姑息な考えしか持たなかった貧弱なひとりの少年がいました。
 彼はいつも簡単な方が近道だと考え、地味で面倒で大切なことを避けて来たのです。
 何か問題が起こると、正面から向かい合うことはとても時間がかかるし疲れることなので、効率が良いという誤魔化しを使って先送りばかりを繰り返していました。
 彼は口がうまかったので周りの人たちもその時は何となく解決したかのように思えてしまったのです。
 でも、それは途方もない遠投の繰り返しのようなものでした。
 そう、足元の小石を拾って今の自分の位置からなるべく遠くへ投げるようなことだったのです。
 愚かなことに、自分の歩く速度があまりにも緩やかに思えていたので、道はすっかり平らかで邪魔なもののないように見えました。
 春から夏までは楽しいことが多くて、しかも夏休みは終わらないと思っていた彼は、間違いに気づかないまま、信じていたのです。
 「これが正解なんだよ。」
 けれど、その小さな塊たちは彼が見ていたよりもずっと先の方で積もって固まり、まったく別の大きな山になっていました。
 彼が呑気に歩いてそこまできた時には最初の元気は既になかったのものですから、山の斜面はきつく感じられますし、比較的新しく積もった小石たちは足を滑らせますし、何かに掴まろうとしてもしっかりした木の一本も生えてはいません。彼は小さな種を拾おうともしなかったので。
 彼はもう一度以前と同じことをしようとしました。
 けれど石をつまんで改めて遠くに投げようとしても肩はあがらなくなっていましたし、本当に道を塞いでいるものは掴むこともできない大地のように強靭な塊になっていたのです。
 彼は膝を折り地面に手をついた時、やっと自分の皺だらけになった手に気づきました。
 そこで力尽きたように座り込んだ彼は、アリとキリギリスの話を思い出していました。
 キリギリスがとても羨ましかったのです。
 同じように力尽き衰えるにしても、好きなことを力いっぱいやれたキリギリスは幸せだと思ったのです。
 冬の夕暮れが近づいてきました。
 「ああ、僕はこの山を越えることはできないな。冬の終わりをみることもない。」
 彼は最後に諦めて身を横たえ、これが自分を滅ぼすのだな、と思いながら目を閉じました。
 漸く彼はうっすらと自分の間違いに気づいたのです。
 彼を滅ぼした諦めが始まっていたのは、一番最初の小石を拾って投げた時だったことに。だからキリギリスを羨んだのだと。
 彼は誰も通りかからないその道で、誰の記憶にも残らないまま、自分の投げた小石のなかで塵のように溶けて行きました。
 そこでは冬はずっと冬のままで、花も咲きはしないのです。




 


 

 

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時計

 小父の一日は67台の時計の時刻合わせとネジを巻くことから始まっていた。
 彼は世界中の時計を集めていて、オルゴール付きのものや人形様のもの、バスケットボールの選手のごとき背高のっぽの置時計もあれば、ダルマのような掛け時計もあり、そのひとつひとつを抱きとり、或るものは踏み台や梯子をつかってネジを巻いた。それは見るからに手間のかかる作業で、何よりも引き出しに収められた59台の懐中時計のゼンマイを巻くのが大変であった。

 いつだったか僕が「なんで全部巻くの?使っているのだけ動かせばいいのに」と言ったことがある。
 すると小父は「動いているものは命がある。人でも機械でも。動くことに意味があるんだよ。だからね、集めるだけ集めて眠らせているようではコレクターとは言えないんだ。動くものは動かし続ける。そのためには実際に動かして、調子をみて、手入れをする。そうすることで僕と時計たちは同じ時間を分かち合うことになるんだよ」と言った。
 小学生の僕には彼の言っている意味が理解できずに、そんなものなのかな、とだけ思った。
 僕はそんなことのために仕事に向かう3時間も前に早起きをする小父を、なんて変わった人なのだろう、と不思議に眺めていた。

 小父は狭いながらも拘りをもった喫茶店を経営していた。けれども営業のことはよくわからない子供の目から見てもお世辞にも流行っているとは言い難かった。
 何しろそこに居座っているのは、お煎餅をコーラに浸してしゃぶるように食べるひっつめ髪の老人やフリルのいっぱいついたブラウスを着ているオジさん、レンズの入っていない枠だけのトンボ眼鏡を掛けている自称デザイナーのおばさん、司法試験を目指していると言いながら少年ジャンプとマガジンを飽きるほど読み返しているお兄さん、学校嫌いで学校に行かなくなった女教師とこども嫌いだが仕方なく親の後をついでいる塾の先生。
 彼らは互いに話をするわけではなく、思い思いのことをしながら個別にいつまでも座を占めているだけだった。
 彼らが場を占拠すると、狭い店内にはもう他の人の座る場所はなくなってしまうので、常連さんが健全に営業を妨害していたような感じだった。
 それについて僕は一度忠告したことがある。
 「あんな人たちばかりいたら他のお客さんが来なくなっちゃうよ。全然もうからないじゃない。」
 世間を知らない子供にそんなことを言われても彼は、風が吹いたかな、という感じで、こともなげにこう答えた。
 「大人になるとね。行き場を失くしてしまう人たちがいるんだよ。どこに自分の身を置いていいのか探し回っている人っていうのがいるんだ。僕はね、自分がそうだったから、そんな人たちが集まれる場所を作れればいいんだよ。贅沢を言うならもっとたくさんの友達が来られる広さが欲しいけど出来ないものは仕方がない。」
 自由人の溜り場というには彼らはあまりにも不自由そうな人たちに見えたので、この時も、そんなものかな、と思った。そして僕から見て迷惑な常連さんを友達と呼ぶ彼を、やはり、不思議、に眺めた。

 僕の知っている彼は優しい人というよりは押しても引いても手ごたえのない人で、時折、周囲の人の口からこぼれ出るヤクザの押し売りごときバリバリのセールスマンだった姿はなく、本当にぼんやりとした靄のような人だった。その靄っぷりときたら人間であるかも怪しいくらいに。
 とはいうものの彼に筋が通っていなかったわけではない。それは毎朝、時計のネジを巻くという執心ぶりからも窺えるわけで、決めたことは譲らない頑固さはあった。ただその心情の強さが外との摩擦をうまなかっただけにすぎない。だから僕は彼を「実体がないような人」だと感じていたのだ。
 弁証法的な人間関係のなかでしか実感を得られなかった僕の方がよほど窮屈な病に罹っていた。今もまだ罹っている。

 彼は膵臓に腫瘍が見つかってからあっけなく世を去った。それは準備というものがなく、ページを一枚めくったら唐突に終わってしまった短編小説のようだった。連載漫画であれば予告のない打ち切り。
 そんな彼が残したのは、自宅兼用喫茶店と、銀行口座に残っていたわずかな預金、それから、67台の時計。
 結婚はしていなかったので親戚と呼ばれる人たちが集まってきて彼の遺跡を解体していった。
 最終的には誰も見向きもしない9台の懐中時計が置き去りにされた。
 つまり現在、僕が持っている時計だ。
 
 あれから41年が過ぎ、僕は毎朝、彼に代わって9台の懐中時計のネジを巻いている。
 そうしてわかったことがある。
 同じ時間を生きるということは、ただ同じ時代に同じ空間にいるということではなく、何らかの干渉を生み出すことなのだと。
 
 どんなにきつく耳を塞いでも消すことのできなかった一斉に鳴りだす時計の音は、その振動を通じて僕たちに「まだ生きている」ということを伝えたがっていたのだと思う。あの頃はただ煩わしく五月蠅いだけだったけれど。





 
 
 

 
 
 
 

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なんだかな・・・

 今日、FC2から次のような連絡がきまして「なんだかな・・・」っていう感じになっています。

…貴殿が管理されておりますブログに関しまして、以下のURLに対してJASRAC様よりDMCAによる著作権違反の連絡が届いておりますので該当記事を凍結いたしました。
**************************************
 【URL】:http://otosimono2011.blog39.fc2.com/blog-entry-272.html
 【 削除を依頼する理由 】:著作権侵害
**************************************
 近年、DMCA法に対して社会的にも厳しい対応をもとめられるようになっています。
 同じ記事を同じエントリーナンバーで公開することはDMCA法に違反するため、再公開できません。…

 デジタルミレニアム著作権法違反ってわけですね。
 いいんですけど。大した記事ではないし、削除しろと言われれば削除しますよ。
 別のIDとかでアップするようなものでもないですし、手間ですし、そこまで我を張る必要もないですし。
 でも、JASRACさんも暇なんですね。
 次に仕事で御社にお伺いすることがあったらお話ししましょう。
 「いやぁ、僕のミスでこちらの方から閲覧禁止にされましたよ。すみません」って感じですかね?
 それも子供じみているかな。
 営利ではないし、作者の名誉を傷つけるような内容でもないし、盗用して自作としたわけでもないんですけどね。
  
 もちろん著作権の侵害は悪です。
 掲載することによって著作権者が利益を喪失することは防がなくてはなりません。
 しかし、出典を明らかにし、作者、出版社、出版年度を明記したうえで著作物を紹介しているのに違反はどうなのかな?
 引用の仕方には注意をはらってはいたのですが、「もっと気をつかう部分があった」ということなのでしょうね。
 以後、注意します。

 それとFC2側で「凍結」されてしまうと「削除」することができません。
 むしろ削除された方が気が楽なんですけど。
 このシステムも「なんだかな・・・」って感じです。
 異議申し立てはしません。手続きも面倒だし、JASRACさんに手間をとらせるのも恐縮ですから。
 記事も書き直しはしません。
 このまま凍結にしておきます。
 自分に対する注意喚起の意味も含めて。

 皆様も引用にはお気を付けください。

 ということで、本日は僕のつまらないエラーの話でした。
 何というか、ボークをとられてサヨナラ負けを喫したピッチャーの心境です。
 あー、地元に帰るのが嫌だなぁって感じ・・・。

 

 
 
 

 

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