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牛久沼の月光仮面

 「土用丑の日には鰻を食べない。僕は鰻は大好きだけど、丑の日には鰻の冥福を祈って供養するんだ。」
 そんなことを言っていた友人が中学時代にいました。
 彼はその理由もきちんと話してくれていて、僕には理解できない点もあったのだけれど、わかった気持ちになってしまったのです。
 だってね、彼は結論をこう言ったんです。
 「実際に食べられる量よりも遥かに多くの鰻が殺されて、余ったものは冷凍されて持ち越され、それでもだめだと捨てられちゃうんだよ。一時に押し寄せるから大虐殺が起こるんだ。こんなことを続けていたら鰻はいつか絶滅しちゃう。鰻のためには丑の日にしか食べられないくらいにしたほうが丁度いいのに。」
 あれから30年以上の月日が流れ、ニホンウナギは彼の予知通りに絶滅に向かって一直線です。
 ですからね、僕はチーズケーキを食べることにしたんです。鰻のためには何の役にも立ちはしませんけど。
 まあ、つまりは、込み合っている鰻屋に行くのも面倒だったし、高価だし、アナゴやナマズを代用にしてしまうと彼らに失礼だし、一日限りの秘仏の公開というわけではないので慌てる理由にもなりませんし、何よりも家でのんびりしたかったんです。

 RIMG0905.jpg

 丑の日で思い出すのは、小学生のころ友達4人と自転車で茨城県の牛久沼まで釣りに行ったことがあるんですよ。東京の向島から6時間くらいかけて。
 出発は午前3時。今から思えば「アホかっ!」てな感じですよ。
 しかも苦労して着いたけれども、まったく釣れないんです。
 小魚一匹かからない。誰れも釣れない。
 収獲がないことをボウズというんですけど、心底、丸ボウズです。
 当然、あちらこちらに釣り場を探して移動していくんですが、だんだん頭に血が上ってくるんです。
 「なんで釣れなんだよおぉぉぉ!」ってな感じに。
 こうなってくると魚が捕まえられれば方法はなんだってよくなってきます。それどころか、魚じゃなくてもOK。タイコウチだろうが、亀だろうが。タニシ以外なら。
 子供らは目を血走らせて獲物を探して走り回る。
 すると、バシャリと大きな水音がして、何だ何だと見回す先に、鯉がね、倒れた葦の葉の塊の上にのってるんです。それも大きな鯉です。まな板の上の鯉ならぬ、葦の葉の上の鯉。
 で、4人の釣りバカのうちのひとりがタモアミを持ち出して、鯉を掬うってなことを考えたわけです。
 鯉が見えるところは岸から2mもない。ほんとに目と鼻の先なわけで、ちょちょいと足を水につければ捕まえられそう。
 子供というのは危険なことでも簡単に考えてしまうものなのです。
 東京から京都までの地図を開き、紆余曲折の道路も見ずに頭のなかで一本の線を引いて「なんだ、まっすぐじゃん」みたいにね。
 僕がそばにいた大人だったらとめますよ、絶対。
 「こら、そこのガキ、あぶねえからこっちさ来い」ってな具合に。
 でも、不幸なことに周りに良識のある人間はいず、バカなガキはタモを担いで一足踏み出す。
 一瞬のことだったんですがね、頭まで水のなか。どっぼん!
 辛うじて葦束を掴んで頭を出すけど、泳ごうにも泥が相手では沈む沈む。浮かないんですよ、体が。
 それを見ていた他の3人、慌てふためき右往左往。大声を出すやら、落ちてる木の板などを投げるやら、もう大変。
 でも、仏というのは知らんぷりはしないもんです。
 100mほど先で釣りをしてたおじさんが異常を感じて走ってきまして、釣り竿と麻紐を持ってね。
 溺れてるクソガキを見つけると、迷わず釣り竿をポキリと折って紐を結び、「えいっ」と投げ渡して「これにつかまれ。引っ張るから」と。
 それでことなきを得たんですが、それが土用丑の日。危うく鰻の餌になるところでした。
 岸に上がって「げーげー、ごほっごほっ」とひとしきりやってから、子供らも落ち着きを取り戻し「よかったね。ああ、よかったね」と喜ぶ。夏ミカンを伏せた帽子のまわりで飛び回るチョウチョのごとくに。
 それで、おじさんにお礼を言おうと思ったら、いないんです。どこにも。
 自分の釣り場に戻ったのかと思い、そちらの方へ行ったのですけど、釣り人の形跡もない。何にもない。
 手にしていたのは、確かに古ぼけた竹の釣り竿。もちろん自分たちのではない。
 今度は溺れたことよりもそっちの方が大事件になりまして、神だ、仏だ、幽霊だ、とね。
 ついては子供ですから、家に帰るや否やそれぞれの家庭で大吹聴。
 結果は明らかですよね。当たり前の大目玉。
 しばらくは釣りどころか、自転車の鍵を取り上げられ遠出禁止となりました。

 でね、その溺れたバカは僕です。

 しかし、今でも不思議なんですよね。
 あのおじさんはどこに行ってしまったのでしょう?
 はやてのように現れて、はやてのように去って行ったあのおじさんは、もしや月光仮面だったのかしらん。
 僕を助けてくれたおじさん、あなたのおかげで僕はこうして今も生かされています。
 あれからいくつものろくでもないことを繰り返し、しょーもない足跡ばかりを残してきましたが、笑いのネタのタシになるくらいにはなりました。心より感謝申し上げます。

 いや、本当に感謝しているんですよ。自虐ネタじゃなくて。
 
 
 
 
 
 
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テーマ : ひとりごと…雑記…きままに
ジャンル : 日記

ほおずき

 神保町の「さぼうる」でビーフカレーやナポリタン・スパゲティを食べていると何故だかほっとしたような気持になる。それは思い出の味とかそんなものではないことを僕は知っている。あの頃食べていた味を今さら思い出せるはずもなく、ただ似ているような気がしているにすぎない。「懐かしい味」などという表現はほかに言い表す言葉がない時の決まった代用でしかない。つまり凡庸なのだ。但しそれは時として違った過去の感覚を持つ者同士を、全く共有するはずのないものを、曖昧な「懐かしい味」という言葉で結びつけることがある。異なったものを異なった次元で見ていながら同じ表現のもとでファジーな共感を手にすることがある。フラクタルな効果を引き出すと言ったほうがいいのだろう。
 こんなことを考えている僕は根っから捻くれている。

 「さぼうる」の窓側の席に座り食後のコーヒーを飲んでいたら、高校3年の夏のことがフィードバックしてきた。今年は久しぶりに「ほおずき市」に出かけたからだと思う。

 僕は試験が終わった後の図書室が好きだった。本来の読書を目的とする利用者はもとより寡少で、大概が宿題や試験勉強の場として使う学生の方が多い。だからこの時期は人が少なく、大きな窓のカーテンを思い切り開き、風を入れても文句を言う人間はいなかった。
 校庭ではいくつかの部が狭いながらもお互いのテリトリーに折り合いをつけて活動をしていた。掛け声なのか、指示なのか判別のつかない声がいくつも折り重なり、意味をなさない音を溢れさせている。
 僕とKは新しい曲のネタ探しに図書室にいた。
 「明後日から球技大会か。面倒だな」と僕が言う。
 「月日は百代の過客にして、またもとの水にあらずって言うじゃん。俺たちって時間を無駄にしてるよなぁ」とKがぼやいた。
 「言っている意味には共感するけど、それって混ざってるよ。」
 「うん?なんか間違えてるか?まあ、弘法の木登りっていうやつだよ。意味さえ通じればいいんじゃない?」
 「弘法大師が木登りを得意としていたか苦手だったかは知らないけど、落ちたとしたなら、それは単なる事故だよ。それとすでに引用が間違ってるよ。」
 Kは僕の顔を覗き込むようにしてこう言った。
 「お前の言うことって意味わかんない時あるんだよね。」
 「俺のほうがわかんないけどね。言葉が通じるかどうか以前に知識が通じているかどうかを確認しあうべきだったな。」
 僕がそう答えるとKは「やっぱよくわかんねえよ。お前の言うこと」と笑った。
 そうしてお互いに「夏の雨の日って風が気持ちいいよなぁ」などと言っていたら後ろから「せーんぱいっ」と言う声がした。僕に声をかける人などいないと思って無視していたら、再度、同じ呼び声がかかった。誰に呼びかけているのか一応は確認しておこうと、Kとほぼ同時に振り返る。2学年下のYさんが中身の入っていなさそうなヒラヒラの革カバンを抱えて近づいて来るところだった。
 「ああ、Yさんか。どっちのセンパイに用事?」と僕が言うと「先輩にですよ」と少し語気を強めて答えを返してきた。
 「答えになってないよ。図書室全体に対象を広げるのは無駄だとは思うけど、少なくとも君の正面にはKと俺の2人がいるわけだからね。」
 「相変わらず意地悪な受け答えをしますねぇ。そんなことだから女子から嫌われるんですよ。」
 「人に好かれるために学校に来ているわけじゃないからね。」
 彼女は、はぁっと諦めたように溜息をついてから「面倒なので用件を言いますね。」
 「そうしてくれると助かるよ。対応がはっきりするから。」
 「もう、いいですよ。黙っていてください。」
 そうして彼女はこう提案をしてきた。
 「今日ってほおずき市じゃないですかぁ。一緒に行きましょうよ。今日が最終日ですよ?」
 「誰と?」
 「私とIちゃんですよ。Y先輩も誘いましょうよ。」
 彼女の言うY先輩とはKの彼女のことで、IちゃんというのはYさんと同じクラブに所属する彼女の友達。
 「ほおずき市ね。四万六千日の市を過ぎれば夏。梅雨明けもここ2~3日のことかな。」
 「それなんですか?言い伝えですか?」
 「ん?そんなんじゃないよ。昔、そう言った人がいたんだよ。ほおずき市か・・・。この霧のような雨もやみそうだね。」
 午前中は雨を伴っていた曇り空も夕方にかけて少し晴れ間が射し、出かけるには良い頃合いだった。
 
 ほおずき市201602

 ほおずきの名の由来については様々あるが、その実の照り映えが稚児の頬の色づきに似ていることから名前がついたと言う説が僕にはしっくりくる。そうすると「ほおずき」ではなく「ほほづき」の方が正しいのかもしれない。
 この一見するとサクランボのように美味しそうな実はアルカロイドを含んでいるため食用には不適。江戸時代の吉原では妊娠初期の堕胎薬としても使われていたことがある。その事実からすると先の説はとても皮肉なこと。一般では実の皮を煎じて虫下しにも使われたようだけれど。

 あの図書室の会話から遥かに時が過ぎたこの夏、久方ぶりに足を運んだ「ほうずき市」は、こんなに寂しかったかな、というものだった。ほおずきを売る店も屋台も数をだいぶ減らしたように見え、以前のように夜遅くまで開かれることもなくなったというのが余計にそう思わせるのかもしれない。
 僕はりんご飴の屋台を見つけて買ってみた。理由は特にない。あったとしたなら物好きってやつか。食べるのは何十年ぶりだろう。一口齧ってみると、りんごはパサパサで飴が口の中でガサガサして少しも美味しくない。こんなに不味いものだったかと齧り掛けのりんご飴を眺めていたら、母親とお揃いの浴衣をきた幼稚園の年長さんくらいの女の子が嬉々とした表情でりんご飴を手にして僕の隣の石段に座った。
 母親は女の子をそこに座らせると「お母さん、ラムネ買ってくるからここにいてね」と言ってすぐ向かいの屋台へ出かけて行った。僕はその子に「りんご飴、美味しい?」と訊くと、「おいしいよ。おじちゃんのもおいしいでしょっ」と言ってもしゃもしゃと齧りついて、掛かっている赤色の飴を膝上にまき散らした。
 僕は食べ掛けのりんご飴を捨てることに決め、もとの袋を被せてから、女の子に買ったばかりの袋入りほおずきの口紐をほどいて2個を取り出し、「これ、あげるね。後でお母さんと遊ぶといいよ。でも、食べられないからね。苦くて、おなか壊すから」と言って渡した。

 りんご飴

 僕を初めてここに連れてきてくれたのは家族ではなかった。5~6歳当時、僕は置屋をしていた叔母のところに預けられていて、そこへ稽古に来ていた芸妓見習いの女性が僕の手を引いてほおずき市に連れて行ってくれたのだ。あの日は確か叔母の家に客人があって、多分、子供は邪魔だった。だからそのおもりを一番年若の彼女が任されたのだと思う。彼女は接待に出て行かれる年齢に達していなかったと言うことだったのだろう。
 「みこちゃん」と呼ばれていた彼女は二藍の紬に錦糸で鉄線葛を大きくあしらった海松色の帯を締めていた。彼女の顔も思い出せないのに、どうしたわけかそんなことは覚えている。色彩として覚えているわけではないのかもしれない。彼女が支度をしていた時にその場に居合わせ、姉さんからそう言われていたのをどこかで覚えているだけなのだろう。
 「みこちゃん、二藍の紬にはこっちの鉄線葛の海松の帯の方が似合いますよ」と言った具合に。
 あの時も雨が上がったあとだった。
 僕はそこでりんご飴を買ってもらった。それは一人で食べきるには大きすぎて、彼女と交互に齧っていた。あの瞬間、僕は「りんご飴は美味しい」と思った。
 防火の視点からアセチレンランプが無くなり、食品衛生の問題で夜店から海ほおずきが姿を消した。ハッカパイプや砂糖を塗った紙菓子も、もう見かけない。
 りんご飴の美味しさは、非現実的な市そのものと、色とりどりに縁どられた夜店の妖艶さ、ごった返す人々が作り出す高揚感が僕に与えた味覚だった。今の僕はそれらを感じる気持ちを失ってしまっている。美味しく思えなかったのも当然のこと。
 あの夜、彼女は叔母から時間を潰すよう言いつけられていたので、ほおずき市の後ろに回って植木市を眺め、屋台の間を一通りすり抜けてから花やしきに向かった。ジェットコースターとお化け屋敷、それとザリガニ釣りをしたような気がする。
 ザリガニは持って帰らなかった。その代わりに僕は鈴虫の入った竹籠をぶら下げて、もう一度ほおずき市の中を通った。
 けれどその道行きで、人込みにもまれたからなのか、それとも元々壊れていたのか、気が付くと鈴虫は籠から姿を消していて、僕はそのために泣き出してしまった。彼女はとても慌てた様子で「もうひとつ買ってきますから泣かないで」と僕をなだめたのだけれど、僕が泣いていたのは鈴虫が逃げ出しことではなく、恐らく人に踏まれて死んでしまっただろうと思ったからだった。だから「もう一匹」は買わなかった。
 僕は彼女に背負われたまま眠ってしまった。気が付くと牛島神社を過ぎており、「もうすぐおうちですよ」と言う声を聞いた。
 そうして彼女は補足するように呟いた。
 「明日あたりから夏になりますね。四万六千日の市が過ぎれば梅雨明けですから。」

 ほおずき市201601

 今年の7月10日は30度を超える猛暑日となった。僕は影向堂で御朱印を頂き参詣を終えると、もときた道を引き返すようにして山門を出て吾妻橋を渡り隅田公園を抜けて長命寺へ向かった。そこで桜餅の小さな折箱を一つ買って帰った。

 さくらもち

 
 
 
 

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