鼃始鳴

 地にも夏が射し、冬眠していた蛙が目覚めて鳴きだす季節。立夏の初候にあたります。
 立夏を迎える少し前から僕の家の近所では既に鳴き声は聞こえていました。
 君に近況を伝えておくべきなのだろうと全てに不精な僕はやっと指を動かす気になったのです。

 立夏を迎えた5月5日。
 大型連休で人影がないオフィス街を重いビジネス鞄をぶら下げて歩いていました。この辺りには特に休日、人を呼ぶようなスポットはないので、明るい日差しに包まれた廃墟の中を歩いているかの気分でした。
 ある日突然、人類だけが姿を消してしまったとしたら、その後にはこんな明朗な静けさだけが残るのかもしれないと思います。
 車の音も人声もしない中、鳥の声を聞きながらぼんやり歩いていたら誰かにトンと肩を叩かれた気がしたのです。はっとした僕は立ち止まって辺りを見回しましたが誰もいるはずはありません。僕の視界には誰も存在していなかったのですから。気のせいかと、感触が残る肩のあたりを見ました。するとそこに、変色しはじめてはいましたが、まだ色を留めている桜の花びらが一枚、肩につかまっていました。
 花をとどめている桜などは既になく、どこかのビルの雨どいか、隙間にでも挟まっていたものが風に運び出されたものなのでしょう。僕はそれを小さな羽虫を捕まえるみたいにつぶさないよう掌に包みました。その中は、開いてしまえば何もない夢であるかのように、重さも感触も感じられませんでした。けれども僕の手のなかには確かに桜の花びらがあったのです。

 4月の半ば、従兄が亡くなりました。
 ちょっと買い物に行ってくるよ、と家族に声をかけたのが最後の姿であったそうです。
 彼は自宅から200mも歩かないうちに脳溢血を起こして倒れたのです。救急隊から連絡を受けた時には4時間以上が経過しており、帰宅を待ち続けた家族には看病する時間も与えられませんでした。
 僕よりもほんの数年早く生まれたにすぎない彼は、約50年のその人生をどのように過ごしたのでしょう。どういう人生だったのでしょうか。
 僕が覚えている彼は小学校までの一緒に遊んだ姿。成人してからは互いに顔を合わせる機会も少なくなり、親戚の集まりのなかでたまに消息を伝える話は出たものの、イメージは立ち止まったまま時間が過ぎていきました。
 僕は、年齢が近かった従兄に親しみを感じ、妬みを覚え、競争心を消すことができず、だから否定することも多かったのです。幼いころはあんなにも仲が良かったのに。成長するたび見比べられることが僕たちの関係を変えてしまったのかもしれません。
 彼の部屋には多くの漫画が残されていました。大半は処分してしまったそうですが、彼が「どうしても手元に残したい」と言っていた作品には僕の好きなものも数多くあり、もうすこし早くに訪ねていれば、きっとそれまでの何かが融解していたかもしれません。分岐点があったことに気が付くのはいつも通り過ぎた後です。でも僕はそう思ったことも恐らくいつか忘れてしまうのです。

 昨日、稚内で蝦夷山桜の開花宣言が出されましたね。
 1月18日に奄美大島で初めて開花宣言がでてから4か月ほどかけて桜前線は最北端の街に届いたのです。その道のりを「やっと」ととるか、「もう」ととるかは人それぞれ。
 釧路では満開になり明日にも散ってしまうようです。それでも今から走れば、まだ最北の桜に間に合うでしょうか。けれど今の僕にはその気力が残されていません。

 今年は毎年習慣にしていた成田山の初詣に行くこともなく、初参りは鷽替えの初天神になりました。成田山に参ったのは節分もとうにあけた2月半ばで、そこで十数年ぶりにおみくじを引きました。どうしてそんな気になったのかはわかりません。開いたなかには「吉」とあり、つぎのような辞が添えてありました。

 有魚臨旱地 踊躍入波濤 隔中須有望 先且慮塵労
 (魚ありて旱地に臨めども 踊躍して波濤に入る 中を隔ててすべからく望あるべし 先ずしばらく塵労を慮れ)

 自分の適性や能力を超えて高望みをして辛苦し、一時的に良くなったとしても再び障害に阻まれ苦労する。まずは自分に足りることを知り、分相応に生きなさい、という意味です。

 人にはやるべきこととやりたいことがあり、やりたいことが自分の夢だと思い込みやすいのです。しかもやりたいことの全てが自分に向いていることではないところに辛苦の根源があるのでしょう。
 高望みをすることで手が届くこともあるし、そうすることで突き落とされることもあります。努力を是とするにしても結果が是となるものではありません。
 人の何が幸せなのか、それは誰にもわからないことだけれど、漱石が書いた通り、人は望んで磔にかかる奇妙な生き物なのです。その磔の正体が夢であり、幸福という幻想なのです。

 僕は肩にとまった桜の花びらを空に戻すように大きく吹き上げました。

 また、会おう。

 

 
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