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豊田穣「ミッドウェー海戰」

…加賀は赤城より五千米以上遅れ、蒼龍もその位飛龍から離れていた。どちらも停止しているように見えた。火焔は蒼龍が一番ひどいようであつた。何だこれは、・・・・・・彼はまだ目の前の現実が信ぜられないので眼をぱちぱちさせた。先刻彼が眠る前まで悠々と浮いて、まるで當然のように海上を走りながら飛行機を発着艦させていたこの三艦がいまはあの不吉な赤や黒の火焔や煙に變わつてしまったのだ。どう云う譯なんだろう、なんと云うことなんだろう。この分ぢや今この俺をのせているこの飛龍だつて當然のような顔をしてその上にたつているこの俺だつて、一瞬の間に焔に包まれてしまうことだつてあり得るのだ。えらい事だ。えらい戦争の中に俺は飛び込んでしまつた。…

 ミッドウェー海戦 (作家社・昭和26年初版)

 豊田穣は昭和26年に作家社より「ミッドウェー海戰」を発行し、その5年後に各章に見出しをつけ再編し「海なる墓標」と改題して虎書房から出しています。さらにその17年後である昭和48年に文藝春秋社から「ミッドウェー海戰」に加筆改稿し「ミッドウェー戦記」として上梓しました。
 この海戦が行われたのは昭和17年6月5日。豊田は当時大分県宇佐駐留地で海軍中尉として飛行隊に所属し爆撃訓練を受けていました。その後、宮崎県富高航空基地に移動になり、そこでミッドウェーからの帰還兵が兵舎で軟禁生活を強いられているのを目の当たりにし、教練においては空母瑞鶴の着艦指導教官として配属されていた赤城の艦上爆撃隊に所属していた山田昌平から指導を受けています。海戦直後の緘口令が敷かれるなかでこの敗戦は誰も口に出さずとも身に迫り、「ミッドウェー海戦とはなんであったのか」という強い疑問と関心を持つようになります。
 豊田は翌18年4月、ソロモン海域での戦闘で撃墜されて米軍の捕虜となり、ウイスコンシン捕虜収容所で飛龍の相宗機関長、梶島大尉と共に過ごし、飛龍の最期と漂流の様子を詳細に聞くことができました。
 終戦後の戦争小説ブームがひと段落した昭和24年夏頃から豊田は小説として書き上げるための取材を開始します。橋本敏男、後藤仁一など生存者を精力的に回り、ノンフィクションとして書くだけの材料を集めました。しかし、ここに書かれているのは「記録」ではもちろんありません。
 「ノンフィクションというだけでは事実しか伝えることができない。そこに一種の文学的事実というものを通して伝えるべき真実もあるのではないか。けれど全てがフィクションというのは歴史が許さない」と言う姿勢で書き上げられたのが「ミッドウェー海戰」でした。
 極限にある生と死は単なる記録ではなく、伝えるべき伝説が存在しなければならない。散華とか滅びの美学などという安易な修飾ではなく、虚無と慟哭を文学として伝えることに腐心したのです。

 海なる墓標 (虎書房・昭和31年初版)

…これだけの人間が死んだ。燃えて焼けてそして今煮えている。死んだのだ。そして、俺は生きている。いま、俺は生きている、いまは、だ。この、いま生きている、と云う感じは、格納庫の屍体と對比して激しい勢いで彼の胸を打つた。…
 
 3種のミッドウェーはそれぞれ少しずつ形を変えています。
 最初の版では、海戦前夜から作戦中止の下令が出されるまでを中心に、そして後日譚として飛龍乗組員の2週間に及ぶ漂流の顛末が述べられ、特に漂流については最終章として多くのページが割かれています。
 次の版では、先の版を全7章とし各章をさらに分けて見出しをつけ、配列も時系列がわかりやすいように再編集されています。
 最後の版は3作中もっともスマートな流れで組み立てられています。「ミッドウェー海戰」をベースとし、そこに下田多門少将の生き様とアメリカ側の資料をもとにその動き、さらには映画監督ジョン・フォードがドキュメント・フィルムを撮るという胡椒の一振りを加えています。ただし、漂流についてはページ数の兼ね合いで要約せざるを得ず粗筋的な抜き書きになりました。

 事実をもとにしたもの、特に戦争を題材としたものは書くのが難しい。戦争の動きを少数の人物にとどめるということが如何に困難であるかは、戦死者並びに生存者の運命の多さを想像しようとしてみれば自ずと推察することができると思います。人物を絞りこむことで英雄伝となってしまう恐れが多分に生じます。
 戦争がロマン主義的な叙事詩で語られる時代は遥か昔に過ぎ、今僕たちが手にすべきは戦争において払われた多大な、そして、それらの大部分は無価値として忘却されてしまっている無数の個人たちの努力なのです。
 「人間の運命はその性格が流れを作るのだ」と言った哲学者がいました。小さな選択ではそれは妥当なのかもしれません。けれど抵抗が不可能な意思の流れというものは確かに存在するのです。それを神と言ったら冒涜だと宗教者から叱られるかもしれませんが。
 戦争に限らず過去は後に教訓を残します。
 受け手によって印象を変えてしまう教訓を正しい形で伝えてゆくことの至難さを僕は戦記物を読むたびに思います。終戦とはいつを指すものなのでしょうか。
 
…イフ・ユー・ウォント(もし、よければ)と艦長らしき男がをいて行つたキャメルを味岡は寝たまま一寸吸つてみた。頭がくらつとして、背に敷いてあるシーツに体がのめりこんで行きそうな感じがした。彼は耳鳴りを感じた。― 俺は捕虜になつたんだ。自決するか、祖國を捨てるか、この二つ以外に俺のとるべき道はないのだ。しかし― 彼は自分にそう云つて聞かせた。すると彼の耳元で突然女の聲がした。それは低い、そしてかすれたようなソプラノでこう云つていた。
 ― 戦争が終わつたら結婚しましよう。―
 昭和十七年六月二十日であつた。
 ミツドウェー海戰は終わつた。…

 ミッドウェー戦記 (文藝春秋・昭和48年初版)





 
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