恋には無縁の彼岸花

 連休中は天候に恵まれ英気を養った方も多いでしょう。
 僕は仕事の区切りを見て息抜きに近場へドライブに出かけました。

 麻賀多神社に以前来たのはいつだったでしょうか。
 誰かと一緒だったような気もするし、ひとりであったような気もします。恐らくどちらの記憶も正しいのでしょう。いずれが先だったかが判然としないだけで。
 寒蝉がしきりに鳴いている林の中は少しだけひんやりとはしているけれど、額に軽く滲む汗を引かせるほどではありませんでした。

 20150921RIMG0491.jpg

 ここにはご神木である樹齢1300年余の杉があります。東日本一の大杉とされています。その高さ約40m、幹の太さ約9m。
 麻賀多神社というのは近隣十八社を総じてのことで、ここがその総社(本宮)となっているとどこかの説明で読んだ気がします。延喜式神名帳では国幣社として記載されたというような覚えもあります。
 かつて神社には格と言うものがありました。国幣社というのはその一つです。
 明治四年(1871年)に布告された新しい社格制度においては府県、市が奉幣を担う郷社と定められました。
 社に格付けをしたものであるなら十分ではないが、まあ納得のいくこともあるが、神様に格付けをしたとするならそれこそ神をも恐れない行為だと皮肉を言ったところで、政治機構の都合もあったのでしょう。
 手っ取り早く言うなら、祭祀において奉献する幣帛をどこが担当するのかを決め、国に集中しないようにしたということです。
 明治以降は先ほどの太政官布告により改定されましたが、第二次大戦敗戦後の国政改革を機に廃止されています。
 理由としては再び神道を拠り所として国が一致団結し戦争を仕掛けてこないようにと、米国が神道・国政・国民の分断を図ったというところでしょう。国家民族の精神的収束先を失くすといった単純なもので、それは結果として外見上は実施されましたが、未だに地縛霊は政治家たちに纏わりついているようです。
 それよりも深刻になったのは戦後教育においてモラル(倫理観、道徳観)とマナー(作法、礼儀)とをきちんとすみ分けして教えることをしなくなったことです。ごちゃ混ぜにした結果、骨子を抜かれた倫理観が先に喪失していったということなのでしょう。倫理と宗教というのは密接な関係にありますから。
 神様という存在は人を説得するにおいて重要なのです。誰もその真を捕えることができません。「神様の仕業」「神様が見ている」という畏怖は必要なものであったのです。孔子でさえ怪力乱神について理論の外に起きました。

 ご神木のある林内の至る所に蜘蛛が巣を掛けていました。蜘蛛の巣は美しい。
 巣は細い糸を綿密に組み合わせ獲物を捕らえるために、そして風雨に耐えるために丈夫に編まれています。
 蜘蛛の巣には、正面から生命をかけてあらゆるものに立ち向かう覚悟があるから美しいのです。
 そんなことを思いながら大杉を見上げ、辺りをぐるりと巡りました。

 20150921RIMG0494.jpg

 神社を出たあとは通りを渡り曹洞宗を掲げる超林寺へ向かました。途中、先日までの風雨で地に落ちた青柿の饐えた匂いが鼻を突きました。
 正式な号は麻賀多山信竜院超林寺です。文明十三年(1481年)の建立で境内には平貞胤の供養碑があります。
 平貞胤は千葉氏第12代の当主で観応2年(1351年)1月1日に61歳で京都で没したことになっています。
 供養碑脇にある看板に書かれたとおり、ここに遺物は収められてはいないでしょう。貞胤を慕うものが寄進を募り石碑を立てたと言う推測にほぼ間違いはないでしょうが、石碑の文字が風化し判読不明になっていますので詳しくはわかりません。
 平貞胤について僕はあまり印象はなく、当時の武将にしては機を見るに敏で世渡りの巧い人物だったくらいのことです。調べるのも億劫なので止めておきます。
 彼の没年と寺の建立年から見れば、石碑がどこかから移設されたか、或いは供養塔のあったところに寺を建てたか、没後に記念碑的に創られたか、なのでしょう。最後の選択肢が一番わかりやすい説明です、恐らく。

 20150921RIMG0502.jpg

 墓地周辺にはこの時期、曼珠沙華の花が咲き乱れています。今が見ごろと言ったところ。
 火をともしたようなその姿は忌みとも敬いとも取られ、狐扇、お盆草、鈴玉など様々な名前が付けられ、その数は我が国だけでも方言をいれれば1000種を超えると言われています。死入れ花、死人花、厄病花と言った不吉な名前も多いです。
 球根にはアルカロイドが含まれています。ですので球根そのものは食べられませんが、磨り潰して水に晒して取り出した澱粉は食用になります。
 花の無い時期、ユリ根と誤食した事故も多かったと聞いていますし、確かに事実事故も多くあったのでしょう。それがための忌み名であったかもしれません。
 墓所や畔にこの花が多いのは毒性を利用して土竜などの害獣を避けたためとも言われていますが、さて真偽と効果のほどは・・・。

 この曼珠沙華(彼岸花)ですが、日本に自生するものは結実しません。彼岸花同士では受粉しないのです。
 村田冨美子はこれを知ってか次のような句を詠んでいます。

 さりながら恋には無縁 彼岸花

 けれど黄色の彼岸花に似た花を咲かせる近縁の鍾馗水仙とは受粉します。そこから咲く花は紅色でも黄色でもない白花です。そういうわけで、まったくの恋に無縁というわけではなさそうです。 
 幾つもの忌み名を有する花でさえ恋をするのであれば多少は希望が持てそうな気もします。しかし、花は花、それだけで人を惹きつけるのです。そこが人と花の違いでしょうか。

 20150921RIMG0507.jpg

 つきぬけて天上の紺 曼珠沙華

 これは、山口誓子の作。

 見上げると空には半分に欠けた月。
 陽がとっぷりと暮れ夜空に掛かれば上弦となるのでしょう。
 そして僕はやはり今日も空に向かってシャッターを切ります。

 20150921RIMG0504.jpg 2150921RIMG0520.jpg

 麻賀多神社 〒286-0003 千葉県成田市台方1番地
 超林寺   〒286-0003 千葉県成田市台方10


 
 
 



スポンサーサイト

事実と嘘

 佳奈ちゃんの夢を見た訳を考えていました。
 空の写真の理由を綴ったその関連で記憶から引き出されたのかとも思いました。
 忘れたことはないけれど、夢に見たことはありませんでした。
 夢に見ると言うことは、忘れるな、思い出せという徴です。だから僕は佳奈ちゃんの夢は見ませんでした。
 僕は佳奈ちゃんが亡くなった日からの歳月を数えることはしません。いつもそこにいるという気がしている。
 だから命日に花を添えたこともほんの数えるほどです。認めたくなかった。その日を記憶から消し去るために。
 曖昧にしておきたかったのです。
 佳奈ちゃんはきっとそれを許してはくれなかったのでしょう。
 そうして考えてきて、愛犬の死と併せて辿りついたのは、「もう時期に来ているのではないか」と言うことです。
 僕は悲歌慷慨を書きたいわけではありませんし、もとより僕には叙事詩を書く才能もありません。
 ただの打ち分け話程度のことです。
 ですから書棚の整理をするように淡々と話をしたいと思っています。

 僕は思春期に4人の少女の死と出会っています。

 人の死は世界に満ち溢れている。それは確かです。
 僕の感情に影響を与えない訃報はもっと多くありましたが、少女たちは僕を少なからず変えてしまいました。
 最初は、僕に犀星の「旅びと」をくれた少女。「室生犀星、或いは、鉛筆」と言う題で思い出話をしたことがあります。
 その死は僕に事実から目を背け嘘の世界に逃げることをさせ、時の埋め合わせをするための課題を出しました。
 入院していた時に知り合った紗枝ちゃんは、時間の流れが人の感情よりもずっと速く、冷酷なものであることを教えてくれました。
 残る二つの死は、高校一年の時、自ら終止符を打ったYさん。
 そして、高校二年の春に知り合った佳奈ちゃん、君です。
 
 君あてにこうして書きはじめるずっと前に、そう僕がブログを書き始めた最初の頃です。「誘蛾灯」という題で繰り返し見ていた夢の話をしました。僕はあの夢を見ると決まって熱を出していたのです。風邪でもないのに。
 それは恐らく僕の呵責から生まれた熱だったと思います。夢を見なくなって呵責がなくなったのかと言えばそうではないでしょう。
 時が記憶を風化させたに過ぎないのです。
 Yさんが自ら命を絶ったと言う報を受けたのは高1の初夏でした。夜の十一時過ぎの電話によって知らされたのです。その時の僕は本当に頭が真っ白になり、受け答えも手短にしかできず、電話も僕のほうから切りました。その対応は葬儀の後で「お前って冷たい奴だよな」と謗り口を叩かれるほどでした。

 僕はお通夜の焼香の後、元担任に「何か思い当たることはないか」と訊かれこう口を滑らせました。
 「僕が先週の末に彼女に会った時は別に不自然さは感じませんでした。」
 それは周囲の人たちにとって取り立てて扱うべき事ではなく、ただ「そうか」という落胆の溜息を落とさせただけでした。
 ここに僕の大きな嘘があります。
 僕のこの嘘が今につながる事実への拘りを生み出すことになりました。

 佳奈ちゃん、君は僕のことを嫌味なほど正直な人だと笑ったことがありましたね。
 「そんなに正直に事実を話していると行き止まりになっちゃうわよ。少しは感情を取り入れて話をしたほうがいい」と。
 そしてこうも言いましたね。
 「人は事実の概要を知りたいのではなく、話す人の感情の脚色を好んでいるの。それからね、気持ちの嘘と同じように、事実の嘘が必要な時もあるのよ。」

 佳奈ちゃん、僕はね、Yさんと最後に会ったのはあの日の前々日だったんです。
 中学卒業式前に東京を離れてすでに千葉に移り住んでいたのですが、その日は久しぶりに小学校や中学校を見てみたくて訪れていたのです。何故そんな気を起こしたのかは今もってわかりません。僕にとって小、中学校時代は決して良いものではなかったし、土地に懐かしさを感じるほどではありませんでした。
 初夏らしい好く晴れていた日だったことを憶えています。
 踏切で遮断機が開くのを待っていた時に背中から声をかけられたのです。
 「T君、久しぶり。何か懐かしい気がする。」
 僕は女の子と話をするのが得意ではなかったし、公道の行掛りとはいえ二人でいることにも耐えられませんでした。
 恐らく頷いただけで返事らしきものはしなかったと思います。
 遮断機は相変わらず耳障りな音を響かせて隣にいる人の声さえ大きめにさせていました。
 「ねえ、ちょっとマックでジュースでも飲まない?私、喉渇いちゃって。」
 僕は彼女の笑顔をこんなに間近で見たことはありませんでした。
 緊張するし、恥ずかしいし、どうして良いかわからなかったのです。
 そして、こう答えました。
 「ごめん、今から修二に会う約束があるから・・・。」
 言葉を濁す様に、ありもしない約束を口実にして。
 彼女は僕の返答に残念がる様子もなく、「そう、それじゃ仕方ないわね」と。
 たったそれだけの筈だったのです。
 日常に事件さえ起こらなければ。

 佳奈ちゃん、僕は君に話しておきますが、僕とYさんは同じ教室で一年間過ごしても直接話をしたのはただ一度だけでした。
 それも会話とは呼べないほどの。
 その彼女がなぜ僕を呼びとめたのでしょう?
 挨拶だけで通り過ぎて行ってくれれば僕はもっと楽だったのに。

 Yさんが僕を呼びとめた理由は分らないし、それに応じたとして結果が変わったのかと言われれば、その仮定自体が無意味です。
 「すべての偶然はすべての必然である。」
 そこには仮定の生じる余地はありません。ありはしないのだけれど、何かをほんの少しでも変えられたかもしれないという後悔は忘れられるものではありません。
 強烈なセンター返しの打球にピッチャーが差し出したグローブが僅かに触れて、その球速と球道を見た目にはわからない程度に変えて長打にしなかったという具合に。
 でもね、起こらなかったことは、後の事実に何ら影響を与えはしないのです。
 ただ個人的な後悔を残すのみです。

 事件のあった数年後、僕は一度だけある人物に告悔をしたことがあります。
 その人はこう答えたのです。

 「それは思い上がりだよ。傲慢と自己満足に過ぎない。自分で悲劇に浸っているだけなんだよ。人は誰も救うことはできない。人を救うのはその人にしかできない事なんだ。自分はその人を救えたはず、力になれたかもしれないという気持ちは確かにあるし、それは認める。けれどね、それでは救うことはできない。最終的に自分を救うのは自分にしかできないことなんだ。人を救えるとしたなら、その人に成り変わるしかない。それは不可能なこと。起こった事実はすべての偶然が積み重なった結果の必然なんだよ。君がもし後悔すべきことがあるとしたなら、それはこれじゃないか。」

 次にその人は核心をつき、痛みを感じさせないくらい僕をl硬直させました。

 「彼女には言い忘れた言葉があった。どんな会話の流れになったか、それは推測しようもないし、問題には影響がない程度の話だったかもしれない。それでも人は言葉を残すために誰かに話しかけているんだよ。君はそれを最初から拒否した。力になれたかもしれない、は詭弁だ。君の後悔の根底は嘘をついてまで拒否したことにある。違うかな。目を逸らした後悔は後悔とは言わない。それは自己弁護だ。罪は自分が生み出している。それを忘れてはいけないよ。」
 
 佳奈ちゃん、僕はその時から話に向き合うための努力をしようと思い始めたのです。
 そして、起こった事実に何かを添えることはあっても、無かったことは書かないと、そう決めたのもこの頃です。

 僕の時間はここにきてようやく動き始めたのかもしれません。
 君に手紙形式で書きはじめようと決めた時に、錆ついていた秒針が動き出したのです。
 正確な時は正確な終りを刻みます。
 君にもう少し近づいて行きます。

 「長くなれば短くなるものは何?」

 謎々の答えは顕かなので。
 短かったものは失くした可能性だけを残します。それは無数の分岐点を持つ果てしない物語です。

 それでは、また。


 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

テーマ : ひとりごと…雑記…きままに
ジャンル : 日記

 気がつくと僕は教室にいて、それはたぶん小学校だったと思う。
 教室内には誰もいず、机の上には筆箱や教科書が出したままであったり、椅子の背もたれにカーディガンが掛けてあったりしていた。
 なぜ誰もいないのか。
 得体のしれない怖さを感じ、教卓の前で茫然と立ち尽くす。
 僕は何かを聞き逃してしまい、取り残されてしまったのではないか、そんな不安にかられて。
 懸命に昨日のことを、その前のことを思い出そうとするが何一つ思い出せない。
 それどころか友達の顔も名前も担任の教師もわからなくなっていた。
 それでもとりあえず自分の席につこうと探したのだけれど、一体どこが自分のであるのかもわからず、この辺であろうという場所の机は片付けられていて、空いたスペースの床板が蛍光灯に照らされて冷たく光っている。
 そこで僕は更に自分が大失敗をしていたことに気付いた。
 僕は服を着ていなかったのだ。
 裸のまま学校に来てしまっている。
 何か体を隠すものはないかと焦り、思案し、誰のものかもわからなかったけれど、椅子に掛けられていたジャージのズボンだけをはいた。
 それから人目につかないよう気にしながら、家に帰って服を取ってこようと。
 校舎内は物音一つしない。ただ蛍光灯だけが薄暗く灯っている。
 下駄箱をでると外は夜のような暗さに覆われた雨模様。
 なのに生徒たちは運動会かなにかの行進の練習のために集められている。
 整列していた何人かが僕に気づいたようにも見えたが、誰も僕を呼びとめようとはしない。
 僕はなるべく生徒から離れた校舎の壁際を走って外へ出た。
 校門の外には急な下り坂があり、僕は後ろをちょっとだけ気にしながら歩いていた。
 追ってくる者はいない。
 坂を降り切る直前で、正面の道を折れこちらに向かって来る女の子がいた。
 彼女は高校生くらいに見えるのにウェディングドレスを着ている。
 ヴェールは被っていないので素顔はよく見てとれた。
 誰かに似ている。
 少女とすれ違った瞬間、横顔を見て驚愕した僕は声をあげた。
 佳奈ちゃん!
 声は届かなかったのか、止まりも振り向きもせず、黙って僕が下りてきた坂をそのまま上って行った。
 彼女を追おうとしたが一瞬のうちに坂は掻き消えてしまい、僕は灰色の空間に立っていた。

 
 目が覚めて夢をなぞるように思い返していたら、彼女が亡くなったのは今くらいの時期だったことを思い出したのです。
 何十年も前のことなのに記憶は何かを整理させようとしたのでしょうか。
 そして同じ日の夜、つまり昨夜、17年飼っていた愛犬が死に、ここに越して24年目にして我が家にサルーキが一頭もいなくなりました。
 今も、いつもと同じ姿で横たわっているのに、どれほど大きな声で名前を呼んでも二度と頭をもたげることはありません。
 
 
 

テーマ : ひとりごと…雑記…きままに
ジャンル : 日記

 鈍色の空から降りしきる雨を見ていることしか出来ない僕は、なんて情けない存在なのだろう。そして、雨雲が去り晴れ渡った深い青の奥底を、所在なくただ見上げてその孤独さに声を失くしてしまいます。
 空は僕とは無関係なのだと思い知るのです。

 001RIMG0479.jpg 001RIMG0058.jpg 001_20150914034051f38.jpg

 君はまだ憶えていますか?僕が空を写していたこと。
 僕は今も空を撮り続けています。
 撮り続けているとは言ってもライフワークと呼べるものでも、確固たる趣味と言えるものでもありません。気が向いた時に見上げた空を写すだけです。
 悲しいとか嬉しいとかそういったものもないし、記念日の空とか、変わった形の雲をコレクションしているとかでもありません。
 思い出した時にカメラを取り出して技術も何もなくシャッターを切るだけの写真です。それが随分な枚数になりました。

 君には話していなかったことがあります。話したくとも話せなかったことです。
 僕が空に向かってシャッターを切り始めた理由です。


 00012RIMG0454.jpg 001RIMG0113.jpg 001RIMG0086.jpg 001RIMG0987.jpg 010012RIMG0453.jpg

 僕が高校1年の終りに急性肝炎に罹り三学期を棒に振ったことは、前に窪川稲子の「素足の娘」を取り上げた時に書きました。その時の話です。

 外科病棟の西側の病室に「紗枝ちゃん」と言う女の子がいました。
 みんながそう呼んでいたので自然と僕もそう呼ぶようになりました。
 僕と同じ高校一年生でした。
 彼女に会ったのは入院棟にある談話室です。
 そこには雑誌が何種類か置いてあったので、手持ちの本に読み飽きた僕は時間つぶしのためにそこへ向かいました。整理されることもないのだろう本棚は思い思いの向きで雑誌が突っ込まれていて、そのどれもが興味を持てそうにない女性週刊誌や芸能雑誌でした。それと病院内での生活マニュアル。
 窓際の席でため息をついて「さあて、どうするかな」と独り言を呟いた僕に、「勉強すれば?」と声をかけてきたのが彼女でした。
 見れば彼女は数学の参考書と教科書、学校で出されたプリントを挟んだバインダーを持っていました。
 「はっ?勉強?」
 「高校生ですよね?」と彼女は僕のテーブルの前に来て、置いてあった椅子をくるりと反対側にし僕と向き合う形で腰かけました。
 「なれなれしくてごめんなさい。入院が長いと退屈過ぎてこうなっちゃうみたいなんです。周りのおばあちゃんたちの影響かも。あの人たちは社交的だから。」
 そう言って彼女は一方的に自己紹介をして、同じものを僕に強要してきました。僕はちょっと面倒だなとは思ったけれど、無視して立ち去る意気地がなかったものですから、リクエストに応えて当たらず障らずの自己紹介をしました。
 「ここって高齢者ばかりですよね。どこの病院もそんなものかな?同じ年代の人って貴重なんですよ。」
 それから彼女は僕に相槌を打たせる役を割り振ってくれたので、大人しく聞いているだけで済んだのはそれなりの気遣いだったのでしょう。
 入院生活が長いと社交的になるか否かは僕にはわからなかったけれど、彼女の積極性は恐らくそれとは無関係なのだろうと思えました。

 001RIMG0884.jpg 001RIMG0984.jpg 001RIMG0979.jpg 001RIMG0926.jpg 001RIMG0891.jpg

 毎日ではないけれどそれから彼女は僕の病室まで来るようになりました。
 「この個室、広いね。寂しいだろうから、私が机を借りてあげるね。」
 確か最初の訪問の時にそんなようなことを言っていた気がします。
 彼女の部屋も個室だったのですけどね・・・。
 僕が籍を置いていたクラスは世話好きな人が多かったようで、話もしたことのない(失礼なことに名前も憶えていなかったクラスメイトたち)が毎週末になると見舞いに来てくれました。あげくには単科を担当するだけの教師まで。
 そういうことで僕の静かであろうはずの入院生活は思いのほか賑やかだったのです。そして更にそこへ紗枝ちゃんが加わったのですから平日もおしゃべりの時間に包まれてしまいました。
 嘘と空想が好きだった僕にとってベッドにいる時間はこの上もなく贅沢な心地よいものであったのですが、どうやらその趣味を生かすのは自宅以外にはなくなったのです。
 確かに病院は彼女の言うとおりに社交の場でした。
 僕の入院生活も終り、通院を残すのみとなった後、今度は僕が見舞客になりました。診察日と週末の。

 001RIMG0541.jpg 001RIMG0573.jpg 001RIMG0600.jpg 001RIMG0613.jpg 001RIMG0618.jpg

 銀杏が散り始めたある日、それは前のお見舞いからひと月ほど空いていて「もしかしたら退院したかも」と言う思いを秘めた訪問でした。
 ナースセンターに顔を出すと婦長さんが「久しぶりね。お見舞いでしょ。ちょっと待っててね、確認を取るから」と僕を待たせました。
 待つなんてことは初めてだったので「システムが変わったのか」とも思いました。
 その間はほんの一分くらいでしょうけど「いいみたいよ。どうぞ、XXX号室ね。」
 僕は言われた病室のドアをノックし返答を待って入りました。
 眩しさを遮るためかアイボリー色のカーテンがひかれた病室内は穏やかな波の裡にいるように見えました。
 「お久しぶり。クラムボンが笑っているような病室だね。」
 僕がそういうと紗枝ちゃんは「青くないけど水の中みたいでしょう?」と答えました。
 彼女はこの日までの間が空いた理由を少しも尋ねはしませんでしたから、僕も無駄な言い訳をせずに済みました。
 「この次の週末にしよう」が続いただけだったので。
 けれど顔色に温かみが射して見えたのは、閉じられたカーテンのおかげであることに僕が気づくのにそう時間を必要とはしませんでした。それは眩しさを遮るためではなく、彼女の顔色にお化粧をほどこすためだったのです。
 僕の表情を読み取ったのか彼女はこう言いました。
 「姉さん、窓を開けてほしいのだけれど?」
 ベッドから離れたもう片方の隅に椅子を置いて坐っていた女性に彼女が声をかけたのです。
 そこで僕は初めて他に人がいることに気付いたのでした。
 不躾を詫び、改めて自己紹介をしている僕を彼女は笑顔で見ていました。

 001RIMG0702.jpg 001RIMG0697.jpg 001RIMG0677.jpg 001RIMG0644.jpg 001RIMG0625.jpg

 「好い風ね。天神峠の風みたい。」
 「天神峠?谷川岳の?」
 「うん、中学生になる前に姉さんと登ったのよ。山開きのすぐ後だったかな。強い日差しと冷たい風。トマの耳まで行きたかったけど登山をする服装じゃなかったから諦めたの。今思えばスカートでも無理して登れば良かった。見たかったな、空。Tくん、登ったことあるんだ?」
 「うん、山登りは好きだから。」
 「いいな、好きなことがあるって。好きって言えるっていいね。これからもずっとそうしていられるもの。私はどうしても過去形になっちゃうから、もう一度って言えないの。」
 僕は無言でそれを聞いていました。
 すると彼女は「良くなったら登れるよとか、連れて行ってあげるよって言わないのね、Tくん」と可笑しそうに言いました。
 僕は何と言えば良いのか言葉を見つけられなかったのです。
 「大丈夫」も、「いつかきっと」も、嘘にしかならない。それは確信に近かったので。
 「わかってる」と彼女は呟きました。
 一瞬泣いているのかと思いましたが、そんなことはなく、紗枝ちゃんはいたって冷静に窓の外を見ていました。
 「私、病室の天井を見て死んじゃうのは嫌だな。曇り空も嫌。青い空の下で。そうね、雲がひとつもない空は見ていると不安になるから、ぽっかりと真っ白な、大きな雲が浮かんでいる空の下がいいな。良く晴れた空の下。」
 「僕も雲のない空は苦手だな。寝転んでそんな空を見ていると眩暈がしてきて、空に向かって落ちていくような気がする。雲があると安心するんだよね。」
 「雲は見上げている人をひとりにしないのよ。特別なことがあっても空は知らん顔。すまし顔で私たちを見下ろしているの。小さい、小さいってね。齷齪している私たちを笑っているのかもね。雲は面白い顔や美味しそうな形をして私たちを楽しませるのよ。手品師かピエロみたいに。雲は空をひとりにしないように、私たちを置き去りにしないように仲を取り持っているのね。でもたまに雲も怒っちゃうことがあるんだけど。人間が勝手なことばかりしているから。私、そう思うの。」
 僕はやはりそれに追従する言葉さえ見つけられませんでした。
 彼女は会話をちょっと休めてから大息をひとつついてこう言いました。
 「空を憶えていられるかな?生まれた日の朝、幼稚園の入園式の朝、初めての遠足でみた高尾山の空、修学旅行の清水寺から見た空、その他いつも私のうえにあった空を、憶えていたいな、ずっと、憶えていたいの。何で空を残しておかなかったかしら。無駄だって知ってても、ハイジのようにバケツにアルムのお日様を閉じ込める気持ちがあればよかったのに。」
 
 001RIMG0878.jpg RIMG09110435.jpg 001RIMG0872.jpg 001RIMG0870.jpg 001RIMG0853.jpg

 それが僕と彼女が会話をした最後の日になりました。
 次の週末を待たずに彼女のお姉さんから家に電話が入りました。
 紗枝ちゃんの日記に僕の電話番号が記載してあり、終わりの頁に「姉さん、伝えてね。間違ってお見舞いに来ちゃうとTくんが悲しむから」と書かれていたとのことでした。

 僕は自分のカメラを手にしてから空を写すことにしたのです。
 それは本当に当たり前の普段通りの日々で、特別な日に見上げた空ではなく、シャッターを切ることで特別になった空なのです。

 僕の空の話はこれでお終いです。

 それでは、また。
 
 0012015001e.jpg 01RIMG0878.jpg 01R0010020.jpg 001RIMG1585.jpg i00122100011.jpg


 


 
 
 
 
 
 
 
 

テーマ : ひとりごと…雑記…きままに
ジャンル : 日記

下北沢あたりで

 君に便りをするのは久しぶりな気がします。
 何も特別なことがあったわけではありませんが、こうして書きだしたのは僕の心のどこかで君に伝えたいと言う気持ちが動いたからなのでしょう。
 10日までの長雨は各地に大きな被害を出しましたね。11日のこの日はその爪跡が僕には無関係だと言うかのように晴れ渡り、雨の名残りの匂いがする朝の風の中に微かな木犀の香りが感じられ、夏に別れ秋の扉が開かれたことを告げているかのようでした。
 下北沢にね、渋谷での仕事を終わらせてから、思い出せないほどの時間を隔てて行ってきました。本当にとても昔のことで、何年何十年前のことだったのかわかりません。
 憶えていることは、ある友人が「美味しいジェラート屋があるから食べに行こう」と言ったので足を向けたことくらいです。そのお店の名前も、下北沢のどこら辺にあったのか、味がどうだったかのかも記憶にありません。街の印象すらなかったので、初めて訪れたのと変わりないですね。

 RIMG09110449.jpg 下北沢駅

 下北沢へは無目的で行ったわけではありません。僕の蔵書票を作っていただいた長野順子さんがギャラリー・HANAで個展を開かれていて、時間ができたのでそれを見に行きたかったのです。
 毎度のことながら目的地に真っ直ぐ向かわずにちょこちょこと寄り道をしながら行きました。公平にみても寄り道のほうがいつも比重が大きいですね。

 最初に入ったのは「バロンデッセ」というカフェ・ラ・テのお店です。
 そこでアラビカのラ・テとスコーンを一個、頭の整理を兼ねて休息をとりました。
 ここは今年で4年目に入るそうです。ラ・テ・アートを前面に押し出し、ラ・テ・アート作りの体験もできます。1000円くらいなので手軽と言えば手軽ですね。珈琲2杯分です。
 お店の方に「初心者でもそんなに簡単に出来るものなのですか」と訊いたら「まあ、出来るか出来ないかは別として、こんなものと言うのを知ってもらえる程度ですよ」と笑っていました。

 RIMG09110419.jpg RIMG09110416.jpg
 
 バロンデッセを出た後は古道具屋に嵌まり込んで振り子時計を眺めたり、七月書房という古書店の店先にあった「7人のアーティストによるブックカバー展開催中」というポップに惹かれて覗きこんだりしていました。
 そういえば北口をすぐでたところにね、「健康的なジャンクフード」と書かれたフライドポテトの専門店がありました。そこも気になったのですがフライドポテトの気分ではなかったのでまた後日ということにしました。
 そうやってぶらぶらしていたらどこからか安っぽいタイコなのか、タンバリンなのか、とんとんとんとんと言うある種の懐古的な音が聴こえ、興味を覚えたのでその音を追いかけました。
 目的地からちょっと離れてしまったのですけど、まあ好奇心が勝ったと言うことです。追った先には「真夜中の駄菓子屋」と書かれたお店があり、その音の正体はクマの人形でした。
 店先のドアのところには「手芸セット」と商品名が付いたオモチャが掛けられていました。
 君も遊んだ覚えがあるかもしれません。あの頃はリリアンと呼んでいたのですが、僕はこれ得意だったんですよ。リリアンの台を使わずに指だけでシュシュとか、紐状に長く編んだものをより合せて小さな袋とか作りました。子供の頃は器用だったんです。今の僕からは想像できないでしょう?

 RIMG09110432.jpg

 音の正体を確かめて安心を勝ち取った後、ようやく目的のギャラリーへ向かいました。大分道を逸れてしまいましたけど。

 RIMG09110412.jpg GALLERY HANA

 ここで今月の23日まで「花宴狂詩曲」という長野さんの個展が開かれています。

 0089D890H82CC93FA81X_20150912024014915.jpg「華食の日々」 008BC98FE382CC92A9_201509120240129f1.jpg「極上の朝」

 個展のタイトルにあるように花をテーマにした作品が中心となっています。
 花とは不思議なもので、その美しさに安らぎを感じることもあれば、また美しいがゆえに狂気を呼び覚まされることもあります。引き継いでゆく命の喜びを教える反面、果てしない孤独をも僕たちにつきつけてきます。
 山野に野辺に庭先に咲き、床の間に置かれ、テーブルに添えられ、窓辺に揺れている花々。人が何を理由にしてこんなにも花に惹かれるのか、それを長野さんは解き明かそうと試み迷宮に踏み込んでいます。
 人を惑わせる花の色や香り、それは静かな狂詩曲なのかもしれません。

 150911_20150912024623339.jpg「紅い畔道」 nj091111211.jpg「無邪気さの陰」

 僕は「紅い畦道」というのを譲っていただきました。
 彼岸花の咲き乱れる道で、狐の面を被った少年に少女が何かを耳打ちしています。 
 少年は人ではないかもしれません。狐が姿を変えているのかも。
 そう感じつつも、実は少女の方が怪異なのかもしれないとも思うのです。
 少年にこんな耳打ちをしている気がしませんか?
 「その面を外してはいけない。人間だとばれたらお前など物の怪の餌食だ」と。
 
 ギャラリーのオーナーさんと話をしている途中で長野さんがお着きになられました。
 僕は長野さんにお会いできるのを確信していたわけではありませんが、初日なので「いらっしゃるかも」と言う期待はありました。
 事前に確認しておくべきでしたね。でもそれほど差し迫った用事があった訳ではなかったので。でもお会いできたら、先日依頼した新しい蔵書票と作っていただいた「約束の日」について幾つかのお願いがありましたので、それをお伝えしたいとは思っていたのです。
 お着きになられるのがあと10分遅かったなら僕はギャラリーを出ていました。僕は運が良かったです。
 
 ギャラリーを出たあとも寄り道をしました。ちょっとだけ遠回りをして駅に向かいました。僕にとっては初めてと変わらない街ですから、時間が許す限り歩いてみたかったのです。

 住宅街に入り「こんなとこに何もないかな」と思っていたところへ、無農薬野菜を使った農家のカフェと書かれた看板が目に留まり、「下北ファーム」というオープンカフェに入りました。
 僕はそこで甘麹ドリンクとシナモンアップルのパン、ピザを注文し、天気も好かったのでテラス席で待ちました。
 運んできてくれたご婦人を呼び止めてお店について話をお聞きしました。
 自家製パンとオーガニック野菜に拘ったカフェで、今年オープン3年目。今、糖質を抜きにしたディナーメニューを考えているところだとおっしゃっていました。
 パンは膨張剤を一切使わず、秋田から取り寄せた種麹を自家発酵させパン種に混ぜているとのことでした。そのためでしょうかパンには弾力性があり、香りもよく、こう言っては失礼でしたが「予想外」に美味しいものを見つけた気分でした。
 僕が頼んだ甘麹ドリンクはそのパンに使われている醪です。砂糖は使われていません。自然な微かな甘さです。非常にシンプルで、それを補うためにフルーツがトッピングされていました。僕としては麹本来の甘さを楽しむためにフルーツは別添えにして欲しい気がします。次に機会があればそうリクエストしてみるつもりです。
 
 RIMG09110426.jpg RIMG09110425.jpg

 オープンカフェを出てから再び商店街へと戻りました。
 大規模店舗の無い、まだ商店街が活気に溢れている頃の懐かしい感覚を思い出していました。
 幾つものショーウィンドウに立ち止まり、引き返し、脇に逸れてはまた戻ることを繰り返しながら、「N.Y.カップケーキ」と言うパティスリーのドアを押しました。

 RIMG09110441.jpg

 ウィンドウから見えるカップケーキはどれも可愛らしく美味しそうに見えたので。そこでイチゴのティラミスとコーヒーのカップケーキを1個ずつ買いました。

 RIMG9110438.jpg nyc091102115.jpg
 
  小さなケーキを入れた箱を手にした僕は、道了大薩埵を守本尊の秘仏とする真龍寺の前を通り駅に向かいました。
 妙覚道了は室町時代の人で、神奈川の大雄山(最乗寺)開創に当っていた了庵禅師のもとに空を飛んで馳せ参じこの事業を完遂し、了庵禅師が遷化(應永18年3月27日)した後は「山中にあって大雄山を護り多くの人々を利済する」と五大誓願文を唱えて天狗に姿を変え、火焔を背負い右手に拄杖、左手に綱を持ち白狐の背に立って山中に身を隠したという伝説があります。
 その真龍寺脇に小さなお稲荷さんがあります。僕は狐にはお世話になっている気がするので見かけると手を合わせるか、お参りをすることを欠かさないんですよ。
 そういえば君は僕のそんな姿を見て「信心深いわけでもないのに不思議なことをするわね」と笑ったことがありましたね。
 まあ、君の言う通りです。僕にも本当のところ理由など明確ではないのです。習慣なのか、義理なのか、それとも強迫観念なのか、はっきりしません。
 僕がだいぶ以前に狐を飼っていたせいかもしれないですね。ヴェリファと言う名のシルバーフォックスでした。

 随分ととりとめもないことを書いてしまいましたね。
 読む側の気持ちも考えずにすみませんでした。
 このあたりで終わらせます。
 また何かあったら便りを書きます。

 それでは失礼しますね。

 追伸、
 長野さんの個展の案内を添えておきます。

 長野順子銅版画個展「花宴狂詩曲」
 会期:9月11日~23日(17日休廊)
 会場:GALLERY HANA
    東京都世田谷区北沢3-26-2
    TEL. 03-6380-5687
 

 



 

 
 
 
 
 
 

別府葉子 in ルーテル市ヶ谷 2015

 9月4日、残暑を満喫するかのような一日。流れ出る汗を、ハンカチでは足りずにカバンからタオルを出して拭うほどの一日を「好天に恵まれた」と言えるほど、僕は夏の暑さが得意ではありません。
 朝から外回りをして足が棒になり、疲労感の割には仕事は思うようにはかどらず、少なくとも健康的には見えない、ただ見苦しいだけの汗に眩暈のする頭をどうにかこうにか上に向けているのが精いっぱいとも言える挫けてしまいそうなこの日、気力を支えていたのは市ヶ谷で開かれる別府葉子さんのコンサートでした。
 正直を言えば、開場後、前列のシートに着き深く腰を掛けた瞬間、非常な睡魔に襲われて開演のアナウンス直前までしばし眠りに落ちてしまいました。自室以外で仮寝をすることはほとんどない僕ですがそれほどにクタクタだったんです。
 「これはマズイ。コンサート中に眠ってしまうかもしれない」と掌に爪が食い込むほどに握りしめて、第一音が発せられるのを待っていました。
 しかしにこやかに登場した別府さんの歌声を聴いた途端、その世界に集中することができました。
 某クラシック・コンサートの時のようにアルファー波MAXで真剣に眠ってしまわなくてよかったと今でもほっとしています。別府さんの声は心地よいのでその虞は十二分にあるのですから。
 
 bp20150904.jpg

 「私は歌をシャンソンに限らないんです。歌いたい、コンサートに合っていると思えばジャンルを問わずに歌います」とステージで仰っていたように、この夜のプログラムも非常に多彩でした。

 RIMG09040406.jpg

 一曲目は「花の季節」です。
 僕たちの年代ですと中学の教科書にジプシー音楽の歌曲として紹介されていたのを憶えている人もいるかと思います。
 当初はロマニーに伝わる民謡として紹介され、その後、ロシアのБ.И.フォミーンが採譜アレンジしたものにК. Н.ボドレフスキーが詞を付けて広く知られるようになり、この二人の作とされるようになりした。
 また一部にはラスキンの作とされているようですが、これは英語版を歌ったジーン・ラスキンがアルバム中に自作としてクレジットしたため誤解を招いているようです。当時は著作権にあまり関心がはらわれていませんでしたから。
 原題は「長い道」(Дорогой длинною)。「花の季節」と言うタイトルは芙龍明子が仏題「Le temps des fleurs」を和訳して使われるようになりました。

 原詩とその大意を添えておきます(訳文が拙いのは僕の語学力のせいです。ごめんなさい)。

 Ехали на тройке с бубенцами,
 А вдали мелькали огоньки...
 Эх, когда бы мне теперь за вами,
 Душу бы развеять от тоски!
 Дорогой длинною, погодой лунною,
 Да с песней той, что вдаль летит звеня,
 И с той старинною, да с семиструнною,
 Что по ночам так мучила меня.

 我々は鈴を鳴らしトロイカで走る
 遠くで灯りがちらちらと揺れている
 ああ、もしもあなたたちと共に行けたなら
 この魂を重い憂鬱から解放してくれていただろう
 月灯りが射す長い道を行く
 彼方から歌声が響いてくる
 そして過ぎ去った思い出を誘う
 夜毎に私を苦しめ悩ました七弦ギターの音色と共に

 RIMG09040405.jpg

 変ったところでは4曲目の「検察側の証人」ですね。
 破局したカップルについて擁護したり、非難したりする第三者の証言を綴ったものです。男が悪いとか、女が悪いとかですね。
 これは、さだまさしのアルバム「印象派」からの一曲。歌詞は3番まであるのですが、オリジナルでは1コーラスごとに半音ずつ転調し、声色もノーマル、電話越し、エコーとエフェクトをかけて三者の違いを表現しようとしています。 
 この日のコンサートではエフェクトを掛けるのではなく別府さんが声のテンションを変えることで表現しようとしていました。すごく久しぶりに聞いた歌ですけど、いい歌ですね。イントロのツインギターの部分を上田さんがうまくピアノに置き換えていたのも良かったです。
 ところで音楽とは無関係ですが、今、ガールフレンド(仮)で行われているイベントにでてくる「悪フェス男」が、さだまさしさんに良く似ているんです。
 「さすがはさださん、今をときめくGF(仮)の女の子たちと共演するなんて!」と変な感心をするのは僕だけでしょうか?

 gf201509wrf.jpg レア悪フェス男

 一曲ずつ紹介していたらどれほどの長さになってしまうのか怖いので、ピックアップするだけにします。
 そもそも歌の背景は歌そのものに無関係です。歌の持つ説得力を最大限に表現できるのは当然に作者ですが、作者ではない歌い手が感じるその感動を伝えることなくして歌は存在できません。作者ではない歌い手の方が遥かに数が多いのです。そうして歌を継いでゆくことにこそ意味があると思うので。
 残念なのは文章では歌声の素晴らしさを伝えられないこと。だから無能な僕はエピソードに留まるしかないというわけです。

 第一部の最後は別府さんのオリジナル曲「砂漠のバラ」です。
 サハラで産出される「砂漠のバラ」という石が主役というか、石そのものよりも時間が主役と言ったほうがいいかもしれませんね。
 砂漠のバラは石膏、或いは、硫酸バリウムが主成分のガラス状の結晶です。その周りに砂が付着し茶色に見えます。
 これは水に溶けた成分が悠久の果てに結晶化したもので、この石があるということは「かつてそこには水があった」と言うことの証拠でもあるんですね。
 コーダからのサビの部分がGm(Gマイナー)で始まるのですが、その音がエキゾチックな盛り上がりを見せています。
 Gm-Am・Dmと続く後にB♭7が置かれているのも良い効果を出していました。
 この歌も歌いこまれてアルバムに収録されるのでしょう。その日が待ち遠しいです。

 第二部のインストルメンタルに続いて披露されたのは「死んだ男が残したものは」です。
 これは1965年に開かれた「ベトナムの平和を願う市民の集会」のために、谷川俊太郎が作詞し、武満徹が作曲した歌です。友竹正則によって歌われました。顕かな反戦歌です。
 高校の頃、この歌を好きな奴がいまして、その彼がよく歌っていたのですが、僕には冗長な曲としか感じられなかったのです。本田路津子さんが歌っていたから聴けるのだと疑っていませんでした。僕は言葉を深く噛み砕くことを知らなかったんですね。30歳を過ぎたころでしょうか、NHKのFMで武満徹の特集が組まれた時、流れ出てきたこの歌に打たれて息が止まるほどの痛みを覚えました。それからですね、この歌はベトナム戦争当時にファッションとして垂れ流された夥しいエセ反戦歌と決定的に異なると思ったのは。

 RIMG09040399.jpg

 「アムステルダム」はもう別府さんのオリジナルと言っても良いですね。白眉です。「百万本のバラ」はYouTubeを通して名刺のようになっていますが、僕には「アムステルダム」が別府さんのそれのように思えます。あのエネルギー、緊張感、とても素晴らしいです。

 それからこの日、僕の大好きな歌が披露されました。
 「悲しみのソレアード」です。昔に「カックラキン大放送」と言うのがあって、そのエンディングにも使われていたのですが、非常に美しいメロディです。
 ミレイユ・マチューのアルバムにも収録されていてカセットテープに録音し飽きることなく持ち歩いていました。ここでは別府さんがオリジナルの訳詩をつけて日本語バージョンで紹介していました。
 ミレイユのヴァージョンではイントロに合わせて語りが入っていました。

 ラストは「Commet Toi」です。「マイ・ウェイ」と言ったほうが名が通っていますね。

 アンコールは「The Water Is Wide 」。
 ケルト民族の伝承曲。カーラ・ボノフの少しハスキーな淡々とした歌声に心惹かれて、幾度もコピーして歌っていましたね。これも高校時代の懐かしい思い出です。

 コンサートの最後に「やっとノってきて、これからというところでコンサートの終りの時間になってしまうのが残念」とコメントしていらっしゃいました。きっとそれは聴く側にいる僕たちも同じ気持ちです。ずっと生の別府さんの歌を聴いていたい、そう思うのに嘘はありません。

 12月26日にも神楽坂でコンサートをお開きになるそうです。楽しみですね。気がかりなのは年末に掛かっていることでしょうか・・・。

 RIMG09040401.jpg

 この日の特記事項を忘れてはいけませんね。
 ベースを担当された中村新太郎さんです。
 音運びが丁寧で、いぶし銀のような演奏かと思えば、若手にも勝るパワーで弦を弾きます。
 ぱっと見は強面に思えたのですが、演奏に入ると愛おしそうにベースを弾くんです。
 ピアノの上田さんとアイコンタクトをとっていた表情も印象的で、ビル・エヴァンスとエディ・ゴメスのように思えました。
 それと、ビルの代表曲である「ワルツ・フォー・デビィ」。
 別府さんならすごく素敵な歌詞をつけてくれそうな気がします。別府さんの声であれば英語詞でも十分に魅力的なのですけど。

 
 

 

 
  

テーマ : ひとりごと…雑記…きままに
ジャンル : 日記

sidetitleプロフィールsidetitle

otosimono

Author:otosimono
全く役に立たない独り言です。

sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle最新トラックバックsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitleFC2カウンターsidetitle
sidetitleカレンダーsidetitle
08 | 2015/09 | 10
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleブロとも申請フォームsidetitle

この人とブロともになる

sidetitleQRコードsidetitle
QR