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装飾的奇想絵画~駕籠真太郎~

 kago010137.jpg 「金魚」(ペン、水彩)
 
 僕が駕籠真太郎作品を初めて目にしたのは、太田出版から「喜劇駅前虐殺」というコミックが刊行された翌年、つまり2000年のことになります。
 それは書店ではなく、得体のしれない缶詰とか、キモカワ系のマスコットとかを扱っていたキワものバラエティグッズのお店でした。

 kago0392.jpg 「喜劇駅前虐殺」

 きっちりとシールパックされたその本の表紙を見て何を思ったのか、どう感じて意思決定をしたのか不明です。気が付いたらレジ前に立って会計をしていたというところでしょうか。そんな不可解な購入動機が相応しいとも言える駕籠真太郎作品との出会いでした。
 会計後、近くにあったフードコートでアイス・キャラメル・オ・レを飲みながらページを開いた途端、さっと辺りを覗い「覗き込まれでもしたらマズイ」とさりげなく表紙を閉じて、「家で読もう・・・」となったのを鮮明に覚えています。
 この系統の漫画は丸尾末広、伊藤潤二、花輪和一などの名前が挙がります。
 早見純もいますが、彼の作品は猟奇的ではありながらもっと抒情的ですね。
 駕籠作品も同じジャンルに属してはいますが、いずれとも異なる世界を築いていましたね。先ずストーリーを要約出来ない、というか、するのが無意味という作品でした。
 内向的な嗜虐性を煽ると言うのか、実際には行動に及べない暴虐的感情を眠っている世界で実現するような感覚がありましたね。夢のなかでひたすら暴れて、目覚めた時に動悸が残るほどの感じです。
 その混沌は丸尾作品にある大正時代的なものではなく、第二次大戦末期からの昭和にあったような気がします。
 戦時狂気のPTSDを負った人物が高度成長を遂げた社会の亡霊として隣にいる。そして、それは実際には戦争体験のない子や孫にまで記憶の遺伝子として引き継がれ暴力的な不条理のキャリアーとなっている愚かしさと怖さがありました。
 以後も僕は駕籠作品を読み続けました。「パラノイア・ストリート」「奇人画報」「万事快調」「殺殺草紙」などから最新刊「恋の超時空砲」まで。

 kago0388.jpg kago0387.jpg 「鯛」「ヨーヨー釣り」

 いつ頃から駕籠真太郎さんがタブローのイラストを主体とした個展を開いていたのかはわかりませんが、ギャラリーの方によれば4~5年前から特に精力的に取り組みはじめたようです。
 僕がその活動を知ったのは全くの偶然で、アポ時間待ちでぶらついていて、通りがかりのギャラリーの扉を押した時のことでした。
 展覧会のタイトルは忘れました。
 駕籠さんのほかにも数人が出展していました。写真や造形作品も混ざっていた気がします。
 入ってすぐ右側の壁に、頭がパーティークラッカーのように爆発している女の子の絵が目に入りました。「駕籠真太郎式美少女絵」の表紙作品だったと思います。その女の子の幸せそうな笑顔が印象的でした。
 この時に初めて僕は駕籠さんがタブローを手掛けていることを知ったのです。

 kago000001.jpg 画集「駕籠真太郎式美少女絵」

 以後、僕は駕籠さんのタブローに嵌まり込んでしまいました。
 漫画ではない、単独のイラストが表現する世界にストーリー作品以上に惹かれたと言っても過言ではありません。
 何よりも女の子たちに暗い表情が少ない。と言うよりも底抜けに明るいと言ったほうが良いでしょう。その明るさは救いでもあると思えるのです。明るさがエログロさから作品を遠ざけている。多少の違和感があるものの、それらは可愛い女の子のポートレイトなのです。

 kago0138a.jpg kago0138.jpg kago0139.jpg kago0140.jpg 

 1)「お医者さんごっこもリアリティを追求しなくちゃ」
 2)「キャンディ」
 3)「楽しいパーティー」
 4)「水泡」
 (いずれもペン、水彩)

 最近の駕籠作品は初期のタブローに比べ色彩について敏感になってきたと思います。それは北斎のようにダイナミックで、雪岱のように繊細な表現を伝えてきます。
 そして一枚の絵に小説的な背景を持たせる試みをしている作品もあります。
 仲の良い姉妹がある日、飲酒運転の車に轢かれて無残な姿になります。それを医者が接合し、一人の姿かたちを作ることに成功すると言う「三姉妹」は続きを見たくなる作品です。
 これは単独作品だからこその魅力で、リドル・ストーリーのように観る側に想像をさせるのです。
 弁士がいた頃の活動写真のように文字を仲介として場面を抜き出し、連作にすることには向いているとは思います。

 kago0136.jpg 「三姉妹」(ペン、水彩)

 先日まで中野で開催されていた個展では「夏祭り」がテーマだっただけに、その色彩は更に艶やかさを増しています。

 kago0385.jpg kago0386.jpg 「三人娘」(ペン、水彩)

 グロテスクな表情と共存する繊細な色彩を多くの人に見ていただきたいと思います。
 日常はグロテスクなもので溢れ返っています。それを取り出して僕たちに美しさを見せてくれるのが、駕籠真太郎という人の作品だと思うのです。

 kago0390.jpg kago0384.jpg 「恋の超時空砲」  

 「恋の超時空砲」のカバー、表紙と表紙原画です。表紙の絵はペンのみで書かれたモノクロ作品です。

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 「恋の超時空砲」収録の「白い糸」の扉と原画(ペン)。
 ピアスの穴を空ける時に白い糸が出てきて、それを切ると失明すると言う都市伝説が10年ほど前にありました。それをパロディ化した作品です。

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 8月30日に東京ビッグサイトで開催されるコミティアにも駕籠真太郎さんはブースを出されています。スペースナンバーは「ほ16b」です。お時間がありましたら立ち寄ってみてください。
 コミティアの熱気には、コミケとはまた違ったものがあります。それを感じるのも楽しいですよ。

 kago103851.jpg kago0389.jpg 「温泉」


 

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栃木の教会~宇都宮・日光~

 先日は手抜きのぶらり記事を書き捨てるようにアップしたきりで申し訳ありませんでした。
 正直、体力がもう底をついていたもので内容を整理して書き切る気力を失っていました。まだ復調してきませんね。やはり寄る年波ということでしょうか。
 今回は、栃木にある教会を3か所ほどご紹介します。仕事で別の建物の取材にいった途中に足を延ばしたものですが、建築物として非常に美しいものです。ガイドブックなどにも記載されていますのでご存知の方も多いと思います。ですから解説などは省かせていただき簡単に添えておくに留めます。


 日本聖公会宇都宮聖ヨハネ教会礼拝堂(国登録有形文化財)
 栃木県宇都宮市桜2-3-27 TEL028-622-0335

 1911年に認可された教会で、1933年の竣工。設計は、上林敬吉。
 奇跡的に戦禍を免れ、大谷石造りの建物は当時のまま保存されています。但し、併設の幼稚園と敷地を共有しているため普段は見学できません。
 僕が行った日は当然ながら夏休み中であり、事前のアポイントもしていなかったため外観を見るにとどめました。
 建物のベストショットは園庭内から撮ったほうが好いですが、くれぐれも無断で敷地内に入らないようにしてくださいね。
 
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 カトリック松が峰教会(国登録有形文化財)
 宇都宮市松が峰1-1-5 TEL 028-635-0405 

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 大谷石張りのロマネスク・リヴァイヴァル建築の教会としては国内最大級、かつ、コンクリート製の教会としては国内最古。
 ロマネスク・リヴァイヴァル建築というのは19世紀末に流行した設計で、ロマネスク様式(11世紀頃)のアーチや装飾を単純化したもの。
 1932年に竣工。設計は、マックス・ヒンデル。建物はコンクリート製で大谷石を仕上げに使っています。
 昭和20年7月の空襲により大屋根が焼け落ち、2年後に修復されています。礼拝堂内のパイプオルガンは昭和51年に設置されたもの。

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 日本聖公会日光真光教会(県指定重要文化財)
 栃木県日光市本町1-6 TEL028-622-0335

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 聖公会はイギリスの宗教革命から生じたキリスト教の一派でアングリカン・コミュニオンとも呼ばれています。英国国教会と言ったほうがわかりやすいかもしれません。
 日本聖公会はその派を担う形成団体のひとつです。
 竣工は、1914年(大正3年)。設計は、立教学校(現、立教大学)の第3代校長ジェームズ・マクドナルド・ガーディナー。
 教会の資料によれば日光で初めて礼拝が行われたのは明治8年の8月で、日光観光に来ていた外国人聖職者がその通訳に伴った学生二人と中禅寺湖の宿屋で聖餐式を行ったと言うことです。
 ガーディナーが教会を建てたのは明治32年。現在の真光教会がある場所から少し離れた木造建築によるものでした。その後、日光が観光地として栄えるに従い、外国人の礼拝も多くなり手狭になったため現在の地に移転しました。
 建築様式としてはゴシック・リヴァイヴァルに属します。外壁は安山岩の乱石積み、内壁は板橋石の平張り。
 ガーディナーはその妻、フローレンスとこの地で出会い、同じ時を過ごし、今も寄り添うようにしてこの真光教会の聖書朗読架前の床下に眠っています。
 真光教会では信徒でなくても結婚式があげられるので、その趣のある佇まいとガーディナーのロマンスのため多くのカップルが利用しているようです。
 愛の絆は先人に由来するようなものではないとは思いますが、そこは未来へのお守りと言ったようなものでしょうか。そのご加護のほどは置いておいても、このような教会で式を挙げられるのは素敵ですよね。

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 この日の遅すぎるランチ(既に4時)は、日光金谷ホテルのラウンジ「メイプルリーフ」で摂りました。頼んだメニューは、大正時代のカレーのレシピを再現した「百年カレー」です。肉は鴨を選びました。

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 松が峰教会で見つけた聖書の言葉です。
 マタイ6章第34節からの抜粋。

…明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。…

 素晴らしい天のお言葉でした。

 

 
 

 

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或る阿呆の一日~押上、曳舟、向島あたり

 中野を出て浅草橋で仕事を済ませてから押上に向かいました。
 もう絶対に足を向けないつもりだったのですが、ちょっとした出来事から気分の変化があって降りてみる気になったのです。
 いやしかし再開発の波というのはすごいものですね。街が変わり過ぎてしまって市街案内図を見なければ自分が住んでいた町の方向すらわからなくなっていました。
 地図で現在地と目的地、それからおおまかな道路を確認してから歩きだしました。ここから曳舟をまわって向島まで行くのですが、行けども行けども見覚えのあるものがありません。辛うじて昔からある町医者の看板を目にしてほっとする始末です。
 まあ仕事も済ませたわけですから慌てず、迷子になりながら歩いてみようと、コンパクト・カメラを片手にふらりふらり。とりあえず目指すのは京成曳舟駅と水戸街道です。
 ↓途中でみつけた手作り雑貨屋さんの前にあったお人形です。民家を改造した手作り感満載のアクサリー店。掌に載る小さな雑貨は見ていて飽きないですね。作るのが好きな人だったら時間を忘れてしまうんでしょう。
 
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 手作り雑貨ギャラリー・coneru
 墨田区押上1-29-9. TEL:03-3626-5360

 途中、ローソンがあったので別府葉子さんのコンサートチケットのことを思い出し、購入。
 秋の東京定期公演です。春は体調不良でいかれなかったので今回は頑張って聴きに行くつもりです。

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 別府葉子シャンソンコンサート
 2015年9月4日(金) ルーテル市ヶ谷ホール

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 京成曳舟駅手前で見かけた再開発で取り壊し中の雑居アパートに入っていたクリーニング屋の煙突です。建物の背後は既に壊され、ここもほどなくして解体されるでしょう。

 そういえばね、地名が変わってしまっていたんですよ。寺島という地名が東向島になっていて、それがすごく広い。その他にも細かい地名が無くなってしまって。ですから地名を見ても記憶と整合しないんです。
 救いは学校名が変わっていなかったことでしょうか。第一寺島小学校とか墨田川高校とか。
 もう他界しましたが僕の叔母は七高(墨高)が共学になった時の一期生なんですよ。それまでは男子校だったから。僕と違って優秀な叔母でした。
 水戸街道にでて地蔵坂商店街の看板をみつけ、そこを浅草方面に戻る形で行ったところで「肉のカリヤ」の看板に出会いました。
 ここの息子さん、僕が小学生の時に通っていた塾の先生でした。大学生のアルバイトで来ていたんです。地元が近いと言うこともあり、縁日ごとに寄らせていただき揚げたてのコロッケをご馳走になったことなど思い出されます。
 今は一番末の弟さんがお店を引き継いでいました。
 生憎とまだ揚げ物の時間には早くて食べることはできませんでしたけど、昔のことをあれこれと立ち話。
 それによると地蔵坂の縁日はもう開かれていないこと、白髭神社の植木市もすっかり聞かなくなってしまったこと、個人商店も姿を消して行き、賑わいが影をひそめてしまったことなど。
 地域コミュニティの役割からすると商店街はとても重要なのですけど残念です。人とのつながりよりも買い物のしやすさを選んでしまうのでしょうね。
 「昔はね、親がこどもを連れて買い物にきていたでしょ。だからどこの子か覚えられたし、お祭りとかあれば面倒も見られたですよね。けれど今は塾とか習い事とかで一緒に連れてること少ないですから顔がわからない。だから何かあっても声をかけることもできないですよ。」
 それは恐らく「かくれんぼ」や「影踏み」を知らないこどもたち、ひとり暮らしの老人、隣人の顔をみずに暮らすアパートの人々といった現代的世間の根でもあるのかもしれませんね。

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 肉のカリヤ 墨田区東向島1-33-9

 思った以上に長話になってしまった「肉のカリヤ」さんを後にして更に向島方面へ。渡った国道六号をもう一度反対側にまわって「鳩のまち」の看板を眺めながら秋葉神社へ。

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 「こんなに小さな神社だったかな」と思いつつ縁起に目をやれば、誰が書きいれたのか説明文に訂正が入っていました。
 漢字がね、間違っているんですよ。小学生並。
 「初め」であるところが「始め」になってる。しかも全部です。その字の横にすべて鉛筆でダメ出しが入っているんです。
 「これを作った方、校正を真面目にやらなかったでしょう?おざなりに読み飛ばすとこういうミスがでるんですよ」と胸の裡で呟く。
 それは自分に言い聞かせている気もしましたが…。

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 かつての友人の家があったあたりを訪ね歩きましたが確信が持てるものはほとんどありませんでした。多くが集合住宅や雑居ビルになってしまっていて。
 歩き疲れてもきたので「鳩のまち」を通り抜けて帰ろうと思い、本所高校前から言問小学校を通り商店街へ。
 角にあったパチンコ屋も、本屋も、レコード店もなくなってしまったし、級友がやっていた洋品店もない。レコード屋さんは当時では珍しい新品サンプル盤なども扱っていて通常より安く売っていたんですよ。
 町会会館の近くにあった、子供会で音頭をとっていた牛乳屋さんも見当たりません。そこのご主人にはベーゴマのまわし方を教わったり、一緒に夏休みのラジオ体操をしたり、お神輿を担いだりもしたのですけど。

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 この辺りはかつては文士も数多く住んでいたんです。吉川英二、佐多稲子、幸田露伴など。その旧居自体は残ってはいませんが説明する看板が立てられています。寺社、公園には文学碑や歌碑もあります。
 仲間内の新年恒例行事だった隅田川七福神めぐりもありますしね。各お寺や神社へ色紙を持って周るのが好きでした。
 僕は今回はそういったものを周る気はありませんでしたが、文学めぐりの地図などもあるようです。
 「鳩のまち」にしても終戦直後は赤線と呼ばれた地域で、附近には娼館も見受けられました。待合茶屋やお茶漬け屋なども隠れ商売をしていたようです。今はそんな痕跡はありませんが。
 そんなことを振り返りながら道を辿ってゆけば、夏の陽が長いとはいえ時間が暮れればそれなりですし、足も痛くなってきました。仕事を終えてからこれまで一度も坐っていなかったことを思い出し、商店街にある珈琲店に入ることに。
 そこはかつて昭和初期に薬屋であったところを喫茶店に生かして使っていました。薬棚や抽斗もそのままです。

 置かれているアデカ石鹸の台は珍しいと思います。
 アデカは大正6年に創業した旭電化工業が昭和22年に新規事業としてスタートさせた化学品部門のブランド銘。親会社の頭の文字をとってつけられています。
 今は古河グループの一企業となり、界面活性剤やプロピレングリコール類等の有機製品の開発から販売までを手掛けています。
 薬戸棚も大変に古いもので大正末に作られたものです。抽斗取っ手金具が2か所ほど代替品になっていますがその他はオリジナルを留めています。

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 ご主人に伺うと開店は九年ほど前。
 引き継いだ当時、店舗は薬屋としては長らく使われていず、埃だらけで掃除にも一苦労したとのこと。
 店内に入り振り返ると、潜ってきた入口には「化粧品 クスリ」という表構えのガラス書きに気づくでしょう。
 飾り棚は薬屋当時の商品棚を手を加えずにそのままにしてあり、「こぐま」さんで使用されているカップなどが販売用に並べられ、ショーケースには日本初の栄養ドリンク「リポビタン液」のアンプルなどが展示されていますので面白いです。
 置かれているテーブルは普通のものではなく小学校などで使われている児童机。
 その理由を聞きましたらご主人のお父さまが学習塾を経営なさっており、丁度、喫茶店の開店時期にその塾を閉鎖したので机などを貰い受け利用なさったとのことでした。

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 古民家カフェ 「こぐま」
 墨田区東向島1-23-14 ℡ 03-3610-0675

 僕はそこで紅茶のシフォンケーキとこぐまブレンドをいただき、今日一日の疲れをほんの少しだけ落としました。

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 最後は「無意味」と思いながらも街道沿いにある「信寿司」に入りました。
 上寿司を頼み、握ってもらっている時に「このあたりでIさんという人がやっていたお寿司屋さんに覚えがありませんか?」と切り出しました。
 ご主人は手を止めてしばらく考え込みながら「うちは昭和56年からやっているけど覚えがありませんね。裏の方にIさんという仕出し屋があったことはありましたけど」と。
 それは僕が探しているものとは違うだろうと言う確信が過りました。
 お寿司は美味しかったです。1600円という値段も手ごろでしたし。今度は食べるために伺いたいと思います。

 信寿司 
 墨田区向島4-8-11 ℡ 03-3622-6787

 さて今日をほぼ歩きつくしました。まだ訪ねたいところはあるけれどお終いにしなければなりません。程よい疲労感と、歩き過ぎた踵の痛みが、僕の一致しない思い出と現実を表しているよう。
 でも行程はこれで終わりではないんですよね。帰宅しなくてはなりませんから。
 「足が痛い・・・」と文句を言いながら、再び京成曳舟駅へと引き返した僕でした。

 思い返せば歩き回って、食べているだけの一日みたいな感じ。
 何をするために歩いたのだか理由もわからない一日。
 けれどこの一日は無駄な時間ではなかったと、どこかで思えるのが不思議でした。

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 ↓残っている力を振り絞って作ったロールケーキ。ただし生クリームが足らずに中身が少な目になってしまいました。

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或る阿呆の一日~中野サンモールあたりで

 午前5時27分。
 それが僕が目覚めて確認した時刻。
 夏の朝は明るいですね。気温も既にそれなりで、お世辞にも爽やかな朝とは形容しがたい暑気を帯びていました。
 「今日も、また、暑くなるんだろうな。」
 少し憂鬱になりながらダイニングに降りて朝食の準備をします。
 キャベツ・トーストとセイロンブレンド・ティー。
 キャベツ・トーストというのは、僕が食欲が無い時にすすんで作る夏向けメニューです。
 先ず薄く焼いたパンにバターとガーリックを塗り付けてから、焼き過ぎないように再度トーストします。そうしたら刻んだキャベツを乗せて、ゴーダチーズとパルメザンを適度に振りかけ、また焼きます。今度はチーズがしっかり溶けるくらいに。
 チーズがたっぷり乗っている割にはキャベツのおかげでさっぱりとしているので食べやすいのです。

 RIMG0148.jpg 朝食

 朝食を済ませた後、朝刊に目を通してから出かける準備。
 ネクタイを締めながら「気持ちだけでも涼しくなりますように」と祈る。
 中野まで駕籠真太郎さんの個展に伺いがてら寄り道仕事をします。仕事の話などしたところで面白くもなんともないので「寄り道」だけを取り上げたいと思います。
 しかし今日はほんとボンヤリしていて、のっけからミスをしてしまいました。行きがけの電車の中、北里蓉子の「寒い部屋」を読んでいて乗換駅である日本橋をスルー。気が付いたら宝町。仕方がないので東銀座で降りて茅場町まで戻り、そこから東西線へ。
 中野駅到着午前11時。サンモールを抜けて中野ブロードウェイにあるギャラリー・リトル・ハイを真っ直ぐに目指しました。
 13日から25日まで「駕籠真太郎個展:日本の夏 奇想の夏」が開催されています。駕籠さんも在廊していらっしゃるのでご挨拶がてら目的物をゲットするために足を運びました。
 駕籠さんについては「喜劇駅前虐殺」「奇人画報」「パラノイア・ストリート」などの漫画を通してご存知の方もいらっしゃるでしょう。しかし個展は漫画ではなくタブローとしてイラストが主体となっています。
 金魚すくいやリンゴ飴、ヨーヨー釣りなど夏祭りの風物詩が駕籠さんの手にかかって明るい猟奇的世界で展開されています。
 ギャラリーの前をこどもが「きもちわるーい」とパッと見の印象を口にして父親と母親に手を曳かれて行きすぎました。それを耳にした駕籠さんは「まあ、あたりまえの感じ方だよね」と笑っていらっしゃいました。
 けどね、駕籠さんの作品をじっくり見ていると「綺麗だな」と感じてくるんです。確かにエログロ的な要素は強いのですが、水彩の透明度のある華やかさと描かれている女の子たちの明るい表情が不思議と不快さを消してくれているのです。
 僕は駕籠さんの漫画作品も好きですがタブローのイラスト作品に触れてからより強く惹かれる様になりました。今回はドローイング作品を含めて6点を入手することができました。僕が持っている駕籠さんの作品はまた改めてご紹介したいと思います。

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 ↓作品制作中の駕籠真太郎先生です。

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 【駕籠真太郎個展:日本の夏 奇想の夏】
 会期: 2015年8月13日(木)~25日(火)
 会場: ギャラリー・リトル・ハイ
     東京都中野区中野5−52−15 ブロードウェイセンター 4F
     ℡ 050(3597)7222  
 
 リトル・ハイを出た後、ちょっと少なめの早過ぎた朝食のため空腹感が増してきたので、同ビル内にある飲食店で何かを食べようと探しておりましたら、香ばしいテンプラの匂いが・・・。
 そこで「住友」という天ぷら屋さんへ。故、青島幸男さんが贔屓にしていたお店だとか。
 夏、暑いと油ものは敬遠しがちなのですが意外に天ぷらとか食べやすいんですよね。

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 天ぷら「住友」
  中野区中野5-52-15 中野ブロードウェイ 2F
  ℡ 03-3386-1546
 
 「まんだらけ」とかアニメ、漫画などのマニア向けショップが犇めき合う中を徘徊し、適度に喉が渇いたところでビルの外へ。
 サンモールを駅方面に戻りかけた脇に「カフェ・ドゥ・スヴェニール」という珈琲店があります。珈琲とスイーツの専門店ですので軽食はメニューにありませんからランチタイムには注意してくださいね。
 そこで苦味の強いケア・コーヒーとベイクト・チーズケーキを注文。
 コーヒーは砂糖、クリームを入れずに、チーズケーキと交互に食べてみてください。相性が非常に良いです。苦いのがダメという方はミルクを入れて召し上がってください。でも砂糖はなるべく少なめに。

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 カフェ・ドゥ・スヴェニール
  中野区中野5-67-12 丸善ビル 2F
  ℡ 03-3228-2821

 医者からやっとOKがでて、久々の外出に気分はちょっぴり Hight。 更に「食べる気まんまん」で出てきていますので、サンモールを中心とした横道を出たり入ったりして時間つぶしと腹ごなしをして、ランチタイムぎりぎりに欧風田舎料理「らんぐさむ」というレストランの扉を押して中へ入りました。
 壁にぎっしりとコルクが貼り込まれている薄暗い店内は、居心地が良いいかにも日本人が好みそうなビストロ的な雰囲気が漂っています。
 僕が頼んだのは豚フィレ肉のロースト、マスタードソース。それにサラダ、ヴィシソワーズ、コーヒー、デザートがついて1000円以内ですからお手軽ですね。
 デザートはプリンとジェラートのいずれかが選べました。僕はプリンを。このプリン自体は甘みが抑えられていますから下にあるカラメルとよく混ぜてお召し上がりください。丁度良い甘さになります。
 ところで、結構、流行っているお店ですのでスタッフの方は大忙しです。中堅以上のフランス料理店の丁寧な接客を求める方には不向きですね。あくまでも庶民的なお店です。味と価格からすればコストパフォーマンス的には十分です。会計はテーブルで済ませる方式ですので気を付けてください。

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 欧風田舎料理「らんぐさむ」
  中野区 中野 5-56-15 三京ビル
  ℡ 03-3388-2025

 下は、この辺りでみつけたもの写真です。

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 もっとうろうろしたかったのですが予定がありまして・・・。
 と言うことで、次は中野を出て押上方面に向かいます。
 では、また明日。

 
 
 
 

 

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野溝七生子「山梔」

 少女小説が初めて登場したのは、明治28年9月号の「少年世界」に掲載された若松賤子の作品である言われています。それまでは少年と少女の別は設けられていませんでした。この号において「少女欄」が設置され、愛国婦人教育のための啓蒙の一環として作品が書かれたようです。富国強兵政策と婦人道徳という社会背景が強く反映された結果とも言えます。
 そして明治35年には「少女界」が創刊され、以後、少女小説という独特の分野が流行していきます。
 明治以降現在まで、吉屋信子、江間章子、森田たま、横山美智子、松田瓊子、円地文子、堀寿子など数多くの少女小説作家が生まれ、川端康成、菊池寛、山本周五郎、吉川英治、檀一雄らも一時期は精力的にこれを手掛けていました。その中でも一際異彩を放っている作家が野溝七生子です。

 野溝七生子は、1897年(明治30年)に姫路で生まれ、1987年(昭和62年)に西多摩郡にある仁友病院で急性心不全により亡くなっています。
 26歳の時に懸賞小説に応募し、それが徳田秋声、田山花袋、島崎藤村らに認められ文壇に処女作「山梔」を飾りました。
 その物語の骨子は彼女が受けた父親からの虐待と家父長制度、男性優位社会に対するレジスタンスです。

 七生子の父親は陸軍士官であり、徹底した利己主義、かつ、封建的道徳に基づく厳格な質で、女性蔑視、効率優先、そして、体罰主義者であったらしく、作中において七生子は父親を次のように描写しています。

…人間としての彼は、しかしどう考えても不具者であつた。彼は所有することを知つて、愛することを知らなかった。欲するものは何をでもつかみ取つた。だがすぐにまた捨てた。生活は放縦になるだけなつていつた。気まぐれで怒りつぽくて、傲慢で自信強い虚栄家であつた。…

 さらに「悪魔の友達のような男」であり、自分の不幸の原因はすべて「他人の故」だと思い、従って自身を顧みて煩悶するようなことは一切しなかった人間であったと続けています。
 しかしながら七生子の父親の本当の不幸は、彼自身が幼少時に継母から受けた虐待が原因であったことにあります。心の裡に形成された子供たちへの体罰の衝動は、彼自身が受けた虐待の体験から引き継がれた報復的な心裡行動であったことです。
 その折檻は常軌を逸したものであり、彼の妻、つまり七生子の母親は子供たちを守るために自分が鬼になることを決断せざるを得なかったほどでした。

…父が、子供を折檻するのは、自分が打たれるよりももつと我慢がならないと母は云つた。
 母の躾が悪いから、父が打たなければならないような子供ができあがるのだと父が云つた。
 以後は、折檻の必要がある場合には、自分でする、決して父の手を煩はしたくないと母が云つた。そして、その聲がどんなに傷ましかつたか。…

 母親は父親の手から敏捷に子供を奪い、自分の手で父親が納得のいくような折檻を加える道を選んだのです。それが子供たちを守る唯一の術だと思えたのです。
 父の暴力から我が子を守るために鬼になる母、その母を憎む子、そして母を憎ませるように仕向けた父への更なる憎悪。
 このような家庭環境は夫婦や家庭というものに対する概念を屈折させるに十分過ぎました。
 野溝七生子が生涯を独身で通し、晩年は家さえもたず新橋の第一ホテルに居住し文学研究に没頭した理由もそこに帰結するものではなかったかという気がします。

 「山梔」(春秋社、大正15年初版)

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…「母さん、緑ちゃん、助けて頂戴。」
 と咽喉の引き裂けそうな聲を上げたが答える者はいなかつた。
 子供は時々歔欷りあげては何かを考えようとした。長い間かかつて小さい、可哀そうな頭で一生懸命考えたことは死ぬことであつた。面當に死ぬことであつた。…

 主人公の名は「阿字子」。
 幼い彼女はある夕ぐれ、母親のために美しく香る山梔の花を手折ろうと懸命に手を伸ばしていました。届かなくとも精一杯に。すると、背後からそっと抱き上げてくれた人がおり、振り向くと怜悧な双眸をもった美しい少女がいました。
 これが「調」との邂逅の瞬間です。
 物語前半において調は非常に重要な役割を担います。阿字子に女性の置かれた立場、自由意志の大切さと儚さ、抗うべきものの存在について気づかせて行きます。

 阿字子に自身の過去や未来を重ね合わせていた調は、自分の置かれた抗えない運命を確信してこう話しかけます。

…誰もが、私を意地悪だと知らないほど、私は意地悪なんだから、誰にも云つちやいけないことよ。あなたに知られたことは我慢するわ、どうせあなたも今に意地悪になるにきまつているんですもの。母さんのために私に憤つたあなたは、好い子よ。ずいぶん好い子だわ。でも、いまにあなたは、私のために・・・あなたの為に・・・きつと母さんに憤るときが來ることよ。そして阿字ちやんは少しづつとられて行くんだわ。ずいぶん悲しいことだけど仕方ないことよ。…

 ここに言う「とられて行く」とは紛れもなく女性としての自由意志と可能性のことです。進路、嗜好、恋愛を含めて。
 阿字子は、自分や姉の「緑」、調が見ていた理想を、好いものだけを素直に吸収して行く妹の「空」の純粋さの中に見出します。そして自分自身を顧みてこう呟くのです。

…私は、もう駄目だ。汚れてしまつてゐる。人間は、どうして生まれたままの魂を持ち続けてゆくことが出來ないのか。もし、悪いことを知つても、知つたということに止めておけば好いのではないのか。知つたということが、行つたということになるほど、人間は、悪いことを行おうとしてゐる。こうして悪い意志ばかりが、どんどん殖え充ちて行くのだ。…

 阿字子は理不尽に自由意志を棄てさせられる女性たちを見送りながら、自分だけは流されまいという信念を持ち続けます。そして、自分が置かれた環境に抗うためにはその庇護の許にあるべきではないと決意し、独立して生活することを選択します。つまり父に対抗するためには一切その世話になるべきではないと。

 成長してゆく阿字子は様々な出会いと別れを繰り返し、自身が抗うべきものの正体を突き止めて行くのです。
 「家長」という地位を失った父に対する憐憫は阿字子に家族愛を喚起させ、反して、敬愛していた兄が地位を得ることによって変貌する様に「家」という呪縛を更に憎むようにもなります。 
 性別を問わず自由意志に基づいて生きられる幸福を追求する阿字子の姿は、傷つき心を閉ざして行く闘いの過程を描きだします。そして彼女が真に自由に生きるためには孤独にならざるをえなかった結末を突きつけてくるのです。 

 「山梔」を書いた26歳当時の七生子、また、少女時代の彼女は何に憧れ、何を求めていたのか、この作品はその生い立ちを吐露しただけではなく、その時代に置かれた多感な少女の心理を巧みに描いた少女文学の稀有な結晶です。
 この作品をお読みになる時には、登場人物の名前にも注意を払って読んでみてください。伝わってくると思います。
 風にそよぐ優しさと動きの象徴としての「緑」。調和、調えるという以外に伝えるという意味をもつ「調」。すべてを受け入れる無垢を示す「空」。そして、五十音の最初の文字に込められた先駆者としての「阿字子」。その他の人物の名前にも名付けられた理由が存在しているのです。それらの解釈は作者以外には「正解」というものはないでしょう。けれど推測して行くという大切さが必ずあるのです。

 「山梔」は大変面白いのですが、小説として読み切るには非常にエネルギーを必要とする作品です。
 僕としては、佐香厚子さんか、萩尾望都さんがコミカラズしてくれたなら良いなと思っているのですが難しいでしょうね。

 RIMG0166.jpg 扉・奥付


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