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雲雀

 如何お過ごしですか。
 空にはもう夏の気配をさせる雲が浮かんでいますね。
 僕は体調を崩し、起き上がれない朝を迎えています。
 何とか窓を開けて風をいれるのですが、ここから吹き込んでくる風は野をわたるものと違い、世間の雑事の音を連れてきます。
 そんななかで雲雀の声を聞きました。
 どこか高い空から澄んだよく響く声で、夏を囀ります。
 雲雀が鳴くのは太陽が高くのぼってからだと思っていたのですが、割と早起きみたいです。それともこの彼が珍しいのか。
 その声が聞えなくなるまで耳を澄まし、その後でモーツァルトのピアノコンチェルトをかけました。
 少しでも体が動くようになったら仕事を片付けに入ります。特に人との約束は違えられないので、重い体を引きずり起してでも行かなくてはならないから。
 グレゴリー・ザムザになりきれるならそれも好いかもしれません。

 音楽は、ここ最近はずっとモーツァルトです。
 特にピアノコンチェルトは初夏に似合う気がします。
 今も Piano concerto 15番が流れていて 第2楽章 Adagio に入りました。
 やがて11番、23番と移っていきます。
 ピアニストは、Derek Han です。

 雲雀の話に戻りますが、君は「ひばりのす」という詩をご存知ですか。

 ひばりのす
 みつけた
 まだたれも知らない

 あそこだ
 水車小屋のわき
 しんりょうしょの赤い屋根のみえる
 あのむぎばたけだ

 ちいさいたまごが
 五つならんでる
 まだたれにもいわない (木下夕爾)

 子供の頃の秘密の多くは宝物でした。
 大人になって抱える秘密の多くは後ろめたさと他人のゴシップばかり。
 わかりあえた振りをするために強要された王様の耳です。

 木下夕爾は俳句も作っていて、僕は次の句が好きです。

 かたく巻く卒業証書遠ひばり

 卒業という学生の門出とひばりの囀りの爽やかさが重なり、映像のようにその場面が心に浮かんでくる句です。
 卒業証書を胸に抱いて学校からの帰路についたのはついこの間のような気がするのに、季節はそれを惜しむことなく遥か彼方へ押しやります。
 時間は何も解決しません。
 ただ遠方へ流し、不分明なものにしてしまうだけです。
 そこにあったはずのものさえ、自分だけの記憶に変えてしまう曖昧さを増すのみです。
 
 体調が回復し、GWの賑わいも収まったら鎌倉へでも出かけてみようかと思っています。
 まだ紫陽花も咲かないので人もそう多くはないでしょう。
 写真を2枚添えておきます。
 ちょっと前に立ち寄った小湊鉄道の上総鶴舞の駅です。

 それでは、また。

 上総鶴舞01 上総鶴舞00


 
 
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遠回り

 今日も好い天気でしたね。
 明日からGWですが君は何処かに出かける予定はあるのでしょうか。
 ゆっくりと休日を楽しむというのにはこの時期は不向きかもしれませんが、日頃の疲れを少しは紛らわせるといいですね。

 昨日、仕事を一区切り終えたので遠回りをして土手沿いを歩いてみました。
 日は西に落ちかけ暑さも和らぎ、風は少しだけ春の名残を含ませるかのように肌に冷たく感じられました。
 とぼとぼと自分の影を見ながら、ここ数日の出来事を思い浮かべて。
 何の解決にもならなければ、自分を慰める事さえできないのだけれど、いろいろなことが雑多に胸の内に浮かび上がり、靴に弾かれた小石のように川のなかに沈んでゆきました。
 川は夕陽を照り返すことなく黒く流れ、そう見えるのは僕自身の負い目がそうさせたのでしょうか。
 今日が終わることに対する当たり所のない苛立ちと言葉にならない感情を抱え、通り道に生えていた背丈ほどの草を引き抜きました。
 僕のなかにある不可解な悔しさはその行き場を知らず、手に触れたものを傷つける事しかしないのです。
 手には草の匂いが滲み付き、それはマクベスの妻のように夜毎に浮かび上がる悪夢となるかもしれません。

 ところで君はずっと前に「サンタクロースなんて信じないけど神様はいるのかな。どう思う?」って言ってましたね。
 その質問は今でも心のどこかにありますか。
 僕は常日頃から信仰心を持ち合わせているわけではないし、否定するための回答を理論的に引き出すこともできませんが、すべての願いを諦めようとしたあとに、それでもたった一つだけ願うことが残されているのなら、神様は存在するのだと思います。
 今になって僕がそんなことを思っているなんて君は呆れて笑い出すかも知れないですね。

 早いもので4月も終ります。
 ついこの間までと思っていた君の衿元に巻かれていたマフラーは、既に遠い昔話のように今はひっそりとクロークの中で次をまっているのでしょう。
 帰り道、気の早い小さな薔薇の花を見つけました。
 「薔薇の花が一番きれいに咲くころ、雨の日が多くなるのが残念。」
 君は毎年、薔薇の花を見るたびに口ぐせのように言いましたね。

 まだ時折肌寒さを感じさせる夜も、やがて湿り気を帯びた熱にうかされた体を寄せてくるでしょう。
 僕が何もしなくとも、間もなく虫の音に混ざって去りし日の戯れと過ちの声が聞こえる夏が来ます。
 そして今夜僕は、その夏を迎えることができるだろうか、なんてことを漠然と考えているのです。
 こんなことを言い出すのはおかしいかもしれませんが、もし3カ月以上僕からの便りが無かったら既に存在していないと考えてください。
 これは君に心配させるために言っているのではなく、自然に終りを告げるためのピリオドだと思ってくれればよいです。
 
 佐藤志満の句をふたつ。

 嘗てわが苦しみ飼ひし雛のこゑ幻聴として今夜きこゆる

 おほよそに現に遠きよろこびとおもひてさめしあかつきの夢

 いずれも昭和30年に発行された「草の上」という歌集に収録されています。

 それでは、また。


 
 
 

潮流

 お変わりありませんか。
 今日も好天に恵まれましたね。
 陽射しを恋しがっていた分を取り返そうかとするように気温はぐんぐん上昇しました。
 君は一日、どんなことをしていましたか。
 仕事ですか。
 学校ですか。
 お昼休みにはどんなものを食べましたか。
 電車のなかでは何を読んでいましたか。

 一日の流れの中にも、一生のある時期にも、潮流というのが存在します。
 それは、どうしてこうなってしまったのかと嘆く結末をもたらし、時にはサクセスストーリーを作り出します。
 その流れには渓流が海へ注ぐように抗えない力があります。
 けれども行き着く先は選べないとしても、その潮の流れを選んだのは紛れもない自分なのです。
 「すべてはなるべくしてなっている。」
 偶然を必然に結びつけるために思考が存在しているように、潮流によってもたらされる結果には常に意思があるのです。
 最初の意思によって選ばれた何かが加速してゆくのです。
 君が以前言っていたように、加速は飛び立つ時、上昇する時に働くばかりではありません。
 落ちて行く時にも等しく働いているのです。
 その終りが安定であるか、衝突であるかの違いだけです。
 そしてその加速は自分では止めることが、緩めることができない。
 だから僕は流れ着いてしまった場所で考えるんです。
 「これで正しかったのか?」って。

 高校1年の時、国語の教科書の裏見返しにこんな落書きをしたことがあります。

 正午までは
 まだ
 間があると言うのに
 もう午後の日差し
 ああ
 僕の道標が
 倒れ かけている

 僕は自分の落日をその時にすでに感じ、現在への潮流を選択してしまっていたのでしょう。
 この稚拙な数行は以後も僕のなかに居座り続けました。
 警告として。
 僕がそれに気づかないふりをしていただけで。
 
 すみません。
 君にこんな話をするつもりではなかったのです。
 もっと面白可笑しい話を書くつもりだったのです。
 たとえば、初めて女の子と二人で喫茶店に入った時のこと。
 僕は気取って飲めないコーヒーを「ブレンド1つ」とたのみ、大人びた彼女は「アメリカン」と手短に言った。
 「ここのコーヒーっておいしいね」と笑いながら、部活のことや趣味のこと。
 特に僕は音楽のことを懸命に話したんです。
 彼女が「バッハは皆同じ曲に聞こえる」と言ったので。
 後で知ったのだけれど、彼女は苦手なコーヒーを頼んで「私、やっぱり苦いのダメ」って言おうとしていたらしい。
 緊張をほぐすための材料にするつもりだったんです。
 つまりふたりとも飲めないものを無理して飲んでいたってこと。
 分かり合うために過ごす時間を、お互いが張り合うために消費するなんて。
 こんなのでうまく行くわけないよね。
 つまらない背伸びで最初から知り合う機会を棄ててしまっていたんです。

 ダメだ。ダメです。
 笑いようがないですね。
 嗤えるのは僕の愚かしさだけです。
 今日はなにを書いても自分が嫌いになります。
 ごめんなさい。
 出直してきます。

 明日から気温が一気に夏日に近づくようです。
 体調をくずさないように気を付けてください。

 それでは、また。





 
 

約束の日

 如何お過ごしですか。
 2日つづけて陽光を全身に受けるのは何だか久しぶりな気がして、それだけで少し嬉しくなったりもします。今日は夜半からの雨も降りませんでしたし。
 高校生の頃、雲一つない青空に真っ直ぐに引かれた飛行機雲が好きでした。
 あの潔さと誠実さにあこがれて、可能ならばたった一度だけでも、ほんの一瞬だけでも、あの雲のように生きてみたいと思っていたのです。 
 たとえ短い時間で拡散し消え失せて誰の記憶に残らないとしても。
 人はなれないものに憧憬を抱くものですね。
 
 昨日、長野順子さんに依頼していた僕の蔵書票が出来上がってきました。
 秋の個展を控えてご多忙の中お時間を割いて制作してくださったことに深く感謝しています。
 長野さんから蔵書票のイメージを訊かれた時、「書斎、或いは、図書館と少女をモチーフで」とだけお伝えしました。
 長野さんに作っていただくのは初めてでしたが、今までもそうでしたから。
 届いた函を開けて、仕上がってきた作品を目のあたりにした僕の驚きをどう表せばいいのでしょう。
 完成した蔵書票には長野さんから一筆箋が添えられており、そこにはつぎのように書かれていました。
 「少女が昼下がりの書斎でだれかを待っている・・・。そんな事をイメージして描きました。」
 タイトルは「約束の日」です。
 僕は自分のブログに綴ったように「本と少女」に今も囚われ続けているのです。
 偶然なのかもしれないけれど願っていることまでも見抜かれてしまうなんて。

 君も入ったことがあるかもしれません。神保町の「さぼうる」と言う喫茶店の壁紙には、たくさんの落書きや伝言があります。
 そして誰かの文字の下に埋もれていなければ、まだ僕が書いた落書きもあるはずです。
 僕自身、どのあたりに書いたのかも覚えてはいないのだけれど。
 書いたことはいつでも思い出せます。
 「僕はあなたに近づくための勇気を持ち合わせていない意気地なしです。でも、いまでもあなたのことが大好きです。」

 室生犀星の最後の詩集に「昨日いらしつて下さい」と言うのがあります。
 君には余計なことかもしれないけれど一応書いておきます。

…きのふ いらしつてください。
 きのふの今ごろいらしつてください。
 そして昨日の顔にお逢ひください、
 わたくしは何時も昨日の中にゐますから。
 きのふのいまごろなら、
 あなたは何でもおできになつた筈です。
 けれども行停まりになつたけふも
 あすもあさつても
 あなたにはもう何も用意してはございません。
 どうぞ きのふに逆戻りしてください。
 きのふいらしつてください。
 昨日へのみちはご存じの筈です。
 昨日の中でどうどう廻りなさいませ。
 その突き当りに立つてゐらつしゃい。
 突き当りが開くまで立つてゐてください。
 威張れるものなら威張つて立つてください。 …

 あれから遥かな時間が過ぎました。
 昨日へ戻る道は誰もが知っていて、誰も気づいていない。
 僕の悔恨は尽きず、「懐かしい」という言葉ひとつでオブラートに包んで誤魔化そうとしているのです。

 今日は写真を2枚添えておきます。
 蔵書票の写真と庭で咲きはじめたエニシダです。
 この花が散ってしまえば梅雨も間近ですね。
 夏の気配が色濃くなります。
 4月5月はカノンの季節です。
 肌寒さと初夏の暑さと。
 北原白秋はこの時期を「春と夏の二重奏」と評しましたね。
 とても美しい表現だと思います。

 それでは、また。

 蔵書票「約束の日」 エニシダ


今日も、雨模様

 お元気ですか。
 随分と無為に日を過ごしてしまいました。
 それと、ご無沙汰して申し訳ありませんでした。
 理由はいろいろとあるのですが、「実は」、「本当のところは」と言った書きだしに続く言葉はいつだって言い訳にしかならないので止めておきます。
 しかもその言い訳は嘘ばかりなので。
 かといって拝啓からはじまって敬具で終わるようにも書きたくないとは思っていたのです。
 けれども無能は如何様にもならず、あれこれと悩んだ挙句にお決まりのご機嫌伺いの文句で始めるしかできませんでした。
 奇をてらった表現はきっと僕には似合わないので。
 そして次は定型通りに時節の話題に移ることになるのが自分でも情けないです。
 四月になって桜の花も咲き、浮かれだっていたところへ雪が降ったり、長雨が続いていたりしますね。
 「四月の雪」とか、「春の嵐」なんて文字にしておくと大袈裟な小説か映画のタイトルのようです。
 そしてそれらは大概看板斃れなのですけど、現実は花冷えなんて言葉で風流を表す痩せ我慢をポケットから持ち出せないくらい指先まで凍えさせます。
 今日も空は雨模様で、「このまま梅雨入りしそうです」と天気予報に言われれば信じてしまいそうな雲行きです。
 君の町にも雨は降っているのでしょうか。
 君の傘の色は何色でしたか。
 曇り空の水たまりにもきっと映えるような色合いなのでしょうね。
 僕の傘はどこにでも売っている男性がもつには無難な個性のない茶色です。
 確かホームセンターで一本800円だった気がします。
 「頑丈で軽い。しかも安い」とマジックで書かれた大きな手描きのポップが貼ってありました。
 子供の頃は人と違うものを持ちたがったのに今は目立たないものを選ぶようになってしまいました。
 ところで、少し前の今月の11日、秋葉原にある稲森神社の御衣黄桜を見てきました。
 当たり前に見過ごしてきた花ですけど、この日はそれを見るためだけに足を運んだのです。
 そうするといつもとは違った感じで受け止められるような気がしたのです。
 花は満開でしたが、時折落ちる雨と鈍色の厚い雲の下ではせっかくの色もくすんだ印象を残しました。
 「ソメイヨシノが散った頃に咲きはじめますよ。」
 そう聞かされたのは昔のことです。
 もう散ってしまったかなと思っていたのですが、4月の寒さが幸いしてか花は盛りを留めていました。
 御衣黄桜は薄黄緑の八重桜です。
 開花して次第に色変わりし、散るころには薄桜色になり地に落ちます。
 花にしてみれば天気に関係なく命をまっとうしているのに、花見の客には「あまり綺麗じゃないね」などと言われてしまったりするのです。
 僕が花だったら「もう少し明るい薄曇りの日にきて見上げてください。そうすればきっと今より綺麗にみえます」と申し開きをしたかもしれません。
 とどのつまり串田孫一の言葉を借りれば、僕は、「ところで」ではじまって「さて」で終わるような所在ない言い訳しか持ち合わせていないってことです。
 その日のランチは神保町にある「ラドリオ」という喫茶店でとりました。
 ナポリタンスパゲティのセットでした。
 この日、写真を何枚か撮ったのでそのうちの3枚を添えておきます。
 御衣黄桜とラドリオの店内です。
 とりとめもないことばかりですみません。
 でも、そのとりとめもないことの集合が僕の毎日なのです。
 天候不順で体調を崩し易いのでくれぐれもご自愛ください。

 それでは、また。

 追伸

 通りに面した稲森神社の蔵の壁に、左官が鏝で描いた鯉のレリーフがあります。
 とても生気に溢れた良い鏝絵です。
 近くに行くことがあればぜひご覧になってください。

 稲森神社01 稲森神社02 神保町・ラドリオ





 
 
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