スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

郷 正文 「鋸坂迷路」

 郷正文に「鋸坂迷路」という短篇集があります。
 鋸坂(のこんさか)と呼ばれる坂のある小さな集落。その辺鄙な集落の日常でおきた4つの事件を描いています。
 それは閉鎖された部落社会でおきた、極めて個人的で善悪といった判断さえ覚束ない、心裡の陥穽に堕ちてしまった個々の人々の断片の物語と言ったほうがいいのでしょう。
 もしくは、現実に起こらないとも言えない暗い童話と捉えることもできます。
 全四話で構成され、一部に名前の重なる人物はいますがそれが同一であるとも言えません。各々の主人公は異なり、繋がりを持ってはいません。
 共通するのは鋸坂という生活圏を示す象徴のみです。
 各話とも明確な結末は書かれていず、読後に委ねる形で締めくくられています。そこにも童話的な怖さが隠れている気がします。

 鋸坂迷路 (皆美社、1994年初版)

 各話の粗筋を簡単にご紹介しておきます。

 「鋸坂迷路」

 個人的には何の交渉を持たない相手から不意に身に覚えのない話が持ち出され、それが相手の誤解であるか妄想であるかは別として、いずれにしても事実ではないことがわかっていながら、わずかばかりの呵責を隠蔽しようとして追い込まれてしまう。人はそんな愚かさをどこかにもっているものです。
 誤解を解く手立てはどこにでもあったのに、後手に回ることによってその術を封じられてしまうということは良くあることです。
 この第一話はそういったことから、一人の男のそれまでの日常が崩壊して行くさまを追っています。

 鋸坂のある町の商業高校に赴任してきた松園は前任地で理恵子という音楽教師と一度だけ関係を持ちます。周囲には知られるはずもないことでしたが、理恵子を敵対視する婚期を逃した久美子という女教師がふたりの挙措の変化を敏感に感じ取り、そこに逆恨み的な怨恨の種を生じさせます。
 そして、あろうことか松園が転勤した後、鋸坂の自宅に夜中、「あなたとは一度だけだったけど、楽しかったね」という電話がかかってくるのです。
 電話を受けた松園は理恵子とのことを思い出し、動揺し、誰からだったのかという妻の問いに「それがよくわからないんだ」と答えます。
 その不自然な一言が妻や息子の疑心を生み、家庭や職場に繰り返される久美子からの電話が説明責任を果たせない松園に不利に働き、あらゆる防御の試みが後手となりついには家庭を失います。
 わずかな呵責と逡巡がそれまで築き上げてきたはずの信頼を崩すのです。
 それは所詮、借り物で、円満という砂絵だったのかもしれません。

 「鋸坂淡月」
 
…裏の暗い厩で、藁を敷いた地面を、何度も蹴るひづめの音が聞え、たてがみと太い首をゆすって、身震いしながら、鼻を鳴らす、馬特有のぶるるという振動音が響く。芳男には、厩のその光景と音とが、浅い夢の表面から、現実の暗闇の中へと、目覚める瞬間に、同時に訪れた。…

 目覚めた芳男は隣に寝ていたはずの母親がいないことに気づき、急ぎ探しにでます。行く先の見当もつかず走りまわり、ついに諦め帰宅すると母親は既にそこにおり、近所の人々の好奇の目をあつめていました。

…「おっ母さんが神経殿(しんけいどん)のごと、なってしまいやったそうじゃが」…

 芳男の実の母親は満洲からの引揚者で、鋸坂に流れ着いたときは口もきけず、身元もわからない乞食女となり、周囲から「神経殿」と呼ばれていました。
 その女がどこの誰の子ともわからない彼を厩で産み落とし亡くなったのち、厩の持ち主であった夫婦に引き取られ育てられます。 
 その育ての母が痴呆となり、徘徊しては誰彼お構いなしに話しかけ、昔の思い出話をし、自分と相手との親交を懐かしむのです。
 そして彼女は最後にはきまってこうつぶやきます。

…「あん頃は、ほんとにおもしろかったなあ」…

 混乱する過去の出来事を人は記憶を頼りに整理して行きます。けれど、その過程で事実は姿を少しずつ変え、ついには自分しか覚えていない出来事をつくりあげてしまいます。その過去に確信をもっているのは自分ひとりだけということもあるのです。
 けれどその錯誤、或いは、創作を正すきっかけは狂気のなかにあるのかもしれないのです。
 狂気のなかに潜む冴えた事実が一瞬に浮かび上がって来るのです。それを誰も完全に否定することはできないでしょう。
 ここに取り上げられた「正気」と狂気の中の「善良」は、最終話の「鋸坂遠景」まで形をかえて使われています。

 「鋸坂幻想」

 十年の刑期を八年で終えて仮釈放された五人が故郷の駅前広場に立った時、ひとりの老人が彼らに向かって散弾銃を発射しました。イサンという一人息子を殺した五人を狙って、父親が撃ったのです。
 物語はイサンという精神に発達障害をもつ青年を中心に語られます。彼は善良な性格のため、村人から鋸坂の先にある加紫久利神社の守り神と呼ばれ愛されていました。
 その彼を酔った勢いで山に連れ込み焼酎を飲ませ、日頃、村人から謗られている自分たちの鬱憤を顕に、嬲り殺しにしたのです。彼等は村人が反対する九州縦断道路の建設作業員でした。

…カエル殿(どん)、スズメ殿、ネズミ殿、ほれ、カエルとスズメ、スズメとネズミ、ネズミとカエル、だれが一番偉かどかい…

 「鋸坂遠景」

…「前の状態の僕は善良だった、て兄さんは指摘したけど、今の僕には死が迫ってて、未来がないから、自分の意思で決着をつけるほうが、人間的にも論理的にも正しいはずだよ。兄さんもそうおもうでしょう?」…

 精神を病み心を閉ざしていた弟がある事故をきっかけに正常さを取り戻します。そして、心を閉ざしていた頃の自分を善に位置づけ、意識が正常に働くうちに自分で自分の結末を決めることが人として正しさだと言います。
 兄は弟の意思を尊重しますが、そこには介護に疲れた現実があることを十二分に自覚し、自問自答します。

…おれは弟を殺そうとしてる。確実に弟の死を援助してる。こんな結末のために、おれたち兄弟は生きて来たんだろうか?そんなはずはない。あり得ない。おれと弟は一体だった。どちらか一方の死はもう片方の死だったし、生きることにしたって、ふたりの人生だった。でも、今おれは弟を死に追いやろうとしてる。…
 
 この短篇集に共通して取り上げられているのは狂気です。
 最初のひとつは悪意の色彩をやや濃くしてはいますが、崩壊の根幹を悪とするなら真実の悪は別のところに存在していた気がします。
 狂気という悪と狂気という善。第二話以降は次第に善悪の定まりが無くなります。忘却や狂気のなかに人としての善意があるかのように描かれている場面があり、また、正常な人が宿している狂気が姿を顕します。例えば、未必の故意も狂気のひとつかもしれないのです。
 そして、この短編集では均衡が崩れる端緒は決まって善の側からで、無垢の側からなのです。

 人は自己認識を働かせる意識下において本質は悪の側にあるのでしょうか?
 善が駆け引きのない愛のあらわれならば、善は無垢のなかに生じ、生きて行く間に付着する汚れによって見えなくなるのでしょう。
 その汚れを知識とか智慧といった呼び方をしたら不遜だと怒られるかもしれないですね。それらがとても脆弱で希薄なものだとしても、人はそれらに依存しなければ社会的存在自体を否定されてしまいますから。
 受け取り方は人それぞれですが、今この時期に読み返すには良い作品だと思います。



 

 

 
スポンサーサイト

MOCOTO 2014 「真琴のあけぼの草紙ー和の姫君たちー」

 高橋真琴先生の恒例の個展がギャラリー向日葵で今月7日(土)まで開催されています。

 今回は「和の姫君たち」と副題にあるとおりに黒髪のお姫様たちが主人公です。
 「さくら姫」「春はあけぼの」などの題がつけられ四季を通じた作品群は先生ならではの細かな時代考察を含み、西洋のお姫様と一味ちがった美しさを見せてくれています。
 1971年の「はちかつぎ姫」、1969年の宝塚公演「青い珊瑚礁」を題材にした作品も展示されており、最新作との比較も興味深いものがあります。

 高橋先生は今回の個展も会期中は常に在廊しておられ、多くのファンの方と接していらっしゃいます。
 個展作品を描くために精魂を注ぎ込み、体力的にも厳しい状況にあるのではないかと察しられ、それにも関わらず常に笑顔で応対なされるご様子に複雑な思いを禁じ得ませんでした。
 お声をかけるのも実に忍びなく、先生からお声をかけていただかなければ僕はそのまま会場を後にしていたでしょう。
 僕のような一ファンにお声をかけていただけるのは非常に嬉しいのですが、先生のファンの多くが望んでいることは「新しい作品を描き続けてくださること」なのではないかと思います。
 そのためにも休養を十分にお取りください。
 今日、先生と交わした一言は僕にとってかけがえのない瞬間ではありますが、生み出されてくる作品に触れる多くの人々の喜びとを比べることはできません。

 今回の作品は「和」に焦点をあてたことによって描き方も西洋のお伽噺のお姫様とは異なっています。
 ここであえて種明かしはいたしません。
 先に書いたとおり背景や服装などにも配慮されていらっしゃいますので、ぜひともそういった部分に注意してご覧になってみてください。
 着物の合わせの色などからお姫様の日常を推測することなど、作品を見る楽しさを感じさせてくれると思います。
 

 会期:5月27日~6月7日(土)
     11:00 ~ 18:30
 会場:ギャラリー向日葵
     東京都中央区銀座5-9-13
 TEL: 03-3572-0830

 
sidetitleプロフィールsidetitle

otosimono

Author:otosimono
全く役に立たない独り言です。

sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle最新トラックバックsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitleFC2カウンターsidetitle
sidetitleカレンダーsidetitle
05 | 2014/06 | 07
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleブロとも申請フォームsidetitle

この人とブロともになる

sidetitleQRコードsidetitle
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。