明石海人「白描」

 白描 (改造社、昭和15年33版)

…毉師の眼の穏しきを趁ふ窓の空消え光りつつ花の散り交ふ

 診察する医師の穏やかな目。
 その穏やかさを映したかのような窓外の空に、花弁は光を浴び点滅するように風をうけて散り去ってゆくのです。
 「穏しき」は「穏し」の連体形。穏やかで落ち着いている様子のこと。
 「趁ふ」は、後をついていくこと。

 明石海人の「白描」はこの句から始まっています。
 初版は昭和14年。改造社から出版されたこの歌集はベストセラーとなりました。
 
 白描とは墨で描いた単色の絵のことを差し、平安末期に写経の下絵として始まったと言われています。
 鎌倉時代末期から室町時代にかけては女子の手習いとして流行し、これは女絵と呼ばれていました。
 後には藍や緑青などの淡彩を重ねたものも白描のなかに含まれてきます。
 白描絵巻の女絵としては「豊明絵草子」という素晴らしい作品が残されています。

 明石海人が、こうした意味を持つ「白描」という題を歌集につけた理由を探りながら一句一句を読んでいると、その慟哭も悲哀も諦観もすべて過度な衣装である修飾を排し、赤裸々な言葉を以て本質のみを伝えようとした気持ちが見えてくる気がします。

…在るまじき命を愛(を)しくうちまもる噴水(ふきあげ)の水は照り崩れつつ

 本来なら命や形をあたえられるべくもない噴水は、それを必死にまもるべく水を噴き上げ続けています。けれどその実はひとつながりの形ではなく、常に崩れ、流れているのです。

 僕という日常も安定して連続したものではなく、もがき続けてようやく形や節度を保っているにすぎないのかもしれません。
 何かの拍子に石ころや枝のようなものが挟まれば、保っていた形は歪に割れてその均衡を失いかねないものなのでしょう。

…ゆくりなく映畫に見ればふるさとの海に十年のうつろいはなし

 何の気もなく見た古い映画の中に遠く離れた故郷の海があった。その海は記憶の形を留めたままで、移ろい来った幾年の変転は感じられなかった。
 
 故郷を追われる人たちがいます。
 ひとところに定住を許されない人々がかつていました。
 帰還を許されることの無い故郷への思いは如何ばかりなのでしょうか。
 人の「ふるさと」とは生まれ育った地であるほかに、自分が心から安らげる地でもあるはずなのです。漂白の身であっても自分を受け入れてくれる場所があれば、それは「ふるさと」と呼んでも良いのではないかと僕は思います。
 そして、いつでも帰ることのできる場所をもっている人は、それだけで幸せなのです。

 秋を詠んだ二つの句です。

…秋ふかき晝のひそけさ膝にくる猫にむかひて物言いひかけぬ

…膝に來て眠る仔猫のぬくもりのそこはかとなき雨の降りつぐ

 秋が色を濃くし静寂が周囲を包み込んでくると、自分ひとりだけがそこに残されている寂寥感におそわれることがあります。
 そんな時、ふと身近にある温もりを愛おしく感じ、その身のいたたまれなさを感じると共に、今感じている体温や感触は生命そのものの寂しさであり、また喜びであり、そんなささやかなものが支えとなってくれることを知るのです。

 明石海人は明治34年(1901年)、静岡県駿東郡片浜村で生まれました。本名は野田勝太郎。
 沼津町立沼津商業学校本科を経て静岡師範学校本科第二部へと進み、静岡県駿東郡原尋常小学校に訓導(教師)として赴任し、以後も学校教諭として勤務しました。
 しかし、昭和元年(1926年)頃からハンセン病の兆候があらわれ、静岡県富士郡富士根尋常高等小学校を退職し、明石楽生病院に搬送され、以後の闘病生活が始まります。
 癩(らい)病と呼ばれ、前世の罪業の因果を受けた者のかかる病、人ならぬ人の穢れの病とされ忌避され差別されてきたことは周知の事実です。
 静岡県御殿場市神山に建てられた神山復生病院をはじめとして、国による強制隔離政策もあり全国各地に設置されました。その大部分は辺鄙な通常は人も通わない場所が選ばれました。
 そしてそこに隔離された人々はもはや世間一般の人とは扱われず、一生を区切られた世界で終わらされることを強いられたのです。

…狂ひたる妻を看取りて附添夫となりし男は去年(こぞ)を死したり

…監房に罵りわらふもの狂ひ夜深く醒めてその聲を聽く

…石壁のかこむ空地の晝の空たまたま松の花がらの降る

 今も方々に療養所の痕跡はあります。
 詳細な記録はその施設の廃止とともに廃棄され、文書として残されている部分はごくわずかではありますが、それでも生き抜いた彼らの言葉として現在に伝わっています。
 明石海人の句もその証言のひとつと捉えることもできます。
 しかし僕は「癩文学」などと言う呼称自体が差別そのものであり、歌の本質を看過する危険性を持つものであると思っています。
 彼の歌は確かに病に基づいてはいます。そして悲惨さを訴え続けたのも事実です。
 けれどもそれは背景を掘り下げるものであり、それのみを表面化したものではありません。
 歌を歌として鑑賞し理解してこそ、彼が「白描」と名付けた歌集の意味がわかるのではないかと思うのです。
 結果、ハンセン病患者の苦渋辛酸が僕たちに伝わってくるのではないでしょうか。
 身近な感覚にある病や孤独に身を置き換えてその立場を理解するしか僕たちには方法はないのですから。

…癩(かたゐ)わが命を惜しむ明暮を子等がゑまひの厳しくもあるか

 病に侵され確実に死に近づく者を案じる肉親の笑みはどこかに暗さがあり固くなってしまうのかもしれません。
 何の気を回すことなく、笑顔で「またそのうち!」と言えることの幸運を僕はきっと忘れています。

 明石海人は叫び続けました。
 僕たちに分る言葉で彼は訴えつづけたのです。
 そしてそれは癩という病を越えて詩情として慟哭を刻んできたのです。

…ありし日は我こそ人をうとみしかその天刑を今ぞ身に疾む

 天の刑は与えられるのです。
 今を生きることに思い上がっているすべての人に、いつの日か。

 彼は言います。

…私自身は人間である以上に癩者です。私が作る芸術品は世にいくらでも作る人があります。けれども、癩者の生活は我々が歌わなければ歌う者がありません。我々の生活を出来るだけ広く世人に理解してもらいたい。癩に対する世の関心を高めたい。自分の書くものが何らかの光となって数万の癩者の上に返ってくるように・・・・。それが私の念願なのです。明石海人などという名がどんなに広まろうとも、そのことは私にとって、何のよろこびでもありません。… 

 最後に、この歌集「白描」の明石海人の序をご紹介します。

…癩は天刑である。
 加はる笞(しもと)の一つ一つに、鳴咽し慟哭しあるひは呻吟しながら、私は苦患の闇をかき捜つて一縷の光を渇き求めた。
 ー深海に生きる魚属のやうに、自らが燃えなければ何處にも光はないーさう感じ得たのは病がすでに膏肓に入つてからであつた。
 齢三十を超えて短歌を學び、あらためて己を見、人を見、山川草木を見るに及んで、己が棲む大地の如何に美しく、また厳しいかを身をもつて感じ、積年の苦澁をその一首一首に放射して時に流涕し時に抃舞しながら、肉身に生きる己を祝福した。
 人の世を脱れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、明を失つてはうちにひらく青山白雲をも見た。
 癩はまた天啓でもあつた。…




 
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御降り

 3日の明け方近く、窓下の花柚子の葉をさらさらと打つ音に気付いて息を白くしながら窓を開けると、ほんのりと霞むように雨が降っていました。
 正月の三が日に降る雨や雪のことを「御降り」と呼びますが、この程度の雨ではそうは呼ばないのかもしれません。

 芥川龍之介は随筆・小品集「梅馬鶯」のなかで御降りの日に家うちで突いた追羽根のことを小品1の中に書いています。

…御降りの座敷に、姉や妹の友達と、羽根をついて遊んだことがある。その仲間には私の外にも私より幾つか年上の、おとなしい少年が交つてゐた。彼は其處にいた少女たちと、悉仲好しの間がらだった。だから羽根をつき落としたものは、羽子板を譲る規則があったが、自然と誰でも私より、彼へ羽子板を渡し易かった。所がその内にどう云ふ拍子か、彼のついた金羽根が、長押しの溝におちこんでしまつた。彼は早速勝手から、大きな踏み臺を運んで來た。さうしてその上に乗りながら、長押しの金羽根を取り出そうとした。その時私は背の低い彼が、踏み臺の上に立つたのを見ると、いきなり彼の足の下から、踏み臺を側へ外してしまつた。…

 少年は龍之介たちの目の前で長押しに手をかけたまま宙ぶらりんになり、それを見た少女たちは踏み台を取り戻そうと龍之介を叱ったり賺したりしたのですが、結局渡さず、ついに少年はぶら下がったまま泣きだしてしまったというのです。
 周りの少女たちから親しくされ人気のあった少年に対する嫉妬心が、龍之介にこうした直截な行動をおこさせたのでしょう。

 自分が今でいう「ぼっち」であったことに疑いを持たない僕は、似たような場面を何度も目の当たりにしましたし、その気持ちもよくわかります。
 ですが僕には龍之介のような意地の強さもきっかけもなかったのでしょう。報復までには至った記憶がありません。根には持ち続けていましたが、場合によっては今でも。
 しかしひょっとしたらその逆恨みを僕が忘れているだけということもあります、都合の悪いことは忘れる質なので。
 そして逆恨みをかった被害者は、不図したことでそのことを苦々しく思い出し、僕を恨んでいるのかもしれません。

 お正月に降る雨ひとつでも思い起こさせるものはあります。
 そういうものは決まって他愛ないもので、自分以外は忘れてしまっているようなことなのでしょう。
 その他愛なさは、時に面白可笑しく、時に嫌悪する記憶として、その度ごとに新鮮な感覚を伴って呼び覚まされるのです。
 そうして、その残酷さをも含めて、思い出という愁のなかに埋めてしまえるのが時の流れなのでしょう。
 つくづく時の流れって不思議に思います。
 感覚は思い出すごとに上書きされていくのに、どんなに望んでも決して現実には手を触れることはできないのですから。
 いっそ嫌なことだけを忘れてしまえれば良いのにとも思います。ご都合主義と笑われるでしょう、きっと。

 「忘れる」で、ひとつ思い出しました。

 「嫌なことを人がすべて忘れてしまったら、心の痛みがわからない人たちばかりの不幸な世界になってしまうでしょう。優しさは痛みから生まれてくるものだから。」

 彼女は確か僕にそう言ったのです。












 

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