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結城信一「鎮魂曲」

…人はなぜ追憶を語るのだろうか。
 どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。-だが、あのおぼろな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。そうした所作は死ぬまでいつまでも続いてゆくことだろう。それにしても、人はそんな反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼する音に気づいて、不安げに首をもたげているようなものだ。そんな時、蚕はどんな気持ちがするのだろうか。… (北杜夫「幽霊」より)

 僕は目を閉じて闇の世界を想像するのだけれど、それが世界の消滅を模したものでもなければ、自分がいなくなった後の世界を予期させるものでもないことを知っています。
 いくら想像の世界を拡げてみても、僕は僕のいない世界と僕だけを残した世界との区別を知ることはできないのです。
 そこに思い描く僕の世界は予測などと呼べるものではなく、プラスにかマイナスにか、悲観とも楽観ともその傾きを定め得ない期待のようなものでしかないのです。

 それから思うのです、人の消滅について。
 生命は死をもって終りを告げるのだけれど、それはその人の消滅を意味してはいないのです。
 人の消滅は死によってもたらされるのではありません。
 人の消滅は記憶の消失によってもたらされるのです。
 亡くなった人をおぼえている者が誰もいなくなったときに、人は消滅するのです。

 記録は記憶とは根本から異なります。
 家系図に先祖の名前を見つけてもそこに具体的な生きた思い出が存在しなければ消失しているのと変わりはないのです。
 ですからたった一言でもいいからエピソードを伝えてください。そうすればそれは語り継がれ、いつしか伝説となり、その人は語られる限り消滅することはないのです。
 データではなく、思い出語りとして温かみを帯びたまま時を越えてゆくのです。
 それが特別の人の記憶だとしたらどうでしょう。 そして、その記憶の反芻はなにをもたらすのでしょうか。
 もし僕の中に(或いはあなたのなかに)、記憶にとどめておきたい特別な人がいるとしたなら、その誰かを忘れたくないという強い思いは、自分が生き続けるということの意思の側面を否定することはできないのです(そうでなければ誰が覚えていてくれるのでしょう)。

 北杜夫の「幽霊」を書架から引き出して一頁目をめくり、冒頭の部分まで読んだ時に、結城信一の「鎮魂曲」が思い浮かび、本を持ち替えました。

 結城信一「鎮魂曲」

 結城信一「鎮魂曲」 (創文社・昭和42年初版)

…夕方、土手の横のだらだら坂を下りてゆくと、草むらの中に星が一つ、青く光ってゐた。どんよりと沈むやうに暗くなってゐたが、このごろ都會特有の空氣の濁りかたで、草むらもしらじらと埃っぽかった。しかし前の日に、短い雨がきて、そのわづかの間に多少は蘇ったらしく、そこから漂ってくる微風が、かすかな冷氣を含んでゐる。・・・・・どうやら秋になったな、おそらく自分にとっての最後の、と私は思った。…

 結城信一は繰り返し繰り返しひとりの少女の影を追い、少女が時を超越して語りかけてくるかのように文章を紡ぎ、そして、それが幻想でしかない現実を噛み締めます。
 その際限のない痛みは、確かに少女が「そこにいた」という証であり、彼の愛情の証であるのです。
 その「少女との愛を自分が忘れてしまったら、いったい誰がその愛をおぼえていてくれるというのか」と、彼は思い出を十字架のように背負い続け、その生涯をかけてひと文字ひと文字綴りました。

 彼は少女と海辺で見た流星を回想します。
 その星たちはひとつが流れるとまるで、その落下に動揺したかのようにつられて流れて行くように見えました。
 少女を失い、ひとりで見上げる夜空に彼はひときわ大きく流れる星を見つけます。
 それは天空を横切り大地に届いたかのように思えるほどの。

…およそ十秒ほども長く流れていた大きな星《十秒といふ時間を、長い、と言ふことが何かのまちがひであるかのやうに・・・・・。そしてその星は、たしかに地上に落ちたのに違ひなかった。》…

 その流れ星は、彼の生涯に落ちた、あまりにも短い、そしてその短さゆえに鮮烈な「少女」の一生であったのでしょう。

 結城信一の小説のなかで姿を変え、いくつもの青春を過ごし、燃え尽きて行く少女は、あくまでもたったひとりなのです。

 躊躇いが罪を生むことがあります。
 誰もその罪を言い当てることはできませんが、本人の心の奥底で塊となって圧し続けることがあるのです。

 彼は夢を見ます。
 白い道の向こうに消えては現れ、遠ざかっては寄せてくる波の幻影のような少女の姿を。

…道の向こふに遠ざかってゆく姿の消えないうちに、と私は必死で呼び返す。すると、同じ表情で戻ってくる。ね、教えてください、どうしてそんな顔をしているのです、あの向ふに、何があるのです。・・・・・だが、やはり黙っている。そして、細い指にはさまれた鉛筆で、地圖を書く。その紙片をのこしたまま、また私から離れてゆく。私には地圖の意味が分らない。靑寫眞のやうな線でみごとに書かれているので、よけいに分らない。…

 少女が過ごすはずだった時間、多くの分岐点をその先に見るはずだった短い生涯を、そして、《愛を語り合へる相手なしに生きてゐることは、それがどんなに美名を持たうとも、つまりは薄汚い生存に過ぎない》という悔恨と罪悪を彼は書き続けました。

…窓から星がとてもきれいに見える、見てゐたら、二つも續いて流れた、今夜は流れ星が澤山見えるのかもしれない、あの橋の上からだとよく見えるわね。…

 彼は少女の父親から聞いた最後のその言葉を確かめるために橋へと向かいます。
 けれども、いくら歩いても闇夜に吸い込まれて行くように、彼は陸橋には辿りつけはしないのです。

 鎮魂歌・署名 吉行理恵宛署名

 
 
 

 

 


 
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トマト汁粉と蜻蛉集

 トマト汁粉と蜻蛉集というタイトルをつけて書出しましたが、両者にまったく関係はありません。
 ただ単に今日のできごとのなかで「居合わせた」程度のことです。

 かつて「sola」というアニメがありまして、久弥直樹が原作、七尾奈留がキャラクターデザインをし、2007年に放映された作品です。
 阿倍野ちゃこが電撃大王でコミカライズしたり、その他ドラマCDなども制作され、昨年にはブルーレイボックスが発売されてもいます。
 そのアニメの作中に「フォアグラおにぎり」「キャビアおにぎり」などの変わり種の食べ物がでてきます。まあ、この2つについては特別変わってもいませんが。
 鴨のフォアグラはご飯によく合います。塩と胡椒でソテーしてマデラソースか、リッチな方はそれにトリュフの微塵切りを加えてペリグーソースにでもして、ご飯のおかずとして召しあがってみてください。パンよりずっと食が進みます。
 キャビアはイクラやトビッコをおにぎりにもしますから似たようなものです。
 で、さらに作中に「トマト汁粉」なるものが登場します。
 この「トマト汁粉」とはいかなるものなのか?
 ブルーレイ発売時にイベントとして「茉莉の好物“トマトしるこ”づくりにスタジオで生挑戦」というのがありましたが、それとは別に独自の「トマト汁粉」を作ってみました。

 材料は、さらし餡、ギンナン、ドライトマトです。
 さらし餡を温めながら水に溶いてお汁粉のベースを作ります。そこへ適量のギンナン(種ごと封筒か小さな紙袋に包んで電子レンジで1分20秒ほど温めると簡単です)とドライトマトをお好みの量を入れて、すこし煮るだけでおしまい。
 調理時間、約10分で出来上がりです。完成品は下の写真。

 トマトしるこ トマト汁粉

 そこそこ食べられます。お試しあれ。

 で、お汁粉を食べていると、なんとなーく泉鏡花が浮かんでくるんですよ。
 別に鏡花が甘味好きだったとか、お汁粉が好物だったわけではありません。
 借金取りから逃げて大阪へ行き、そこで世話になっている友人に誘われてぜんざぃを食べにいくくらいですから嫌いではなかっただろうけれど、それ以上のことは話題としては残っていないようです。
 とにかく鏡花自身のエピソードとは無関係に、僕のなかでは結びついてしまうんです。これは感性の問題なのでどうしようもないですね、たぶん。
 さて、ではなぜ「蜻蛉集」へ連想が及ぶのかと言いますと、これにも特別な理由はありません。
 恐らく見返しの木版画の謡童子が、どこかの甘味屋の襖か、衝立にでも描かれているような気がするからなのでしょう。

 蜻蛉集02 見返し

 ですが、僕がこの「蜻蛉集」を気に入っている理由はきちんとあります。

 鏡花は雅文で小説を仕立てています。
 物語そのものに魅力があるのは当然ですが、彼が操る言葉のリズム感や独特のルビがそれをより生かしていると思います。
 美文を操る彼の作品のなかでも「妖剣紀聞」の前篇結びの部分は特に美しいと思います(文章というのは人によって好き嫌いはありますから、あくまでも僕が「美しい」と思っているだけで、他の方からすれば「なんだこれ?」となることもあるでしょうけれど)。

 僕が初めて鏡花を読んだのは「龍潭譚」ですが、それ以後、漁るように彼の作品を読みふけった中で、「妖剣紀聞」の次の文章は本当に心を動かされました。

…唯(と)見ると、すらすらと、なぞへの水を流れて來た、杜若の花が、はつと爪立つ、お町の足許を辷(すべ)つて、花を裏返しに翻ると思ふと、瀬を潜り状(ざま)に其の水車に掛つて、くるりとひとつ廻りました。…

 花の流れるさまが目に浮かぶ文章です。
 鏡花のような作品を書くのではなく、彼の表現を真似をするのでもなく、自分ひとりでこんな文章がかけたらなぁと幾度嘆息したことでしょう・・・。

 蜻蛉集03 

 そして、前篇の最終節。
 
…此の日、椿八幡の大銀杏の高い梢に、夕鴉が胡麻を撒いたやうに、バッと騒いで、日は早稲田の森に沈むだ、黄昏時のことであります。
 崖添の垢離場の土手に、朦朧と立った婦(おんな)が一人、帯を手繰つて弱腰をすらりと脱ぐと、捌けて曳いた裳(もすそ)とともに、撫肩をするりと落す。其處に色の燃ゆるやうな姿が見えたが、其も瀬の影に奪はれると、ただ引結ふたは腰ばかり、眞白な雪の膚が、角ぐむ蘆に膝から消えて、水に次第に沈む胸に、杜若の花を抱いて居て、ふつくりと乳の裏すく流の、やがて、それも沈みました。七日月の廣刃の鎌が閃いて、搔切つたやうに、痛々しくも首ばかり、頬にあてた花も黒髪の鬢はかくれて、瀧が音なく、姿見を並べて掛けると、人を捕る魔の大鉛鉢(おおすりばち)小鉛鉢が、ざつざつと鳴るのでありました。…

 鏡花はロマンティストだったんだと改めて思わせられる一節です。 
 
 文章と言うのはすべてを詩的な文章で綴る必要はないのです。キラッとした一瞬の閃きのようなものがどこかに潜んでいればいいのです。
 鏡花はそれが巧い。
 機会がありましたらお読みになってみてください。

 蜻蛉集01 

 それから、この作品も素晴らしいのですが、先に挙げた「龍潭譚」はぜひ一読していただきたいです。
 「高野聖」などと比べると作品として未完成な部分もありますが、躑躅(つつじ)の山に迷う様子や龍の姫に抱かれた男の子の描写は素晴らしく、特に物語の結びの一文はきっと心に残ると思います。
 

 最後になりましたがクリマスのご挨拶を。

 Happy Christmas !

 良い一日をお過ごしください。 
 
 


 

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新美南吉「墓碑銘」

 新美南吉が生前に出版した本は2冊のみでした。
 良寛物語「手鞠と鉢の子」と童話集「おぢいさんのランプ」です。
 彼の没後、巽聖歌や与田淳一らの尽力により散逸した遺稿が集められ、大日本図書出版から「新美南吉童話全集」として刊行されました。
 しかしながら彼が書き溜めたものは童話や小説だけではなく、それを遥かに凌ぐ数の詩、或いはその断片があったのです。
 巽聖歌は根気よくそれらを収集し、昭和37年に英宝社より「新美南吉詩集『墓碑銘』」として出版しました。

 新美南吉自身が詩をひとつのまとまった形にして発表しようとしていたかはわかりませんが、昭和7年に「赤い鳥」に「ごんぎつね」「のら犬」が掲載されたのを契機に上京した以後は、童謡の創作に力を入れていました。
 現在残されている彼の詩は確認されているもので180篇を越えており、それらは昭和9年から17年までの間に書かれたものでした。

 詩人としての新美南吉について、伊藤整は「日本の詩が荒廃した極点にあったようなとき、この人はひっそりと生きて、石ころの間に混る宝石のように、本当の詩を書いていた」と述べています。
 また、草野心平は「素朴純粋な、そして、強いヒューマニティがあふれている。それはフルートのような、ハァプのような音楽を奏でて愛(かな)しい。彼の童話作品の傑作も、すべてこの精神につらぬかれて光り輝く。スタイルは一見古風ではあるが、ポエジーの純粋度によってみずみずしい」とこの詩集の刊行にあたって寄せています。

 新美南吉は、自身が詩を書くにあたってどういう胸中で臨んでいたかを窺わせる詩を昭和十四年一月六日に残しています。
 それはアンデルセンの「マッチ売りの少女」に重ねられていて、凍える手で灯されたマッチの中に映し出された幸せな夢を綴りたいと願うものでした。

…われも詩をつくるからには、
 かの貧しき少女がともせしマッチのごとく、
 ひとつの詩には
 全き美しき世界を、
 また次なるひとつの詩には
 また異なれる
 美しき世界をもたらさんには。
 マッチのもゆるひまの短かからむとも、
 ひとつひとつに、たぬしき
 美しき世界をかいまみんには。
               
 身体的に羸弱だった彼が、29歳8か月という短い生涯における晩年に精力を尽くして書き続けた詩は、まさしくマッチ売りの少女が灯した光だったのかもしれません。 
 新美南吉は、生前に師と仰いだ北原白秋が亡くなってからわずか四か月後の1943年(昭和17年)3月22日、結核のため世を去りました。

 昭和十年八月三十一日に書かれた「墓碑銘」という詩をご紹介します。

 新美南吉墓碑銘 (英宝社、昭和37年初版)

 「墓碑銘」 新美南吉

 この石の上を過(よ)ぎる
 小鳥たちよ。
 しばしここに翼(はね)をやすめよ。
 この石の下に眠っているのは、
 おまえたちの仲間のひとりだ。
 何かのまちがいで、
 人間に生まれてしまったけれど、
 (彼は一生それを悔いていた)
 魂はおまえたちとちっとも異ならなかった。
 なぜなら彼は人間のいるところより、
 おまえたちのいる木の下を愛した。
 人間のしゃべる憎しみといつわりの言葉より、 
 おまえたちの
 よろこびと悲しみの純粋な言葉を愛した。
 人間たちの理解しあわないみにくい生活より、
 おまえたちの信頼しあった
 つつましい生活ぶりを愛した。
 けれども何かのまちがいで、
 彼は人間の世界に生まれてしまった。
 彼には人間たちのように
 おたがいを傷つけあって生きる勇気は、
 とてもなかった。
 彼には人間たちのように
 現実と闘ってゆく勇気は
 とてもなかった。
 ところが現実の方では、
 勝手に彼にいどんできた。
 そのため臆病な彼は、
 いつも逃げてばかりいた。
 やぶれやすい心に、
 青い小さなロマンの灯をともして、
 あちらの感傷の海へ、
 またこちらの幻想の谷へと、
 彼は逃げてばかりいた。
 けれど現実の冷たい風は、
 ゆく先き、ゆく先きへ追っかけていって、
 彼の青い灯を消そうとした。
 そこでとうとう危うくなったので、
 自分でそれをふっと吹き消し、
 彼はある日死んでしまった。
 小鳥たちよ、
 真実、彼はおまえたちを好きであった。
 たとい空気銃に打たれるにしても、
 どうしてこの手が、
 翼でなかったろうと、
 彼は真実にそう思っていた。
 だからおまえたちは、
 小鳥よ、ときどきここへ遊びにきておくれ。
 そこで歌ってきかせておくれ。
 そこで踊ってみせておくれ。
 
 彼はこの墓碑銘を、
 おまえたちの言葉で書けないことを、
 ややこしい人間の言葉でしか書けないことを、
 かえすがえす残念に思う。



 

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小松郁子「錯誤」-詩集「小さな部屋」より

 自分が傷つくことが怖くて心を閉じ込め、胸の奥で蟠っている本当に心を押し潰す不安や悩みを打ち明けることもできず、閉じ込められたままで酸欠になり腐敗してゆく「思い」は、自家中毒を起こすガスを体中に充満させてしまうのです。

 「たいしたことないよ、そんなの」と、「気にしない、無視すればいいよ」と、顔のまえの蠅を払うよりも簡単に言われてしまうことが、心底耐えられないのに、そういわれると「そうだよね」と相槌を打ちます。
 心では「簡単にいうな」と繰り返しているのに、それを口に出すことが出来ません。
 他人から見た「ささやかな悩み」は、自分の中で行き場を失くして重さを増していきます。
 真剣な悩みは深刻な悩みとなり、深淵の闇をつくりだしてしまうのです。
 だから安心したくて、良い話ばかりに聞き耳をたてて、幸せな童話ばかりに夢を見て、哀しい物語に涙するのです。
 そうしていると自分のどこかに、ピュアな部分が残っている気がしてくるのです。

 人の輪のなかにいるのは、とても面倒くさい。
 でも、人の輪の外に居続けるのは、それを維持して行くのは、もっと面倒くさい。
 だから、誰もが幸せな顔をして笑っているのだと、自分もつられて笑えていると、「同じもの」を共有している気がして安心したいのです。
 本当は何がそんなに楽しいのかと、どこか嘘っぽい馬鹿騒ぎを見下しながら。

 他人と触れ合わない自分に平穏な時間を感じ、同時に、触れ合わないことで不安な自分を感じて、融合する振りをして、必死に体を動かして、「仲間」を表現しようとします。
 流行にならうのは安心できるのです。
 人と違わないから。

 自分を裏切ったものは、外部の存在ではなく、自分のなかにあるということを承知していながら、誰かに憐れんでほしくて、自分を憐れみたくて、他人に裏切りを被せてしまうのです。

 現実は厳しいものだと誰かが言います。
 では、だから、嘘は優しいのでしょうか?
 それとも、優しいものが嘘なのですか?
 ならば、僕は優しい嘘をつき続けたいと思います。
 自分にも、他人にも、同じように。
 そして、それも、とても面倒なことなのです、おそらく。
 だから、いつの日か、投げ出してしまうのでしょう、たぶん。
 それを破綻と呼ぶかどうかはその時になってからの話です。
 確実に言えることは、すべては錯誤から始まっていたこと。

 小松郁子の詩集「小さな部屋」から一篇をご紹介します。

 詩集小さな部屋 (飯塚書店、1961年初版)

 「錯誤」 小松郁子

 ひとびとはあれこれ理由を考えるのですが
 つまるところ
 彼女は
 あんまりだわ
 を叫びつづけていたのです
 声に出したらもっと我慢できなくなると思って
 <あんまりなので>
 をかみころしたことが
 彼女の一つの錯誤といえます 
 大きな街によくある 
 小さな部屋部屋の中の一つで
 生前 彼女がききみみをたてていたのは
 たしか ひとびとの幸せばかり
 つまり そう つらいことは他人には
 あまりきこえないものですし
 つまり そう 哀れさや みじめさは
 そっと身をかくそうとする卑屈な習性がありますし
 つまり そう 幸せっぽいものばかりが
 キャッキャッと大声を更にあげたてるという誇張癖をもっていますので
 それも致し方ない
 彼女のもうひとつの錯誤といえます
 それを証明するひとびとのことば
 <大声でよく笑っていました>
 <かげのない人でしたがね>
 <不幸せだったのですって?>
              等々
 とにかく彼女はある朝
 ほんのりお化粧をして
 つつましく死んでいたのです
 これは我慢のできる事実ですが
 自殺のあとでは我慢のならない事実
 が徹底的といっていいほど起こります
 昨日までそっぽをむいていたひとびとまで
 より集まり
 哀れみ深い額をよせあい
 心の底から同情深いのにおどろきあい
 <死ぬほどのことがあったのなら
  話せばいいのに
  どうにでもしてあげられたのにどうにでも>
 とぬけぬけといいかわすことです
 これこそひとびとの最も大きな
 許しがたい狡猾な
 錯誤といえます





 

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吉村昭「少女架刑」

…火の色は、華やかで美しかった。
 初めは単純であった炎の色が、私の体に火がつくと、にわかに多彩な紋様を描きはじめた。脂肪が燃えるのか、眩いほど明るい黄味を帯びた炎が立ち、時々弾けるような音がして、その都度金粉のような小さな炎があたりに散った。
 炎の色はさまざまだった。骨からは、ひどく透明な青い炎が微かな音を立ててゆらめき、なにが燃えるのか、緑、赤、青、黄と、美麗な色の炎が、私の周囲をきらめきながら渦巻き、乱れ合っていた。
 私は、色光と色光とが互いに映え合い交差しているのを、飽かずにじっと見惚れていた。それは、一刻の休みもない目まぐるしい変化のある紋様であった。(第5章より抜粋)…

 少女架刑 (南北社、昭和38年初版)

 吉村昭が「少女架刑」を発表したのは昭和34年10月の「文学者」誌上でした。
 献体として解剖される16歳の少女の目を通して、その周囲の状況が語られるという手法がとられています。
 あたかも生きているかのように振る舞う少女の精神は、時に羞恥に晒され、劣等感を抱き、ごく普通の少女として悩み、そして、命ある者と死した者との確固たる差異を語って行くのです。
 その語り口に物悲しさはなく、徹底して冷静であり続けます。
 その冷静さは、死体となった後に標本として皮膚を剥ぎ取られ、臓器を摘出され、ついには研修生の教材として骨髄までバラバラにされて行く少女がその将来に抱く不安やゆらぎと言ったものを淡々と伝えてくるのです。

…今の私は、茶色い肉塊と、薄汚れた骨片の集積でしかなかった。あの背の曲がった老人の手にかかれば、目の前にある美しい骨標本が私で、これからかなりの年月、医学部の教室で立ち尽くしていなければならないはずであった。
 私は、その人骨より自分の方がまだ恵まれていると思った。危うく老人の手を逃れた私の体は、すでに分解されつくしてこれ以上人間の役に立とうとうは思われない。
 自分の体の使命は、漸く終りに近づいているらしい。
 役割が完全に終われば、私にも、漸く死者としての安息がもたらされるだろう。深い静寂に包まれた安らぎが ― (第4章より抜粋)…

 ここに示されているのは死者のそれではありません。
 帯文にある通りに、生きている者が抱いている生の不安そのものだという気がします。
 彼が書こうした現代を生きる人々が持つ病的とも言える葛藤と不安。
 少女の「死から生への眼差し」は、社会という理不尽な力に晒され続けている一般の人々の姿そのものです。
 それを取り巻く環境は、穏やかな海と天空に浮いた巨石に立つ城を描いたルネ・マグリットの「ピレネーの城」のように、或いは、橋上で耳を塞ぎ慄いているエドワルド・ムンクの「叫び」のように、いつ崩れてもおかしくない、紙一重のバランスを保っている状態と同じものではないでしょうか。
 
 吉村昭は学習院旧制高等科一年の時、結核菌に犯されて胸部の手術を受けています。
 当時は結核治療が内科的治療から外科的治療に移ったばかりの頃で、手術の精度自体も不安定なものでした。
 その時のことを彼は随筆の中で次のように述べています。

…まだ手術も試験的に行われていた頃で、私は八十三人目の患者であったが、すでに手術をうけた八十二人のうち、手術中に死亡してしまった者が三人もいた。
 手術は六時間近くかかった。予定より長くかかったためと、局部麻酔だけ(その頃はまだ麻酔薬がひどく不足していたので…)であったため、私は手術の経過を正確に知っていた。妙に明るい白布の中で、冷たい氷の流れるようなメスの感触も一筋一筋はっきりとはっきりと知覚していた。
 骨を切断される時、私は体半分に無数の夥しい針を一斉に射込まれたような激痛で、ベッドの上ではずんだ。
 一本、二本、三本、私はどれほど最後の五本目の激痛を待ったことか。が、そうした痛みの中でも、私は時々自分が屠殺される牛か豚のように思えて、何の抵抗もできずに骨を切られて行く自分の不甲斐無さに滑稽感を覚えた。…

 虚構の世界で展開される少女の独白が持つリアリティは、こうした彼自身の経験から生じていることを否定できないと思います。
 寧ろ実体験があったからこそ虚構の感覚を描ききることができたのではないでしょうか。
 空想だけを根源とする虚構は共感を生まないと言い切るのは乱暴かもしれませんが、やはり現実と言う下地があってはじめて虚構の世界が作り出せるのだと思うのです。

 最終章は焼骨となった少女が両親から受け取りを拒否され、無縁納骨堂に納められる様子を描いています。

…堂の中は、静寂そのものだった。ただ、白い骨壺の列が、ほの白い帯のように幾重にも流れているのが見えるだけであった。
 私の骨は、音のない静寂に包まれていた。
 これが、死の静けさとでもいうことなのか。私は、漸くにして安らぎの中に身を置いている自分を感じた。…

 しかし少女はその静寂の中である音を耳にします。
 その音は古びた棚に並ぶ骨壺の中から確かに聞こえてきているのです。

…ぎしッ、ぎしッ、ぎしッ、その音は次第次第に数を増した。
 私は漸く納得できた。その音はあきらかに古い骨壺のなかからきこえている。・・・・・古い骨が、壺の中で骨の形を保つことができずに崩れている・・・。
 音は、堂の中、いたる所でしていた。それは間断ない音の連続であった。そして、時折、一つの骨体が崩れることによって、骨壺の中の均衡が乱れ、突然粉に化すらしい凄まじい音がきこえることもあった。
 堂の中に静寂はなかった。それは音の充満した世界であった。
 骨のくずれる音が互いに鳴響しあっている、音だけの空間であった。
 私の骨は、その凄まじい音響の中で、白々と身を置いていた。…

 実際には、骨は崩れるときに音を立てはしないでしょう。
 しかしそれを承知の上で、吉村昭は「音」を作り出したのです。
 その音は、ひょっとすると均衡を保てなくなった現代人の心が立てる崩壊の音かもしれません。
 死者の目を通した諷刺は、現実における生の不安そのものに振り回されている僕たちの姿なのです。
 


 







 

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(無題)

 その日の場所がどこであったのか思い出せない。
 木々の葉は既に落ち、葉脈標本のようになった枝の隙間から真冬とは思えない強い陽光が射していたのを覚えている。
 石段に腰かけて、足もとからあがってくる冷たさに膝をきつく合わせて僕はその言葉を聞いていた。
 「思考というものは人間に与えられた最も贅沢な自由であり、またもっとも罪深いものだって思うことない?私はいつもそんなことを思ってるの。つまりね、人は思考することによって現実と言う空間、もしくは時間から逃れたいのよ。いつだってそうするために思考という術を選択し、それによって心を不自由な体から解き放っているのよ。そして、その思考は嘘を生み、罪を生むの。言葉という記号を介してね。」
 彼女はそこで言葉を少しだけとめて「ああ、違う」とでも言いだけに小さく首を振り、言い直すようにまた言葉を紡いだ。
 「世界が記号で満たされているのではなく、記号が私達の世界をつくっているのでしょうね。人間が自分たちの法則によって生み出す記号と呼ばれるもの以前から存在していたもの。生命、万物を構成している記号。そしてね、その記号そのものがある意思を持っているの。記号っていうのが妥当じゃないとしたら信号でもいいわ。いずれにしてもセルっていう単体で最少の存在。細胞のことじゃなくて単に便宜上そう呼ばれているって考えてね。その中には振動、或いは、波というものが詰まっているの。それが、意思、もしくは情報といわれるもの。
 セルはとっても身勝手で、一つのセルには一つの意思情報しかなくて、それが集まって共同体としての大きなセルのコロニーを作り出す。さらにそれが共鳴し合って、自分たちの都合の良い大きな運動体をつくりあげて、個別のセルが有する情報を共有し結合して、あたかもオリジナルであるかのように装って行動様式めいたものを作り出している。人格っていうものもね。
 今、私が話していることも、話しているのではなくて、そう仕向けられているの。今の私は過去の情報の寄せ集めなのよ。私が忘れさせられているだけで。
 だからね、自分がひとつのオリジナルとしての人格であるっていうことがそもそも嘘だって、私は思うの。それは人だけじゃないわ。
 でもそれを知る方法は、不幸にしてか、幸いにしてか、一番身勝手な人間だけにわかりやすい形で与えられた。知能と言語という形でね。
 セルは崩壊と分裂、再生を繰り返し、時間をつくりあげていくの。時間とはセルの連続性によって形成されている相対的な現象のことだわ。そう考えると時間も空間も本当は意思的に創られ、壊されているのであって、コントロールされているプログラムのようなものなの。セルにとってはすべてが実験体みたいなものだわ。
 そう考えることで私は自由になれると思うの。」
 
 1967年、NASAが初めて世に公開した一枚の写真。それが人類が初めてみた地球と呼ばれる惑星の姿だった。
 その地球という最大のセルの集合体は、その皮膚上に繁殖したウィルスの齎す害悪に最終的な意思決定を行おうとしてるのかもしれない。
 人間による人間の絶滅。
 仮に人間と呼ばれるものが全て消滅しても、セルにはその情報が記録され、何らかの形で次世代に伝達されて行き、そしてまた新たなる集合体をつくりあげていくのだろう。
 セルの意思として人間は消去され、地球はリセットされることになるのだろう、いずれは。
 惑星的な時間からみれば僕たちの存在は、その瞬きよりも短いものなのだから。

 僕が彼女の話を突然に思い出したのは、雲一つない夜空を見上げたせいかもしれない。
 まだクォークの先にある存在を知らなかった頃の僕たち。

 僕は思った。
 すべてが滅ぶことと、自分だけが存在しなくなることとは同義なのだろうと。
 僕は僕に認識できるものしか認識できないので、世界の不存在と自分の不存在との違いを区別することができない。
 いずれにしろ僕には後者の選択しかありはしない。問題はそれが「いつになるか」だけなのだ。

 高校生の彼女は僕の記憶のなかでは永遠にそのままで、僕には現在の彼女を想像することもできない。
 僕だけがその相対的な時間のなかで年老いて行く。
 僕は彼女の姿を留めてくれたセルに感謝している。願わくばその記憶を連れたままでと。


 
 


 

 

 

 
  

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ジャンル : 日記

ご訪問ありがとうございます。

 先週末のことになりますが、初芝さんから「Tさんのブログってランキングつけてないんですかぁ?」と言われました。
 自分のブログのランキングなどを気にしたことはないんですけど、ツールバーのところを今更ながらに確認してみました。
 カウンターの設置も随分と遅かったのですけど解析タグはもっと遅くて、更に自分のランキングを見たのは今回が初めてという体たらく。どこまで無関心なんだよ、とちょっと自分に白い眼を向けつつ。

 そこで、せっかく?ですので僕のブログでどの記事が読まれているのかを列記してみようかと思います(あとから解析タグをつけていったので洩れているものもあります)。

 下から行きましょうか。

 10位 お蕎麦を食べに … 印西市『ふくね』(2013-02-04)
 …地元ネタですね。新しくできたお店なので気になっている方が多かったのかな?

 10位 水上澄子『樫の木物語』(2013-02-20)
 …水上さんの作品は宝石です。もっと読み継がれていって欲しいと思います。他の作品もご紹介しようと思っておりますが、現在、部屋の改装中で大多数の本をしまってしまいましたのでもうしばらくお待ちください。

  8位 MACOTO2013 ~ 高橋真琴先生の人魚姫(2013-06-01)
 …高橋先生の夏の個展の記事です。個展以来、お会いしておりませんが、近々、真琴ギャラリーの方へお伺いさせていただこうと思っております。

  8位 わたなべ雅子「聖ロザリンド」(2013-07-12)
 …もう昔の作品ですので最終回が気になった方が多かったのだろうと思います。

  7位 安房直子「初雪のふる日」(2013-04-19)
 …こんな地味な日記を読んでいただけるなんて。もっときちんとご紹介すれば良かったですね。悔いが残る記事です。安房直子さんの他の作品もそのうち取り上げようかと思っています。

  6位 「狼の星座」と小日向白朗(2012-03-05)
 …横山光輝先生の作品は今も人気がありますね。あと小日向白朗の署名が珍しかったのかもしれません。

  5位 閑話休題 “アリスロージュ”(2011-11-14)
 …エピキュート・ギャラリーにSHUさんをお訪ねした時の記事です。次はきちんとアポイントを取ってお伺いしたいですね。この記事のあとくらいからですね、カウンターをつけたのは。

  4位 高橋たか子「誘惑者」(2012-08-16)
 …感覚的な読書感想を離れて、これだけはちょっと職業的な紹介の仕方をさせていただきました。その方がわかりやすいかなっと思って。

  3位 鬼手仏心ー北鎌倉・圓應寺(2011-09-11) 
 …意外すぎてコメントができません。恐らく鎌倉の観光ガイドを検索なされていてご訪問されたのかと思います。

  2位 レディ・ジェーン・グレイの肖像(2011-08-26)
 …これも最初の頃の記事ですね。レディ・ジェーンは僕に大きな影響を与えたひとりでもあります。

  1位 鳥たちの病院(千葉県市川市)(2013-06-03)
 …小鳥の病気について悩まれている方が多いのでしょう。どこの病院がいいのか、口コミを調べておられるのでしょうね。あの小さい体ですから異常が現れたら一刻を争いますから。僕は千葉の鳥の病院しかしりませんが、柏の小鳥の病院も、グリーン鳥の病院も、そして、ここ「鳥たちの病院」も、どの先生にも信頼を置いています。あとはお互いが理解できるかどうかなのでしょう、相性ともいいますが。けれど飼い主が相性で選んでいるうちに手遅れにならないとも限りません。受け止めて理解に努めるのは、やはり飼い主側なのでしょうね。

 とまあ、こんな感じです。
 僅差で11位に「痛Gふぇすた 8th in お台場(3)」(2013-09-29)、「『紅い花』のこと」(2012-02-20)、「高橋真琴先生のお姫様の絵(3)」(2011-05-13)が続いています。
 
 集計対象が7,882件もあって、カウンターもいつの間にか17,372件になっていました。
 ご訪問いただいた方、すべての方に感謝を申し上げます。
 本当にありがとうございます。

 同日に同一IPからのアクセスを重複しないようにカウントしていますので、純粋に延べ訪問数でこれだけの方にご覧いただいているのかと思うと、正直、怖くなります。

 更新に追われて書き散らしたような記事が多くて本当にすみません。
 僕は怠け者なので自分で足枷をしとかないと放置してしまうので…、との言い訳をお許しください。
 きっとご訪問された方の多くが、がっかりなされているのだろうと思うと申し訳なさでいっぱいになります…。

 それにしても、三日坊主の帝王と言われた僕が、曲がりなりにもこのブログを2年半も続けてこられたのは、やはり「読んでいただけているという事実」のおかげなのだろうと思います。

 年内にいくつの記事をアップできるかはわかりませんが、少しでもご訪問いただいた方のお役に立てるようなようなものをと思っております。しかしながら、生来、僕は役立たずなものですから…。

 そんなこんなで末筆ですが、改めて皆様に心からお礼を申し上げます。

 ありがとうございました。

 そして、どのくらい続けられるかわかりませんが、これからも宜しくお願い致します。

 今年も最後の月に入りました。
 皆様方が滞りなく無事に本年を勤めあげ、新しい年をお迎えできるように心から願っております。

 ラスト・スパートも大切ですが、くれぐれもご無理をなさらないようご自愛ください。

 

 
  
 
 

テーマ : ひとりごと…雑記…きままに
ジャンル : 日記

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