小川未明「ある夏の日のこと」

 八月が終わります。
 立秋はとうに過ぎているので暦の上では既に秋のはずですが、まだ夏の名残は尽きないようです。そんな夏の終りに童話をひとつ取り上げます。

 小川未明が昭和16年に刊行した「生きぬく力」という本のなかに「ある夏の日のこと」という短篇童話があります。

 姉が庭を掃除している時にツツジの枝の中に蜂の巣を見つけます。蜂に刺されたりすると面倒ですから「とってしまおうか」と思いましたが、結局そのままにしておくことにしました。そして、弟に知られると「きっと落とされてしまう」と心配をしたのです。

 想い出に耳打ちをしてくるような、或る夏の日の、ひとつの蜂の巣をめぐる姉弟の小さなお話です。短い話ですので全文をご紹介させていただきます。

 生きぬく力 (正芽社、昭和16年初版)

 「ある夏の日のこと」  小川未明

 姉さんは、前庭の躑躅の枝に、蜂の巣をみつけました。
 「まあ、こんなところに巣を造つて。危ないから落としてしまはうか。」
 と、箒を持つた手を抑へてためらひましたが、「さはらなければなにもしないでせう。」
 折角造りかけた巣をこはすのも可哀さうだと考えなおして、しばらく立止まつて、一疋の親蜂が、脇見もせず、熱心に小さな口で、だんだんと大きくしようと、固めて行くのをながめてゐました。そのうちに蜂はどこかへ飛び去りました。何か材料を探しに行つたのでせう、しばらくすると、また戻つてきました。そして同じようなことを倦まずに繰り返してゐました。
 「この蜂一疋だけだらうか。」
 彼女は同じ一疋の蜂が、往つたり返つたりして、働いてゐるのしか見なかつたからです。
 「勇ちやんにはだまつてゐよう。」
 見つけたらきつと巣を取るであらうと思ひました。
 姉さんは、坐って、仕事をしながら、時々思ひ出したやうに、日の當る前庭を見ました。葉の黒ずんだ柘榴の木に、眞赤な花が、點點と火のともるやうに咲いてゐました。そして、水盤の水に浮いた睡蓮の葉に、蜂が下りて止まつてゐるのを見ました。
 「あの蜂はさつきの蜂かしらん。」
 眼をはなさずに見てゐると、蜂は、たつて、躑躅の枝の方へ飛んで行きました。
 「やはりさうだわ。水を飲みに來たんでせう。」
 翌朝、庭を掃除する時に、姉さんは、蜂がどうしてゐるだらうとわざわざ躑躅の木のところへ行つて、巣を覗いてみました。そこには、昨日の親蜂が、やはり一疋で、一生懸命に巣を大きくしようとしてゐました。彼女は、はじめてその時、一疋の蜂の力で造られた巣に注意をむけたのです。
 なんと並々ならぬ心遣ひと、努力が、その巣に傾けられてゐることか。たとえば、雨風に吹かれても容易に折れさうもない、丈夫な枝が選ばれてゐました。また巣の附根は、さはつても落ちないやうに、強さうに黒光りがしてゐました。小さな蜂にどうして、こんなに智慧があるかと不思議に思はれた程でした。
 「さうだ、これを弟にみせてやらう。そして、利口な蜂が、どうして巣を造り、また子供を育てるのに苦心するかを教へてやらう。さうすれば弟は、ここに巣のあることを知つても、決して落とすことはあるまい。」
 と、考へたのでした。午後になつて勇ちやんは、學校から歸ると、庭に出て、一人で遊んでゐました。
 「勇ちやん、蜂の巣があつてよ。」
 彼女は弟の顔を見ました。
 「ああ、知つてゐる。」
 「え、知つてゐるの。」
 弟がどうして、それを落とさなかつただらうと疑はれました。
 「姉さん、躑躅の木だらう。お母さん蜂がひとりで巣を造つてゐるのだよ。」
 「ええ、さうなの。」
 「この間から見ると、大分大きくなつた。あの穴の中に子供がゐるんだね。暑い時は、水盤の水を含んで行つて、巣の上を冷やしてゐるよ。」
 「まあ。」
 そんな悉(くわ)しいことまで、いつ弟は観察してゐたのだらうとびつくりしました。
 しかし、姉さんは、弟がどんなに蜂を可愛がつてゐるかを知らなかつたのです。
 「君、蜂の子を持つて行くと、ほんたうによく釣れるよ。」
 子供たちは日課のやうに、みんなで川へ釣に出かけました。彼等は、血眼になつて、蜂の巣を探してゐたのです。勇ちやんは、その話を聞くたびに、庭の蜂の巣を目に浮かべました。この頃母蜂の片方の羽根が少し破れているのを考へると、胸が痛くなるのを感じました。他の子供は、どこからか、蜂の子をさがして持つて行くことがあつたが、勇ちやんだけは、いつもうどん粉の餌を造つて釣にでかけたのでした。


  


 
 
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ピノッキオの鼻

 「はだしのゲン」の閲覧禁止論争を見ていて、僕が子供の頃に社会問題にもなった「ピノキオ事件」を思い出しました。有害図書の論争とともにうっすらと記憶にあったこの問題を、僕が「知識」として扱ったのは事件から10年以上もたった大学の研究論文でのことでした。

 1976年11月、ある人物が「オールカラー版 世界の童話」(小学館)を子供に読み聞かせていたところ、作中にある「びっこのキツネ」「めくらのネコ」という表現に対し「五体満足で利口な主人公を期待される子供像として描いている反面、他の障害を持つキャラクターを社会の落伍者として描いており、差別を拡大助長させる童話であり看過できない」と出版社に抗議しました。
 小学館側はこの抗議を受けて自社から出版していたピノキオを収録した書籍5種のうち4種を「差別的表現があった」と認め自主回収しました(「国際版少年少女世界文学全集」には、指摘を受けた表現は無いという理由で回収しませんでした)。
 この人物はその後、「障害者差別を許さない―まず『ピノキオ』を洗う会」を結成し、小学館に対し①国際版の回収、②回収方法に対する具体策の提示、③自己批判の文章の提出、④自社全出版物の点検と報告を要求しました。しかし小学館側は国際版の回収には応じず団体側と対立。
 その結果、同団体はマスメディアに向けて「ピノキオにおける差別表現撤廃」のアピール行動を展開し、社会問題として提起しました。それらの活動は図書館を相手取り「差別図書に関する啓蒙行動」を起こし、当時、日本で出版されていた11社38種のピノキオの本の閲覧禁止、並びに、出版各社に対し回収を要求しました。

 団体側の主張は概ね次の通りです。

 ≪表現に対する主張≫

 この童話は、一貫して勉強すること・働くこと・親孝行していい子になることがしあわせに通じるのだと教えている。操り人形のピノキオが最後にゼベットじいさんに、親孝行することによって五体満足な人間の子供(いかにも元気でりこうそうな少年)になるというラストシーンはそれを象徴的に現わしている。
 そしてその裏返しとして、親不孝したり、なまけたり、悪いことをしたものは、自らの身体にそれ相当の罰を受けなければならないことが随所にちりばめられている。
 たとえば―
 *親の言うことを聞かない子―足が燃えてしまう(一生いざりで歩かなくては・・・)
 *めくらのねことびっこのきつね―似合いの不幸せ仲間
 *まぬけおとしという名の町―毛の抜けた犬・とさかもなくなったニワトリ・飛ぶことのできぬチョウチョ・しっぽのなくなったクジャク・はずかしそうなこじきやびんぼう人のむれ。
 *嘘をつくと鼻がのびる。
 *ばかさわぎ・きちがいさわぎ・つんぼになってしまいそうな「おもちゃの国」で遊びほうけていると―慈善病院に行くことになる・耳がのびてロバになる―見世物小屋に売られて―ビッコになり―タイコ屋に売られる。
 *嘘をつき悪いことをしたねこときつね―ほんとうのメクラになり、しっぽまでなくす。

 そして、最後の場面で、ピノキオが「あやつり人形だったときのぼくったら、なんておかしなかっこうだったんだろう。でも、いまはいい子になれてうれしくてたまんないや」とつぶやく一方で、めくらの猫の毛がなくなり、おまけにしっぽまでなくなったきつねが「なにかおめぐみくださいませ」ともの乞いしている場面は、まことに対照的な場面である。めくら・びっこは、もともと乞食をするぐらいしか生きていくことのできない不幸せものであり、きつねやねこのように悪事をはたらくと不幸せなものの仲間入りをしなければならないことをまことに「教訓的」に述べているのである。即ち、確かにこの作品は、ピノッキオの冒険を描くことが中心ではあるが、しかし、その冒険を引き立たせるために配された障害者は、すべて因果応報の罰を受けた人生の落伍者としてしか登場していない。

 この作品は明らかに「五体満足にしてりこうな子」本位の思想に貫かれており、障害者差別をしらずしらずのうちに植えつけていくものにほかならない。

 ≪作品の社会的背景に由来する批判≫

 既成の枠を超えて自由かったつに行動するピノッキオの姿はまさに旧秩序の崩壊を示し、一方新秩序に合わぬ行動は次々にチェックされ、やがては親の言うことを聞き、勉強し、まじめに働くことによっていい子になっていく(出世。近代社会の可能性!)ピノッキオの姿にこそ、新しい社会を底辺で支える“よき労働者像”“新たな秩序”を見ることができるのである。
 「働かざるもの食うべからず」「一獲千金を夢みてはいけない」「コツコツ勉強し、働けばやがては五体満足な人間になれる」「怠け者は、ロバになる。こじきやびんぼう人のいるまぬけおとしの住人になる」
 こうした社会の中で、勉強の場からも、労働の場からも締め出された障害者が社会の余計者としてまぬけおとしの町におとされていくのは、まさに必然だったのである。たしかに、コロッディは一方でこうした社会の要請を描きつつも、たとえば「びんぼう人の群れの間を金持ちのだんなの馬車がとおっていきます。のっているのはきつねやどろぼうカササギや肉を食べる鳥なのです」と言ったり、「いい服をきているから紳士なんじゃない。汚れのない服をきてはじめて紳士といえる」とのべて新しい社会が生み出しつつあつた支配階級の実態を指摘しようとしているのも事実である。しかし、そのいずれも指摘するにとどまり、それ以上内容を展開し得ない。

 中心は、あくまで資本への貢献度で測られる資本制社会の肯定であり、貧しさの原因を資本の搾取に求めるのではなく、労働者の「怠け」「不勉強」にもとめる道徳の確立だったのである。…

 同年12月、上記の主張に関して図書館問題研究会が検討を行い、次のような回答をしました。

 ①「図書館の自由」を基に回収措置は言論に対する封殺行為であり許せない。
 ②本作は、弱点を克服し成長する子供の可能性を描いた作品であり、「めくら」「びっこ」という言葉で障害者差別に結びつけるのは拡大解釈で作品の意味を汲んでない。
 ③回収を行えば障害者差別が無くなる道理も無く、「言葉だけで何かを変えよう」という幻想に繋がりかねない。個々の企業に対する脅しが差別の撤廃にはならないし、体制も変わらない。

 加えて「図書館の自由に関する宣言」を改訂し指針として通達します。当時の資料の記述は下記の通りです。

 …図書館の自由の概念として、塩見昇は「基本は図書館利用者(国民あるいは住民、その社会の構成員)の読み、調べ、探索する権利を図書館の機能を通して保障するために図書館が保持しなければならない自由であり、責務である」と述べている。

 図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することを、もっとも重要な任務とする。この任務を果たすため、図書館は次のことを確認し実践する。

 第1 図書館は資料収集の自由を有する。
 第2 図書館は資料提供の自由を有する。
 第3 図書館は利用者の秘密を守る。
 第4 図書館はすべての検閲に反対する。

 図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。…

 この考え方の基本は憲法における基本的人権の「知る自由」に根差しており、それを保障する場として顕現したもののひとつが図書館という存在です。
 図書館は、不特定多数の市民が各々の興味に従って読書し、必要な資料を入手し、全ての資料を自由に利用できるための施設です。そして、その書籍や資料内容の取捨判断は個々に委ねられるべきものであるはずなのです。

 単語表現(言葉)をなくすことが差別をなくすことに直結するわけではありません。それは行き過ぎれば、ジョージ・オーウェンの「一九八四年」にあるような、言葉を抹殺し思考範囲を狭めて行く“ニュースピーク”の誕生を促しかねないかもしれません。
 かといって「言論、表現の自由」を盾にして何もかもを認めるというのでは、表現の濫用による暴挙を野放しにすることになり、到底容認できるはずもありません。そこに良識というものがあっても良いはずです。

 差別を取り除いていくのは、直接に本を手から取り上げることではなく、その内容を善悪や道徳に鑑み取捨選択する見識を与えることなのではないかと思います。外貌からではない内へ目を向けさせること、そのための親であり、教師であり、教育であると思うのです。
 そして今、本当に必要なのはトップダウンによる「教育」という圧力ではなく、受け止める側から発現する「学び」に対する意欲であるのです。社会は知らず知らずに成長して行く毎に「学び」に対する意欲を失わせてはいないでしょうか?僕自身がそうであったように。

 最後に「はだしのゲン」についてですが、僕は「はだしのゲン」の信奉者ではありません。かといってそれを貶める側でもありません。僕自身、あの作品に対しては残虐さ、恐怖、嫌悪を感じます。しかし、それは突き詰めてみれば作品に対してではなく「戦争」というものの表現に対してのものなのです。事実としての戦争は画では描けないくらい悲惨なものであったはずです。それを誰かが伝えねばならなかったのだとしたら、そこには手に取るだけの価値はあると思います。
 
 そして僕はもうひとつ、別のことを思うのです。
 現在の図書館は果たして「自由」を保障しているのでしょうか?

 どうもつまらないことを書きすぎたようです。
 ご不快の念をお掛けしましたら心よりお詫び申し上げます。

 蛇足ですが同年に閲覧規制の検討対象となった作品は「ピノキオ」だけではなく、次のような著作も含まれていました。

 森村誠一「凶水系」(角川書店)…記述内容
 手塚治虫「ブラックジャック」(小学館)…黒人差別

 また「ちびくろサンボ」が出版業界の自主規制によって回収されるのは1988年のことです。




 
 

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穏やかな自分になるために、

 もうだいぶ以前にいただいた綾辻行人の「Another」をようやく読み始めました(新刊をいただいたので)。アニメとコミックは先に見ているので一応の結末は知っておりますが、それが原作とどう異なるのか、そして、その結末を押さえながら「どのようにストーリーが展開して行くのだろうか」と思いつつ読み進めています。
 それなのに、序にあたるページの一文に目をとめて「眉目秀麗が男性への賛辞だとちゃんとわかっているな。綾辻行人はさすが京大出だけある」と物語とは別のところで変な感心をしながら、「僕は集中力を欠いている」と自覚しておりましたら、案の定、突如として心が勝手なおしゃべりをはじめました。

 僕は何故にこんなにも短気なのだろう?
 いや、正確には短気とは違うだろう、お前のは。
 なぁ、もう少し悪ぶらずに話ができないもんかね?
 弱虫だから悪態をつくのさ。
 まぁ悪態をつくことがお前のファッションになってるから仕方ないか。これは直らんよ。
 だけどさぁ、本当は思ってもないくせに罵詈雑言を故意にひねり出したりするのはみっともない。
 そんなことに脳みそを無駄に使うなら他のことを考えろよ。
 妄想のなかでなら、相手に聞こえない場所からならなんだって言えるし、できるもんな。
 所詮は楽な場所からでしかものが言えないってか。
 呆れた内弁慶だな。
 
 そんな風に複数の自分が無言の会話を頭のなかで展開していた折に、ひょんと背中から声をかけられました。

 「最近のブログって、なんか8月のヒストリーチャンネルみたいですねぇ。」

 振り向くと初島さんが森永Moonlightのミニを抱えて立っていました。

 「ヒストリーチャンネル?」
 「はい、戦争特集ですよー。」
 「・・・そんなつもりはないんだけどね。」
 
 で、はたと思いあたるところがありまして。

 「いや、そうかもしれないね」と。

 きっと彼女には深い意味などなかったので話はそこで終わりました。

 ここからはまた僕の独り言です。

 僕は弱いから暴力を嫌う。そしてそれ以上に、弱いがゆえに自分に適した暴力を求めているのかもしれません。
 例えば、尖閣諸島も竹島も僕の生活には何の影響も与えないのに、その報道に接すると不快な気分を生じてきます。それは愛国心などとは無縁なものです。
 「尖閣も竹島も吹き飛ばしてしまえばいい。地震で海に沈んでしまえ」「沖縄の米軍に尖閣や竹島を渡してしまえ」「北朝鮮のミサイルが竹島に落ちたらどうなるのかな?」などと思いっきり他人の不幸を望む軽口が浮かび上がってきます。それは僕自身が現実には起こりえない暴力を求めているからなのです。

 赤尾敏さんが数寄屋橋で演説をなさっていた頃(僕は小~中学生でしたが)、その過激な言動に惹きつけられ意味もわからずに聞き入っていたことがあります。
 過激な内容もそうですが、何にもまして演説が上手いと思いました。怒りがあれば、そこに笑いもありました。演説自体が単純に面白かったのです。

 ある日、演説を終えて街宣車から降りてこられた赤尾さんに声をかけられたことがあります。
 「君たち、赤いシャツなんか着てるとろくな大人になれないぞ」と。
 僕と友人(彼が赤シャツを着ていました)はその意味がわからなかったので理由を訊き返しました。しかし、この時のシャツの話はどうでもいいのです。その時に赤尾さんが言われた次の言葉が僕の頭の中に残りました。

 「愛国主義は排外主義ではない。一国で生きていくことはできないからね。共産主義は憎むべき思想であるし、それらの国は世界的な不幸の元凶である。しかし、その国の個人の人格そのものを排斥することではないんだよ。本来嫌悪すべきは政治体制であって、人を狂わす思想であって、個人ではない。まだ君等には難しくてわからないだろうな。」

 まだほかにも話されていたとは思いますが、僕の記憶力のメモリーは少ないので覚えきれませんでした。

 今、僕はこの言葉を自分に当てはめてみます。

 自己主義とは排他主義ではない。考え方の違いや生活習慣の違いからトラブルの元になるかもしれない。他人との相容れない部分とは、考え方や生活習慣の差であって、その個人の人格そのものではない。自分が中心だとしても一人で生きていくことはできないのだから。

 性格の不一致が離婚の最たる原因だと言われています(そういった方が割り切りやすいこともあるかもしれません)。しかし、もともと性格が一致するわけはないのです。
 「あなたと僕は全く同じ」だとしたら、そんな気持ちの悪いことはありませんし、不都合です。お互いが折り合いをつけられる限度において「一致」しているすぎないのです。

 僕は他に求めすぎているのです。自分のことは例外に置いたままで、都合のよい条件だけを相手に求めているのです。

 書いていることが支離滅裂になってきましたので、この辺でやめておきます。

 最近、この傾向が強いので、気が狂いだす前に、ちょっと別のことを始めてみました。

 「瞑想」です。

 と言っても特別難しいことをするのではなく、じっと正座をして自分の呼吸に意識を集中させるだけです。
 自分が呼吸していることを感じ取り、自分の体内の音を聴く。もちろん、まだまったく集中できるわけがありません。雑念が留まることなく湧き上がってきます。
 そんな時どうするのかを相談したところ、「雑念をおこしている自分を認めるのです」と言われました。「ああ、この人はまたひとりでおしゃべりをしているな」と第三者的に。そして、「再び呼吸に耳を傾けるために意識を集中させればいいのです」と。

 穏やかな自分を求める努力を少しずつ始めてみようかと思っています。






 

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宮下登喜雄「墨東の風物」

 ふと寂しくなる時があります。
 自分が失われてしまった存在のような気がして、なぜそんな気持ちになるのかなんて、それはあまりにも漠然としていて、理由も何もはっきりとはしないのだけれど。そんな時、宮下登喜雄の本を取り出して眺めるのです。

 宮下登喜雄は、蔵書票などを収集している方の間では高い評価を受けている版画家です。
 木版画を平塚運一に、銅版画を駒井哲郎に師事し、木版と銅板を併用するという独自の作品表現を生み出し、1964年には東京国際版画ビエンナーレ文部大臣賞を受賞しています。1930年に東京・本所の柳島梅森(今の墨田区横川)で生まれ、2011年1月6日に亡くなりました。
 彼は長らく墨東の地で制作活動を行い、またこの地の風景を数多く作品として残しています。そのひとつに「墨東の風物」という画文集があります。限定120部で、宮下登喜雄が府中本町に転居した後に作られました。7枚の美しい銅版画が挿絵として添えられています。

 墨東の風物00 (昭和62年、私刊本)

 この本は「宮下登喜雄を囲む会」の私刊本第一号として発行されています。発刊によせた宮下登喜雄の別刷りの序書が残っていますのでご紹介します。

 …生まれてから30年間、墨田区に住んでいました。かねてから、少年時代の記録を一冊にまとめようと考えていました。「宮下登喜雄を囲む会」の発足を機に実現することができました。とにかく昔語りをすると懐古調になり一人よがりになりがちですが、私なりに情感を排して記したつもりです。
 表紙は、群青色のきずきこうぞ紙に白で木版刷り。図版は隅田川の川面にうかぶ桜の花びらと都鳥。都鳥とはかもめのことで在原業平の歌「何しおわはば、いざ言問わん都鳥、わが思ふ人ありやなしや」とあり、都鳥とは隅田川に飛来したかもめを都鳥と呼んだ。(中略)本文は特注の手ずき局紙で、当初は三方耳付仕立てにするつもりだったが印刷屋がどうしても刷りにくいというので、地の部分を裁断せざるを得なかった。外函はミューズコットンを使い、淡いブルーで表紙とツートンカラーにした。挿絵は、7点とも針描による腐食銅版で図(四)だけは夜景の感じの表現に松脂粉末によるアクアチントを併用した。…

 墨東の風物01 曳舟川と北十間川の水量調節用水門(S24頃)

*曳舟川は江戸時代から明治初頭までサッパコ(サッパ船)と呼ばれた小規模な刺し網漁などに使用する小型の磯舟を曳いて川を往来したことから名前が付きました。昭和29年に埋め立てられました。


 墨東の風物02 魚介類の荷揚屋が続く門前仲町附近(S25頃)

 彼自身が「情感を排して」と言っているように本文は客観的に当時の風物について書かれています。それは単に感傷的になることを避けたという姿勢の結果ではなく、変貌する街の本質的な理由を冷静に受け入れたためであると思われます。そういった中で彼は人々の記憶から忘れ去られて行く昭和十年代から二十年代の風景を伝えようとしたのです。

 …どろんと淀んだドブ川は埋め立てられ、軒の低い黒ずんだシタミ板張りの長屋も改築され、道は広くなった。これらの改修はその地の住人にとっては喜ばしいことであって、古くなって住みにくくなったものが消えて行くのを惜しむのは、よそ者の身勝手というものでしかない。…

 墨東の風物03 荒川用水路に架かる堀切橋(S10年代当時は木橋)

 墨東の風物04 向島「鳩の街」附近(S25頃)

*昭和の初めごろ「銘酒屋」というのがありました。お酒を提供するばかりではなく、私娼を抱えた売春店を兼ねていました。玉の井、亀戸三丁目、洲崎、向島の鳩の街が有名どころとして挙げられ、戦後は「赤線地帯」と呼ばれました。


 宮下登喜雄は当時のスナップやスケッチを基にして原画をおこしています。写真とは異なり手作業の温もりが作品に現れていることも関わってはいますが、そこにはありのままを写実的に表現するのではなく、彼自身の心象風景が薄く重ね合わせられています。
 そのことが当時を知らない僕のようなものにも既視感というのか、郷愁への共感を呼び起こしているのでしょう。有り得ていた風景の中に、どことなく不思議さが漂っている気がします。そのある種の奇妙さが「僕はこの風景に似ている場所を知っている」と思わせるのです。

 墨東の風物05 言問橋、白髭橋間の堤通り下の長屋(S24頃)

 墨東の風物06 東武線曳舟駅近くの芝居小屋(S24頃)

 時の流れには大きく分けて、変貌させる流れと、変化を感じさせない流れとがあります。時は止まるはずはないのです。常に動いています。変化は望むと望まなかろうと必然に起きてきます。如何な郷愁が働こうとも止めることも、止まることも不可能です。 
 画家がかつての風景に残そうとしたものを探る時、そのふたつの時の流れを避けては通れないし、目を逸らしてはならないのです。
 
 宮下登喜雄がここに残した風景は、かつて灰塵に帰した風景です。焦土と化し、木炭化した死体がマネキン人形のように積み上げられた場所であるのです。
 彼は巻末で、この画文集の中ではそれまで極力排してきた私感をはっきりと述べています。

 …最近、日本国憲法第九条「戦争の放棄」に不満を持つ動きが一部で起きているようだが、あの空襲の悲惨な情景を知ったら戦争の恐ろしさ、愚かさは二度と繰り返したくないはずである。私自身も大切なものを失い。大切な時間をも失った。家族を失ったものさえ少なくない。
 戦争はいつの世でも一握りの誤った支配者が起し、犠牲になるのは一般国民なのである。これは思想の右でも左でも、保守でも革新でも関係ないのである。…

 その風景がなぜ失われたのか、失われねばならないその理由は、宮下登喜雄が先に述べたように「その地の住人にとっては喜ばしいこと」であるか否かなのです。

 墨東の風物07 隅田川河畔(S24頃)

*恐らく吾妻橋付近の河畔から見た風景でしょう。対岸に見える大きな建物は松屋デパートと地下鉄ストアです。ここの川岸には鉄柵がありましたが、戦時中、軍に供用され取り払われました。


 僕はあまりにも無意味に何かを失ってきたのではないかという気がします。喪失の理由に目を耳を塞いで、失ったことにも気づかずに来てしまったのではないでしょうか。理由を知る勇気を持ち合わせていなかったために。本当にそれが幸福のための喪失ならば、いつでも受け入れる気持ちは誰にもあるというのに。

 宮下登喜雄が伝えようとしたものを、僕は彼の作品を開くたびに探し続けます。



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三芳村延命寺の六道輪廻図

 *急いで書いたため画像の間違いと説明不足の点がありましたので、修正させていただきました(8月19日)。

 人はどこから来て、どこへ行くのでしょうか?
 言われつくした問いかけですが、来た元はわからなくても、行く先については大体意見がまとまっているようです。ご想像はつくかと思いますが「あの世」ですね。
 その「あの世」ですが、どうやらひとつ世界ではなく、多層(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)に分れており、またそこへ至る手続きも複雑なようです。従って古の人々はそれをどのように諸衆に伝えるかにかなり苦心をしております。

 罪を犯すとどうなるのか、どうすれば「安心」(あんじん)を得られるのか、人は如何に生きるべきかをひと目で諭すようにしたもの、文字の読めない人にも分かるように記したのが六道輪廻図です。地獄極楽図と言ったほうがわかりやすいかもしれません。
 行基寺(岐阜)、長岳寺(奈良)、正福寺(鳥取)、西念寺(秋田)など美術的にも優れたものが残されています。
 千葉県南房総市三芳村の延命寺にも優れた六道輪廻図が伝わっており、それを拝観してまいりました。
 天明4年(1784年)、江府宗庵の手による和紙彩色掛け軸「地獄極楽絵図」全16幅です。毎年8月16日の一日のみ御開帳されています。

 延命寺 延命寺山門

 第一幅は「往生」を表し、死して魂が抜けるまでを描いています。第二幅は「九相観の図」です。
 九相観とは死んだ人間がどう変化して行くかという物理的な変容のことです。つまり、死体→死後硬直、膨張→腐敗→蠅、蛆による分解→獣に食い荒らされる→肉部分の土化→骨化→骨の風化→土に還るという流れです。

 九相観図 九相観図(部分)

 第三幅から中陰に入り、初七日の秦広王から初江王、宋帝王、五官王、閻魔大王、変成王、泰山王と七日ごとに裁かれる様が描かれます。
 初七日の秦広王は「双幢の巻物」というものを手にしておりまして、この巻物は開くと、その人の一生がすべて浮き上がるとされています。秦広王はひと目でその人物がどういう一生を送って来たかがわかるというわけです。それをもとに最初の断罪を行うのです。犯した罪が複数であればあるほど先へ先へと送られ、その都度ひとつずつ贖罪を重ねて行きます。

 秦広王図、初江王図 秦広王図、初江王図

 ここで初江王図の部分をご覧ください。

 初江王図 部分 初江王図(部分)

 亡者のなかにも豪傑はいるようで、鬼を捕まえては串刺し地獄の穴に投げ落としています。珍しいシーンですね、これは。
 追記させていただきますと、この人物について勝手な推測を許していただければ、第2代横綱「綾川五郎次」か、第3代横綱「丸山権太左衛門」ではないかと思われます。
 更に良く見るとこの人物の頭の上に大きな瘤があるように見えませんか?これが丸山権太左衛門の特徴を示していまして、この瘤から四股名の「丸山」が付いたと言われています。
 また彼は、五斗俵に筆を突き刺し差したまま持ち上げて字を書いたという逸話が伝わっているほどの剛力の持ち主でした。活躍年代(1735~1749年)からも有力な候補だと思われますがどうでしょう?

 話を地獄のことに戻しましょう。
 地獄では一罪一贖が原則ですから十悪五逆の各々に対して刑が科されます。
 十悪は身業の悪(殺生、偸盗、邪淫)、口業の悪(妄語、綺語、悪口、両舌)、意業の悪(貪欲、瞋恚、愚痴)の身口意三業に渡る行為を指し、五逆は母殺、父殺、阿羅漢殺、僧伽の和合の破壊、仏身を傷つけることを指します。
 「親殺しはないでしょう」と言われる方もおりましょう。当然です。しかし、刃傷沙汰ばかりが「殺す」ことではないのです。
 親鸞は「親をそしるものをば、五逆のものともうすなり」と述べています。つまり、親を謗る人はその内面において五逆を犯したも同然だと言うのです。親に対して暴言を吐いたことのある方は心してください(僕も含めて)、既に五逆を犯しています。

 宋帝王図(部分) 宋帝王図(部分)

 延命寺の輪廻図には秦広王と初江王の間に「三途の河原(賽の河原)図」が挟まれています。早世した子供がその罪を贖う場面と地蔵菩薩の姿が描かれています。
 宋帝王は三七日(二十一日)の裁判を受け持ち、血の池地獄がその眼前にあります。
 この絵の上部(画像では切れていますが)には「見し世にぞ かくも言はましなげきなく 死出の山をいかで越ゆらむ」と謳われる距離にして八百里、雲突く頂は目にも映らないと言われるあの世の名峰(?)「死出の山」が描かれています。この山を鬼に追い立てられながら、初七日のうちに泣く泣く越えて秦広王のもとに向かうことになります。

 五七日(三十五日)に閻魔大王の前に引き出されます。閻魔大王については鎌倉の圓應寺のところで触れましたので省かせていただきます。
 
 閻魔大王図 0 閻魔大王図

 七七日(四十九日)の裁判によって人は六道に振り分けられますが、ここで処分が決まらなかった者は百箇日の平等王に裁かれることになります。更に一周忌(都市王)、三回忌(五道輪転王)と続き、人は必ず転生の場を得られるようになっています。

 変成王図(部分) 変成王図(部分) 

 変成王図をみていただきますと「三つ目の鬼」に目がとまります。
 恐らくは大威徳明王像などに見られる三目を模したものではないかと思われます。この第三目には真実の姿を見抜き降魔の力があるとされています。
 因みに「大威徳明王」は梵名「ヤマーンタカ」と言い、「ヤマを倒す者」という意味があります。「ヤマ」とはヒンドゥー教の死者の王を指し、仏教がヒンドゥー教を取り入れた後にそのヤマよりもさらに強力なものとして創造したのがこの大威徳明王です。五大明王の一人で西方を守護し、阿弥陀如来(又は文殊菩薩)の化身であるとされています。東寺(京都)、奈良国立博物館、石馬寺(滋賀)、伝乗寺(大分)などで拝観することができます。

 さて地獄とはかくも恐ろしい所でして、罪のない無垢の人間など極めて稀でしょうから大多数の人はここに堕ちて責苦を味わわなくてはなりません。とすると死ぬのは非常に恐ろしいことでして、心穏やかにして死を迎えることなど凡人には出来ないわけです。
 「それ、ナシにして」は通じませんので、罪を犯してしまった人は生きているうちにどうすることもできないのか?といいますと、救済手段が残されています(救済手段というよりも情状酌量と言ったほうが的確かも知れません)。
 「改心し、布施をし、約束を守り、感謝を忘れず、堪忍し、努力し、瞑想し、覚る(考える)」ことを精進すれば救われます。それが成らない時は死後の供養(一周忌、三回忌など)、子孫の信心に委ねることになります。

 十悪五逆も突き詰めれば、人間の本性である「我執」が引き起こすものです。その我執を棄てて「謙虚にして利他に生きよ」と言うのが六道輪廻の根幹であり、十王経の教えであるのです。

 長々しくもありきたりな薀蓄はこの辺にしておきます。

 五道輪転王 五道輪転王図
 
 この絵図ですが1986年に賢美閣から「絵で見る地獄と極楽」という絵本になっています。現行でも手に入りますのでご興味のあるかたは書店などで探してみてください。

 泰山王図、極楽図(一) 泰山王図、極楽図(一)

 延命寺の六道輪廻図は非常に生き生きと描かれており、保存状態も良好です。失われている部分もないと聞いています。本来、いつでも拝観できるのが理想ではありますが、保存のことを考慮すれば日に曝すことを避けなければなりませんので、一年に一度の御開帳というのも仕方のないことかもしれません。しかし、残念、僕としては実物をもっと多くの人に見て欲しいと思います。
 拝観できる機会を増やせないものでしょうか?佐倉にある歴博の学芸員の方、特別展などご一考くだされば幸いです。

 曹洞宗長谷山延命寺
  千葉県南房総市本織2014-1
  0470-36-2166           







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有栖川有栖「闇の喇叭」

 僕は推理小説が苦手です。想像力がないのです。娯楽小説として江戸川乱歩も読みますし、アガサ・クリスティやエラリー・クイーンも読みました。しかし、性格に合わないようです。
 事件の動機については「どうでもいい」です。多少、理解に苦しむことがあっても、(空想上であっても)人のすることです。現実の事件においても理解に苦しむ動機など至るところにありますから。心意を察するまで相互理解を深める必要はないでしょうしね。
 問題はトリックにあります。
 古典的なミステリーにおいて出尽くしてしまっている感があり、近年に及ぶに至って、こじつけがましいを通り越して、もう「トリック」自体を無視しているだろう?という作品が多すぎます。作品によっては、最後に犯人がつかまるまで「当事者」が登場しないなんて馬鹿げているものもありました(「犯罪自体がなかった」というものもありましたが、あれはコメディとして面白かったです)。
 ヒューマンドラマとして内容に入っていけるものは好きです(例えば横溝正史とか)。つまり、一般の小説(文学小説というには気が引けます)に近い感覚で読めるミステリーは僕には「可」で、純然たる想像力で補うようなものは「不可」ということ。つまり僕はミステリーファンシャーにはなれないタイプです。
 で、今回は僕に不向きなジャンルの作品をご紹介します。

 有栖川有栖「闇の喇叭」

 闇の喇叭01 (理想社、2010年初版)

 初版は2010年6月に理想社から出ておりまして、マークデザインを施したプラスティック・カバーの下に、イメージ・イラストが描かれた表紙が別に設けられています。
 初版出版後、経緯についてはわかりませんが、作家と出版社の間で差し障りが生じて契約が解除され絶版となりました。各章毎に挿絵があり、装丁も凝ったつくりになっていたので残念です。しかし、翌年に講談社との出版契約が成立し、2011年8月、新たに加筆、修正を施して新版として上梓されました。

 物語は南北に分断された日本を背景にしています。北海道が旧ソ連(ロシア)の力により占領され独立したという設定になっています。
 その経緯については史実を基に脚色を加えて「序章」に記されています。
 この「序章」ですが、ぜひ真剣に読んでいただきたいと思います。そして、できれば他の資料を当たって、終戦を迎えるに至った日本の実情を、史実を知っていただきたい。日本が「平和に終戦を迎えた」などというのはまやかしです。「日米のコミュニケーションが上手く行ったため」にテロや抵抗戦が生じなかったなどという詭弁に惑わされることがないように。
 この「序章」における「日本の立場」は本作では社会背景の一つ(重要ではありますが)でしかなく、物語に大きな影響を与えているとは言い難い面もあります。しかしシリーズ化を見据えた下地としては充分かと思います。

 主人公は「空閑 純」と言う合唱部に所属する女子高生。父親は元探偵。その父を補佐していた母親はある事件を境にして行方不明になっています。この「母親探し」も重要な要素になっています。
 
 この物語のもうひとつの社会的特徴に「民間人による警察類似行為が禁止」されているという背景があります。つまり「探偵活動は違法」であり、両親とも法を犯している犯罪者として警察に追われているということです。
 父親がどのような事件に関わってきたのかは本作では触れられておりません。「いつか話をしよう」と言う約束のみです。従って母親の生死も不明のままです。

 闇の喇叭02 (中表紙&署名)

 物語は彼女の夢から始まります。

 …どこまでも続く薄ぼんやりとした闇。その奥に、さらに黒々とした、輝くばかりの闇があった。
 漆黒という言葉そのまま。幾度も重ね塗りをしたかのような暗さだ。
 ただそれを眺めている。
 一個のまなざしと化した自分。
 時間さえ果てた世界かに思えたが、そうではなかった。
 視野の中心に、何かが見える。闇に慣れてきた目が、何かをとらえようとしている。時間はながれているのだ。
 形も色も定かではない。しかし、少しずつ輪郭が見えてくる。闇の真っただ中。虚空に浮かんだ何かが。…

 彼女はそこで音を聴きます。凛然と響く喇叭の音を。
 この音がやがて不吉な運命の予兆になり、彼女の進軍の証となります。

 「奥多岐野」という寒村を舞台に2つの殺人事件が起きるのですが、その事件にはあまり意味がありません。推理もトリックも無理を強引に押し通したようなものです。付録的とも言えます。事件は、彼女に「決意」を与えるための契機に過ぎないのです。殺人事件である必要性もなかったでしょう。他の事件でも同じ結果を導きだせたでしょうから。

 では、何に主脈が置かれているかと言いますと、「空閑 純」という一少女が「探偵」を決意するまでの経緯にあります。
 「警察」とは何なのか、「探偵」とは何なのか。そして「探偵」は「警察」に出来ない何をなすべきなのか?社会や権力は何を守るべきものなのか?
 それらについての疑問と逡巡とを少女に投げかけて行くのです。

 探偵「ソラ」の誕生の物語ではありますが、本作では萌芽はあるものの「探偵」ではありません。あくまで希望としての、決意としての「探偵」でしかないのです。
 物語は主人公の帰結を語りません。宙に放り出すかたちで締めくくられています。事件が解決した後、村を離れたという事実で結ばれます。
 
 闇の喇叭03 (第4章挿絵)

 この中には3つの正義があります。ひとつは政体を維持するための強権としての正義。中央警察から派遣された「明神」が掲げる公的治安組織である本分としての正義。それから、探偵が追う警察に頼れない、或いは、法で裁けない正義。

 僕としては「明神」には共感できる部分があります。冷めた人間としてみられるようにポーズは取っていますが、職務としての正義感を強く秘めた人物です。「闇米は食わず」を貫いて死んだ裁判官の逸話を彷彿させる性格が読み取れます。

 「ソラ」シリーズは講談社において再開され、「真夜中の探偵」「論理爆弾」と続いています。どの巻から読み始めても良いのですが、彼女の起源について知っておいてもらったほうが興味がわくと思います。

 闇の喇叭04 (講談社、2011年初版)






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別府葉子「仏蘭西小劇場 脱走兵」

 やっぱり書かなければよかったな、と思う事が多々あります。
 言葉にしてみたものの、口中に胆汁のような苦さが澱んで後味を悪くしてしまうことが。
 先日の記事がそれでした。シャンソンはともかく、政治の話題は避けるべきでした。
 でも、書いたものは消さない、それがどんなものであっても。
 真意の説明もなく、撤回などというものが軽々しく通じるのは、やはり政治の世界だけなのです。
 言葉にすることの責任を考えるためにも残しておくべきでしょう。

 さて、そういうことで、その原因が自身の抑えきれない苛立ちから生じているとの自覚を含め、話題を転換してみようとかと思います。

 前回、別府葉子さんのアルバム「仏蘭西小劇場"脱走兵”」からご紹介したわけなのですが、改めてご紹介しなおします。

 ジャケットの写真が良い雰囲気を伝えています。3枚のアルバムの中で僕が一番気に入っている写真です。
 このアルバムはタイトル通りに、各曲をパリの下町にある「小劇場」の演目に見立てて、曲順につながりを持たせているようです。
 選曲も秀逸で、全15曲に込められた人生のシルエットが、聴く人の心の中に映しだされるかのようなアルバムです。

 脱走兵

 このアルバムのオープニングを飾るのは「私はヴァイオリン」という曲です。

 …私の心はヴァイオリン。時には陽気に、時には憂いに満ちて。
  あなたの弓で奏でられるヴァイオリン…

 非常にロマンティックな歌です。別府葉子さんのリラックスした柔らかな歌声によくマッチしていると思います。
 この切ない恋に染まる甘美な夜曲のような独白を綴った後、次曲は路地を抜けた居酒屋に場所を移して、そこに集まった酔いどれたちのドラマを描写します。
 でも、店内ではちょっと物騒な噂が飛び交っているようです。

 …居酒屋は急に鎧戸を閉めた。窓に映るまるで映画のような人影。陽気なアコーディオン。
 縛り首を免れた大男が今夜、裏切った奴らを殺しに来ると言う噂が…(真夜中の居酒屋)
 
 居酒屋を出ると外は雨。少しミステリアスで危険な夜更けのパリ。3曲目は「雨の舗道」。

 …夜更けに過ぎ去るTAXI。霧の中のPARIS.
 繰り返す悪夢の夜、眠れない恐怖の中、今宵、舗道を彷徨うブルース…

 理不尽と不条理とが生活の中に蔓延し、それでも大多数の人々は現実を生き抜かなくてはなりません。
 4曲目は「脱走兵」、それから「アムステルダム」へと移ります。

 …アムステルダムの波止場には、海で取り憑かれた幻影を歌い続ける男がいる…

 夜闇を包んでいた霧が晴れるように舞台は明るい街なかに変わります。
 可愛い靴をならべた靴屋がありますが、ちょっと風変わりなお店のようです。だって「お代はいらないから私と踊りにいっておくれ」と靴屋の主人は娘に頼むのですから。しかも、思い通りにならないと「永遠に踊り続ける」呪文を唱えたりします。けれど「綺麗な靴と引き換えでは愛は手に入りません」(可愛い靴屋)。

 前半の最後は「脱走兵」を受ける形で締めくくられます。
 艶やかな声が郷愁を響かせる雄大な名曲のメロディに乗って、物悲しい詩の世界を見事に歌い上げ、白眉とも言えます。

 …微風が噴水の水面を通り過ぎて行く。
 陽は傾き、薔薇の花びらが舞い落ちて行く。
 太陽と風と雨と歳月に晒された壁には無数の亀裂が刻み付けられている。
 五月の朝、彼らはその壁に、歌いながら奇妙な傷を残していった。
 
 薔薇はその傷跡を辿って成長し、刻まれた人々の名に絡み付く。
 太陽と野の風と歳月に晒されて、いつしか噴水も枯れ果てた。
 五月の朝、人々が花を抱き、裸足でゆっくり歩み寄る。

 彼らの眼には、複雑な思いを秘めた微笑が宿っていた。

 夕日が壁を染め上げる時、鮮血と見紛う真紅の痕を際立たす。
 しかしそれは、薔薇の花に過ぎないのだ。

 我が愛するアランフェス…

 これはスペインの内戦を歌ったものです。
 壁に残る真紅の痕は、抵抗勢力の市民が銃殺された時の血と弾痕です。内戦が終わり、その壁の前で花束を供え犠牲者の冥福を祈る人々。そして暗い時代の記憶は、壁に絡み付いた薔薇の花に留められて行くのです。

 見事な構成です。このCDがLPレコードであったなら(A面とB面に分れていたなら)効果は絶大であったろうと思います。
 こうして「我が心のアランフェス」で前半の幕が降り、後半は「指揮者は恋してる」でコミカルに幕を開けます。

 …スキャンダルの嵐、今でも語り草。地位も名誉も投げ捨てて下町のビアホール。たった六人の楽団。愛する人に捧ぐ”青い波の上”。青い眼のウージェニー…

 フィラデルフィア交響楽団を率いていた若き天才指揮者の恋の顛末を聴いたら、次は不器用ながらも純真に恋心をいだき続ける女性の話。馴れない指使いで弾くカンタータが空の上の愛する人に届くように。

 …あなたの指からFa sol do fa、優しく流れたメロディ。私の指でぎこちなく、今、あなたを思い、ピアノの前で…(小さなカンタータ)

 富も栄光も所詮は仮衣。一瞬で散ってしまいます。
 パリ9区の競売場で競りに出される商品は、売り手の思い入れとは無関係に値をつけられ、縁も由もない人々のもとに渡ります。

 …いつの間にか競りは終り、ふと我にかえり手にしたものは古い皺だらけの紙幣。失われた過去の代償。
 見張りの立つ競売場を、背を屈め立ち去る彼女に残されたものは何もなく、ただ枯葉を踏みしめて行く…(競売場)

 枯葉は落日を思い起こさせます。ここにもう一人、過ぎた日々の思いに浸る姿があります。

 …どうか思い出して欲しい。僕たちが恋人同士だった日のことを。
  あの頃は毎日が美しく過ぎ、太陽の光は今よりも輝いてみえた。
  枯葉が風で吹きだまってたのを、僕は覚えている。
  枯葉は風に吹かれて舞いあがる。
  思い出も、そして、後悔も…(枯葉)

 人生は悲喜交々。時にはどうしようもない災難が降りかかったりします。当事者にどうしたらそのショックを柔らかに伝えられるか、任された人は悩みに悩みぬきます。で、最終的にこう言ってみるんです。

…奥様、万事順調でございます。ただひとつだけ、厩はお城からの飛び火で燃え、お城は灰塵に帰しました。でも、それを除けば、マダム、万事順調でございます…(万事順調でございます、奥様)

 いろいろなことがありますが、例えば浮気とか、痴話喧嘩とか、不本意に別れた恋人たちも。でも、せめてクリスマスくらいは今一度、恋に目覚めたいものです。新しい恋も、昔の恋も、本当のやさしさに満ちて。

 …アルマ橋ではいろいろあったけれど、それがどうしたというのか。いつもどおりでないクリスマス。そして、もとの暮らしが一番。7日遅れの幸せなクリスマス…(楽しいクリスマス)

 誰かに愛されるなら、自分が愛した人に愛されたい。他の誰からの愛でもない自分が望む人と恋をしたいという情熱。
 真空パックの初恋とか、恋人栽培キットなどというものが、いつか出てきたら嫌だなと思うのは僕だけでしょうか?そんなことありませんよね?

 …青空だって落ちてくるかもしれない。地球だってひっくりかえるかもしれない。でも大したことじゃない。
 あなたが私を愛してくれるなら、世の中のことはどうでもいい…(愛の賛歌)

 アルバムのラストは若さの熱気が飛び跳ねるような力強いナンバー「サン・ジェルマンへおいでよ」です。
 刹那的で無責任だと責められても、それが若さのエネルギーであったのだと、自分が思い通りに動けなくなった今、思ったりもします。

 …イマジネーションがなけりゃ、お家でおねんねしてな!ここは聖なる場所。合言葉は「思いつくまま!」…

 サン・ルイ島に架かるシュリー橋を発って、ゆるやかな弧を描くようにパリ5区から7区を通り、コンコルド橋まで。活気に溢れ、無数の人生を乗せて流れているのがサン・ジェルマン大通りです。
 現在は高級デザイナーズ・ブランドが立ち並び、僕のような者は居心地の悪さを感じますが、それでもちょっと路地に入れば落ち着きを見せる小さなカフェがあります。
 サン・トリノ、シャンゼリゼと並ぶ恋物語の名所です。

 シャンソンには物語が閉じ込められています。泥臭さもあるし、気障っぽさが鼻につくこともあります。けれど、それもこれも人々の呟きのようなものから生まれていて、どの歌も並べて眺めていると、まるで小劇場の出し物のように思えてきます。

 別府葉子さんの温かな声とナチュラルな歌唱。素敵なアルバムです。
 
 そのうち僕が好きなミレイユ・マチューのアルバムもご紹介できればと思います。


 

 

 

 

 

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脱走兵、或るシャンソン

 国の腐敗というのは汚職のみを指すわけではありません。
 真の腐敗とは、国民の手から政治が離れ、一部の政治資金提供者の恣意による政治が横行することを言うのです。
 自らの痛みを伴うことなく、苦痛のすべてを大多数の国民に押し付けて、安穏と豪奢なテーブルに着き、美味珍味に舌鼓を打つ、ぶよぶよと溜まりきった脂肪に死臭を漂わせているごく一部の特権階級気取りの売国奴の専横を許す下地が腐敗の正体なのです。

 そして、もうひとつの腐敗は、理想を喪失した国民ひとりひとりの心です。
 かつて日本には60年安保闘争という時代がありました。その是非は別として、ひとりひとりが危機感と理想を胸に抱いて、主義主張の垣根を越えて闘った時代がありました。
 まだ第2次世界大戦が鮮明な記憶として残滓を留め、ベトナム戦争の渦中にあったという特殊性がもたらした協調だったかもしれません。
 けれども政治に対し、社会に対し理想があったことは事実でしょう。一部その理想の根拠に多少の問題があったとしても。
 
 今、僕たちは政治を話題にしても問題とすることは無くなってしまっています。
 新聞やテレビでの不愉快な話題程度にしか感じ得なくなっているのではないでしょうか。
 個人の理想を達成するためには、理想の国を達成しなくてはならないというのに諦めてしまっているのです。
 
 たとえば「ねじれ国会」などと非難がましい言葉を誰が最初に言ったのでしょうか?
 独裁を防ぐためのストッパーならば、ねじれているのが正常なのです。
 党議拘束の下で本当の意味での当否の吟味ができるでしょうか?
 肝心なのは、正しいネジれ方をしているか否かなのです。
 与党が出したものだから取り敢えず反対、野党案だから否決という単純なものではあってはならないのです。
 国民はネジれの根拠を見極めるべきなのです。

 先日、某お馬鹿さんがナチスを引き合いに出しました。
 問題なのはナチスを譬えにあげたことではなく、密室でことが済むと考えたことなのです。

 僕は政治の話を意識的に避けてきました。たまに揶揄することはあったとしても、この場に上げるようなことはしませんでした。

 けれど手に取った一枚のCDから、あえてこの話題を抜き出してみました。
 別府葉子さんのアルバム "Comedies Francaises Le deserteur"に収録されているボリス・ヴィアンの「脱走兵」というシャンソンによります。
 
 「反戦歌」と大袈裟に掲げるつもりはありません。
 なぜなら「戦争反対!」と叫ばなくとも、恋の歌はすべて反戦歌であるはずなのです。
 平和な世界でこそ恋を叶えることができるのですから。

 今日、僕はこの歌を改めて聴いて、僕たちの国は、この世界はやはりどこかで道を間違えてしまったのだと思ったのです。
 そして道を間違えてしまったのは僕たちひとりひとりが理想を喪失して、或いは、理想が衰退してしまったためではないのかと、そう感じたのです。
 僕たちは理想を口することを躊躇ってはならないのです。誰もが幸せになるために生まれてきたのだから。

 このシャンソンは僕にこう耳打ちしました。

 「逃げるなら思い切って逃げ出しなさい。」

 目を逸らして見ないことにしているのは「逃げる」ことにはならないのです。
 逃げ出すのなら心臓がバクバクして、息が切れて、足が上がらなくなるほどに走り続けて、全身全霊をかけて逃げるべきなのです。
 そして、息を吹き返して夢を思い出したなら、小さな勇気を振り絞って、聞き取れないような微かな声でもいいから「それは嫌だ」と吐き出せばいいのです。
 その小さな声のひとつひとつが、理想のために闘う力の理由なのだと僕は思います。


 ― 脱走兵 ―

 大統領閣下にお手紙を差上げます。
 お時間があればお読みいただけますように願っております。

 私は今、召集令状を受取りました。
 水曜日の夜までに戦地に発てとの指令です。

 大統領閣下、私は戦争を望んでおりません。
 私は可哀相な人たちを殺すために生まれてきたのではありません。

 閣下を苛立たせるつもりはございません。
 しかしながら閣下に申し上げなければならないのです。
 私が逃走しようと決意したことを。

 私は此の世に生をうけてから今日まで、父の死を目の当たりにし、
 兄弟たちの出征を見送る時の、悲しみにくれる子供たちの涙を見てきました。

 苦悶に焼かれ続けた私の母は、今は墓の下で眠っています。
 爆撃も、蛆虫も気にすることなく。

 私は捕虜となった時、妻を盗られました。
 魂を盗まれました。
 そして、私の愛すべき過去のすペてまでも。

 明日の朝、私は旅に出ます。
 これから起こる失われる歳月を拒否するために。

 フランスの道端で物乞いをして暮らすことになるでしょう。
 ブルターニュからプロヴァンスへと渡り歩き、私は人々に訴え続けます。

 服従を拒もうと。
 戦争を拒否しようと。
 戦争に行ってはいけない。
 出征を拒みなさいと。

 誰かが血を流さなければならないというのなら、閣下ご自身の血をお流しください。
 閣下は偽善者です。

 私を追うというのなら憲兵たちにお伝えください。
 私はいかなる武器も持ってはいないということを。

 そして、撃ち殺しておしまいなさいと。


 脱走兵
 別府葉子:仏蘭西小劇場"脱走兵”


 

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梔子、それから追伸として

 「自画像を描いたことはありますか?」
 風がよく通る夏の午後だった。
 小さなベンチで、互いに少し離れ気味にして腰を掛けていた。
 鏡のように風景を映しこんだ池を挟んだ向こう側に、両国公会堂の朱色の煉瓦が鮮やかに見えた。
 この日が初対面だった彼女となぜそんな話に行き着いたのかが記憶に残っていないのは、それが唐突に提示されたものであったか、それとも意味のないお喋りの流れ着いた先だったということかもしれない。
 僕はいつものように考えもなく、浅薄に答える。
 「自分を記録として残しておきたいという趣味はないし、第一、僕には絵心がない。だから描いたことはないよ。図工や美術の時間でも自画像は提出しなかった。自分をみるのが何よりも嫌だから。」
 「私は絵画が専攻なのでたくさん描きました。描いているうちに、自画像は姿を描くのではなく、その瞬間までに自分がどう生きて来たかを描くものだと感じ始めました。そして私は、生きていくこと自体が自画像を描くことではないのかなって思っています。毎日、毎日、連続する瞬間の全てが自画像を描き続けていくことなのではないでしょうか?自分の姿を描くことほど残酷なものはありません。耐えがたい苦痛なのです。それでも記憶のなかに自分の姿を刻み付けて行くことしかできないのです。それが負っている責任なのです。そして誰かを好きになるとその人の肖像画も描き加えたくなり一生懸命になるのです。でも本当は自分の姿を描くだけで手一杯なのに。ですから、ある日、その緊張がぷつんと切れてしまうことがあります。嫌いになったわけではないのです。たた単に疲れてしまうだけなのです。様々な色を織り交ぜて描くことの楽しさを覚え、次は何色にしようかと夢をみているうちに、次第にどんな色を混ぜてよいのか分らなくなって、ある日、画面が黒一色に近いものになっていることに気が付いてしまうのです。つまり描いてきたのはふたりの姿ではなく、あくまでも自画像の延長だったということです。パートナーは静物か、風景の延長上のようなものなのです。自分の姿だけを描くのなら、恐らくこんなことにはならなかったと後悔するのです。」
 僕の幼稚な思考能力では彼女の言葉を理解することができなかった。だから、愚にもつかない言葉を口から漏らすのがせいぜいだった。
 「君は自分がエゴイストだって言ってるの?」
 彼女は少し首をかしげるように、水の反射から目を守るかのように前髪を右手で押さえながこう言った。
 「人は自分の命を生きている限りエゴから逃れ得ません。どんな生き方をしても自分としてしか生きられないのですから。献身を装っても、独善を生きるのには違いないのです。ただ周りの評価が異なるだけです。」
 その言葉があまりにも張りつめていたので僕は何かを言う資格を失くした。
 「ごめん、よくわからない。」
 「あなたには自分の記憶に残しておきたい人がいますか?」
 蜻蛉が彼女の肩にとまり、器用に頭を回しながらあたりを窺うと、瞬間移動でもするかのようにそこを離れた。
 そのまばたき程の僕のとまどいの時間を、彼女は優しく掬い上げた。
 「いるのでしょうね、そういう人が。羨ましいです。あなたは自画像以外の肖像画を描くことを知っています。私には…。」
 そう言って彼女は足もとに吹かれてきた白い花弁をつまみあげて掌に載せると、まるで蒲公英の綿毛を飛ばすかのように小さくふうっと吹いた。それはほんの短い間だけ危うげな紙飛行機のように風に乗り、横風に流され、数メートルも行かないうちに、池の手前にある皐月の緑を超えることなく落ちた。
 「もうそろそろ病室にもどらないといけません。今日は有難うございました。次の診察日はいつですか?」
 「来週の木曜日。」
 「時間は今日と同じですか?」
 「たぶん、同じくらい。」
 「では、また診察室の前にあるポトスの横のベンチにいます。お時間があったら声をかけてください。看護婦さん以外にはお話をする人がいなくて退屈なんです。よかったらもう少しお相手をしてください。」
 
 そうして彼女とは何度か病院の喫茶室や公園で話をする機会を持ちました。その後、彼女は母親の実家のある札幌に行くことになり病院も変わりました。
 中学2年から高校1年の秋くらいまで約2年強でしょうか?手紙のやりとりをしてはいましたが、次第に取り交わしも細くなり、いつしか途絶えていました。

 今更ですが、ここに追伸を送ります。

 「今はどうしていますか?元気になりましたか?文通が途絶えて久しくなった時分に、一度だけあなたに手紙をだしたことがあります。高校の卒業式を間近に控えた頃のことです。別に取り立てて用件があったわけではありません。どうしているのかなって、消息伺い程度のものでした。けれど宛先不明で戻ってきてしまいましたが。その手紙は、しばらくはスチール製の勉強机の引き出しの中にありました。気づかぬうちにどこかに紛れてしまったのは、恐らく捨ててしまったからなのでしょう。僕は今でもあなたの話相手としては力量不足で申し訳なかったと思っています。あなたの話題に応えることが何一つできませんでした。でも僕は、あなたの話を聞くことが大好きでした。ですから、あなたが言った通りに、今、肖像画をひとつ描いてみました。残しておきたい記憶の姿として。ただそれにも力量が大いに不足しているようです。申し訳ありません。それから、ありがとうございました。お元気でいることを信じています。」

 あの日、彼女が吹いた白い花弁は梔子でした。今でもこの花を見ると、時折、こうして思い出すことがあります。
 
 
 
 


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