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うちの魚ちゃんたち

 
 僕は海水魚を飼っています。あまり人にはおすすめできないのですけど小型水槽(30cm)で。
 安定するまでには随分失敗もしましたが、現在は飛び出し事故以外は大きな失敗もありません。
 海水魚は海水の比重とか、水温とか、水質などやっかいなことが多いのですが、何とか小型水槽でもいけています。水替えは大型水槽よりもマメにやらないと問題が発生するので、そこは面倒です。
 人工海水の素は「マリン・メリット」というのを使っています。水質の調整剤(バクテリア)は、BICOMのスーパーバイコム78とスーパーバイコム21PDを使っています。
 それと、コケ抑制として同じくBICOMのアルジガードも使い始めてみました。こちらは使い始めたばかり(3週間目)で何とも言えませんが、とりあえずコケの発生は入れないよりかは良いようです。もっと日数をみてみないことにはわかりませんけど。

 エサはブラインシュリンプが主。冬場はブラインシュリンプの卵が孵りにくいので稚魚の隔離用セパレーターを使っています。それとメガバイト・レッド。たまーに活きたイサザアミを入れています。

 水槽04

 最近までは水の汚染原因であるタンパク質を除去するスキーマーをつけていなかったのですが、魚が増えてきましたので2台目の水槽にはカミハタ社製の「海道河童」の小型をつけてみました。
 これはスキーマーと濾過装置が一体化していて、しかも小型水槽に取り付けられるという優れものです。気泡の調整にはちょっと慣れが必要ですが、毎日いじくっていれば要領も得てきます。
 ただし濾過装置としてはフィルターが小さく、少し弱いので、別にもうひとつくらいつけた方がいいかもしれないですね。僕は水槽を買った時に付属していたGEX社製の小型のものを取り付けています。

 ところで、肝心の魚はどんなのを飼っているかといいますと、水槽は薬浴用(今はヨウ素)をいれて3台あります。現在療養中のキイロサンゴハゼ2匹と、写真が撮れなかった小さなベビーちゃんたちを除いた顔ぶれをご紹介します。

 まず1台目には、ニシキチンアナゴ、イシヨウジウオ、イエローコリス、オウゴンニジギンポ(ベビー)。
 こちらの水槽は割と水質にうるさい魚を集めてみました。
 エサはブラインシュリンプを毎日孵化させて与え、イエローコリス用にキョーリンのメガバイト・レッドを少量いれています。

 ニシキチンアナゴ イシヨウジウオ イエローコリス

 以前にイシヨウジウオは水替えで失敗しておりまして、マンネリな世話の仕方をしていると死なせてしまうという貴重な経験をくれました。今回で2度目のチャレンジです。

 ハナハゼ ハナハゼ 水槽05

 2台目には、ハタタテハゼ、パステルグリーンラスx2、イエローコリス、チョウコショウダイ、ハナハゼ、クロサンゴハゼ、デバスズメ(ベビー)x4が暮らしています。
 こちらもエサは同じものです。ただし、メガバイト・レッドはちょっぴり大目に入れています。

 ハタタテハゼ チョウコショウダイ クロサンゴハゼ

 今は3台目の水槽を立ち上げていまして、その中にはパイロットフィッシュとして、コバルトスズメ・ベビーが5匹入っています。

 ところで、ヨウジウオの仲間とか、スズキ科の魚は飛び出すんですよね。水槽のフタは気を付けて隙間なくしているつもりなんですけど、ごくごくわずかな隙間をぬって飛び出してしまうんですよ。朝、干からびた魚を見つけるのがショックで…。お願いですからどんなに盛り上がっても飛び出さないでください。「飛び出すな、二度とお家に帰れない」ですよ。お魚さんたち。

 それぞれに特徴のある魚たちですが、個別のお話はまた機会があった時に。  







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盛岡、ちょっとだけの散策

 佐香先生をお訪ねした折、ちょっとだけ時間つぶしに散策してまいりましたので、その時の写真などを。

 まずは「高松の池」です。

 高松の池

 ぐるっと周ると結構広いですよ。桜の名所でもあります。
 高松公園を出て最初に訪れたのが三ツ石神社です。

 三ツ石神社は盛岡市内で最古といわれる東顕寺の一郭にあります。
 ここには「三ツ石様」と呼ばれる、岩手山が噴火したときに飛んできたとされている大岩があります。
 その大岩には次のような伝説があります。境内の由来書きをそのままご紹介します。

 …昔この地方に住む羅刹(らせつ)という鬼が、里人や旅人に悪さをするので、里人が三ツ石様に「どうか鬼をこらしめてください」とお願いしたところ、たちまち三ツ石様が羅刹を大石に縛りつけてしまった。羅刹は「もう二度と悪さはしません。二度とこの里にも姿を見せません」と誓ったので、約束の印として、三ツ石に手形を押させて逃がしてやった。岩に手形から岩手と呼ぶようになった。…

 三ツ石 三ツ石神社・鬼の手形モニュメント

 この伝説とは別に、平城天皇にみちのくの豪族から見事な鷹が献上され、その獲物を捉えたら離さない頑強な爪から、その鷹に「岩手」と名付け、それ以後、その豪族の治める地を「岩手」と呼ぶようになった、というものもあります。

 いずれの由来も真偽のほどはわかりませんが、岩手盛岡一体には花崗岩の巨石が多く見られます。地面からニョッキリとそびえる巨石は台地の指にも譬えられたことでしょう。その地質的な特徴から名前が付けられたと考えるのが妥当かもしれません。
 ちなみに「さんさ踊り」もこの三ツ石神社から発祥したものと伝えられています。
 羅刹膺懲を喜んだ里の人たちが神様に感謝し、三ツ石の周りを「サンサ、サンサ」と言って、踊って祝ったのが「さんさ踊り」の起源だと言われています。

 この鬼には別の伝承もあり、そこでは化物ではなく、坂上田村麻呂によって捕えられた三人の蝦夷の首領だとされています。この三人の首領は、以後、朝廷に服従し二度とこの地には戻らないことを誓い、その証として三ツ石に手形を押したと言われています。
 しかし、これはちょっと不思議な話ですね。坂上田村麻呂は現地の人々から見れば侵略者です。それが英雄扱いとは…。彼等がよほどの暴君であったなら別ですけど。この別伝承は朝廷寄りの後付と思った方が適切でしょう。

 三ツ石神社からさほど離れていないところに報恩寺という古刹があります。かの石川啄木がその歌に詠み、盛岡三十三観音霊場第二十七番札所にもなっているお寺です。そこにある五百羅漢を拝観したくて足を運びました。

 報恩寺山門00 山門 報恩寺・羅漢堂00 羅漢堂

 開基は1394年。南部家十三代英主守行公によって三戸八幡山下に創建され、1601年に現在の地に移転されたとのことです。その寺内に羅漢堂はあります。

 報恩寺・羅漢堂01 報恩寺・羅漢堂 報恩寺・五百羅漢03

 建造は1753年。中央の廬舎那仏は弘法大師の作と言われています。手前は八歳竜女像です。

 報恩寺・廬舎那仏 廬舎那仏

 この羅漢堂には四百七十体を超える仏像が安置されています。
 その一体一体はすべて異なる表情を持っていて、落ち着きはらった白顔の賢僧もいれば、おしゃべりをする者、おどけている者、中には居眠りをしている者さえいます。その全部の表情を捉えることはできませんが、目に入るものだけを見ていても飽きることがありません。

 報恩寺・五百羅漢00 報恩寺・五百羅漢01 報恩寺・五百羅漢02

 それら羅漢像の中で一際異彩を放つのが第百番善注尊者と第百一番法蔵永劫尊者の二像です。

 報恩寺・第百番&百一番 第百番善注尊者/第百一番法蔵永劫尊者

 このふたつをじっくり眺めていると何かイメージがわいてきませんか?
 遠くを仰ぐようにしているのが「マルコ・ポーロ」で、その隣で威厳を正しているのが「フビライ干」と言われています。

 報恩寺マルコ・ポーロ 報恩寺フビライハン

 マルコさん、黄金の国は見えますか?
 「血迷ったフビライ干、元寇を企てる」なんてシャレにならない見出しはごめんです。

 二つの古刹をあとにして最後に向かったのが、岩手県立博物館です。

 岩手県立博物館イントランス・ホール チャグチャグ馬っこ

 1978年に岩手県岩泉町で発見されたモシリュウの大腿骨化石や郷土に因んだ遺物が数多く展示されています。企画展や体験もできるように考えられており、時間をかけて見てまわりたいところです。
 僕が行った時には、鉱物や昆虫、植物などの「光るもの」の特別展が開かれていました。

 不思議な蛍石00 不思議な蛍石01

 常設展示にも、ニホンイズナやニホンカワウソの剥製、そして、恐らく我が国最後の捕獲例かもしれないニホンオオカミの毛皮などがあります。
 ニホンオオカミは明治三十八年(1905年)を最後に姿を消したと言われていますが、この毛皮は明治43年(1910年)に岩手県二戸の蛇沼牧場で捕獲されたものであると言われています。

 ニホンイズナ ニホンカワウソ ニホンオオカミ毛皮

 他にも行きたいところはあったのですけど、タイム・オーバーということでここまで。
 次はもっとゆっくりできるように時間を取りたいですね。
 でも、泊りがけは難しいかな…。 



 


 


 


 

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佐香先生のローズ・ガーデン

 6月22日(土)、佐香厚子先生の丹精込めたローズ・ガーデンを拝見するために千葉から盛岡まで車を走らせました。
 柏IC~磐越自動車道~盛岡ICという経路。天気予報の「曇り、のち、晴れ」を信じて、ひたすら北へ。
 前日の午後9時30分に家をでまして、往路は前沢SA(午前3時30分着)まで時折強く降る雨を気にしながら一気に走り、そこで朝食とトイレ休憩。朝食はヘルシーな三陸塩ラーメン(680円)。持参してきた佐香先生のコミックを読みながら疲れをとった後、空が白んでくるのを見て、盛岡へ再スタート。

 風知り草 (小学館、昭和57年初版)

 予定通りとはいえ、当然、早く着きすぎてしまい、まだ周囲は開け染めぬ時刻。とりあえず、高松の池へ。
 高松の池と言えば、浅田次郎の小説「壬生義士伝」の主人公・吉村貫一郎の住まいがあったのがこの辺り。
 「夜が明けるのを吉村貫一郎はどんな思いを込めてみていたのだろうか」とそんなことをちょっと考えて、半周ほど散歩。もう少し明るくなるのを待ってから場所確認をしに行こうと、ご住所をカーナビにセットして、一休み。
 8時くらいになってから目的地へGO!
 ところが車はひたすら住宅地へ…。ショップらしきものはどこにもみあたりません。
 「ここかしら?」と思い当たった綺麗に整えられたお庭は見受けられますが、どうみても個人宅です。
 まさか…ね、と。
 そう、僕は当初から誤解をしていたわけです。
 つまり先生が主催なさっているオープン・ガーデンは「北の国の花っこ」という事務局があって、そこで開かれていると思い込んでいたのです。まさか、ご自宅とは想像もしておりませんでした。
 場所をはっきりとつかめぬまま、くるっと一回りしてから、11時くらいにもう一度来てみようとそこを離れました。

 オープンガーデン00

 報恩寺、三ツ石神社、県立博物館などを見てから、再度、先ほどの場所へ。時刻は午前11時ちょうど。
 ありました!
 「OPEN GARDEN」と書かれた看板。
 やはり先ほどのお家です。車を道端に寄せて、恐る恐る伺いますと、お庭の中には手に何かパンフレットを持ったようなご婦人のグループが。
 カーポートの周りをよくよく見てみますと小さなテーブルがあり、そのうえにお庭の説明が書かれた紙が置かれてありました。どこにどんな花が植えられているのかが非常にわかりやすく描かれています。
 
 オープンガーデン04 オープンガーデン02

 僕の自宅の庭にもバラを植えてはありますがまったく手がまわらず、優雅とか丹精と言った表現から遠く離れ、すでに野生化しております。ドクダミや西洋月見草と激しい陣地争いを繰り広げている我が家のバラたちと何という違いでしょう!
 レイアウトが行き届き、バラ同士が手を伸ばしてもお互いに邪魔にならないように気を配り、バラ以外にも多種の花々が植えられています。その織り交ぜ方も絶妙で、「なるほど、こういう植え方もありなのか」と自分の作庭のヒントにもなりました。
 お庭の通路脇には小さなテーブルが用意され、佐香先生が訪れた人たちにお茶をふるまっていらっしゃいました。
 ここで僕は大変失礼なことに気付いたのです。
 バラに誘い込まれるままに「お邪魔します」の一声でお庭に入ったきりで、肝心の先生にきちんと挨拶すべきなのをすっとばしてしまっていたのです。
 しかしながら、ちょっとだけ言い訳をさせていただきますと、僕がお邪魔した時に「あの方が先生かな?」と思われる女性が他のお客様とご歓談なさっていたので後回しにしてしまったのです。

 オープンガーデン05

 どんな言い訳をしたところで、僕が見事に咲くバラに囚われてしまったのは事実です。
 1909年に作出された、珍しい絞りのオールド・ローズ「バリエガタ・ディ・ボローニャ」から、「南部桜」と命名された新作品種まで、それはそれは素晴らしいものでした。

 オープンガーデン03 オープンガーデン06

 そんなこんなで僕が花に夢中になっておりますと、「狭くてすみませんがこちらでお茶でも」と先生からお声をかけていただきました。
 ご自宅にラベンダーをお植えになられているという方と、そのご友人でやはりバラの愛好家でいらっしゃるというご婦人お二人と同席させていただきました。
 そのコーヒーのまろやかな味わいは佐香先生の作品からこぼれでるお人柄のようにも感じられました。

 オープンガーデン01

 佐香先生はバラのみではなくクレマチスなどの栽培にも造詣をもっておられ、その植え付け方などにもアドバイスをされていらっしゃいました。

 ご婦人方のお話を聞きながら間抜けな僕は、何年もの間、作品を通じてしかお会いできなかった先生ご本人を前にして、何一つ気のきいたことも言えず仕舞いでした。
 先生にはお話したいことは山ほどあったのですが、こちらが勝手に緊張して思い浮かばず、本当にまったくお話をすることができませんでした。
 もし次に機会がありましたら宜しくお願い致します。きちんと準備してからお会いしに行きますので。

 けれども、僕はもとよりご本人にお会いできるとは思っていませんでしたので、この幸運はかえがたいものであるのには違いありません。
 単に先生が手がけているというオープン・ガーデンを拝見できれば良かったのですから、これはとっておきのボーナスのようなものでした。

 「立待月・居待月」の「たえ子」、「窓にはたんぽぽ」の「あかね」、「こんこん粉雪」」の「みいこ」など、どこかほっとさせてくれる主人公たちが持つ雰囲気そのままの佐香厚子先生でした。

 ところで、盛岡ではオープン・ガーデンは盛んなのでしょうか?快晴の土曜日ということもあってか来客もひっきりなしで、先生も大忙しのご様子でした。

 ワッフル

 最後になりましたが、佐香先生は被災地支援もなさっておられ、当日も宮古の老舗菓子舗の「田老かりんとう」や「黒糖のワッフル」などをご紹介しておられました。
 僕は「かりんとう」と「ワッフル」、それから先生が挿絵を描かれている「庭物語」というエッセイ冊子を買い求めました。
 平べったい渦巻のかりんとうは甘すぎず、上品で、昔懐かしい駄菓子のような味わいです。もちろん駄菓子よりも遥かにおいしいです。
 ワッフルは一分ほどトースターで焼き、表面をパリっとさせますと香りも甘みも引き立ちます。カフェオーレやミルクなとど相性が抜群です。
 両方とも素朴な、人としての温かみが伝わって来るかのような味わいのお菓子です。
 紅茶とスイーツがないと生きていかれない僕としてはワッフルははまるかもしれません。
 直接、注文することができるのか明日にでも電話してきいてみようかと思います。

 27年ぶりにせっかく盛岡まで行ったのですから、他にも訪ねたいところあったのですが仕事の都合で思い及ばず。帰路は盛岡ICから往路を逆にたどる形で休みなく一気に千葉へ。盛岡13時30分、千葉着が18時40分でした。

 田老かりんとう

 田中菓子舗
 岩手県宮古市田老字向新田148
 グリーンピア三陸みやこ共同仮設店舗 たろうちゃんハウスC棟ー8
 ℡ 0193-88-5355

 
 

奇妙な夢

 近未来、拡張された仮想空間というものが存在し、人間が五感でそれを体験することができ、かつ、あらゆる理想を反映できるようになったとしたら、果たして人はその世界から戻ってくる気になるだろうか。
 もちろんそれらが廉価的なサービスではなく、ある特定の階級、或いは、それを継続して得るために自己資金以上をつぎ込むことになるうちは、一定のガイドラインを保つであろうことは想像がつく。
 短時間であれば現実との分別はそう難しいことではない。
 ゲームセンターでのお遊戯のようなものだ。精神的な疲れをとるためのメンテナンス・ヒーリングの延長のようなものに留まる。
 けれど、マイ・スペースでのネット・サーフィンのように、もしくは、ソーシャル・ゲームのように無制限にアクセスすることが可能な状態を維持できる経済力と普及性があったとしたら、それは現実からの乖離を促進する悪性の嗜好となりはしないだろうか。
 理由は説明するまでもない。「現実」は常に僕たちを失望させる材料に不足してはいないから。
 拡張された仮想世界の愉悦を維持するために自らを植物人間化することも躊躇わない、つまり現実的な活動をすべて放棄し、あちらの世界に生命を沈めるという人が現れても不思議ではない。
 現実における肉体が生命維持機能を低下させ、死の直前に迫っても、人が快楽的な想像をうみだすことができるのかはわからない。ただその死を意識することさえできれば、仮想世界では死に方さえもコントロールできるのかもしれない。英雄的に、悲劇的に。
 そしてそれらの極端な話をすれば、肉体を放棄して精神だけで生き続ける、その技術を創り上げることが仮想世界の最も完成された形ではないだろうか。
 自分にとって都合の良い夢の中で生き続けることができれば、何も現実の自分を認識させる必要はないのだから。生も死も。

 一時的にすべての収入をつぎ込んで、できうる最大限の仮想世界を味わった後に現実に戻ることは、老いた者が若かりし幸福な夢から目覚めた朝に鏡に向かうのと同様に、否、さらに質の悪い、より現実的な絶望の裏付けとなりうる。そこに映る自分の姿はほんの少し前まで五感を支配していた理想の片鱗もなく、人によってはその絶望的悲嘆が手段を問わない狂気衝動の源となる。

 劇中劇ならぬ夢の中の夢。
 仮想世界から目覚めた僕は、鏡に映った自分の顔をナイフで削ぎ落としたのだ。不思議と痛みは感じなかった。むしろ恍惚感さえあったかもしれない。
 そして僕はもうひとつの現実に気づく。僕は拡張された仮想世界を維持できるほど裕福ではなかったということ。ここでの「現実社会」も富裕と貧困とに大別されていたことに。

 たまにこんな奇妙な夢をみることがある。
 



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2個目

 どーでもいいことなんですが、ガリガリ君で2個目のアタリがでました。
 今年はアタリが多く入っているとかあるんでしょうか?
 昨年までは1個もあたったことないのに。
 
 ガリガリ君2個目01

 これで今年のすべての運を使い果たしていたりしたら嫌だな…。

 ガリガリ君2個目02

 でも「運は人のそれなり」と言いますから、僕は人間が小さいので、こんなものしかあたらないのか。

 そういう意味では、幸運の神は采配の分をわきまえているといえるかも。

 その人に合った幸運ってやつですかね…。






 
  

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伝言板…駅の片隅に

 かつてどこの駅にも伝言板というものが置いてありました。縦書きの線で区切られた、深い緑色の。
 「みんなの伝言板です。マナーを守ってつかいましょう」と小さく添えられていること以外には、何一つ特別なことの無いボードでした。

 小学四年生の頃、夏の少し手前に東京に越してきた僕は、家族が離散して祖母の家に預けられていたため、電車で少し離れた小学校まで通うことになりました。そうして、僕は初めてこの伝言板に気が付いたのです。
 大きな文字で「お父さん、いってらっしゃい。みちこ」と書かれていたのを覚えています。
 僕はそれを見て、「父親よりも早くこの駅を発ったのだろうか?それとも前日に書いていったのだろうか。通勤で急ぐ父親はこれに気づいたろうか」と不思議な思いでその文字の前に立っていました。
 それからというもの、この伝言板がいつも気になって、通りがかるたびに足を止めて書かれている文字を眺めていました。

 伝言板には「時間が経過すると消すことがあります」と断り書きがありましたが、実際には朝見た伝言が夕方まで残っていることもしばしばでした。
 小学校に転向したての半年間、それから、高校と電車通学となり、日常で利用する駅は当たり前のことながら、それ以外の駅に降り立った時でも、いつも僕は意識的にこの伝言板を探しました。
 知った人の名前があるわけでも、自分あての伝言があるはずもありません。それでも、そこに書かれていた文字は誰宛ともとれるようで、僕はそれを読むことで自分の隙間を埋めようとしていたのかもしれません。

 「よっちゃんへ、もう会わない。」

 僕にも「よっちゃん」という愛称の友達がいましたので、勝手なストーリーを頭に描き、そんな彼に当てはめて可笑しがったり。

 「遅刻したお前が悪い。先に行く。」

 いつからか時間を違えた感のある僕には、僕自身がすっかり忘れてしまっている約束がどこかにあり、それを誰かが書かせたのではないかと考えてみたりもしました。

 「またなー。」

 短い言葉でですが、それを見た時、ほんの少し嬉しくなったことを覚えています。僕も胸の内で「またな」と返答を呟いたりして。
 
 今は電子メールがあるので、いつでもどこからでもタイムリーに伝言が送れます。それは大変便利ではあるのですが、なぜか無機質で冷たく感じられてしまうのです。
 手紙や伝言は相手が読んでくれるかどうかわかりません。それ以前にきちんとその人宛につくのかも不確定要素が多くあります。特に駅の伝言板などは。
 それでもそれらが血の通った温かみがあると思えるのは、人のクセが感じられるからなのです。文字や言葉遣いに。
 そして、それが辿りつくまでの時間が更に、そこに思い入れを注ぎこんでいるからなのです。

 僕たちは省略することに慣れ過ぎてしまってはいないだろうか。文章においても会話においても。そしてそれは知らないうちに自分の垣根に、人との距離になってはいないだろうか。時間を短縮することで僕たちは人間らしさを忘れかけてはいないだろうか。

 雑踏の中で読む人を待つ伝言板。
 大多数の人々は気にもとめることなく、その前を足早に過ぎて行きました。
 届いた言葉、届かなかった言葉。幾度も書いては消され、また別の伝言が生まれ、そんな繰り返しが確かに感じられていた時代。

 「がんばらなくてもいいよ。いつでもいるから。ずっとずっと思っていたよ、ありがとう。」

 旅先で初めて降りた名前も思い出せない駅。
 僕はこの時、この伝言を見てほんの少し泣きました。あの頃、僕は本当につらくて街を後にしていたので。
 
 それから、僕が学校をさぼってうろついていた或る日、御茶ノ水駅にこんな伝言がありました。

 「悲しみを心から感じた人は、きっと優しい人になる。」

 今から30年ほども昔のことです。


 


 
 
 

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ガリガリ君あたり

 いや、

 あの、

 えーと、

 大したことではないんです。

 ガリガリ君のあたりがでただけで…。

  ガリガリ君あたり

 すみません、それだけです。


 

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ちょっと銀座まで

 銀座

 仕事で日本橋まで行きましたので、ちょっと銀座まで足を延ばしてみました。
 年に数回しか行かない場所ということもあり、変化が如実に感じられます。この変わり様を見ているとがっかりしてしまうのは僕が齢をとったためなのでしょう。
 他県のアンテナ・ショップもたくさんできましたね。それはそれで面白いのですけど。
 ちなみに下の写真は群馬県情報館の「ぐんまちゃん」です。

 銀座04

 こうして歩いていると昔お世話になったいろいろなお店が浮かんでくるものです。
 名物駅名メニュー(品川、川崎~大森)のカライライスとか、ムール貝専門レストランとか、かにしゃぶの名店(カニ某ではありません)もあったんですよ。日東のティーサロンも当時は普通に営業していましたしね。
 京橋寄りですが「プス・イン・ブーツ」という名の洒落たパブ、有楽町にあった「葡萄の木」(今は銀座コアの裏に移転しています)、柊という串揚げ屋も懐かしいですね。並木座っていう映画館にも割と足を運びましたね。

 かつてあったいぶし銀のような老舗も徐々に姿を消してゆき、ついには歌舞伎座もテッキンコンカンと響くような立派な高層ビルになっちゃって…。
 ハロッズやら、ヴィトンやら、その他個性を売り物にしている有名ブランドが目白押しに立ち並び、それがかえって銀座を無個性な街に変えつつあると僕は思うんですけど。

 浅草、上野といった街とは異なる雰囲気に包まれた下町の高級繁華街、銀座。自転車や地下鉄で出かけるごとに感じていたときめき。
 10年ほど前までは、レカンやマキシムなんかも扉をくぐれば別世界のようなキラキラした雰囲気を持っていたのですが、今は何かしっくりこないんですよね。
 そういえば、かなり以前ですがアピシウスでぞんざいな接客をされて怒ったことがありましたね。料理は良かったんですけど。そのアピシウスも今はもうありません。

 まあ、あんなことこんなことを思い出しながら、次のアポイントまで時間があったので京橋の手前までいって銀座へ戻るかたち。
 「太宰がこの辺で間借りして、向かいのタバコ屋の娘に下心を抱いたんだっけな」とか考えながら、ジグザグ歩いて並木通り。
 その並木通りで変わったイントランスにひかれて、遅めのランチ・タイム。時間は15:00丁度。

 銀座01

 ハワイ料理のお店「MAHARO-KITCHEN」です。前回、高橋先生の個展を観に来た時も気にはなっていたんですけど時間がなかったのでスルーしました。
 店内は間接照明を上手に使って落ち着いた雰囲気を出しています。それほど広くないし、昼時を外れていたこともあり静かでしたし。半熟パンケーキ(780円~)にも興味を惹かれたんですけど、結局は「クラシック・ロコモコ」にしました。ドリンク付きで1130円でした。

 銀座02

 オーダーから食事がサーブされるまで手元の時計で18分くらい。手持無沙汰だと少し長く感じますね。
 味はハワイ料理ですから、特に可もなく不可もなくといったところでした。
 のっているハンバーグは単体で食べると塩が強めですが、シチューや目玉焼きと混ぜ合わせることを前提とすれば丁度良い感じですね。
 ただシチューとハンバーグが冷たかったのが…。盛り合わせたときはそれなりの温かさがあったと思うんですけど、お皿が冷えていますとね、一緒に冷えちゃうんですよ。でも、僕が知らないだけで「冷たくてOK」なものかもしれないので、何とも言えませんけど。
 紅茶はアールグレー(ポット・サービス)にしたのですが香りが良く出ていました。スタッフの若い男性も丁寧でしたし、全体的には好感が持てるお店でした。次は半熟パンケーキを食べてみようかなとか思っています。

 銀座03

 銀座の行きと帰りにギャラリー向日葵に立ち寄り、高橋先生の個展を再観。
 「夢見るころ」という小品に見とれていました。今回の展覧会で僕が最も気にいった作品です。この絵が非売品なのが残念ですね。あの作品がお譲りいただけるなら、是非ともそばに置きたいと思いました。時間があればもっと見ていたいですね。きっと飽きずに一日中でも眺めていられます。
 会場に詰めていらっしゃる先生ともお話をすこしさせていただき、銀座を後にしました。






 

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鳥たちの病院(千葉県市川市)

 僕はコザクラインコを二羽、飼っているのですが、そのうちの上の一羽の調子が悪くなりまして、今日、市川にある「鳥たちの病院」に連れて行きました。

 鳥たちの病院02 病院イントランス

 「鳥たちの病院」のお世話になるのは今度で3例目です。

 最初は、引き取ってきたばかりのヒナが餌を食べなくなり、かなり衰弱した状態で連れていきました。即、入院でした。この時は診療室にいた他の患鳥さんの飼い主の方が憐れんでくださるくらい、先生にこっぴどく叱られました。
 「一羽飼って、それもまだ半年も経っていないんでしょう?友達が飼えなくなったからってすぐに二羽目のヒナを引き取るなんて、ちゃんと飼えもしない人がすることではありません。こんなにしてしまって、小鳥にとったら引き取ってもらわない方が良かったくらいです!」と。

 2例目は、過発情で産卵をしすぎて、卵が卵の形にならず産卵管内でつまってしまった知人の小鳥を診てもらうために連れて行きました。

 今回は、コザクラインコ(5歳)が産卵後(5度目の産卵)に調子を崩し、自力で歩くこともままならなくなってしまったので診てもらうために連れてきました。
 お腹の中に卵があるなと気がついてから体重を量ったりして気をつけてはいたんですけど、「まあ、いつものことだから」という弛みもあったのは事実です。
 金曜の深夜か、土曜の早朝に産卵したものと思われます。
 産卵前日の体重が53g。産卵した朝が50g。その夜に量ったら48gになっていて餌を食べた気配もありませんでした。
 産卵直後は、おとなしくしていることが多いので「今度も同じ」くらいに思って、朝は仕事に向かいました。しかし、帰宅後、様子をみてみると、明らかに異常を示しています。
 既に午後7時過ぎ。日曜日を挟んでいたので、病院へ連れて行く月曜日まで少しでも状態を悪くしないようにと、すぐにペット・ヒーターを入れて、とにかく暖かくしてあげることに。
 暖かくしてあげたその夜は、レタスを口元まで持って行ってあげると食べ、時間をあけたその後もリンゴと餌を少しだけ食べ始めました。
 病院に連れて行った今日は、自分で止まり木にとまれるくらにはなっていましたが体重は49g。通常の平均が51~52gですから、心配な数値ではあります。しかもまだ本調子ではなさそうなので、念のため連れて行ったと言うわけです。
 
 ここの先生の口調は、かなり厳しいです。人よりも鳥のためを思ってのキツサがあります。

 「可愛い、可愛いだけで、寒さで死なせたり、餌が食べられなくて飢え死にさせたりしたらどうするの。」
 「時々は体重を量ったり、餌の食べ具合を調べたり、そういう基本的なことができないようなら飼う資格ありません。」
 「喜んで食べるからといって人のご飯あげるなんて鳥のためになっていません。それは人間が、自分が嬉しくてやっているだけで、鳥のためには決してなりません。」
 「具合が悪いな、と思ったらすぐ病院につれていかないと。忙しいから明日にしようなんて思うくらいなら、鳥なんて飼わない。」

 その他、大分怒られた記憶があります。でも、当たり前のことを言われているに過ぎないんですよね。それがカチンとくるというのは、自分にできないとわかっていることを真っ向から指摘されるからなのです。
 それで、つい「鳥も大事だけど、鳥のために生活しているんじゃない」なんて心で思ったりしてしまうんですよね。 
 でも、命なんです。ゼンマイや電池で動くおもちゃじゃないし、ゲーム・オーバーしたらコンティニューやリセットで再スタートなんてきかないんですよ。
 そう考えれば、怒れない鳥たちに代わって人間を叱りつける人がいても良いのじゃないかと思います。

 鳥たちの病院01 病院前から市川駅方面を望む

 千葉には、この「鳥たちの病院」のほかに鳥の専門病院として、柏「小鳥の病院」と千葉市あすみが丘「グリーン鳥の病院」があります。いずれの病院の先生も厳しい方です。
 グリーン鳥の病院の平野先生もそうですが、こちらがきちんと鳥の世話をする姿勢をみせて、アドバイスを真摯に履行しようとすれば、どちらの先生の厳しさも、実は鳥たちのためばかりではなく、飼い主のためであることが理解できると思います。
 
 鳥を病気にしてしまったのは飼い主(僕)のせいですから、小鳥の辛さの何分の一かの叱られる怖さを味わうのも責任の一端。
 死なせてしまったら、飼い主はもっと悲しく辛い思いをしなければなりませんから。そういう思いをしないためにも、ちゃんと鳥のことを理解してくれている病院にいくことも飼い主が負っている重大な責務なのです。
 
 鳥たちの病院03 地図

 鳥たちの病院
 千葉県市川市市川南2-9-24
 診療時間:午前 10:00~13:00
      午後 16:00~19:00
 休 診 日:金・ 日祝(急患は予約)
 TEL:047-326-1513



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多賀新「江戸川乱歩の世界」

 銀座のプランタンを京橋方面へ向かった先にある「スパンアートギャラリー」で、版画家・多賀新が春陽堂文庫から発刊されている「江戸川乱歩文庫」の表紙ために作成した銅版画の作品展が開かれていました。
 個展は、30部前後のエディション数で刷られた銅版画の即売を兼ねており、五~八万円前後で頒布されていました。
 個展自体は6月1日が最終日となっており、この日記を書き上げる頃は既に過去の展覧会になってしまっています。ご紹介が遅れたことをお詫びいたします。
 個展は終了しましたが同ギャラリーでは引き続き作品や図録の販売を行っていますのでお問い合わせいただければと思います。

 多賀新05

 多賀新の作風は、一言でいえばエログロなのですが、単純に括れない魅力があります。作中にはヒエロニムス・ボッシュの絵画に登場するような半魚人や獣人のような生き物が徘徊し、時には画面すべてを闇の手中に収めるごとく広がっています。その世界は甘美な誘惑臭を充満させた悪夢というのでありましょうか。幼いころに一度は見る鬼に追われる夢のような印象に近いとも言えます。

 多賀新03「吸血鬼」

 「吸血鬼」は昭和5年~6年にかけて報知新聞に連載された小説です。
 画中の覗き込む眼と犠牲となった女性をイメージするかのような奇妙な固体。犯人と思われるその眼差しには、復讐鬼と化した異常さと共に、心奥に秘めた愛をどこか漂わせているかのような悲しみが感じられるようです。

 多賀新02 「人間椅子」

 椅子職人が自分の作った椅子の中に入り、そこに坐る人々の感触を楽しむという特異な性癖を見せます。
 ある日、彼が入った椅子が競売にかけられ美貌の女流作家のもとに届けられます。そして後日、椅子である自分に坐る美貌の夫人に恋する椅子職人の心理を綴った物語が彼女の許に届けられます。
 人気のある物語です。永井豪も、ある漫画の中でこの人間椅子をヒントにして逆バージョン(つまり美女を肉椅子にする)を取り上げていました。
 
 多賀新01 「パノラマ島奇談」

 「パノラマ島奇談」というと丸尾末広の漫画が浮かんでしまうのはどうしたことでしょうか。
 大正15年10月~昭和2年4月号の「新青年」にほぼ隔月で掲載された乱歩渾身の作品です。その大正という時代を感じさせる物語描写と、当時、人気挿絵画家であった高畠華宵を彷彿させる丸尾の作風がそうさせるのかもしれません。
 ここでは多賀新は、阿修羅像を思わせる像と男女入り組んだ手で印を結ばせることで、自制と本能欲のせめぎ合いであるパノラマ島のカオスを表しているかのようです。
 個人的にこの作品は気に入っています。
 
 多賀新00 「陰獣」

 アミニズムさえ感じさせる作品です。
 人間を食らう巫女といったイメージで描かれている女はシャーマン的であると同時に、どこか植物的でもあります。貪欲に人間の本能を吸い上げて成長する植物。そこにあるのは死への妄想なのかもしれません。
 
 多賀新04

 僕の友人は「多賀新の作品を眺めることは、自慰の快感に似ている」と述べていましたが、他の方は如何なる感覚をお覚えになられるでしょうか。
 画集を手にして絵だけを楽しむの良いですし、表紙を眺めながら江戸川乱歩の世界に踏み込むのもまた楽しいです。スパンアートギャラリーで販売している「銅版画 江戸川乱歩の世界」には、多賀新の直筆サインが入っています。

 銀座 画廊 スパンアートギャラリー
 tel. 03-5524-3060
 東京都中央区銀座2-2-18西欧ビル





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MACOTO2013 ~ 高橋真琴先生の人魚姫

 今年も銀座ギャラリー向日葵にて高橋真琴先生の個展が開催されています。今回のテーマは「海のファンタジー~人魚の世界」と題されています。

 macoto2013-2.jpg macoto2013-.jpg 「人魚姫」(1975年)

 佐倉フラワーフェスタのポスター原画「フラワー・プリンセス」などの新作から、たのしい幼稚園(1971年10月号)に掲載された絵物語の原画まで40点ほどが展示されています。
 今作では、お馴染みの可愛い動物たちのほか、様々な木の実や果物が絵のなかに登場しています。それらを探しながら鑑賞するのも楽しみのひとつです。

 macoto2013-3.jpg
 
 高橋真琴先生と人魚姫というモチーフは僕の中で白鳥と同じく、切り離せないものになってしまっています。
 子供の頃に祖母から与えられた本に載っていた人魚姫の愛らしさが、物語の悲劇的な結末をなお一層やりきれないものにさせていたのが思い出されました。
 けれどもこうして見ていますと、海を渡る風となり王子を見守るという優しさはその悲劇を救うものであり、高橋先生の描く人魚姫はその愛と優しさにおいて最も相応しくも思えます。

 macoto2013-1.jpg 「人魚姫」(1979年)

 会場には高橋先生ご自身も来場されていらっしゃいましたので、短いお時間でしたが「同じモチーフを繰り返し描く」ということについてお伺いいたしました。

 macoto2013.jpg 「人魚姫」(2013年)
 
 「僕は昔の作品を見返したことはないんですよ。ノートを見ることはあるのだけれど、そこには絵は描いてありませんから。
 だからもしかしたら同じ構図のものも、ひょっとしたらあるかもしれないけれど、時がたっていれば、そこに新たな気持ちも生じてきますから、ちょっとづつ違っているんですね。
 人魚姫の表情とか、背景とか、その時々に浮かぶもので人魚姫自体が違うものになっていくんです。
 それは絵が上手くなるとか、技法的に複雑になるとか、そういうことではないんです。そういう必要もないのかもしれません。
 新しい人魚姫としてイメージを吹き込むことで、常に新しい成長した人魚姫がでてくる。それでいいのだと思います。観ている人がどう思うかはわからないけれど。もしかしたら同じにみてるかもしれない。(笑)
 同じモチーフを何度も描き続け、いつかこれこそが自分の人魚姫だというのができるかもしれない。それが同じものを描くということの意味だとおもうのです。」

 macoto2013-01.jpg 「ねむり姫」(1975年)

 高橋先生のお話を伺っていて、以前、岡本太郎さんに面会した折にお聞きしたことを思い出しました。

 「芸術家にはキャリアは必要かもしれない。だけどね、それは作品の積み重ねじゃない。そんなものは必要ない。常に新しいものを生み出す。観ている人には同じに見えるものを、違うと感じさせるためのネルギーを注ぎ込む。芸術家は過去にこだわっちゃいけない。出来てしまった作品は忘れる。そしてまた同じモチーフをいじって、壊して、新しいものを生み出す。それが芸術家の魂だね。」
  
 岡本太郎さんのいう芸術家のキャリアとは経歴ではなく、芸術家には元芸術家という概念は存在しないということなのです。たとえ絵筆を握れなくなっても芸術家はその生涯において芸術家なのです。なぜなら、芸術家が注ぎ込んでいるもの、表現しようとしているものは技術などではなく、新しいものを生み出すという情熱、命そのものだからです。

 高橋先生と岡本太郎さん、作風は異なっても、芸術家の精神が見ているものは同じなのだと改めて感じました。

 macoto2013-00.jpg 「フラワー・プリンセス」 
 
 仕事面と体調面で行き詰っている僕は、今日のこの展覧会で心が救われた感じがします。
 不安を取り除くことは不可能ですが、一瞬でも和らげてくれるものがあります。皆さまもそれを見つけにお出かけになってみては如何でしょうか。
 会期は5月28日から6月8日まで。会期中はお休みはありません。入場料も無料となっていますのでお時間がございましたら、是非お立ち寄りになってください。
 今日は仕事の途中で立ち寄ったものですからあまりゆっくりできませんでしたが、会期中にもう一度足を運んで次回はじっくり鑑賞してみたいと思っています。

 高橋先生、いつまでお元気で僕たちに素敵なファンタジーを送り続けてください。ご自愛ください。

 ≪MACOTO2013「海のファンタジー~人魚の世界」≫
 会期:5月28日~6月8日(土)
 Open 11:00 ~ 18:30 Close
 
 銀座ギャラリー向日葵
 東京都中央区銀座5-9-13 銀座菊正ビル2F(銀座松屋近く)
 TEL 03-3572-0830(会場)



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