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結城信一「文化祭」③

 ○「山毛欅(ぶな)」(昭和48年十月、群像)

 「山毛欅」は珈琲店の主人との交流を淡々と描いた短篇です。

 お伽噺というのは現実には起こりえない夢物語だと言う人がいます。
 現実はもっと殺伐として殺風景なのだと。
 現実に生きている僕たちにしてみれば、小説や映画、アニメのようなミラクルやファンタジーな現象は実際には起こりえない事と考えます。 
 それは確かにその通りなのです。
 朝、登校途中に息を切らして駆けてくるパンを咥えた美少女と衝突する可能性も、秋葉原で人工衛星らしきものがビルの屋上に墜落してくることも、宇宙人に誘拐されたことのある可憐な従妹と同居する可能性も、「あるわけがないこと」に括ってしまっても差し障りは生じないでしょう。
 ただお伽噺や奇跡とは、かぐや姫やイエスばかりに与えられたものではありません。
 お伽噺は誰の中にも存在するのです。それは現時点から生まれるものではなく、過ぎて行ったものから生まれ来るものですから。
 気づきもしないうちに誰もがお伽噺のなかを通り過ぎてきているのです。
 たとえば、青春と言ったら古臭いと笑われてしまうでしょうか。
 僕はまだ老醜を語る年齢に達しているわけではありませんが、それでも確実に老いてきていますし、少なくともあの特別な時間のなかで生き生きとしていた張りはもうとっくに失われています。
 感傷というのは、若さが生み出す美しい陶酔ではありません。センチメンタルな季節とは思春期のみに許された特権ではなく、寧ろ老いて行く者にこそ相応しい糧なのかもしれません。
 死はどこに向かっているのか、死とはどういった時間なのか。
 僕はここのところ不意に考えます。
 永い間、手に取ることのなかった結城信一の小説を改めて読み返す気になったのもそんな気持ちがあったからなのだと思います。
 
 …その木が枯れはじめた。植木屋に相談してみると、木の弱りだといふ。弱りと言つても、原因は病気ではなくて、風だと思ふ。仲間と一緒に生えてゐればいいが、一本立ちでゐては、辛いことだと言ふ…

 その一本になった時に思いかえす過去こそが、死に向かう現実なのではないかと思うのです。遡ることによって死に近づくのだと言ったら「したり顔」と捉えられ非難されるかもしれません。
 それでもそう思わせるものが結城信一の小説のなかにはあるのです。
 
 「落ちるものは落ち、還らざるものは還らず。」

 小説「山毛欅」のなかで結城信一はそう綴り、そして、その後に更に続けます。

 …不思議なことは、これまで見えなかつたものが見えてきたり、忘れ去つてゐたものが、三十年、四十年過ぎた今、突如として鮮やかに生き返つてくることです。…これは、もう、死に直結してはゐないでせうか。私の毎日は、謂わば滅びの支度です。…

 身辺小説は大作には結びつかないかもしれません。
 それは小さく、地味で、淡々としていますから。しかし、だからこそ丁寧に綴りあげられた物語は、まるで遺書のように感じられるのです。
 結城信一が生前に残した本は12冊です。それらに、慎重に生命を注ぎ込むようにして「滅びの支度」を続けていたのでしょう。
 青春を戦争で磨り減らし、生残った彼が過ごした日々は、帰宅の無い旅路であり、一本だけになった木であり、過ぎ去った古い記憶を拾い集めて行く彷徨であったのだろうと思います。そしてその終着は「人が死んでゆくとき、愛の思ひのほかに何が残るか」ということにあったのです。
 



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結城信一「文化祭」②

 結城信一「文化祭」について、もうしばらくお付き合いください。 

 ○「文化祭」(昭和49年十月、群像)

 1962年の春、「私」は古い知己である栗林から、彼が運営する女学校での英語の客員教師の招聘を受けました。東京から約一時間ほどのところにあるその女学校は中学と高校で構成され、「私」は高校3年生を受け持つこととなります。そこで「私」は、磯貝邦子という少女と出会うのです。

 …気がつくと邦子は、おそらくは新任教師への強い好奇心からと思われますが、黒くまるい鋭い眼を、執拗に注いでゐたのです。…
 
 彼女の視線は「私」に鮮烈な印象を与え、その鋭い輝きは次第に「強い好奇心だけではない」ように思われてきたのです。
 磯貝邦子はその容姿のみではなく、英語の素質も図抜けていて、「私」に教育者としての平等無私の念を失わせるほどになります。そこにあって英語教育者として才能のあるものを引き立てる意思と、「少女」に対する愛情とが混在してゆきます。愛情の発芽がその深層に生まれた瞬間でもあります。
 やがて文化祭が近づき、校長の栗林から「出し物」の相談を受けます。そこで「私」はマンスフィールドの「カナリヤ」の英語朗読を勧め、その朗読者に磯貝邦子を推薦しました。
 しかし、栗林は、昨年も彼女に英語の朗読を披露させており、二年連続になることから「さういうことは、なるべく避けたい。他の方にも影響があるから。こんなことぐらゐ、あなたにもわかるはずだ」とその任用を保留します。が、「私」の奇特な情熱によりついには譲歩を余儀なくされ、認めることになりました。
 磯貝邦子は、「私」と栗林の葛藤も知らず、文化祭の演出等について相談に訪れ、幾度ものリハーサルを重ね本番への準備を勧めます。「私」は真摯で可憐なその姿をずっと凝視つづけます。

 「私」は磯貝邦子の存在に注目して以来、「胸の奥で静かな動揺が起こってゐるのを、あたかも地鳴りが加速してゐるように感じながら、それを絶えず意識してゐたばかりでなく、一方この思わぬ邂逅を、かなり有頂天にさへ取り扱って」いたことを意識していました。年齢にして四十二の開きがあり、本来であれば幻想でしかない愛情とも言えます。

 文化祭の当日。「私」ははじめから欠席の予定でいましたが、ほんの気まぐれから足を会場に向けました。それは「時として自分を墓穴に陥れがちな気紛れ」だったのです。

 「私はあのこを愛してゐました。どんなにか愛してゐたことでありましせう。この世の中で、愛の対象物が何であらうとも、それはたいした問題ではないと私は思ひます。けれども何かは愛さなければならないでせう…」

 磯貝邦子の朗読は完璧でした。伴奏のピアノと相俟って最高の効果を演出したと言えます。しかし、その朗読の奥底にあるものは「私」にとってある疑念を生じさせることになりました。

 …やがて奇異なことが私の心中に、思ひも寄らぬかたちで起こつてきました。私が受け止めてゐる感銘とは裏腹に、邦子は私から遠のいてゆき、手の届かぬ存在となり、既に誰かと「感じ合ふ」だけではなく「思ひ合つて」ゐそうな疑いに、私は急に捉われはじめたのです。
 邦子への期待はこのとき、強い嫉妬にすりかはつていたやうでした。…
 
 ここまでがこの小説の粗筋です。

 この小説は田山花袋の「少女病」に通じるものを持っています。
 失った時間を取り戻したいという夢想のうちに「少女」に対し憧憬を強くし、自身があたかもその憧憬の一部となり得るかのような幻想を抱くのです。
 現実的には、「少女」を取り巻く恋愛という、その舞台にはあがることもできないのです。「少女」の視線からは既に愛の対象として認められるはずもないのです。その決定的な敗北に、ある瞬間、気づかされることになります。
 田山花袋の「少女病」では主人公はその幻想を意識し、すでに絶望しています。それ故に妄想の中で少女を愛するのです。しかし、結城信一の心情はあくまでも純粋な恋愛を夢見ています。だからこそ、その終焉を自覚した時の残酷さは、意識を根底から昏倒させます。

 …はじめから見通せてゐたはずのものが、はじめから見えてはゐなかったことへの自己嫌悪と羞恥とが私のなかを、私を押潰しながら走り抜けました。…

 最後に「私」が呟く言葉。

 《…此処のところで終わつたな…》 

 この終焉の呟きの残酷な痛みは胸を刺し貫きます。
 夕暗の中、周囲の景色が特異に映り、それは怪しげに心にのしかかってきます。しかしその怪しさは、得てして自身の中から生み出されているものなのです。恋愛も同じことなのです。
 
 僕は以前に高校時代の自分について「僕自身の恋愛を諦めていた」と書いたことがあります。それは本当にその通りなのです。だからこそ結城信一の小説に惹かれました。
 当時の僕には小説の細部を理解する力もありませんでしたし、その孤独の深さが僕よりも遥かに深いものであったことにも気づかなかったでしょうが、僕の結城信一に対する共感の原点はこの作品でした。
 僕が結城信一の作品をはじめて手に取ってからしばらく後に、彼は世を去りました。昭和五十九年のことです。
 

 

 

 

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結城信一「文化祭」①

 「その人の傍にゐるだけで自分といふものが善良になるやうに思ふ、そういふ人がこの世の中に本当にゐるものだ。」

 これは童話作家であるH.C.アンデルセンの言葉です。
 結城信一の小説の中で展開される愛とはまさにこのようなものであるのです。
 男だから女を愛するのではなく、愛しいという気持ちが自分を清らかに平安なものにさせる。それは奪うことを知らない美への純粋な感傷にも相似していました。
 彼の抱くその愛の純粋さは小説中に描き出される「少女」に象徴されています。そしてそれは彼が求め苦悩するほどに孤独の陥穽に落ち、少女の純粋さを守るためにはその死を避けては通れないものとなったのです。

 「少女といふものは、いづれ誰かの手によつて奪はれるか、さもなくば、『死』によつて奪はれるか、その何れかだからである。」(「ルドン」への夢)

 結城信一は千葉と鎌倉を結ぶ動線上にいた作家です。そう言った意味での親近感もあって僕は好んで彼の小説を手にしました。

 結城信一 「文化祭」

 結城信一「文化祭」
(青娥書房、昭和52年初版、署名)

 「文化祭」は結城信一の自選短篇集です。昭和46年から50年にかけて発表された8篇を収録しています。
 簡単に粗筋をご紹介しておきます。
 
 ○「花のふる日」(昭和50年十月・群像)

 主人公の有田は寡作な画家である。
 ある日、散歩から帰る途中、自宅の手前で目の高さに咲く黄楊の花を見つける。雪が散り敷くように咲きこぼれた花は有田の心の有り様とも、有田自身ともとれた。

 …花に気づくのが遅かったのは、こちらの心の状態にもよるだらうが、あまりにも小さい上に、色が派手でもなく、またみだれることもしないからか…

 自分のアトリエもこの花に似ていはしないかと感じる有田。
 その有田のアトリエに訪ねてくる一人の女性がいた。50歳にかかった有田とは20以上の齢の開きがある由紀子である。彼女は好奇心からか、それとも別の感情からか有田に接近し、また近づくことを拒むように躱していく。そして、彼女は有田の作品を「うっすら暗い」という。
 有田は彼女から一冊の日記を取り上げる。そこには彼女の平凡な日常が綴られ、有田を訪問した時のことも当然、綴られている。
 日記を持ち歩くなど不自然ではないのか?なぜ、素直に取り上げられたのか?有田の疑問は巡り続ける。
 そうしたある日、彼女から一通の手紙が届く。それは「あの日記のことです。まだ持っておいででしたら、破いて棄てるか、燃やすかしていただきたいのです…」というものだった。
 
 ○「明滅」(昭和47年八月、婦人之友)
 河原はホテルで開催された錦鯉の品評会に足を運んだ。そこで総支配人の秘書をしている見富鈴子から招待状を受け取ったからだ。
 見富鈴子の印象について次のように語られている。

 見富鈴子の眼は、潤みを含んで大きくひらく。瞳はやや褐色の優しさを帯び、明るく艶めいてかがやく。その鯉の中にわづかな笑みでも滲みでてくると、河原はしばしば危ふくのめりこみそうになる。大きな鯉は語りかけてくるのではなくて、おもむろに誘ひこんでくるやうな静かな気配を示す。

 誘いこむような錦鯉の艶めきに似た鈴子に会うことは、彼にとって束の間の命の喜びとなる。「光にふれるだけでもいいのだ」と彼は思う。鈴子は暗に救いを求め続けたというのに、河原は自分を抑え続ける。そんな彼の耳に品評会の雑踏の間から言葉が投げつけられる。「見富鈴子が死んだ。」

 ○「夜の梅」(昭和49年十二月、風景)
 23歳で早逝した姉の一周忌について叔父を交えて話し合いが行われている。
 母親は「供養の場を宴会にしたくない」と主張し、父親と叔父は「親しい人たちに思い出してもらことで供養になる」と言う。主人公の「ぼく」は叔父のその言葉を光明を得たと捉え心根では賛同を送る。しかし、母親に「あなたはどうなの?」と迫られ、こう答えた。

 「お母さんの意見に賛成です。」

 姉の死、一周忌、そして、庭に植えられた梅の古木。それは幹の部分が洞のようになり樹皮だけで生きていた。一周忌の話をしたその雨の夜、庭にでて古木を眺める。支えている一枚の樹皮は「ぼく」の家庭において、そして、「ぼく」自身にとって何を意味しているのか。それは朧の夢のようであり、夢は破られなければならない。そして、それはいつでも唐突に来る。

 ○「白い落ち葉」(昭和46年四月、群像)
 啓一は奇妙な夢を見た。それは自分と自分が抱き合っている夢であった。彼等はそこで会話を交わす。

 《無理をしてまで生残るなんて、意味があるのかい》
 僕は素直に答える。
 《さうだとは思はないよ。ただぼくは、疲れてしまったんだ、何もしないうちに…。それならもう一緒になってもいい頃だらうか》
 《此処はおそろしく暗いぞ》
 《どんな風に暗い》
 《おそろしく暗いぞ》 

 啓一はそれを「自分の死の半身」だと意識する。その死の半身とは?

 啓一には数日前に死んだ姉がいた。啓一の母親から見れば唯一の肉親であった姉。啓一は自分を「家族」ではないと確信している。その彼にとって愛情の憧憬であり、対象であった姉の死は、そのまま彼自身の死を誓うものであった。

 姉と交わした最後の会話が谺する。

 「だって、其処まできてるぢゃない?あの車を消したい。抱かれたまま燃えてしまひたいのよ。地獄に落ちてもいいの。天国なんて、いつたい誰が考へたの?行けるひとは行けばいい。姉さんは地獄に落ちたい。たつた一度限りのいのちぢゃない?いま、姉さんのからだは白く見える?それとも赤いの?もう死んでゐるの?」
 
 姉は悲痛な最後の激情を啓一にぶつける。

 「姉さんがさう言うのなら、一緒に地獄におちるよ…」

 ○「椎林」(昭和47年三月、群像)
 都会の一隅にある森林公園。その中には樹齢500年を超える椎の極相林がある。
 極相林とは自然の手に委ねられた植物は遷移を起こし、最終的にその環境に最も適した樹木林を形成することを言う。それは人にとって何事もなければ理想の環境を与えてくれるはずのものである。しかし、主人公はこの林の静寂に神を見出し、恐怖を見出す。

 《…この静寂から巷の中に出てゆけば、そこには明るい闇がある。それだからこそ、この静寂がありがたいのだらうが、ここに浸りきることが恐ろしい。それにしてもこれらの樹木が醸しだす、不気味な静寂はいつたい何なのだらう…》

 椎林は人の心の深淵にも似る。そこに愛憎という闇が存在している。主人公はその闇を感じ取る。
  
 「あなたに、五千年、六千年、も生きてゐてほしいと、と思ふ。そのやうに祈つてきた。けれども、あと百年、いや五十年のいのちが、あなたにあるだらうか。まばたき一つほどのあひだに、あなたは立つだままの姿で、白い骨になつてゐはすまいか。私は今、ふと思つてみた。まばたき一つほどのあひだに…」

 極相林は時をかけて理想的な植生を形作った。主人公は公園の入り口で手渡された「公園白書」に目を落とす。

 《高速道路から園内に流れ込んでくる大量の排気ガスが、この公園の地形から言って、滞留するのにまことに都合よくできてゐるのは、極めて皮肉なことです。…(中略)…
 「極相林」が枯れはじめるのは、人間にとって最悪の環境であるといふことを、特に申し上げておきます》

 ○「束の間の幻影」(昭和49年一月、群像)
 木原は抑留生活から帰還した折、親友の沼崎から恋人であった江里子の遺品だといって半分だけのセーターを渡される。それは奇妙なことに縦に半分であった。

 「自分が死んでも、半分だけ死んだわけで、あとの半分は、木原さんの中に生きてゐる…」

 ついで沼崎も病に斃れ鬼籍に入った。
 木原はひとり生残る。彼は沼崎の死については目の当たりにした事実として受け入れている。しかし、江里子の死には現実感がない。その実感を、死の床にあった沼崎を見捨てた宮間佳子の呵責を引き出すために利用するが、彼女は見透かしたように取り合わない。
 
 時間に現実感を重ねることのできないまま木原は恩師のKを訪ねる。そこで彼を迎えに現れた女性は…。



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亀戸天神鷽替 - 春隣 -

 昨年は参拝することが叶わなかった亀戸天神の鷽替神事に行ってきました。毎年、足を運んではいたのですが昨年は思うように時間がとれず、ついに中断してしまいました。去年のいろいろな躓きも「もしかしたら…」との感があり、今年は験を担ぐ気持ち半分の参拝となりました。
 昨年来なかっただけと言うのに、もう何年も来ていなかったような懐かしさがあります。
 天神様の太鼓橋の袂いる「幸運の打ち出の小槌」のおじさんも、いました。その姿を見て「ああ、元気そうだな」と、ただそれだけで嬉しくなったりもします。

 鷽替H25 亀戸天神

 例年は午前中に参拝するようにしているのですが今年は仕事の都合で午後の参拝となりました。時間は2時半くらい。
 亀戸天神では薪能の奉納があるのですが今回は鷽替の列に並んでいる間に終わってしまい観ることが能ずとなりました。残念ですがまた来年の楽しみとしておきましょう。

 境内にはおみくじの結び場や絵馬の奉納場が点在しています。
 いけないとは思いながらも、こちら向きになっている絵馬をすこし覗いてみたりしました。
 天神様、受験シーズンということもあり、合格祈願はやはり多いですね。
 彼女なのか、片思いなのか恋愛成就なんていうのもありました。しかし、天神様が恋仲を裂くなんていうジンクスもありますので、微妙ですね…。
 「えいごソフトのペットがもっとそだちますように」という可愛いものもありました。自分で一生懸命に書いたのでしょうね。たどたどしく見える文字にも「思いあまりて」という感じでした。

 おみくじ結び場 おみくじ

 今年は例年にくらべてやはり寒いのでしょう。この時期、ぽつりぽつりと咲いている梅の花も今年はまだつぼみ。
 大寒を過ぎると春隣といえども、まだまだ寒い日がありますね。今日はそれほどではありませんでしたが。
 
 参拝を済ませ、天神前にある鼈甲屋を覗き見し、船橋屋の葛餅を片手にぶら下げ、通り向かいにある骨董店「ギャラリー・みそのう」にちょっと立ち寄るつもりでくぐったら、意外な長話になり、お店を後にしたのは5時過ぎでした。
 本当に「ほんの少し」のつもりだったんですけどね。
 お店の品々を一回りして退出しようとしましたら、「今、香をたきますので、どうですか?」と誘われ、僕も香をきくのは好きな方なので帰りかけた足を元に戻しました。
 ご店主の御園生さんは話し上手で、その内容もとても興味深く、時間を忘れてしまいました。ご店主のお許しがいただけましたら、うかがったお話の内容をご紹介させていただきたいと思います。

 お店を出て歩き始めた僕の背中に「今度、一杯やりに行きましょう」のご店主の声。気持ちも明るく帰途につきました。
 亀戸天神前の「ギャラリー・みそのう」にお立ち寄りになったら、ぜひご店主とお話をしてみてください。気さくで楽しい方です。

 春隣闇がふくらみ来たるなり  柴田白葉女

 ふとそんな句が浮かんできた、この日の夕間暮れでした。



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丹羽文雄「鎮花祭」

 本当の自分の生き方はもっと他にあるのかもしれない。
 そう思うのはあまりに通俗的で、建設的な考えではないのでしょう。
 自分を自分らしく生きるとはどういうことなのですか?
 人を認めず自分を押し通せば、それは自分らしいと言えるのでしょうか?
 今、ここにいる自分は、本当に自分の力で生きていると言えるのだろうか。
 丹羽文雄は一人の女性の生き方、その流転を軸として、自身の存在が生み出す理不尽な結果とその葛藤を題材とした小説を書きました。

 この小説「鎮花祭」は彼の代表作とは呼べないかもしれません。丹羽作品の中核をなすのは、「海面」「甲羅類」などの酒場の女主人物、生母や父親をモデルとした「鮎」「青麦」「菩提樹」などの暴露物、「親鸞」「蓮如」のような伝記物、そう言ったものであるでしょうし、それらとは明らかに路線を異にします。この「鎮花祭」は単なる通俗小説に過ぎないかもしれません。それだけに読みやすいとも言えますが。

 丹羽「鎮花祭」 文藝春秋社、昭和35年初版
 
 「鎮花祭」は、戸狩陽子を主人公として動いていきます。彼女は母と死別し、水晶の原鉱石の加工を生業としている父と妹と暮らしています。しかし、その生活は彼女の本意ではありませんでした。
 水晶の清冽で一途な輝きに似た美貌を持つ陽子。東京の一流企業で勤めていたこともあり、父や親戚の勧める縁談に従い一生を山村で終わることに大きな疑問を抱いていました。
 自分の意志によって選択する生き方を求め、実家を離れ友人である朝比奈公仁子を頼り上京します。その出立は家出の装い同然でした。
 
 「いまごろお父さん、うちの中を歩き回って怒ってるわね」
 と、陽子がいった。
 「これも、一種の家出にはちがいないんだわ」
 「家出?」
 「お父さんとしたら、姉さんが家出でもしてくれなければ恰好がつかないわ。父に背いた娘だもの」

 当時の家族制度から言えば父権は絶対的とは言えないまでも、まだそれに近い力を残していました。しかし、陽子の父は「陽子は、明日、東京へいけ」とぽつんとした一言で放逐します。
 父も妹も陽子の美貌を認めていました。妹にすればその美貌は「嵐を呼ぶ女ってあるけれど、姉さんも、なんとなく周囲に波乱をまきおこすようなひとね。姉さんが呼ぼうとしなくとも、ひとりでに周囲に風や波が立ちさわぐ」ものに映っていたのです。そして、それは予知に近いものでした。この小説の主題ともいえます。

 物語は東京の朝比奈家に移り、そこでは戦死したと思われていた公仁子の兄・朝比奈正方の14年ぶりの帰還という事件から彼女の意志とは無関係に流れ出します。
 陽子と正方、そして朝比奈家。公仁子のテレビモデルへの進出とプロデューサー・古田明。正方とその周囲の女性。それらが錯綜し、濁流の前には木の葉の意志など問題にならないように陽子は押し流されていきます。自分らしくありつづけたいという願いは果たして現実の前には無為であるのでしょうか。
 陽子の流転は、美しく咲いた花が活花に供され、より美しくという他者の恣意のもとに形作られていくように、そして捨てられる運命とも思えます。

 人間はその人生に対し本当に自分の意志を働かせることが出来ているのでしょうか。さらに極言するなら、自分の言葉や考えというものは存在しているのでしょうか。自分の言葉や思考、そこから導き出される意志とは単なる模倣によって生み出されているだけなのではないでしょうか。

 古田明はテレビタレントに限っての言葉を口にします。

 「最初はだれだって、そうだ。その内にはひとのことばをいうことに、慣れてしまう。その内には、自分と言うものが段々となくなって、ひとのことばばかりいうようになる。そのことでまた妙な気持になってしまうものだ。テレビやマイクに向かってしゃべっていることが、いつでも自分のことばでない、つまり自分がいいたいと思っていうことばではなく、ひとのことばばかりしゃべっている習慣がついてしまうと、ふっと、そんな自分自身が不思議な存在に思われるようになるものだ。そこにはもう、自分がないのだよ。いつの間にか、自分というものがなくなってしまうのだ。…」

 その感覚は、公仁子の母親への嫌悪感からより明確に表されます。

 人間は、よろこぶにつけ、悲しむにつけ、苦しむにつけ、誰かの真似をしているものだという。自分だけに許されているよろこび方、哀しみ方、苦しみ方というものは存在するようで、その実、存在しないようなもののようである。私は、それをおそれる。私はいつか知らない内に、母流によろこび、母流に悲しみ、母流に苦しむようになるのだ。母もまた、たれかの真似をしているにちがいないのだ。
 
 本来の自分を求めるということは現在の否定でしかないのでしょうか。現在の自分を認めることは敗北に近いものに傾いてしまうのでしょうか。
 公仁子の父・朝比奈宗三も自身をこう呟きます。

 「…家内はすなおにそういうことができなくなっているのだ。自業自得ということもある。わしもいく度、陽子のように考えたかしれないのだ。養子になんかなるものではない。家を出る心をきめながら、ぐずぐずしているあいだに、正方がうまれ、公仁子がうまれた。私には意気地がなかったのだ。…」

 宗三は一人痛飲し前後不覚となり派出所に保護されます。その翌朝、迎えにきた正方にこう対します。

 「あそこは留置場というところだったのかね」
 車の中できいた。
 「保護室ですよ」と。正方は声にだして笑った。「どうしてそんなに酔っぱらったんですか。お父さんのようなひとがはいるところじゃないですよ」
 ― お前が入れたのだよ。
 という風に宗三は正方をじっとみた。


 この小説の登場人物は、誰もが摂理とせめぎ合いをしています。
 自分の人生を自分の意志によって生きるというのは、まさしく自然の摂理に反抗していくことに似ているのかもしれません。
 人はひとりだけで生きているのではありません。人に頼り、頼られ、時に逃げ場がないほどに追われます。
 そして、人は約束というものから逃れることはできないのです。生理的な約束もあれば、機械的な約束もあります。たとえば、性という約束、家族という約束、夫婦と言う約束。
 すべてが本心から出た約束ではなく、義理、人情、環境といったものから逃れ得ず生まれた約束のほうが多いのかもしれません。それらを不条理としてとらえる悲しみが「本来の生き方」を夢想させるのでしょう。

 丹羽文雄は現代の恋愛は神聖な精神ではなく性的な衝動に駆られていると言う「恋愛の喪失」を底流におきながら、この物語を描写しています。

 はなしずめ(鎮花)の祭りは、古来、花が散るのに伴い疫病が蔓延すると考えられていたため、その災厄を鎮めるために花を供養するものです。その禍花とはこの物語では陽子の存在であり、その行き先なのでしょう。





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うなぎ茶漬け

 ふらりとまた成田へ行ってきました。
 家からそう遠くないとはいえ普段はあまり足を運ばないのに、今年は初詣についで2回目です。
 あの時は夜更けということもあり人も少なかったですが、今日は銀座の歩行者天国もかくやと思わせる賑わいと交通規制のための渋滞。時間は午後2時を過ぎ3時に近かったのですけど。
 なんとか駐車場の空きをみつけて入りましたが「節分まではこの賑わいが続くのだろうな」と、そう思った途端、「次にくるのは来年かも」が心を過りました。少なくとも節分前にはもう行かないですね。
 
 駐車場を出て山門に向かう途中の鍋店仁勇で甘酒と酒饅頭を買って、それを食べてから新勝寺へ。

 新勝寺 成田山新勝寺 

 手水で手と口を清めてから、ちらりと本堂に参詣した後、新勝寺最古の建造物である弁天堂に手を併せて、今日はこれでお寺を後にしました。いつもなら書道美術館、水琴窟などをぐるっと回るのですが参道脇のお店をみてまわりたかったので。

 入ってきた山門を出て坂を上り京成成田駅へと向かいました。途中の手焼きせんべい屋、漬物屋、酒屋、ちょっと奥まったところにあるレストランなどの店先をひやかしながらぶらぶら。太鼓専門店なんていうのもあってなかなかに面白い。

 せんべい 手焼きせんべい 

 4時になると交通規制が解除されて車が参道へ入って來るようになります。
 朝も昼もご飯を食べていなかったので「そろそろ何か」と思い、来た道を戻りながら飲食店を物色していましたら「うなぎ茶漬け」という文字が目に飛び込んできまして、「そういえば久しく食べてないな」と思い、その店へ。

 大野屋 大野屋外観

 成田でも老舗であり登録有形文化財にも登録されている「大野屋」さんです。江戸中期の創業だと言われています。安政5年(1858年)の成田名所図会には既にその姿が認められます。
 もともとは新勝寺に蝋燭を納める商家でしたが、当時、参拝に訪れた人の宿泊場所が限られており不便をきたしていました。そこで旅館業に転向し、現在に至ります。
 今の建物は昭和10年に改築されたものです。木造四階建ての建屋は現在の建築基準では認められておりません。それだけに珍しいつくりではあります。

 大野屋内部 大野屋内部02 大野屋内部

 店中に入って予定通りに「うなぎ茶漬け」の並を注文。一人前2500円です。近頃のうなぎは高価ですね。初詣の時に同じ成田参道沿いの「川豊」さんでうな重を食べました。その時も並で一人前2200円でした。
 待つこと10分ほどですから、待たされるという感も全くなく食膳が運ばれてきました。
 食べ方はいたって簡単。うな丼を半分ほど食べたら、白出汁のつゆを残っているご飯の上にかけ、好きな薬味をいれればいいだけです。
 うなぎの蒲焼は少し薄味ですがふっくらと焼きあがっています。そこにちょっと濃いめのつゆを注ぐとほどよく香りが立ちます。多少食欲のない時でも食べられそうな感じですね。

 うなぎ茶漬け うなぎ茶漬け

 食べた後、店内の見学がてらお手洗いをお借りしてから外へ出ました。

 帰りがけに黑平(くろべら)饅頭を買って帰りました。しっとりして、もちもちした黒糖生地のなかにしっかりした黒あんが入っていて、なかなかに人気のお饅頭です。
 それとイイダコを丸々一匹いれたタコヤキもありました。こちらは列に並ばないと買えない状態ですね。一皿500円です。
 
 大たこやき たこやき

 今日はただそれだけの日でしたね。特に何かをみつけたとか、充実していたとか、そんな感じのしないぶらっと散歩の半日、いえ、わずか2時間の散歩でした。 




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雑談の中

 今日(1月17日)の昼休みに「好きな作家」の話がでまして、それぞれに思い入れのある作家さんの名前を思いつく限り出し、またその各々の作家さんについて寸評を加えて話が盛り上がりました。
 今の若い人たちは読書離れとか言われていますが、結構、本を読んでいますよね。それはライトノベルの発行部数を見てもわかるとおりです。若い人たちに訴えるにはライトノベルを利用するというのは良い手かもしれません。
 筒井康隆さんが「ビアンカ・オーバースタディ」を書いたように、他の作家さんも自身の作品を理解してもらうための、または手に取ってもらうためのステップとして利用してゆくのには賛成です。
 ライトノベルの読者が読解力に欠けているとか耳にすることがありますが、そんなことはないと思います。いつだったか某カメラ量販店のベンチで高校生が「BACCANO」(成田良吾)について激論を交わしていました。禁酒法時代のアメリカ、世界恐慌の後遺症、第一次世界大戦までのシカゴなどの話題にまで及んでいて、その勉強ぶりはなかなかのものでした。小説に惹かれて何かに興味をもった時に生まれるパワーの強さを垣間見た瞬間でもあります。

 ビアンカ・オーバースタディ (星海社、2012年初版)

 好きな作家ですけど、僕にもあります。但し、無条件にその作家の作品が好きかと問われたら「否」と答えざるをえません。本当のファンと言うものは贔屓の作家が駄作を書いても、それを非難しつつも次作への期待と擁護をするものでしょう。
 たとえば「灼眼のシャナ」が「長すぎてだらだらしている。最終巻は戦闘シーンに終始して物語の本筋に迫っていない」とか、ある知人は言いつつも0巻から22巻まで読み通しました。
 僕は最後まで読めませんでしたが、彼は原作並びにアニメの大ファンでして、新刊が出るたびに事細かに教授してくれました。そういった意味では僕は熱烈に好きな作家というのは無いのかもしれないですね。

 それから音楽も読書も同じですが、その時々によって受け取り方が変わってきます。「以前は理解できなかったが今ならわかる」とか、「あの時は嫌いだったけど今は好き」とかですね。「前は好きな作家だったけど、今はなー」といったものも当然ありますよね。
 それから、その作家と出会ったきっかけ。これは意外と重要です。僕はもともと読書家ではないし、作文なども嫌いですし、放っておかれたら本など手に取りもしなかったでしょう。それが以前書いた通りの紆余曲折あって本に馴染んできたわけです。
 
 で、何を書かんとしているのかと言うと太宰治です。
 太宰の作品を知ったのが教科書にあった「走れメロス」からという人は少なくないと思います。僕もその一人です。この「走れメロス」ですが「なんでこんなのが教科書に載ってるの?つまらない」と言うのが僕の感想でした。それでも教科を担当した教師が「太宰は奥が深いんだ。メロスだけではわからないと思うし、この作品は太宰を理解するためには不向きな作品でもある。『人間失格』や『斜陽』『津軽』を読む機会があったら読んでみなさい」と力説していました。そこで見栄っ張りの僕は太宰に挑んだわけです。結果は案の定、太宰嫌いを招きました。

 それからウン十年経った今、太宰の小説を手にしてみますと、その書き出しからの惹きつける強さに感動すら覚えます。言い方が悪いですが、現代作家とはひと味もふた味も違う筆力を確信させられます。

 朝、食堂でスウプ一さじ、すつと吸つてお母さまが
 「あ。」
 と幽かな叫び聲をお擧げになつた。
 「髪の毛?」
 スウプに何かいやなものでも入つてゐたのかしら、と思つた。
 「いいえ。」
 お母さまは何事もなかつたように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流し込み、すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の満開の山櫻に視線を送り、さうしてお顔を横にむけたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇のあひだに滑り込ませた。

 これは「斜陽」の書き出しではありますが、朝食のワンシーンのみならず、主人公の置かれた家庭環境、母親の優雅さ、自身の生い立ちまでもが垣間見られる美しい描写です。
 一行にかける重みの違いとでも言うのでしょうか。そう言った異質なものが伝わってきます。もちろん、現代作家が無責任に一行を疎かにしているということではありません。
 現代には現代にあった表現というのがありますし、作家には各々独自の感性がありますから、「これが正しい」というものではありませんので。ただ僕にとって、先に挙げた太宰の文には「惹きつける異質な力」があるというだけの話です。
 会話のなかでも僕がそのことを言いますと「あたりまえですよ。今の読者は考えてよみませんから。とくにラノベは」との笑いが起きました。

 斜陽 (「斜陽」新潮社、昭和22年初版)

 今と昔では描写の範囲も変わってきています。
 たとえば心理描写とか。
 かつての小説の多くは場の雰囲気や会話の描写から心理を読み解くという傾向が強かったのですが、現在の小説は心理描写を懇切丁寧に書いていたりします。どちらが良いということではありませんが、小説の中の仮想世界に対し、読者は傍観者として立ち会っています。感情を移入するというのは隙間が必要なのです。その隙間とは推測と想像のことです。懇切丁寧な心理描写は読者にとって楽なのです。主人公の身にならなくても済みますから。また書く側も書いた方が楽なのです(書くための苦労はあります)。心理を推し測ってもうらうために、あえて心理描写をはずし、解釈の余地を残すというのは非常に難しい。
 未完の完と言うのがあります。これはリドルストーリーのみならず結末のある小説にも言えます。読者が物語に入り込む余地を与える。そのために不完全な部分を残しておくのです。昔の小説を読んで「心理描写が少ない」と感じることが多いのはそのためなのでしょう。きれいに収まってしまう物語は読むに易いですが印象に残らないことが多いのです

 読者参加の余地について例をあげるなら「あの人にお礼を言いましたか?」
 そういう文が単にあったとします。
 ここに言う「あの人」は誰にでもいる「あの人」ですし、「お礼」の起因についてもすべてに当てはまるものなのです。おごってもらったとか、教えてもらったとか、助けてもらったとか、何でもいいのです。漠然としておくことによって他者が入り込む余地がある。そのことが大切なのです。「僕には『あの人』も、『お礼』も存在しないよ」と言う方は稀だと思います。そこにある「あの人」と「お礼」の関係は種々様々な読者の背景を呼び起こします。感情移入はそこから始まるのではないでしょうか。

 僕はライトノベルの巧拙を問うつもりはありません。読者が面白いと思って支持があるのならその作品はそれで良いと思います。ただ送り出す側が「ラノベ読者のレベルが低い」と考えているのだとしたら誤りです。読者の想像力や推察力を喚起できない送り出す側の技量が読者の力を引き下げているのです。

 ひとつだけ付け加えておきますが、丁寧な描写が読者サービスだとしても、その描写が作品の中核を担うものであることは事実ですし、作家にとって省くことの難しさも、書き綴ることの難しさも同様の苦労を伴います。それこそ「空気を握りつぶして水を絞り出す」ようなことなのです。

 それから僕がこのブログで小説をご紹介するにあたっては、物語の粗筋よりも本文の調子を重要視しています。ですから必ず原文で短い一節ですがとりあげています。なるべく改行もそのままにするようにしています。事情によって中間を割愛することもありますが。
 粗筋の好き嫌いも重要なのですけど、まず作品にとりつくにあたって障害になるのは文体です。「話は面白そうだけど、書き方が…」などはよく耳にしますし、僕自身にも枚挙に暇がないほど経験があります。
 自分の感性に合わない文体の作品を読了するには非常に忍耐と体力を必要とします。ですから、まず文をみてもらうことを念頭に置きました。
 今日の最後に「なぜ、こんなことを書いたか」と言いますと、会話のなかで「粗筋よりも小説の抜出の方が多いことがありますよね?どうしてですか?」と訊かれましたのでここでお答えしておきます。
 




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雪、そして、水泉動く

 昨日は南関東では珍しい大雪になりました。
 雪になれている方々からみれば、くるぶしにも届かぬ雪は積もったとは言わないのかもしれません。
 しかしながら雪に慣れていない僕からすると、時としてそれは大問題にも発展します。
 この日、成人式に向かわれた方もご苦労したかと思います。一入印象に残る一日になったことは間違いないでしょう。

 一月の雪01

 今頃の季節を昔の暦でさすと、小寒のうち次候第六十九候にあたります。水泉動とも呼ばれますね。
 地上は冬に覆われてはいますが地中にある泉の水が動きはじめ、見えなくとも春の兆しは確実にあると言った意味です。長い冬の厳しさを春への期待につなげようとする優しい心持が伝わってきます。

 二十四季節や七十二候なりを思う時、月並みですが昔の人々のほうが心にゆとりがあって豊かだったのだろうなと言うことですね。
 僕は先行きの不安も消えぬまま、目の前のことに大わらわで、とてもではないけれど季節を楽しむということができません。
 四季を通じてそれなりのレクリエーションはしますが、どれも刹那的な享楽で、次の季節のことなど頭に入ってはいません。

 僕が鎌倉でお世話になっていたご住職がよく「ゆとりというのは裕福なことでも、余裕があることでもない。大きくかまえて受け入れる気持ち。忙しい日常の中でふと息をついたときに自分や周りがみえてくる瞬間のことを言うんだよ。君のようにいつも殺気立っていたのでは鳥も蝶もよりつかん」と笑われていました。

 貧しくとも豊かではあるし、忙しくとも余裕を持つことはできます。僕はいまだにそれができてはいませんが、そうありたいとは思っています。

 庭に落ちる雪は唐突に積もるわけではありません。
 静かな積み重ねが気づかぬうちに庭を覆い尽くしているのです。不意に香る沈丁花もそうです。
 僕たちの時間というものも同じはずなのですけどね。それらを唐突に感じてしまうのは、受け入れる態勢に欠けているということなのでしょう。

 一月の雪02





 

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国木田独歩「歸去来」

 独歩「帰去来」
 (春陽堂、大正8年第8版)

 母上には唯だ墓参のためとばかり、其餘は以心傳心のつもりで何事も言葉に出さなかった。
 「そんなら私も。」
 と言われたを打ち消して、
 「おととしもお歸りになつて又た。」
 と答えた言葉は何となく角の立つようで、気になったが、それでも母上は自分の顔を見て微笑まれたばかりであった。其夕暮には御自身で土産物などを買整へて直にも立たれるようにして呉れられた。ただ一品、自分は母上に隠して自から買求め、行李の底に、大事に納つておいた。隠す程の品物ではない、ただ、
 「それは誰に呉れるの?」
 母は問われるであろう。
 「小川の綾さんに。」
 この答えが自分の口から澱みなくでるだらうか、頗る覺束ない。

 この冒頭がこの小説の全てです。
 読んで推測できる通りに主人公は結婚を申し込むために帰郷を決意します。そして、その心の底では「失敗はないだろう」と言う読みがうかがわれます。ただそれを公言する勇気はどうやら持ち合わせてはいないようです。
 しかしながら隠したところで、主人公27歳、適齢期の男が一人、家族の同道を断って単に墓参のために帰郷すると言うのは、カンの良い人からすれば「もしかしたら…」と思われるにしくはない。

 案の定、途中で行き合った知人からは次のように揶揄されます。

 「何處へゆく。」
 「ちょっと國へ歸ってくる。」
 「一人でか。」
 「さうだ。」
 「そして今度は二人連れで上京するといふ趣向かね。」
 「馬鹿ァ言ってる。」

 この主人公、はにかみ屋さんですが自信家ではあるようです。
 学識もあり、家柄も良い、東京ではまがりなりにも仕事での成功を収めています。ですから帰郷の道行きも希望で胸いっぱいなわけです。「万が一」とか、「或いは」などとは考えてもいない。
 その逸る有頂天さはどこか僕に似ていて…胸が痛くなります。
 賢しい巨人はひっそり歩き、こびと歓喜して死を招く…。

 主人公の心持の楽しさは車窓からの景色、吹き込む風、同席した海軍士官との会話などから溢れ、どれをとっても高揚を隠せはしません。それは帰郷そのものに対する感動と先行きの明るい希望とに満ちています。
 ええ、まぁ、大体こう言った手合いは思い込みに終わるんですけどね、経験則的には…。

 この主人公の楽天的感動の描写を見てみましょう。

 窓から頭を出してみると、早や天際に雲切れがして、夏の夜の蒼い空が彼方此方に黑澄んで、涼しい星の光がきらめいて居る。田舎家の燈火があちらこちらに見える、それも星のやうである。田面一面に蛙が鳴いて稲の香をこめた小氣味よい風が吹き付ける。
 あゝ此香だ、此香だ、自分は思った、「己は確かに今わが古里に歸りつゝあるのである。」
 「あゝ此香だ!これだ。」自分は肺一ぱいに此氣を吸つた。

 こういった描写は非常に巧みだと思います。気持ちが伝わってきます。(あー、痛いなー)

 さて、この後は故郷へ帰り、意中の女性との対面となるわけですが…。ここから先は機会があればお読みになってください。

 僕はこういった小説のみならず、打たれ弱い人(僕自身もそうです)を見ていますと、彼等がもつある種の共通点に歯がゆさを感じます。
 それは、自己都合による夢想家であること、早合点しがちであること、変な気のまわし方をすること。そして結論を自分で確かめる前に諦めてしまうこと、です。
 この主人公も多分にこの傾向があります。
 特に当時の良家の男子は自分で告白をせずに、仲介を立てて申込みをすると言う非常に回りくどいことをする仕込み癖がありまして。
 「お嬢さんを僕にください」「よござんす」といった歯切れの良さはないわけです。
 かくいうこの主人公もその通りでして、現実を自分で確認せず遁走してしまいます。それがエンディングにでてしまうわけですが…。

 ところで、椎名軽穂の漫画「君に届け」に「ぼっちゃんよ…恋愛はなー、最初に告白する奴だけが本命と戦えんだよ」という台詞がありました。
 これは良いところをついているなーと思います。
 「あそこで一言」とか、「あの場面で」とかの後悔は踏み切れなかった意気地のなさに対するものです。
 宝くじだってそうでしょ?あんなの一等があたる確率なんて数学的にみれば0%同様です。それでも「買わなければ当たらない」から買います。完全なゼロではありませんから、一枚でも買えば。

 恋愛もそうですよね。言葉にしなければ伝わらないし、確認もできません。意中の人のまわりにどんなに良い相手がいたって、確率は0%ではないかもしれないんです。
 自爆覚悟は必要なのです。そのあとヤケ酒で失恋を流し込むことになっても。
 どんな結果を生じても時間は流れているし、地球は自転してるのです。
 そう思えば失恋くらいねぇ…。

 国木田独歩の「歸去来」。
 非常に良い小説です。
 訓戒にもなりますしね。後悔先に立たず。恋は度胸ってね。
 
 でも強引すぎる直接行動は犯罪に関わりますのでお気をつけください。

 あっ、言い忘れましたが夢想家や空想家は悪いことではありませんよ。だって頭の中ではどんなことも可能なわけですから。これは特権です。



 実の無い話で済みません。
 それから、この小説はコメディではありません、念のため。



 




  

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大庭みな子「寂兮寥兮(かたちもなく)」

 寂兮寥兮
(河出書房新社、1982年初版)

 有物混成 先天地生 寂兮寥兮 獨立而不改 周行而不殆
 可以爲天下母 吾不知其名 字之曰道 強爲之名曰大 
 大曰逝 逝曰遠 遠曰反 故道大 天大 地大 王亦大 
 域中有四大 而王居其一焉 人法地 地法天 天法道 道法自然 

 有る物は混成し、天地に先だちて生ず。寂たり寥たり。独立して改めず、周行してとどまらず。
 もって天下の母となすべし。われその名を知らず。字してこれを道という。強いてこれが名をなして大という。
 大を逝という。逝を遠という。遠を反という。故に道は大なり。天は大なり。地は大なり。王もまた大なり。
 域中に四大あり、而うして王はその一に居る。人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。 (老子、象元第二十五)

 大庭みな子の「寂兮寥兮(かたちもなく)」の題は、上記にあげた老子の象元第二十五からの引用であることは推測できます。
 寂兮寥兮とは「ガランとして境目が明確に分けられていない」こと、つまり「はっきりしない」ことを意味しています。
 大庭みな子はここで「寂兮寥兮」を「かたちもなく」と表しています

 小説はつぎのように書き出されています。

 「明るい雪のあぜ道を野辺送りの行列が通って行った。あたり一面銀世界で、田の水だけが黒かった。乳色の柔らかな雲の間から、陽が洩れ、ときどき思い出したように白い花びらが舞い落ちた。
 四人の若い男が花嫁の輿を担ぐ晴れやかな顔で、柄のついた板の上にのせた棺をかついでいた。男の一人は死んだ兄の顔だった。」

 これは現実の話ではなく主人公である万有子の見た夢の話です。夢と言うのは一説には脳内の情報、記憶を整理するための過程で生じているものだと言われています。
 冒頭の夢の描写ですが「野辺送り」と言っていますので間違いなく「葬儀」であるはずですが、婚礼の賑わいを思わせる表現も交えられています。つまりこの時点で既に「生と死」が曖昧になっていることが語られています。
 それは「…万有子はそれが自分の葬式のような気もしていた。だがその夢の中で自分は死んだというわけでもなく、生きていた。どこかで、その葬式を見ていた。猫になっていたような気もする。死ぬということは多分そういうことなのだという気もした」という次章の出だしに引き継がれています。

 物語はこの夢の書き出しから始まり、いくつかの夢の話、古代倭神話を引用し、愛人である泊の書く小説と過去の記憶をフラッシュバックさせながら、それぞれが現実と平行に進められていきます。

 万有子の記憶は現実との境界を持ってはいません。現実のある一点からぼんやりと記憶が浮かび上がってきます。そして次第にそれは現実を飛び越えて細部まで鮮明に映し出されていきます。
 
 小説の中心をなすのは万有子、沌と泊の兄弟、それから各々の家族(夫、妻、両親、娘、息子)ですが、それぞれの家族的な境界も定かではありません。その曖昧さは物語の端々のみならず、差し挟まれている「鈴虫」と言う泊の書いている小説に暗喩としても込められています。

 この小説は人の頼りない本質、つまり不可解さを淡々と進めていくのです。
 
 「…多分、人というものは、自分自身でさえ自分のことなどわかりはしないのだ。今、何を考えているのかと訊かれて、何を考えているのか応えられる者などいないとも言える。とりとめもなく、ぼんやりと、あれこれ考えているだけだ。かりに目の前にかたづけなければならない仕事があって、そのことに集中していたとしても、それは考えていることがらの中心ではないかもしれないのだ。その仕事は単に日常的な習性のよすがでしかない。」 

 現実と夢。望みと義務。人と人。境界を求めないということは、相対するものにも、自分に対しても何らの制約をもたせないことなのでしょう。そこには犠牲という被害妄想もなければ、献身という自己欺瞞も生じません。ただ自分が「寂しいと感じた時にすりよっていける」場所があればいいのかもしれません。

 僕はこの小説を読みながら変なことを考えました。それは、脳は一時に一点にしか集中できないということです。同時に多岐に集中することなどできないのです。
 そのメカニズムを利用して手品師はトリックを考えます。注意を逸らす、意識を他に集中させる。そうして起こっている現象を見えなくしているのです。
 つまり僕たちは意識的にか、無意識的にか、人とうまくやるためにトリックを出し続けているのかもしません。そしてそのトリックは、共有している仕事、趣味、思い出などを利用して、自分、或いは、他人から注意を逸らそうとしているのでしょう。時に惹きつけようとして、時に突き放そうとして。
 
 大庭みな子の混沌は彼女が育った広島が影を落としているかもしれません。その寂寥は万有子が感じているような「他人と自分の区別のつかなくなってしまうような…」ものなのでしょうか。もっと読み進めていきたい作家のひとりではあります。




 

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明けましておめでとうございます

 昨年は慌ただしく過ぎ、僕としては実りのない一年だった気がします。
まったく無意味だったと言うことではなく、自主的にコントロールできたかと言う視点で減点が大きかったと言うことです。
 自分のせいでもあり、周囲のせいでもあり、目の前のトラブルを片付けるだけに追われ、こうして気が付いたら年が明けていました。

 初詣にはいかれましたか?
 大晦日から二年参りに行かれた人も多いのだろうと思います。
 僕は元日の夜更けにぶらっと成田山新勝寺へとお参りにでかけました。
 午前三時をまわり、元日とはいえ人気の少なくなった成田山の参道を歩きながら屋台や道脇の店舗の色を眺めていました。

 成田参道

 身の回りには様々な色があるものですね。
 夜店のダルマ、七味唐辛子、熊手、ウナギ屋、暗く落ちた路地の間にも多種多様な色があります。着ている服にも、髪にも、個性が示される色彩がついています。

 夜店

 しかし、人が染まるのは色だけとは限りませんね。
 色の無いものにも人は染まります。
 例えば、喜び、悲しみ。悪に染まるという表現もあります。
 和泉式部はそんな色のひとつを取り上げた歌を詠みました。

 世の中にこひという色はなけれども 深く身にしむものにぞ有りける

 「こひ」は「恋」であり、「濃緋」の掛詞になっているという人もあります。
 恋と色を「染む」で結びつけ、掛詞だとすれば緋色に染まる様をも表すのでしょう。ここでは掛詞として解釈してみましょう。そのほうが夢があるでしょうから。

 世の中に「恋」と言う色はないのだけれど、無いはずの濃緋(こひ)という色が染めあげてゆくように、身に染みて行くものなのでしょう。

 露地裏

 今年がどんな色に染まってゆくのか見当もつきません。
 まだ始まったばかりですが、生きると言うのは不器用なものなので過去を引きずり続けます。
 それでも心を切り替えて、できれば誰もが心楽しくなれる朗らかな色彩であることを望みます。
 不穏な色にだけは染まってほしくはないですね。

 今年もよろしくお願い申し上げます。







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