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松田瓊子 -少女小説- 紫苑の園

 もう少し松田瓊子についてお付き合いください。

 紫苑の園 美和書院 「紫苑の園」( 美和書院、昭和31年初版)

 彼女の作品について上笙一郎は「いずれもキリスト教信仰に基づいた教養小説とでもいうべく、感傷過多の美文的小説と波乱万丈の通俗小説の多かった少女文学の分野に新風をふきいれた」と評しており、漫画家の花村えい子も「『それいゆ』だったかに、松田瓊子さんという若い作家の遺稿とかで『紫苑の園』という小説があった。記憶違いでなければ野村胡堂氏のお嬢さんだったと思う。それはどこかエキゾチックな、のびやかな作風の少女小説で、当時としてはめずらしく垢抜けしたもので忘れがたかった」と言っています。
 松田瓊子の作品は、当時、確かに異彩を放っていたのです。浪花節的、講談的と言っても良いかと思いますが、そういったバタ臭いものから離れ、極めて欧米的な明るい色彩をもっていた作品でした(その作品的性格ゆえに戦時中は書籍化が許されず、その作品群が姿を見せるのは終戦後になります)。

 彼女の登場の意義については父親である野村胡堂が書いた、以下の「紫苑の園」のあとがきにある通りです。
 「(瓊子の中には)全く想像もしない『一つの光り方』と力があった。作物としてはそれはまことに稚拙なもので、文壇的には恐らく縁の無いものであろうが、少なくとも日本人が書いたものでは、まったく最初のものであり、読む者の心をひしと掴んで不思議な感激に誘い込まずには措かない、愛と純真さとを持っているのである。その中には世の所謂少女小説といふが如き、安價な感傷に溺れたものは一つもない、-中略-、大きく言えば人間愛と素朴な信仰が全編に行き渡っている」ものでした。

 彼女の福音的な傾向、つまり「信仰」はすべての作品を貫いています。彼女は「神は愛なり」という言葉を生涯信じて、純なる心、純なる命を求め続けました。彼女の信仰の最初がどこにあったのはわかりませんが、夫である松田智雄は「先に召された一彦君と、後には金澤常雄先生から学んだものであった」と述懐しています。

 金澤常雄(1892年3.17 ~ 1958年3.4 )は、内村鑑三主催の聖書研究社に助手として勤め、1922年10月から札幌独立教会の牧師に着任しました。しかし1927年に武蔵野・上祖師ケ谷に移り無教会独立伝道者となることを決意し、以後、その姿勢を貫き聖書伝導に努め、1951年には東京文化学園短大でキリスト教倫理の講義を受け持ってもいます。生涯を牧師として聖書伝導に尽力した金澤は、1958年に心臓麻痺のため死去しました。
 金澤の教えは極めて真摯で誠実なものを求めており、その一端は「信仰は思索や瞑想や哲学的体験とは異う。信仰は意志の問題である。神の聖前に自己の不義を痛感した者が神に向って之を正直に告白して御手による救いを求むることである」という厳格な言葉からも窺えます。
 松田瓊子はこの金澤常雄を師と仰ぎ、死の直前まで書簡で自分の信仰に対する疑問を打ち明け、教えを乞うていました。 

 小さな子供たちを何よりも美しいものとして愛情を注ぎ、福音的誠実さを一貫してその作品に謳い続けた松田瓊子。彼女の作品には確かに顕かな限界があります。それは、「七つの蕾」で序を書いた村岡花子が昭和16年「少女の友四月号」のブックレビューで書いている「松田さんの作品には何か説明の出来ない魅力があります。作品の構成とか、その他むずかしい文学上の技巧の問題から論じましたら、それぞれの批評はありましょう。何といっても若い、哀しいような若い瓊子さんでした」という書評が語っていると思います。彼女は自身が夢見たものを書き続け、書きつくさぬうちに23歳で生涯を閉じたのです。

 
 「紫苑の園」&「香澄」

 「紫苑の園 」「香澄」(ヒマワリ社) (中原淳一・装丁、ヒマワリ社刊)
 「紫苑の園」(昭和22年初版)「香澄」(昭和23年初版) 

 「紫苑の園」は第一部「紫苑の園」と第二部「香澄」とからなっています。
 2000年に小学館から刊行された合本版「紫苑の園」では「薔薇の匂う春の夕暮れ、女学生の香澄は武蔵野郊外にある寄宿舎『紫苑の園』に入園する。園を営む西方夫人に温かく見守られ、ルッちゃん、マリボ、横ブら寄宿生と愉快な騒動を引き起こす日々。が、病気の母が遂に還らぬ人に。悲しみに沈むなか、母の死と正面から向き合った香澄は、自らの〈癒える力〉を見いだす。やがて親友の兄に心ひかれ……。すがすがしい微風が薫り、感動を呼ぶ少女小説」と紹介されています。
 
 その物語は次のようにはじまっています。

 「薔薇色に匂う夕暮れを、空色の洋服を着た愛らしい少女が一人、スーツケースをさげて静かに野辺の小径を歩いていた。武蔵野のほとりである。」

 第一部は「新入生」から始まり「冬の夜語り」(全13章)で終わり、第二部は「日の光の里」で幕を開け「新しき芽」(全8章)で幕を降ろします。
 第一部は昭和17年(1940年)、「サフランの歌」に続いて遺稿集として甲鳥出版から刊行されましたが、第二部については松田瓊子本人が「私が三十歳になったら『香澄』や『野の小径』を本にしていい、それまでははづかしいから嫌だ」と語っていたらしい。第一部「紫苑の園」の発刊の企画がもちあがったのは松田瓊子がまだ存命中のことであり、彼女自身の意志で「紫苑の園」のみで物語を切り、発刊することに決めたということです。

 この前半の執筆にあたっては「…やがて書き始めると『湖畔の日記(第8章)』あたりまでは如何にも楽しげに筆を進めたが、『野の花の中に』のところで作者自身が悲しくなり、涙のために筆が止まってしまった」と松田智雄が語るように、自身の精神的、並びに、健康上の問題からの中断を挟みました(注意深く書き出された第1章から次第に筆が乗り、第5章「お店屋さん」、第6章「ぐみの木蔭」までは一気呵成に書きあげたかのような勢いが感じられます)。作者自身が主人公「香澄」の心情を慮りその境遇に同調して筆を進めることが出来なくなるほどに一体化していたのでしょう。もちろん、それは香澄やその周囲の少女たちの姿が、松田瓊子がほんのしばらく前に通り抜け経験してきた時間そのものであったことへの感傷もあったと思います。彼女自身は登場する少女たちのように明るい夢を語り、朗らかに歌い踊ることも自由にはなりませんでしたが、それ故に、とりたてて自己を主張しない存在ながらも、その心の美しさ、豊かさから、出会う人々の中に清らかな印象を残してゆく「香澄」という主人公を生み出せたのかもしれません。

 第2部「香澄」は「全てがハッピーエンドに向かうご都合主義的な夢物語」と批判をする方もいるかもしれません。彼女の作品は観方によれば、信仰心によって救われるという楽観的なワンパターンかもしれません。しかし、例えば一枚の絵の中に描かれた「明かりが灯る小さな窓」を想像するに、何故にそこに住む家族の不幸な情景を思いうかべる必要があるでしょう。その家の中は幸福に包まれていると信じ、それを見る人が幸福感を感じることができるなら、それで良いのだと思います。
 如何に自分が苦しむ時にも、見捨てられ忘れ去られているのではなく、そう嘆き苦しむ心の中に共に神様はいて、共に嘆き苦しんでいるのだと、そう信じて孤独を救うことができるのが宗教を離れた信仰なのです。それが短い生涯の後半生のほとんどを病床に過ごし、窓外の風景に幸福を夢見続けた松田瓊子の生き方だと思うのです。

 僕は個人的には宗教と言うものが苦手ですし、抵抗感をぬぐいきれません。暴論ですが、宗教は信仰ではなく哲学であり、組織的政治力であり、特権(選民)主義であるという批判意識もそこにはあります。信仰がそれらに堕した時、宗教はその本質を見失うのだと考えている僕に問題があるのかもしれません。自分が信じる精神の救済の先にあるものを、生命や世界の根源的なものを神と呼ぶのであれば信仰は宗派がなくても持つことは可能です。信仰に味方や仲間は必要ないのです。そんなものを作ろうとするから争いが生まれるのです。布教とは道しるべを伝えることであり、宗教はその手助けの域を超えてはならないと思っています。

 マハトゥマ・ガンジーはかつて次のようなことを述べました。

 「あらゆるものの神はひとつなのです。異なるのはどこを辿ってゆくかという道筋だけなのです。私はインドに生まれ、この国の体系のためヒンドゥー教を選びました。しかし、神はひとつです。ですから宗教をいかなる争いの理由にもしてはならないのです。神は全知全能です。問題があるのはその神を伝える人間があまりにも不完全なものであるということなのです。」

 松田瓊子の作品を「福音的、キリスト教的で苦手だ」と言う声を聞きます。ですがもう一度、信仰というものを宗教を離れて考えながら、その物語を手に取ってみてください。彼女は希望を伝える手段としてキリスト教を選択したことが見えてくるはずです。



 
 
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松田瓊子 -少女小説- サフランの歌

松田瓊子(1916年3月19日 ~ 1940年1月13日)

 松田瓊子は小説家・野村胡堂の娘として生まれ、オルコットやヨハンナ・シュピリの影響を受け、明るく希望に満ちた子供の姿を通し、困難を乗り越え、心の救済を描くような物語を多く残しました。「ハイジ」「若草物語」「少公子」などの作品に近い傾向が見られます。
 日本女子大附属高等女学校に在学していた当時から少女小説を書き始めていましたが、それらは出版など発表を目的としたものではなく、読者対象は兄弟妹や従姉などごく一部に限られたものでした。基本的には「自分が好きだから書いている」という程度のものだったようです。しかし昭和12年に野村胡堂の薦めで「少女小説物語 七つの蕾」(教材社)を発表。同じ年の秋に病床にありながらも政治学者の松田智雄と結婚し、以後、「サフランの歌」「紫苑の園」「香澄」などを書き、「蔓ばらの咲く家」を執筆中の昭和15年(1940年)に腹膜炎のため23歳で亡くなりました。
 昭和22年には、中原淳一が創刊した「ひまわり創刊号」に「人形の歌」が掲載され、「ひまわりらいぶらりー文庫」からも「紫苑の園」が刊行されました。その好評をうけて、続いて「香澄」「七つの蕾」「サフランの歌」も刊行されています。装丁はすべて中原淳一が手がけました。

 「七つの蕾」

 七つの蕾 (ヒマワリ社、昭和24年初版)

 「七つの蕾」は鎌倉を舞台に、草場家の4人の姉弟妹とその友人である日高家の姉妹と日高家に引き取られてきた少年を中心に動きます。物語中には、日高家をみまった父親の突然の死と親戚による遺産争い、引き取られてきた少年・靖彦の純粋ゆえに閉ざされてしまった心の再生、草場家長女・百合子の受験問題などがとりあげられ、それらの困難を乗り越えて行く力強い子供たちの姿があります。純粋な子供の心による癒し、希望の力の強さ、信仰によって誠実を守ろうとする心など松田瓊子の以後の作品にみられる主題が凝縮されています。但し、作中の子供たちがつくる同人誌「つぼみ」の中に発表されている各自の作品は年齢に相応しいと言うには無理があり、会話のやりとりでも各年齢の精神的(思考的)な差の書き分けがなされていない感もあります。そういった欠点をもってはいても生き生きとした登場人物の描写とぶれない視点とから非常に清涼感のある作品に仕上がっています。
 この「七つの蕾」について松田瓊子はその日記に「1935年十一月中旬より稿をおこし翌1936年三月末日に書き終わる。満十九歳末の作品。このお話を書くに間に、健康の方は速やかな恢復を見たが。冬の間だったので、やはり床に仰になったまま手を氷のように冷たくして書いた」とその様子を綴っています。またそれまでは小さい子供の話ばかりを書いてきたので自分とさほど変わらない年齢の少女たちの物語を書くにあたって「初めは本当に少しの自信もなく、どこまで書くかも分からなかったが、書くに従って、自分でも想像もつかなかった程このお話の中に吸ひこまれてしまった。そして此処に私の本当に尊重し愛している幼児の世界とは、又まるで別なこまやかに美しいしかも活々とした世界を見出すことができた」と述べています。その愛着は元原稿の後書きに「皆さんがもう少し大きくなられた時に再びM・B・C・(登場する子供たちのサークル名)の子等の成長した姿をご覧になる時も来るだろう。私もまた明日の日を楽しみにして一度さようならをお告げしよう。(「つぼみ・つぼみ」第一部終わり)」と記されていることからも感じ取れます。
 
 「サフランの歌」

 サフランの歌 (ヒマワリ社、昭和24年初版)

 「馨は、はっとしたやうに立ち止まった。間近から流れてくるメロディー ― それは小さい女の子にとって忘れる事の出来ないなつかしい曲であったのだ。馨の眼は、おそれに近いやうな期待にをどっていた、走って行くと逃げてしまふやうな気がして、そろそろと池に近づいて行った。ねこやなぎの竝木の間から、馨の目にうつったこの曲の弾手は、誰であったろう。真昼の陽光の中に、銀色や紅色にきらきらときらめく櫟林(くぬぎばやし)の中に、可愛らしい少年が一人立って吸ひこまれるやうにヴァイオリンを弾いていた。」

 「サフランの歌」は慎ましい生活の内にあるも愛情に恵まれた由地家の兄妹と立花子爵家の養子として迎えられた少年・一原眞澄の邂逅から物語は動きだします。先にあげた文は、由地家の末娘・馨(かおる)と眞澄が出会う場面です。
 父母と死に別れ、芦ノ湖畔の村で医者をしている叔父に育てられ、ヴァイオリンの手ほどきをうけた眞澄は非常に大人しく優しい少年で、ヴァイオリニストとしても天賦の才を持っていました。しかし、跡継ぎ問題に悩む立花子爵から養子の申し出があり、それに抗うこともできず、彼は東京の子爵邸に赴きます。望郷の念にひとり耐える彼をその孤独から救い出したのは由地家の兄妹でした。由地家は貧しい暮らしをしてはいましたが、父親が無類の音楽愛好家で機会があれば子供たちを音楽会に同伴し、その優れた鑑賞力を育みました。子供たちは意気投合し、近い将来三人でトリオを組んで演奏することを夢見ます(松田瓊子は音楽をよく作中に用いていますが、ここでもその音楽が一つのキーワードになっています)。
 妹の馨は七歳くらいの非常に活発な子で、快活すぎてやや男勝りの面もありますが感受性が強く無垢な心を持ち、歌が好きで、いつの日かピアニストになって兄と演奏会を開くのが夢という女の子です。眞澄は彼女を「兎のような子」と表現しています。立花子爵夫人との出会いにおいて馨は次のように描写されています。
 「或日、ヴェランダのガラス越しに外を見てゐると、丁度雨上がりの泥んこの靴をはいてとんで來た小さな女の子があった。ローン(芝庭)の入り口まで來ると、その女の子は、丁寧に靴をぬぐって入って來るので、芝生は少しも汚れずに済んだ。女の子は洗ひざらしの木綿のライト・ブルーの短い洋服に、つぎのあたった、しかし目にチカチカする程真白な小さなエプロンをして、頭の上にはばら色の蝶のようなリボンがゆれていた…」
 この一文で彼女か活発ながらも躾が行き届いており、両親からもなみなみならぬ愛情を注がれていることが見えてきます。
 また作中では「子供たちの間でのルール」を巧みに導入し、そこには誰しもが得る共感と懐古があります。
 たとえば長く閉ざされいる立花邸について兄妹の中で「お城」と言う設定をし、そこには兄が話したように「…この中には囚われのお姫様が、魔法の力で口がきけなくなっている」と思ったり、「武勇に優れた騎士たちがかくれてゐて、いざといふ時には銀の鎧を着てお馬にまたがり、槍やら矢をもって出てくる…」と胸を躍らせている馨がいます。子供たちの想像世界はその純粋なルールのなかでは現実になってしまうものです。
 父親の野村胡堂は瓊子の小説について「文壇にあげる価値もないものであろうが…」と語っていますが、それは明らかな謙遜であろうと思われます。
 この「サフランの歌」では前作でみられた性格や行動描写の稚拙さは補われ小説家としての成長を窺わせます。前作から一年足らずで書きあげた作品ですがその文章力の飛躍は見事です。

 物語はこの後、立花家の深窓で人に知られることもなく病臥に伏し、希望も喜びもなく、ただ死を待つ立場にある娘・喬子(のぶこ)の登場、さらに眞澄を襲う過酷な試練を挟み、物語は大団円へと向かいます。

 「七つの蕾」は鎌倉を舞台にしていましたが、この話は雑司ヶ谷の亀原を舞台にしています。どちらも瓊子自身が少女期を過ごした場所です。胡堂によると物語冒頭の音楽会から帰宅してくるエピソードや隣人が電話を借りに来るエピソードなどは実際にあった話のようです。また由地昇に実兄(一彦)を、由地馨に瓊子自身をモデルとして用い、その他、由地家近隣の登場人物には全て元となった実在の人物をあてはめて活写しています。但し、一原眞澄については完全なる創作の人物です。

 サフランは瓊子にとって特別な花であり、病床においてその花を見ることができない時には鉢に移し換えて、見える場所において眺めていたそうです。
 「春風に、春の陽に、蛋白石(オパール)のやうに、紫水晶のやうに、輝くサフランの波…」は長い冬に耐えて咲く希望そのものであり、この物語の中の家族や友人の姿は瓊子が望んだ理想そのものであったろうと思います。 

 生命あふれ希望にみてる
 春告ぐるサフランの花
 支へ合ひ抱き合ふごと
 光浴び、大空仰ぎ
 つくり主のめぐみたたふ

 かなしみはうちにみつれど
 うなだるる我がかんばせは
 サフランの花とともに
 光浴び、空を仰ぎて
 賛美せり、みめぐみの主を

 雪わりてサフランの花
 うつくしく咲かせ給ふ
 つくり主は偕(とも)に居ませり
 つつましく忍びて待たむ
 とこしえの春来るまで・・・ 

   (「サフランの歌」 松田瓊子)







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山の端の月

 奥へ向かう所々崩れかけている石段に向き合い、何気なく振り返ると階下に見下ろす祭りのざわめきが遠く僕を隔てているように思えた。ほんの今しがたそこを通り抜けてきたはずなのに、僕とは無関係の世界のようだった。鳥居を潜ると木が覆いかぶさり中空の洞を形作っていたせいもあろう。祭りの灯はここまで届かない。日は既に落ち、夜が平等に浸食していく中で、祭りの部分だけが切り取られ別の次元を構成しているかのようだった。
 僕は浮いている。まるで遠くから映画を覗き見しているようだ。そんなことを感じたのは僕自身の疎外感が生み出している感傷であるという自覚は十分にあった。
 石段の上から祭りの灯りを眺めているとタン、タンと階段を足早に上る音が聞こえ、続いて「お待たせ」という彼女の声が聞こえた。その声でやっと僕は人のいる世界へ引き戻された気がした。
 「何をそんなに暗い顔してるの?待ちくたびれちゃった?だってね、リンゴ飴の屋台が意外に混んでたのよ。ごめんね。」
 彼女は悪びれもせずにそう言い、不自然に紅いリンゴ飴をペロリと舐めた。その仕草はまるで猫がちろりと舌をだした時に似ていた。
 「いや、別にそんなことじゃないけど。」
 「じゃぁ、奥のお社にお参りしましょう。」
 彼女は僕の返事を待たずにそう言い、僕は彼女の声に続いて歩を進めた。
 「こっちまでくると急に人影がなくなるわね。まぁ、この先には屋台もないし、お参りだけなら下のお社で足りちゃうし、上にはおみくじも売ってないから仕方ないか。道も手入れされているとは言えないわね。崩壊する寸前って感じ。」
 そんなことを言って笑った。
 僕は暗がりを注意深く歩いた。何かが現れるわけでもない、そう思いながらも用心し耳を欹て気配を気にしながら。なのに彼女は怖がりもせず、トン、トンと軽快に岩場を跳ねる子供のように進んでいく。そんな歩き方をしていたら危ないよと言いかけてやめた。僕は自信を無くしていたのだ。
 「くらきよりくらき道にぞ入りぬべき、 はるかに照らせ山の端の月」
 不意に足を止めた彼女が和泉式部の歌を詠んだ。そして僕に向かってこう言った。
 「今の状況に似てない?下は明るくて笑い声もして、人のいる巷って感じ。こっちから先は行方もしれない闇の中。向かっているは場所はわかっているけど、確かにそこへ向かっているかなんてわからない。一本道だと安心しているけど不安はひたひたと忍び寄ってくる。頼りになるのは私たちがふたりでいて、この先にお社があるって信じていられること。そうじゃなくて?」
 彼女はどこまでも無邪気に微笑む。それは救いに似ていた。
 「暗がりで前が見えなくても歩くことをあきらめなければ必ず人は進んでいるの。動かないことを、進まないことを後退っていうのよ。その一歩が間違っているかどうかなんて関係ない。失敗だっていいじゃない。通り過ぎた後でそれが間違いだった、失敗だったって気が付いたら、それが成長なんだって思えばいいでしょう?いっぱい後悔すればいいじゃない。その数だけ自分は答えを手に入れたんだって、そう居直るのも必要なことなのよ。何もしないで失敗するより、何かをして後悔するほうがましなこともあるわ。後悔っていうのを前向きに言い換えるなら、それは学習ってやつね。」
 彼女は笑った。
 そうかもしれない。夜闇の月明かりは冴えていずとも遠くを照らす。強い昼間の明かりに慣れ過ぎている僕は夜を悲観するだけで、夜のなかにある光に気づこうともしなかった。いや、気づいていても頼りにすることがなかった。役に立たないと、そう思い込んでいたから。光を遮っていたのは他の何かではない。僕の偏狭さだった。彼女の言葉で心が突然軽くなったわけではない。ただその言葉を繰り返すことで僕は僕に勇気を植え付けるきっかけにしたかった。
 「山の端の月はパンドラの函に残された希望ね。」
 彼女はおどけるように再びトン、トンと石段から石段へ跳ねるようにして上っていった。
 あの時の彼女が僕が落ち込んでいた理由を知っていたわけはない。けれどもそれを的確に感じ取っていたに違いない。そして彼女が本当は何を言おうとしたのか、その時にはわからなかったけれど今ならわかる気がする。彼女は言葉を換えてこう言っていたのだ。
 「自分を憐れむ感傷に浸れるのは絶望しているからでも、悲観しているからでもない。余裕があるからよ。それを甘えって言うんだわ。」
 そして彼女はそれを責めない。その言葉のあとにはきっとこう続く。
 「そこにある甘えは希望と同じなのよ」と。
 
 

 

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田久保英夫「解禁」

 ヴァン・ゴッホの「アルルの跳ね橋」でも、アルフレッド・シスレーの「ヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌの橋」でもその他何でもいいのですが、絵や写真、映画などで見た風景を実際に目の前にしたとき、「この風景ではない」と感じたことはないでしょうか。時代の流れによる風景の変化云々ではなく、形や大きさ、彩りといった心の奥底に根付いたイメージが現実を否定、或いは、拒絶してしまうことがあります。そうした瞬間にであって初めて気づかされるのです。自分自身が渇いていることに。自分が望んでいたものは「自分が望むように自分を潤してくれるもの」であったことに。
 
 田久保英夫の小説に「解禁」という短篇があります。母が営む娼婦宿で起居する兄弟。兄はその年齢が考慮され遠方の親戚に遠ざけられますが、残された弟がそこで出会った「三千代」を通じて、次第に性と自我に目覚めて行く少年期の心理的過程を描いた物語です。
 彼は女性を「女」と捉えず「妓」、もしくは「GEIGI」と認識しています。そこに個の性はなく、職業としての性の認識が優先していたと言えるでしょう。彼はある日胸を病み、入院生活を余儀なくされます。そこで重い肺疾患で厭世的になった少年「宮内」と知り会い、一冊の画集を貰い受けました。彼の目を強烈に引き付けたのは「セント・リュシイの殉教」と言う一枚でした(セント・リュシイは、シラクサのルキアのことで、小説中には絵の作者などは示されていませんがダヴィデ・ギルランダイオの絵がもとになっているのではないかと僕は勝手に想像しています)。そこで描かれた聖女の苦悶と恍惚の表情は彼の心を魅了しました。
 ある夜、空襲警報が鳴る中で三千代を通じて彼が体験した性。そこには彼が望んでいた高揚も充足もなく、ただ失望感のうちに自分自身が欲していたものは性的な探検心ではなく、渇愛に基づく所有欲であったことに気づかされます。しかし娼妓である彼女を自己のものにすることは叶うはずもなく、その失望と葛藤は彼女を殉教させることへの欲望につながっていきます。この心理は金閣寺を燃やした青年僧・林承賢に通じるものがあるかもしれません。
 この小説の帯には「燃え盛る空襲の炎の影に、遂に迎えた性の解禁―少年の強烈しかもかなしい心理の衝撃を、鮮やかに跡づけた秀作」と書かれていますが、僕はこのアオリに異を感じています。少年が「解禁」したものは「性」ではなく、「自己愛」「渇愛」への明確な欲望でなかったのかと思うのです。単純に憧れ描いていた性の交わりとは少年にとっては「自分の愛する者が、当然に自分を愛してくれる」と言う所有欲の実現としての性行為であったのです。
 田久保英夫は詩人から転向した小説家らしく、心を砕き選び抜いた言葉を用いて非常に繊細に文章を組み立てています。

 昭和38年に新潮社より刊行された同書には「埠頭」「緑の年」が併録されています。

 「埠頭」は港湾の税関に勤める下級税官吏が、大手商社の羊毛の不正輸入を発見し、それをネタに同僚と組んで利益を得ようと目論む話です。しかし推理小説とか、企業小説の類ではありません。そういった要素は含まれてはいますが、根底は「罪」とその継承にあります。小説中に引用されている「それ一人の人の罪によりて罪は世に入り、また罪によりて死は世に入り、凡ての人、罪を犯しし故に凡ての人に及べり。律法のきたる前にも罪は世にあり、然れども律法なくば罪は認めらるることなし」(ボードレール、鈴木信太郎訳)に象徴されることになります。

 「緑の年」は地方出身の凡庸で真面目な青年が強盗殺人事件に巻き込まれ共に逃亡するはめに陥る話です。田久保英夫の処女作にあたります。
 青年は事件当初は強迫的な抑圧によって自由意志を奪われ逃走に加担しますが、その途上何度も脱出する機会を得ます。しかし青年は犯人たちと終始行動を共にし続け、その理由を彼は「自分一人きりになる恐怖」に見つけます。作為不作為によらず事件の一味と世間からとらえられた青年は、戻ることも交わることもできない「通常の社会」から隔たった存在になったと自分を認識し、自分を特別なものと知覚し卑下します。その弱さが強盗犯との同道へと結びつきました。しかし彼は逃げ続けることを通し自分が「闘争している」ことの自覚を生じます。このテーマは後に「遠く熱い時間」で再度取り上げられます。
 構成として粗い部分もありますが青年の心理は共感を得るものがあります。こういった心の動きを捉えた話での心理の変遷に無理がないというのは田久保英夫の小説の特徴だろうと思います。

 解禁 (新潮社、昭和38年初版)



 

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日常のなかで

 明け方から降り続いた雨と微熱が続く体から抜けない怠さに憂鬱な一日でした。
 「どうすればいいのか?」なんてことは自分でもわかりようもなく、とにかく滅入っている気分を外に出さないように努めて過ごした一日です。そうして一日が終わってみるとそれが余計に疲労を増加させ結果として自己嫌悪を引き出します。

 僕は自分のブログよりも他の方のブログを読むほうが好きで、当たり前ですがそこで気づかされることも多々あります。
 たとえば、仕事や健康のことでいっぱいになって足元だけを見て歩いていたらゴールデンウィークも終わり、思い返せば鯉幟を見た記憶さえありませんでした。
 僕の住んでいるところは田舎なので農家や古くからある商家の庭には毎年鮮やかに鯉幟が翻っています。そのはずなのですが今年はそんなことに目をやる余裕もなくなっていたのですね。とある方のブログで青空を泳ぐ姿を見て「明日からは一日一度は空を見上げて記憶に残そう」と思いました。

 空が曇っていると夜明けが遠く感じたり、日暮れが早く訪れるような気がします。心模様も同じでしょう。
 やはり他の方のブログですが小泉今日子さんの「優しい雨」を取り上げていました。その日その時に心に浮かぶ音楽があるというのは素敵だと思います。

 以前に("Littel Tokyo"をお出しになられた頃だっと記憶していますが)小田和正さんにお会いしたことがあり、その時に小田さんは次のようなことをおっしゃっていました。

 「音楽は美しくなければいけないと思っています。そのメロディだけではなく、歌詞においても心を和らげられるようなもの。悲しみを悲しみとして伝えること、愛しいを愛しいと感じ合うこと、その対象は違っても心を揺り動かす喜怒哀楽は変わらないと思うんです。だから優しくなくてはいけないし、美しくなければいけないと。それはバラードでなければいけないとか、そんな作曲の技術上のことではありません。テンポやリズムのような上辺だけではないもっと奥にある優しさや美しさを伝えられば理想的ですね。それが歌となって誰かの思い出のなかで息づいているというのは最高のことです。僕にとって本当に必要とされている音楽とはそういうものではないかと思うんです。」

 怒りや悲しみ、時には憎しみさえ音楽は伝える宿命をもっているかもしれません。けれども、その根底にあるのは、生きることへの希望であると思うのです。絶望を歌うのは聴いている人々に絶望をあたえるためではなく、その絶望の悲しみを分かち合うことによって「より佳く生きよう」という共鳴を力を生み出すことなのです。

 心を鷲掴みにするような刺激的な言葉や暴力的なもの、シュールなものは人の心を捕えやすいです。それらは「カッコいい」と受け取られがちなのです。怖いものみたさは誰しもがもっているものであろうし、危険なものや醜いものに魅了される弱さもあります。ですがファッションだけでは心の琴線に触れることはできないのです。
 
 日常の中にある優しい風景にもっと目を向けられれば自分も変われるのかもしれないと、おふた方のブログを読んでいて思いました。




 

 

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“ THE TEMPEST ”(Paul Woodroffe)-20世紀初頭の挿絵 -

 今回は“THE TEMPEST”を取り上げてみます。この本についてはエドマン・デュラックのものが有名ですが、そちらは翻訳本も出ており目にする機会も多いでしょうから、ポール・ウッドロフの挿絵の方をご紹介したいと思います。

 “ THE TEMPEST ”(1908年)

 TEMPEST 00 TEMPEST 01
 ( London:Chapman & Hall, HENRIETTA ST. COVENT GARDEN W.C.)

 “THE TEMPEST”は周知のとおりウィリアム・シェイクスピアの最晩年の戯曲です。初演は1611年でした。
 「真夏の夜の夢」と似たテーマを扱っていますが、一方は陽であり、他方は陰を帯びています。つまりコメディであった「真夏の夜の夢」とは対極の雰囲気を持つのが「テンペスト」です。なぜ同じ主題でこうも異なったのかについては多種多様な見解があります。ここでそれを論じようとは思いませんが代表的な説を掻い摘んでお話をしておきます。

 TEMPEST 02 TEMPEST 03

 エピローグの詩をみてみます。

 私の呪力はこれで破れた。
 残る力は現実のこの身にやどるわずかばかりのもの。
 公国は戻り、詐術者は許され、この空虚な島には残る意味もない。
 この身にはもはや使う妖精もいず、魔力もない。
 同朋たちの祈りの他には、絶望しか残されてはいない。
 祈りだけが天に届き、慈悲の女神をして、
 魔術を使い続けたこの身の罪を清めてくれるだろう。
 その罪を許すという慈悲をもって、
 哀れなこの身を救ってくだされ、どうかその心で…。

 続いて手短にこの作品が書かれた時代を一瞥してみましょう。
 エリザベスが逝去したのは1603年です。彼女は「処女王」「グロリアーナ」「妖精女王」などの冠名をもって讃えられていました。エリザベスの威光と共に騎士道精神が英国全土を覆い、まさに「栄光あるイングランド」の頂点とも言えました。しかし、その妖精の時代の終りは確実に近付いており、1599年にアイルランド九年戦争が勃発、1601年には前記の戦争遠征に失敗し失脚したロバート・デヴァルー(エセックス伯)の反乱など不穏な動きが続きました。

 TEMPEST 05 TEMPEST 06

 物語に登場するプロスペローは、ユークリッド幾何学者であり錬金術師であったジョン・ディーがモデルになっていると言われています。彼はアーサー王に仕えた魔法使いマーリンになぞられて「エリザベス女王のマーリン」とも呼ばれました。彼はエリザベスの死と共に失脚します。
 そのプロスペローがミランダとフェルディナンドの結婚式を認めたのちに魔法の杖を折り、魔法書を海に沈め、その魔力をすべて捨て去りますが、その心境はシェイクスピア自身の諦観だったのでしょう。
 シェイクスピアは自分の老いてゆく姿と女王の死と共に王室で必要とされなくなった錬金術。そういう時の流れを見て、妖精と魔法と夢とに満ちていた時代の終りを感じたのかもしれません。エリザベス時代の終焉はシェークスピア自身の終焉でもあったのです。彼が世を去ったのは「テンペスト」の初演から5年後でした。

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 この本の挿絵を描いたPaul Woodroffeについてご紹介しておきます。

 ポール・ウッドロフは、1875年にマドラスで生まれました。1890年初めにロンドンへ移住し本の挿絵とステンドグラスの技術を学びます。彼はストニーハースト・カレッジ(ランカシャー・イエズス会学校)で勉強し、後にブルームズベリーのスレード美術専門学校に進みました。1904年から1935年まで、彼はグロースターシャーのコッツウォルズにある小村チッピング・カムデンで過ごし、カトリック教会のために多くの挿絵とステンドグラス作品を制作しました。

 TEMPEST 09 TEMPEST 10

 彼の仕事はシェークスピア戯曲集、聖書物語、児童書、ローマの歴史書の挿絵が中心でした。その作品はラファエル前派に特有の線形と鮮やかな色彩を用い、描かれた人物はローマ・ギリシアの古代石彫刻を思い起こさせます。
 彼は同時代にはステンドグラス制作者としても著名であり、聖パトリック大聖堂(ニューヨーク)の聖母礼拝室のステンドグラスは代表作のひとつです。またアメリカの女優メアリ・アンダースンの私邸の屋根裏チャペルのために飾り窓の設計なども手掛けています。
 ウッドロフはアメリカでの芸術活動の後にウースターシャーに居を移し、1954年に亡くなっています。

  TEMPEST 04-01 TEMPEST 04-02

 この本には20枚のオフセットによる彩色挿絵と2曲の楽譜が挿入されています。付されている楽譜のうち最初の一曲をご紹介します。

 第一幕第2場、プロスペローの「もし言うことを聞かなければ痙攣を起し苦しませるぞ」との脅しに、こそこそと薪を取りに行くキャサリン。ちょうどそこへエアリエルが歌をうたいながら現れます。

 黄色い砂地に立ち、愛しき人と手を結び
 口づけを交わせば、波は静まる。
 踊れ、妖精よ、軽やかに。
 歌え、精霊よ、美しく。
 聞くが良い。聞くが良い。
 バウ!ワウ!
 あれは番犬の吠える声。
 聞くが良い。聞くが良い。
 あれは気取り屋の雄鶏の声。
 クックディルディルドゥ!

 新書館「テンペスト」 エドマン・デユラック 画、伊東杏里 訳 (新書館)








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草の生き方

 先だって奥多摩へ行ってきました。廃村を訪ねる道合にまばらに咲く野菫を見ていて島木健作の「運命の人」の小説家・秋山信吉の台詞を思い出しました。

 「くよくよして、考え込んでばかりゐたって仕方がないぢゃないか。つまらぬ人間に生まれたといふことは、自分には仕方がないことでもあるんだ。しかしさういふ人間は生きていってはならぬといふわけのものでもないだらう。つまらぬものにはつまらぬものの生き方が許されてゐるだろうに。いろんなしくじりを重ね、いろんなめにあいながら年をとって行くだけでいいんだ。世間にとって格別の意味のあるものだけが存在せねばならぬといふものではないんだ。何一つしとげえなかったよぼよぼの人生には、それはそれでまた相応しい風光がひらけてこないわけでもないだらう。」

 野に咲く草花にはその草花の生き方があるでしょう。
 その一輪がどう生きて、どう枯れたか、誰も気にもとめないでしょうし、また、かの草にしても自分が野の自然生態系にいかなる影響を与えてその一生を閉じるかなどとは考えてもいないことでしょう。
 咲く花は自分が咲くことに懸命であって、それがどんなに小さな範囲であってもそれだけで手一杯なのです。それは人も皆同じこと。

 宇宙の広さは計算できても心の広さを計算することはできないですし、その中に生じている様々な感情の大小も比べることはできません。

 自分には思いがつまった場所が、他の誰かには足をとめる価値もない場所かもしれません。他人には一笑にふされる出来事が自分を部屋に閉じ込めることもあります。

 僕はつまらない、取り柄のない人間です。僕には自分が考えているよりも才能はありませんし、そのための努力もしてきてはいないでしょう。でも、そのつまらない人生だって僕にしかできない生き方なのです。

 「運命の人」の中の登場人物のひとりである杉原がこんなことを言っています。

 「… こんなところでもなけりゃ場所は与えられはしないからな。しかしどこだっていいんだ、おれにはどんなところでもいい、先づ場所が与えられるといふことが必要だったんだから。わるい条件のところがむしろいいかも知れなかったんだ。」

 その場所にはその場所の生き方があります。
 時代を選べなかった以上、その時代を乗り切ることを楽しむ方法を探したいものです。僕は少なくとも過去においてもっとも悲惨な時代に生まれたというわけではないのだから、その恵まれた環境で僕なりのつまらない生き方をしていきたいと思います。

 つまらない草にもその草なりの意気地があります。そして、その草が生きるためには土壌があり、大気があり、水があり、日光があり、昆虫や鳥獣がいます。すべてが良好な関係であるはずはありませんが、その関わり合いを嘆かずに受け入れる強さが欲しいと思いますし、元来、生命にはその力があるはずなのです。きれいごとの戯言ですがそう信じなければ明日を今日にすることができません。

 「それはそれでまた相応しい風光がひらけてこないわけでもないだらう。」

 何かを待つことは必要なのです。









 

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七里ヶ浜

 思い出はランダムに現れる。「あの頃」と言う言葉ひとつでタイム・スリップを起こし、いくつもの「あの頃」へ心を引き戻していく。

 和賀江

 198X年、秋。

 「冬の気配がするね」と彼女は砂浜から拾い上げた貝殻に耳をつけて呟いた。
 まだ10月の半ば、初霜の季語にもまだ数日の間があり、冬の足音を聞くには少しばかり先取りがしすぎる。
 なのに彼女は「冬の気配がする」と言う。
 漱石の「こころ」で「先生」との出会いの場となった材木座海岸。
 長く伸びる海岸線のほぼ中央で東西に分けるようにして流れる滑川を境に、東側を材木座海岸、反対側を由比ガ浜と呼び、かつては鎌倉七座と言う商工組合のうちの材木座が置かれたことからこの名がついたらしい。
 少し先に行けば日本最古の人工島港「和賀江嶋」があるが、現在では僅かに不確かな石組を覗かせるだけでほとんど海面下になってしまっている。
 今はこれといってその名を忍ばせる風物もなく、夏には相応の賑わいを見せるのだろうけれど、波の音と風の音、時折名ばかりの国道を走り抜ける車くらいしかない寂れた成りをしていた。
 七里ガ浜、稲村ケ崎、腰越海岸など鎌倉には史跡、景勝地として有名な海岸は他にもある。しかし、彼女はここが一番好きなのだと言う。
 「特色がないって言われればそれまでだけれど、この閑散とした浜こそ鎌倉らしいとは思わない?」と笑った。
 この地に育った者だけがわかる感覚なのだろうか?
 貝殻を拾う隙間も無いような盛夏の江の島海岸ごときは僕も苦手ではある。しかし「材木座」という野暮ったい名よりも言葉の上っ面だけだと一笑にふされそうだが「秋深まる七里ガ浜」の方がロマンが香り立つ気がする。まして川向こうは和田義盛や静御前の怨念渦巻く由比ガ浜である。だがこれは明らかに僕の無知を曝け出した軽薄すぎる言い回しであったことに気づかされることになる。けれどもこの時は少なくとも二人で歩くにはそうした修飾も必要だろうと思った。
 僕は、他に比べれば話題に乏しいとも思えるこの海岸に立つ彼女の背中を目で追いながら、彼女の言う「鎌倉らしさ」をぼんやりと探してみた。
 不意に彼女が、「ねえ、手をつないで海をどこまで歩けるか試してみようか?」と振り向きざまに言った。
 その時、風と波が一瞬大きく鳴り、彼女の肩に掛かる真っ直ぐな髪と柔らかなレモン色のプリーツ・スカートを揺り動かした。控えめなフリルのついたシフォンブラウスは、真昼の光にそれ自体が輝きでもするかのごとく跳ねる様にその白さを尚一層際立たせた。
 「冗談だけど」と彼女は茶目っ気をだして微笑む。
 「たとえばね、入水自殺をした人の何人かは本当は死ぬつもりじゃなくて、どこまで二人で手を繋いでいられるかを試そうとして、うっかり死んじゃったんじゃないかなぁ。手が解けたら戻ろうねって打ち合わせをしていたけど失敗しちゃったみたいな。」
 彼女は持っていた貝殻を海に投げながらそう言い、僕は「そんなこともあるかもね」と腰越心中と呼ばれた事件、太宰の「道化の華」を頭の中に浮かべながら気のない相槌を返した。
 それから「確かに遠浅のこの浜はそうしたことに適しているかもしれない」とも思った。
 僕たちはゆっくりと浜辺を西に向かって歩き出した。
 「このまま歩ければ七里ヶ浜ね」と彼女は言った。
 彼女は2、3メートル先を歩いていく。僕は低く飛ぶ鴎と時折鋭い声を発する鳶やそれに追われる長元坊を見上げながら彼女に続いた。
 「同じ方向を見てどこまでも歩いていかれればいいのに。行先に迷うことなく、繋いだ手がほどけても、目指す場所が同じならきっと一緒にいられるのにね。」
 彼女は小さな白い巻貝を拾い上げながら言う。
 僕は咄嗟に「愛するということは見つめ合うことではなく、同じ方向を目指して行かれるかどうかである、って誰かが言ってたね」と、定かではないフレーズを記憶の中から拾い上げた。
 「それって正しくは、愛するということは互いに見つめ合うことではなく、二人がともに同じ方向を見つめることなのだ、ね。あなたの好きなサン・テグジュペリでしょう」と足を止めて振り返った。
 それからこうつぶやいた。
 「あなたは何を見ているの?」
 それは真剣な問いかけだったのか、それとも単純な文字通りの質問だったのか、それを彼女の表情から読み取ろうとして僕は彼女を見つめた。けれども真意を測ろうとするには僕はまだ子供で、その時には、答えをはぐらかすことしかできなかった。
 僕はこう答えた。
 「七里ヶ浜。」
 沖を行く船のセイルの白い輝きが幻のように波頭を滑って行き、海風は穏やかに僕たちの間を吹き抜けていった。
 彼女はほんのしばらく息を止めるようにしてから、小さいがよく通る声で歌いながら歩きだした。

 真白き富士の根 緑の江の島 仰ぎ見るも 今は涙
 帰らぬ十二の 雄々しきみたまに捧げまつる胸と心

 ボートは沈みぬ 千尋の海原 風も浪も 小さき腕に
 力もつきはて 呼ぶ名は父母 恨は深し 七里が浜辺

 み雪は咽びぬ 風さえ騒ぎて 月も星も影をひそめ
 みたまよ何処に迷いておわすか 帰れ早く 母の胸に…

 「この歌、知ってる?」
 「いや、初めて聴いた。何の歌?」
 「明治43年にね、実際にあった事件を悼んだ歌。逗子開成中学の学生12人が乗ったボートが七里ガ浜の沖合いで転覆して全員が亡くなったの。稲村ガ崎の海浜公園に海に向かって立つ二人の少年の像があるでしょう。あれはその慰霊碑なの。」
 「ごめん、それ覚えてない。ちゃんと見たことないかも。」
 僕はすまなそうに彼女を見た。しかし、彼女はそれを気にも止めていなかった。
 「大多数の人には関係ないし、昔のことだから、誰かが教えてくれないと意味不明な少年像で終わっても仕方ないかもね。私は自分の学校が関係していたから耳にする機会もあったし、何十周忌が忘れちゃったけど事故が起きた1月23日に慰霊の礼拝があったから。逗子開成と鎌女は兄妹校だったの。」
 そこで言葉を一度区切ってから、また話を続けた。
 「本当は舎管の先生の許可がないと駄目だったらしいんだけど、生憎、その日は同僚教師の送別会があって外出していたの。そこで、学校のボートを無断で持ち出して鳥を撃ちに行って事故に遭ったのよ。」
 「それって生徒が全面的に悪いんじゃないの。」
 「一般的にはそうね。でも、世間はそう見なかった。舎管の先生がいれば事故は起きなかったってね。そして一人の教師が責任を負わされて辞職させられたの。それが小説家、宮内寒彌のお父さん。」
 「宮内寒彌」と僕は頭の中の蔵書を検索しながら繰り返した。
 「彼のお父さんはね、彼に教科書以外の本を読むことを禁じたわ。文学の本を見つけられた時には目前で焚書の実演をされたみたい。宮内寒彌の『七里ヶ浜』にそういう場面があったもの。彼は早稲田大学に進学するまで文学を読む機会をあたえられなかった。そして、それが彼を小説家にしたのよ。ねえ、運命って信じる?」
 「僕は運命論者じゃないから。それに最初から決まってるなんて馬鹿馬鹿しい。」
 「でも、辿っていくとそこへ行き着くことってあるでしょう。」
 彼女は僕の目を覗き込むように言った。そして、後を続けた。
 「さっきの歌は『七里ヶ浜哀歌』って言うんだけど、うちの学校に居た三角錫子っていう先生が作詞したの。その女教師と宮内寒彌のお父さんはお見合いをするはずだった。でも、この事故でその話は立ち消えてお終い。と、同時に文学禁止の下地にもなったの。」
 「お見合いが流れたのは事情もあるだろうけど、文学は関係ないんじゃない?」
 彼女はそれには答えずに、数歩波打ち際に近づくようにして徐にこう言った。
 「ねえ、何かに心を惹かれて、そこで生きてみたいって思ったことない?」
 僕はその質問に真摯に向き合えるほど人生経験があったわけではなく、それほど重い感慨に打たれたこともなかった。だから「本を見て、そこへ行ってみたいとは思ったことはあるかな」と答えた。彼女は「それも同じことなのかもね」と少し目を伏せた。
 「宮内寒彌のお父さんはね。徳富蘆花の『不如帰』を読んで逗子に来ようって思ったらしいの。悲恋物語の登場人物に共感して、その地で暮らしたいってね。物語への憧憬が現実の感情となってしまった。ひとつの文学小説が生きる場所を選ばせたのよ。そして、失敗してしまった。だから、彼のお父さんは感情に影響を与える文学を禁止した。」
 「物語の主人公に恋をしたり、無いはずの場所に憧れたり、人は架空の世界を感情の中で現実に移してしまえるってことだね。あこがれとも言うけど。」
 「そう、ね。蘆花の小説には現実のモデルがあったの。それも禍したのでしょうね。宮内寒彌はこの事故と自分の出生とを切り離すことができなかった。ううん、違うわね。事故があったから自分が存在したと考えたの。人間の誕生としても、小説家の誕生としても起点になったってね。ふたりともロマンティストだったのね。その他にも宮内寒彌はいくつかの運命的なつながりを感じていたみたいね。軍艦『松島』と生徒が乗っていた『箱根号』、『不如帰』の浪子のモデルになった大山信子と逗子。古戦場としての七里ヶ浜と祟りとかね。」
 そういって風に髪を抑えながら彼女は微笑んだ。
 僕は彼女を見つめながら、彼女の憧憬が、彼女がその先に見ているどんなものに重なっているのかを考えた。それから、彼女の言葉を思い返した。

 「同じ方向を見てどこまでも歩いていかれればいいのに。行先に迷うことなく、繋いだ手がほどけても、目指す場所が同じならきっと一緒にいられるのにね。」

 七里ヶ浜まではまだ距離があり、そこへ着くころには時計は午後2時を回るだろうと僕は思った。




 
 

 

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千羽鶴 … 円覚寺

 以前に円覚寺で井上禅定さんにお会いした時の話をしましたが、その日の午前、つまり井上さんにお会いするまでの出来事です。もう昔のことなのに僕はまだ彼女の言葉を思い出せます、とても不思議なことに。しかしそれも彼女に言わせれば「記憶の再構築」なのかもしれません。


 秋を迎えようとする空に蝋石で引いたような一筋の雲が走っていた。蒼天の傷痕にさえも思える白い軌跡。
 溢れる蝉の声。
 突然、火が付いたように法師蝉が鳴きだし、その声は際立ち、すぐに止んだ。
 風は木立の上方を渡り、さざめきを残して過ぎて行く。
 僕たちは円覚寺の中にある仏日庵で催されていた茶会に一見の客として席を分けていただいていた。
 井上禅定さんとの約束の時刻まではまだ間があり、かといって他所を訪うような時間はなかった。この茶会は隙間を埋めるのにちょうどよかった。井上さんと彼女の父親は何らかの知己らしいが詳しくは訊かなかった。
 毛氈に行儀よく座った腿の上に茶碗をおいて彼女は、別の人のために点てられる茶の仕種をみている。
 晩夏の日差しは建物や人、木々、その他あらゆるものの形と色を明確に浮き出させた。暑さがそれほど苦にならないのは昼前ということもあるだろうが、やはりもう夏ではないことのあらわれであると思った。
 「ここで黒の織部を挟んで菊治と4人の女性が邂逅したのよね。」
 彼女はまるで思い出を語るようにぽつりと言った。
 「ちか子は乳房にある大きな痣のために女としての望みを棄てて菊治の父の妾の一人として過ごした。未亡人となった後に、やはり菊治の父の愛人として生活を工面してもらっていた太田夫人とその娘の文子、それから、ちか子が菊治に紹介するために呼んだ稲村家令嬢のゆき子。ゆき子はあくまでも無垢で清純に他の四人の物語の外におかれている。羨ましいくらいに慎ましく、綺麗にね。何ひとつ罪を負っていないひと。」
 彼女はそう言ってから抹茶にひと口つけた。
 「川端康成の千羽鶴だね。一瞬なんの話かと思った。」
 鎌倉を舞台にし、円覚寺のここ仏日庵から始まる小説。
 「すぐに思いつくだけでもたいしたものだわ。それだけでもご褒美をあげてもいいわね」と笑った。
 川端の「千羽鶴」はしとやかな流麗さをもっている。その物語冒頭の菊治とちか子の人間くさい言葉のやり取りの内にある邂逅の場面であっても、しめやかな破局が香り立つような川端らしい美文をまとっている。
 彼女が言ったように、ゆき子は菊治とちか子、太田母娘の絡みあいからは一歩離れた場所にいる、いうなれば蚊帳の外の登場人物であった。外に置かれたその女性は純真さを示すかのように、汚されないよう細心の注意を払って描かれ、そのゆき子自身が願いを込めて丹念に手折られた千羽鶴であるのかもしれないと思えた。鶴自身は美麗な千代紙でしかないが、手折る人の指が心を入れて行く。
 美しきかの人は端正な千代紙、せめて心なき人に折られぬように。
 添えてあった干菓子を食べ、半分ほど残っていた茶を飲み干し、僕は茶碗を置いた。
 「小説ほど人を美しく描き出せるものはないわね。犀星が『純愛は小説の中にしかない』と言ったけど同感。純真とか無垢とかも物語だけの話ね。そんなもの保ち続けていられないし、もとより持っていないもの。物語のなかでは憎しみさえ純粋で綺麗。現実の憎しみなんてもっと混沌としてて、かつ、空虚なもの。中身のないサスペンスドラマよりも空っぽ。整合性の理論なんて通じないのが現実だわ。」
 「確かに君の言うとおりに、そんな風に純粋なものがない不純物だらけの感情だから現実は面白いとも言えるのかもね。感情が事件を引き起こすのに、その感情がはっきりしないのだから。だから真実がない。それから論理的でもない。美しい理想は芸術のなかにしかないって感じかな。」
 「起こっている事件の事実はわかっても真実なんてわからないのよ。当事者たちでさえも。事件を整理すれば何が起きたのか、本当に起こった事実は判明するでしょうけど、それだけだわ。感情がどんなものであったのかなんて説明できない。事件の動機は多かれ少なかれ誘導によって作られてしまう。つじつまがあうように。そこで必要なのは第三者のすべてを納得させることではなくて、実行当事者を納得させること。その本人が理解できるように理由を作らせることなのよ。『よく考えれば…だった』なんて結果からの遡行にすぎない。それで納得しようとするなんて滑稽ね。」
 そこで言葉をとめてから彼女は「ごめんね、嫌な言い方ね」と言って仏日庵を出ると足を帰源院へと向け、門の左側にある剪定され整えられたばかりに見える植え込みに囲まれている漱石の句碑の前で立ち止まり、それを読み上げた。
 「仏性は白き桔梗にこそあらめ。」
 彼女がそれをどんな気持ちで読んだのかはわからない。
 ただこう思っただろうことは想像に難くない。
 「白が清らかだとは限らない。」
 空を見あげると先ほどの飛行機雲は既に拡散して帯状に広がっていた。もうしばらくすれば消えてしまうだろう。
 時計を見ると井上さんと約定した時刻が近づいている。僕たちは円覚寺の社務所へと向かった。




 
 

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