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ありのまま

 「人の道とはいかなるものなのでしょうか。」
 「人の道とは即ち平常心を言う。」
 「その平常心を得るには如何にすればよいのでしょう。」
 「求める心に平常心はない。」
 「求道に精進しなければ道を得られないではありませんか。」
 「悟ったと思うこと、それは妄信である。悟らずと思えば自覚を捨てることになる。悟るも悟らぬも自然の流れ、それが平常心なのだ。」


 「求めれば欲になり、求めなければ放棄したことになります。無欲とは無自覚とは違う。悟るとは自然にわかることなのです。」

 そう言われた時、僕の中にある種の抵抗が生まれました。その抵抗を言葉で表現することはできないのだけれど、「狐につままれたような、そんな言い回しで誤魔化されるものか」とそのようなものであったかもしれません。

 僕は生きるために日々人と争います。自分を正しい側にあると信じて、或いは、正しい側に置くために、または利益のために競います。
 実社会において糧を得るためには多々争わねばならないし、それらを達観して仙人のように世捨て人で生きられるはずもありません。だから煩悶し苦悩し、不安に陥り、自分を他人を疎ましく思います。

 私欲と雑念と煩悩にまみれた自分は永遠に平常心など得られるはずもないと諦めてもいます。しかし、逆を返せば、 四苦八苦を寛容に受け入れることも、時の流れを風流に静観することもできませんが、得られないと悩む姿も僕の偽らない姿なのです。

 居直るわけではないですが、「このままで仕方がないと言うのも、僕の自然な姿です」と言ったら、あの人は説教をするでしょうか、それとも呆れ顔で苦笑するでしょうか。
 いいえ、きっと笑ってこう言ってくれるはずです。
 「わからないでいるということも、それもまたありのままの人の姿なのです」と。

 「丸になれ。球になれ」と座禅を組まされた僕を励まし続けてくれたあの人の言葉を思い出しました。なぜ、こんな大事なことを忘れていたのでしょう。
 いえ、忘れていたのではないのです。
 僕の心に届いていなかっただけです。
 ようやくそれに気が付きました。

 僕はもっと思い出さなくてはならないことがあるはずです。きっとたくさんの大切なことを忘れてしまっているはずなのです。

 しばらくブログをアップできないかもしれません。
 先日、「手抜き」だと指摘されてから見返すと、やはり手抜きですね。体調の悪さがそのままに出ていて、文章になっていません。
 「ひどい日記だな」と思うのですが書き直す気力も体力も今の僕にはありません。
 ですから気分と体調が良く、もう少し自然に書ける時に、僕らしい日記をあげたいと思います。
 今よりももっとランダムになるでしょうけれど、立て直してきます。


 全く関係はありませんが、鎌倉の光明寺の池には翡翠が訪れます。渡り廊下でぼんやり眺めていると出会えるかもしれません。
 そのうち鎌倉散策にでも行こうと思います。池のそばでポケットカメラをぶら下げて、ぼーとしている変な人間がいたら、それはたぶん僕です。気が向いたら声でもかけてみてください。
 でも人混みが苦手なので、黄金週間は外そうかな…。

 光明寺 翡翠 
 (鎌倉・光明寺にて)




 


 
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PERRAULT'S FAIRY TALES (Honor Charlotte Appleton )-20世紀初頭の挿絵-

 僕としては意外でしたがテニエルよりもリクエストの多かったアップルトンの挿絵本を一冊取り上げます。

 1913年に刊行された「ペロー童話集」です。アップルトンの略歴は前回触れたので、今回は「ダンテの神曲」「ミルトンの失楽園」などで有名な19世紀末に活躍したポール・ギュスターヴ・ドレ(1832年1月6日– 1888年1月23日)の挿絵を何枚か交えてご紹介していきます。

 “PERRAULT'S FAIRY TALES” (1913年)

 perrault01
 (London Simpkin,Marshall,Hamilton,KENT & Co, Ltd)

 ペローの童話集はグリムよりも前に編纂されていて、民間伝承を基礎とした物語集としては最も古いもののようです。このペローの成果が好評を得て、フランス・サロンでの朗読と言う枠から広がって行き、児童文学と言う一大事業への流れが生じたとも言われています。「マザー・グースの歌」(オールド・ナーサリー・ライム)の収集が始められるのもこの後になります。

 perrault02 

 アップルトンが挿絵を施したこの本に収録されているのは「眠りの森の美女」「赤ずきん」「青ひげ」「長靴をはいた猫」「 仙女たち」「シンデレラ 」「巻き毛のリケ」「親指太郎」の8篇、挿絵はフルカラー12枚です。口絵「七里の靴」(“ 親指太郎 ”より)に続いて扉と目次を挟んで「眠りの森の美女」です。

 dore 03 「眠りの森の美女」(P.G.Dore)

 この童話集はペローの原作通りではなく“S.R.Littlewood”によって再話がなされています。
 ペローの童話は子供向けとしては描写が不向きな部分があります。
 もちろん、この童話集は民間伝承をまとめて、読みやすくペローの手によって改作されたものではありますが、それでも若干ですが道徳的に憚られる部分があります。
 「赤ずきん」などは、一般的に知られているのは狼に食べられた後、助け出されることになっていますが、原作では食べられたままですし、間接的にですが赤ずきんが性的に狼を誘惑するような台詞もあります。またギュスターブ・ドレの「ペロー童話集」ではペローの描写通りに赤ずきんは裸で狼とベッドを共にしています。リトルウッドはそういった部分に多少手を加えました。
 
 perrault03 H.C.Appleton dore00 P.G.Dore

 「赤ずきん」の挿絵は表紙絵と同じものを用いています。アップルトンはここでは通説?通りに可愛い少女像で描いていますが、一世代前のギュスターブ・ドレの挿絵では原作を生かしてもう少しエロティックに表されています。
 次が「青ひげ」です。アニメ「Fate/Zero」で人気がでたサーヴァントのキャスターであり、ジャンヌ・ダルクの盟友でお馴染みのジル・ド・レーをモデルとした物語です。
 ドレの挿絵を見ると目つきが「Fate/Zero」のジルそのものです。これが原案かもしれないですね。隣の絵は同じくドレの「親指太郎」です。

 dore 05

 次は「長靴をはいた猫」と「仙女たち」です。
 
 perrault04

 「仙女たち」とタイトルをおくと「どんな話?」と思う方もあるかもしれません。粗筋を読めば「ああ、あの話か」と思い当たるでしょう。こんな話です…。

 昔あるところに母親と二人の娘がいました。母親は自分によく似ている長女ばかりをかわいがり、下の娘には辛くあたっていました。
 あるとても寒い日のことです。母親は下の娘に水をくむように命じました。下の娘が桶をもって井戸端に行くとボロをまとった女の人が立っていました。娘が水を汲んでいると「お水をわけてもらえませんか?」とその女性が話しかけてきました。娘は快く水を分けてあげると「なんと心優しい娘でしょう。お礼にこれから先、あなたが話せばその口からバラの花と宝石が飛び出すようにしてあげましょう」と言って魔法をかけてくれました。
 家に帰った娘は母親と姉に口から飛び出してきたバラの花と宝石を見せて、不思議な女の人の事を話しました。
 その話をしている間にも香り立つバラの花や色とりどりの宝石が口からこぼれました。
 母親と姉はその宝石をひろい集めました。そして姉は、「私も同じようにしてもらうわ」と言って井戸へ走って行きました。
 井戸へ行くと先ほどと同じようにボロを来た女性が立っていて、同じように話しかけてきました。
「すみませんが、お水を一杯、飲ませてもらえませんか?」
 ところが姉は浮浪者のようなその身なりを見て「おお、汚らしい!お前なんか、あっちへお行き!」と、ひしゃくで水をすくって女性の顔に浴びせました。すると女の人は姉を睨みつけて「なんと心の醜い娘でしょう。これから先、あなたが話せば毛虫や蟾蜍が口から飛び出すようにしてあげましょう」と呪いをかけて消えてしました。
 姉が「まってください」とあわてて言うと、その口から本当に毛虫や蟾蜍が次々と飛び出してきたのです。
 上の娘のその様子をみて怒った母親は、下の娘を家から追い出してしまいました。
 追い出された妹は森をさまよっていました。そこへひとりの王子が馬に乗って通りかかりました。
「お嬢さん、こんな深い森の中でどうしたのですか?」
 娘は泣きながら一部始終を話しました。そして、そう話す先から次々にバラの花や宝石がこぼれ出てきます。
 王子はその愛らしさに心惹かれて、娘を連れて帰り、結婚して幸せにくらしました。

 dore 02 「長靴をはいた猫」(P.G.Dore)

 アップルトンは「シンデレラ」に3枚の挿絵を置いています。

 perrault05

 場面は異なりますがドレも同じように3枚の挿絵を描いていますので見比べてください。

 dore 01

 最後は「巻き毛のリケ」と「親指太郎」です。
 「巻き毛のリケ」も少し馴染みがないかもしれないので手短にご紹介しておきます。

 ある国で王子が生まれました。見事な金色の巻き毛を持つ王子は「巻き毛のリケ」と呼ばれました。しかし、その王子は非常に醜い容貌をしていて王も妃も心を痛めていました。しかし、そこに妖精が現れて才知を授けるとともに、彼が愛した女性にその才知を分け与える力を与えました。
 また、別の国では二人の王女が生まれていました。ひとりは非常に醜いが才知に恵まれ、もうひとりは輝くばかりに美しいが非常に愚かなお姫様でした。そこにも妖精が現れて、賢いお姫様には愛した相手を賢くする力を、美しい王女には愛した相手を美しくする力が与えました。
 やがて年頃になり、醜いが賢い王子とふたりのお姫様が出会いました。
 美しいお姫様は、王子があまりに醜いため避けていましたが、その機知に富んだ話や優雅な物腰に次第に惹かれていきました。
 醜い王子は美しいお姫様を愛したのでお姫様はだんだん賢く思慮深い女性となり、美しいお姫様も王子を愛したので王子は美しい姿となり、2人は結婚して幸せに暮らしました。

 という話ですが、これって素直にハッピーエンドと言いにくくないですか?「醜くて賢いお姫差はどうなったんですか?」って突っ込みたくなります。なんでもうひとり「美しくて愚かな王子」を用意してくれなかったのでしょうね。そうすれば二組が幸せな結末を迎えられたのに(すみません、挿絵とは関係ないですね)。

 perrault06 「巻き毛のリケ」 perrault07 「親指太郎」

 おまけにウォルター・クレインのトイブックから「赤ずきん」の挿絵を添えておきます。

 crane-red00





 

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「新錦繪帖 處女の頃」- 挿絵(和書)-

 柳原白蓮と島成園による「新錦繪帖 處女の頃」を取り上げます。
「新錦繪帖 處女の頃」は12カ月をテーマに成園の木版画と白蓮の歌や詩文で構成されています。

 柳原白蓮は大正から昭和にかけて活躍した女流歌人で、大正天皇の従妹であり、筑紫の炭鉱王・伊藤伝右衛門の妻。伝右衛門との不幸な結婚生活を打開するために新聞紙面で夫宛の絶縁状を公開し、恋人と出奔した女性です。
 当時もっともスキャンダラスなことをやってのけた恋に生きた女性。白蓮については後ほど改めてとりあげます。

 白蓮と成園、この二人は家系的な差異はあるとはいえ似た境遇で育っています。出版社としてはそういった視点を踏まえて企画したものと思います。


 「新錦繪帖 處女の頃」 (1922年)

 處女の頃 01
(島成園・画、柳原白蓮・詩文、大鐙閣、大正11年初版)

 島成園は、明治25年(1892年)2月18日(13日とも言われています)に大阪府堺市で島栄吉、千賀夫妻の長女として生まれました。しかし生まれてすぐに母親の実家である諏訪家の養女にだされたため諏訪姓を名乗ることになります。
 父親は襖絵師であり、兄も扇や団扇などの絵師をしており、彼女はその仕事を目で見ながら絵画を学び、15歳頃から本格的な絵を描くようになりました。
 大正5年(1916年)に女性日本画家木谷千種、岡本更園、松本華羊とともに「女四人の会」を結成し、大阪で個展を開催しました。あまりにも革新的なその絵画は世の美術家を驚嘆させます。特に女性画家にとっては「大阪の私たち女の作家は、まづ島さんの崛起によつて立ち上つたやうなもの」と言わしめるほどでした。しかし、その作品の主題が身分を超えた恋愛、不倫、心中物語におかれており、それらは性的倒錯や犯罪などを喚起するものであり反道徳的であるとの理由で猛烈な批判に曝され、美術界から反感を買うことになります。
 その才能を惜しんだ鏑木清方などの擁護の甲斐あり、翌年の文展で入選し、画家としての評価を取り戻すことに成功します。これを契機に大衆新聞、雑誌、カレンダー、絵ハガキなどでの挿絵を多数手掛けることになります。
 大正9年(1920年)11月に銀行員であった森本豊次郎と結納を交わし結婚生活に入りますが、この結婚は本人の同意なく行われたために成園は、その不満や生活の疲労から制作意欲を失い、その作品にはかつて見られた生気が感じられなくなりました。
 そうした中でも、豊次郎の上海転勤にともない、中国と大阪を行き来する生活で新たな刺激を受け「上海にて」「燈籠祭の夜」といった秀作を描いています。
 終戦後は大阪に戻り昭和26年から31年までは個人展を開き、昭和35年から44年までは門弟であった岡本成薫との「二人展」を開催しました。
 画風を変えながら精力的に画業に臨んだ晩年でしたが、昭和45年(1970年)に宝塚へ転居した直後の3月5日、脳梗塞により78歳で世をさりました。

 處女の頃 02 一月「押繪のきみ」、二月「つぼみの花」

 初春やあけていくつの年の數 みたすあまらすもろ手の指に

 あやまちて屋根に上せしよき羽子の かへりこぬ夜のさびしき夢路

 羽子板の押繪のきみとそひふしの 春やむかしのおぼろ夜の月

                    (「押繪のきみ」より)

 處女の頃 03 三月「雛まつり」、四月「櫻ちる頃」

 いつしらず小女となれば吹く風も わが髪に来てぞとものおもふ

 櫻花ちるもちらぬもかかわらぬ 小さき心になにをはぐくむ

 人の世の罪も掟もかなしまぬ 小女がながす涙は何ぞ

                    (「櫻ちる頃」より) 

 處女の頃 04 五月「菖蒲風呂」、六月「しゃぼん玉」

 子守女のかなしさは 子供が泣いても乳もたず
 習い覚えたふるさとの うたをうたへばすやすやと
 眠るこの子のかわいさに あかい夕日の落つるまで
 うたをうたふよ子守うた
                    (「子守うた」より)

 處女の頃 05 七月「七夕」、八月「子守うた」

 妾腹の子であった白蓮は生後7日で実母の元から離され、麻布にあった柳原邸に引き取られ初子の子として育てられることになります。しかしながら当時の華族は自分で子を育てず乳母へ里子に出すという習慣があり、白蓮もその例に倣い品川の種物屋を営んでいた「増山くに」の元で7歳まで育てられます。
 白蓮は回想でこの海辺の町で生活していた頃が一番幸せだったと述べています。彼女にとって「子守」とはある種、母よりも特別なものであったのだと思われます。

 「海恋し浪の遠音を枕して さめては寂しいいくとせのの夢」(白蓮)

 處女の頃 06 九月「虫の聲」、十月「わたくしの犬」

 虫売の聲かとなかばいひかけて 赤き鼻緒のきゆる門の邊

 きりぎりす幼き人にかはれたる その音も夜ごと細くなりゆく

 鈴虫よ何かかなしておなきやる 夜はよすがらねられぬものを

                      (「虫の聲」より)

 處女の頃 07 十一月「小春日」、十二月「クリスマス」


 クリスマスの店の飾りも嬉しやな 道ゆきふりのかるき足どり

 つつましき降誕祭のうたのこゑ 造り花さえ散るかとおもふ            

                      (「クリスマス」より)







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反省…

今日の事です。

 「最近のブログ、少し手抜きみたいじゃないですかぁ?」と突然、初島さんから言われました。
 「手を抜いているわけじゃないけど、でも、そうかな…」
 「そうですよぉ。だって砂時計の紹介だって粗筋がわからないしぃ。どんな話だか全然つたわりませんよぉ。」
 「あ、でも、あれはね、推理小説的に出来てる作品だから粗筋を書くとネタバレになっちゃうんだよね。」
 「それにしても、もっと書き方があったんじゃないですかぁ?」

 そう言われてしまうと確かに方法はありました。あの時は「こんなものでいいかな」と思ったんですけど読み直してみると確かに不親切極まりない感じがしてきます。

 「すみません…」

 素直に謝るしかないですね、この場合には。

 「ところでTさんのブログって古本の紹介みたいの多いじゃないですかぁ。いっそのことそれ専門のブログにしたらどうですかぁ?紹介と感想とか書けば見てる人にもわかりやすいですよぉ?」

 なるほど、とは思うのですが何となく僕の視点とはずれている気がします。
 本を手に取る動機について、僕自身、優柔不断な性格なので先入観に左右されやすいのです。ですから、断定的な感想などについて「あまり好ましくないな」と感じているわけです。もちろん、僕なりの感想はありますから作品に対して共感することもあれば、批判することもあるのです。特に批判というのは読んでいて興味を惹くものではあります。しかしそれを粗探し的に書くのもどうかと思うし、それで誰かが手に取ることを避けてしまうことになったら出会いを妨げてしまったことになります。
 仲間うちで直に話しているときは遠慮会釈なく言えるんですけどね。文字だけだと誤謬を生じますから。ですから、これからも冗談めかした部分以外はあまり突っ込まずにやっていきたいと思っています。これも過去に大失敗があるからなのですけど。

 本に関して、僕は新刊も読みますし必要があればご紹介もしますが、できればあまり知名度のない、或いは、今はあまり手に取られていないものを取り上げたいと思っています。小説以外にももっと多岐にわたって取り上げたいとも思っていますが、何分にも非才で怠慢なもので…。
 
 反省と言えば、ブログの更新が遅れがちなのもさることながらPCを立ち上げて確認することも怠っていました。その間によく訪ねさせていただいていたブログがパスワード制になってしまっていて訪問することができなくなっていました。何らかのご事情があったものと思われ、それが惜しまれます。
 
 最後で恐縮ですが「拍手」をいただき有難うございます。ご覧いただいている方々の応援に相応しいものか否か甚だ疑わしいですが、これからもポツポツと続けていきたいと思っています。お付き合いのほどいただければ光栄の限りです。 

 
 
 

 
 
 
 

 


 

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行方も知らず

 明治35年11月、高山樗牛がその死のひと月前にこう綴っています。

 「今の人は祈ることを忘れた。是れこそは今の世の最も大いなる禍と謂ふべきであろう。」

 祈りとは本来、自我の欲を願うことではありません。それはもっと大きなものであるはずです。

 その前年の8月「無題集」に彼が記したのは、

 「はかなくも立つ烟かな 行方も知らず立ち迷へるさまの わが心に似たりけるよ。」

 同じく「無題集」から、

 「君よ、わが名を問ふ勿れ、別れてはまた逢はるべき吾ならず、見ずや、空ゆく雲の右と左を。」

 言葉の断片を並べながら桜の花の下を歩き、春の日溜りと心地よい風と、それに釣り合わない自分の心を持て余しています。
 こどもたちが花びらを追って走るのを眺めながら、この瞬間を彼らがいつしか思い出せますようにと願っていた自分が不思議で、その滑稽さから逃げるように歩を速めて離れました。

 「櫻花 ちるもちらぬもかかわらぬ 小さき心になにをはぐくむ」 (柳原白蓮)

 遠い記憶の向こうで、ある少女の言葉が僕の中で鮮明に聞こえます。

 「あなたは私の名前をいつまで覚えていられるかしら。いつか私の姿を忘れたとしても名前だけは思い出してね。だから、身勝手な私は今からあなたに呪いをかけるの。それは私にとっての祈りであって、あなたにとっては呪縛となるように。」

 東慶寺の鐘の音は円覚寺のそれより少し遅れて鳴るのだと、立原正秋の小説の台詞を借りて笑った彼女を思い起こしています。

 「しひて行く人をとどめむ桜花 いづれを道と惑ふまで散れ」(古今和歌集 詠人不知)

 あの日の僕にそう言える強さと弱さがあればもっと変わっていたのかもしれません。

 いつまでも春のままではいられはしません。ですから、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の美しさを求めつづけているのでしょう。時々の幸を見つけられるように。それが祈りの姿ですから。

 体調不良と仕事に忙殺され、心がまた後ろを向き始めた感じです。「ずっと見ていればそちら側が正面になる」なんて、そんなことはありませんね、きっと。

 もう少ししたら前を向けるくらいの力が戻って来るでしょう。


 


 
 

 

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