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“Jack The Giant Killer”(Richard Doyle) - 19世紀末の挿絵 -

 リチャード・ドイル(Richard Doyle, 1824-83)

 リチャード・ドイルは、1824年9月17日、ケンブリッジ・テラス(ロンドン)で生まれました。
 彼の父J・ドイル(1783-1851)はアイルランドの風刺画家でした。
 リチャードは7人兄弟の1人で、兄のジェームズはエドムンド・エヴァンズの工房で挿絵画家として活躍し、弟のヘンリーもまた挿絵で生計を立てていました。そして、一番末の弟、チャールズは作家アーサー・コナン・ドイルの父です。

 The King of the Golden River 1861 The King of the Golden River
  The King of The Goldenriver (Mayhew & Baker, Boston, 1861)

 リチャードは父から絵の指導を受け、そのユーモラスで独特の画風は早くから注目を浴びていました。
 16歳の頃にはロンドン郵便局のために封筒のデザインを手がけています。
 1843年に、彼はパンチ誌に加わり、1844年には表紙を担当するまでになりました。彼の描く風刺画は瞬く間に民間での人気を勝ち取って行きます。
 1849年、マーク・レモンの「魔法をかけられたお人形」の挿絵を描き、1851年にはラスキンの「黄金川の王様」の挿絵を手がけています。

 The PRINCESS NOBODY 1884 The PRINCESS NOBODY 1884-01
 The Princess Nobody(Longmans Green & Co., London, 1884)

 1860年代に入り本の彩色印刷技術の向上に伴い、彼はその本領を発揮します。
 その代表と言えるのがウィリアム・アリンガムの詩を添えた「フェアリーランド(In Fairyland)」(1869)です。 しかし、「フェアリーランド」は商業的には成功したとは言えませんでした。
 装丁や彩色挿絵に手がかかり、 非常に高価な本となりました。それはごく一部の富裕層を除いては手に取ることができないほどの販売価格(31.6シリング)だったのです。
 1870年には普及版2000冊が発行されましたが、それも手ごろとは言えず、結果として更に失敗を上塗りする形になります。
 この商業的な躓きはリチャードから仕事を奪い無名状態にまで落ち込ませました。
 1883年、彼は行きつけのクラブの階段で倒れ、そのまま亡くなります。享年59歳、死因は脳卒中でした。

 彼の死後、その作品は再評価の声が高まり、「The Princess Nobody」「Jack The Giant Killer」などの初期作品が再発行されました。
  今日ではリチャード・ドイルは1860年代後半のアーティスト、そして、ビアズリー、リッケッツなど1890年代のアーティストに影響を与えた画家として先ず最初にあげられます。

 “ Jack The Giant Killer ” (1888年)

 jack the giant killer jack the giant killer 01 
 (Eyre & Spottiswoode, 1888)

 イギリスに古くから伝わる伝承にリチャード・ドイルが非常に見事な挿絵を提供しています。
 民話の雰囲気を出すように文字はすべて手描き、挿絵は多色刷石版画で刷られています。
 この絵本は1842年、ドイルが18歳の時にすべて手書きで原案を作りました。しかし、出版の機会を与えられず、1951年に出版されたものは挿絵を白黒刷用に描き直し、枚数も減らされ、文字も手書きから活版に変更されました。
 彼の死後、1888年になって初めてドイルの原案通りに再販されることになり、彼の再評価の機運を一気に高めました。

 jack the giant killer 02 jack the giant killer 03 

 「巨人退治(殺し)のジャック」は、元は英国コーンウォールを舞台とする伝承です。
 J・ジェイコブズの再話によって世界中に広められ、確か映画にもなっていた気がしますが定かではありません。
 コーンウォールといえばアーサー王伝説で有名ですし、様々な遺構もあります。言語的にも独自の言葉を持っていました。
 また州西部のペンウィズ半島にあるランズエンドはグレート・ブリテン島最西端に位置し「地の果て」として名所にもなっています。
 不思議が盛りだくさんの、そのコーンウォールにあるセント・マイケルズ・マウントの「巨人伝説」が形を変えて「巨人退治のジャック」として現在に伝っています。

 jack the giant killer 04 jack the giant killer 05 jack the giant killer 06 

 話としては単純な退治話です。

 空腹になるとブリテン島にやって来ては略奪をし人々を苦しめる巨人をコーンウォールの農夫の息子ジャックが退治することから物語は始まります。
 ジャックは日が暮れるのを待って巨人の住む城の通り道に深く大きな落とし穴を掘り、夜明けを待ちます。そして太陽が昇ると同時にジャックは思い切り角笛をひと吹き。
 眠りを妨げられ怒り狂った巨人は居城から飛び出し、そのまま地響きを立てて落とし穴に嵌ります。そこでジャックが動けずにいる巨人の頭を鶴嘴で叩き割って殺すという凄まじい話です。

 jack the giant killer 07 

 結構、エグい描写も多く、ジャックも正攻法とは言えない騙まし討ちに近い策略を廻らせます。
 まぁ、特殊人類(?)との戦いと言う能力差からみれば騎士道に基づいて正々堂々と一騎打ちとはいかないのは当然ですけど。この物語、いうなればジャックの知略を楽しむものです。

 jack the giant killer 08 jack the giant killer 09

 その後も悪い巨人達や魔法使い、ドラゴンを次々に倒して民間の英雄になっていきます。ついにはその活躍を認められてアーサー王の騎士に加えられると言うエピソードも加わります。

 jack the giant killer 10 jack the giant killer 11

 “ Jack The Giant Killer ”は挿絵本体の面白さもありますが、その絵の枠に描かれたヴァリエィション豊かな観客たちもユーモラスで楽しいです。
 子供向きばかりではない風刺画家としてのドイルの面目躍如と言ったところでしょう。





 
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閑話休題 ラッカムのアリス

 クレイン、グリーナウェイ、コルデコット、テニエル、グリゼと取り上げてきました。
 19世紀はあと少しで終わりにして、そろそろ20世紀に入ろうかなとも思っています。
 他にも取り上げたい挿絵画家は何人もいるのですけど、そうするとそれに特化したブログになってしまうくらい際限がなくなります。
 タイトルを「19世紀末の挿絵」としているので、それも厳密に絞るか、それとも20世紀初頭までオーバーランするのかなど迷いながら取り上げています。
 20世紀初頭も誰を取り上げるか迷うところですよね。
 以前に、シシリー・M・バーカーの仕掛け絵本を扱ったので今回は彼女のオリジナルの部分を紹介したいですし、ビアトリクス・ポター、チャールズ・H・ロビンソン、ウィリアム・H・ロビンソン、ワーウィック・ゴーブル、エドムンド・デュラック、アーサー・ラッカム …。
 次回からは「20世紀初頭の挿絵」にタイトルを変えてしまおうかとも考えているのですが…。

 ただ紹介しているのは基本的に僕の持ち物が中心なので幅が狭いのが最大の欠点です。
 それから、書いたことに間違いがあれば教えていただければ嬉しいです。間違いがあれば、即、訂正します。
 恐らく僕が気づかないだけで多い気がするのですけどね。

 「不思議の国のアリス」「アンデルセン童話」みたいに何人もの挿絵画家が取り組んでいるものは、纏めたほうがいいのかな?とかも思っているのですけど。そうすると時代が混交して却ってわかりにくいとも思えます。
 絵のバリエイションを楽しむには良いですけど、挿絵ってその時代の気質みたいなものを含んでいるのです。それが見えなくなりますね。

 一冊づつを丁寧に取り上げたほうが良いのか、その挿絵画家の作品を俯瞰できるように何冊かから数枚を代表的に掲載すべきなのかも難しいところです。
 もっとも専門サイトではないし、僕の気分で書いているものですから厳密なルールなどありませんし、作っても意味がないでしょうし。

 僕がアリス続きで取り上げたかったのは、アーサー・ラッカムですね。
 すごく迷ったんですけど、結局は入れませんでした。
 ここでご紹介しておきます。
 1907年の限定本初版、挿絵は口絵1枚、カラープレート12枚が挿し込まれています。
 ラッカムの挿絵は怪しい雰囲気がありますよね。
 テニエルのアリスは幼女に徹した部分があります。
 子供らしい可愛いらしさと併せて、気難しさとか、我儘な表情も見て取れます。いうなれば健康的なアリスです。
 ラッカムのアリスは幼女の雰囲気は全くないですね。もっと大人に近い、けれど大人の女性ではありません。
 そこに曖昧なエロティシズムめいたものが香りたちます。
 日本では明治、大正時代に「少女」という概念が登場しました。若い女性でもなく、幼女でもない、もちろん単なる「女の子」でもない、もっと過渡的で曖昧な存在。
 ただラッカムのアリスはその「少女」と言うのとも違う気がしますね。
 プリティとか、コケテイッシュと言う陽の部分の愛らしさとは異なっています。
 外見はもちろん「少女」なのですが、もう少し成熟した性を内包しているような気がします。
 その怪しさが彼のアリスの魅力ではないかと僕は思っています。
 ラッカムについては別の本を改めて取り上げます。どれにしようかまだ決めかねているところです。

“ Alice's Adventures in Wonderland ”
( Illustrations by Arthur Rackham )

  Alice Rackham00-1 Alice Rackham00-3
 (London: William Heinemann, & Doubleday, Page & Co., New York, 1907)
 
 Alice Rackham01 Alice Rackham02 Alice Rackham03

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 Alice Rackham10 Alice Rackham11 Alice Rackham12

 Alice Rackham00-2

 仕事の都合でまた少し日があきます。
 次に誰を載せるか、その間に考えておくことにします。


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残忍なピーターの煉獄 ( Ernest Griset )    - 19世紀末の挿絵 -

「The Purgatory of Peter The Cruel」
 (原作・James Greenwood、1868年初版) 

Griset00 Griset02  Griset01 
 ( LONDON : GEORGE ROUTLEDGE & SON, THE BROADWAY,LUDGATE,NEW YORK:416,BROOME STREET, 1868)

 「The Purgatory of Peter The Cruel」は、転生によるピーターの受難と因果応報を描いた諷刺物語です。
 インドに向かう商船のクルーであるピーターは、弱い生き物を殺すことを好む残忍な性格の持ち主。
 彼は一匹のゴキブリを殺した後、マストから転落し死亡します。
 そして、生き物を殺した罪で地獄に落ち、彼自身がゴキブリ、蟻、カタツムリ、トカゲなどに姿を変え、人間に殺されたり、ほかの生き物に捕食されるなどの運命を辿ります。
 邦題をつけるならば「残忍なピーターの末路」と言うほうがわかりやすいかもしれません。

 さて、肝心の本のほうですが、36枚の挿絵はエッチングに手彩色が施されています。
 装丁は、赤いレザー貼りの表紙、表題は金の箔押し、側面三方に金をあしらったもので、当時の書籍としては豪華な作りになっています。
 挿絵を描いたのは、現代では忘れ去られた挿絵画家アーネスト・グリゼです。

 Griset03 Griset04 Griset05

 アーネスト・グリゼ(Ernest Griset,1844~1907年)

 アーネスト・グリゼはブローニュ(フランス)で生まれ、1848年のナポレオン3世による革命のために財産を没収されたことから、彼がまだ幼少のうちに両親とともにイングランドに移住したと推測されています。
 グリゼはロンドンで絵画技法を学び、晩年までロンドン動物園の近くに居所をかまえ、動物や昆虫のスケッチに取り組みました。
 ウォルター・クレインはそこでよくスケッチをしているグリゼに会ったことを日記に書いています。

 Griset07 Griset06

 彼の描写は生物学的にも、植物学的にも極めて正確であるのみならず、昆虫や動物を擬人的に扱うことに長けていました。
 彼は動物園で動物や鳥、昆虫の観察をし研究を積み、そうして描かれた絵の多くは、現在、ビクトリア&アルバート博物館で観ることができます。
 しかし、当時の評価は彼にとって決して好意的なものばかりではなかったようです。
 1877年7月9日のThe Times誌は、彼の死の誤報を掲載するとともに「彼は非常な皮肉屋であり、動物と人間の間の子のような野蛮で怪奇な生き物の絵を無数に製作した。それは賞賛に値しない、明らかに心を病んだ者による無尽蔵な紙屑である」と書きたてました。
 The Timesの酷評にも関わらず、レスタースクエアのサフォーク通りにある書店で販売していたグリゼの絵は、廉価なこともあり好調な売れ行きを見せ、人気は高まっていきました。
 7月16日付けのThe Timesでは彼の死を訂正するとともに「彼は病んではいない」と言う記事を掲載しています。

  Griset08 Griset09 Griset10  
 
 グリゼについての当時の経歴としては特筆すべきものはあまりありません。
 というのも、彼の絵は子供に支持はされましたが、大人の間では子供ほどには広まらなかったのです。
 彼はFun誌のために数年間挿絵を描き、1867年にはトム・フッドの詩集「グロテスク」の挿絵を担当し、当時、流行であったグロテスクな動物画で人気を勝ち取っていきました。
 誤解のないように説明を付しておきますが「グロテスク」とは不気味とか、気持ちが悪いと言ったことではありません。
 元々は、唐草模様(アラベスク仕立て)の中に、人物や動物、昆虫、植物、武器などをあしらった古代ローマの文様形式を指しています。
 これを先のような意味に変えてしまったのはヴィクトリア朝時代の頽廃的なイギリス風俗であり、その騎手の片棒を担ったのはグリゼであったと言って良いでしょう。

 Griset11 Griset12

 彼の人気と評価は高まり、リチャード・ドイル、ジョン・テニエルなどを擁していたパンチ誌の編集長マーク・レモンがグリゼをパンチ誌に勧誘しましたが、結局は意見が合わずに5年足らず勤めた後、1869年には彼はそこを去ります。
 グリゼは以後、「Boy's Own Paper」「 The Girl's Own Annual」「Little Folks」などで活躍します。
 その人気は本国イギリスよりもアメリカでのほうが高く、特に西海岸地方を中心とし、ありとあらゆる雑誌に挿絵を提供し多忙を極めました。
 その結果、彼の仕事は粗雑になり、次第に人気も廃れていき、彼の死の時にはほとんど存在自体を忘れ去られていたと言っても良い状態でした。

 Griset14 Griset14

 挿絵画家としては忘れ去られたグリゼですが、彼の絵やストーリーが持つナンセンスさは「ちびくろサンボ」のヘレン・バンナーマンや「トムとジェリー」の作者であるハンナ・バーベラのカトゥーンなどにも影響を与えることになります。
 今一度、絵の表現の豊かさといった観点から見直されても良い挿絵画家ではないかと僕は思います。

 Griset15

 
 

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不思議の国のアリス - 19世紀末の挿絵 -

 London, Macmillan & Co., 1866 London: [Richard Clay for] Macmillan & Co., 1866 Wonderland 000
 Alice's Adventures in Wonderland
  (London, Macmillan and Co., 1866

 恐らく世界で最も有名な童話であり、かつ、最も親しまれているキャラクターでもあります。
 こういったものを取り上げることは恥ずかしくもあり、気が引けます。
 作品に関しては今更僕が述べることは一つもないですし、挿絵にしても見たことがないという人は皆無でしょうから、何をどうすることもできないのが実際です。
 よく知られていることをなぞるだけに終始するのをご寛容に見逃していただけることを願うのみです。

 Gryphon by J. Tenniel (pencil) “ The Gryphon ” by John Tenniel (pencil,1865)

 1862年7月4日、10歳の少女、アリス・リデルの求めに応じてチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンが語ったアリスを主人公とした「果てしなく続くおとぎ話」は、彼の思い付きで始まった、とりとめもない小さな物語でした。。
 その後、ドジソン自身による苦心の末の挿絵が添えられた手書き本としてまとめられます。
 世界に唯一冊のその本は、1864年11月26日に「親愛なる子へのクリスマス・プレゼントとして、夏の日の思い出に贈る」と題されアリス・リデルに贈呈されました。
 それが「Alice's Adventures Under Ground」です。
 1929年、アリス・リデルが没した後、この手書き本(手稿本)は所有者を転々とし、現在はロンドンの大英図書館に収蔵されています。

 Alice Liddel Alice Liddel

 この手書き本はアリス・リデルの同意を得て、1886年に複写され刊行されました。

 London Mamillan& Co.,1886 Underground 04 Underground03 Underground02
 Alice's Adventures Under ground ( London, Macmillan & Co., 1886)

 「Alice's Adventures Under Ground」はC.L.ドジソンの手で改作され、ルイス・キャロルの名で1865年「Alice's Adventures in Wonderland」として出版されました。

 「Alice's Adventures Under Ground」と「Alice's Adventures in Wonderland」では多少の差異があります。
 たとえば、Chapter1のウサギの召使の名前が「ゲイトルード」から「エイダ」、「フローレンス」から「メイベル」に変わっています。
 また塩水の池で流されるアリスは「おお、ネズミよ、この池から出る術を知っていますか?-以下、略ー」と話しかけますが、「不思議の国」ではお兄さんの文法の本にあった詩を思い出すことになっています。
 最も周知のところでは、Chapter3の後半に「不思議の国」では「豚と胡椒」と「気ちがいティーパーティ」が書き加えられています。
 Chapter4では、アリスが抱えているガチョウがフラミンゴに変更されていたり、「ハートの女王にして、ニセ海亀夫人」とされているのが「不思議の国」では各々別人として扱われています。
 更に、アリスの裁判における「アリスの証言」などが追加されるなど「不思議の国」では裁判場面のヴォリュームが増えていたりします。
 「Alice's Adventures Under Ground」のキャロルの手書き挿絵は32枚、「Alice's Adventures in Wonderland」でジョン・テニエルが描いた挿絵は42枚です。

 ジョン・テニエル(John Tenniel, 1820年2月28日 ~1914年2月25日)は、リチャード・ドイルの後継として風刺画を得意としたイラストレーターでした。
 ちょっと失礼な言い方ですが「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」は彼を例外的に有名にした作品と言っても良いかもしれません。
 ルイス・キャロルは彼の繊細な線で描かれた挿絵を気に入っており、出版にあたっては迷わず彼を指名したようです。
 しかし、キャロルは挿絵について自論が強く、横槍を入れてくることが多かったため、後にテニエルとは喧嘩別れをしています。

 Wonderland01 wonderland02 wonderland03

 wonderland04 wonderland05 wonderland06

 1890年には「The Nursery "Alice"」と言うテニエルの挿絵に彩色した本が出版されています。
 これはルイス・キャロル自身によって幼年の子供にも分かりやすい絵本仕立てにしたものです。

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 Nusery Alice05-02 Nusery Alice04-02 nursery Alice04
 The Nursery "Alice"(London, Macmillan and Co., 1890)

 「Alice's Adventures Under Ground」は、1987年に書籍情報社から手稿本の復刻と翻訳版が出版され、2002年には新装版が発刊されています。
 新書館からは2003年に「The Nursery "Alice"」の翻訳「子供部屋のアリス 」、2005年に「Alice's Adventures Under Ground」の翻訳「地下の国のアリス」が出版されており現行で販売されていますから手に入れやすいです。

 London Macmillan and Co Limited 1932 London Macmillan and Co Limited 1932







 


 

 
 
 

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R.Caldecott (2) - 19世紀末の挿絵 -

 “ SING A SONG FOR SIXPENCE ”

 「6ペンスの歌を歌おう」は1880年に発行された「SHIRING TOY BOOKS」シリーズのうちの一冊で、彼にとっては配本第3回6冊目の絵本であり、コルデコットの絵本でも人気のあるもののひとつでした。

 6ペンスの歌  ( GEORG ROUTELEGE AND SONS,1880年)

 発行当時の初版には表紙の上方の隅に「PRICE ONE SHIRING」と記載されています。復刻再販以降には記載がありませんので、初版との見分けの一因にもなります。

 コルデコットの絵の特徴は、クレインやグリーナウェイのように絵画的な挿絵ではなく、その柔らかな動作をとらえた漫画的な傾向にあったと思います。
 オーバーアクションにもとれるユーモラスで流れるように描かれた動きは、後の絵本の挿絵に大きく影響を与えました。
 19世紀末の挿絵が陰と陽に分けられるのであれば、ビアズリーやハウスマンは陰に近く、クレイン、グリーナウェイは陽の側に位置し、コルデコットはその陽の部分を代表する画家であるでしょう。
 子供向けの本が多かったためではありますが、彼は金銭的にはさほど儲からなかったTOY BOOKの挿絵を純粋に楽しんでいたようです。
 その遊び心が動きのある挿絵を生み出したと言えるかもしれません。

 6ペンスの歌 1 6ペンスの歌 2

 彼の得意とする動きをとらえた挿絵の特徴はこの本ではそれほど顕著ではありませんが、明るい画風の魅力の一端はうかがえると思います。

 6ペンスの歌 3 6ペンスの歌 4 6ペンスの歌 5

 コルデコットも前記の挿絵画家と同じく「ラファエル前派」の画家との交流があり、影響は多分に受けていたと思いますが、実際の描かれた挿絵に関してクレイン等と比較するとその影響は見受けられません。彼らが持つ神秘さには欠けています。
 クレイン、グリーナウェイもTOY BOOKを手がけています。そこでも彼ららしさというか、一抹の不思議さを絵の中に湛えています。
 端的に言えば、コルデコットの絵は単純でわかりやすいということなのでしょう。
 子供向けの本としては最も重要な要素ではありますが、大人の目から見ると物足りなさがあるのでしょうか。それが日本で彼の名を埋もれさせている原因となっているのかもしれません。

 RIDE A COCK HORSE TO BANBURY CROSS RIDE A COCK HORSE TO BANBURY CROSS(1884年)

 刊記について

 コルデコットの絵本ですが欧米では没後から現在に渡って何度も復刻されています。
 そこで絵本コレクターを悩ませるのは、彼の本には刊行年(刊記)が記載されていないことです。
 初期のものはペーパーバックで、復刻したものはハードカバーのような違いもみられますが、そればかりでは判別できません。
 先ほど「PRICE ONE SHIRING」の表記について述べましたが、それも記載されていない初期のものもありますので、刊行年を見分けるヒントを少し紹介します。

 裏表紙に注目していただくことになります。

 John Gilpin Backcover 1878 John Gilpin (1878年) 6ペンスの歌 6 6ペンスの歌(1880年)

 1878~79年の裏表紙には「SHIRING TOY BOOKS」のリストが刷られています。
 1880年からは、コルデコットの絵本の紹介がされるようになってきます。
 出版社はいずれも「GEORG ROUTELEGE AND SONS」です。

 1882~1885年頃までは、コルコデットの絵本が価格別(シリーズ別)で段に区切って紹介され、印刷所の表示は「EDMUND EVANS,ENGRAVER AND PRINTER,RACQUET CORT.FLEET STREET」です。

 1883年からは欄外下方の印刷所表記が「EDMUND EVANS,ENGRAVER AND PRINTER,RACQUET CORT.FLEET STREET.EC」に改められています。

 The Fox jumps over the Parson's Gate (裏) 1883年 Milkmaid Milkmaid (1917年) 

 1895年頃に発行が「Frederick Warne」に移りますが、移譲された正確な年ははっきりしていません。

 表表紙に社名が表記され、裏表紙にも「Frederick Warne & Co.」の名前が印刷されます。年代判別のキーは出版社ではなく裏面の印刷所の表記にあります。
 1906~1913年までは欄外記載の印刷所表示が「PRINTED AND COPYRIGHTED By EDMUND EVANS.LTD.,THE RACQUET CORT PRESS,LONDON,S.E.」です。
 1914~1917年は「PRINTED AND COPYRIGHTED By EDMUND EVANS.LTD.,ROSE PLACE,GLOBE ROAD,LONDON E」
 1917~1939年までは「PRINTED AND COPYRIGHTED By EDMUND EVANS.LTD.,ROSE PLACE,GLOBE ROAD,LONDON E1」
 1940年代は「ENGRAVED AND PRINTED BY EDMUND EVANS.LTD.,154 CLERKENWELL ROAD,LONDON,E.C.1」
 1950年以後はPRINTED IN GREATBRITAIN.COPYRIGHT EDMUND EVANS LTD.,LONDON」となります。 
 
 Frederick Warne社についてちょっと付け加えておきます。
 社主であるフレデリック・ウォーンはビアトリクス・ポターの婚約者でした。しかし、彼は結婚前に37歳の若さで亡くなります(1905年)。
 その後、出版社を継いだ息子は横領罪で訴追され逃亡の後に身柄を拘束され有罪判決を受け、1917年4月に収監されます。これを契機に出版社は有限会社となり「Frederick Warn Co.LTD」と改称されることになります。
 従って「Frederick Warne CO.LTD」の表記のあるものは1917年以後に発刊されたものとなります。

 1917年 1917年 New Orchard Edition New Orchard Editions

 1988年に発行された「New Orchard Editions」の裏にはコルデコットの簡略な説明と彼の5冊の本が紹介されています。

 刊記についてはここまでにします。
 簡単に説明しましたがコルデコットやグリーナウェイなど出版社、印刷所を同じくする絵本の刊行年を判断するヒントにはなると思います。

 彼の絵本は京都書院から「コールデコット絵本名作集」と言うのが現行で出版されています。かつては福音館書店からTOY BOOKのシリーズが出ていたのですが今は目録には無いようです。

 コルデコットについては今回で終わりにしますが、近代絵本の父とも言われる彼の本をぜひ読んでみてください。

 COME LASSES AND LADS COME LASSES AND LADS 1 LESSES AND LDS
 COME LASSES AND LADS(1940年)

 An Elegy on the Glory of her Sex Mrs. Mary Blaize An Elegy on the Glory of her Sex Mrs. Mary Blaize 1 An Elegy on the Glory of her Sex Mrs. Mary Blaize 3
 An Elegy on the Glory of her Sex Mrs. Mary Blaize (1885年) 
 
 
*本が一部くすんで見えるのは、強い光による退色を避けるように照明を抑えているためです。 
 





 

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閑話休題 “アリスロージュ”

 ここのところ挿絵を取り上げていますが、それもつきつめるところ仕事で19世紀末のイラストを必要としているからであって、どうしても仕事から離れられない自分をみつけてイラっとしている今日この頃です。
 
 で、今日は仕事を離れて気分転換に上野まで足を延ばしてきました。
 理由は、イラストレーターのSHUさんの絵をみたいがためです。
 恥ずかしながら、僕がSHUさんの作品を知ったのは、つい最近のことでして、店先のディスプレイに並べられたジグソーパズルのパッケージからでした。
 アップルワンから発売されているシリーズなのですが、ファンタスティックで、かつ、抒情性をたたえた絵柄に目を惹き付けられました。
 お聞きしたお話は僕がボランティアで受けている機関紙の方にもださせていただきますが、ここではもう少し書きたいと思います。

 夢宵桜 夢宵桜 エヴェンジェル エヴァンジェル
 
 発売元のアップルワンは、もう15年くらい前になりますが、とある著名な画家のパズル化の時に共に仕事をさせていただいたことがあります。
 今も元気で、というか、更に成長した姿を感じて嬉しくなりました。
 当時はマンションの一室を事務所にして、女性ばかりで頑張っていた姿を思い出します。
 商品化の申し込みがあった際、画家事務所側は「もっとメジャーな会社での商品化ならOKだが、こんな小さな会社では作品を認知してもらうにも、さほど効果はない」と言う理由で危うくNGになるところだったのですが、将来性と品質の良さを説得材料に、彼女たちの誠意と熱意をくみ取ってもらって何とか商品化にこぎつけました。
 デザイナーの若いお嬢さんが、画家のアトリエまでサンプル画像を携えて、色の再現性やトリミングの仕方など細かい(かつ、手厳しい)指示にもめげないで、何度も何度も足しげく通ってくれました。
 本当に誠実に作品を取り扱ってくれているのが伝わってきました。
 あの時の苦労を思い出すのも懐かしいです。

 ということで、今日は外神田にあります「エピキュートギャラリー」で作品が見られると言うことをインターネットで調べて行ってきた次第です。
 エピキュートギャラリーは、版画の製作販売をてがけるアートコレクションハウスの直轄画廊です。
 末広町交差点からほどない、1Fに牛丼屋が入ったビルの6階にある、こじんまりとしていますが、家庭的な雰囲気で作品を回覧するには堅苦しくなく入りやすいギャラリーだと思います。
 ビルの横手にあるエレベーターから6階にあがり、すぐ左手側がギャラリー入り口になっています。
 さっそく受付カウンター兼キャッシャーに挨拶をしてから中に入りますと、なんとメイドさんが!
 「間違ってメイドカフェに入ってしまったのか?」と思いましたが、室内に展示されている作品を確認して、ほっと一息。
 SHUさんの新作「アリスロージュ」をイメージしたコスプレだったのでしょう。新鮮なインパクトを受けました。
 まさか画廊にメイドさんがいるとは誰も思わないでしょうからね。
 
 SHUさんご本人の来場を待つまでの間、ゆっくりと12点ほど並べられた作品を見て、画集を手に取ったりしていました。
 現在、SHUさんの画集は、六耀社から「SHU」と「QUIET DREAMS」の2種が刊行されています。

 SHU   “SHU”(2009年)

 最初の画集は変形A5版の小型のもので、イメージストーリー形式でイラストが編集されています。
 テーマは「1000年の恋」です。単なる作品集にしないところがSHUさんのポリシーを伝えてくる気がします。
 「QUIET DREAMS」は大型本です。
 作品の全体から細部まで鑑賞できるように編集されています。
 先日、ジクソーパズルで見た作品の多くが掲載されており、「アリス」のシリーズも巻末に少しですが特別編集されています。

 ALICE (QUIET DREAMS) ALICE Alice004(QUIET DREAMS) アリスと小豚

 ところで、ギャラリーで販売されている作品も思っていたほど高価な値段ではなく、ちょっと無理をすれば手に入れられる印象でした。
 僕は保守的な人間なのでエスタンプと呼ばれる複製原画には基本的には興味を示しません。むしろ高額な出費をしてまで手に入れるのは馬鹿馬鹿しいと思っている人間です。
 人の手作業によった19世紀末から20世紀初頭アールヌーボー、アールデコ当時の版画までにしか価値を見出さない偏見をもっている質です。
 しかしながら、SHUさんの作品はデジタル絵画ですから、油彩画などのように生原画という観念がありません。
 色彩の再現性が原画に忠実であれば、それを生原画と同等に捉えるにも抵抗は少ないと思います。
 それでも「ただのプリントでしょう?」と言われればそれまでですが、それを言うならロダンのブロンズだって「ただの型押し」です。
 それらが作品として「価値を持つ」のは、その作品の有する説得力を「どう再現しているか」だと思います。
 今回見たアートコレクションハウスの版画は、十分に再現力を持っていると言えます。あとは個人の価値観の問題です。
 「勧められたから購入した」と言うのでは無く、自分の中の「作品への思い入れ」を冷静に見極めてください。
 後悔が大きくなると作品自体を粗末にすることにもなりますし、好きなものを一つ失うことにもなりかねません。それは残念ですので。
 余談ですが、今回、ギャラリーの担当の方から熱心に購入を勧められるようなことはありませんでした。
 販売会社によってはアプローチからクロージングまで、分業、もしくは、複数で取り囲んで放してくれないところもありますからね。

 朧咲夜 朧咲夜 桜風 桜風

 さて、待望のSHUさんにお会いできる瞬間がやってきました。

 「先生がいらっしゃいました。こちらでどうぞ」と案内されテーブルにつきますと、作品のイメージを損なうことのない繊細な印象を纏った好青年のSHUさんがいらっしゃいました。

 画集にサインをいただき、お忙しい中ではありましたが少し時間を割いて頂き話をお伺い致しました。

 SHUさんは1972年生まれの29歳。
 ゲーム会社でデジタル・グラフィックの世界に入られ、その後、オリジナルの作品を発表し、現在はアクセサリーデザインからジグソーパスルの原画などで活躍の場を広げられている新進気鋭のアーティストです。その美しい作風は非常に幅広い年齢層から支持されています。

 SHUさんは、元はパステル画を得意とされていたようです。
 下絵のためにパステルを使われるのかと思い尋ねたところ、そうではなく、ひとつの独立した作品として取り組まれているそうです。
 しかしながら今年は非常にご多忙のようで、作品製作に取り組み、かつ、北海道から沖縄まで全国を作品と一緒に回られてファンとの親交に努めている中では、パステルに向かうのは時間的に厳しいそうです。
 「要望があれば取り組みますが、ここ最近は本当に多忙のため、パステルの方は少し休ませてもらっています」とのことでした。
 SHUさんのパステル画をぜひとも一度見てみたいですね。次にもし画集が出版されるなら何枚かを収録していただければと思いました。

 Arcana Blanc & Arcana Rose Arcana Blanc & Arcana Rose

 僕がSHUさんにもっとも尋ねたかったのは「ALICE」のことでした。
 それまでSHUさんが手掛けていた作品とは少し離れたイメージがあり、なぜアリスに着目したのかと言うことです。それをご本人にダイレクトに質問させていただきました。

 「もともとアリスは好きな作品でしたし、描きたいという気持ちはありました。しかし、自分の画風が果たしてアリスに向いているのかどうかを考えると、僕の画風はアリス向きではないと感じていたのです。ところがある作品を境にして気持ちが変わったのです。その転機となったのが“Arcana Rose”と“Arcana Blanc”の2作品でした。この2つを描いた時に『行ける』と感じたのです。その時にはもうすでにアリスの顔だちについてはイメージが纏まっていました。ただ、アリスと言うのはファンも多く、素晴らしい作品も数多く存在します。ですから、その中で自分の求めるアリスを作るために、必要な資料を集め、調べるための時間も膨大に必要としました。1作目のアリスを描いてから本当は続けて取り組みたかったのですが、妥協したくないのと、他の仕事を止めるわけにもいきませんので、今回、やっと自分の中では2作目の“アリスロージュ”の発表にこぎつけたわけです。」

 Alice 3 (QUIET DREAMS) アリスロージュ

 SHUさんは一見すると線の細い男性に見えますが、その実、非常に確固とした自分のビジョンをもっている、妥協しない生粋のアーティストである力強さと頑固さを感じさせます。

 今後のアリスの展開についてお聞きすると。

 「アリスは一連の作品として必ず完成させたいという気持ちはあります。そう出来る様に取り組みますし、この作品を単に絵の中で終わらせるのではなく、3Dの中で動かしてみたり、フィギュアとして実体化させたいと言う思いも強くあります。人形制作については既にご相談したり、具体的な取り組みの準備をはじめているところです。アリスと言う可能性を追い求めてみたいと思っています。」

 そう話された後、「まだ試作段階ですが」と言いながらSHUさんご自身で製作された書斎で軽やかに踊る3D画像のアリスを見せていただきました。

 きちんとした取材ではなかったのでSHUさんのお時間を独り占めするわけにも行かず、お聞きしたいことを山ほど残したまま、今日は退席いたしました。
 僕が席を立とうとするとSHUさんはご自分から握手を求めてくれ、その手からは僕が今までお会いした芸術家、作家の方々と寸分違わぬエネルギーが伝わってきました。

 QUIET DREAMS  “ QUIET DREAMS ”(2010年)  サイン

 アリスの絵と言えば、ルイス・キャロルと組んだジョン・テニエルの印象が強く、その強すぎる個性とイメージは後世の挿絵の呪縛ともなりました。
 アーサー・ラッカム、ウォルト・ディズニー、マリー・ローランサン、サルバドゥール・ダリ、金子國義、ヤン・シュバイクマイエル、ティム・バートンなど枚挙に暇がないほどのアーティストが、時に陰鬱に、或いはコミカルに、またはエロティックに、その独自のアリスのイメージ作りに挑んできました。
 ウォルト・ディズニーが「私はアリスを表現したいのではなく、アリスの世界を表現したいのです」と言ったように、ルイス・キャロルが自ら描いた現実の少女に捧げた物語と挿絵のイメージの完全なる複製としてのテニエルのアリスからの脱却と言うのはそう容易いことではありません。
 SHUさんのアリスの世界に見るアリスは、ルイス・キャロルの持っていた「少女アリス」の印象を損なうことなく、かつ、実体から解放された透明感のある新たなるアリスを作りだしたと言えます。


*エピキュートギャラリー
 東京都千代田区外神田6-15-14外神田ストークビル6F
 TEL. 03-5846-1971



 

  
 
  


 

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R.CALDECOTT (1)- 19世紀末の挿絵-

ランドルフ・コルデコット(Randolph Caldecott)

 The Farmer's Boy  The Farmer's Boy01 “ The Farmer's Boy ”  
 (Geo. Routledge & Sons, London,1881年) 

 ランドルフ・コルデコットは、19世紀末を代表するウォルター・クレイン、ケイト・グリーナウェイに並ぶ絵本の挿絵画家でありながら、残念ですが日本ではそれほどの知名度がないようです。

 少し詳しく彼の紹介をしましょう。

 コルデコットは 1846年3月22日(グリーナウェイの誕生日の5日後)にイギリスのチェスター・ブリッジストリート150番地で生まれ、1886年2月12日に旅行先のフロリダで急逝しました。

 コルデコットはもとから心臓があまり丈夫ではなかったため、冬になると寒い土地での生活を避け、温暖な土地への旅行をしたようです。
 しかし、1886年は例年になく気温が低く、ニューヨークから東海岸を経由しフロリダへ向かった長旅の疲れもあり、彼は突如体調を崩し世を去ります。

 彼は13人兄弟中の、父ジョンと最初の妻であるメアリー・ダイナとの間にできた上から3番目の子でした。
 1848年、彼ら一家はチェスター郊外のリッチモンドに移り、彼はキングズ・スクールへ通い、そこでの5年間で動物や風景の絵を熱心に描きました。
 会計士であり実業家でもあった彼の父(John・Caldecott)は、ランドルフを銀行家にすることを望んでおり、15歳で学校を卒業した彼は父の意向に沿う形でエルズミーア銀行ウィットチャーチ支店に勤めました。
 彼は銀行のある町から少し離れた村に下宿屋を借りて暮らし、そのあたりの田園風景や乗馬の風景、狩猟の合間に描いた動物のスケッチを数多く残しました。
 ランドルフの絵本に動物がよく取り上げられるのはこの時の生活がもとになっているのかもしれません。

 The Farmer's Boy02  The Farmer's Boy03 “ The Farmer's Boy ”
  
 6年後、彼はマンチェスターのソルフォード銀行本店に移動することになります。
 彼はそこでマンチェスター・アート・スクールの夜間部に通い、絵画技法の基礎を学びます。
 美術学校に通う以前から、彼のスケッチは非常に緻密で正確でした。
 特にチェスターのクィーンズ・レイルウェイ・ホテル火災のスケッチは、イラストレイテッド・ロンドン・ニュースに掲載され評判となりました。
 しかしながら、このように新聞にとりあげられて掲載されたこともありましたが、彼の絵は根本的に家族への手紙に描き添えられた挿絵や自分の趣味の範囲を超える物ではありませんでした。
 彼にとって本格的に絵の技法を学ぶことは画力を飛躍的に向上させ、結果として地方誌や地元出版社でイラストを任されるようになり、画家としての第一歩を踏み出すことに結びつきました。

 The Farmer's Boy05  The Farmer's Boy04 “ The Farmer's Boy ” 

 1872年、彼は自分の絵に自信を見出し、挿絵を描くことで生活することに決めロンドンへ移住することにしました。
 ランドルフ、26歳の時のことです。
 彼はブルームズベリーの中心、大英博物館近くのグレイト・ラッセル・ストリートの下宿に居を置きました。
 このロンドンでの7年間で、ジョン・エバレット・ミレー、フレデリック・レイトン、ガブリエル・ロセッティらと友人になり、交友を広めました。
 フレデリックの推奨で、ランドルフはケンジントンにあるレイトン・ハウスの4つの部屋のデザインを任されることになりました。
 ウォルター・クレインもこの時、同じ部屋のデザインを担当しています。
 
 1877年、グリーナウェイを発掘したエドモンド・エヴァンズ(Edmund Evans)が、クリスマスに出版する2冊の絵本の挿絵の話をコルデコットに持ちかけました。
 彼はその仕事を快く引く受け、1878年に“ The House that Jack Built”と“ The Diverting History of John Gilpin”の2冊が出版されます。
 以降、コルデコットが死亡するまで計16冊の絵本をクリスマスに出版することになります。

 john gilpin “ John Gilpin ”
 (George Routledge & Sons; Engraved & Printed By Edmund Evans, London,1879年)

 1879年、ケンジントン近郊に転居の後、マリアン・ブラインドと婚約し、1880年に二人は結婚しましたが子供はできませんでした。
 この頃にはコルデコットの絵本の挿絵画家としての人気は不動のものとなっており、1884年にまで出版された彼の本の総発行部数は86万7000部を超えました。

 Frederick Warn 刊 “ Picture BooK ”
  (Frederick Warnk,co.Ltd,1917年) 

 仕事の都合でちょっと間をあけますが、コルデコットの話をもう少し続ける予定です。
 


 
 

 
 

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閑話休題

 僕のブログはどうも仕事に引きずられる傾向が強いですね。
 シシリー・M・バーカーの時もそうですが、依頼された仕事に関連したことをつい書いてしまいます。
 それだけ日常の話題に窮しているというのか、観察力が乏しいというのか、そう言ったことなのでしょう。

 ここのところ19世紀末の挿絵を少しご紹介しているのですが、「絵の感想とか解説とかしないんですか?」とか言われまして困っているところです。
 絵は鑑賞するものであって解説するものではないと考えていまして、見ている側が先入観無く判断されるほうが好ましいわけです。

 ワインの評論家にP氏という有名な人がいるのですが、彼が高得点をつけたからと言って全てが「美味しい」わけではありません。
 彼が試飲している状況も、ついでくれるソムリエの技術も、グラスでさえ違うわけです。まして僕は彼ではないですから味覚を共有するなどは絶対に不可能です。

 絵の印象も同じことでして感性も違えば、見ている状況も異なります。同じ絵でも時と場が違えば自分でさえも違った見方が出てきます。

 例えばこんな絵があったとします。

 年代も特定しない旧世紀に建てられた塔の周りを3人の女性が手を繋いで踊っています。
 塔は女性の子宮であり、拘束や権力、不吉を生み出す象徴でもあります。
 これはヨーロッパの一部では、昔、出産は城内の主室などでするものではなく、離れた塔の中でされた風習があったことを理由にしています。
 日本でも水上勉さんが「若狭巡礼」中で母屋とは別の離れで出産する風習があったことに触れていました。
 母子のどちらかが、或いは、ともに命を落とすこともあったでしょう。
 生まれた子が男子なら王権の継承者とされ喜ばれましたし、女子であれば将来の政略のため世間から隔絶されて教育を施されたかもしれません。
 また、イギリスのクィーン・メアリーの例をあげるまでもなく、高貴な人の幽閉場所としても有効に使われました。
 とにかく塔は誕生と死と権力の生まれる場所であったのです。
 そして、手を取り合う3人の女性はウルド、スクルド、ヴェルダンディの過去未来現在の運命の魔女です。
 つまり3人の魔女が、生み出される運命を支配していることを示しているのです、と説明します。

 次に、18世紀半ば~18世紀末に描かれた絵があります。
 古城の庭で、目隠しをした女の子が中央に居て、手を繋いで彼女を取り囲む3人の女の子の絵です。
 前述の塔と魔女の話を当てはめて、古城はイングランドを示し、中央の女の子はイングランドの王となるアーサーを身ごもる運命にあり、目隠しは定かならぬ先行きを暗示しています。それを3人のノルンの魔女が象徴しているのです、と実しやかに薀蓄を垂れたとします。
 話としては面白いですよね。
 でも、描かれた当時は世界遺産などという価値基準もなれけば、信仰としての遺跡観も一部を除いては希薄でした。
 子供達の遊び場としても古城の庭はそれほど珍しくも無かったでしょう。
 そう、これは日本で言うなら、単に「かごめ、かごめ」をしているところです。
 そんなものなんです。

 僕も図像学辞典や象徴解読辞典など持ってはいます。必需品ですので。
 それを駆使して全てを当て嵌め絵を読み解いたからと言って感動の肥やしになることはありません。
 むしろ、何でもかんでも当て嵌めようとして不可解な解釈をこじつけたりする弊害の方が困りものです。
 そのこじつけもツッコミ処満載で聞いていれば面白いことは面白いですけどね。

 あと19世紀末という言葉。
 僕は単に1800年代の終わりから1900年初めという区切りに使っているつもりです。
 しかし「19世紀末」って何と言うのか、退廃感と言うのか、終末観みたいなものを含んでいますよね。
 誤謬が生じる隙間の多い言葉ではあります。
 でも、当時の一般庶民の間では終末観など実感はされていなかったでしょうし、特別なことなどなかったと思います。
 産業革命と旧風俗との中で、奔放に、かつ、厳しい時代を過ごしていたはずです。
 現に僕も100年ほど時間がずれますが1900年代の「世紀末」を過ごした人間ですから、普通に。
 もし、失望感や不安、退廃的傾向を指して「世紀末」と言うのなら、今でも充分に「世紀末」です。

 今日は話題がもう滅茶苦茶ですが「おしゃべり」ですから許してください。

 今回ご紹介する予定のないビアズリーやリッケッツなどの挿絵画家のことです。
 彼らは素晴らしい芸術家です。

 オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley、 1872~1898年)
 無名時代には、グリーナウェイの絵本の模写などをして生計を立てていたこともありますが、「アーサー王の死」(トマス・マロリー原作)で市場に衝撃的な登場をしました。
 ビアズリーの「サロメ」(オスカー・ワイルド原作)の挿絵は一枚の芸術的絵画として完成された感があります。

 SALOME SALOME01 SALOME02 SALOME (John W. Luce, NY刊、1907年) 

 そこが気になるところです。
 挿絵とは本を離れてはいけないのではないか?独立した無関係な印象を与えた時点で「挿絵」ではないのではないか?
 かなり前に国立西洋美術館で「ビアズリーの大回顧展」が開かれました。
 その一枚一枚の絵の前に立ってみて「偉大な芸術作品」の感を強く持ちました。
 分かりやすいとか、分かり難いではなく、統一感と言ったものから少し離れている気がします。挿絵の引力が強すぎます。
 そんなこともあって絵本に限定しようかなと思った次第です。

 チャールズ・リッケッツ(1866-1930年)の装丁も見事ですし、挿絵画家としても素晴らしいです。
 例えば “The Poetical Works of James Thomson”(Reeves & Turner, and Bertram Dobell, London刊、1885年)などです。
 いずれ取り上げられればとも思っています。

 Ricketts000 The Poetical Works of James Thomson (1885年)

 Ricketts Oscer Wilde Poem (Elkin Mathews and John 刊、1892年) 

  

 
 
 
 

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Kate Greenaway (2) - 19世紀末の挿絵 -

 前回の続きでケイト・グリーナウェイを見ていこうと思います。
 今回は、彼女の2冊の本についてご紹介します。

 Greenaway (2) “ Marigold Garden ”&“ ALMANACK for 1883 ”
 
 1冊目は “ Marigold Garden ” (1880年)

 Marigold Garden 1 扉絵  Marigold Gareden 2 著作表示

 大好評となった“ Under The Window ”に続く彼女の2番目の絵本が“ Marigold Garden ”です。
 初版は、1880年にイギリスの“ George Routledge and Sons ”から発刊されました。非常に人気のある絵本なので、発刊当時から今日まで版権を移譲し発行所をかえながら何度も復刻されています。
 初版の Publisher の表示は“London George Routledge and Sons, " です。
 1885年には“ Fredrick Warne ”からも発行されるようになりました。
 各々の刊頭に表記された Publisher は“ George Routledge and Sons, London, 1885 ”と“ Fredrick Warne and Co Ltd, London ”となります。
 1900年代に入ってからは“ Fredrick Warne ”からの発行となり、1901~1910年までが“ London: Frederick Warne & Co. ”となります。
 以後、発行年の記入が無いものが多くなります。
 その発行年を区別するために大体10年周期で発行者のアドレスの表記が変わりますので購入される方は注意してください。
 これを憶えるのは意外と面倒です。調べてはいないのですがネットで検索すれば、そういった資料も見つかるかもしれません。
 また「初版」と言っても“ First Edition ”と言う以外に“ First Edition, First Issue "となっているものが、いわゆる「初版第一刷」です。
 中には“ Re-issue " 、“ New Edition ”もありますので複雑です。
 僕も全く知識がなかった頃は大失敗をして高い買い物をしてしまったことがあります。$10くらいで買えるものを$120で買ったりしてしまいました。
 思い返せば、今も失敗はありますが、あれで懲りてとんでもない失敗が少なくなったのではないかと思います。
 勉強は大切ですが、できれば犠牲は最小限に留めたいものです。 
 話が別方向に行ってしまいました。刊記については他の機会にまた取り上げたいと思います。

 Marigold Garden 3 marigold Garden 4

 “ Marigold Garden ”のオリジナル版は、木版で装丁、並びに、挿絵が刷られているので、よくみると刷りのための凹凸が紙面に残っています。文字も活版印刷のために裏側に凹凸がでます。機会がありましたら実物を手にとってご覧になってみてください。
 グリーナウェイの絵本は日本でも人気があり翻訳版も出版されています。
 新書館のペーパームーン叢書の知名度が高いと思いますが、翻訳版はオリジナルと最後のページが異なります。他にも扉・口絵のイラストの順序が異なっていますが大きな違いはページを分割したことです。

 オリジナル版 オリジナル 新書館版 1976年初版・新書館

 オリジナルの最後のイラストを上下で切って2ページに分けています。
 オリジナルでは最終ページはイラスト無しの詩が添えてありますが、新書館版はそこに女の子の絵を入れてあります。
 ページ割の都合やデザイナーの趣味など事情はあるでしょうが、元版通りにしていただいたほうが好いのではないかと思います。
 新書館版の良いところは色調(装丁以外)をほぼ忠実に再現していることと、巻末に原詩と翻訳をまとめて収録していることです。また巻末の各ページにはセピアでイラストも加えられています。

 ALMANACK (扉絵) “ ALMANACK for 1883 ”
  
 2冊目にご紹介するのは、最初の暦手帳 “ ALMANACK for 1883 ”です。
 これはとても小さい本です。
 ページ数も各冊、僅かに20頁程しかありません。携帯するのに邪魔にならないように作られた結果です。
 大きさはページトップの写真で見比べていただけると分かり易いかと思います。

 ALMANACK for 1883 表紙 ALMANACK Junuary 一月 February&March 二月と三月

 グリーナウェイは、1883年から1931年まで“ ALMANACK "と言う暦手帳を発行しています。
 彼女は1901年に亡くなっていますので、彼女自身が手掛けたものは1897年までです。以後は彼女の作品から抜粋して編集されました。
 1月から12月までのカレンダーと四季のイメージイラスト、それから、季節に合わせた子供達の遊びのイラストなどが描かれています。

 春夏 春と夏 秋冬 秋と冬 子供の遊び 子供の遊び

 グリーナウェイをラファエル前派の画家に結びつけ、無理にでも神秘主義に関わらせようとする方々も以前はいたようです。今は極めて少数となりましたが。
 “ ALMANACK ”は単なる携帯用カレンダーで魔術的な時祷書ではありません。
 グリーナウェイは18世紀の雰囲気と古典主義的な図像学に基づいて描いているに過ぎません。
 当然、図像学は宗教的な色彩が強いものですから絵によってはその影響が色濃く見受けられますが、それはアカデミックな古典絵画と何ら変わるものではないのです。
 あとは鑑賞する側の趣味と言うことにはなります…。

 グリーナウェイについてはひとまずここでお仕舞にして、後ほどクレインとあわせて何冊か本をご紹介しようかと思っています。

  

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Kate Greenaway (1) - 19世紀末の挿絵 -

 ケイト・グリーナウェイ、本名をキャサリン・グリーナウェイ、1846年3月17日生まれ、乳癌のため1901年11月6日に亡くなり、ロンドンのハムステッドに埋葬されました。
 ウォルター・クレイン、ランドルフ・コルデコットと共に19世紀末から20世紀初頭に活躍した挿絵画家です。
 早逝したコルデコットを除き、クレインとはその画風や人気ともに生涯のライバルでした。
 ただ前記二者と異なるのは、グリーナウェイが女性であること。
 と言うのも19世紀末には女性が学べる美術学校は少なく、本格的な美術教育の機会を得ることが非常に困難な時代であったのです。
 そうした中で彼女は、唯一開かれていたとも言えるロイヤル・カレッジ・オブ・アート・ロンドンで絵の指導を受けることが叶います。
 1867年頃から挿絵を手がけ始め、1878年、木版画家であり工房を営んでいたエドムンド・エヴァンズに見出され“Under The Window”(George Routledge, London 刊)を出版したことにより一躍脚光を浴びることになりました。

  Under The Window (1878年英国初版) 扉絵 (扉絵) 

 彼女の画風は牧歌的な風景と可愛らしい子供を特徴としています。
 それはイギリス・ロンドン郊外のロールストン、ノッティンガムで幼少時を過ごしたことと、晩年まで過ごしたサウスウェルの風景、18世紀の画家ジョン・ホップナーの影響を受けているのではないかと言われています。

 Under The Window P30 

 彼女の家は、スコットランドの建築家リチャード・ノーマン・ショウが設計したものでした。

 Greenaway's House ケイトが晩年を過ごした家(Flognal,Southwell)

 当時、彼女の描く子供の衣装も話題になりました。
 画中には、18世紀の衣装であるスモックフロックを着た男の子やPinaforeと呼ばれる腰高のエプロンドレスとモブキャップを身に着けた女の子が数多く登場します。その衣装は人気を博し子供服として再現され販売もされたようです。

 彼女の存命中に出版された本は50冊以上、“The Girl's Own Annual”などの雑誌の挿絵を含めればかなりの作品数になります。

 The Girl's Own Annual   “ The Girl's Own Annual ”(表紙、1886年

Afternoon Tea  “ Afternoon Tea ”(The Girl's Annual,1886年、口絵)

 “The Girl's Own Annual” は1880年1月3日に創刊号が出され、途中で“The Girl's Own Paper”と改題し、1956年に廃刊となりました。
 誌面は、物語、特派員記事、School Storyと呼ばれた学園生活のフィクション小説、詩、楽譜(ピアノ、ヴァイオリン、声楽等)、レース編み、裁縫の仕方などで構成されていました。
 日本では、2006年にエウレカ出版より復刻合本が出版されていますが元が高価な上、現在は絶版となり手に入れるのは非常に困難です。
 状態と刊行年月に拘らなければオリジナルの“The Girl's Own Annual(Paper)”を単刊で探すほうが容易かもしれません。

 Poem“Afternoon Tea” Poem“Afternoon Tea”(1886年)

 “Mother Goose or the Old Nursery Rhymes”( Frederick Warne and Co., 1900年)
 こちらは1900年に発刊された皮製装丁の書籍です。

 Mother Goose or the Old Nursery Rhymes  (表紙、1900年刊) Kate's Mother Goose 01 (扉絵) 

 因みにイギリスでは「マザーグースの歌(Mother Goose)」とは言いません。これはアメリカで流行した題であって、英国では“ Nursery Rhymes ”或いは“ Old Nursery Rhymes ”と言います。意味は「(古い)子供のための韻律詩」です。
 邦訳版では、彼女のイラストを独自に編集した書籍が数多く出されています。
 しかし、個人的に言わせていただければ、挿絵とは無関係の詩を挟んでみたり、絵の部分をトリミングして別の詩にあてがうなど非常に雑で読みにくいものが多いです。
 絵と言葉の韻律を純粋に楽しめる本づくりをお願いしたいですね。薀蓄的な解説やコラムでその絵本の中の流れを止めるようなことはせず、巻末などに添えて欲しいものです。

 Kate's Mother Goose
 
 今日はここまでにしておきますが、次回もグリーナウェイの絵本をもう少し見ていこうと思っています。

 


  

 

 






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THE OLD GARDEN and OTHER VERSES - Walter Crane - 19世紀末の挿絵

 19世紀末を代表する挿絵画家ウォルター・クレインの本を取り上げてみたいと思います。

 Flowers from Shakespeare's garden 「Flowers from Shakespeare's garden」(1906年)

 ウォルター・クレインは我が国でもファンが多く、チャールズ・リッケッツ、ケイト・グリーナウェイ、ジョン・テニエル、ランドルフ・コルデコット等と共に当時を代表する知名度の高い挿絵画家です。
 代表すると言うよりも、むしろ「クレインが近代絵本の挿絵を牽引した」と表現する方が適切でしょう。
 クレインは、ラファエル前派やウィリアム・モリスの影響を受け、書籍の中の絵画と文字との有機的作用を主眼としたデザインの構築を主張し、同時代のグリーナウェイやビアズリーなどに対し辛辣な批判を展開したことでも知られています。
 個人的な意見ですが近代絵本の挿絵はクレイン以前と以後とに分けられ、良くも悪くも以後の絵本の挿絵画家はクレインの影響を受けていると言えます。
 クレインの絵を受け入れるか、否定して拒絶するかの手法は別として、彼の影響を受けずにはいられなかった挿絵画家は居なかったと言っても良いかも知れません。

 彼らが登場した時代は印刷技術の革命時代でもあったのです。
 19世紀初頭までの印刷法であった銅版によるエッチングから木版多色刷へと移り、さらには石版多色刷、写真凹版印刷など次々と新技術が開発され、低コストによる大量印刷が可能になりました。
 その印刷技術の飛躍的発展に伴い挿絵の可能性も広がり、かつ、アカデミックな絵画の仕来りに拘束されることなく活躍の場を広げる事が出来ました。
 豪華装丁本や多色刷挿絵本の黄金時代であったとも言えます。

 あまりメジャーな書籍ではありませんが、マーガレット・デランドの詩集「THE OLD GARDEN and OTHER VERSES」をご紹介します。
 クレインの挿絵本の中ではマイナーな方なので少しは目新しい感じがするかもしれません。

 Margaret Deland マーガレット・デランド
 
 マーガレット・デランドは1857年ペンシルバニア州アレゲニーに生まれ、1945年に亡くなっています。
 詩人であり、小説も手掛け、短篇小説に優れた能力を発揮しました。
 彼女の代表作としてあげられるのは、「オールド・チェスター物語」「伝道師ジョン・ウォード」「激しい炎」などです。
 1880年頃、グリーティング・カードやハーパーズ・マガジンにおいて詩を発表し、1886年にそれらの詩を集め「THE OLD GARDEN and OTHER VERSES」として刊行しました。
 刊行当初は極めてシンプルな装丁でしたが、1893年にウォルター・クレインの手によって美しい挿絵が添えられベストセラーとなりました。
 詩は「古い庭」「自然」「愛の歌」「人生の詩」「子供のための詩」とテーマ別に分けられています。

 1886年オリジナル版と1893年クレイン挿絵版とを対比させてご紹介します。
 しかしながら1886年版については僕の持っているものは表紙のコンディションが悪いので、他所から写真をお借りしてきました。(参考: http://www.archive.org/stream/oldgardenandothe00delaiala#page/n0/mode/2up )

 上段が「オリジナル版」、下段が「クレイン挿絵版」です。

 The Old Garden 1886 表紙 10-11 P10-11 12-13 P12-13

 1893年版(表紙) 表紙 P10-11 P.10-11 P.12-13 P.12-13

 表紙については両冊ともに和装本を意識したような装丁になっています。
 中は挿絵が入ると雰囲気が全く変わり、英語が読めなくても絵本のようにページを捲るだけでも楽しみが湧いてきます。
 クレインのデザインはアールヌーヴォの特徴を生かしたカルトーシュを効果的に用いていますが、デザインのコンセプトとしては当時の流行を取り入れるというよりも一つ時代を遡るような18世紀末~19世紀初頭の感じであるようです。
 また外輪を彩るカルトーシュもただ文様を描くというのではなく、ページによってはその文様自体に詩の内容を反映する何かを埋め込もうとしているのが見受けられます。

 P30-31  P.42-56  P104-105

 クレインは余白部分を活用することに当時の誰よりも心を砕いた挿絵画家とも言えます。
 後でご紹介する機会があると思いますが、例えばグリーナウェイは余白部分にあまり注意を払ってはいません。
 むしろ絵を広く見せるために空白部をそのままにしている感じがあり、少女を可愛らしく描くことに重点を置いています。
 次に挿絵画家をご紹介する時は、ケイト・グリーナウェイを取り上げてみようかと思っています、一応。
 
 扉&P.14 扉&P14

 19世紀末から20世紀初頭の挿絵画家を何人かご紹介しながら、いずれ再びウォルター・クレインに戻り、もう少し詳しくご紹介するつもりです。 

 

 




 

 

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掌の小説と金糸雀

 先日の「かなりや」ついでに川端康成の「掌の小説」と「金糸雀」について少し。
 
 掌の小説という呼称は、川端の「掌篇小説の流行」によると中河與一が冠したものであるようです。
 中川は嘗て「文藝春秋」に掲載された某氏の「掌に書いた小説」を元にこの名称を用いたらしいと川端は推測しています。
 この当該作品が誰の作であったのか不勉強のためわかりません。そのうち調べてみようかとも思っていますが。
 掌の小説は、よく知られているようにフランス文学に言う「コント」と呼ばれる小説形式を元にし、散文詩的な性質を持っていると言っても良いかもしれません。
 しかし、川端はこの形式の小説は日本独自で特殊な発展をするであろうとの予測と、かつ、コントとは極めて短い小説であるとは限らないし、その逆に極めて短かい小説の全てがコントの形式に収まるものではなく、従って「コント」と呼ぶには相応しくないと反論しています。
 主題、展開、材料などに制約のある仏流コントより、日本におけるそれらの小説は何らの条件をつけず自由形式で書かれたほうが良いという考えも基底にあったようです。
 また川端の言う「日本独自の発展」とは、非文筆家が小説を書くための契機となし、市井から優れた作品を生み出す土壌と成り得ることを指しています。

 川端康成がこれらの極短篇作品を最初にまとめたのは、大正15年金星堂出版刊行の「感情装飾」でした。

 感情装飾 「感情装飾(箱&表紙)」(金星堂出版、大正15年初版)

 その後、「僕の標本室」(昭和5年新潮社)を通じて「川端康成選集(改造社)」の第一巻において77篇を収録し、最初の掌の小説の集大成としました。
 以後、「掌の小説集」としては、昭和25年新潮社「川端康成全集第11巻」、昭和27年新潮社文庫「掌の小説百篇(上)(下)」と編纂収録されていきます。

 掌の小説百篇 「掌の小説百篇(上)」(新潮文庫、昭和29年第4刷)
 
 当初「選集」において川端は「私の旧作のうちで最もなつかしく最も愛し今も尚最も多くの人に贈りたいと思うのは実にこれらの掌の小説である」と第一巻あとがきに書いています。
 しかし、昭和25年「全集11巻」のあとがきでは「今度この全集のためにこれらの掌の小説を読み返してみて、私は『最も愛し』ていると言うことは躊躇われ、『若い日の詩精神はかなり生きている』ということにも疑いを持った。今はこれらの掌の小説に対する嫌悪が先立ってならないのである」と見解を改めています。
 ただ、この後の段落において「もっとも自作に対する愛憎は動きやすいものである…」とも綴っています。
 なぜこの様な変化がおきたのかは専門の研究をしている方々の論に譲りますが、川端康成は「掌の小説の集」を掲載した「文藝時代」の創刊当時「新しい生活に裏付けられない新しい文芸は、単なる末梢神経の痙攣に過ぎなかろう。新文芸の創造即ち真性は我等にとって無意義に近い」と述べています。
 更に「新感覚主義は、この感覚の発見を目的としているのではない。人間生活に於いて感覚が占めている位置に対して、従来とは違った考え方をしようと言うのである」と新感覚派の精神について説明しています。
 この考えに基づけば、掌の小説は書かれた当座に於いては新鮮な詩的感覚を満たしていたのでしょうが、後年「新感覚主義」の具体的表現に挫折した川端の目からすれば失敗作であったことも事実でしょう。

 川端康成選集第一巻 「選集第一巻」(愛蔵限定版、昭和13年初版)

 「選集」には77篇が収められています。そのうち後年の「全集」「文庫・百篇」に収録されていないのは「朝鮮人」「油」「化粧の天使達」「門松を焚く」「楽屋の乳房」「恐ろしい愛」「眉から」「舞踊靴」「藤の花と苺」の9編です。「油」については昭和39年、講談社から出されました「川端康成短篇全集」に再収録され、「全集」収録の78作品は全て「文庫・百篇」に収められています。 
 川端康成は昭和39年まで書いた小品のうち、講談社「短篇全集」を編纂するにあたり、掌の小説から53篇を載せています(その中に「金糸雀」はありません)。

 「髪」「金糸雀」「港」「写真」「白い花」「月」の6篇は、大正13年「文藝時代十月号」に発表されています。
 川端康成はこの6篇についてこう述べています。

 「同人雑誌『文藝時代』の私の最初の作品も掌の小説の集でもあった。その後『第二短編集』『第三短編集』という風に続けて、私は掌の小説の集を『文藝時代』『文藝春秋』などに発表して行った。『白い花』は全集では捨てた。『金糸雀』はつくりものではるが『写真』よりはましであろう。極短い小説というほどの意味の掌の小説では、思いつきの主題や、しゃれのような逆説になりがち、深い象徴となることはむづかしい。」
 
 僕個人としては「金糸雀」は好きな作品なのですが、川端康成の言う「深い象徴」を示すには具体的な背景や登場人物の描写に欠けているのは否めないでしょう。これは掌の小説そのものの短所であるとも言えます。
 が、それを考慮しても「金糸雀」は印象に残る作品です。
 飼育されているカナリヤと言う弱者を比喩として、愛の行く先を語る手法は川端康成独自のものであると思います。
 「飼えなくなった」と言う理由が「妻の死」であると言い、カナリヤ自身を「奥さんとの愛」に見立て、自分にその愛を継続させていたものが「妻」だと言う主人公。
 依存しなければ存続できない愛の形とその運命論的な破局。
 たぶん、どこにでもある一種の「甘え」が生み出した恋愛の幻想なのではないでしょうか。
 人は満たされていることに満足と実感を得ようとはしません。どこまで行っても自分は「欠けている」と思い込みたがり、それを補う術を求めます。
 非現実と非実生活とを夢見る結果の主と副の恋愛、或いは、生活。
 たとえば、「自分はなぜもっと激しい恋愛ができなかったのであろう」と言う悔恨。
 求めたのは過ぎた日々における自分が失った情熱の行方なのでしょう。
 それに気づいた時、ひとりでは生きられない現実、求めても得られるはずもない理想の形が容赦なく結論の選択を迫るのです。
 「金糸雀」では、「奥さん、この金糸雀は殺して妻の墓に埋めてもようございませうね」と言う結語を導き出します。
 放すことは逃げる弱さ、見捨てる卑怯さを示し、殺すことは破局を決定づける強さでもあると言えますし、逆に維持する事の苦しさからの完全な逃避とも言えます。
 しかし、放せばそこに希望が残されますが、自分で幕を降ろすために殺せば淡い期待は残りません。真の絶望はそこにあるのだと思います。

  川端康成全集第十一巻  「全集第十一巻」(昭和25年初版)


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