狐火の花

 きつねのかみそり  群落 「きつねのかみそり」

 きつねのかみそりの群落を見つけたのは、今の事務所に越してから間もない頃だった。
 その時に写真に撮ろうと思ったものの、「近いは遠い」の言葉通りに、ついにシャッターを一枚も切ることなく7年目の夏の終わりがきた。
 それが昨日やっと写真に収めることができた。
 私ときつねのかみそりとは、いくらか因縁めいたものがある(と言ったら多分に大仰すぎるだろうけれど)。

 子供のころ埼玉の何もない田舎に2年ほど移り住んだことがある。7歳から9歳までのことであった。
 私自身、精神的にも身体的にも健康体と言うには遠く、東京の学校に通ううち自律神経失調症になり、喘息に悩まされ、ついには転地療養をするはめになったわけである。
 しかし子供とは現金なもので興味がわけば自分の体力も厭わず野山を走りまわるもの。
 埼玉の田舎暮らしが性に合ったのか、それとも里山が人に命を分け与えるのだろうか、急速に回復に向かった。
 いたずらと探検に明け暮れたある日、薄暗い林のなかで、ぼうっと蝋燭を灯したような花を見つけた。葉は一枚もなく、すっくと延ばした茎の先に薄明かりに似た花だけを咲かせていた。
 彼岸花にも良く似ているが花も蕊も線香花火のように球形を描くようにはについておらず、近くに寄ってその特徴を記憶し、家に帰るなり直ぐに植物図鑑を持ち出して名前を調べた。
 「きつねのかみそり」という風変わりな名前を知ったのはその時であった。
 ヒガンバナ科の球根植物。地下茎にはアルカロイドが含まれている。有毒植物である。
 何でも春先に伸びる葉の形が剃刀に似ていることから名づけられたらしい。
 けれども私には剃刀というよりも藪に灯る鬼火、狐火のように見えた。
 「もしかしたら狐は、狐火を細く研いで髭を刈るのかもしれない」などとも想像した。そんな昔話がどこかにありそうに思えたし、私の知る狐の伝説を集めればあながちあり得ないことではないとも信じられた。
 私はその花が好きで、幾度か球根を掘り起こして持ち帰り自宅の庭に移植しようと試みたが、ついに一度も成功しなかった。そのうちに土が合わないのだろうと思い諦めた。

 昔のことを思い浮かべながら、今年も「また見事な群落をつくっているな」と感心して眺めていると、橙の中に白い花弁が混じっているのに気付いた。
 「何の花がまざっているのだろう」と足を止め、藪の中に踏み込んで見ると、それは白花のきつねのかみそりであった。
 亜種なのか、突然変異なのか、それとも別の花であるのかは分からない。
 が、毎年見かける群落中で初めて白花を見つけた。これは私にとっては小躍りするような発見でもあった。
 バッグから急いでカメラを取り出し、風がやみ花が静止する瞬間を息を潜めて待った。藪蚊が刺そうが、雀蜂が耳を翳めようがただじっとその時が来るのをまってシャッターを押した。
 写真を撮り終わって、改めて群落の周囲を見回してみると昨年よりもそれが縮小しているのに気付いた。
 「昨年はあの椎の木を越えて広がっていたはず」と思い返す。うっかり見落としていたが木が伐採されて小さな階段が作られている。
 そこを覆っていたはずの木が無くなり、地面に直接強い日差しが照りつけていた。
 「棲処を無くしたな」と胸の内で呟く。

 別の話になるが私が千葉に越してきた30年ほど前には、近所には小さいながらも夕菅の群落地があった。しかし、それも土地開発の波にさらされ姿を消した。しかも、その整地された場所は閑散とした道路が通った他は、家が建つこともなく、開発計画途上で投げ出され放置されている。
 「あの夕菅を犠牲にしてまで」と思うのは身勝手な感傷であることは承知している。理解はしているが残念なことに変わりはない。できれば、あの夕菅を知らない、今ここに住む子供たちや大人たちに見せてもやりたかった。
 そんなことを思い出し、「誰がどのくらい使うのかわからない階段の設置をきっかけにして、やがてはこのきつねのかみそりも姿を消すのかもしれない」と思った。

 きつねのかみそり 白花

 
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レディ・ジェーン・グレイの肖像

 私が初めてひとりでロンドンを訪れたのは1980年初め頃だったと思う。
 当時のパスポートでも保存してあれば確認することもできるのだが、とうの昔に紛失してそれきりになっている。
 その頃、恥じ以外の何物でもないが、家族とうまく馴染めず高校在学中から、ひとり家を離れて生活していた私は、進路と言われても特に進むべき道の希望も、その気も持ち合わせてはいなかった。
 将来と結び付くものではないが、唯一の希望的指針といえば「ロンドンへ行く」、ただそれだけだった。
 私にはどうしても見ておかなければならない一枚の絵があった。
 ―レディ・ジェーン・グレイの処刑―
 1833年にポール・ドラローシュが描いた絵である。
 ドラローシュについては語るべきことは大してない。
  本名はイッポリト・ドラローシュ。1797年7月17日 パリで生まれ、歴史画家グロに師事して絵画を学び、後にウジェーヌ・ドラクロワやテオドール・ジェリコーに共感しロマン派に参画、1856年11月4日に没している。
 画風は端正で題材を史実から取ることが多かった。代表作である「死せるエリザベス1世」「棺の蓋を開け、チャールズ1世の遺体を眺めるクロムウェル」などに見られるように衝撃的な場面を主に扱い、題材以外は全く史実を再現してはいない。そういう意味で彼は純粋な歴史画家ではない。
 ドラローシュの絵は大衆受けしやすく描かれ、誇張された演劇の一場面的な、もっと悪しざまに表現すれば、写真週刊誌のスクープ的な絵画であった。
 怖いものみたさや芸能スキャンダルと言った大衆的好奇心をそそるために演出された絵画である。
 絵画において詩的表現を達成するために苦しみ続けた前記の二者とは大きく異なる。
 「レディ・ジェーン・グレイの処刑」もその一枚である。
 しかし、この一枚をどうしても見ておきたかった。
 私は図書館で何気なく手にとった「英国王室史」の中で、たった8ページほどの彼女に関する記事を読んだ。その時、この絵の存在を知り、どうしても実物を見たかったのである。

 レディ・ジェーン・グレイ。
 ヘンリー8世の妹・メアリー・テューダーの孫、ヘンリー7世の曾孫にあたる系図に位置する。
 英国テューダー朝の第4代女王。
 ヘンリー8世とキャサリン・オブ・アラゴンの娘、メアリー1世との王位継承争いに巻き込まれ命を落とした女王。
 王位継承者として正当なる血筋を持ちながらノーサンバランド公 ジョン・ダドリーの浅はかな政略のために逆賊として捕らわれ、1554年2月12日、ロンドン塔で斬首された女性である。
 在位期間は1553年7月10日–~19日、わずか9日間であった。

 メアリー1世はこう問うた。
 「レディ・グレイ、カソリックに改宗するならばその命を助けましょう。」
 レディ・グレイは答える。
 「神に与えられた教えをどうして違えることができましょう。」

 ドラローシュの絵はあくまでもロマンティシズムに溢れ、悲劇的にその斬首の場面を描いている。
 描かれた場面は嘘である。
 ジェーン・グレイが処刑されたのは室内ではなく、ロンドン塔グリーンタワーの屋外である。
 他の斬首の例と同じく、髪は首を斬るのに妨げにならぬよう短くされていたであろうし、体の自由も奪われ、身なりも質素で下着に近かったはず。
 しかし、この絵は他のドラローシュにはない真実を伝えている。
 それはレディ・ジェーン・グレイが、読書好きの内気で誠実な女性であり、およそ女王の座などを進んで狙う野心を持たず、神の僕として生を全うすることに忠実に生きようとし、悲劇は彼女の罪に帰すものではないということである。
 周囲の人間も彼女を救おうとはした。でも不可能であった。謀略の犠牲となった悲運の女性。それを我々に伝えるだけでこの絵は充分に価値がある。
 レディ・ジェーン・グレイを知らない人も皆、この絵の前で足を止める。
 そして、そのうちの何人かは自ら知ろうとするのかもしれない、「9日間女王」のことを。
 閉館時刻に近いロンドン・ナショナル・ギャラリーでこの絵をじっと見ていた時、通りがかった学芸員が解説をしてくれた。
 解説の終わりに彼女はこう付け加えた。
 「事実と異なる風景が真実を我々に残してくれたのです。それは画家が意図したものではないでしょう。ここに宿っているのは、神がジェーン・グレイの誠実な犠牲を後世に伝えようとした、その憐れみなのです。」
 そして私は彼女の許可をもらって一枚だけ写真に収めた。

 ナショナル・ギャラリーに隣接するポートレイト・ギャラリーには、かつて唯一の「レディ・グレイの肖像」とされる絵があった。しかし、その後の検証の結果、別人であることが判明した。
 レディ・ジェーン・グレイは、彼女の死の280年後に描かれたこのドラローシュの一枚の絵を除いては、その姿を伝えるものを何も残してはいない。
 
 レディ・ジェーン・グレイの処刑

 

 
 

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アリス

 「面倒は御免だよ。女王の家来たちがまた怒る。」
 「私は女王を怖いと思ったことないわ。戦うべきよ。」
 「無駄だよ。女王がいる限り、この惨めな暮らしから逃れる術は死ぬしか無い。」
 「それか女王が死ぬか、ね。」

 ロード画面 ロード画面 オープニング オープニング OPアニメ(部分) 

 今から11年前。エレクトロニック・アーツ社が世に送り出した「アリス・イン・ナイトメア」(AMERICAN McGEE)は、その不条理な世界と心を閉ざした狂気を見事に描き出し、PCゲームのソフトとして空前の話題となり、世界的な大ヒットを記録しました。

  CD-ROM 1 CD-ROM 2 CD-ROM 

 秋葉原のゲームショップやソフト販売店の店頭では、等身大ディスプレイ、フィギュアやポスターなどがいたるところに飾られていました。
 ゲームの出来は素晴らしくホラーゲームとしては芸術的とも言え、インパクトのある台詞(声優もすごく上手い)やストーリー構成でファンを魅了しました。
 とくに構成については、スピルバーグが映画化を検討するほど着目したという噂があるほど練られています。
 個人的な評価ですが、先だって公開されたティム・バートンの「アリス」より格段に良くできていると思います。
 映画を鑑賞した後、あれはあれで面白かったのですが、比較するとゲームのシナリオの方が遥かに上回っているというのが正直な感想でした。

 このゲームに匹敵する不条理性と芸術性をもつのは、ヤン・シュバイクマイエルのシュールな映画「アリス」(1988年制作)でしょう。

 サウンドトラック OSTジャケット アリスと気ちがい帽子屋 アリスと気ちがい帽子屋

 今回、その「アリス・イン・ナイトメア」の待望の続編「アリス・マッドネス・リターンズ」がリリースされました。

 ストーリー構成は前回とベースを同じくしているようです。
 「家族を火災で失くし、自分だけが生き残ってしまった罪悪感から重い心の病にかかり、事故の記憶をなくしてしまったアリス。長い治療の末、安定した精神を取り戻し、外に出られるまでになったが、いまだに不気味な幻覚に悩み続けていた。幻覚の原因を探っていくうちに、火事は単なる事故ではなかったことが徐々にわかってくる。自分の記憶を取り戻し、家族を襲った悲劇の謎を解くために、アリスはロンドンと荒廃し暴力の蔓延する不思議の国を行き来しながら、記憶のかけらを集めていく」というものです。

 アメリカでは「The art of ALICE MADNESS RETURNS」という画集まで発行されています。国内版が出版されていないのが残念です。
 で、先日、AMAZONで注文して購入しました。
 
The art of Alice Madness Returns

 キャラクター設定や美術、エピソードなどが英文ですが紹介されています。それほど難解ではありませんので中学校英語程度で読むことができると思います。
 登場するキャラクタも多様で眺めているだけでも面白いです。
 「手足の生えた奇妙なお魚さん、そういえばあなたとは、ご眷族かも知れませんが、ヒエロニムス・ボスの絵でお会いしたことがありましたね」と話しかけたくもなります。

The art of Alice Madness Returns

 既にPS3版のアリスも購入しているので、画集に気持ちが煽られて「早くやりたい!」と急いています。
 しかし、そこに問題がありまして…。

 うちにはPS3がありません。

 今は画集とソフトを飾って眺めています。
 そのうち本体を購入したらゲームレビューなど書いてみたいと思います。

 こうしていても「アリス・イン・ナイトメア」のチェシャ猫の名台詞が浮かんできます。 

 「拾えるものは何でもキープしておけ、捨てていいのは愚かさだけ。そうすれば生き残れる。」

 PS3 PS3版ソフト

 サンタさんにお願いしてもクリスマスまでは待てません…。

 

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ネコのコネ

 吾輩は猫である(上) 上巻・口絵 (中村不折・挿絵、大倉書店、明治42年第16版)

 「吾輩は猫である。名前はまだない…」ではじまる夏目漱石の名著「吾輩は猫である」。
 通読したことがない方でもこの書き出しはあまりにも有名なので知らない人はいないと思います。

 上巻・扉 

 漱石はこの本の上巻の序で「固より纏った話の筋を読ませる普通の小説ではないから、どこで切って一冊としても興味の上に於いて左したる影響のあろう筈がない。然し自分の考えではもう少し書いた上でと思って居たが、書肆(しょし)が頻りに催促するのと、多忙で意の如く稿続々余暇がないので差し当たり是丈を出版することにした」と書いています。
 漱石の言うとおり、どこから読み始めても読み終えても良いこの小説は、その後、断片的に切り離されて「色鳥」などの作品集に短編として収録されたりしています。

 中巻 中巻・扉 (中巻、明治40年第6版)

 小説の主人公は「猫」です。その猫の目を通して明治という時代を語っていきいます。
 そして最後は、甕に落ちて死んでしまうという落ちがついています。

 「…出られないと分かり切っているものを出様とするのは無理だ。無理を通そうとするから苦しいのだ。つまらない。自ら求めて苦しんで、自ら好んで拷問に罹っているのは馬鹿げている。もうよそう。勝手にするがいい。がりがりはこれ限り御免蒙るよ」と観念を決め込んで「吾輩は死ぬ。死んで此太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏…有難い有難い」と結ばれます。

 しかし、公知の通りに大変人気のあった小説ですので、書店側としては諦めきれないところがありまして、漱石に続編をさらに書くよう申し入れを行いました。
 それに対して漱石は次のように下巻の序に書いています。

 「『猫』の下巻を活字に植えてみたら頁が足りないから、もう少し書き足してくれと云う。書肆は『猫』を以って伸縮自在と心得ているらしい。いくら猫でも一旦甕に落ちて往生した以上は、そう安っぽく復活できる訳のものではない。頁が足らんからと云って、おいそれと甕から這い上がるようでは猫の沽券に関わることだから是丈は御免蒙ることに致した。」

 下巻 下巻・扉 (下巻、明治41年再販)

 さすがは夏目漱石です。
 一旦往生したからには、生き返ったり、助けられたりして永遠に続編がでるようでは「あの感動を返せ!」と叫びたくなる読者も少なくはないでしょう。
 まるで某宇宙戦艦のように、「新たなる…」とか、「永遠に…」とか、「パート2とか3」とか、「完結編」のあとに「復活編」があったり、実写版は無かったことにしておいても、死んだはずの人が冷凍保存されて後の医学で蘇ったりなどと、無節操に続編を制作し失笑をかうのは愚かを通り越して哀れと言うより、興味を失すると言うものでしょう。
 「さらば…」と言って感動的に別れを告げたのですから、そのままにしておけば良いのです。
 けじめは大切です。
 余談ではありますが、明治41年9月14日に飼い猫が死んだ時、漱石は門下生数名にあてて会葬葉書をだしています。

 「辱知猫儀 久々病気の処療養相叶わず、昨夜いつの間にか裏の物置のヘッツイの上にて逝去致し候。埋葬の儀は車屋をたのみ蜜柑箱にいれて裏の庭先にて執行仕り候。但し主人『三四郎』の執筆中につき御会葬には及び申せず候。 以上  九月十四日」
 
 会葬葉書

 で、漱石は確かに続編を書きませんでした。書きませんでしたが「続編」は存在します。
 それによれば「烏の勘公が行水をつかったり、水葵を喰い散らかした水甕におっこちて、吾輩はもう駄目だとおもったから、天璋院様の御祐筆の妹のお嫁の先に行ったおっかさんの甥の娘だと云う二絃琴のお師匠さんのとこの三毛子の法事に聞き覚えた南無阿弥陀仏を唱えて、甕の縁を無暗にがりがりと引っ掻くのを止めたのだが、猫と雖も麦酒を飲めば酔っ払い、飲んで時が経てば酔いはさめる…」と言うことで甕から這い上がって八万八千八百八十八本の毛についた雫を身ぶるいして払い落したそうです。
 しかしこの猫、元の飼い主のところではなく、別の飼い主に拾われ、お世話になることに。
 主人は毬栗頭で時代遅れの「八の字髭」を生やして、無愛想で常に偉そうにしている入道風体で、逆に奥方は気の優しい良くできた和美人となっています。
 毬栗頭で八の字髭のこの主人。どこかで覚えはあるような容貌ではありませんか?
 僕はこの主人に似た人物をひとり思い浮かべました。
 この方です。
 写真をご覧ください。

 森鴎外

 そう、鴎外先生です。
 漱石さんを永遠の(一方的な片思い的)ライバルとしておりました愛すべき森鴎外先生です。
 何かと言えば夏目さん家の金之助さんに言いがかりをつけて、日々のネタを提供するにことかかなかった森さん家の林太郎さんです。
 もちろん小説中の登場人物としての外見イメージだけで、人物そのものをモデルとしているわけではありません。ただそうやって読んでみると面白さが加わるということです。
 本のタイトルは「贋作 吾輩は猫である」。作者は夏目漱石の門下生でもありました内田百閒です。
 表紙を見ていただければ分かるとおり、「吾輩は猫である(下)」の表紙を模してあります。
 堂々と「贋作」(にせさく)と銘を冠した別人の手による例外的な続編。ウイットに富み、ちょっとアイロニーを利かせた文章で、鴎外に限らず読者側が其々に思い浮かべる人物像を当てはめて読めば更に面白い小説です。
 機会があれば、師匠譲りの鋭い諷刺眼を通した百閒猫の生き様をちょっと覗いてみてください。楽しめると思います。
 猫のコネクションが生んだもうひとつの名著です。

 贋作吾輩は猫である 奥付 (内田百閒、新潮社、昭和25年初版)



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心苦しくもあり?

 日常の何気ない会話の中って思いがけないことを耳にしますよね。
 ある少女にまつわる、これはそんな話の寄せ集めです。

★2011年5月連休末 オフィスにて

窪田:「部長はどこ?これ見てもらいたいんだけど?」
長嶋:「疲れたから少し休むって言ってましたよ?」
窪田:「応接室かな?」
    初島さん、お茶を持って登場。
窪田:「初島さん、部長知らない?」
初島:「部長さんですかぁ?すっごい疲れているみたいでしたよ。」
窪田:「応接室?」
初島:「はい、眠ったように死んでました。」

★2011年6月某日 仕事打ち合わせ(渋谷にて)
 
初島:「もったいないことを言い表わすことわざっていっぱいありますよねぇ。」
松田:「いきなり何?」
初島:「いえ、こんなに一生懸命やってても観てる人は気がつかないんだろうなぁって思って。それだったら手を抜いちゃってもいいんじゃないかなぁとか思って。」
松田:「受け取り手がどうとるかではなくて、僕らがどんな仕事をしたかのほうが大切だよね。苦労の価値を見せびらかすために仕事するわけじゃないからね。」
初島:「でも、観てる人には技術的な価値とかわかってないですよね。そういうのって猫の目に小判って言うんですよね。」

*猫の目に小判…非常に価値のあるものを目の前にしているのに理解してもらえず、癇癪をおこしてその目をふさぐ暴挙にでること。

★2011年7月末頃 オフィスにて

仁科:「円高がとまらないね。」
窪田:「仁科さん、FXでもやってるの?」
仁科:「やらない。資金ないし。俺、計算とか経済とか頭使うの弱いから。」
初島:「何のお話ですかぁ?」
窪田:「仁科さんの投資の話。」
初島:「株とかやってるんですかぁ?」
仁科:「やってないよ。お金ないし。そこでまた失敗したら立ち上がれないよ。」
初島:「ですよねぇ、仁科さん、貧乏っぽいし。それで失敗しちゃったら弱り目にアタリメですよ。地道に働くのが一番ですよ。」
 
*弱り目にアタリメ…アタリメは「するめ」の「する」を嫌った忌み言葉。弱っている時にスルメを食べてアミノ酸を摂取して元気になること?

★2011年8月初 オフィスにて

窪田:「どんなに頑張ってもなるようにしかならないねー、この世は。」
初島:「そうですよ、人間万事、サイコロが馬ですよ。」

*人間万事、サイコロが馬…選択に迷ったらサイコロ(鉛筆でも可)に願をかけて転がして占うこと。

2011年8月つい一昨日のこと オフィスにて

丹前:「両立できない手法ってあるよね。効果が打ち消しあっちゃって無意味なことってさ。」
松田:「あるよな。どちらも良い効果がでるんだけど同時に使うと目立たなくなることが。」
初島:「フィルターを通した光が重なって白く抜けちゃうみたいなことですか?」
丹前:「おおっ?初島さん、随分専門的な喩えを使うね。」
初島:「これでも色彩は専門でしたから。」
丹前:「じゃあ、それが早く仕事に結びつくといいね。」
初島:「はい、ありがとうございます。千里の道も退路からっていいますものね。」

*千里の道も退路から…前に進もうが、後ろに進もうが千里は千里ということ。前面に困難があるときに言い訳につかう。

★2011年2月某日 採用試験の面接の席において(らしい)

面接官A:「君はなんで作画を受験したのですか?」
初島  :「鉛筆です。」
面接官B:「いや、そうじゃなくて受験理由ですよ。」
初島  :「絵を描くのが得意なんです。芸は身を分けるっていいますから。」

*芸は身を分ける…身に付けた芸(技術)によって適材適所に振り分けられること。


初島さんは「ことわざ」が好きらしい。 


注)人物の名前は仮称にて表記させていただきました。

 

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善知鳥 ~おまけ~

 佐藤米次郎さんの「善知鳥物語」の豆本です。

*佐藤米次郎(1915~2001):青森県出身の版画家。版画を用いた蔵書票が有名。私家版「童謡版画集」、童謡集「耳のそこの魚」(挿絵)などあり。

善知鳥(豆本) 署名・落款

 この豆本の原画は、昭和38年、昭和天皇皇后の青森県行幸の際に座所に飾られており、後に献上されたものです。

≪物 語≫(原文通り)

 善知鳥中納言安方は罪もないのに時の帝に讒訴されて、父は北、子は南に配流された。
 父、安方は幾山河辿りついたところが北国の淋しい一漁村。名もないこの村の人々は沖で働き、時化の時は近くの山へ狩りにでた。
 安方はマタギとなり赦免の日を待っていたが、暇をみては天災に苦しむ村人に農林、漁業のことや読み書き学問を教えたので、村人は安方を心から尊敬した。
 しかし、何時まで待っても赦されず、別れた子に会う望みも消え、そして、一寸の病がもとで安方はこの世を去った。
 村人は安方の霊を美しい村のほとりに弔った。
 不思議やこの日から雄は「ウトウ」、雌は「ヤスカタ」と悲しく鳴く鳥が飛んできた。
 ところがある人が、あやまって雄を射殺したら、海山荒れ、人々は安方の祟りとおそれた。
 雄鳥を祠にまつると海山は美しく輝き、村に幸がつづいた。
 青森市はこの祠を中心に栄え、今は善知鳥神社と呼び市の神として鎮座す。

 善知鳥物語 善知鳥物語

 烏頭(善知鳥)安方は允恭天皇に勅勘を蒙って東北の地に配流になったとの伝書があるようです。
 善知鳥神社の由緒書きによると「第十九代允恭天皇(いんぎょうてんのう)の御世に日本の国の総主祭神である天照坐皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)の御子の三女神を、善知鳥中納言安方が此の北国の夷人山海の悪鬼を誅罰平定して此の地を治め、その神願霊現あらたかな神々を祭った事に由来している」とあります。
 また一部には、善知鳥は「善知鳥の前」という安方の後妻の名で、生神として祀られた女性という説もあるようです。
 青森の名の由来については、1624年(寛永元年)に津軽藩命により善知鳥村から青森村へ改称され、開港事業が行われたのが青森市の発祥とされています。
 
 

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善知鳥 - うとう -

 「うとう」と言う鳥をご存じでおられましょう。
 漢字では「善知鳥」とか、「烏頭」とか書くようでございます。北海道から青森、岩手あたり北太平洋沿岸に生息する海鳥で、遠くは米国の加利福尼亜にまでおるようでございます。
 それほど珍しくもなく、かと言って、頻繁にみかけるかと言えばそうでもありませぬ。また見たからと言って、すぐに「うとう」だとお判りになります方は余程の鳥好きかと思われます。
 最近では同じ海鳥の「エトピリカ」の知名度に負け、混同されることも多いとか少ないとか。
 私にしても、青森の県名の由来にこの「善知鳥」が絡んでいるという話はどこかで聞いたことはございますが、個別の詳しい知識を持ち合わせているわけではございませんので、郷土史資料や図鑑なるものに頼らなければ説明に窮する程度のものでございます。ですので、詳細なる謂われや生態、分布につきましてはそちらにお任せして、ここでは省かさせていただきとうございます。
 この鳥、各地で不思議なお話を残しております。同じ鳥であるかどうかはわかりませぬ。ただ名前が同じだっただけやもしれませぬ。
 ともかく、そのひとつに信濃の「善知鳥峠」のお話がございます。
 現在の長野県を走る国道一五三号を塩尻から辰野へと行きますところ、北小野と金井の境、日本海側と太平洋側との分水嶺になっております峠でございます。その峠に伝わるお話。

 ちょっとご案内させていただきますと、概ね次のような次第。

 「猟師が、とある北国の浜辺で珍しい鳥の雛を捕えた。そこで息子を連れ立ち、都へ売りに行くことにした。しかし我が子を捕えられた親鳥はそれを取り戻そうと『うとう、うとう』と鳴きながら執拗に猟師の後を追い続けた。折しも峠に差し掛かかったところで、激しい吹雪に見舞われる。猛吹雪の中、峠越えをする猟師親子を親鳥はなおも追い続ける。切なる親鳥の鳴き声は吹雪に乗り、村の方にまで届いたそうな。やがて猟師は凍え力尽き、峠半ばに命尽き果てた。吹雪のあと村人たちが峠に出てみると、わが子を庇い死んだ猟師の姿があり、その傍らには、同じように雛鳥を庇って死んだ親鳥の姿があった。村人はその鳥が『善知鳥』であると知り、猟師の骸と共に手厚く弔い、その地を善知鳥峠と名付けたと言う。」

 しかしながらこれは世阿弥が謡曲「善知鳥」を起こした時に物語の前提として書き添えたものに様々な手が加わった物語にございます。実際に伝わっておりますところはとても短な伝承でございます。その話は以下の通り。

 「昔、北国の猟師が善知鳥の雛を捕えて、都の神様に供えようと、はるばるこの峠に差しかかった折、雛を案じ鳴きながら猟師の後をおってきました親鳥は、吹雪のために猟師を見失い、悲しみの涙は雪を血に染め、狂い死にしたそうな。土地のものは、それを哀れに思い善知鳥の名を峠につけたとな。」

 いずれにしろこの話、不思議なものでございます。
 信濃の山国の峠を舞台とするのに、何故、海鳥の善知鳥なのかでございます。
 もとは「宇藤」という地名であり、それに謡曲「善知鳥」の字をあてたのだとか。或いは、山の両側が高くせり出した谷道を東国で「うとう」と呼んだので、そうした地形にちなんだ名に字を充てたのだとも言われております。いずれにしろ真偽は確かめようもございません。

 ところで、善知鳥猟師は親鳥の声真似をして雛鳥を誘い出し捕えるそうでございます。
 親鳥が「うとう、うとう」と鳴きますと、子が「やすかた、やすかた」と鳴くと言われております。この耳で確かめたわけではございませんので定かとは言いかねますが。
 親鳥は子の捕えられる様を見て、血の涙の雨を降らせ、その雨を身に受くると死ぬと言われておりますので、猟師はそれを被らぬよう蓑と笠をつけるのだそうでございます。
 青森は安方に史跡がございまして、そこに西行の歌が残ってございます。

 「子を思う 涙の雨の 笠の上に かかるもわびし やすかたの鳥」

 この様に愛情深い鳥として伝承に記されております善知鳥でございますが、恐ろしい生き物でもございます。
 祟るというのとは異なります。善知鳥を殺した者が生きておりまするうちは何事もないのでございますが、死した後、永劫に地獄の責めを受け苦しみ続けることになるのでございます。免れる手立てもなければ、救われる手段もございませぬ。これを避けるには自ずからの不殺生しかないのでございます。
 世阿弥は夢幻能の形式を用いまして、この善知鳥の世界を見事に描き出してございます。謡本を読んでおりますと、まるでその業が事実であるかのように覚えるほどでございます。

 不殺生を説く物語はこれのみではありませぬ。鴛鴦塚の片葉の葦の話もございます。こちらはいずれ書き散らす機会もあるかと存じます。

 世阿弥を調べております中、善知鳥の資料を出して参りましたのでご紹介まで。

 世阿弥「善知鳥」世阿弥元清原作、ウェザビー&ロジャース英訳、旺文社、昭和22年初版
 山本昌代「善知鳥」 (山本昌代、河出書房新社、昭和63年・初版)

 

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ブログのタイトル

 今日、取材が終わった後、報告のために立ち寄った取引先での出来事です。

 ひと通り報告が終わった後、雑談をしていました。
 「なんで『おしゃべりのあとさき』なんですか?」と突然、そこの女の子にブログについて尋ねられました。
 すると近くにいた男性主任が「あれでしょ。ほら永井荷風の小説からだよね。何とかのあとさき。」
 「つゆのあとさきですか?」と冷たいほうじ茶をもってきてくれた子が話に参加。
 「それって、さださんの歌じゃなかったでしたか?」
 さらに割って入ってきたのは、「大奥の魔女」を自称するベテランOL様。
 「さだ?さだって噺家だっけ?」
 「歌手ですよ、もう。グレープとかデュオを組んで歌ってたんです。今はソロですけど。」
 「ああ、そっかぁ、白線流しだっけ?映画かなんかにもなったよね。」
 「ちがいますっ!精霊流しです。しょーろーな・が・し。オカルトと一緒にしないでくださいよ。確かにどちらもドラマや映画になりましたけどね。」
 と主任と大奥の魔女とのやりとり。
 (ちなみに「白線流し」はオカルトではありません…。)
 「白線流しって『ひぐらしの鳴く頃に』ですかぁ?」と最初に質問してきた女の子。
 「いや、それは『綿ながし』だから。」と主任。
 ぶらっとやってきた男性社員がちょろっとひと言「島流しがどうかしたんですか?」
 (ああ、とうとう永井荷風が島流しになっちゃったな)と思っていると。
 「で、なぜ、おしゃべりのあとさきなの?」と最初の話題。
  
 という短い錯綜を重ねた日常会話の行く先に落ち着いたものですから、つまりは説明をしたわけです。

 永井荷風の著作に、小説「つゆのあとさき」と随筆集「紅茶のあと」というのがあります。本当はこれを組み合わせて「紅茶のあとさき」にしたかったのですが、江藤淳の荷風評の著書に同名のものがあるので遠慮したわけです。
 僕の書くものなんてたかが知れていますし、どうせ無責任極まりない無駄話ですから「おしゃべりの延長でいいじゃん」とか思ったわけです。
 おしゃべりなんてものは前後の脈絡なんて関係ないですし、言ってしまったからその後どうするというものでもないですから、ちょうどいいんじゃないかと。
 あと抜け道ですね、「おしゃべり」という。
 おしゃべりなんて言うものは思いつきで言葉がでてくるものですから、思い違いもあれば、誤解もあります。大袈裟に話したり、脚色することもありますでしょう?間違いもそこには存在するし、それはあっても良いわけです。
 いちいちその場で広辞苑を開いたり、百科事典を持ち出したり、PCを起動して検索しながらおしゃべりをする人を僕はまだ見たことがありませんので、幸いに。
 書くことは、つまり「嘘」でなければいいんじゃないかと。誰かに「間違ってますよ」と指摘されたら素直に頭を下げればいいだけです。
 ただご紹介を話の中心に置いた場合には、ご迷惑がかからないよう最低限の資料は紐解きます。それ以外の僕自身の個人的なことは曖昧にしておいても可、という姿勢で書いています。
 だいたい思い出すことなどというものは、元来、当てにならないものです。記憶は時間がたてば再構成される危険性があります。いえ、常に再構成され続けていると言ってもいいかもしれません。
 こうして身辺整理、備忘録的なブログということで題が決まったわけです。

 つゆのあとさき 「つゆのあとさき」(中央公論社、昭和6年・初版)
 紅茶のあと 「紅茶のあと」(籾山書店、明治44年、橋口五葉・装丁、胡蝶本)
 
 

テーマ : ひとりごと…雑記…きままに
ジャンル : 日記

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