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心中の華

 「華講会」という法会があります。
 丁度、今日がその日にあたります。行事としては特に祭祀的なものではなく、いたって内省的な法要です。
 浅草寺の行事紹介では「心中の華を開かしむるの意ともいわれ、過去の罪過を懺悔し、心を清浄にする布薩会」のこととあります。
 「布薩」というのは、新月祭と満月祭の前日に行われた罪を告白懺悔する集まりで、起源はバラモン教の儀式に求められるとの説があります。半月に1回行われるものを略布薩、年に1回行われるものを大布薩(広布薩)と分ける場合もあるようです。
 この「華講会」を、いつ頃、私が聞き知ったのかは記憶にありませんが、「はなこうえ」という響きと「心中の華」という文言の美しさから、頭の片隅においてありました。
 「心中の華」と書くと「此の世の名残。夜も名残。死に行く身を譬ふれば、あだしヶ原の道の霜。一足づつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ」と近松門左衛門や人によっては太宰治を類推する場合もあるかもしれませんが、男女の逃避行の末、命を絶つことを意味してはおりませんのでお間違いなく。「しんじゅう」ではなく「しんちゅう」ですので老婆心ながら追述しておきます。
 心の華。この華は蕾と言いましょうか、固く閉じ、その内に様々な「行い」を秘しています。そのひとつが「罪」です。深奥にあるこの華の自己を見つめ開くことによって、自らの罪を告悔、懺悔し、身を清めるとは、とても静謐で美しい譬えです。
 人は自ら能動的積極的にできることと、場を与えられなければできないことというのものが、どうしても存在します。そのひとつが無意識的、或いは、無作為に重ねた罪の贖いでしょう。
 車で帰宅する途中、「緑の牧場から食卓まで」と大きく書かれた養豚場のコンテナと並走していました(豚の立場になれば「揺り籠から墓場まで」ということになりますか)。檻のように三方を太いパイプで囲われ、2階建てになっていました。それぞれの階を3部屋に仕切り、1部屋に5頭ほど、2階は見えませんでしたが、同じくらい積んでいたのでしょう。
 豚たちは、この暑さにダレているのか、それとも元からそうなのかは知りませんが、かなりのんびりとした様子に見受けられました。窮屈そうではありましたけれども。
 勝手な憶測ですが「精肉加工所」へ運ばれるのだろうとそれを眺め、あと数時間の彼らの寿命を想像したりしていました。
 他の動植物の命を犠牲にして食を得ることを罪であるという気持ちはありません。我々からすれば当然の成り行きですから仕方のないことです。しかし、もし私がそのことで罪を問われることがあるとしたなら、それは私が「他の命」を忘れた時でしょう。
 すべてを当然として食し、捨てる。それが命であったことさえもわからず、錬金術的に生み出されたものとして取り扱うなら、それは罪であるのでしょう。
 常に贖罪する、懺悔するなどというのは無理ですし、すぐに習慣的な偽善になり下がります。ですから、年に一回くらいは、為した行為の如何なるものが罪なのか、無意識に重ねたものを、自分がどこかで犯したかもしれない罪を懺悔するというのもおそらく必要なのです。
 無責任な懺悔ですが、「どこかで嫌な思いさせてしまった方々、ごめんなさい」です。
  


 
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山下清とかたつむり

 千葉県ゆかりの芸術家ということで、千葉県立美術館で「山下清展」を開催しています。
 展覧会の告知をそのまま引用しますと「貼絵・油彩画・ペン画、陶器など、初期から晩年までの作品約190点を紹介するとともに、放浪日記や本人のコメントなども併せて紹介し、芸術家として一人の人間として山下清の姿を振り返る展覧会」と紹介されています。

 山下清の経歴等について、私が今更ここで書き加えることもないと思います。「長岡の花火」を代表作とする貼絵の数々や、テレビドラマ「裸の大将放浪記」(注1)などでご存じの方も多いでしょう。
 
 長岡の花火(張り絵原画)
 
 彼は知的障害を抱えてはいましたが、我々が思うより遥かに明確な知的認識を持っていました。ドラマでは知的障害の部分が必要以上に面白可笑しく強調された帰来があります。また、彼が指名手配犯のごとく逃亡するかの演出についても個人的には受け入れられない描写です。
 テレビドラマは、視聴者の山下清像にそれ以外にも様々な誤解を生じさせたことは事実です。しかし、改めて彼の作品を見直す機会を作り出したのも否定できません。

(注1)「裸の大将放浪記」…1980年から1997年にかけて『花王名人劇場』『花王ファミリースペシャル』のシリーズとして放映された芦屋雁之助が主演のドラマ(制作:東阪企画・関西テレビ、フジテレビ系列)。1980年~1983年は『裸の大将放浪記』、1984年~ 1997年は『裸の大将』と改題。

 山下清は別名「放浪の画家」などと呼ばれています。
 が、彼の後見人であった式場隆三郎によれば「彼はよく放浪の画家というふうに呼ばれるが、十数年の放浪ちゅう、スケッチ・ブックをたずさえたことは一度もない。彼の放浪の目的は放浪そのものにあった」と述べています。
 放浪については、山下清自身が回想しているように「徴兵の恐怖からの逃亡」ということもあったでしょう。しかし、彼の行動の原動力は「好奇心」に集約されていたのです。そこには悪びれた部分はまったくといって良いほどなかっただろうと思います。
 昭和36年(1961年)に出版された回想録「ヨーロッパぶらりぶらり」に次のような記述があります。
 「ぼくはいまでも、自分のいきたいところへぶらりとでかけるのは、そんなに悪いことではないような気がするのですが、世の中には放浪ということは悪いことだというきめがあって、ことに外国では、日本よりもずっと悪いことにしてあるという話なので、外国へいくのが二度もだめになり、がっかりしてしまった。」
 このように彼自身は、「見たいものがあるから出かける」というただそれだけの気持ちなのです。彼は同書で「日本はずいぶん見たのでヨーロッパが見てみたい。とくにルンペンについて見たい」とも言っています。
 渡欧については、式場隆三郎が後見人として監督責任を負うという承諾書を外務省に入れることで実現し、帰国後、同年12月に先の回想録を発表しました。
 
 この1961年の渡欧にあたっては、同年5月16日~31日まで渡欧送別展が開催されています。

 渡欧送別展案内状

 会期中、会場には、山下清、式場隆三郎も来場し、その直前に発刊された画集「日本の風物」の販売、サイン会なども行われたようです。

 日本の風物 署名

 ちょっと横道に逸れてしまいました。今回の展覧会での話を進めましょう。

 今回の展覧会の特徴は、張り絵のほか、遺作である「東海道五十三次」を含むマジックペン等で描かれたスケッチが数多く展示されていることです。
 そして、驚嘆するのは、それが放浪後の記憶に基づいたスケッチであるという事実です。

 山下清の作品を批評するにあたって「山下の作品には思想がない」という表現が多用されます。それは彼が時代の寵児であった1950年代を通じて言われ続けたことです。実際に会場でも、そのような声を耳にしました。
 しかし、本当に思想が必要なのでしょうか。また、絵画の中の思想とは哲学でなければならないのでしょうか。
 彼は作品の多くに、彼自身の姿を描きこんでいます。それは思い出に基づく自画像なのだと思います。
 赤い傘を差して歩く彼が描かれた貼絵があります。線路を歩いていて、突然の雨に見舞われた時、近くにいた女教師から彼は傘を譲り受けました。その姿は、その時の喜びを直に伝えてきます。
  また一枚の寂れた神社のスケッチが「にぎやかな町がちかくにあるとさびしいところがきれいに見える」と彼の述べる通りの共感を私たちに伝えます。
 彼が絵に添えた一文は、専門家の解説以上に感動の手助けになりますし、その一文は、彼の思想とも言えるでしょう。
 風景に描き入れられた自画像や思い出の印象を込めた風景画は、ゴッホの自画像やモネの風景画となんら変わることのない感動があるとは思えませんか。
  絵画の楽しみ方には、蘊蓄や絵解きのようなものも確かにあります。しかし、それらの大部分は後世に考察されたものであるということを忘れるべきではないでしょう。
 今から更に数年後、山下清の作品の分析が進み、心理学的な解説が強調されるかもしれません。それは興味の側面を形作るものではありますが、感動の真価には関わらないと思います。
 「何を描くか」という画家の視線そのものが思想だと私は考えています。蘊蓄は余禄のようなものです。
 感動の基本には、その作品、或いは、その芸術家が「好きか嫌いか」で十分なのではないかと思うのです。

 私の持っている山下清の存命中に編纂された最後の回想録「もうひとつの旅」に添付された短冊には、次のよう文箋が添えてありました。

 「この肉筆サインは、七月八日の夜、九日、そして十日の朝に書き記されたものです。七月十日の夜、山下さんは倒れました。七月十二日、午前十時三十五分に帰らざる旅に出られたのです。本当に絶筆となってしまいました。つたない本ではありますが、山下さんには大へん喜んでいただきました。どうかいつまでもおいつくしみください。昭和46・7・13 ニトリア書房一同」

 もうひとつの旅 直筆短冊 出版社送辞文

 この文を読んで、短冊に描かれた「かたつむり」に、特別な最後のメッセージを読み解きますか?
 それよりも、鑑識眼と知識をもたない私は、回想録の中で闊達に動く山下清という人間に感動と共感を覚えます。
 
 
   

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曖昧屋

 「曖昧屋」、「曖昧茶屋」などと呼ばれた商売がありました。いつ頃の話かといいますと明治初期の時代です。場所は、東京・銀座。
 何を商っていたかと言いますと、どうやら私娼宿だったようですね。
 なぜ「曖昧屋」なのかですが、店の外見上の取扱い商品が定まっていなかったことから名前がついたとのこと。表向きは、料理屋、居酒屋、茶屋、宿屋などを装って営業していました。しかも名前にたがわず何でも商う。食べ物、飲み物、嗜好品、小物小道具、騙りまで、それこそ虚実問わずの品揃え。何でもござれの店構え、と言うのは、ちょっと大袈裟に過ぎますか。

 今でこそ銀座は高級ブランドが立ち並ぶ、セレブな商業地帯ではありますけれど、当時は店を出すものがなく、空店だらけのゴーストタウンだったみたいですね。

 この銀座の成り立ちに大きく関わる事件がありました。
 明治5年4月3日午後3時ごろ、和田倉御門会津屋敷を出所とする火は、瞬く間に銀座築地までを焦土と化す大火事となりました。
 この大火に学んで政府は、「東京市中の家屋を全て石造りにし不燃化都市とする」という方針を打ち出しまして、由利公正を登用し耐火建築による新橋銀座界隈の再開発に乗り出したわけです。
 由利公正はイギリスの煉瓦建築を手本にした地域開発に取り掛かりました。計画は、焼け野原となった銀座一帯の家屋を総煉瓦建築とし、大通りの道幅は15間(27メートル)、歩道と車道を分け、街路樹を植えるというもので、御雇外国人フロランの意見を採用、土木技師ウォートルスが指導し、明治7年に完成しました。
 その結果、パリ、ロンドンを真似たお洒落な街並みが出来上がったのですが、この家屋は、問題山積、欠陥だらけだったようです。
 まずは家賃がべらぼうに高い、畳がないと駄目とか、煉瓦造りのため湿気がこもる、煉瓦建築に熟達していなかったため雨漏りが酷いなど、クレームの嵐。果ては「煉瓦の家に住むと青膨れになって、命を落とす」などと巷間で噂される始末。当時の大蔵卿であった大隈重信が、地主一同からの家賃補填の陳情の対応に苦慮したとの記録もあるみたいですね。
 ということで、せっかく再開発したのですから捨て置くわけにも行かず、仕方なしに、怪しげな商売にも黙許して店を埋めることにしたようです。それで一時隆盛を誇ったのが「曖昧屋」です。
 江戸消えやらずの明治日本で、文明開化の象徴ともなった銀座の煉瓦街ですが、その実態は、店子のごとく「曖昧」だったわけです。

 篠田鑛造氏によれば、「近頃、物価が高価ゆえ淫売婦の数が大層増し銀座通歩くと淫売女と引手の中を押し分けて行くほどだが、一昨夜京橋分署の所轄内にて三十余人が拘引となった」と言う記事が、明治十三年の読売新聞に出たそうです。
 お目こぼしに預かっていたのを良いことに、図に乗った結果と言うことでしょうか。いつの世も、似たようなものかも…。

 現代の日本。「曖昧屋」の呼び名を冠するのは、国会に潜む方々なのでしょうかね。何をしているのだか、したいのだか、欲に取りつかれた面々を見るのも嫌と言った今日この頃。
 誰か一斉に彼らを検挙していただけませんか?叩けば基準値を上回る汚染された埃も出ましょうというもの。



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妹の禁忌

 疲れがとれません。頭痛もやむことなく続いています。仕事は増える一方で終りが見えてきません。仕事と時間には終わりがない、と今更ながら、倦怠ムード、いや、諦観モード、。
 
 ちょっと雑談。

 ある女性がおりまして、彼女には取り立てての欠点らしきものがありません。身のこなしも綺麗ですし、スタイルも、顔立ちも整っています。性格もなんら問題がない、というより寧ろ、気遣いのできる女性です。異性の友人も、同性の友人も多く、実際、慕われています。
 が、しかし、本人曰く、「恋人と続かない、いや、恋人にまで行き着かない。」
 決して、外目から見た印象では、彼女自身、軽薄多情なわけではありません。
 1年ほど前になりますが、その彼女からこんな相談を持ちかけられました。
 「私、運に見放されているのです。祟られていると言ったほうがよろしいかもしれません。」
 予期せぬ話題を振られてリアクションに躊躇していた私に、彼女は説明を加えて行きました。
 浮かれ恋の熱病なら、お医者様でも、草津の湯でも治るわけはありません。それがまして、恋にすら発展しない成り行きを「祟り」と称して、私に相談するなどもってのほかです。その手の相談に関してはスーパー役立たずですので。
 でも、話だけでも聞いてあげないと不義理、不人情と後ろ指をさされますから、「まぁ、紅茶でも飲みながらお聞きしましょう」となった次第です。

 地方に行きますと、様々な風習、伝承があり、その中に「禁忌」と呼ばれるものがあります。
 有名なものですと「雛飾り」ですね。3月3日を区切りにして、早くから飾り付け、雛祭りが過ぎたら、さっさと終う、そうしないと、その家の女の子が縁遠くなる、というものです。
 その他にも「足袋を履いて寝ると親の死に目に会えない」、「夜、口笛を吹くと鬼がくる」とか、「縁側で髪を梳くと物狂いになる」など様々あります。

 さて、今日は題を「妹の禁忌」としたわけですが、私には珍しく、先に題を置かせてもらって書き始めています(手前の話ですが、通常、私は題は後づけです)。
 題をお読みになられて、最近流行の「妹萌え」と思われた方、すみません、違います。ここにある「妹」は「いも」と読みまして、若い女性のことを指しております。
 「筒井筒、井筒にかけしまろが丈 生にけらしな 妹見ざる間に」に代表される「いも」のことです。決して「俺の妹がこんなに~」とか、「お兄ちゃんのことなんかぜんぜん~」とかのライトノベルの話でも、アニメの話でもありません。

 話題をもとにもどします。

 彼女の言う祟りとはこんな話でした。
 
 まだ幼少の折、故郷の新潟の祖父母の家に毎夏、遊びに行っておりました。
 ある年のこと、10の歳のころだと思い起こされますが、近所の男の子と野山を駆け回り、身に持て余すエネルギーを使い果たし、家に戻ってまいりました。
 空腹に祖父母を呼ぶも応えなく、父母も不在の様子で、何かお八つでもないものかと台所、居間のあたりをさがしておりました。
 すると、神棚に置かれたお供物数個が目に入りまして、そのうちの1つを頂戴いたしました。もとより押し菓子は好きなほうでしたし、お寺などで仏様からお分けしていただくことも多かったものですから、そこに罪の働く余地、疑いなど起こりようもありませんでした。
 帰宅した祖母に「神様からお菓子1つもらったからね」と伝えます。
 祖母はそれを聞き、「女の子が神様に捧げたものを食べるとお嫁に行かれなくなるっていうのですよ。困った子だね」と笑い、頭をなでてくれました。
 それは祖母の冗談だったのか、それとも、戒めだったのかはわかりませんが、私は心底、怖いと思ったのです。
 神棚に向かい「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も謝りました。それは、その夏の残りの滞在期間中、常に続けました。
 東京に戻ってからも祖母の話を思い出し、夜に泣き出したこともありました。その度に父も母も「迷信だから、冗談だから」と言って慰めてくれたものでした。
 しかし、それが祟ったのです。今となっては、そうとしか思えません。好きな人ができますと、見ているうちは良いのですが、いざ、付き合い始めると、遠く感じると言いますか、急に冷たくなったように思えるのです。それで、この歳まで恋人らしい恋人もできず、来てしまいました。

 私はこの話を聞き、「神の供物」について少しばかり時間をいただき調べさせてもらいました。
 確かに、彼女の祖母の言うところの禁忌は伝わっているようです。しかしながら理由は明確ではありませんでした。
 盗み食いをされたから、横取りされたから祟るのでは、あまりに器量が狭すぎます。そんなどこぞの中東あたりの神様ではあるまいし、日本の神様とはもっと大らかなはずなのです。禁忌には理由があるはずです。
 
 神様の供物と仏様の供物の違いからあたってみました。
 まずは、お寺で良くいただきます供物ですが、それは純粋に「お裾分け」です。仏様と同じものをいただくことによって、ご先祖様の有難味をいただく、分け合うと言う相互方向のコミニュケーションなのです。
 片や、神様に捧げられたものと言うのは一方方向のものでして、神様がお納めになるものです。ここに「巫道」と言う独特の移し身の思想が登場します。
 「巫道」は、巫女が神様と通じるための古代の禊、作法のことです。ここで論ずると長くなり、当初の意図を外しますので省きますが、簡単にその代表的な理念を述べると次のようなことです。
 神様へ通じるには、まず未婚の女子(妹)であること。次に、献呈された品々は巫女を通して神様に捧げられること、です。
 つまり、「嫁入り前の女の子が神様に捧げられたものを食べると縁遠くなる」と言うのは、2つの構成要素から成り立っていると考えられます。「妹」と「直接は捧げてはいけない献供品」です。
 おわかりになりますでしょうか?もとは別々であったものをくっつけたものです。先の禁忌は、直接の禁忌ではないと考えたほうが適切でしょう。「風が吹けば桶屋が儲かる」的な喩なのです。 もっと言うなら、この禁忌において「風」と「桶屋」は無関係です。いえ、「風」と「桶屋」は関係がありますが、「風」と「儲かる」には繋がりがありません。通過儀式的には、清浄な巫女を通じてのみ、清浄な供物を神に捧げることができる、と言うことです。だから「供物に触れるな」と。巫女と清浄な供物の関係が、いつしか、別の禁忌を生んだのです。
 神様に捧げるものは巫女を通す。従って、神様に捧げたものを通した妹(未婚の女子)は巫女になる。「巫女=結婚できない女性」から、転換された禁忌を生じたということです。
  彼女が「祟り」だと思っていたのは、深層心理にわだかまっていた「思い込み」、「暗示」に他ならなかったのです。自分で自分を縛りつけてしまっていたと言うことでしょう。
 ある意味では、彼女の祖母の言霊とも言えるかもしれません。

 彼女も聡明な人ですので、納得がいけば自分で枷は外せます。それでというわけではありませんが、めでたくこの9月に結婚する運びになりました。
 それも「運」と呼ぶべきものでしょうか?あとは皆様のご賢察にお任せ致します。

 

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Air

 川上とも子さんの訃報が着信した瞬間、

 疑うことも、信じることもできず、
 
 ただ、簡潔にまとめられた文面だけを見ていました。

 「川上さん、あれは『AIR』の収録も終わりかけていた頃でしたね…」

 「そういえば、偶然に横浜でお会いしたことがありましたね…」

 「アイスクリーム、ご馳走様でした…」

 何から書き出しても、そぐわない気がします。

 今は、ご冥福をお祈りするばかりです。

 観鈴 の声、好きでした。

 空にいる女の子は笑っていますか?

 もう少し経って整理ができたら、思い出話でもしましょう。

 お疲れ様でした。

 それから、

 ありがとうございました。

 
 ー合 掌ー
 

浅草

 まず最初に、今回、非常に不快な表現がございます。所謂、差別用語もございます。しかしながら、どうしてもその表現をあてるしかなかったのでございます。それに関しましては深謝致します。ご寛容をもってお読みいただくか、読まずに閉じてくださればと願うものでございます。

 昭和44~50年頃の浅草。そう言いますと懐古趣味的な話の感じがしますが、まさにその通りでございます。
 この当時の浅草寺界隈と言うのは、新旧入り乱れての大衆文化と申しますか、とにかくいろんなものがございました。映画館、寄席、夜逃げ屋、たたき売り、ストリップに、歌劇場、スマートボールなどと、町全体がゴミ箱のような、玉手箱のような、見る角度によっては非常に如何わしい場所柄でもあったわけです。とにかく繁華な風俗地帯でございました。
 浅草寺吉原界隈と言いますれば、名高い文学作品の舞台になってございます。
 「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯黒溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取るごとく…」と樋口一葉が描き、或いは、廣津柳浪が「不夜城を誇り顔の電気燈にも、霜枯れ三月の寂しさは免れず、大門から水道尻まで、茶屋の二階に甲走った声も聞こえず。…」と綴りましたる作中の風情は既に失われておりましたのは当然ですが、その残照がまだほんのわずかばかり、それこそ息も絶え絶えなほどですが幽かに感じることができた頃であります。
 と申しましても、吉原には「遊郭」と呼ばれる建屋は既に消え、「トルコ」などと呼ばれた特殊浴場に取って代わられておりました。念のため付け足させていただきますが、私、当時はガキもガキ、小僧の身分ですので、吉原へなど足を踏み入れることは、めったないことではありました。何をする場所かも知らずな頃であります。誤解ないようお願いする次第です。

 昭和50年、浅草。

 アサヒビール社屋を後ろに吾妻橋を渡りまして、松屋デパートから浅草寺雷門へと足を運び、仲見世を通り抜け、宝蔵門をくぐり本堂の前を折れ、花屋敷へと向かったところに見世物小屋がございました。「ございました」と言いましても、常にあったわけではございませんで、期間限定の興業でございました。
 で、その見世物の噂を仲間の一人が聞き付けて参りまして、「いざ、観に行かん」となったわけでございます。
 どういう見世物かと言いますと、「へび女」「怪力男」「瓶喰い爺」「魔術師」「火だるま男」「山のこびと」「犬女」などとうたわれておりました。
 夜と昼では出し物が違うのでございますが、夜は子供は入れてもらえませんで、見ることなく過ぎ去った次第ですから、昼の出し物のお話でございます。
 その小屋ですが、まるで建ち古びた納屋のようなものでございまして、床に木はございません。土でございました。辛うじて室内照明はあったものの、差し込む陽射しのほうが強く思えるような場所でございました。
 客足のほうも大盛況とは間違っても言えませんで、それこそパラパラと、と言った具合でございました。その日の最大の団体さんが、私ども小僧四人組であったことを申し添えておけば察してもらえるところもあるかと存じます。

 出し物の概要は以下の次第でございます。

 「へび女」… 半裸の女性が身体にニシキヘビを巻きつけておりまして、それと終始戯れるという出し物で、何が面白いのかわかりかね、ただ、床でねっとりと絡みつく姿態を眺めると言う出し物でございました。夜はちょっと別の趣向を凝らすそうではございました。
 へび女が袖に下がる前に、見物客がヘビに触らせてもらえるというサービスがございました。

 「怪力男」… いわゆる力持ちでございます。100キロはあろうかと思われる石を、額に血管を浮き上がらせ、脂汗を垂らしながら持ち上げると言う力技でございます。鉄パイプを腹にあてて折り曲げるなども披露しておりました。これも最後に、石に触らせてもらえ、持ちあげられたら「木戸銭お返しいたします」と口上がございましたが、木戸銭、わずかに150円(こども)でしたので、それほどこちらも真剣には取り合わずと言ったところでございました。

 「瓶喰い爺」…体を張った見世物が続きまして、読んで字のごとし、コーラ瓶を齧る爺の出し物でございます。これにはビックリ、逆さに持ったコーラ瓶を底のほうからガリガリと食べるものでございまして、空いた口が塞がらないと言うか、せめて空き瓶にしていただければ、飛び散ったコーラで服を汚すこともなかったものをと、今でも思い出す次第でございます、はい。
 ついで申しますと、「コーラ瓶を喰えたら木戸銭返します」の特典はございませんでした。

 「魔術師」…手品師でございます。プリンセス天功のごとき大がかりなイリュージョンではございませんで、テーブルマジックや零れない水、空飛ぶリカちゃん人形などでございます。かなり高齢の手品師ではございましたが手際が見事でして、流暢な仕草に感心いたした次第でございます。私が初めて間近でみたマジックでもございました。

 「火だるま男」…体を張るしかない見世物なのですが、はっきり言いまして、これ、つまらなかったです、はい。
 どういうものかと申しますと、上半身裸の男が出てまいりまして、つきそいがおりますのですが、これが「山のこびと」でございました。背丈180以上はあったかと思われる大男の「火だるま男」に向かって、その三分の一ほどの小男の「山のこびと」が、噴出する花火を向けたり、燃える(消えかけた?)松明を押しつけたりと言うものでございました。「どこが火だるま?」と疑問に思っておりますと、そう思ったのは私だけではなかったようで、端におりました見物人が「火だるまなのは一座の台所かぁ?」などと素直な野次をとばしておりました。
 
 「山のこびと」…これは先に申しましたように背丈の低い男のことでございまして、非常に愛想の良い好人物であったことを覚えております。この男、50センチ四方にも満たない林檎箱の中へすっぽりと身を隠し、出たり入ったりいたしまして、座長が「移動する時は荷物の中におりますので電車賃を払ったことがございません」などと、さも誇らしげに申しておりました。

 「犬女」…奇体の女性でございまして、手足がまさに犬の様相をしておりました。この登場までには、座長の長々しい前口上がございまして、概ね、次のようなものであったと記憶しております。

 『さて、さてさて、次なりますは人の罪業の深さを身につまされる小物語がありまする。犬猫畜生といえども命は命、粗末にすれば百代も祟ります。信じない方もございましょう。しかるに、犬の屠殺を生業とする男を父にもったが不運の児のお話聞いていただきまする。… 母は幾たび児を宿しながらも児を産めず。やっとのことで授かった女児。喜び勇んで相対したものの、その異形に母はその場で事切れて、父は号泣し出たまま行方知れず。あやうく隅田の川に流されそうになった児を、拾い上げたが私め。… さあ、お目を確かに、犬女でございます。』

 これは見て後悔したものでございます。不憫を見世物にしなければ生きられぬ境遇と売り出すを、潔しとしないのは当時も今も同じことでございます。子供心ながら、あまりの残酷さに眼をうるませた記憶がございます。

 以上で、この一座の出し物は終うのでございます。

 小屋の外では、先ほどの「山のこびと」が既に木戸に出ておりまして、「またのお越しを。夜は特別興業がございます」と見物客を送りだしておりました。
 大人客が帰る中、座長とへび女が「特別に」と言って、再度、ニシキヘビをだしてくれまして、それをさんざっぱらペタペタと触ってから、ほとんど最後に小屋を出た私どもを見、木戸口の彼が声をかけてまいりました。ほんの一言二言でございます。
 
 「坊やたちが大人になったら、こんなんで喰わなきゃならないのを作ってくれるな。どんなんも公平に生きられる世間にしてくれな」と、私のお尻をポンとひとつ叩きました。


 どうでございましょう?今の社会は彼が望んだものになっておりましょうか?
 今一度、お考えくださりたくお願い申し上げて、今日は終わりに致します。

 

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古書の楽しみ 

              新柳集(函&表紙) 「新柳集」(泉鏡花)


 「古書」と書くと何かプレミア風で引き締まる気がします。「古本」と書くと俗的で親近感がでるような感じがします。どちらも同じものなのですけどね。
 最初に御断りしておきますが、私は古書マニアではありませんし、専門のコレクターでもありませんから、特別に深い蘊蓄などというものは持ち合わせておりません。ですので、所有しているものも雑多です。漫画、児童書から文学、写真集、画集など、少しは価値が認められるものから、再生紙資源以外の価値のないものまで、まったく統一性のない蔵書です。

 「読みたい本が安い」と言う以外に古書、古本に関心のなかった私が、何故に収まりきれぬほどに蔵書が増えたのかと言いますと、つまりは以下のような話です。

 話の元は、高校生の頃になります。
 私、学校が苦手でして、というか、勉強が大を上回るほど嫌いでして、何というか、常に足が学校とは別の方角へ向かうという極めて変わった風でもない習性がありました。
 かといって、グレるほどパワーもなかったですから、所謂、小者ですので、あちらをふらり、こちらをぶらりとするだけでした。どこをと言えば、足を延ばせば鎌倉、手ごろな所ではお茶の水~上野あたりをほっつき歩いていたわけです。(このランブリング、結構、後に役立つのですけど、当時は成績を下げるのと、夏冬春の休校時に埋め合わせ登校をさせられると言う効果効能しかありませんでした。)
 しかしながら、アメヨコあたりに入り込んで、昼日中からMGCでモデルガンなど手にとって入り浸っておりますと補導される危険性がありまして、それは困るわけです。西洋美術館も良いところではありますが入館料がかかりますから、常設展以外はおいそれとは行かれません。そこで、本屋です。特に古本屋です。新刊を扱う大きな書店さんですと補導員が巡回にくる心配がありますからね。安全、かつ、時間もつぶせて、身にもなる? というわけです。
 古書店って、博物館や美術館に匹敵するくらい面白いですよ。玉石混交の宝箱です。古本独特の匂いも体質に合うと言うか、好きですね。
 読めもしない洋書を引き出して、眉間に皺を寄せて眺めていたりすると、自分が偉そうに見えるんじゃないかと、ふとそんな錯覚に陥ったりします。まぁ、外から見れば、格好だけなのは見え見えなのですが。
 ある時、古書店のご主人がショーケースの入れ替えを行っておりまして、それをじっと見ていたわけです。メーテルリンク「青い鳥」(原書・初版)、ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」(米国版・初版)、「長岳寺 地獄絵図(写本)」など出てくるわけです。当然、手の届かない値段がついておりますから眺めていただけですが。
 と、ご主人がいきなり一冊を手にして振り向き、「これ見事でしょ?」と差し出しまして。見れば、本当に見事な絵が描いてありました。
 「これ木版でな、小村雪岱が元を描いてるんだよ。表紙の見開きを『見返し』って呼ぶんだけどね。」
 「綺麗ですね。これって誰の本なのですか?」
 「泉鏡花だね。知ってるかい?鏡花。」
 「名前だけは聞いたことがあるような気がします。」
 「教科書には載らんもんね。馴染みはないか。」
 手にとってみなさいとばかりにぐいと押し出されたので、恐々とお預かりしたわけです。ぱっと見も眼を惹きましたけど、じっくり見れば、なお、美しい。肝心の本の中身は、雅文調で読みづらく、単語の意味不明も多くて、とんとつかめなかったけれど、とにかく、綺麗につきると言うものでした。
 「鏡花本と言ってね。人気あるんだよ。」
 「でしょうね。意味わからないですけど、この本、欲しくなりますもの。でも、買える値段じゃないでしょうし。」
 「君、バイトとかしてないの?」
 「やってますけど、余分なお金は出ないです。生活で手いっぱいです。」
 「一人暮らしかい?」
 「そんなようなものです。」
 本を戻して、曖昧な返事をすると、ご主人は「古本は夢があるんだよ。著者が生きていた時代の本を読むという夢と、何より手仕事の装丁、職人の技が楽しめる」と言って、また本を並べ始めました。
 その日はそれで帰宅したわけですが、脳裏に焼き付いて離れないのは、あの本のことばかり。思い返せば思い返すほど欲しくなるわけです。
 「明日、値段だけでも訊いてみよう。」

 翌日、同じ書店に足を運びまして、紆余曲折の交渉結果、店頭払の分割ということで本を持ち帰ってきました。
 今のようにクレジットカードなど普及しておりませんし、もとより高校生ですのでローンなどできるわけもなし、一途にご主人の温情に訴えるほかなかったわけです。

 泉鏡花「新柳集」(小村雪岱・装丁、春陽堂刊、大正11年、初版)。これが私の収集動機の古書となります。
(それ以前にも、室生犀星の「旅びと」を持っていたのですが、その話は次回ということで。)

新柳集(表見返し) 新柳集(裏見返し) 「新柳集」表見返し&裏見返し

 「新柳集」以後、太宰治「女生徒」(山田貞一・装丁、砂子屋書房刊、昭和14年、初版)、夏目漱石、幸田露伴などを買い集めることになって行くわけです。
 ちょっと珍しいのから、鑑賞に足る本まで多々ありますが、それらは追々ご紹介致します。
 今日はこの辺で。

太宰治「女生徒」 「女生徒」(表紙&奥付)






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後味の悪い夢

 時間とは、空間の質量、空間の性質、及び、その空間にある平面の性質によって支配されていると聞いたことがある。
 私が今居る場所と、あなたが居る場所とは、同じ時間を共有してはいないのかもしれない。局地的に、ごく小規模な単位の空間の時間を比較すればそういうことなのだろう。私室に留まる私、街中にいるあなた、見晴らす丘に立つ誰か。
 測定する空間の規模を広げていけば、その差異は小さくなり、時間は平均化する。だから、私とあなたは同じ時間に存在すると考えても良いのだろう。
 けれど、見ているものは違う。たとえ、同じ物体、同じ現象を見ていても、違うものを見ている。それは時間の差異ではなく、思考の差異、認識の差異。
 空間は広げれば平均化する。しかし、これらはどうだ?平均化することがあるのか?
 街を行く人の思考を映像化できるとしたらどうだろう?第三者の思考や認識を自分の脳内で感知識別できるとしたらどうだろう?眼鏡やヘッドフォンのようなものでそれができるとしたら。
 「あなたの思ったことは聞こえていますよ。」
 突然、後ろの見知らぬ人間に肩を叩かれるとしたら。
 思考は脳内に流れる電気の一種によってニューロンを通り伝達される。電気信号であるなら、それを途中でインターセプトすることも、サーチすることも可能であるはずだ。それどころが、それを映像、仮想立体とすることもできることになる。
 かつて、そんなアニメがあった。当時、夢中になっていた。自分の想像力をエネルギーに転換し、同じ認識を他人と共有させ、現実にそれがあるかのように知覚させる。意識下層におけるマインドコントロールではなく、知覚においてのバーチャルコントロール。
 人が想像できるもので不可能なものはない。本当に不可能なことは想像することもできない。それ故に、人は空路を拓き、深海を旅し、月や火星にまで足を延ばせるようになった。クローン細胞によって生命を生み出すことも可能になった。そのうち、元素をかき集めて空間から人間を造り出すかも知れない。化学的に分析すれば、プラスティックと人間に差などないのだから。
 その次は、心にちがいない。心を外部視覚化し、さらに、制御する。そんな時代がやってくるかもしれない。そうしたら、人は認識を平均化し、平和に暮らすことができるのだろうか?各個人が個人ではなく、各個体となることで、平和はもたらされるだろうか?
 では、その平均化した認識は、その原始の認識は、誰の認識であるのか?世界で唯一人の認識が世界の平均になる。その一人は神となる。それを、「滅び」と呼んだらデリートされるだろうか。バグとして。


 アニメのような馬鹿馬鹿しい夢を見た。後味の悪い夢だった。
 
 
 

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不器用でも、頑張るほうがいい

 開口一番に「P.A.Works 」と言って、すぐにわかる人はアニメ通の方のみでしょう。
 少し説明させていただきますと、P.A.Works 代表の堀川憲司さんは、スタジオ・ルック、竜の子プロ、ProductionIGの作品制作に加わり、1997年に真下耕一さん(竜の子プロ出身)とビィートレイン(ツバサ・クロニクル、エル・カザドなどを制作)を設立。その後、2000年に越中動画本舗株式会社(現、P.A.Works)を設立して、現在まで良質のアニメを送り出しています。
 P.A.Works の主な参加作品は、鋼の錬金術師、スクラップド・プリンセス、攻殻機動隊など。シンエイ動画、ProductionIG、ボンズからのグロス請けが多いです。元請けでは、Angel Beats、CANAAN、true tearsです。

 で、何の話をするかと言うと、TokyoMXなどで今年4月3日から放映が開始されている、そのP.A.Worksの初の完全オリジナル・アニメ「花咲くいろは」の話です。既に第9話まで放映されております。

 ストーリーは「いいかげんな母親の思いつきで、東京から遠く石川に引っ越すことになった松前緒花。行先は祖母が経営する老舗の温泉旅館『喜翆荘(きっすいそう)』。様々なカルチャーギャップに戸惑いながらも、旅館で働く同世代の女の子や先輩たちと共に、新しい生活に馴染むべく悪戦苦闘を繰り返す緒花たちの日々を描く、温泉青春ストーリー」という風にDVDの宣伝では紹介されています。この説明ではよくわからないですよね。
 ちょっと補足しますと、上記で「母親の思いつき~」とありますが、実際には、母親の夜逃げが原因で、全く面識がない祖母のもとに預けられ、そこで仲居として住込みで働きながら学校に通うことになるわけです。その緒花が、ぱっとしない温泉旅館を盛り上げるために不器用ながらも前向きに努力するという、少女版「細うで繁盛記」(*注)と言ったところでしょうか(かなり古くてごめんなさい)。見ていて小気味好い作品です。

 最近のアニメは、異世界だったり、覚醒したり、時空超越だとか、近未来だったり、戦闘ものだったり、エログロとか、H系萌えとか、そんな作品が多いのですが(それはそれで良いのですけど)、個人的にはそういう種類のアニメに疲れてきました。
 「花咲くいろは」では、そう言った派手な設定はありません(アニメですので、やや奇抜な事件はおこりますけど)。簡単に言ってしまえば、NHK朝の連続テレビ小説みたいなアニメです。
 実写では出来ないアニメならではの美術手法を生かして、非常に丁寧に作られています。伊達に「P.A.Works 設立10周年記念アニメ」と銘がうたれているわけではないですね。
 ごく地味な題材を、メリハリをつけて、本当にうまく処理しています。曖昧な役柄もなく、それぞれのキャラクターが自然に動いています。監督の安藤真裕さん、脚本・シリーズ構成の岡田麿里さんの息があって、充分に力を発揮できている感じです。ストーリー自体はテンポ良く進みますし、強引な伏線の挿入を匂わせたりしないあたりが気持ち良いです。全体の人間関係は、徐々に馴染むという感じで無理なく進行していきます。作画の関口可奈味さんのキャラクターデザインも役柄の性格を良く表現しています。この御三方、「true tears」の時も感じましたけど、こういった精緻な人情もののアニメで、実に自然なコンビネーションでストーリーを組めると言うのは素晴らしいです。浜口史郎さんの音楽も良いですね。単なるSE的な音楽ではなく、登場人物や背景と合わせて浮くことなく場の雰囲気を出しています。音響監督、マジックカプセルの明田川仁さんの音作りや調整も流石です。また、「パプリカ」で絶妙な仕事をしてくださった美術の東地和生さん、ここでもやはり抜群の職人技を見せてくれています。下のスチールカットを見ていただければ背景などの美しさが少しは伝わるかと思います。
 と、製作側ばかりあげておりますけど、肝心の声優さんも素晴らしいです。主人公の伊藤かな恵さんはじめ、本田貴子さん、能登麻美子さん、浜田賢二さん、諏訪部順一さん、豊崎愛生さん等、やはり実力があります。中でも、特筆すべきは、女将役の久保田民絵さんです。1970年代初頭よりTVドラマや映画などで女優としてのキャリアを積んでいらした声優さんです。このアニメにおいてもキャリアが遺憾無く発揮されていて、動きが眼に浮かぶような台詞回しです。
 キャラクターボイスに、きちんとした声優さん(変な言い回しですが)を起用しているアニメって見ていて安心できますし、やはり面白いです。 声って重要なんです。C.Vの話題性、意外性だけでは作品の完成度を高めることはできないんです。

 主人公・緒花をはじめとする不器用な喜翆荘の人々と彼らを中心にして繰り広げられる悲喜交々の人生模様。接客におけるホステピタリティとは何か?誠意を以って接すればこその好意の返礼。相手と向き合う真摯な心。そして、義理。思考も習慣もデジタルに慣れ切った生活の中で、アナログの大切さを教えてくれるアニメです。
 どんなに上手に電子機器を使いこなしても、所詮、人は生身なのです。人間そうそう器用に生きられるものではありません。必死で頑張れば、不器用でもちゃんと伝わることもあるんです。人生、良いことも悪いことも半々。努力はそれなりの幸せを運んでくるものです。元気を出していきましょう。
 この「花咲くいろは」、SFやバトル系アニメなどに食傷気味の方には、さわやかなサプリ的な作品です。

  花咲くいろは「花咲くいろは」

 なんか番組宣伝みたいですみません。

(*注)「細うで繁盛記」
 1970年1月8日から1971年4月1日まで放映されたテレビドラマ(よみうりテレビ製作、日本テレビ系列放送)。大阪生まれの加代が、伊豆・熱川温泉の老舗旅館「山水館」の元に嫁ぎ、旅館を盛り立てていく物語。オープニングの「銭の花の色は清らかに白い。だが蕾は血がにじんだように赤く、その香りは汗の匂いがする」という主人公加代役の新珠三千代のナレーションが印象的でした。原作は、花登筺の「銭の花」。


 

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聖橋にて

 惘然と聖橋から流れのはっきりとしない川を見ていた。死んでいるのか、生きているのか判然としない川だな、と思う。トンネルを抜けて列車が駅へ向かう。万世橋の方に眼をやれば、わずかに残っている煉瓦壁が時間を押し戻そうとしていた。ノスタルジーを思い起こさせるには、それで十二分であるかのように。
 再び、俯くように水面を見た。澱んだ暗い水の上で銀色に光るものがあり、私はそれに眼を凝らした。死魚が漂っている。波紋の名残か、頼りない同心円がそいつを岸に押し付けようとしていた。進むようにも見え、止まっているようにも見え、また戻って行くようにも見えた。どうやってか動静を確かめようとその繰返しを飽かず眺めていた。
 人が往く。
 私は、のったりと浮かんでいる死魚のごとくに橋に留まる。流れていることにまかせ、気づけば岸に寄せられて、また運ばれる。その心地よさに馴れ合い、自己中毒的なドラマティックな演出を感じたいがために自分なりのペシミズムに酔おうとしている。
 「私もこいつと大差ないかもしれないな。」
 死魚は泊まっている。白く変色し薄汚れた平べったい体を歪曲させて波をやりすごしていた。
 - ここにも盲がいるぞ -
 不意に、行きずりの老人が唾棄するように喚いた。どこかで覚えのある科白だった。老人は変色した染みだらけの象牙色のオーバーコートを纏い、鼠色の作業ズボンと紺色の長靴には泥と枯葉が付着していた。往来の人ごみの中を、先にある見えない一点に牽かれるようによれよれと歩いて行く。
 橋を行く幾人が、今の彼の声を聴き取ったであろう。彼の肩越しに、湯島聖堂の緑青を佩びた屋根が陽を受けて鮮やかな光彩を放っていた。眼を落せば、死魚はまだそこにいた。
 老人の姿が見えなくなった頃、私は坂を下りて駿河台へと向かった。軒を並べる楽器屋が、けたたましい音楽を次々に放り投げてくる。しかし、そのどれも耳に残る彼の声を消すことはできなかった。
 高校生の頃、ここへは良く来た。あの頃、ここは夢がつまった場所であった。1本のギター選びに熱中し、楽譜屋を渡り歩き、中古レコード店を漁り、ティールームで戯言の音楽談義に耽った。心地よい熱病に侵されていた時代だった。こうしている間にも、街の其処ここに置き去られた自分たちの残留思念が見える気がする。
 今、店や街の移り変わりよりも、自分自身の変わりように心が痛み落胆する。記憶の中で止まっている時間。それが現実に動き出す魔法など、どこにもありはしない。年老いて行くだけだ。もう半分以上渡り切った。残る時間のほうが少ないのだ。改めてそう思う。高校時代の友人との交流は、もうない。どこでどうしているのかも知らない。知ったとしてもどうなることもない。会ってどうなる?懐かしむ以外には手段がない。現在の愚痴でも言うか、自慢話でも大袈裟に披露するか。それは無意味だと思う。自分を慰めるついでに、思い出したくないものまで掘り起こしてどうするというのか。過ぎたものはそのままにしておくほうが良い。諦めるほうが遥かに負担がない。そう、楽なのだ。
 古書店に立ち寄る。次から次へと眼にとまる本を引き出しては、数頁めくり、また元に戻す。何軒目かの書店。家を出るときに持っていたショルダーバッグの他に書籍を詰めた紙袋が加わり、足の疲れをひどく感じ始めた頃、川端康成の短編を手にした。そして、出鱈目に開いたその本の中、一節を見て私はほくそ笑んだ。

 『ここにも盲だ。手を引っぱって行ってくれ。』

 
 

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