閑話休題…署名本のこと

 僕は手元に自分の資料がないものは画像として極力引用しないことにしています。
 そうした中でブログを書いていてよく訊かれるのが本の署名のことです。
 「あれはどこからか画像をもってきてるの?」とか、「どうやって集めたの?」とか、或いは、「贋物と本物をどうやってみわけるの?」などです。

 本の署名について他から画像を引用することはありません。すべて僕がもっているものからご紹介しています。
 どうやって集めたのか?ですが、物故作家の署名を集めるのは難しいものがありますが、現在活躍されている作家のものであればそう難しくはありません。
 新刊発売日に大きな書店に行きますと、出版社から割り当てられたサイン本が並べられていることもありますし、作家のサイン会なども頻繁に行われています。また、サイン会に行かれなくとも、その翌日に行くと、余分にサインを入れたものが出ていることも多いです。

 僕が持っている物故作家の署名本は、以前に書いた「不思議な少女」の御祖父様から譲り受けたものが多いです。
 御祖父様ご自身が文学者で歌人であったことから様々な作家と交流があり、それらを経由して収集されたものを縁あって一部を譲り受けました。
 新しいものについては僕自身でサインを頂いたものや、送られてきたものが多いです。あとは先に書いた通り、立ち寄った書店で偶然に購入したものです。

 本物と贋物の見分け方ですが、本物を手に入れておくのが一番です。当たり前ですけど。
 今回、このブログを書くにあたって「サイン本」「署名本」「サイン、イラスト、直筆」などでヤフオクの検索をかけて眺めていましたが、やはり怪しそうなものがありました。
 見ていると微妙に違うんです。文字のバランスに違和感があるというんでしょうか。ですので細部まで字体を確認することがやはり大切だなと思います。

 署名は年代、筆記具によってスタイルが変わることがありますが、癖というのが全く別物に変わることはありません。筆の入り方とか、払い方とか、流れとかを注意することです。
 それから「落款があるから本物」という話を聞くことがありますが、落款が必ずしも真筆を証明するものではありません。いくらでも偽造できますから。署名の形と落款の関係を年代別にを整理しておくのも重要です。

 そこで最初の一冊の手に入れ方ですけど、まず書店でサイン本として販売されているものは信用しても良いようです。同じように「署名入り限定本」などもまず本物です。
 物故作家の署名については、なるべく真筆と思われる字体を確認しておくことをお勧めします。信用のおける古書店の目録など役に立ちます。
 少し高価ですが署名入り限定本を手に入れてみるのも良いでしょう。川端康成「定本雪国」、三島由紀夫「岬にての物語」(特装限定版)、石川達三「蒼氓」(特装限定版)など割と手に入れやすいです。

 献呈と識語についてもちょっとだけお話をしておきますと、献呈は文字通り相手に贈呈されたもので、○○様、○○兄(姉)と相手の氏名が書かれているものです。
 識語とは本来、その由来を書きとめたものを指しています。つまり「九段会館で行われた上梓祝賀会にて」とか、「○○書店、サイン会にて」とか言ったものです。
 ただし現在は署名の肩に乗せられた添え書きを含めて識語というのが一般になっています。
 遠藤周作先生は「教正」、辺見庸さんですと「潜思」、京極夏彦さんだと「怪」とか「河童」とかその小説に因んだ言葉を選んでいるようです。
 但し、これらが備わっているから本物ということでもありません。作るほうはこんなことは百も承知のはずですから。
 ですのでやはり真筆を知ることにつきるのではないかと思います(すみません、当たり前のことしか言えなくて・・・)。
 
 献呈で思い出しましたが、随分と前のこと、ある古書店で太宰治の署名本というのを見せていただきました。一冊は真筆で、もう一冊は贋物です。
 どこが違っていたかといいますと、贋物は「桜桃」(実業之日本社)の初版で、献呈名があり「織田作之助様」となっておりました。
 古書店のご主人は「面白いでしょう?」とにやにやしていました。
 「これはあるコレクターがまとめて売りに来たものなんですけど、いやあ、これが一番味がありましたね」と。
 確かに面白いです。
 「桜桃」の初版が出されたのは1948年(昭和23年)ですけど、初版の序にあるように「太宰治の遺作として」」出版されたものです。
 さらに献呈された「織田作之助」ですが、彼は1947年(昭和22年)に亡くなっております。
 ありえない署名本です。
 天国からFAXでメッセージが送られてきたと真顔でコメントした団体もかつてありましたから、そういうことも起こりえないとは言えませんが、常識的には考えられないですよね。
 まあ、これは極端にわかりやすい例ですが、初版の発行年、出版社、同時代の交流などについても知っておいたほうが良いと思います。

 でも、署名本って古書的にはそれほどプレミアがつくものではないんです。極一部を除いては、買い取りをしてもらう場合にもほとんど考慮されないことが多いです。それでも多少は上乗せをしてくれますが、期待しているほどには高値はつきません。

 署名本って、文字を見て作家を偲ぶとか、作品の世界により深く入り込むとか、そういった自己満足の域を決してでるものではないんですよ。
 ですから手に入れた一冊の真贋を問うよりも、署名があることで心が充実するというのであれば、それで良いのだと思います。大切なのは思い入れです。
 ですから、あまり高値で競り落としたりしないようにご注意ください。オークションって熱くなるとクリック一つで限界を見誤ってしまうものですから。

 いずれにしても価値があるのは内容であって、それ以外は単なるオプションなんです。専門の研究家やコレクターを除けば、さして拘るものではないと僕は思っています。
 
 
 
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有栖川有栖「闇の喇叭」

 僕は推理小説が苦手です。想像力がないのです。娯楽小説として江戸川乱歩も読みますし、アガサ・クリスティやエラリー・クイーンも読みました。しかし、性格に合わないようです。
 事件の動機については「どうでもいい」です。多少、理解に苦しむことがあっても、(空想上であっても)人のすることです。現実の事件においても理解に苦しむ動機など至るところにありますから。心意を察するまで相互理解を深める必要はないでしょうしね。
 問題はトリックにあります。
 古典的なミステリーにおいて出尽くしてしまっている感があり、近年に及ぶに至って、こじつけがましいを通り越して、もう「トリック」自体を無視しているだろう?という作品が多すぎます。作品によっては、最後に犯人がつかまるまで「当事者」が登場しないなんて馬鹿げているものもありました(「犯罪自体がなかった」というものもありましたが、あれはコメディとして面白かったです)。
 ヒューマンドラマとして内容に入っていけるものは好きです(例えば横溝正史とか)。つまり、一般の小説(文学小説というには気が引けます)に近い感覚で読めるミステリーは僕には「可」で、純然たる想像力で補うようなものは「不可」ということ。つまり僕はミステリーファンシャーにはなれないタイプです。
 で、今回は僕に不向きなジャンルの作品をご紹介します。

 有栖川有栖「闇の喇叭」

 闇の喇叭01 (理想社、2010年初版)

 初版は2010年6月に理想社から出ておりまして、マークデザインを施したプラスティック・カバーの下に、イメージ・イラストが描かれた表紙が別に設けられています。
 初版出版後、経緯についてはわかりませんが、作家と出版社の間で差し障りが生じて契約が解除され絶版となりました。各章毎に挿絵があり、装丁も凝ったつくりになっていたので残念です。しかし、翌年に講談社との出版契約が成立し、2011年8月、新たに加筆、修正を施して新版として上梓されました。

 物語は南北に分断された日本を背景にしています。北海道が旧ソ連(ロシア)の力により占領され独立したという設定になっています。
 その経緯については史実を基に脚色を加えて「序章」に記されています。
 この「序章」ですが、ぜひ真剣に読んでいただきたいと思います。そして、できれば他の資料を当たって、終戦を迎えるに至った日本の実情を、史実を知っていただきたい。日本が「平和に終戦を迎えた」などというのはまやかしです。「日米のコミュニケーションが上手く行ったため」にテロや抵抗戦が生じなかったなどという詭弁に惑わされることがないように。
 この「序章」における「日本の立場」は本作では社会背景の一つ(重要ではありますが)でしかなく、物語に大きな影響を与えているとは言い難い面もあります。しかしシリーズ化を見据えた下地としては充分かと思います。

 主人公は「空閑 純」と言う合唱部に所属する女子高生。父親は元探偵。その父を補佐していた母親はある事件を境にして行方不明になっています。この「母親探し」も重要な要素になっています。
 
 この物語のもうひとつの社会的特徴に「民間人による警察類似行為が禁止」されているという背景があります。つまり「探偵活動は違法」であり、両親とも法を犯している犯罪者として警察に追われているということです。
 父親がどのような事件に関わってきたのかは本作では触れられておりません。「いつか話をしよう」と言う約束のみです。従って母親の生死も不明のままです。

 闇の喇叭02 (中表紙&署名)

 物語は彼女の夢から始まります。

 …どこまでも続く薄ぼんやりとした闇。その奥に、さらに黒々とした、輝くばかりの闇があった。
 漆黒という言葉そのまま。幾度も重ね塗りをしたかのような暗さだ。
 ただそれを眺めている。
 一個のまなざしと化した自分。
 時間さえ果てた世界かに思えたが、そうではなかった。
 視野の中心に、何かが見える。闇に慣れてきた目が、何かをとらえようとしている。時間はながれているのだ。
 形も色も定かではない。しかし、少しずつ輪郭が見えてくる。闇の真っただ中。虚空に浮かんだ何かが。…

 彼女はそこで音を聴きます。凛然と響く喇叭の音を。
 この音がやがて不吉な運命の予兆になり、彼女の進軍の証となります。

 「奥多岐野」という寒村を舞台に2つの殺人事件が起きるのですが、その事件にはあまり意味がありません。推理もトリックも無理を強引に押し通したようなものです。付録的とも言えます。事件は、彼女に「決意」を与えるための契機に過ぎないのです。殺人事件である必要性もなかったでしょう。他の事件でも同じ結果を導きだせたでしょうから。

 では、何に主脈が置かれているかと言いますと、「空閑 純」という一少女が「探偵」を決意するまでの経緯にあります。
 「警察」とは何なのか、「探偵」とは何なのか。そして「探偵」は「警察」に出来ない何をなすべきなのか?社会や権力は何を守るべきものなのか?
 それらについての疑問と逡巡とを少女に投げかけて行くのです。

 探偵「ソラ」の誕生の物語ではありますが、本作では萌芽はあるものの「探偵」ではありません。あくまで希望としての、決意としての「探偵」でしかないのです。
 物語は主人公の帰結を語りません。宙に放り出すかたちで締めくくられています。事件が解決した後、村を離れたという事実で結ばれます。
 
 闇の喇叭03 (第4章挿絵)

 この中には3つの正義があります。ひとつは政体を維持するための強権としての正義。中央警察から派遣された「明神」が掲げる公的治安組織である本分としての正義。それから、探偵が追う警察に頼れない、或いは、法で裁けない正義。

 僕としては「明神」には共感できる部分があります。冷めた人間としてみられるようにポーズは取っていますが、職務としての正義感を強く秘めた人物です。「闇米は食わず」を貫いて死んだ裁判官の逸話を彷彿させる性格が読み取れます。

 「ソラ」シリーズは講談社において再開され、「真夜中の探偵」「論理爆弾」と続いています。どの巻から読み始めても良いのですが、彼女の起源について知っておいてもらったほうが興味がわくと思います。

 闇の喇叭04 (講談社、2011年初版)






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柚木麻子「嘆きの美女」

 嘆きの美女 (朝日新聞出版、2011年初版)

 「嘆きの美女」と言うブログがある。管理者が日常の日記をあげたり、「美女のお悩みレスキュー」と題された掲示板では自他ともに認める美女たちがネット上に集いその悩みを打ち明けたりしている。
 小説の主人公・池田耶居子は個人ブログに「揚げ足取りのコメントを大量に残し炎上させたり、個人情報を調べ上げたり、嫌がらせのメッセージを送ったり、ヲチ板を立ち上げてののしること」が生きがいになっている女性である。当然「嘆きの美女」をターゲットとし荒らすことを日々の糧にしていた。しかしその糧がこともあろうに長いこと更新がされずにいる。しびれを切らした耶居子は掲示板の書き込みから美女たちのオフ会の場所と日取りを推測し現地へ向かうことに決めた。それは「コンビニとTUTAYAとマクドナルド以外」では一年半ぶりの外出であった。もちろん単なる好奇心からではない悪意満々である。ヲチ板に彼女たちの素顔を晒すことが目的であった。
 ところが、とかく偶然と言うものは恐ろしいもので、「嘆きの美女」の管理人を狙うストーカーと現場で居合わせてしまう。正体がばれ逃走する男と揉みあいになり、ストーカーの身柄を確保するも交通事故に巻き込まれ耶居子は大怪我を負ってしまう。意識をとりもどし我に返った時には、なんと「嘆きの美女」の管理人の自宅で介護され、しかも彼女は小学校時代の同級生で親友であった。
 ちょっと主人公のご紹介をさせていただこう。池田耶居子、25歳。顔にはチョコレートやスナック菓子を大量に食べるため吹き出物が一面にこびりついている。汗染みのできたシャツを着替えることなく纏い、髪を何日も洗わなくとも気にならない。少し歩いただけで息切れがするほど運動不足で体重は65キロをとっくに超えている。「耶居子じゃねえだろ、お前はジャイコだろ!」と小学生のころ言われたことから察するに成長した彼女をイメージするのはそう難くない。顔の吹き出物を潰して「白い脂肪を絞り出す」ことと、それから「嘆きの美女」を荒らすことが生きがいなのは述べたとおり。
 その耶居子が捕虜同然に美女の世話になり、「楽な場所から世界を恨んでいた」自分の姿を受け止め、妬みの底にあったものに気づき、次第に自分に相応しい道を求めはじめる。また耶居子と暮らすことによって美女たちも自分が現状に甘えていたことを自覚し、自分自身や周囲の視線と向き合うことを決意していく、という粗筋。

 単純に面白いです。読み始めて2時間ほどで一気読みができます。特に深く感動するということもありませんが、ところどころ共感を呼ぶところもあり、さりげなく織り込まれた冗句には知らず知らずに笑ってしまったりもします。
 いわゆる「自分発見」の物語ですがお膳立てされた綺麗ごとの羅列ではなく、陰にこもった事件が起こったりもします。耶居子が自分の道をみつけるにあたっても順風満帆に進むかというと、別のアクシデントと身から出た錆によって阻まれたりすることでアクセントが加わって、終盤にだらけることもないです。
 耶居子が自分を卑下して美女を妬むことから「アラシ」を生きがいとしていた点について、個人情報の露出はともかく、「嘆きの美女」の書き込みについては「揚げ足取り」であって「中傷」や「罵詈雑言」の類ではないことが、物語のキーになっています。つまり口汚く罵っているように見えても「的を外していない」ことが最終的な理解への橋渡しになっているんですね。
 ただ物語中の美女たちが言うほど耶居子の書き込みが酷いとは僕には思えません。悪意があるにしてはスマートすぎますね。書きこんでいる耶居子自身が無意識に自分の防御を考えているということを匂わせているのかもしれませんけど。寸分の同意も得られない批判は却って自分を窮地に追い込むことになりかねませんから、敵愾心をもつ側の代表に留めているのでしょう。
 まあいずれにしろ「アラシ」の書き込みに対して、現実には当事者からそんな風に好意的には解釈はされないでしょうが、そういうことがあっても良いのではないかとは思います。
 
 2011年に初版が発行され、2013年1月にはNHK・BSプレミアムで実写ドラマ化もされています。ドラマの方はまったく見ていませんのでコメントのしようがありませんが、原作は疲れた時の息抜きに読むのに丁度良いと思います。
 部屋を片付けるにあたってツンドクの山から出てきた本ですが楽しめました。現状の僕にとって良いタイミングの本でした。

 この本の教訓、節度あるアラシは相互理解の懸け橋になります。それを踏み外してしまうとツルハシになって道はボコボコです。







 

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レディ・ジェーン・グレイのこと

 ランカスター家の悲劇の女王、レディ・ジェーン・グレイ。
 以前に少し日記でとりあげたのですが「何か良い資料があれば教えてください」とのご質問を数人の方からいただきました。
 ブログ拍手のメッセージに対する返信のやりかたがわかりませんので、こちらで返事をさせていただきます。

 国内でジェーン・グレイを取り扱った書籍は非常に少ないです。恐らくもう皆さんがご存知の書籍になってしまいますが3冊ほど挙げておきます。

 次の2冊は現在、販売されており、「英国王室史話」については中央公論社から上下刊で文庫化もされています。ただし、いずれもごく短い章中での取り扱いになります。

 英国王室史話 「英国王室史話」(森 護、大修館書店、1986年)

 薔薇の王朝 「薔薇の王朝」(石井美樹子、NTT出版、1996年)

 こども向けではありますが「九日間の女王さま」は本文295頁に及ぶ物語になっています(表紙の絵はどことなくアラブ風で僕としてはあまり好きではないです)。著者のカーリン・ブラッドフォードは英国王室史などの研究家であり、レディ・ジェーンに関する論文も発表しています。ただし、こちらの本はあくまでも史実をもとにしたフィクションです。忠実な部分もありますが、物語としての起伏をつけるために作者がイメージで話を創作している部分もありますし、処刑のシーンはドラローシュが描いたシーンをそのまま言葉に載せ替えています。

 九日間の女王さま 「九日間の女王さま」
 (カーリン・ブラッドフォード著、石井美樹子訳、すぐ書房、1991年)

 資料というよりもエピソードになりますが、夏目漱石の「倫敦塔」の中にも取り上げられています。

 倫敦塔 「倫敦塔」(小型本、大正四年、東京堂、鈴木三重吉編)
 

 僕が利用(所持)している外国の古書文献は次の通りです。
 
 LADY JANE GRAY. Bound with: TAMERLANE; JANE SHORE; THE FAIR PENITENT(John Bell., London 1791)

 Lady Jane Grey, a tale, in two books; with miscellaneous poems, in English and Latin.(London: printed by T. Bensley, for J. Mackinlay, 1809)
 
 Lady Jane Grey, And Her Times(London: Printed For Sherwood, Neely, And Jones, 1822)

 The Literary Remains of Lady Jane Grey with a memoir of Her Life (Harding, Triphook, and Lepard 1825)

 PORTRAITS OF ILLUSTRIOUS PERSONAGES OF GREAT BRITAIN Engraved from Authentic Pictures in the Galleries of the Nobility and the Public Collections of the Country. With Biographical and Historical Memoirs of their Lives and Actions.Twelve Volumes(Printed for Harding and Lepard, London: 1835. by the Printed by Willian Nicol at Shakspear Press 1835)

 FINE PROOF ETCHING BY GEORGE CRUIKSHANK, WITH HIS PRESENTATION INSCRIPTION.( Most probably an illustration from W. H. Ainsworth's The Tower of London 1840)

 The Signing of the Death Warrant of Lady Jane Grey(Publisher:Unknown,1848)

 LADIES OF THE REFORMATION Memoirs of distinguished female characters, belonging to the period of The Reformation of the Sixteeneth Century (Blackie & Son: London, Glasgow, & Edinburgh, 1857 & 1858)

 Pictures and Royal Portraits illustrated of English and Scottish History, from the introduction of christianity to the present time( London Glasgow Edinburgh Dublin, Blackie & Son ca. 1880)

 History of Lady Jane Grey( Glen Falls Printing Co., Glen Falls, NY 1896)

 The Nine Days' Queen: Lady Jane Grey and Her Times (Methuen & Co., London 1909)

 各書籍の発刊年代をご覧いただければ推察できると思いますが、1833年にドラローシュが描いた「レディ・ジェーン・グレイの処刑」が一大ブームを巻き起こしたことは想像に難くありません。
 各々にジェーン・グレイの肖像銅版画や木版、エピソード、伝記などの資料が散らばっているような状態です。これといった決め手になるような研究書は今のところありません。どれも同じようなことを書いているのが実際です。
 それはレディ・ジェーン自身が(聡明ではありましたが)あまり社交的な性格ではなく、教会の奉仕活動以外ではどちらかと言えば家にいることの方が多かったため行動の記録が少ないこと、その肖像画が確認されていないということが挙げられます。
 彼女は当時としては世間的にも知られた才女でしたので日記などがある程度残っていても良いはずですが、それもほとんど確認されていません。ですから彼女の裁判記録以外では、他者の日記や献詩などの記述(当時のものはそれほど多くはありません)、口伝えでの人柄や思い出話が中心となります。伝聞によるものは後世の作り話的なものが多く含まれています。他には彼女の直筆と写しの書簡がわずかに残されているのみです(写しに関しては後年の偽作の可能性もあります)。他の王室関係者に比べて残されているものが多くないため、真贋の取捨選択が困難であることは事実です。
 肖像画については、イギリスのナショナル・ギャラリーに隣接する王室ポートレイト・ギャラリーにあった「レディ・グレイの肖像」とされていたもの(現在、書籍などに掲載されているのはほとんどこの絵です)は、近年の研究(贈られた宝石類の記録と肖像画が身に着けている装飾具)からどうやら「ジェーン・シーモア」であるらしいです(キャサリン・パーの可能性も主張されてはいますが)。各地にある他の肖像画もこの絵をもとに描かれていたり、ジェーンの死後に彼女の母フランシーズの若いころの肖像画を元にして描かれています。それ以外では、彼女の処刑から数十年後に遺族(遠い縁戚者)の証言をもとにモンタージュ的に復元されたものとか、画家が自分のイメージで描いたものが大多数です。ダドリー家(?)の家系末にあるどちらかの公爵が肖像画を保有しているらしいですが門外不出のため実際には確認されてはいません(見た人はいるようですが画像の公表はされていません)。
 なぜこういった状況になったのかと言うと、レディ・ジェーンはクーデター、反逆罪に問われ斬首されていますので、彼女の肖像画や日記など遺品を所持するということ自体が反逆とみなされる可能性があったことが18世紀19世紀の論文中に挙げられています(ただし、この時点では先の王室ポートレイト・ギャラリーの絵はジェーン・グレイだと思われていました)。特にダドリー家に対する諮問はかなり厳しいものであったようです。ジェーンの相手がダドリーでさえなければ助命嘆願が受け入れられた可能性は大きかったとも言われています。
 さらに、イギリス王室は(当時を含め近代まで)彼女を正式の女王とは認めてはいませんでした(現在は正式に認知されています)。ですから「女王の肖像画」として描かれる(保存される)ことはなかったのです。
 しかし彼女の悲劇的な物語は、後年、民間の人気となり多数の複製画が描かれ、一部富裕層の間で高値で取引されることになります。中には古い肖像画に後から「Lady Jane」とキャプションを描きこんでジェーン・グレイの肖像として転売されたものも数えきれません。そういったことから彼女は「見えない女王」になってしまっているのです。

 洋書の方はそのうち折を見て読み返しながら整理をし、重要な部分は翻訳を交えながらブログ上でご紹介したいとは思っています。いつになるかはわかりませんが…。

 ご質問の答えになっていませんがお許しを。体調が良くないのでここまでで申し訳ありません。

 


 
 

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Magical Doors

 シシリー・メアリー・バーカーの仕掛け絵本についてはこれでひと区切りにします。

 ところで、何故に突然、シシリーの仕掛け絵本をとりあげたのか?ですが、今、仕事でちょっとシシリーのことを調べていまして、そのついでにご紹介しておこうかと思った次第です。
 本当は鎌倉の記事(これも仕事の取材で行ったものなのですけど)を続けるつもりだったのです。円応寺のことも中途半端になっていますが、それはまた後ほど。

 今回は「Magical Secret Garden」と「Flower Fairies Magical Doors 」の2冊です。どちらも童話仕立ての仕掛け絵本です。
  
 「Magical Secret Garden」

  Magical Secret Garden Magical Secret Garden (Fredrick Warne&Co、2010) 
 
 妖精の国についたばかりのリリーが、一枚の葉(この葉は外せるようになっています)に書かれた詩を頼りに妖精たちを訪ね歩き、最後に秘密の庭を見つけるというストーリー。
 途中に蝶やポピーの妖精などのポップアップがあり、最後に秘密の庭の入り口の扉と庭のポップアップがあります。
 国内版では、最後のポップアップにある星が小さなライトになっていて点滅するようになっています。

 secret02.jpg secret03.jpg

 「Flower Fairies Magical Doors 」

 Flower Fairies Magical Doors Flower Fairies Magical Doors (Fredrick Warne&Co、2009)

 「私はイヴィの友達のグレースです。イヴィから魔法の扉のことを聞きましたが、とても信じられませんでした。イヴィの家の中を何時間も探しましたが扉なんてどこにも見つからなかったのです。でも、それから数週間して、私をドキドキさせるものを見つけたのです…」

 magical01.jpg

 イヴィが見つけたという魔法の扉をめぐって展開される童話仕立ての物語です。
 見開きのドアを開くと妖精の足だけ見えたり、木の幹にある窓を開けると滑り台で遊ぶ妖精がいたりします。
 最後のドアの向こうでは妖精たちの舞踏会がポップアップで見られるようになっています。特に動くギミックなどがあるわけではありませんが、扉から引き出される舞踏会の広がり方は見事です。
 こちらの本は、鎌倉にある葉祥明美術館の絵本コレクションのコーナーにも展示されていました。

 magical03.jpg magical02.jpg

 今回、ご紹介しました2冊は、文字がデザイン化されているわけではありませんので、絵本として読むということに重点をおけば翻訳本の方が良いかもしれません。
 ただし、価格は洋書の約1.5~2倍になっています。製本や流通コスト、翻訳にかかる費用などを考えれば仕方ないのかな?とは思いますが、もう少し手の届きやすい価格にしてくれれば、と思います。

 シシリーの絵本はこれ以外に数冊出版されていますので、書店などでお見かけになられたら開いてみてください。詩画集とはまた違った世界があります。

 フラワー・フェアリーズリリーと秘密の手紙 (みましょうこ・訳、大日本絵画、2011)
 フラワー・フェアリーズ 魔法のとびら(みましょうこ・訳、大日本絵画、2010)

 ≪葉祥明美術館≫ 神奈川県鎌倉市山ノ内318-4

 葉祥明美術館

 すみません、ここのところ体調が思わしくなく、何か手抜き記事になってしまいました。言葉足らずの部分は、できれば日を改めて少しずつ補筆などしたいと思っています。
 また、シシリーの彩色挿絵入りの絵本「THE LORD OF THE RUSHIE RIVER」(1936年)のご紹介もしたいのですが、現在、貸出しておりますので、そちらも戻ってきましたら、他の本と併せて掲載する予定です。


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