枕元の本

 病床の中で一冊の本を手に取った。それは決めて探したものではなく、たまたま手に当たった程度のもの。表紙を眺めながら僕は思った。
 「二つの結婚?なんだ、生田春月か。」
 別にこれと言った目当てもないし、身を起こして他の本を探すのも面倒だったのでそのまま読み進めることにした。

 小説のなかに置かれた一句が心に飛び込む。

…人の世はとまれかくまれわれはわが正しき道を行かんとぞ思ふ

 正しさとは何なのだろう。相対的なものではなく、絶対的な正しさを手に入れることはできるのだろうか。
 賑やかな場所を好まず、酒に乱れるの嫌い、狭い書斎で本を手に取って暮らすことを願っていた春月。

 著書「眞實に生きる悩み」の中に次のような言葉が綴られている。

…人間一人が世の中に立つて生きて行くといふ事は、もうそれだけでなかなか容易にならない事である。まして、少しでもごまかしのない、立派な、第一義に即した生き方をしようといふのは、私などのやうな凡人には到底望まれない事かも知れない。けれども始めから不可能の事と定めてしまつて、それを断念する事は、為したくもない事であるし、又為してはならない事であると思ふ。…

 今夜、雨のあがった隙間から、生田春月の言葉が聞こえたような気がした。

 「晴天のなかに星を探すようなものですよ。しかしそれは確実に輝いている。同じように、私の探す星は、私の心の濁りのなかに存在しています。」
 
 砕かれた宝石が美しい反射をみせるように、花火が瞬時に燃え尽きるように、砕かれた心も美しいのかも知れません。そして砕かれたものは常に悲しいのです。
 たぶん僕は病床になければ、春月を手に取ることはなかったか、もっと先のことであったと思います。偶然は必然が生み出す魔法の一つです。

 
 
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書斎机の七冊目、「草木塔」種田山頭火

 昭和15年9月21日の山頭火の日記にこうあった。

 …近年、私はつつましく餘りにつつましく生活してゐる。それは内からの緊縮もあるし外からの壓迫もあるが、ともかく私は自粛自戒して居る。
 今後、私は私らしく私本来の生活をつづけるであらう。ただ省みなければならないのは無理をしないといふことである。無理は不自然である。不自然は長くつづくものでもなく、またつづけるものでものない。…

 図書館で僕は山頭火を広げている。
 君は僕のすぐ隣で「ノンちゃん雲に乗る」を読んでいる。
 ふたり、まったく違うものを選びながら、同じ時間を過ごしている。しかし同じなのは壁に掛けられた時計の進み具合だけで、実際には僕と君の時間は異なっている。その誤差はどれくらなのか、と思ったりする。アインシュタインなら解けるのかな。
 君と僕の距離は、そう、30センチほど。僕がちょっと体をずらせば君の肩か腕にぶつかる。君は読書の邪魔をされて迷惑顔をするだろうか。
 時折、君がつく吐息の澄んだ匂いがしてきて、僕はそれを吸い込むことに恥ずかしさを覚える。
 間接キスというのものがあるのなら、きっとこれもそれに含まれるのかも知れない。僕のなかで葛藤が生まれている。本に集中できないのが煩わしい。君は何かに煩わされている様子もなく、軽やかにページを捲る。それを覗き見する勇気も僕には生まれて来ない。君と眼を合わせるのが怖い。
 僕と君はこんなにも違っている。この不自然はどこまでが「無理」なのだろうか。考え続けていると僕は思考を失くす。いっそのこと僕自身が消えてしまえれば万事自然に収まる気がしている。
 今、君に知られずにこの空間にある君の吐き出した息だけを、すべて胸に吸い込むことができたなら、僕はきっとそうしている。誰にも知られないままに僕のなかの澱みが濃くなる。
 どうすることもできずに僕は窓の外を伺う。好く晴れた空が見え、揺れるポプラの梢から小さな鳥が影になって散らばって行った。
 君が僕に気づいた。
 「どうしたの?面白くないの?」
 君は何を知っているのだろうと問いかけたくなるけれど、また、途方に暮れて言葉が引き返してしまう。
 「いや、咽喉が乾いたんだ。ここの空気が乾燥しているせいかな?」
 君が本をパタンと閉じる。それはまるで一度も開かれたことがなかったかのように行儀よく小さく、二枚貝のように固まった。
 「山頭火の草木塔ってあるじゃない?読んだことあるでしょう?そこにね、こんな句があるのよ。憶えてるかなぁ。」

 また見ることもない山が遠ざかる

 「たった一度きりの名残を惜しんで去る場所があって、もう一度と思い続けながら行かれないままに終わってしまうこともあって、そう言う事って特別なことではないでしょう?この二つの違いは何だと思う。ねえ、窓から見えている景色のいったい幾つぐらいを私たちは実際に見たことがあるのかしら、そして、この先、見に行かれるのかしら。それは楽しみであり、不安でもあり、考え続けていると少しずつ不安の方が容量を増して行くの。だから私はこう思うの。人は不安なしで生きることはできないって。それが自然なんだって。」
 (ああ、君は気づいていたんだ)と思った。僕は自分を持て余してしまう。
 「イワタにホットケーキを食べに行かない?土日じゃないから、たぶん並ばないで済むはず。私、お腹が空いちゃった。」
 (ここから小町通りまで歩けばクールダウンのための理想的な時間が得られるね。)
 僕は胸のなかの自分にそう囁いた。
 「君はすごいね。」
 心底感心して言葉が零れてしまった。
 「えへっ」と君は不二家の人形の真似をして笑顔を作る。
 図書館の外は十分に高い日があって、10月終わりの草陰からは蟋蟀の鳴く声がしている。
 (憶えてるかなぁ。)
 君の声を借りて胸のなかで問いかける。
 「海を見ることは夢をみているのと同じ気持ちがするって言ってたよね。僕はこうしているとその海を前にしているような気がしてくるんだよ。」
 先ほど読んでいた山頭火の日記の後を思い出す。

…めづらしく宵寝。いろいろの夢を見た。時々眼がさめて孤独の思ひが澄みわたつた。身に迫つてちんちろりん。蟲も淋しいのだらう。…

 分かれ道と言う標識が見える。それは真逆から来ているのでふたつの道がそこから合わさっている。同じ道を歩いている者が別の道の合流に出会う。行く先が一本に見えるその道も、紛う方なき分かれ道。彼女の言った山頭火の句集から一句拾い上げる。

 まっすぐな道でさみしい

 横目で見て、あと半歩動くことが出来ず、踏み入れることのなかった道の先になにがあったのかは永遠に知ることはない。それは知る必要もない。天秤に置けば、不安と希望と悔恨は同じ重さなのだろうと思う。それを傾けるのは自分自身。
 秋空を仰ぐ。今週末は雨も降らなさそうで絶好の行楽日和となりそうだ。人で溢れ返った小町通りは、並んでもホットケーキは食べられないかもしれない。ホットケーキにたくさんの生クリームをつけてフォークで運ぶ君の顔は、数分後には現実になるだろう。
 清献公が僕を力づけてくれた。

 …好事を行じて前提を問ふなかれ。

 「それでもたぶん、まっすぐな道は寂しいんですよ。あなたもそうだったでしょう?」と、僕は君に届かないほどの声で風に呟いてみた。

 本の扉を開くたびに聴こえてくる、遠い昔の話です。

・「草木塔」種田山頭火 昭和15年 八雲書林(初版)
・「愚を守る」山頭火遺稿 昭和16年 春陽堂書店(初版)

 草木塔


 佐伯から「写真にちょろっと出てる本の分だけでも書けば完成!ってことで無理をしてくれ」と言われました。僕が病床でボケないようにという配慮なのでしょう。あらかじめ書くことは決めてあったので、体調の良い時間を利用して書いてみました。
 でもね、佐伯、生きていることそのものが病床というステージにいることなんだよ。僕は病床でボケるんじゃなくて、もともと頭が悪いんだよ。あとでそうメールで送っておこう。
 
 
 
 

 

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書斎机の六冊目、「真珠島」三木露風

 近年、蜻蛉の数がめっきり減ったと言う話をよく耳にします。
 オニヤンマやギンヤンマは僕が子供の頃から珍しく、憧れの対象ではあったけれども、ナツアカネ、アキアカネ、ショウジョウトンボなどの、通称アカトンボは激減していると聞きました。原因は様々なものが複合しているのでしょうが、元を辿ればすべて人間の生活という事に行きつきそうです。生きて行くためには何かを犠牲にしなくてはならないのは当然としても足ることを知らない開発や欲望は、いずれ自身をも滅ぼすことになります。
 永遠に進化し続ける生物など有り得ないのです。進化の終着地点は滅亡にしかない。人間は傲慢に過ぎる。僕はそう思っています。未来の不幸を望むものではないけれど。

 真珠島

 その人は冬の終わりとともにやってきた。

 「春の草は赤ん坊の匂いがしますね。」
 「日傘がないと町を歩けません。日傘を持っていますか?」
 「夕方から雨になりそうです。椋鳥が家路を急いでいますから。」
 その女の人は公園のブランコに腰かけて、相手もなくいつも同じように話しかけていた。近所の人たちは彼女を見ると避けるようにして小声で子供たちに警告を与えた。
 「あの人は狂ってるから近寄っちゃダメだよ。殺されちゃうよ。」
 僕は大人たちのその言葉を信じた。彼女がブランコにいる時はひとりきりで公園を抜けることはせず、遠回りをして家に帰った。

 春某日、入日射す公園で僕は遊び相手もなく影を飛び越して遊んでいた。桜の花弁は風に巻かれて翻るたびに茜色に光ってくるくると廻り、灯り始めた街灯が心なしか青ざめた色をそこに投げかけていた。

 …夕やけ、小やけのあかとんぼ 負われて見たのはいつの日か…

 とても澄んだ歌声だった。どこから聞こえてくるのだろうと四囲を見回すと、いつものようにブランコに揺られている女の人がいた。先ほどまでいなかったその人の歌声は、狂った人の声とは僕にはどうしても思えなかった。

 …山の畑の桑の実を 小籠に摘んだは まぼろしか …

 僕は小さな声でその歌声に合わせた。すると彼女は僕の方をみて静かに微笑み、節を繋げた。

 …十五で姐やは 嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた。…

 僕の声は少しづつ大きくなり、それに倣うかのようにして彼女との距離は縮まっていった。

 …夕やけ 小やけの あかとんぼ とまっているよ 竿の先 …

 歌が終わりかけた頃、僕は彼女のほぼ真正面に立っていて、彼女はもう一度、「とまっているよ 竿の先」とゆっくりと繰り返した。そして、となりのブランコの座板を指さして「座って」と聞き取れないような声で言った。僕は何も考えず、するっとそこに腰をかけ、正体無く足をぶらぶらさせた。
 初めて間近で聞いた彼女の声は、まるで子守歌のようだった。
 「私は狂ってるから近づくなって言われているのではなくて?私が怖くはないのかしら?」
 僕は答えずに自分の影をズック靴で幾度も擦った。

 彼女はまた歌いだした。

 …鶯、鶯、お姫様、黒い衣をかぶせられ、とまり木にとまって、ひとりぼっちでねむります。さてもさみしい鶯が、夜見る夢はなんであろ。駕籠のむこうに夕星が、ちろり、ちろり、またたいた。またたいた。…

 初めて聞く歌だった。どこか不思議な節回しで、それは出鱈目を歌っているようだった。この時は全部を覚えてはいられず、黒い衣を被せられひとりぼっちで眠るという情景だけが心に残った。
 歌い終わった彼女はこう話しかけてきた。
 「私は卵を抱っこしているのよ。小鳥の巣から落ちてしまって、もう雛にはならない卵をずっと抱っこしているの。見たい?」
 僕の眼を本当に穏やかに見つめてきたので、それに誘い込まれるように「うん、見たい」と答えた。すると彼女はセーターの首を左手でほんの少し引っ張るようにして、右手で大切に手繰るように銀色の細い鎖を引き出した。その先にはガラスなのか、水晶なのかわからなかったけれど透明な小さな卵がついていた。
 僕はそれをしばらくの間、じっと眺めて、こう答えた。
 「それは小鳥の卵じゃないよ。ガラスだよ。そこから小鳥なんか出てこないよ。」
 彼女は両の掌でそれが夕風にあたって冷めてしまわないよう包みながら「これは卵よ。私は鳩の生まれ変わりだから、ずっとこれを温めていないといけないの。これが雛にかえる頃、私はやっと幸せを見つけたことになるの。」
 僕には彼女の言っている意味が理解できなかった。そして、「やっぱり狂ってる」と思った。以後、二度と彼女に近づくことはなかった。公園の植え込みでカンナが燃えるように咲き始めた頃、姿が見えなくなった。6歳の時の話である。

 高校3年になろうとする春休み、僕は長崎にいて、そこで立ち寄った図書館で一冊の本を見つけた。
 三木露風の「真珠島」。
 初めて見る本で、彼が「あかとんぼ」の作者であることは知っていた。
 一頁ずつ丁寧に目を通した。五月、きりぎりす、夏のをどりと読み進めて頁を捲った時、「山づたひ」という詩をみつけた。

 …ひとりさみしい山づたひ、わたしはけふもさがします。見たことのない「幸せ」を。…

 読み進めた最終節の「わたしは鳩の巣のそばで、鳥の卵を抱いていた。涙ながらに抱いていた」というフレーズで僕の記憶が開いた。そして読みづつけた先、もう巻末に近いところに「夏の鶯」という詩があった。

 うーぐいす、
 うーぐいす、
 駕籠の鳥
 啼いて啼いて啼きとほして
 日がな一日啼きとほして
 あかるい夏の日が暮れる。
 
 うーぐいす、
 うーぐいす、
 谷わたり、
 里のお山がこひしかろ
 山には赤い百合がさき、
 樺の林に日がおちる。

 この詩を読み終わった時、僕はやっと理解した。あの人は狂ってなんかいなかった。悲しいほどの理想を温めすぎていたのだと気が付いた。
 彼女は、誰かに話しかけられることを、触れられることを、自ら拒絶していた。その透徹した悲しみと強さとが僕を襲った。
 この詩の最後の一節こそ、あの時に彼女が歌ったものだった。
 あの日、彼女が口にしていたメロディが本来のものであったのか、もともと曲などついていなかったのか。不思議だったという印象しか思い出せもしないあの節回しは、彼女が生んだ音だったと考えた方が自然に思える。
 記憶の黄昏に沈んだその面輪を呼び起こせもせず、ただ錆び付いたブランコだけが僕の過去で夕闇に揺れている。彼女の幸せの結末も、そしてそのメロディの真偽も、僕は知らない。誰かが教えてくれる日を、今度は僕が待ってみようと思う。
 僕の自分勝手な満足感でしかないが、彼女があの卵を温め続けている限り、彼女は幸せであったはずだと思っている。そしてそれが、僕が呵責から逃れるための嘘であることも知っている。

・「真珠島」三木露風 大正10年 アルス(初版)


 これで一先ず終わりにします。ちょっと調子に乗りすぎたようです。身体がきつくなってきました。中途半端で申し訳ありません。
 また機会がありましたら再開したいと思います。


 
 

 
 
 
  

 
 
  
 

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書斎机の本のこと。

 僕の書斎机には最近のお気に入りが10冊ほど並べてあります。
 ここは割と頻繁に本が入れ替わり、その基準は「今、読みたい」と思っている本です。それから割と最近に購入したもので優先順位の高そうなもの。そして、読まなくていけない本・・・。これは目につくところに置いておかないと永久に扉が開かれないどころか、催促されても忘れ去られてしまいます。自分で望まないものはそんなものです。

 今回、病床で寝ている時間が長いこともあって日記をあげるのにもそれほど苦労しておりません。つまり時間を持て余しているのですね。仕事をするには思考力も体力ももたないので、6割を仕事に振って余った分をこちらに回している感じでしょうか。
 一冊目のことを書いた時は、まだ術後の痛みがあって内容的には甚だ乏しい感じになってしまいました。今は痛みも少し軽くなり、自由に起き出すことができるようになりました。
 写真は手術前に6冊目までは撮り貯めしておきましたので、それを使っています。
 佐伯から「書いてみてよ」と言われた時の状態のままの書斎机。その時に並んでいた本を対象にしました。
 書籍のご案内ではなく、「お前の書斎机の物語」であるので、本の粗筋等については触れません。取り上げたものは書籍の表題になっている作品を主としました。
 川本三郎さんだったと思いますが「本を読んでもらいたいと思ったら、本当は内容には触れないほうがいいのですよ」とおっしゃっていらしたことがあります。粗筋などを書いてしまったら読んだ気になって手に取ることをしなくなる可能性の方が高いのかも知れません。

 一度目と二度目の手術の合間にどれほどの日記をあげられるかわかりませんが、佐伯が「あとで手作りの冊子にするんだから、なるべく早めに書いてくれよ」と言っていたので、それに応える努力はしようと思っています。「来週の鎌倉」には到底間に合いそうもありませんが。
 もとより日記ですので不備はあって当たり前ですし、ない方がおかしいのですが、冊子に綴じる時には少し手直しをしたいです。ホッチキス止めの手伝いはしますので、そのくらいの時間はもらいたいですね。

 本は自分が過ごした時間の中の栞のひとつです。
 どんな本にもささやかなエピソードがあります。それは語るにも値しないかもしれません。自分でも忘れてしまっていることもあります。それが何かをきっかけにして記憶を持ち上げることがあります。そのためにも僕は手の届くところに本を置いておきたい。
 重くて、場所を取って、携帯性も劣っていて、何よりも高価。それでも自分の手で、耳で、匂いで、目で、実感できるということを僕は大切にしたいのです。
 すべての本を手元に残す必要はありません。そんなことは土台無理です。不要な本は手放します。手放さくなくてはなりません。それを読みたいと思った時に買い直すのも良いし、なかなか見つからない本を探し求めるのも楽しみのひとつです。
 一度手放した作品を読み直した時、手を離れて行ったことに納得することもあれば、「今一度、同じ本を」と思うこともあります。
 人の手から手へ、流れて行くのも、やはり実体が存在するからだと思います。
 時代遅れの僕は、様々な残留思念と共に暮らします。書棚に並べられた「過去」は、手に取る時、僕の「現在」に生まれ変わるのです。
 古色ある扉の世界は、「いつも新しい」、そう感じています。

 
 
 
 

 

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書斎机の五冊目、「一目小僧その他」柳田國男

一目小僧その他

 …笛の調子高く歌は低くして側にあれども聞き難し。日は傾きて風吹き酔ひて人呼ぶ聲も淋しく女は笑ひ兒は走れども猶旋愁を奈何ともする能わざりき。…

 「こんにちは。私のこと憶えてます?」
 入学式の翌日、図書室で本を広げていたら女生徒に唐突に声をかけられた。
 僕は声の発信源を見極め、少し眉根を寄せるようにしてその顔を見た。
 「その様子では忘れてしまったみたいね。小学校で一緒だったでしょう。Sです。思い出せますか?」
 僕は黴に分解され水に戻りつつあった小学校の記憶を掬った。触れれば溶けて無くなるそれは指からぼろぼろと零れ落ちて行くようだったが辛うじて滓のようなものが引っ掛かった。
 「うん。憶えてる。本屋で会ったよね。」
 「そうそう、夏休みの宿題。それからね、二次募集の試験の時、同じ教室で受験してたのよ。声をかけようと思ったのだけど、T君、腕枕して寝たふりしてたし、何よりも試験前だからやめておいたの。」
 僕は軽くお詫びをして、また本に向き合おうとした。すると彼女は隣に座っていいかと尋ねてきたので邪険にする気概もない僕はそれを心ならずも了承した。
 「隣でごめんね。ここのテーブル無駄に大きいから向かい側だと話せない」とSさんは笑った。
 僕は意識的に一番広い机を選んでいたのだが、それが彼女に都合の良い言い訳を与えてしまったことを少しばかり後悔した。
 それから彼女は僕の読んでいた遠野物語を覗き込んでこう言った。
 「遠野物語って遠野の物語であって、遠野物語っていう物語じゃないよね。」
 ここで僕は初めてSさんを会話の対象として捉えたと思う。それはあまりにも適切な表現だったので。
 遠野物語は面白くないという人が多い。先だって「絵本遠野物語」刊行の折にお会いした京極夏彦さんも同様に笑い話がらみでそう話していた。
 柳田國男の「遠野物語」は小説ではない。広い意味で文学作品ではあるかも知れないが、あれは遠野地区の説話伝承を纏めた研究報告書であり、文字通りの物語として取り付くと半分も読み切ることはできないと思う。論文の一種であってファンタジーのようなものでは決してない。あくまでも主役は遠野の風土である。そして、この書におけるもっとも美しい描写は、(冒頭にあげた)序にある一節だと思っていると、僕は彼女に力説し、同じように彼女も手ごたえを返してきた。
 そして僕に一冊の本を紹介した。
 「妖怪、化け物って遠野に限らずご当地色が強いでしょう?全国共通ってわけじゃなくて、割と地域限定みたいなのが多いじゃない。それを一つ目小僧を例にしてその象徴的意味や慣習、禁忌に触れて論述している本があるの。すっごく面白いから読んでみて。明日、持ってきてあげるね。」
 人から本を勧められるのは好きではなかったが、彼女の眼があまりにもキラキラしていたので僕はその勧めを断り切れずに「また明日、ここで」という約束を交わした。

 下校途中、僕は彼女の言ったご当地色の強い妖怪のことを考えた。

 「うおぉお!」
 「ぎゃあっ!何だお前は??」
 「俺様は青坊主というものよ。」
 「青坊主?ここらでは聞かねえな…。いってぇどこからきたんでぇ?」
 「安房の國から参った。」
 「そりゃまた随分と遠いところから。でもなぁ、駄目だよ、よそ者がこんなことしちゃあ。驚くじゃねえか。ここらあたりには唐笠小僧ってぇ、きちっとした化け物がいるんだ。そこんところを間違えちまっちゃあオシメエよ。里に帰って精進しねい。」
 とこんな具合に郷里に返されてしまうかもしれない。地元でなら井戸の鶴瓶が揺れるだけで怯えてくれるほど知名度があるのに残念なことだ。千載集所収の藤原公任の歌のように名前だけでも言い継がれればその畏れは後世にも残る。
 現代であれば「妖怪XX、出現の北限が拡大。江戸でも目撃例!」などとクマゼミを井之頭公園で見つけたかのように即日宣伝をしてくれるかもしれないが、瓦版は局地的だし、遠方にあっては当時もっとも早い伝達手段は早馬による飛脚である。しかも国道も舗装整備されてはいない。話にならない・・・。
 つまり伝承として畏怖が語り継がれるからこそ発生する当該地域における効果というものが確かにあるに違いない。同時にそこには必ずその理由が存在している。そう思ったら彼女が持ってくる本が楽しみになった。

 柳田國男は「一目小僧その他」において「自分が特に意味が深いと思ふ點は、此妖怪が常に若干の地方的相違を以て、殆んど日本全島に行亙つて居ることである」と調査対象とした動機のひとつをあげている。
 妖怪であっても調査するにあたっては標準化石ならぬ標準妖怪のほうが他の妖怪とも比較しつつその地方の風俗習慣を解き明かすのに都合が良いと言うことだろう。この本は彼女のお勧め通りに興味深いものだった。

 つい最近のことになるが、古書店でこの本を見かけた。
 土壁を思わせる和紙の貼函を手に取り、クロス張の本冊をとりだして一頁目を開いた。

 …今まで気が付かずに居たが、子供の國でも近年著しく文化が進んだようである。自分は東京日日の為に一目小僧の話を書きたいと思つて、先づ試みに今年九つと六つになる家の娘に、一目小僧てどんなものが知つてるかと聞いてみた。…

 少し嬉しくなって、とても懐かしくて、思わずレジに差し出してしまった。
 そしてSさんが再会した時に言った言葉を思い出した。
 「全然、本を読まなかったT君が本の紙魚みたいに張り付いてるのが不思議です。たかが3年くらいなのに、将来なんてわからないものね。」
 そう、一秒先は闇。もとい、一秒先さえ予測不可能。コンマ1秒のなかにも選択肢は無限にある。要は自分が、周囲がどう動くかなのです。まして3年もあれば…。



・「一目小僧その他」柳田國男 昭和9年 小山書店(初版)
・「遠野物語 増補版」柳田國男 昭和10年 郷土研究社(初版)
 


  

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