蜩の道

 朝、目覚めたら窓を開ける。木犀の香りを織り込んだ風が僕をすり抜けて行く。北鎌倉に降り立った時のことが思い出され、秋は来ていると感じる。僕に触れて行くこの風は猜疑心を生まない。眼に映らないものの存在を信じられる瞬間はこんなところにもある。大切なものはいつも簡単で身近だけれど、それに気づく頃には手遅れになっていることのほうが多い。

 僕は一日を始動させるためにリビングに向かう。階段を降りるのが少し面倒くさい。熱のためか、痛みのためか、そのどちらのせいでもあり、そのどちらのせいでもないのだろう。単に気が進まないだけだ。この答えも常に単純であり続ける。テーブルに着き、良く冷えたオレンジジュースを一杯、友人から貰った琉球硝子のグラスに注ぐ。手作りの、歪で座りの悪い、無骨な円錐形の、黄色と青が流し込まれた沖縄の海と光をイメージさせる人間味のあるグラスだ。オレンジの匂いが散る。朝食代わりのそれを飲み干す。手帳を開いて予定を確認する。移動が多い。気が重くなる。電車やバスは苦手だ。中学にあがる頃まで僕は乗り物酔いが酷く、電車や車に乗っていられなかった。それが自律神経から来る病気だと医者に告げられた時、何となく安心した。今ではもう乗り物酔いに悩まされることはないが、他人と密着するような空間にいることが耐えられない。歩いて行くことのできる距離であるなら僕はそちらを選ぶ。けれど大抵は時間の制約がそれを許してはくれない。簡単な願いほど難しいものが多い。

 車窓を流れて行く僕とは無関係な生活のある景色を眺めていたら、薄汚れた麦わら帽子を思い出した。
 夏の日の、帰り道の出来事。なぜ僕は独りだったのだろう。どこまで歩いて行ったのか。恐らく迷子になっていた僕をその人が手を牽いてくれた。逆光の斜陽の中で失われてしまったその顔を僕は思い出せない。見知らぬ人だったのか、面識があったのかも覚えてはいないが、彼の言葉が断片として記憶に残っている。

 「重きほど頭を垂れる稲穂かなって言うのを知ってるだろう。あれは人にとって都合の良い言い方で謙虚さを表しているんだけど、稲穂たちはね、自分たちが土から生まれたことを忘れずにいて、大地に向かって精一杯に体を伸ばしているんだよ。故郷に帰りたくて帰りたくてそこが生きる場所だって知っているんだ。場所は違っても故郷っていうのはどこにでもある。憶えておくといいよ。」

 麦わら帽子を被っていたのは僕だったのか、彼だったのか。確かに夕方に近い時刻で、蜩が止むことなく鳴き続け、緩やかに湾曲した道の片側は雑木林で片側は田圃だった。道にそってひかれた水路は乾ききっていて覗き込むと小さな羽虫が一斉にこちらに向かって飛んできた。ひび割れて補修されることもないアスファルトには草が出鱈目なモザイク模様を仕切るように生え、車に轢かれた蟇蛙が張り付いていた。その人とは途中で別れた気がする。どこで別れたのか。どのあたりから陽は林の向うに沈んでしまったのか。
 7つ違いの当時中学2年だった従姉と合流して帰宅した。彼女が手を繋いでくれた時、僕は泣き出したような気がする。僕はずっと不安だった。そのくらい一人で歩いていたのかもしれない。家に着いた頃にはすっかり夜になり、世話になっていた叔父の家では騒ぎになりかけていたらしい。駐在に届けると言い出した叔父を叔母がもう少し待つように宥め、従姉妹が探しに出かけた。姉は小沼のある方へ、妹は駄菓子屋のある町の方へ向かったと後で聞いた。その従姉も、もういない。飲酒運転の車が大学に入りたての彼女の命を奪ってしまった。

 「蜩の道で立ち止まる人はきっと誰かを待っているんだよ。決して一緒に付いていってしまはないようにね。帰れなくなってしまうから。」

 それがその時に聞いた言葉と同じものであったのか、別の時のものであったのか今は記憶をたどることが出来ない。
 夏はいつしか過ぎて行く。その実感だけが幼い僕に刻まれた。

 僕はそろそろ記憶を捨てる時期に近づいている。僕は、僕のために遺書を書くことに決めた。

 
 
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出梅

 誰かに宛てて手紙を書きたいと思いました。特に綴るようなことはないのだけれど。
 たぶん僕は疲れているのだと思います。疲れるような特別なことも、また、何もありはしないのに。
 携帯電話のバイブが着信を知らせてくれていますが、今は現実に存在する人たちの声を聞きたくありません。
 死者に語りかけることができるのなら、僕はきっといつでもそうします。
 静寂を作り出すことにいくら心を砕いても、どれほど耳を澄ましても、僕は望む声をきくことができないでいます。
 だから僕は想像をします。望む声を聞くために。
 君だったら、こう言ってくれるのではないかと。

 ベッドの周りに散らばった書籍の山は、行き場のない心の現れです。
 探しているものが見つからないのは、探しているものがわかっていないからなのだと、どこかで漸く気が付き始めた時、僕の足腰は弱り始めていて、先を行く学生に追いつくこともできなければ、後から来た子供たちに追い越されて行く、もう自分で思う通りの速度では体を動かせなくなっていました。
 
 九州地方の大雨を知らないかのように空梅雨となった関東地方が出梅し、水を求め喉を涸らしきった紫陽花が色を染めきることなく萎れて行きました。彼らは与えられた条件でしか生きられないし、それに対し反抗を述べることもできません。ただ自分たちに与えられた環境と結末とをゆっくりと受け入れるだけです。
 それは酷く残酷なように見えますが、僕はそれが彼らに与えられた才能だと思うことがあります。自分たちの置かれた環境で命を全うすること、その強さを誇ることのない彼らに心から敬意を払います。
 以前、公園の端に生えていた紫陽花の見事さに思わず手を合わせてお辞儀をしたことがあります。それを見ていた子供が「あのおじさん、変なことしてるよ。金魚のお墓でもつくったのかな」などと買い物途中に手を引く母親に話している声が聞こえました。
 昨日の花は今日の塵。
 全ての土は骸の果て。
 手で掬った時の土の香りが懐かしいと思えるのはそのためなのでしょう。

 田山花袋の「草みち」という短編の末尾にこんな科白があります。
 「そうした魂が再び墓の中から出て來ないとも限らないから・・・。そつとして置くに限る・・・。そつと・・・。」
 死者を驚かすことのないように、そして自分たちが再び同じ悔恨を背負わないように。

 祈る時は声を立てる必要はないのです。他の人に聞こえるように祈ることは、自分が「あなたより真剣に祈っているのですよ」という自己顕示にほかなりません。静かに凝縮させることのできる無音の祈りの方が余程真剣なものであるはずです。
 そして僕は先の科白のひとつ前に戻るのです。

 「不思議なものだな・・・・・、人間といふものは・・・・・。落附いて了へば、何でもないんだな。一生かかつて拭つても拭ひきれない泥を塗られたと思つたが、そんなことはなかつたんだな。」

 いつか僕が死ぬとき、そう言ってくれる人がいたら。
 手を取ってもらう必要はありません。僕を見下ろして、ただ「何でもなかったよ。大したことじゃなかった」と呟いてくれる人がいればいい。そんな最後が迎えられれば、僕の一生は失敗ではなかったと言える気がします。
 無から何かが生じて無に還る。結果から言えば、何も起きてはいなかったと、そんな一生であることが僕の望みです。

 眼も開き切れないほど強い照り返しの砂利道を歩いている時、無縁仏を祭ったお地蔵様の小さな祠の屋根に五十雀がさっと舞い降りてきて、辺りを一瞥すると短い鳴子笛のような声を残して飛び去って行きました。
 それは「こっちだよ」と僕を案内しているようにも見えたのです。

 流れる汗、白く光る砂利道、蒸し暑く重い空気、草の匂い、蝉時雨、風が立てる以外の動きがなくなった正午。
 もう夏ですね。


 
 

 
 
 
 
 
 

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エピソードα ~ Somewhere in Time ~

 深夜から降り出した雨が正午過ぎに漸くあがりました。
 明るさを取り戻した空を見上げると地平近くに、飛び立つために広げられた翼のような形の雲が目に映りました。
 変哲もない雲がその様に見えたのは、僕がそう見たかったからなのでしょう。
 人は見たいものを見ているのです。
 嫌悪すべきものも、畏怖させるものも、憧憬さえも、見ることができるのです。
 空に描かれた翼は誰のためだったのでしょうか。
 僕の翼ではないことは確かです。僕の翼であるのなら、それは剥ぎ取られた残骸であったということです。
 でも空にあったそれはあまりにも清らに映えていたので、君の翼の象徴であったと思います。

 この日、ブリジストン美術館で長く学芸員を勤められた金森さんが北鎌倉に開いた蔵書票ギャラリーをひと月振りに訪ねました。
 ひと月前は、ホームを降りると北鎌倉全体を木犀の香りの風が柔らかく包み込んでいたのに、それが記憶違いのように、町には枯れ葉の匂いがしていました。
 紅葉はまだ先のことながら、秋はこうして僕たちの周りに溢れていきます。

 金森さんのギャラリーは「青騎士」という名で、これはドイツ表現主義派を牽引したカンディンスキーとマルクが主催した機関誌から採られています。

 北鎌倉駅を降りて円覚寺前の通りを明月院方面に向かって歩いていくと三叉路が現れ、真直ぐ行けば建長寺、左に折れれば明月院。
 「青騎士」は左に折れて直ぐの右側にあります。
 丁度、ミュシャとアール・ヌーボーの蔵書票展をやっていました。
 小さいながらも展示されている作品の情報量は多く、特に僕の目を引いたのはスペインとイタリアの蔵書票です。
 イギリス、フランス、ドイツの作品は日本でも多く見かけますし、チェコの蔵書票は最近はよく取り上げられるようになりました。けれどスペインとイタリアの蔵書票はあまり目にする機会がありません。思えば古書大国である両国に優れた蔵書票作家がいるのは当然のこと。その当たり前のことを金森さんのギャラリーで拝見するまで気が付かなかったとは、僕は何という穴だらけなのでしょう。
 金森さんの蔵書票語りは親しみがあり、造詣に富み、エピソードも興味深く配置されています。
 訪れた際には、人懐こい笑みを絶やさない金森さんにぜひ声をかけてみてください。
 決して怖い人ではありません。ご安心を。
 こんな風に尋ねると面白いお話をしてくださるはずです。

 「この紋章を覆っている羊歯みたいなのは何ですか?」

 僕はここで栗田政裕さんが制作した蔵書票を1枚購入しました。
 それを包みながら金森さんは「めったに売れることがなくて」と笑います。
 多くの人に蔵書票を知ってもらいたいという気持ちだけでお作りになられたギャラリー。
 これもまた道楽なのでしょう。
 そして空間を維持するためのご苦労も大変なものと察せられます。
 
 ギャラリー「青騎士」を出て鎌倉に向かって歩き出し、途中の小道とも言えない本当に見落としてしまいそうな細い通路の奥にある喫茶店に立ち寄り、遅めのランチを食べたのですが、うっかりお店の名前を確認するのを忘れてしまいました。もう一度見つけるのは難しいかもしれませんね。そこもまた趣味のお店のようでしたから。

 夜、仕事の打ち合わせを藤沢で終わらせ、和田塚にあるペンションに宿を取りました。当夜のお客は僕を入れて3組5名。夕食は鎌倉まで出て小町通に入ってミルクホールのある路地の少し奥にある「梅の木」で摂りました。今年の7月にできた新しい店内は清潔感に溢れて、お店のスタッフも細やかに対応してくれました。

 宿に戻ってもなかなか寝付けない夜。
 面白くもないテレビを点け流して、鞄にいれておいた本を捲っては目を閉じるふりをする。
 眠れない理由は何なのでしょう。
 身体を右に左に転がしているうちに、滔々と朝が白み始めました。
 うとうとしたのは6時のニュースの最中、しばらくすると携帯のアラームが朝食の時間を教えてくれました。
 簡単な朝食を食べて宿を後にしたのが午前九時。
 江ノ電で一駅先、鎌倉。
 若宮大路の人込みを抜けて杉本寺の方へ歩を進め、「分かれ道」を折れて、知人のアトリエを訪ねました。
 通された部屋のなかが珍しくあまりにも整理されていたので驚いていると、彼は照れたように「今は何も作る気がしなくてね。だから座る場所があるんだ」と言いました。
 僕は彼に頼まれた書籍を渡し、彼はそれを確認すると「ありがとう」と言い、「今日は出かけちゃうけど、ゆっくりしていっていいよ。鍵はいつものようにポストに落としておいて」と紅茶を勧めてくれました。 
 彼が出て行った後、アトリエの広い陽だまりに残された僕は、片付いた机の上に持っていた太宰の「女生徒」を広げ数行目を落としました。

…箱をあけると、その中に、また小さい箱があつて、その小さい箱をあけると、またその中に、もつと小さい箱があつて、そいつをあけると、また、また、小さい箱があつて、その小さい箱をあけると、また箱があつて、さうして、七つも、八つも、あけていつて、たうとうおしまいひに、さいころくらゐの小さい箱が出て來て、そいつをそつとあけてみて、何もない、からつぽ、あの感じ、少し近い、パチツと眼がさめるなんて、あれは嘘だ、濁つて濁つて、そのうちに、だんだん澱粉が下に沈み少しづつ上澄が出來て、やつと疲れて眼がさめる。朝は、なんだか、しらじらしい。…

 そこまで読んでパタンと頁を閉じる。
 疲れているなと自分でも感じます。理由はありすぎてひとつひとつ数えきることはできません。
 小さなひとつも、大きなひとつも等しく僕を打ちのめします。理由の大小は僕を疲弊させる力に比例してはいないので。

 どうして僕はここにいるのだろう。

 背中にあたる日差しは大きく取られた窓から十分な暖かさを僕に与えてくれています。
 不意に「シスカ」という単語が頭に浮かびました。
 何であったか凝っと思い出そうと努めていると、君が本を読み上げる声が幻聴となって僕の記憶を開きました。

…シスカ、二十七里向ふに日ソ國境のある村だ。僕たちは随分北にやつて來たもんだ。こんなに北に來たけれど、ここはまだ僕を満足させない。土人の家にいつたつて、森永のチヨコレートがあるやうに、僕の眼の前には何時も愚劣な文明がちらついている。…

 シスカとは敷香と書く択捉にある村の名前で、僕は君が朗読した丸岡明の短編で初めて知ったものでした。
 けれど僕はそれ以上のことは今も知らないでいます。町の名前の載った小説しか僕の手の中にはないのです。

 僕はどの方向へ、どこまで行けば十分だと思えるのでしょうか。
 動きたくない気持ちと動かずにはいられない気持ちとがいつも反目しあっています。

 生きるということ自体が徴兵に取られることのようにも思えてしまうのです。

 そこから逃げる手立てはあるのでしょうか。
 丸谷才一の「笹まくら」は徴兵忌避者の話でしたね。
 主人公は現実には不可能であった徴兵忌避に成功しました。
 死を選ぶことなく生きることで逃亡を達成したのです。
 主人公は徴兵前に出会った女性との短い恋の日々を幸福の象徴として逃亡し続けました。
 それは絶対に讃えられることはなく、英雄であるはずもない生涯恥ずべき行為なのですが、自由を妨げられた人々が真に望んでいたことの唯一の成功であったのです。

…人殺しをしたくないための行為が別の人殺しをもたらす。…

 彼の逃亡は世情の矛盾に曝され続け、自分が生き残るために別の死をもたらしました。
 もし僕が今の「生」という徴兵から逃亡したとすれば、どういう矛盾と犠牲が生じるのでしょうか。

 僕以外いない静かなアトリエ。
 冷たい風の届かない偽装された陽だまり。
 ひょっとしたら僕も存在していないのかも知れないと思わせるその穏やかさの中で、僕は机の上の大切なものを囲い込むように腕を置き、そしてそれらを上半身で庇うように伏せました。
 僕は何を隠していたいのでしょう。
 思い出そうとすることにも疲れました。
 今は眠い、のです。 
 少しだけ眠らせてください。
 どんなに疲れていようとも、目が覚めたらきちんとここから出て、また歩き出します。
 そうしなければならない理由は、そうしたくない理由と同じ位にあるものですから。

 青騎士01 
 ≪ギャラリー青騎士≫
 神奈川県鎌倉市山ノ内186-3
 ℡ 0467(40)4110
 営業時間:10時~17時・木曜日定休

 女生徒 太宰治「女生徒」(砂子屋書房・初版)

 柘榴の芽 丸岡明「柘榴の芽」(日本文學社・初版)

 笹まくら 丸谷才一「笹まくら」(河出書房新社・限定版)






 


 
 
  

 

 
 
 

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キリギリス

 昔、昔のことです・・・。
 そう書いてしまうと本当にあったことでもなかったことのように響き、すべては遠い過去において終わってしまったかのように思えてきます。

 君は自分を「昔」に置いて話すことができますか。
 それは君にとってどんな意味をもつものなのでしょう。
 
 過去というアルバムにページの制限はありません。もちろん空白のページもありはしません。
 すべてのページに自分が綴られていて、それは存在した事実に他ならないのです。けれども残念なことにこのアルバムの最初から最後までを通してみることはできませんし、二度と開くことのできないページがあります。寧ろ開くことのできないページの方が多いのが真実です。
 開いてみるページは自分にとって傷になっていることか、都合の良いことが中心となります。
 そのどちらもが思い出になってしまった瞬間に、無意識に改ざんがなされてしまう。いなかったはずの人を自分の隣に座らせてしまうのです。
 難しいのは、自分にとって一番事実に近い傷になっていることが、自分が傷ついたことよりも、自分が背を向けてしまった過ちに対する傷であること、それに付きまとう悔恨なのです。

 球技大会の時に僕が壊してしまった君のカメラはどうしたのでしょう。せっかく撮ったフィルムが駄目になってしまい、僕は君の思い出を奪ったままで今日まで来てしまいました。
 なぜ、あの時、謝りに行かなかったのでしょう。起きてしまったことを恐れてその場から逃げることよりも、リフレインする過去の方がよほど辛いものだと、なぜ気づかなかったのでしょう。
 「ごめんね。大丈夫だった?」
 そんな簡単な言葉を言うことのできなかった僕が、あの時代の自分自身の悪意の象徴のように甦ってくるのです。
 そしてそれを誤魔化そうとしてあの魔法の言葉を冠頭に持ってくるのですが、自分のことである限りお伽噺にはなってくれはしないのです。

 君に昔話をします。面白くもない話で、興味もひかないでしょうけど。
 
 昔、昔のあるところに姑息な考えしか持たなかった貧弱なひとりの少年がいました。
 彼はいつも簡単な方が近道だと考え、地味で面倒で大切なことを避けて来たのです。
 何か問題が起こると、正面から向かい合うことはとても時間がかかるし疲れることなので、効率が良いという誤魔化しを使って先送りばかりを繰り返していました。
 彼は口がうまかったので周りの人たちもその時は何となく解決したかのように思えてしまったのです。
 でも、それは途方もない遠投の繰り返しのようなものでした。
 そう、足元の小石を拾って今の自分の位置からなるべく遠くへ投げるようなことだったのです。
 愚かなことに、自分の歩く速度があまりにも緩やかに思えていたので、道はすっかり平らかで邪魔なもののないように見えました。
 春から夏までは楽しいことが多くて、しかも夏休みは終わらないと思っていた彼は、間違いに気づかないまま、信じていたのです。
 「これが正解なんだよ。」
 けれど、その小さな塊たちは彼が見ていたよりもずっと先の方で積もって固まり、まったく別の大きな山になっていました。
 彼が呑気に歩いてそこまできた時には最初の元気は既になかったのものですから、山の斜面はきつく感じられますし、比較的新しく積もった小石たちは足を滑らせますし、何かに掴まろうとしてもしっかりした木の一本も生えてはいません。彼は小さな種を拾おうともしなかったので。
 彼はもう一度以前と同じことをしようとしました。
 けれど石をつまんで改めて遠くに投げようとしても肩はあがらなくなっていましたし、本当に道を塞いでいるものは掴むこともできない大地のように強靭な塊になっていたのです。
 彼は膝を折り地面に手をついた時、やっと自分の皺だらけになった手に気づきました。
 そこで力尽きたように座り込んだ彼は、アリとキリギリスの話を思い出していました。
 キリギリスがとても羨ましかったのです。
 同じように力尽き衰えるにしても、好きなことを力いっぱいやれたキリギリスは幸せだと思ったのです。
 冬の夕暮れが近づいてきました。
 「ああ、僕はこの山を越えることはできないな。冬の終わりをみることもない。」
 彼は最後に諦めて身を横たえ、これが自分を滅ぼすのだな、と思いながら目を閉じました。
 漸く彼はうっすらと自分の間違いに気づいたのです。
 彼を滅ぼした諦めが始まっていたのは、一番最初の小石を拾って投げた時だったことに。だからキリギリスを羨んだのだと。
 彼は誰も通りかからないその道で、誰の記憶にも残らないまま、自分の投げた小石のなかで塵のように溶けて行きました。
 そこでは冬はずっと冬のままで、花も咲きはしないのです。




 


 

 

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事実の傍らに

 たとえば、歩くということが事実を認識するためのものだとしたなら、僕は途切れることのない事実の傍らを常に歩いていて、無数の連続であるその事実が僕を捉えていたとしても、僕がその事実を捉えることはごく稀で、僕はそこにあったものを受け入れるでも拒絶するでもなく、無感覚にただ傍らを過ぎているだけなのです。

 たとえば、生きている世界は死ぬことができる世界なのだと言葉で表してはみても、田村隆一が綴ったように、死ぬことのできない世界は生きることもできない世界なのだという感覚は僕にはなくて、ここに言う「死ぬことのできない世界」というのは、理不尽と不信感とに埋め尽くされた現実の社会のことであって、結果、自分を「殺す」ことによってのみでしか自らの心の奥に葬られている死者を甦らせることはできないのだと、信じる弱さも、頼る強さも、持ち合わせてはないのです。

 氾濫する事実のなかを歩いている時、街路樹は、公園の樹木は、僕をどうみているのだろう。
 しっかりとした静けさをもって道行く人がその視界から消え去るまで見送っている樹々。
 僕はそんな樹々をきちんと見てあげているのだろうか。
 窓のない部屋と部屋のない窓との相似した、かつ、矛盾した、空間ともいえない「間」を持つ僕は、所詮は盲ているのだろうと思うのです。

 健全な精神などと声高らかに宣う人は必ず精神を病み切っている人だと思うのです。そうでなければ事実を殺すことに慣れ切っている人なのでしょう。

 ドアの先に部屋があるなんて誰が決めたのでしょう。
 ドアを開ければ外に出られるなんてどうして信じているのでしょう。
 そもそもドアというものを僕に教えてくれたのは誰なのでしょう。
 窓はいつも外を見せてくれているのに。

 君に詩を返します。
 君から借りたままになっている詩集から選んでみました。


 「木」 田村隆一

 木は黙っているから好きだ
 木は歩いたり走ったりしないから好きだ
 木は愛とか正義とかわめかないから好きだ

 ほんとうにそうか
 ほんとうにそうなのか

 見る人が見たら
 木は囁いているのだ ゆったりと静かな声で
 木は歩いているのだ 空にむかって
 木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ
 木は確かにわめかないが
 木は
 愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて
 枝にとまるはずがない
 正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸い上げて
 空に返すはずがない

 若木 
 老木

 ひとつとして同じ木がない
 ひとつとして同じ星の光のなかで
 目覚めている木はない
 
 木 
 僕はきみのことが大好きだ



 ゆったりとした静けさを失ってから僕はどれくらいの時間を過ごしてきたのでしょう。
 音楽がうねりをあげて、人声がそれに負けじと大きさをまして、それも届かないほどに、車の音が工場の音が得体の知れない機械の音が、僕の耳を塞いでしまうのです。 
 眠るような静けさを持つ煌く命を生きていけたらいい。
 鉱物のような規則正しい寡黙さでなくていいのです。そんな強靭さを求めているわけではないのです。
 虫が土にしっかりと爪を立てて生きているように、鳥が生まれながらに空を知っているように、そんな風にはなれないことは百も承知のうえです。
 ただ僕に触れるものが僕を怖がらないように生きていたいのです。
 わかってもらうことも、わかろうとすることも不必要な、お互いを単純に必要として受け入れられる生き方がしたいのです。

 そうでしたね、これは君が昔に言っていたことでした。
 恐らく僕は君をトレースしているのです。
 記憶はあの頃よりも確かなものとして君を鮮明に捉えてさせているから。

 今日のエピローグに添えて " Nu " (田村隆一)を。


 窓のない部屋があるように
 心の世界には部屋のない窓がある
 
  蜜蜂の翔音
  ひき裂かれる物と心の皮膚
  ある夏の日の雨の光り
  そして死せるもののなかに

 あなたは黙って立ち止まる
 まだはつきりと物が生まれない前に
 行方不明になったあなたの心が
 窓のなかで叫んだとしても
 
  ぼくの耳は彼女の声を聴かない
  ぼくの眼は彼女の声を聴く


  
 


 
 
 

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