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大和和紀「シンデレラの死」

 wy-cin0588.jpg (若木書房、昭和49年初版)

 「太陽がいっぱい」(原作はパトリシア・ハイスミスの小説、原題は The Talented Mr. Ripley) と言う映画は各方面に影響を与えましたね。
 入れ替わりの犯罪という通常はあり得ないことをやってのけるところが映画の面白さです。
 大和和紀さんの「シンデレラの死」も富を夢見たシンデレラ・ガールの入れ替わりの物語です。

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 場所はフランスのコートダジュール。
 サンクレール家令嬢・ドロレスとビアンカ・レイモンは乳姉妹という設定になっています。
 一見すると非常に仲の良い姉妹同然の二人ですが、ドロレスは自分の引き立て役としてしかビアンカを見ていません。
 ある晩、サンクレール家でパーティが開催されます。そこでビアンカはシャルル・ローランという資産家の青年に出会います。
 シャルルはドロレスにプロポーズをしていましたが、彼女にその気はなく「たぶん、ことわるわ」とビアンカに話します。けれども、シャルルがビアンカに好意を示すと急にプロポーズを受けると言いだしたのです。
 「ことわるといっていたのに、なぜ」と問うビアンカに対して、ドロレスは「ビアンカ、あなたはシャルルと結婚できるとでもおもったの。なんて、あつかましい。女中の子のあなたが・・・」と言い捨てます。
 ビアンカが小さな希望を手にすることすら許さないのです。
 その2か月後、ドロレスとシャルルの結婚式の前日。その会場となるサンクレールのヨットが火災に見舞われます。
 救助されたのは顔に火傷を負い、記憶を失くしたドロレス・サンクレールでした。

 wy-cin0585.jpg

 この火災を機にビアンカとドロレスの入れ替わりになるのですが、事故直後では本当に記憶を失ってしまい、本人さえ自分がどちらか判らない状態になっています。
 この記憶喪失が物語の大きな鍵。
 自分はビアンカを殺したのか、それともドロレスを殺したのか。その不安と良心の葛藤。現実に手にした裕福な生活と幸運。
 シンデレラはどちらなのか?
 思い違いが新たな悲劇を生み、ついに事実が明かされる・・・。

 wy-cin0587.jpg

 ドロレスは太陽。ビアンカは月。
 月は太陽がなくては輝くことができない。そして結果としてドロレスは自分の死を以ってビアンカの幸福を阻むことになります。
 月自身が輝くためにはどうすれば良かったのか?その答えを大和和紀さんは読者に委ねています。

…「あなたは死ぬことによってシャルルとあたしをひきはなしたのよ。あなたは月が太陽になることをゆるさないのね。」…

 ストーリーとしては単純です。トリックというようなものもないですね。それに近いものがあるとしたなら「記憶喪失」がトリックを担っていると言えます。実際には錯誤でしかないのですが。
 後年、「はいからさんが通る」「菩提樹」「ヨコハマ物語」「あさきゆめみし」など大作を手掛けることになる片鱗も窺えませんが、単純ながら面白いと言える作品です。漫画としての構成力はこの頃からあったということなのでしょうね。
 
 先日ご紹介した布浦翼さんと同じ北海道出身。デビューこそ9年ほど大和和紀さんの方が早いですが、シンデレラ・ドリーム絡みで取り上げてみました。
 もっとも今はシンデレラ・ガールと言えばアイドル・マスターかもしれませんけれど(ラブ・ライバーの方、すみません)。
 因みに「太陽がいっぱい」って良いタイトルですよね。
 翻訳した方はすごいと思いませんか?原題を直訳すれば「賢いリプリーさん」ですから。直訳だったら日本ではヒットしなかったかもしれないですね。



 
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布浦翼「サンデイズ・チャイルド」

 サンデイズ・チャイルドという言い方が実際にあるのかは知りません。けれどあったとしたなら、それがナーサリーライムに由来しているだろうことは推測できます。

 Monday’s child is fair of face,
 Tuesday’s child is full of grace,
 Wednesday’s child is full of woe,
 Thursday’s child has far to go, 
 Friday’s child is loving and giving,
 Saturday’s child works hard for a living,
 And the child that is born on the Sabbath day.
 Is bonny and blithe, and good and gay.

 月曜日生まれの子供は器量がいい
 火曜日生まれの子供は品がいい
 水曜日生まれの子供は泣き虫で
 木曜日生まれの子供は苦労をし
 金曜日生まれの子供は愛情深くて
 土曜日生まれの子供は働き者
 日曜日に生まれた子供は、
 可愛くて、朗らかで、気立てがいい

 ここでは日曜日は「安息日」(the Sabbath day )となっています。神様からすべての祝福を受けた子供たちということなのでしょう。

 sundaysc001.jpg (講談社、昭和56年初版)

 布浦翼さんは別冊少女フレンドの昭和50年7月号に掲載された「ローランジュール」でデビューを果たしました。僕はこの作品をタイムリーに読んだのですが、その時の感想は「また新しい感じの漫画家がでてきたな」と言うものでした。

 「サンデイズ・チャイルド」ですが、別冊少女フレンドで昭和55年の10月から翌昭和56年4月号まで連載されました。原作は「キャンディ・キャンディ」を手掛けた水木杏子です。

…「サンデイズ・チャイルド・・・?」
 「生まれたときから幸運がついてまわるこどものことさ。おれたちとは身分がちがうってさ。」
 「あたしたちはちがうの?サンデイズ・チャイルドじゃ・・・ないの?」
 「おまえは自分の誕生日を知ってるか?」
 「知らない・・・スラムのゴミ箱にすてられてたんだってみんなが・・・。」
 「おれもさ、アランナ。」…

 sundaysc003.jpg
 
 不遇な環境にある者が夢を掴むためには何を犠牲にし、何を得て行くのか。物語は孤児であるふたり、ジェスとアランナを主人公として進んでゆきます。
 展開としては随所に煮詰めの甘いところが多く、登場人物も生かし切れていない気がします。
 養母であるアンナに連れられてアンダーソン家の令嬢ニコラの使用人となるエピソードから始まります。そこで生まれた境遇によって差別が存在し、理不尽な常識に曝されることで、いつか自分たちも「サンデイズ・チャイルド」なることを心に誓います。
 ふたりの姿は何となく「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラを彷彿させますが、自分が強くなることで成し遂げようとするジェスと、他人の地位を利用して富貴を得ようとするアランナの道程は対照的に描かれています。

 sundaysc002.jpg (講談社、昭和56年初版)

 物語中盤でアンダーソン家は没落するのですが、その後の「サンデイズ・チャイルド」の代表とも言えるニコラがあまりパッとしません。重要な役割を担っている割には軽く、伏線もないに等しい。もう少し描き加えて欲しかった気がします。
 ニコラの兄・エドモンドとアランナとは恋人関係となり婚約し、破産後もアランナは彼に真心を通そうとします。けれどその甲斐もなくエドモンドは非業の死を遂げるのですが、その経緯も説得力に欠けています。
 それとアンダーソン家破産のフィクサーであるシモンズですが悪役に徹し切れていないです。というより名誉欲が強く打算的で冷酷な男と言う設定なのに、お人好しにさえ見えます。それが打算を言い訳にした恋愛の形であったにしても裏が無さすぎます。
 当時の読者層を考慮してのこともあるのでしょうけど、原作が現実の厳しさを捉えていないのです。
 と、ここまで随分と批判的なことを書きましたが、この作品が嫌いなわけではありません。寧ろ少女漫画としては当時は珍しいボクサーを取り上げて、自力で這い上がる象徴として描き、そのダメージによりボクサーとしての栄光をすべてを失うと言う設定は注目に値すると思います。但し網膜剥離を原因にするのであれば、突然に視界が暗転するのではなく、飛蚊症との関連を入れていたのなら切迫感をもう少し出せたのではないかと思います。

 sundaysc004.jpg

 自分の美貌を武器に富貴を得ようとするアランナですが、その本質は非常に献身的で、真実の目標から目を逸らしている様子の描写は良く出来ています。もとより彼女は他人との比較においての幸福など望んではいなかったのですから。
 残念なのはアランナとニコラとが同じような性格に描かれていることでしょうか。どちらも献身的で優しい少女です。そのあり方が似すぎているのです。
 全編を通してみているとニコラは生粋のサンデイズ・チャイルドなのでしょう。貧困に晒されても優しさ、誠実さ、強さを併せ持つ少女なのですから。物語の経緯において過度の栄達を望まない分だけアランナよりも好感が持てます。
 サンデイズ・チャイルドとは「経済的に裕福なこどもたち」のことではないのです。

 物語はアランナとジェスが変転の果てに青い鳥を見つけるという筋書きのものです。彼らは気づいていなかっただけで「サンデイズ・チャイルド」であったのです。どこかでちょっと道を間違えてしまい遠回りしただけです。あと2回ほど連載回数があったならと悔やまれますね。 
 いずれにしろ作品の骨子は、「望むべきは他人と同じ幸福ではなく、自分の価値観のなかでの幸福」と言うことです。幸不幸は他人が決めるべきものではなく、自分自身で決めるものなのです。
 愛情が富に勝るとは言えませんが、貧困であっても不幸であると決めつけることは出来ません。冷戦状態の裕福な家庭よりかは、軽口が多く飛び出す貧しい食卓のほうが楽しいのに決まっています。

 sundaysc005.jpg

 この作品、登場人物たちの行動を見ていて「ああ、なんで?このバカ…」と思った読者は多いことでしょう。そのまどろっこしさが愛おしい感じさえします。
 今思えば、案だけ提示して原作としてのプロットなしで布浦翼さんに自由に描かせた方が良かったかもしれません。結果論を言っても何の足しにもなりませんが。 
 けれども純恋愛ストーリーを手掛けていなかった布浦さんに新境地を与えたという点では代替のない作品でした。そしてそれは水木さんの原作がなかったら描かれなかったものです。
 最後にくどいようですが、僕はこの作品、好きです。登場人物も、もの足りなさも含めて。


 
 

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ジャンル : 日記

佐香厚子「片寄波」

…この、奇妙な、しかし考えようによってはこの上もなく真面目な、だが照明の当て具合ひとつでは信じられないほど滑稽な、また見方を変えれば呆気ないぐらい他愛のない、それでいて心ある人びとにはすこぶる含蓄に富んだ、その半面この国の権力を握るお偉方やその取巻き連中には無性に腹立たしい、一方常に材料(ねた)不足を託つテレビや新聞や週刊誌にとってははなはだお挑え向きの、したがって高みの見物席の弥次馬諸公にははらはらどきどきわくわくの、にもかかわらず法律学者や言語学者にはいらいらくよくよストレスノイローゼの原因(もと)になったこの事件を語り起すにあたって、いったいどこから書き始めたらよいのかと、記録係(わたし)はだいぶ迷い、かなり頭を痛め、ない智恵をずいぶん絞った。…

 という書出しで始まる井上ひさしの「吉里吉里人」。
 この吉里吉里という地名は岩手県上閉伊郡大槌町に実際にあります。
 小説のなかでは独立国を目指した吉里吉里ですが、ここには世界でも珍しい海岸があります(ありました、と書いた方が良いのか迷っています)。
 波板海岸という寄せる波だけで返す波がない海岸です。
 この波は「片寄波」と呼ばれ、その原因については、砂が細かいために寄せている間に吸い込まれてしまい、視覚的には返す波がないように見えるのだと言われています。
 僕がこの「片寄波」のことを知ったのは昭和59年の初夏のことでした。
 その夏が暑かったのかどうかを思い出すことはできませんが、その存在を知り、三陸へ向かったことは確かです。
 僕にこれを教えてくれたのが、昭和59年6月に発売されたプチコミック7月号に掲載されていた佐香厚子さんの「片寄波」と言う作品でした。

 片寄波ー佐香厚子 プチコミックS59-7

 
 主人公の窪川元美は大手広告代理店に勤めるOL。優秀で美人、ガードが堅いと言われる彼女。しかしその家庭は複雑で、元美が幼い頃、母親は弟だけをつれて愛人のもとへ去り、以後、厳格な父親の手によって育てられます。
…おまえにはしあわせになってもらいたい。あの女のような生き方だけはしてほしくない。…
 その父の願いの裏側で元美は同じ会社の上司である倉沢隆と不倫関係にありました。
 ある晩、六本木のバーで倉沢と待ち合わせてた元美は松崎史也というフリーライターに出会います。
 松崎は倉沢の背任問題のスクープを追いつづけ、その情報原のひとつとして元美に近づいたのですが、次第に彼女に惹かれて行きます。
 物語は、元美の妊娠、堕胎と倉沢の妻の出産を経ていくことで、倉沢の嘘が見えてくることになります。そして、ついに倉沢と別の愛人関係にあった女性からのリークで倉沢は失脚します。

 この物語、単純な不倫物と片付けられない要素が多く見られます。
 父親の母に対する確執と不作為による復讐。
 離婚が成立しないことで法的に不存在となる弟。
 自分だけを置いて出て行った母に対する憎しみと、捨てきれない母への愛情。
 それらを繋いでいる「片寄波」です。

 波というものが起きる原因としては様々なものがあり、「これです」と限定できるものではありません。
 地震や海底火山もありますし、台風によるものもあります。けれどその元をたどって行けば地球自体の動き(自転、引力)とそれによる風の影響と見ても差し障りはないでしょう。
 その地球によって生み出される波。
 普通は寄せて返すを繰り返しますが、ここでテーマに選ばれているのは「返らない波」なのです。見返りのない波とも言えます。
 それは自分の見えないところで生まれ寄せられてくる感情のように受け取れ、そしてまた、遥か遠くから絶え間なく注がれる愛情とも。
 ここでは愛情の余韻を感じさせる終わり方で描かれています。

 現在、波板海岸は3.11の震災の影響で地盤が沈下し、その性質が多少変わってしまったような話を聞きました。自分でも確かめてみたいとは思うのですが、僕が初めて見た打ち寄せるだけの波の不思議さを失いたくないという思いもあり訪ねられずにいます。
 絶えることなく寄せてくる波は、ただ砂に吸い込まれ、それ自体が無力であるかのようにも感じられますが、確かな海の息吹は存在していました。
 僕はその波を見た時、「神様みたいだ」と思ったのです。
 特定の信仰をもたない僕がそんなことを感じたことが自分で可笑しくて、少しだけ笑ったのを覚えています。

 

 

 
 

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あしべゆうほ「テディベア」

 連載初期の設定は良いのだけれどその後の展開が行き詰まってしまい、結果として物語を生かし切れなかった作品というのがあります。
 また作家によってはそうした着地点を見定めるのが不得手というか、物語を自由に広げ過ぎてしまい収束させることができなくなる傾向が顕著なタイプもあります。
 そういった作品は着想が良かっただけに惜しまれますし、リメイクされる機会があればと思うものもあります。
 この「テディベア」も僕にとってはそういった作品のひとつです。

 テディベア01 (秋田書店、昭和54年初版)

 あしべゆうほは、「デイモスの花嫁」や「クリスタル・ドラゴン」など長編連載の代表作を持つ人気作家ですので、名前もしらないという方は少ないでしょう。
 しかし、この作品に限っては残念ながら彼女の代表作とはなっておらず、物語も完結していません。
 全5巻で「完結」とはなっていますが、あまりにも不自然な終わり方で、結果として作者が何を目指していたのかが分らない作品になってしまっています。

 テディベア02

 物語の舞台はオーストリアのチロル地方の小村です。
 そこに財閥の子息であるアーロが訪れ、ヒルデガルドが営むペンションに滞在することからストーリーは始まります。
 この少年、とある事情から母親から疎まれ、静養を口実に片田舎に送られてくるのですが、その理由が「動くテディベア」を友人としているからなのです。
 コメディタッチの描きだしから一転してオカルト的な要素を盛り込み、読み切り形式でペンションを訪れる客や彼の友人、または旅団の人々に小さな奇跡を起こしてみせるのです。
 
 テディベア04 テディベア05
 
 4巻までの出来は良かったと思います。
 チロル地方の気候、風俗、気質などを取り入れながらアーロとその周囲の子供たちの成長を描いていこうとする手法は生き生きとして、作者が言うとおりに「今にも画面を飛び出していきそうなアーロ」を逸脱しないようにストーリーに収めようとする苦心が見え隠れしています。
 しかしイメージを広げ過ぎる主人公というのは長短表裏一体で、物語を良くも支え勢いを与える一方で、以後の成長の兆しとなる変化に伴う展開で物語の主軸をどこにおいていたのかが不明瞭になってしまう危険性があるのです。

 この作品の場合では、アーロが自分の特殊な意思が持つ力を自覚した時に、それが如何に彼を(或いは母親を)苦しめ、かつ、以後の彼の支えとなる力になって行くのかが描き切れないままになってしまってます。
 アーロの闊達さを生かそうとして学園生活を膨らませることで「テディベア」というきっかけを維持し切れないという結果を生じさせてしまうことになったのです。

 テディベア03

 両親と兄を自動車事故で失い自閉症となった少女ラウラと出会い、アーロがテディの本質について気づき、その自覚を通して少女に手を差し伸べようとするところで第一部が終ります。
 第二部では時間を一気に走らせてしまい、成長したアーロがイギリスの名門校イートンに寄宿するところからはじまります。
 学園生活が中心となる第二部では、登場人物も増え、その関係も複雑化していきます。
 しかし、アーロのお目付け役であり最大の庇護者であったエドの死やその生活への変化を生じさせた(恐らく物語上肝要なものとして置かれた)いくつかの事件の伏線をひいたまま回収できずに終わってしまいました。

 前半はアーロの特殊性に主眼が置かれた小さな奇跡の物語として展開し、後半をアーロを取り巻く恋愛と学園の物語とに切り分けてしまったのがこの作品を台無しにしてしまったとも言えます。
 第一部の終りでラウラに小さなテディを分け与えてしまうことでアーロの呪縛を取り除き、以後は普通の少年として描きたかったという意図もあったのでしょう。
 しかし初期設定を保ちながらアーロの内面の葛藤と成長を当初のまま描き続けていたのなら、冒頭にあげた代表作に並ぶものになっていたかもしれません。

 テディベア06




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太刀掛秀子「雪の朝」「ライラックの花のころ」

 僕が呼吸器官を痛めて埼玉で転地療養をしていた頃、小学2年生から4年生のはじめまでです。
 通学路から自宅とは逆方向に子供の足で20分ほど歩いたところに、小さいですが良く手入れをされた庭をもち、自宅で子供たちに絵を教えているお姉さんがいました。
 いくつくらいの人だったのでしょうか。その頃の僕には女性の年齢を判別することなどできませんし、そこの生徒でもなかったのでわかりません。単に友達の家の近所であったというだけでした。けれどどこかで美大か何かを出てそれほど経ってはいなかったような、そんな話を聞いたことがある気がします。
 2年生の冬。体育で見学ばかりが続いていたある日のこと、ひどく寒い日だったので教室でひとり残っていることになりました。僕は体育が好きな方ではありませんでしたが、校庭から響いてくる友達の騒ぐ声を聞いているうちに、自分がどうしようもなく取り残された気がして、ふっと学校を抜け出してしまったことがあります。
 気づくと普段はめったに行かない通学路の逆側へひとりで歩きだしていました。そうしてその家の前を通りかかったのです。
 恐らくバラの剪定をしていたのだと思います。彼女の家の庭には背の高いものから低いものまでさまざまなバラが植わっておりましたので。
 僕に気づいた彼女は植え込みから立ち上がりました。
 「こんな時間にどうしたの?まだ授業のある時間でしょう?それとも早く終わったのかしら?」
 そう声をかけられても僕には答えることができず、だまって彼女の手に握られていた花鋏を見ていました。
 すると彼女は手に持っていた鋏をエプロンのポケットにしまって、こう話しかけてきたのです。
 「もうすぐ冬も終りね。早く春がくると楽しくなるのにね。ねえ、君は冬の最後の日に降る雪の伝説って聞いたことがあるかしら?その冬の最後に降ってくる雪の最初のひとひらを受け止めるとね。お願いをひとつだけ叶えてくれるのよ。寒い日が続くと誰だって嫌でしょう?でもね、今日がその日かな、明日がそうかなって、空を見上げて待っているうちに春がきてるの。それって幸せでしょう?」
 僕が彼女と話をしたのはそれが最初で最後だった気がします。
 中学生になってから読んだ太刀掛秀子さんの漫画のなかに、似たような言葉をみつける時までそのことは忘れていたのですけど。そして僕は思ったのです。
 「あれはあの人が作ったお伽噺ではなくて、きっとどこかにそんな伝説がつたわっているのだろう」と。
 そんな思い出話を交えながら、太刀掛秀子さんの最初の作品集「P.M 3:15 ラブ・ポエム」に収録されている作品を2つご紹介します。

 PM315ラブポエム (集英社、1976年初版)

 「雪の朝」は、少女月刊誌「りぼん」の昭和48年10月号に掲載された太刀掛秀子さんのデビュー作です。もちろん僕は本誌上で読んだわけではなく、単行本になって版を重ねてからのことでした。

 「雪の朝」

 雪の朝
 (月刊「りぼん」昭和48年10月号掲載)

 同じ下宿屋に世話になっているロビーとローラは学校が違うとはいえ共に画家を志しています。ふたりは自覚していないのか、誰よりも気が合うのにそれを他人から言われると「喧嘩友達」だとお互いに主張するのが通例。
 その冬で最後の雪になるかもしれないというある日、ロビーの前に自分は雪の精だと名乗る美しい少女が現れます。

 「私ね、雪の精。ほら、あなた今日、今降ってる雪の1番最初のひとひらを受け止めたでしょ。あれ、私。」

 ロビーは絵のモデルとしてその少女の美しさに夢中になり、日が暮れてもスケッチボードを離さずに描き続けました。
 昼間にロビーと喧嘩したとはいえローラはいつもの公園へ夜食を持ってでかけます。そこでロビーと少女の姿を目にして初めて自分の胸の痛みを知り、彼を愛していたことに気づきます。

 「ぼくがいままで見た中で一番美しいのは…君だよ。」
 少女はそれにこう答えます。
 「もっともっと美しいものはこの世にはあるはずよ。ロビー、それを知らない?… … わたしも知らないわ。でも私は明日の朝までには…それを見られるわ。…」

 そう言葉を交わしている二人を目撃したローラは取り乱してその場を走り出し、解けかけている氷を踏み割って池に落ちてしまいます。肺炎を起こした彼女は、必死に看病するロビーの努力も虚しく命の火が消えかけて行きます。ロビーは今失うかもしれないローラを見て自分の愛に気が付くのです。
 そして、ついに力つきたかと思われた瞬間、雪の少女は世界で一番美しいものをみせてくれたお礼にと、自分の命をローラに分け与えたのです。

 「ライラックの花のころ」

 ライラックの花のころ
 (月刊「りぼん」昭和49年7月号掲載)

 ある日、小さなアンディの家の隣にアンディより2歳下の女の子・リラが引っ越してきます。しかし、リラには重大な秘密があったのです。
 それはアンディがライラックの花をリラに届けたその日、彼女の口から零れでます。もちろん彼女自身はそれを理解できる年齢には達してはいません。

 「フランスではいつだってママンと一緒だったのに。いつだってやさしくキスしてくれて、時にはつよく抱きしめて『リラ、リラ、忘れないで』って。」
 「じゃあ、きみのママはフランスにいるの?」
 尋ねるアンディにリラは泣きじゃくりながら答えます。
 「ママンの…、時計…、とまちゃって、いっしょにこれなかったの。」

 ふたりはライラックの花に包まれた世界で純粋に成長して行きます。
 大学進学を希望しつつも家の事情から断念せざるを得ない状況のアンディに、リラの父親がロンドンの大学へいく援助をしようと申し出ます。アンディはそれを喜び、ふたつ返事で承諾しますが、それを聞いたリラは自分が置いていかれることにショックを受けます。
 そのリラに父親は告げるのです。「決して男の人を愛してはいけないよ」と。父親はその夜、息を引き取ります。しかし、アンディとリラは大学を卒業したら結婚することを誓い合うのです。
 アンディの大学卒業が間近になったある日、彼の両親がリラのもとを訪れ唐突に切り出しました。
 「君とアンディとの婚約はなかったことに…。」
 さらに彼の母親はリラを「生まれてきてはいけなかった子」と罵ります。その理由がわからないリラは茫然自失に陥りますが、アンディの父親から渡された書類を見て、自分が遺伝性の精神障害を負っていることを知ります。
 「いつか私もああなるんですもの。」
 母親のことを知り、その身の回りの世話をするためにアンディのもとを去ったリラ。
 リラが町を去ってから半年後、アンディはついにその行方を突き止めます。そして、ふたりは再会をするのですが、アンディの腕のなかでリラの記憶の時計は静かに止まってしまいます。

 以上が「ライラックの花のころ」のストーリーですが、ここに言う「時計がとまってしまう」という病気について、当時の僕にはまったくわかりませんでした。
 今のようにインターネットなどありませんので、「記憶の退行を伴うそんな悲劇的な病気があるのだろうか」と図書館などで調べた結果、いくつかの症例に行き着きました。
 しかし、自分が神経症であることを認識、あるいは自覚できる自己疎外性神経症と自我親和性神経症を除くと、該当する症例は見当たらなくなってしまいました。
 つまり、退行による精神疾患は防衛機能として発症する例が多く、遺伝的にある時点(年齢)で発症するというものではないようです。
 また、近いものに、現在でいうところのクロイツフェルト・ヤコブ病がありますが、発症後の余命が極度に短いことから、この物語には相応しくない気がします。
 そう考えると自身の血縁に退行性記憶障害の人がいることを知り、かつ、その素因が遺伝的な可能性があると周囲から強く言われ続けたため、自分自身のなかで「いつか自分も」という不安を高めてしまい、それが恒常的なストレスとなって退行を発症してしまったと考えたほうが良いのかもしれません。僕は精神科医ではありませんので詳しくは知りませんから何とも言えませんが。
 いずれにしても昭和49年当時では症例の解明は進んでおらず、資料も少なかったと思います。ですので、ここは難しいことには立ち入らずに、悲劇的なファンタジーの一要素として単に取り入れたものとするのが妥当なのでしょう。
 ただこれが、周囲の人々の精神疾患に対する誤解が招いた「退行」だとしたら、何にもまさる悲しい物語です。同じような差別を、別の疾患で僕もしていないとは言えませんので、読み返してみて少し背筋がゾクッとしました。


 


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