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松谷みよ子「わたしのいもうと」

…この子はわたしのいもうと。むこうをむいたままふりむいてくれないのです。…

 「わたしのいもうと」(文・松谷みよ子、絵・味戸ケイコ、発行・偕成社)

 わたしのいもうと01 わたしのいもうと02

 ある日、松谷みよ子さんのもとに若い女性から一通の手紙が届きました。
 「わたしの妹の話をきいてください」と書きだされたその便箋のなかには、彼女の妹が体験したいじめの話が綴られていました。
 そして、それは妹のいじめ体験のみにかぎらず、自分より弱いものをいじめること、自分たちとおなじでないものを排除すること、それらが戦争につながってゆくのではないかと綴られていたそうです。

 絵本のなかの少女は小学4年生。
 どこか違う地方から転向してきたのでしょう。
 その言葉の違いをからかわれ、さらに跳び箱が苦手だったことを揶揄され、ついには「汚い」と罵られ孤立していきます。

…いもうとがきゅうしょくをくばるとうけとってくれないというのです…

 楽しいはずの小学校がいじめによる地獄の場と化します。
 次第に不登校になり、ついには自分の部屋から出ることもなくなり、一日中、背中を向けて折鶴を作り続けます。家族にも顔をあげることなく。
 やせ細ってゆく少女は、そして、ひっそりとその一生を閉じます。
 便箋に短かすぎる言葉を残して。

…わたしをいじめたひとたちは、
 もうわたしをわすれてしまったでしょうね。
 もっとあそびたかったのに。
 もっとべんきょうしたかったのに。…

 孤立していること、異分子であることは必ずしも悪いことではないのです。
 真に問題となるのは、悪意によって孤立させられていること、どこも違わないのに異分子とされてしまうことです。

 人間は共通の目的を得た時、その集団としての力を最大限に発揮します。
 しかし残念ながらそれらは社会的には限りなく低水準に留まることのほうが多いのです。
 高尚な理想論より低俗な猥談のほうが興味を引く、もしくは、正論よりもデマのほうが人を誘導しやすいと言えば分りやすいでしょうか。
 ナチス・ドイツのユダヤ人政策、黒人差別などと大袈裟に世界史を紐解かなくとも、もっと身近に存在しています。
 その身近な危険に僕たちは関心を払わない。
 問題が起きるまで。
 そしてその端緒は大概、冗談や遊びからなのです。
 悪意のないからかいが次第に変質し悪意を生成する。
 それらが奇妙な決まり事を作り上げてしまう。
 冷静になって考えれば理不尽で奇妙なこと、つまり誰もが気づいて良い「間違い」なのです。

 たとえば自分では「変だ、やってはいけないんだ」と思っていながら同一の行動を反復し起してしまう。
 それが個人の行動である場合は「強迫性障害」と言い、精神疾患のひとつに類別されます。
 けれど「誤った常識」が大衆にまで拡がり同一の行動を示せばすべてが正当化されてしまいます。
 一部は気づいているはずなのですが、その本当の正当性を互いに確認することができないのです。
 口に出してしまったら自分が弾きだされてしまうのではないかと。
 だから誰も言葉にだせない。
 そしてスケープゴートに冤罪をなすりつけるのです。
 多数の怖さは言うまでもなくここにあります。

 言われた当人の心に突き刺さる冗談も、最初は笑ってやり過ごそうとします。
 周りも笑っているから、仲間からはみ出したくないので我慢するのです。
 しかし、その遠慮が周囲に「承諾」ととられ「許された遊び」となり、ついには「自分たちと違う存在」というところまで変質してゆくのです。

 人に対する「イジリ」は本当にコミュニケーションとして必要なのでしょうか?
 それがコミュニケーションと言えますか?
 僕の理解が間違っていなければコミュニケーションとは、「社会生活において人間が相互の意思や感情、各々の思考を伝達し、交換しあうこと」であるはずです。
 
 「人間に最も害悪を加えるものは、やはり同じ人間である」という歴史を、どこかで変えることはできないのでしょうか。
 先の多くの戦争の反省があるというのなら、その対策は簡単なことです。
 現在を「戦前」にしないことです。
 それと同じで個人においても罪の意識に気づき苛まれる前に、罪を犯さない事。
 それは不可能なほどに難しいことです。
 まったく誰も傷つけない生き方などできるはずはない。
 けれど「する自由」とは暴虐の限りを認容したものではありません。
 人は他者に危害を与えない限りにおいてその行動を許されているということを、今一度考えてみませんか。
 
 「あなたが罪を忘れても、罪はあなたを忘れはしません。」

 かつて僕が傷つけた子が、僕に投げつけた言葉です。
 僕は彼女の味方になれたはずだったのに、そうしなかった。
 ひとりになる勇気を持てなかったのです。
 僕は絶対にこの時の声を忘れません。


 


 
 

 
 
 
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小川未明「ある夏の日のこと」

 八月が終わります。
 立秋はとうに過ぎているので暦の上では既に秋のはずですが、まだ夏の名残は尽きないようです。そんな夏の終りに童話をひとつ取り上げます。

 小川未明が昭和16年に刊行した「生きぬく力」という本のなかに「ある夏の日のこと」という短篇童話があります。

 姉が庭を掃除している時にツツジの枝の中に蜂の巣を見つけます。蜂に刺されたりすると面倒ですから「とってしまおうか」と思いましたが、結局そのままにしておくことにしました。そして、弟に知られると「きっと落とされてしまう」と心配をしたのです。

 想い出に耳打ちをしてくるような、或る夏の日の、ひとつの蜂の巣をめぐる姉弟の小さなお話です。短い話ですので全文をご紹介させていただきます。

 生きぬく力 (正芽社、昭和16年初版)

 「ある夏の日のこと」  小川未明

 姉さんは、前庭の躑躅の枝に、蜂の巣をみつけました。
 「まあ、こんなところに巣を造つて。危ないから落としてしまはうか。」
 と、箒を持つた手を抑へてためらひましたが、「さはらなければなにもしないでせう。」
 折角造りかけた巣をこはすのも可哀さうだと考えなおして、しばらく立止まつて、一疋の親蜂が、脇見もせず、熱心に小さな口で、だんだんと大きくしようと、固めて行くのをながめてゐました。そのうちに蜂はどこかへ飛び去りました。何か材料を探しに行つたのでせう、しばらくすると、また戻つてきました。そして同じようなことを倦まずに繰り返してゐました。
 「この蜂一疋だけだらうか。」
 彼女は同じ一疋の蜂が、往つたり返つたりして、働いてゐるのしか見なかつたからです。
 「勇ちやんにはだまつてゐよう。」
 見つけたらきつと巣を取るであらうと思ひました。
 姉さんは、坐って、仕事をしながら、時々思ひ出したやうに、日の當る前庭を見ました。葉の黒ずんだ柘榴の木に、眞赤な花が、點點と火のともるやうに咲いてゐました。そして、水盤の水に浮いた睡蓮の葉に、蜂が下りて止まつてゐるのを見ました。
 「あの蜂はさつきの蜂かしらん。」
 眼をはなさずに見てゐると、蜂は、たつて、躑躅の枝の方へ飛んで行きました。
 「やはりさうだわ。水を飲みに來たんでせう。」
 翌朝、庭を掃除する時に、姉さんは、蜂がどうしてゐるだらうとわざわざ躑躅の木のところへ行つて、巣を覗いてみました。そこには、昨日の親蜂が、やはり一疋で、一生懸命に巣を大きくしようとしてゐました。彼女は、はじめてその時、一疋の蜂の力で造られた巣に注意をむけたのです。
 なんと並々ならぬ心遣ひと、努力が、その巣に傾けられてゐることか。たとえば、雨風に吹かれても容易に折れさうもない、丈夫な枝が選ばれてゐました。また巣の附根は、さはつても落ちないやうに、強さうに黒光りがしてゐました。小さな蜂にどうして、こんなに智慧があるかと不思議に思はれた程でした。
 「さうだ、これを弟にみせてやらう。そして、利口な蜂が、どうして巣を造り、また子供を育てるのに苦心するかを教へてやらう。さうすれば弟は、ここに巣のあることを知つても、決して落とすことはあるまい。」
 と、考へたのでした。午後になつて勇ちやんは、學校から歸ると、庭に出て、一人で遊んでゐました。
 「勇ちやん、蜂の巣があつてよ。」
 彼女は弟の顔を見ました。
 「ああ、知つてゐる。」
 「え、知つてゐるの。」
 弟がどうして、それを落とさなかつただらうと疑はれました。
 「姉さん、躑躅の木だらう。お母さん蜂がひとりで巣を造つてゐるのだよ。」
 「ええ、さうなの。」
 「この間から見ると、大分大きくなつた。あの穴の中に子供がゐるんだね。暑い時は、水盤の水を含んで行つて、巣の上を冷やしてゐるよ。」
 「まあ。」
 そんな悉(くわ)しいことまで、いつ弟は観察してゐたのだらうとびつくりしました。
 しかし、姉さんは、弟がどんなに蜂を可愛がつてゐるかを知らなかつたのです。
 「君、蜂の子を持つて行くと、ほんたうによく釣れるよ。」
 子供たちは日課のやうに、みんなで川へ釣に出かけました。彼等は、血眼になつて、蜂の巣を探してゐたのです。勇ちやんは、その話を聞くたびに、庭の蜂の巣を目に浮かべました。この頃母蜂の片方の羽根が少し破れているのを考へると、胸が痛くなるのを感じました。他の子供は、どこからか、蜂の子をさがして持つて行くことがあつたが、勇ちやんだけは、いつもうどん粉の餌を造つて釣にでかけたのでした。


  


 
 

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安房直子「初雪のふる日」

 …秋のおわりの寒い日でした。
 村の一本道に、小さな女の子がしゃがんでいました。女の子は、うつむいて、地面をながめていました。それから、首をかしげて、ほうっと、大きな息をつくと、
 「だれが、石けりをしたんだろう。」
 と、つぶやきました。その道には、ろうせきでかかれた石けりの輪が、どこまでもつづいていたのです。…

 今日は随分と暖かな一日でした。ジャケットを着て歩いていると汗ばんできて、思わず脱いでしまおうかと思ったくらいに。

 ところで、先日、何気ない会話のなかで安房直子の童話の話がでてきました。
 安房直子は1971年に「北風のわすれたハンカチ」(旺文社)を刊行して、1993年に亡くなるまで数多くの童話を送り出しました。僕のまわりにも愛読者はたくさんいます。様々な作品が挙がるなかで、僕が持ち出したのは「初雪のふる日」でした。

 味戸ケイコ・挿絵 (挿絵・味戸ケイコ、1981)

 桜も散り、藤の花房が優美に枝垂れ、エニシダが咲き始めるこの季節に「初雪はないだろう」と思われる方もいるかもしれません。まったくその通りです。季節外れもいいところです。でも、そう言わずにおつきあいいただければ幸いです。

 初収録は「遠い野ばらの村」(筑摩書房、1981年)です。これには味戸ケイコの挿絵が施されています。また2007年には偕成社より、こみねゆらの絵本として単独で出版されています。

  遠い野ばらの村 (筑摩書房、1981年)

 昔の言い伝えでは、初雪の降る日には北からたくさんのうさぎがやってきて、一列になって山から山、村から村をわたり、あたり一面に雪を降らせます。その移動する姿はとても早く、人の目には一本の白い筋にしかみえません。だけれど気を付けていないと、そのうさぎの群れに巻き込まれて、うさぎと一緒に世界の果てまで連れていかれて最後には雪になって消えてしまうのです。

 こう聞かされたら、如何にもどこかにそんな伝説がありそうな気がしてきます。安房直子の創作なのでしょうが、こういった言霊的な誘引のしかたが非常に巧みです。
 童話というものはある意味では超常現象の世界ですから、何が起こってもOKなのですが、あまりにも不自然すぎたりしますと一瞬で冷めてしまいます。
 出だしは現実的であればあるほど良いのです。安房直子はそれが上手い。都市伝説的な言い方をしてみたり、民話を背景においた設定にしたり、いずれも現実と混沌をバランスよく配置しています。
 この「初雪のふる日」における契機は「石けり」です。それから「ケン・ケン・パッ」の馴染み尽くしたリズムを使って読者を共感に誘い出します。
 こどもなら誰もが持つ好奇心と、その危うさを滲ませるように混ぜてきて、「うさぎ」の登場で一気に童話の世界に連れ去ります。
 遊びが遊びでなくなる瞬間の恐怖、怯えと言ったもの。安房直子の作品はこの瞬間的な心理を捉え、読者に既視感、もしくは、心的追体験を与えます。それが童話のリアリティなのでしょう。
 そして、こういった瞬間は何も童話のなかだけではありません。現実にも有り得ています。
 本の読み聞かせや童話を与えることによって、そのエスカレートする境目の瞬間の怖さを疑似体験させることは大切なことなのです。それらを現実に思い起こさせるというのも本が担う役割の一つだと思うのです。

  こみねゆら・挿絵 (偕成社、2007年)

 この「初雪のふる日」については先だっての会話のなかで、僕は「女の子が石けりをしていて、いつのまにか兎に取り囲まれ、初めのうちは楽しくなって遊んでいたのですが、いつの間にかそこから抜け出ることができなくなり、ついには兎とともに別の世界に連れていかれてしまう話」として話題にしました。
 しかし、読み返してみましたら結末については全くの記憶違いで、安房直子はきちんと女の子のことを考えていました。それも、この物語中の世界における現実感を損なわないように。
 おそらく僕の内では小川未明の「金の輪」と重なるような印象があったのでしょう。結末を同じようなものとして記憶にとどめてしまったようです。

  こみねゆら・挿絵 (挿絵・こみねゆら、2007年)
 
 
 



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