「白蟻」 小栗虫太郎

 変容、変貌、転生と言ったものは古来より信じられてきましたし、それが人知を凌ぐ神の業として畏怖を植え付け、俗習を越えて権力を維持する方便ともなっていた時代があります。
 僕はオカルト的なものは信じない質ではありますが、山などに入り込んでいると、偶々見かけた樹の洞や奇態が人を想像させ、一瞬の怖れを抱かしむることがあります。特に寄生木のごとくは、気を許したはずみに道行く者にも絡みついてくるような不思議な生命力をもっています。
 小栗虫太郎と言う作家はその樹の奇態や土を通じて生命の変貌を主題とした小説を書きました。
 彼の作品は、比喩的、象徴的であり、引用も多く、また独特の専門用語(特に精神医学的な)を多用します。従って読みにくい印象を与えてしまう欠点があり、何にもまして場面転換が急で、読解力というよりも寧ろ注意力を試される作品です。
 それと当時の検閲に引っ掛かって削除が多いのが更に作品全容を分かり難くしています。そういう意味においては初版はあまり読書には向いていないかもしれませんが、装丁が素晴らしい!怪しげな雰囲気を簡潔な色合いで伝えてきます。この装丁を手掛けたのは、挿絵画家でもあります松野一夫です。

 「白蟻」(ぷろふいる社、昭和10年初版)

 白蟻 小栗虫太郎

 小栗虫太郎はこの作品について初版の序で次のように書いています。

…かやうのなことを、作者として口にすべきではないであらうが、自分が書いた幾つかのなかでも、やはり好きなものと、嫌ひなものとの別が、あるのは否まれぬと思ふ。わけても、この「白蟻」は、巧拙はともかく、私としては、哀惜措く能はざる一つなのである。私は斯こうした型式の小説を、まず、何よりも先に書きたかつたのである。私小説―それを一人の女の、脳髄の中にもみ込んでしまつたことは、ちよつと気取らせて貰ふと、かねがね夢見てゐた、野心の一つだつたと云へるであらう。…

 小栗の言う「私小説」とは、今日、僕たちが使っている意味とは大きく異なっています。ここにおいては、登場人物の個人的視点においての小説という意味に近いと受け取ってください。
 基本としては、「瀧人」(たきと)という女性が落盤事故をきっかけとして夫と別人が入れ替わったのではないかとの疑心を抱き、その原因を変容と転生とに求めるものです。
 主人公の長い独白が主となり、それと呼応するための執拗な情景描写が全体を埋め尽くします。この作品を楽しめるかどうかは、小栗が提示する情景を想像することができるかにかかっているかもしれません。
 作者はこの序の後段において「白蟻」をドイツ歌曲に譬えています。それは小説の形式をとっていても、この作品が叙事詩でもあることを示しているのです。

 物語は次のように始まっています。

…秩父町から志賀坂峠を越えて、上州神ヶ原の宿に出ると、町を貫いて、埃つぽい赤土道が流れてゐる。それが、二子山麓の、万場を発してゐる十石街道であって、その道は、しばの間をくねりくねり蜿々と高原を這いのぼってゐく。そして、やがては十石峠を分水嶺に、上信の国境を越えてゆくのだ。ところが、その峠をくだり切ったところは、右手の緩斜から前方にかけ、広大な地峡をなしてゐて、そこは見渡すかぎりの荒蕪地だつたが、その辺をよく注意してみると、峠の裾寄りのところに、僅かそれと見える一条の小径が岐れてゐた。
 その小径は、毛莨や釣鐘草や簪草などのひ弱い夏花や、鋭い棘のある淫羊藿(イカリソウ)、空木などの丈たけ低い草木で覆われてゐて、その入口でさえも、密生してゐる叢のような暗さだつた。したがって、どこをどう透し見ても、土の表面は容易に発見されず、たとい見えても、そこは濃い黝ずんだ緑色をしてゐて、その湿つた土が、熱気と地いきれとでもつて湧き立ち、ドロリとした、液のやうな感じを眼に流し入れてくる。けれども、そのやうに見える土の流れは、ものの三尺と行かぬまに、はや波のような下生えのなかに没し去つてしまふ。が、その前方――半里四方にも及ぶなだらかな緩斜は、それはまたとない、草木だけの世界だつた。そこからは、熟れいきれ切つた、まつたく堪まらない生気が発散してゐて、その瘴気のやうなものが、草原の上層一帯を覆いつくし、そこを匂ひの幕のやうに鎖してゐた。しかし、ここに何よりまして奇異なのは、そこ一帯の風物から、なんとも云えぬ異様な色彩が眼を打つてくることだつた。それが、あの真夏の飽和――燃えさかるやうな緑でないことは明らかであるが、さりとてまた、雑色でも混淆でもなく、一種病的な色彩と云うのほかになかつた。却つて、それは、心を冷たく打ち挫ぎ、まるで枯れ尽した菅か、荒壁を思わす朽樹の肌でも見るかのやうな、妙にうら淋びれた――まつたく見てゐると、その暗い情感が、ひしと心にのしかかつてくるのだつた。…

 ミステリーを紹介するというのは難しいもので、先の「本陣殺人事件」もそうですが、なるべく本筋に触れないようにしたいと思っています。結果がわかってしまうと好きでないと読めないものになってしまう恐れがありますので。

 僕が小栗虫太郎という人を知ったのは江戸川乱歩だったかの作品の後ろについている書籍紹介からでした。数行の紹介文からは内容はまったく読み取れませんが、「白蟻」という題と作者名に興味を惹かれ書店を探し回りました。

 小栗虫太郎のデビューについては巷間に通ったエピソードがあるので簡略に記すにとどめます。
 昭和8年6月に発売された「新青年」の7月号に掲載予定だった横溝正史の作品が急病のために原稿落ちとなり、その代替として採用されたのが小栗の「完全犯罪」でした。これは好評を博し、彼はミステリーの世界に躍り出て一気に人気作家の地位を得ました。救われた横溝と救った小栗とはその後も親交を保ち、「今度お前さんが病気をするようなことがあったら、私がかわって書いてあげよう」という約束をします。しかし、小栗は昭和21年2月10日、疎開先の長野県で脳溢血のため急逝。それはメチルアルコールによる飲酒が引き鉄だったともいわれています。

 小栗の描写は本当に独特で、読み難さと合わせて久作に並ぶかもしれません。
 推理小説や探偵小説としての整合性よりも、より詩的でオカルト的な書き方を追求していたともいえます。

…俗に腸綿踊りなどと申すものがござゐます。それは、今も申した心理見世物の一種なのですが、遠見では人の顔か花のやうに見えるものが、近寄つて見ると、侍が切腹してゐたり、凄惨な殺し場であつたりして、つまり、腸綿の形を適当に作つて、それに色彩を加えるといふ、いわゆる錯覚物の一種なのです。そうしてみると、腸綿がとぐろまいてゐる情態ほど、種々雑多な連想を引き出してくるものは外になからふと思われます。すると、あの時の鵜飼はどうだつたでしょうか。腹腔が岩片に潰されてしまつて、その無残な裂け口から、幾重にも輪をなした腸綿が、ドロリと気味悪い薄紫色をして覗いておりましたわね。ああさうさう、あのブヨブヨした堤灯形の段だらだけは、貴方にはご存知がないはずです。ですけど、私の眼にさえも、それは異様なものに映じておりました。多分それというのも、胆汁や腹腔内の出血などが、泥さえも交え、ドロドロにかきまざっていたせいもあるでしようが、恰度その色雑多な液の中で、腸綿のとぐろがブワブワ浮んでいるように見えたのです。…

 これは主人公の夫が入れ替わる瞬間を象徴的に独白した部分ですが、シミュラクラ現象とも、フラクタル効果ともとれる暗示がなされています。
 こういった描写は、主人公とその家族が食事をする場面においても取り入れられ、そこが常人の場でないことを読者にインプリントしようと試み、それは獲物の描写に拘ることから始まっています。

…騎西家の建物は、充分時代の汚点で喰い荒され、外面は既にボロボロに欠け落ちてゐて、僅かにその偉容だけが、崩壊を防ぎ止めているやうに思われた。そして、全体が漆のやうな光を帯び、天井などは貫木も板も、判らぬほどに煤けてしまつてゐて、どこをのぞいてみても、朽木の匂いがぷんぷん香つてくるのだつた。しかし、戸口を跨いだとき、滝人は生暖かい裾風を感じて、思わず飛び退つた。それは、いつも忌しい、死産の記憶を蘇よみがえらせるからであつた。しかし、そこにあつたのは眼窩が双方抉られていて、そこから真黒な血が吹き出ている仔鹿(かよ)の首で、閾(しきゐ)の彼方からは、燃え木のはぜるやうな、脂肪の飛ぶ音が聴えて來た。そして、板戸一重の土間の中では、恐らく太古の狩猟時代を髣髴とさせる――まつたく退化しきつてしまつて、兇暴一途な食欲だけに化した、人達が居並んでゐた。土間の中央には、大きな摺鉢形をした窪みがあつて、そこには丸薪や、引き剥がした樹皮などが山のやうに積まれ、それが、先刻から燻りつづけてゐるのである。そして、太い刺叉が二本、その両側に立てられてゐて、その上の鐵棒には、首を打ち落された仔鹿の胴体が結びつけられてあつた。その仔鹿は、まだ一歳たらずの犬ほどの大きさのもので、穽に挾まれた前足の二本が、関節の所で砕かれてゐ、かえつて反対のほうに曲つたまま硬ばつてゐた。それに、背から下腹にかけて恰度胴体の中央辺に、大きな斑が一つあり、頸筋にも胴体との境に小さな斑が近接してゐて、恰度縞のやうに見えるものが一つあつた。けれども、その二つだけは、奇妙にも、血や泥で汚されてはいなかった。しかし、それ以外の鹿子色をした皮膚は、ドス黒くこびり付いた、血に塗まみれてゐて、ことに半面のほうは、逃げやうと悶えながら、岩壁に摺りつけたせいか、繊維の中にまで泥が浸み込み、絶えず脂とも、血ともつかぬやうなものが、滴り落ちてゐた。それであるから、仔鹿の形は、恰度置燈籠を、半分から截ち割つたやうであつて、幾分それが、陰惨な色調を救つてゐるように思へた。…

 この後、主人公の瀧人は、自分の狂気と他者の狂気との真実を見定めるために自己の論理を尽くし、変容の正体を突き止めようとします。
 小栗はエドガー・アラン・ポーの持つ詩情に満ちた怪奇と幻想に憧れ、力強い陰影によって心を魅了するマーラーをはじめとするドイツ歌曲を思いうかべ、それらを自分の世界に再現することに尽くしました。「白蟻」の執筆中にはそれらの韻律が彼の頭のなかで鳴り響いていたのではないでしょうか。
 夢野久作が狂人による狂気を書いたとしたなら、小栗虫太郎は常人として描ける究極の狂気を日本語において書こうとしたのかもしれません。

 白蟻 奥付


 

 

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「本陣殺人事件」 横溝正史

 「本陣殺人事件」(靑珠社、昭和22年初版)

 本陣殺人表紙 本陣殺人事件奥付

 岡山県のとある農村にある旧本陣の末裔・一柳家の屋敷で長男・賢蔵と元一柳家の小作の出である久保克子の結婚式が執り行われました。宴が仕舞った未明、突如として新郎新婦の寝屋である離家から悲鳴と琴をかき鳴らす音が聞こえ、異常を感じ家人が駆け付けると、きっちりと閉められていた室の中で無残な新郎新婦の死体が発見されます。警察による必死の捜査も虚しく犯人にたどり着く手がかりもなく、ついに新婦の小父である久保銀造が数年前に面倒を見た探偵業を営む一青年を呼び寄せます。彼は巻き尺も虫眼鏡も使わず、状況を整理考察し、論理的分析によって事実を浮かび上がらせていき、ついに真相を割り出すことに成功します。

 「本陣殺人事件」はこんな感じの話です。
 僕は何度もここに書いていますが、推理小説、探偵小説一般が苦手です。
 こじつけにも似たトリックと結果を引き出すための荒唐無稽な強引に筋立てられた事件など読むに堪えない。
 「推理」とは論理を駆使することであって、「推理小説」とはスリリングな心理描写と論理を楽しむものではないのかとの疑問が常にあります。はっきり言って今の探偵小説、推理小説には魅力を感じていません。

 横溝正史の代表作である「本陣殺人事件」は昭和21年2月に起稿し同年10月に脱稿しています。その点から言えば、もはや古典の域に入るかもしれませんが、この作品が僕に初めて論理を楽しめる探偵小説のあることを教えてくれました。

  本陣殺人事件角川文庫

 僕がこれを手に取ったのは作品自体に興味があったのではなく、杉本一文さんが描かれた表紙の、あの妖艶な美しさに見惚れたためです。丁度、中学にあがった年になります。

 江戸川乱歩はこの作品について「随筆 探偵小説」(淸流社、昭和22年初版)の中で詳細に述べています。ここでの解説内容については多少改稿はされていますが、「寶石 第二十巻第二號」(昭和22年)に掲載されたものとほぼ同様のものです。
 今日は、この乱歩の随筆にそって話をしてみようかと思います。

…横溝君の「本陣殺人事件」が完結したので最初から通讀して色々感想があった。これは戰後最初の推理長編小説といふだけではなく、横溝君としても處女作以來はじめての純推理ものであり、又日本探偵小説界でも二三の例外を除いて、殆んど英米風論理的小説であり、傑作か否かはしばらく別とするも、さういふ意味で大いに問題とすべき劃期的作品である。…

 第一次大戦から第二次大戦の終戦までの一時期、探偵小説を書くことが許されませんでした。探偵小説作家は題材を他に取るなり、休筆することをやむなくされ、横溝正史も例にもれることはありませんでした。
 彼は「どうしても探偵小説が書きたい。そこで当時ゆるされていた時代物の姿をかりた」と言っているように「からくり御殿」をはじめとする「人形佐七捕物帳」のシリーズを執筆します。
 しかしながら本格的探偵小説を書くには制約がありすぎ、終戦を待って漸く彼は望むように執筆を開始することができました。その最初の作が「金田一耕助」のデビューとなった「本陣殺人事件」でした。
 密室殺人を扱うことは横溝の中ではだいぶ前から決まっていたようです。けれど彼自身は密室を扱った作品についてはかなり批判的であり、それは本文中の金田一耕助の言葉にも見て取れます。

…密室の殺人を扱った探偵小説も澤山あるが、たいてい機械的なトリックで終わりへいくとがつかりさせられる。…

 そこで彼は、その機械仕立てに日本の伝統的なものを取り入れ、緊張感を持った非常に複雑な独自のトリックを考案しました。
 乱歩はこの構造トリックについて次のように批判しています。

…凶器を屋外に運ぶトリック・メカニズムが一讀直ちには納得出來ない點である。水車、琴糸、琴柱、石灯籠、節抜きの竹などの道具は、純日本風で面白くはあるけれども、そのメカニズムが複雑すぎるために、讀者をして「そんなにうまい具合にいくものなのか」と感じさせる點にある。…

 確かに、作中のトリックが完全に動作するにはかなり微妙な力学的な調整や建物の配置が必要であり、もっとも重要なのは水車の位置と言えます。しかし、設計図的には物理的に十分実現可能なトリック・メカニズムになっているところが作者の苦心の賜物でしょう。あれは現実に稼働させることができるトリックです。但し、作品中の準備期間において可能であったかは甚だ疑問ではあります。
 乱歩は殺人事件の動機についても次のように言及しています。

…私の今求めるものは近代文學が提唱する所の最高のリアリティではなくて、犯罪動機等に於ける性格と心理の必然性或いは蓋然性に過ぎない。それは二千数百年の昔、アリストテレスがギリシア悲劇に對してなした丁度あの要求にすぎないのである。…

 アリストテレスがした要求とは、「詩人は實在可能だが到底信じられない出來事よりも、寧ろ實在不可能だが本當にありさうな出來事の方を選ぶべきである」、「たとへ詩が模倣せんとする實際の人物が矛盾ある人間であつて、そして斯様な性格として描かれるのであつても、やはりその矛盾が矛盾なく描かれねばならない」、「萬一詩人が非蓋然的な筋を描き、そして、人をして作者はその筋をもつと蓋然的な形式に書けば書けたであろうにと、明らかに思わせるならば、その作者は藝術上の過失のみならず背理の罪を追ふものである」というものです。

 事件を引き起こす動機は現実世界においては、小説に描かれるほど理に適ってはいません。実際の事件は理不尽と理解不能な心理によって引き起こされていますから。
 しかし、現実と小説とは違います。小説は娯楽を目的としたものであって、読者を楽しませるという点を見逃してはなりません。乱歩はこの作品について、そこが一番納得いかなかったのだと思います。
 事件が犯人の性格によって生じたとするならば、その性格を物語の進行に沿って書けたはずであり、最後になってそれを詳細に語り事件に結び付けようと持ち出すというのは読者に対して不親切だと言っているのです。

 さらに乱歩は、探偵小説とは犯人と探偵とが知力を尽くして戦うのが醍醐味であって、その過程に生じる焦燥、諦観、高揚などを描くものであると主張します。

…探偵小説は、殊に長編のそれは、なぜ例外なく殺人事件を扱ふのであるか。それは探偵小説が謂ふが如く單なるパヅルの文學ではないからである。謎と推理のみが唯一の條件なれば、殺人や犯罪を素材とする必要は少しもない。それにもかかわらず始祖ポー以來探偵小説には犯罪殊に殺人がつきもののやうになつてゐるのはなぜであるか。その理由は、探偵小説の魅力の半ば或いは半ば以上が、殺人のスリルと、犯罪者の悪念から生まれた絶望的な知力と、そして、世人が経験することを極度に怖れながら、しかも下意識に於いては却ってその経験を願望してゐるところの、犯罪者の戦慄すべき孤独感等に在るからである。…

 横溝正史自身も、この作品が論理に傾注し淡々とした性格を有し、スリル、恐怖、怪奇と言った要素に弱い点は認めています。特に事件の動機については出版されるにあたり大いに加筆し、犯人の性格を解いています。
 乱歩の言うようにそれは「後出し」的なもので不親切なのかもしれません。
 僕は本道の探偵小説がどういうものか分かりませんが、僕に向いている探偵小説もあるのだと教えてくれた貴重な作品です。
 この後、同じ横溝作品である「獄門島」「八つ墓村」「夜歩く」「悪魔が来たりて笛を吹く」「悪魔の手毬唄」と読み進むことになります。

 本陣殺人事件蔵書票 蔵書票・杉本一文

 

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豊田穣「ミッドウェー海戰」

…加賀は赤城より五千米以上遅れ、蒼龍もその位飛龍から離れていた。どちらも停止しているように見えた。火焔は蒼龍が一番ひどいようであつた。何だこれは、・・・・・・彼はまだ目の前の現実が信ぜられないので眼をぱちぱちさせた。先刻彼が眠る前まで悠々と浮いて、まるで當然のように海上を走りながら飛行機を発着艦させていたこの三艦がいまはあの不吉な赤や黒の火焔や煙に變わつてしまったのだ。どう云う譯なんだろう、なんと云うことなんだろう。この分ぢや今この俺をのせているこの飛龍だつて當然のような顔をしてその上にたつているこの俺だつて、一瞬の間に焔に包まれてしまうことだつてあり得るのだ。えらい事だ。えらい戦争の中に俺は飛び込んでしまつた。…

 ミッドウェー海戦 (作家社・昭和26年初版)

 豊田穣は昭和26年に作家社より「ミッドウェー海戰」を発行し、その5年後に各章に見出しをつけ再編し「海なる墓標」と改題して虎書房から出しています。さらにその17年後である昭和48年に文藝春秋社から「ミッドウェー海戰」に加筆改稿し「ミッドウェー戦記」として上梓しました。
 この海戦が行われたのは昭和17年6月5日。豊田は当時大分県宇佐駐留地で海軍中尉として飛行隊に所属し爆撃訓練を受けていました。その後、宮崎県富高航空基地に移動になり、そこでミッドウェーからの帰還兵が兵舎で軟禁生活を強いられているのを目の当たりにし、教練においては空母瑞鶴の着艦指導教官として配属されていた赤城の艦上爆撃隊に所属していた山田昌平から指導を受けています。海戦直後の緘口令が敷かれるなかでこの敗戦は誰も口に出さずとも身に迫り、「ミッドウェー海戦とはなんであったのか」という強い疑問と関心を持つようになります。
 豊田は翌18年4月、ソロモン海域での戦闘で撃墜されて米軍の捕虜となり、ウイスコンシン捕虜収容所で飛龍の相宗機関長、梶島大尉と共に過ごし、飛龍の最期と漂流の様子を詳細に聞くことができました。
 終戦後の戦争小説ブームがひと段落した昭和24年夏頃から豊田は小説として書き上げるための取材を開始します。橋本敏男、後藤仁一など生存者を精力的に回り、ノンフィクションとして書くだけの材料を集めました。しかし、ここに書かれているのは「記録」ではもちろんありません。
 「ノンフィクションというだけでは事実しか伝えることができない。そこに一種の文学的事実というものを通して伝えるべき真実もあるのではないか。けれど全てがフィクションというのは歴史が許さない」と言う姿勢で書き上げられたのが「ミッドウェー海戰」でした。
 極限にある生と死は単なる記録ではなく、伝えるべき伝説が存在しなければならない。散華とか滅びの美学などという安易な修飾ではなく、虚無と慟哭を文学として伝えることに腐心したのです。

 海なる墓標 (虎書房・昭和31年初版)

…これだけの人間が死んだ。燃えて焼けてそして今煮えている。死んだのだ。そして、俺は生きている。いま、俺は生きている、いまは、だ。この、いま生きている、と云う感じは、格納庫の屍体と對比して激しい勢いで彼の胸を打つた。…
 
 3種のミッドウェーはそれぞれ少しずつ形を変えています。
 最初の版では、海戦前夜から作戦中止の下令が出されるまでを中心に、そして後日譚として飛龍乗組員の2週間に及ぶ漂流の顛末が述べられ、特に漂流については最終章として多くのページが割かれています。
 次の版では、先の版を全7章とし各章をさらに分けて見出しをつけ、配列も時系列がわかりやすいように再編集されています。
 最後の版は3作中もっともスマートな流れで組み立てられています。「ミッドウェー海戰」をベースとし、そこに下田多門少将の生き様とアメリカ側の資料をもとにその動き、さらには映画監督ジョン・フォードがドキュメント・フィルムを撮るという胡椒の一振りを加えています。ただし、漂流についてはページ数の兼ね合いで要約せざるを得ず粗筋的な抜き書きになりました。

 事実をもとにしたもの、特に戦争を題材としたものは書くのが難しい。戦争の動きを少数の人物にとどめるということが如何に困難であるかは、戦死者並びに生存者の運命の多さを想像しようとしてみれば自ずと推察することができると思います。人物を絞りこむことで英雄伝となってしまう恐れが多分に生じます。
 戦争がロマン主義的な叙事詩で語られる時代は遥か昔に過ぎ、今僕たちが手にすべきは戦争において払われた多大な、そして、それらの大部分は無価値として忘却されてしまっている無数の個人たちの努力なのです。
 「人間の運命はその性格が流れを作るのだ」と言った哲学者がいました。小さな選択ではそれは妥当なのかもしれません。けれど抵抗が不可能な意思の流れというものは確かに存在するのです。それを神と言ったら冒涜だと宗教者から叱られるかもしれませんが。
 戦争に限らず過去は後に教訓を残します。
 受け手によって印象を変えてしまう教訓を正しい形で伝えてゆくことの至難さを僕は戦記物を読むたびに思います。終戦とはいつを指すものなのでしょうか。
 
…イフ・ユー・ウォント(もし、よければ)と艦長らしき男がをいて行つたキャメルを味岡は寝たまま一寸吸つてみた。頭がくらつとして、背に敷いてあるシーツに体がのめりこんで行きそうな感じがした。彼は耳鳴りを感じた。― 俺は捕虜になつたんだ。自決するか、祖國を捨てるか、この二つ以外に俺のとるべき道はないのだ。しかし― 彼は自分にそう云つて聞かせた。すると彼の耳元で突然女の聲がした。それは低い、そしてかすれたようなソプラノでこう云つていた。
 ― 戦争が終わつたら結婚しましよう。―
 昭和十七年六月二十日であつた。
 ミツドウェー海戰は終わつた。…

 ミッドウェー戦記 (文藝春秋・昭和48年初版)





 

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佐藤志満 歌集「草の上」

 佐藤志満が作歌をするようになったのは、東京女子大学在学中に講義を担当した森本治吉の影響であったと本歌集の後書きにあります。
 彼女の歌は、「水辺に住んだから釣ったというものかもしれない」と自身で言うように技巧を凝らした難解なものではなく、自然体で読む側にも伝わりやすいものです。
 アララギに移ってからは斉藤茂吉に師事し、茂吉から贈られた「水上よし」の筆名で活動していましたが、本腰をいれるところまではいかず投稿も途絶えがちでした。
 本業として作歌にのりだすのは、終戦後、「歩道」という雑誌に参画してからになります。
 この歌集は主にその「歩道」の軌跡といってもよいかと思います。

 草の上 (白玉書房・昭和30年初版)

…鶏のため菜をきざむ午前七時曇りて船の汽笛聞こゆる 

 これは歌集の第一句です。
 ここに見られるように彼女が歌ったのは素朴な生活です。
 日々の営みと葛藤。
 口が悪く短気な夫に対する苛立ち、貧しい暮らし、時折射し込む光のような幸福感といったものを、過ごし方は変わってもどこにでも誰にでもある日常生活の諦観や高揚を素朴に力強く歌い続けました。

…疲れたるままに目覚むる朝ありて卵うむ鶏のこゑの鋭さ

…寝不足のからだほてりて朝の雨音なく降れる道歩み來つ 
 
 眠りは体の疲れをとることはできても心の疲れを取り除くことはできません。
 どんなに瞼を閉じて居ようと自分は眠った気になれないまま朝を迎えます。不安を抱いたまま眠りにつけば目覚めてそれを再確認するだけのことです。
 そうした中で生命を告げる音はどれほど鋭利に響くことでしょう。
 降る雨は道行く人に無関心で、熱を帯びて気怠く感じる体にもその雫を当てつづけます。
 濡れそぼった自分を頼りないと感じるか、打つ雨の冷たさを心地よいと思うか、それはその朝の迎え方によるのでしょう。
 
…宵宵に箱に分け入れ眠らしむからだ重たくなりしひよこら 

…入りゆけば吾に寄りくる鶏の群盲ひしはおどおど餌をついばめり 

 生活のための生命。
 それでも確かな愛情はあるのです。個々に名づけることはなくても。
 盲いた鳥は周囲に同調できない、或いは、自らを異分子として感じてしまう自分自身なのかもしれないですね。
 悪意に怯えて警戒を張り、終始びくびくしているような。

…かくばかり心に残る悔しみよ暑き日向に草を抜きつつ 
 
…雑草をしぬぎて咲ける孔雀草ひるの光に花びら垂れて 

 弱きにあたる切なさを一番身に染みているのは苛立ちを隠せない自分なのです。 
 やるせなさの矛先を向けられた雑草と、その中をすっくと抜け出して咲く孔雀草。
 あなたはどちらに自分を感じますか?
 
…靑草の岸を浸してゆく川の流は親し濁りたれども 

 清らかなことと聖なることが違うように、いくら濁っていてもそれは自分とともにあるという親しみを打ち消す理由にはなりません。
 たとえばガンジス川は清流ではないけれど、あれほど聖なる信仰を集めている川もないでしょう。それと同じことです。

…幕開きし舞臺のごとく にはかなる 空の夕映 雨やみしかば 

 ここではわかりやすいように節を入れましたが原文は句を区切っていません。
 雨が降り続いた後、雲がさっと切れてまるで何かが降臨したかのように俄かに光が降り注いできます。
 そんな光景に出会う度に、何かが変わるかもしれないと当てのない期待を抱くのは人間ならではでしょう。

 歌集の末尾の句です。

…日すがらにしぐれの雨は降りながら音しげきときゆるる篁 

 蛇足ですが、篁は竹林、竹藪のことです。

 佐藤志満署名 (野溝七生子宛署名)
 
  
 

 

 
 

 



 
 

室生犀星「蝶」

…人の死といふことも妙齡の少女の死ほど、襟を正さしめる淸らかさを感じしめるものはない、少女は死ぬも生きるも、ともにあでやかで、人として人のすることをしないで死んでゆくといふことに、いたみつくせない美と、測り知れぬくやしさがあった。甚吉はいくたびか少女の死といふものを眼にし、またそれを聞くたびに毎時もあたらしいくやしさ、勿體なさを遥かに遠くの方に向かつて感じた。遥かに遠くの方に向かつてなどといふ空虚な言ひ廻しはありえないが、結局、さういひあらわすより外に適當な言葉のないのも、死といふものの正體だつた。…

 犀星・蝶 蝶・故山(櫻井書店、昭和16年初版)

 室生犀星の「蝶」は、娘の同級生であった「山ちん」と呼ばれていた少女の死を綴った短篇です。
 僕がこの作品を知ったのは、どこかは忘れてしまいましたが文学館で行われていた朗読会でした。
 声優か役者の玉子であったか、新人であったか、それも定かではないので申し訳ありませんが、まだ20歳そこそこに見える女性(それでも高校生の僕から見れば十分に大人の女性でした)が朗読を担当していました。
 岩波の全集を底本にしていたようです。
 歯切れよく淡々としながらも、会話の場面では情景が浮かんでくるように声音を変え抑揚をつけて「流石は本職」と思わせられたことを思い出します。
 
 犀星の自伝にもとづく小説の特徴とも言えますが、この「蝶」も感傷に溺れず客観的な描写が続きます。
 少女と死というとどうしても甘ったるいセンチメンタリズムに走りがちなイメージがありますが、ここにはそういった甘さはありません。むしろ冷たいとも感じられるかもしれません。
 けれども、その客観的な少女の死の描写が、どこか現実を離れた夢の話であるかのように、残された人々のなかに再現されている切なさを的確に伝えてきます。
 死の現実は自分の生とは無関係にさえ思われ、それは犀星が書出しで述べているように「遥かに遠くの方」に向かってその人の不存在の空虚さを呼び起こさせるものなのでしょう。
 昨日までそこにいた人はもういないという不思議さ、間隙の空しさ、そういったものなのです。

 この作品に登場する「山ちん」と呼ばれる少女は次のように描写されています。

…はじめのうち甚吉は女学生といふものはどの子もよく似てゐるやうで、誰が誰やら、その特徴をとらへるに甚だ艱難だつた。ただみんなから圖拔けて背丈の高い子がゐてその子が山ちんといふ異名がついていることを知つた。十八歳で五尺三寸かつきりあるといへば、とても眼にたつものであつた。甚吉は娘の友達とは庭からちょつと頭をさげるくらゐで、あとで今日來たのは何といふ人かとたづねるが、あれは山ちんだといつたきり山ちんとはどういふ意味があるのかわからなかつた。…

 少女たちは夏休暇を利用して犀星の別荘があった軽井沢を訪ねて一週間ほど避暑を楽しみます。
 さて、この「山ちん」という少女ですが身長が五尺三寸と書かれています。換算すれば約175cmです。
 彼女は胸を病んでいたことから痩躯であることは容易に想像できますから、五人の少女のうちでその長身痩躯は犀星の眼に一際印象的に映ったことでしょう。
 この少女は文学好きであり、流行に流されない確固たる基準を備えていたようです。数行ではありますが甚吉と彼女との会話のなかでそれが垣間見られます。

…「おぢさま、あかしかいじんの本はございません?」
 或日、山ちんはめづらしく本のことで茶の間で、お茶を飲んでいる甚吉にさうたづねた。この茶の間は四疊半しかなかつたが、庭苔と庭木が疊とすれすれに蒼さを迫らして來るやうな、そんな気持ちの落ち着きと明るさを持つ部屋だつた。
 「あかしかいじんの本とは何なの。」
 「歌をかく人。」
 「あゝ、あの明石海人かね。雑誌に出た歌ならさがして見たらあるかも知れん。山ちんは歌が好き。」
 「可哀想な人ですから讀んでみたいの。」
 「あかしかいじんの歌はみんな讀んでゐるかね。」
 「さあ、誰も讀んでいないでせう。」…

 犀星は少女の最後の夏を思い浮かべ筆をすすめて行きます。
 「山ちん」と呼ばれた大人しい長身の少女に対し、娘の他の友達の女学生とも、また巷の多くの女性とも異なった香気をもつ独特の存在を確信しながら、その穢れ無き生の終りを美しく華やかな音楽に譬え、また現実という実感のなかで薄れてゆく死の不確かさをも美としてとらえます。 

 その少女と過ごした最後の夏に立ち寄った軽井沢の自然石を扱う土産物屋でのできごとを死の予感ともとれる感懐を交え、夏の夜に買い物を楽しむ少女たちの華やかさをわずかな行数で綴っています。

…山ちんと君子は今夜も寶石のある店先に立つて、あれかこれかと、眼を美しい石のあひだに遊ばせてゐた。本物の材料をほんの少しつかつた、高級なおみやげものを商ふ店だつた。
 「どうしても買ふわ。」
 甚吉はその聲音の強いのに驚いた。碧い玉と、珊瑚色の玉とをならべて、山ちんは決心したしたやうに言つた。
 「おぢさまにえらんでいただくわ。」
 甚吉はそばに寄つて二種類ある指輪のそのどちらかの玉をえらばなければならなかつた。
 「この碧いやつがいい。」
 「けど、さんご色してゐるのもいいわ。」
 「ぢゃ、兩方にしたらどう?」
 「そんなにお金ないわ。」
 山ちんはさきの細れたやうな興奮をまぜた聲で云った。
 「ではやはり珊瑚色か。」
 山ちんは物を購ふときにする物悲しい顔付きに變えた。
 「この次に購ふことにしてもいいわ。」
 「山ちんはね、お父様。もうぴいぴいなのよ、氷菓(こおん)ばかり食べてゐるから、少しかしてあげてよ。」
 「貸すよ。」
 君子は山ちんとくしゃくしゃと何かを話しあふと、山ちんはうんうんと肯いて先刻の物悲しい顔付をどこかにしまひ込んで、眼だけを甚吉の方に向けて顔は君子とむかひ合ひにしたまま、實に美しい眼をして何をいつているかお分かりになると云つた。甚吉は笑つて紙入を君子に渡し、山ちんはさんご色の少女の好きそうな指輪を一箇購つた。…
   
 僕がこの作品に吸い寄せられるのはいくつもの要因があるのですが、その中のひとつに、残された少女たちが抱く親友の死に感じ取る恐怖心があります。

 通夜の終りに礼儀として最後に顔をみて行くのかどうかを甚吉は君子たちに問いかけました。

…それだけのことで皆の顔は緊張してかたくなつて行つた。物怖ぢと、気の毒さとで、彼女らは死んだ友人の顔を見ないのも悪いし、見るのは怖いし、どうしていいやら迷つてゐるふうだつた。甚吉はいつそ黙つていればよかつたと思つた。 「見なくとも悪いことはないのだよ。みんなにさうお言ひ。」…

 結局、少女たちは顔を見ずに帰ることを選択します。
 友人に限らず死者の顔がもたらす怖さと言うものは、単にオカルト的なものではありません。近しい人ほど「そこに現れるのではないか」と言った、一種の「連れ去り」の不安に似た怖さを与えます。
 自分を迎えにくるのではないか、何かを訴えにくるのではないかと言う、明かりを消したその夜の怖さなのです。
 
 この「蝶」という作品は、いずれ誰かに壊されてしまう少女と言う危うい瞬間の美しさを描いたものです。
 そして、壊されることなく逝った一人の少女に永遠の美を送ったのです。

 犀星は終りに少女たちの夏を振り返ります。

…川のなかはやつと靑いひとすじの水が、せせらぎをつくつてゐるばかりだつた。河原の石もまぶしいくらゐ日に輝いてゐるし、みんなのスカートも眼に痛いくらゐの反射をひらめかしてゐた。彼女らは高い石垣の上に腰かけ、みな一様の白いスカートを帆のやうに立ててゐた。人といふよりも遠くからは白い蝶のやうに見える程、スカートの純白さがあざやかだつた。…




 
 

 

テーマ : ひとりごと…雑記…きままに
ジャンル : 日記

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