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野溝七生子「山梔」

 少女小説が初めて登場したのは、明治28年9月号の「少年世界」に掲載された若松賤子の作品である言われています。それまでは少年と少女の別は設けられていませんでした。この号において「少女欄」が設置され、愛国婦人教育のための啓蒙の一環として作品が書かれたようです。富国強兵政策と婦人道徳という社会背景が強く反映された結果とも言えます。
 そして明治35年には「少女界」が創刊され、以後、少女小説という独特の分野が流行していきます。
 明治以降現在まで、吉屋信子、江間章子、森田たま、横山美智子、松田瓊子、円地文子、堀寿子など数多くの少女小説作家が生まれ、川端康成、菊池寛、山本周五郎、吉川英治、檀一雄らも一時期は精力的にこれを手掛けていました。その中でも一際異彩を放っている作家が野溝七生子です。

 野溝七生子は、1897年(明治30年)に姫路で生まれ、1987年(昭和62年)に西多摩郡にある仁友病院で急性心不全により亡くなっています。
 26歳の時に懸賞小説に応募し、それが徳田秋声、田山花袋、島崎藤村らに認められ文壇に処女作「山梔」を飾りました。
 その物語の骨子は彼女が受けた父親からの虐待と家父長制度、男性優位社会に対するレジスタンスです。

 七生子の父親は陸軍士官であり、徹底した利己主義、かつ、封建的道徳に基づく厳格な質で、女性蔑視、効率優先、そして、体罰主義者であったらしく、作中において七生子は父親を次のように描写しています。

…人間としての彼は、しかしどう考えても不具者であつた。彼は所有することを知つて、愛することを知らなかった。欲するものは何をでもつかみ取つた。だがすぐにまた捨てた。生活は放縦になるだけなつていつた。気まぐれで怒りつぽくて、傲慢で自信強い虚栄家であつた。…

 さらに「悪魔の友達のような男」であり、自分の不幸の原因はすべて「他人の故」だと思い、従って自身を顧みて煩悶するようなことは一切しなかった人間であったと続けています。
 しかしながら七生子の父親の本当の不幸は、彼自身が幼少時に継母から受けた虐待が原因であったことにあります。心の裡に形成された子供たちへの体罰の衝動は、彼自身が受けた虐待の体験から引き継がれた報復的な心裡行動であったことです。
 その折檻は常軌を逸したものであり、彼の妻、つまり七生子の母親は子供たちを守るために自分が鬼になることを決断せざるを得なかったほどでした。

…父が、子供を折檻するのは、自分が打たれるよりももつと我慢がならないと母は云つた。
 母の躾が悪いから、父が打たなければならないような子供ができあがるのだと父が云つた。
 以後は、折檻の必要がある場合には、自分でする、決して父の手を煩はしたくないと母が云つた。そして、その聲がどんなに傷ましかつたか。…

 母親は父親の手から敏捷に子供を奪い、自分の手で父親が納得のいくような折檻を加える道を選んだのです。それが子供たちを守る唯一の術だと思えたのです。
 父の暴力から我が子を守るために鬼になる母、その母を憎む子、そして母を憎ませるように仕向けた父への更なる憎悪。
 このような家庭環境は夫婦や家庭というものに対する概念を屈折させるに十分過ぎました。
 野溝七生子が生涯を独身で通し、晩年は家さえもたず新橋の第一ホテルに居住し文学研究に没頭した理由もそこに帰結するものではなかったかという気がします。

 「山梔」(春秋社、大正15年初版)

 RIMG0164.jpg 

…「母さん、緑ちゃん、助けて頂戴。」
 と咽喉の引き裂けそうな聲を上げたが答える者はいなかつた。
 子供は時々歔欷りあげては何かを考えようとした。長い間かかつて小さい、可哀そうな頭で一生懸命考えたことは死ぬことであつた。面當に死ぬことであつた。…

 主人公の名は「阿字子」。
 幼い彼女はある夕ぐれ、母親のために美しく香る山梔の花を手折ろうと懸命に手を伸ばしていました。届かなくとも精一杯に。すると、背後からそっと抱き上げてくれた人がおり、振り向くと怜悧な双眸をもった美しい少女がいました。
 これが「調」との邂逅の瞬間です。
 物語前半において調は非常に重要な役割を担います。阿字子に女性の置かれた立場、自由意志の大切さと儚さ、抗うべきものの存在について気づかせて行きます。

 阿字子に自身の過去や未来を重ね合わせていた調は、自分の置かれた抗えない運命を確信してこう話しかけます。

…誰もが、私を意地悪だと知らないほど、私は意地悪なんだから、誰にも云つちやいけないことよ。あなたに知られたことは我慢するわ、どうせあなたも今に意地悪になるにきまつているんですもの。母さんのために私に憤つたあなたは、好い子よ。ずいぶん好い子だわ。でも、いまにあなたは、私のために・・・あなたの為に・・・きつと母さんに憤るときが來ることよ。そして阿字ちやんは少しづつとられて行くんだわ。ずいぶん悲しいことだけど仕方ないことよ。…

 ここに言う「とられて行く」とは紛れもなく女性としての自由意志と可能性のことです。進路、嗜好、恋愛を含めて。
 阿字子は、自分や姉の「緑」、調が見ていた理想を、好いものだけを素直に吸収して行く妹の「空」の純粋さの中に見出します。そして自分自身を顧みてこう呟くのです。

…私は、もう駄目だ。汚れてしまつてゐる。人間は、どうして生まれたままの魂を持ち続けてゆくことが出來ないのか。もし、悪いことを知つても、知つたということに止めておけば好いのではないのか。知つたということが、行つたということになるほど、人間は、悪いことを行おうとしてゐる。こうして悪い意志ばかりが、どんどん殖え充ちて行くのだ。…

 阿字子は理不尽に自由意志を棄てさせられる女性たちを見送りながら、自分だけは流されまいという信念を持ち続けます。そして、自分が置かれた環境に抗うためにはその庇護の許にあるべきではないと決意し、独立して生活することを選択します。つまり父に対抗するためには一切その世話になるべきではないと。

 成長してゆく阿字子は様々な出会いと別れを繰り返し、自身が抗うべきものの正体を突き止めて行くのです。
 「家長」という地位を失った父に対する憐憫は阿字子に家族愛を喚起させ、反して、敬愛していた兄が地位を得ることによって変貌する様に「家」という呪縛を更に憎むようにもなります。 
 性別を問わず自由意志に基づいて生きられる幸福を追求する阿字子の姿は、傷つき心を閉ざして行く闘いの過程を描きだします。そして彼女が真に自由に生きるためには孤独にならざるをえなかった結末を突きつけてくるのです。 

 「山梔」を書いた26歳当時の七生子、また、少女時代の彼女は何に憧れ、何を求めていたのか、この作品はその生い立ちを吐露しただけではなく、その時代に置かれた多感な少女の心理を巧みに描いた少女文学の稀有な結晶です。
 この作品をお読みになる時には、登場人物の名前にも注意を払って読んでみてください。伝わってくると思います。
 風にそよぐ優しさと動きの象徴としての「緑」。調和、調えるという以外に伝えるという意味をもつ「調」。すべてを受け入れる無垢を示す「空」。そして、五十音の最初の文字に込められた先駆者としての「阿字子」。その他の人物の名前にも名付けられた理由が存在しているのです。それらの解釈は作者以外には「正解」というものはないでしょう。けれど推測して行くという大切さが必ずあるのです。

 「山梔」は大変面白いのですが、小説として読み切るには非常にエネルギーを必要とする作品です。
 僕としては、佐香厚子さんか、萩尾望都さんがコミカラズしてくれたなら良いなと思っているのですが難しいでしょうね。

 RIMG0166.jpg 扉・奥付


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白蓮「指鬘外道」

 柳原白蓮の戯曲「指鬘外道」は次のような序文から書き出されています。

 指鬘外道 装丁 (大鐙閣、大正9年第4版)

 …これは 日に 祈りと 化粧 とを事として 一生を 終るかの如くに置かれた 果敢ない女の指先から生まれたものです。
 朝に 夕に うち向かふ 最も親しかるべき鏡ですら どこやら逆さに寫して見せてくれる その偽りにも いつしか馴れては 唯一の睦まじきものとも思ひ暮らす 私 夜にもなれば 優しい魂がそつとかへつて來て 敬虔な祈りへと誘ふ …
 
 「幻の地獄」と題された口絵は竹久夢二が手掛けており、絵にはつぎのような戯曲中の一文が添えられています。

 指鬘外道2 口絵 指鬘外道 函  

 …もつと血が欲しくばこの私の血を絞るがよい、そなたには疫病のように嫌われたるこの私でも、夜になればあまたの痩犬共がやつて來て、骨までしゃぶるであらう…

 柳原白蓮については「處女の頃」の挿絵を取り上げた時に少し触れました。
 皇室出身者として九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門に嫁ぎ、「家」が人であり、家長こそが意思を有する全人格であった時代において、女性個人としての自由と愛を渇望し、ついには宮崎龍介と出奔した女性歌人。
 その出奔の相手・宮崎龍介と白蓮を結びつけたものが、大正8年に雑誌「解放」に発表された戯曲「指鬘外道」でした。
 この「序」を読むにあったって思い起こされるのは、大正10年10月22日付の大阪朝日新聞の夕刊に掲載された「私は金力を以つて女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます。私は私の個性の自由と尊貴を護り且培ふ為めに貴方の許を離れます」と言う一連の伊藤伝右衛門宛の公開絶縁状です。
 また、奥付、並びに、表題の著者欄には、單に「白蓮」とだけ記され姓はありません。
 これは女性の文筆活動を快しとしなかった伊藤伝右衛門への配慮もあるのでしょうが、序文と併せてみると既に白蓮はこの時から伊藤家を憎み、自分の運命と戦う決意を固めていたのかのようにも思えます。

 指鬘外道 表見返し 表見返し

 指鬘外道、或いは、鴦掘摩とは、阿含経典に含まれる鴦掘摩経等に登場する釈迦の弟子のひとりです。
 本当の名は "Ahinnsa" と言い、100人の命を奪い、その指を切り取って鬘に通し、首飾りにしたことから「アングリマーラ」(Angulimāla:指鬘)と言う俗名が付けられました。
 彼の名前をここでは白蓮の戯曲にしたがって「鴦掘摩」と呼ぶことにします。
 
 この鴦掘摩が転じた指鬘外道が悪鬼の如く恐れられたのは事実ですが、彼はもともと聡明で、禁欲をよく守り、非常に人望の厚い人物でした。
 それがなぜ悪鬼の如くに豹変したのかというと、彼の師の妻が鴦掘摩に横恋慕したことから端を発します。
 
 …そもそも私の望ない望をかえた不幸は、過去の縁といふものか、過去から呪はれた此身の因果か、聲なき聲の苦しさ、謳わざる歌の悲しき調、報いなき祈りのあはれさ、想ひと恨みはほのじろく、燐の如に陰火は燃えて怪しう現はれ來るもの、みんな我魂が生む幻の影、私のこの黑髪に深々と顔を埋めて泣くよ。日毎に夜毎に眠りの床と天井に這い周るよ戀しきもののけ、私は生む事なき懐妊を苦しみながら晝と夜との合に悶ゆる愛の燈火は待てど來らず、平かなる晝はくれどもこの身には日の光も見えず…

 夫人は鴦掘摩への恋慕の情に囚われ、昼夜を問わない激しい煩悶に苦悩し、ついには成し遂げられぬと知ると諦めは憎悪に変わり、鴦掘摩への復讐へと動きます。
 事件は師の留守の間に起きました。
 夫人は着ていた自分の衣を破り裂いて乱暴されたかのように装い、夫(師)の帰りを待ち、虚偽の訴えを起こしたのです。
 師はそれを聞き「鴦掘摩を破門する」と言いますが、夫人は次のように申し出ます。

 …あなたは旅からお歸りなされたらあの鴦掘摩に婆羅門の法の皆傳をお授けになる筈でした。その秘法を許さるるものの約束として百人の命を絶つのじゃと、斯う仰しやりませ。百人は愚か十人がほどにもならぬうちに誰かに嬲り殺しされてしまひます。それ故あなたは私の申し上げた事を鴦掘摩に決して仰つてはなりませぬ。彼の罪をお裁きになつてはなりませぬ。唯御命令をなさればそれでよいのです。…

 「婆羅門の秘法を授かり皆伝となるためには百人の命を奪え」というのです。
 それを聞き、鴦掘摩は驚愕し師に質します。

 …
 鴦掘摩「人の生命を絶つ。然も百人。それは又思ひもよらぬこと」
 師  「婆羅門の教は師の命に違背は許されぬものぢや」
 鴦掘摩「師の命はこれ天の命と、それはよく心得て居りまする。なれど餘りに意外の仰せに驚きまする」
 師  「百人くらいの人の命を奪ふのが何の驚く事がある。我秘法は百の人命よりも重しとせねばばらぬ」…

 そしてついに鴦掘摩は婆羅門の規律に遵い復命を約します。それが「百の玉の緒を繋ぎ合はして」その印とした指鬘なのです。

 如何に理不尽と思える命令でも、それが師の口からでたものであれば疑わずに遵うという盲目的信仰。
 個人の良心の届かないところにある帰依への信奉が悲劇のもとになるのです。
 そしてそれは鴦掘摩に、その法を守るために人心を棄てた悪鬼という結果をもたらしたのです。

 指鬘外道 奥付 奥付

 九十九人を殺し、丁度百人目という時に指鬘外道が我が子であるという噂を聞き、鴦掘摩の母が彼の前に現れます。しかし、既に人として壊れ尽くした彼には実母も判らず殺そうとします。
 そこへ釈迦牟尼世尊が現れ、母を庇うと共に、鴦掘摩を業から救い出し、直弟子のひとりに加えます。
 釈迦を追ってきた弟子がその事を聞き、訝しく思い、釈迦に問いかけます。
 すると釈迦は遥か昔の大果王とその王子の話をし、業が因縁によるものであり、殺人者も被害者も教唆した者もその因果による繋がりがあるのだと説き、ここにおいて(釈迦と出会うことで)仏縁が成就したとするのです。

 この戯曲は、現生における鴦掘摩の顛末、そしてその業を救う前半。過去における転生の因果を説く後半とに分かれています。
 人の現世の罪業は偏にその人物の所業のみによるものではなく、連綿と続く因果に基づいており、それを知ることにより根本から魂を救うことができると説いているのです。

 白蓮は鴦掘摩の業と救済に何を見、そして、望んでいたのでしょうか。
 大正天皇の従妹、皇族の出自という因縁。望まぬ再婚相手。個人の意思を拒絶する家制度。女性蔑視。
 そうしたものが過去の業によるものであり、その業を心から知り得た時、必ずや救済の手が差し伸べられることを夢見ていたのでしょうか。
 
 戯曲の過去において、王子を誘惑する女がこう述べています。

 …私がいとしう思ふものは憎み。私の仇は愛しまする。如何な日でも私の身方でないと知った時の心細さ頼りなさ、せめて女として妻として當然受けてよい筈の仕合せだけでもと、幾度泣いたかしれませぬ。私がもつと醜く、もつと年をとつて居ましたなら、或いはあの人は妻に親切にする事を恥ぢはしなかつたかもしれませぬ。いいえ、親切でないまでもこんな無慈悲な遊戲を人々に見せつける事だけはする甲斐もなかつたに違ひありませぬ。私はそれを許し難いものに思ひました。世の中の男の凡てを許し難いものに存じまする。假令へ(あなた様でもという言葉は口の中に消えて)…

 劇中において、因果を抱く女(現世の夫人の前世)に言わせたこの台詞は、白蓮の切実な呻きだったのかもしれません。

  指鬘外道 夢の歌 楽譜「指鬘外道」(山田耕作・作曲)

 後に戯曲「指鬘外道」の一節を取り出したものに山田耕作が曲が付し、「夢の歌」として発表されています。





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国木田独歩「歸去来」

 独歩「帰去来」
 (春陽堂、大正8年第8版)

 母上には唯だ墓参のためとばかり、其餘は以心傳心のつもりで何事も言葉に出さなかった。
 「そんなら私も。」
 と言われたを打ち消して、
 「おととしもお歸りになつて又た。」
 と答えた言葉は何となく角の立つようで、気になったが、それでも母上は自分の顔を見て微笑まれたばかりであった。其夕暮には御自身で土産物などを買整へて直にも立たれるようにして呉れられた。ただ一品、自分は母上に隠して自から買求め、行李の底に、大事に納つておいた。隠す程の品物ではない、ただ、
 「それは誰に呉れるの?」
 母は問われるであろう。
 「小川の綾さんに。」
 この答えが自分の口から澱みなくでるだらうか、頗る覺束ない。

 この冒頭がこの小説の全てです。
 読んで推測できる通りに主人公は結婚を申し込むために帰郷を決意します。そして、その心の底では「失敗はないだろう」と言う読みがうかがわれます。ただそれを公言する勇気はどうやら持ち合わせてはいないようです。
 しかしながら隠したところで、主人公27歳、適齢期の男が一人、家族の同道を断って単に墓参のために帰郷すると言うのは、カンの良い人からすれば「もしかしたら…」と思われるにしくはない。

 案の定、途中で行き合った知人からは次のように揶揄されます。

 「何處へゆく。」
 「ちょっと國へ歸ってくる。」
 「一人でか。」
 「さうだ。」
 「そして今度は二人連れで上京するといふ趣向かね。」
 「馬鹿ァ言ってる。」

 この主人公、はにかみ屋さんですが自信家ではあるようです。
 学識もあり、家柄も良い、東京ではまがりなりにも仕事での成功を収めています。ですから帰郷の道行きも希望で胸いっぱいなわけです。「万が一」とか、「或いは」などとは考えてもいない。
 その逸る有頂天さはどこか僕に似ていて…胸が痛くなります。
 賢しい巨人はひっそり歩き、こびと歓喜して死を招く…。

 主人公の心持の楽しさは車窓からの景色、吹き込む風、同席した海軍士官との会話などから溢れ、どれをとっても高揚を隠せはしません。それは帰郷そのものに対する感動と先行きの明るい希望とに満ちています。
 ええ、まぁ、大体こう言った手合いは思い込みに終わるんですけどね、経験則的には…。

 この主人公の楽天的感動の描写を見てみましょう。

 窓から頭を出してみると、早や天際に雲切れがして、夏の夜の蒼い空が彼方此方に黑澄んで、涼しい星の光がきらめいて居る。田舎家の燈火があちらこちらに見える、それも星のやうである。田面一面に蛙が鳴いて稲の香をこめた小氣味よい風が吹き付ける。
 あゝ此香だ、此香だ、自分は思った、「己は確かに今わが古里に歸りつゝあるのである。」
 「あゝ此香だ!これだ。」自分は肺一ぱいに此氣を吸つた。

 こういった描写は非常に巧みだと思います。気持ちが伝わってきます。(あー、痛いなー)

 さて、この後は故郷へ帰り、意中の女性との対面となるわけですが…。ここから先は機会があればお読みになってください。

 僕はこういった小説のみならず、打たれ弱い人(僕自身もそうです)を見ていますと、彼等がもつある種の共通点に歯がゆさを感じます。
 それは、自己都合による夢想家であること、早合点しがちであること、変な気のまわし方をすること。そして結論を自分で確かめる前に諦めてしまうこと、です。
 この主人公も多分にこの傾向があります。
 特に当時の良家の男子は自分で告白をせずに、仲介を立てて申込みをすると言う非常に回りくどいことをする仕込み癖がありまして。
 「お嬢さんを僕にください」「よござんす」といった歯切れの良さはないわけです。
 かくいうこの主人公もその通りでして、現実を自分で確認せず遁走してしまいます。それがエンディングにでてしまうわけですが…。

 ところで、椎名軽穂の漫画「君に届け」に「ぼっちゃんよ…恋愛はなー、最初に告白する奴だけが本命と戦えんだよ」という台詞がありました。
 これは良いところをついているなーと思います。
 「あそこで一言」とか、「あの場面で」とかの後悔は踏み切れなかった意気地のなさに対するものです。
 宝くじだってそうでしょ?あんなの一等があたる確率なんて数学的にみれば0%同様です。それでも「買わなければ当たらない」から買います。完全なゼロではありませんから、一枚でも買えば。

 恋愛もそうですよね。言葉にしなければ伝わらないし、確認もできません。意中の人のまわりにどんなに良い相手がいたって、確率は0%ではないかもしれないんです。
 自爆覚悟は必要なのです。そのあとヤケ酒で失恋を流し込むことになっても。
 どんな結果を生じても時間は流れているし、地球は自転してるのです。
 そう思えば失恋くらいねぇ…。

 国木田独歩の「歸去来」。
 非常に良い小説です。
 訓戒にもなりますしね。後悔先に立たず。恋は度胸ってね。
 
 でも強引すぎる直接行動は犯罪に関わりますのでお気をつけください。

 あっ、言い忘れましたが夢想家や空想家は悪いことではありませんよ。だって頭の中ではどんなことも可能なわけですから。これは特権です。



 実の無い話で済みません。
 それから、この小説はコメディではありません、念のため。



 




  

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「人肉の市」(エリザベート・シェーン)

 「人肉の市」(窪田十一 訳、高畠華宵 装幀・挿絵)

 人肉の市 00 (大日本雄弁会、大正10年)

 「人肉の市」はドイツの女性作家エリザベート・シェーンの“ Die Weisse Sklauin ”(白き女奴隷)を窪田十一が翻訳したもので、装丁並びに挿絵を高畠華宵が描いています。
 巻頭には連合ドイツ婦人協会幹事アンナ・パブリッツの序が置かれており、その内容はドイツにおける婦人運動、特に奴隷廃止と売買春について「…要するに青春の徒を悲しむべき運命の前に救ふ防備であります。若い女子は皆同じ運命に晒されてゐるのです。実に女子売買業、女衒、誘拐者など総ての方面に網を張ってゐますので、淑女尚ほ錯って此の犠牲となるのです。…是等少女を保護すべきことは公衆一般の義務であります。(以下、略)」と警鐘が述べられています。続いて、女子売買国際防止国家委員会からも同様の序があります。

 人肉の市 01

 物語はデンマークのコペンハーゲンから始まります。

 「お父様、まぁご覧遊ばせ」と若い娘は新聞を手に、椅子から立ち上がった。
 「何だかよさそうだわ」と一語一語に力を入れて、静かに読む広告。
 ―ドイツ語及び英語を話得る若きご婦人一名家庭教師として雇い入れたく、高給、勤労軽易、ご希望の方はコペンハーゲン市パリスホテルまでご来訪を乞う ―

 この若い女性の名は「春満子」(はるまこ)と言い、退役した海軍少佐を父にもつ、あまり裕福とは言えない家庭にある長女です。その家計を助けるために就職口を探していたのですが、この家庭教師の求人広告に応募したため、彼女の運命は奈落の底へと動き出します。

 人肉の市 02

 舞台は、国際的人身売買組織の手によってロンドン、パリ、コンスタンティノープル、ウィーンと移り変わります。ダブレー夫人に騙されロンドンの娼館に売られた春満子。そこで偶然彼女を知り、その身の上を聞いて救出しようとするイギリス公爵家のガルウィック。二人は組織に弄ばれるように幾度も擦れ違います。ガルウィックとハーレムに出入りする眼科医夫妻の協力で、ようやく手をとりあってコンスタンティノープルを脱出したのも束の間、ウィーンで悪徳警部の逆恨みの罠にかかり春満子は惨めな最後を迎えます。

 この小説は国内外で大ヒットし、翻訳本だけでも大正10年11月に初版が発行され大正12年までには第800刷を超えるまでになりました。また書籍のみならずドイツで1920年頃に映画化もされています。

 映画は小説とは経過や終わりを異にしています。その粗筋は、退職陸軍少佐の娘アルマが両親の死後祖母と二人暮らして居る中オルヴィル・コックスと云う男に瞞されたあげく死産します。周囲の冷たい目に耐えかね、ロンドンの親戚へ行く船中でダブレー夫人とその甥と称するハリー・スモーレーと出会い、ハリーの誘惑に負け結婚の約束をします。が、彼女はイギリスについた途端に睡眠薬を飲まされ、娼館に売り飛ばされます。彼女はそこでガルウィック侯爵と出会い、同情した彼は彼女を救うことを決意します。しかし組織は国際的な連携をもってアルマをインドの王に売り渡したり、トルコのハーレムへと送ります。決死のガルウィックはそれらを追い続け、ついに乗り込んで行きアルマや囚われていた女達を自由にし、悪人は捕らえられ大団円を迎えます。

 日本でもこのシナリオをほぼなぞる形で、大正12年(1923年)に松竹キネマで島津保次郎がメガホンを執り無声映画として制作されました。主人公の名は北村浜子(五月信子が演じました)に、ガルウィックは李芳明(高山晃)に変更されています。

 人肉の市 03

 「人肉の市」とは旧ペルシャの奴隷市場の俗称で、公然と取引され売買された人々は法の力の及ぶところではありませんでした。

 高畠華宵の挿絵を集めているなかで手にした一冊ではありますが、読み始めてみると案外に面白く、さらっと通して一気読みができてしまいます。ここに書かれている人身売買の描写は時代性もあり、表現やストーリーは淡泊にも感じられますが、同様の売買は現在も現実に行われています。
 チェコ、ルーマニア、ブルガリアなどこの問題に取り組んでいる国は今も絶えません。そして、それらは現在では単なる人身のみではなく生体の臓器や胎児にまで発展しています。









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「かなりや」と詩集「砂金」

 高校生だった頃、近所に住んでいたご婦人からローラーカナリヤを一番い頂いたことがあります。
 「別々の籠に入れて並べておけば良く鳴きますよ」と言われたものの、隣に慕うものがいるのに寄り添えないままにしておくのは不憫にも思えて、結局は同じ籠にいれたままにしておきました。
 そう話しましたら「それでは鳴き声を楽しめなくてよ」と笑われたりもしましたが、ひとつ籠の中でも彼は好く囀りました。日によっては半日ほども歌い続けていたこともあります。
 けれどもその年の冬、僕は肝臓を病んで2カ月あまり入院することになり、自分で面倒をみることがかなわくなったため叔母の家に預けることにしました。
 叔母も「あのカナリヤは一緒でもよく鳴くのね」と感心しておりました。
 が、ひと月程経った時のことです。
 天気が好かったので日光浴をさせようと軒先に吊るしておいた籠に、どうやってか猫が飛び付き雄が盗られてしまったのです。
 落ちた籠に残され一羽になった雌には傷などはなかったと聞きましたが、その後、2週間もしないうちに死にました。
 退院して部屋に戻った僕は、陽のあたる窓際に置いてある籠をみて一回だけ彼らの名を呼んでみました。
 カナリヤは美しい声で囀ります。その声に惹かれるのは今も変わりませんが、あの空になった籠が置いてあった風景を思い出すと再び飼う気にはなりません。

 かなりや 「かなりや」(詩集「砂金」より)
 
 僕にとってカナリヤはあまり明るい印象がありません。むしろ蔭残な記憶の色の方が強いとも言えます。
 例えば川端康成の「掌の小説」中の「金糸雀」。
 それから、西條八十の「遠き唄」中の「かなりや」。
 この「かなりや」は、成田為三が曲をつけ童謡としても親しまれています。
 実は僕は幼いころこの歌が怖くて仕方がなかったのです。
 優しさと不思議な残酷さを併せ持つ詩と覚えやすく美しいメロディの名曲ですが、何か暗い異界の夢のような、終始心を塞ぎこませるような気がして、この歌を聴くたび歌うごとにどこか僕を怖気づかせるものがありました。
 この歌の最終節で月夜の海に流されて行くカナリヤがどうしても死骸にしか思えなかったのです。
 誰かからそう聞いたのか、それとも、それを思わせる場面を何処かで見たのか、それはわかりません。
 とにかく理由はわかりませんが、僕には死したカナリヤとしか結び付かなかったのです。
 その死のイメージを思い浮かべたまま幼少の僕はこの歌を聴き、口ずさんでいたのです。
 つまりその恐怖心は、それを止めることができないほどにこの歌に執着もさせました。
 この作者が西條八十であり、彼の処女詩集「砂金」に収録されていたことを知るのは高校生活半ばのことになります。
 
 「砂金」は大正八年に西條八十が尚文堂から自費で出版しました。
 初版当時の奥付は「著作者 西條八十、発行者 著者、発行所 尚文堂」となっており、増刷以後は「発行者」が「飯尾謙藏」となります。

 僕が持っている第十一版の見返しには八十の直筆で詩が一節添えられています。

 「わが杯は大ならず されどわれは わが杯にてのむ ― アルフレッド・ミュセー 十二年七月九日 八 十 」

 砂金(見返し) 「砂金」(見返し)

 自分は自分以外の何者でもなく、それを受け入れて生きていかねばならいないと言う真摯な姿がこの言葉から汲み取れ、気に入っているフレーズの一つでもあります。

 ところが、この詩集「砂金」所収の作品からある都市伝説が生まれました。
 ネットなどでも話題になっているのでご存じの方も多いことと思われます。
 「トミノ地獄」と言う詩です。
 この詩を音読すると悪いことが起こると言うのです。また、ある劇団がこの詩を元に劇を上演したところ怪我人が出たとの噂もあるようです。
 
  姉は血を吐く、妹は火吐く、可愛いトミノは寶玉(たま)を吐く。
  ひとり地獄に落ちゆくトミノ、地獄くらやみ花も無き。
  鞭で叩くはトミノの姉か、鞭の朱總(しゅぶさ)が気にかかる。
  叩け叩きやれ叩かずとても、無限地獄はひとつみち … 

 詩はこのように始まり、中間では地獄を巡るトミノの様子を描写し最終節では、

  地獄七山七谿めぐる、可愛いトミノのひとり旅。
  地獄ござらば来てたもれ、針の御山の留針を。
  赤い留針だてにはささぬ、可愛いトミノのめじるしに。

 という形で結ばれます。

 この詩を音読したから祟られるなどと言うことは僕は信じてはいませんし、あり得ないことでしょう。
 例えば毎日この詩を音読しつづけて、そのうち一回でも何か事が起きたとして、それを祟りというのは馬鹿げています。
 偶然を必然に結びつけるために「祟り」を持ち出すなど短絡的にもほどがあると言うものです。
 現に僕は読み上げたからとて一度も怪我や熱など出したこともありません。
 強いてあげるなら、買った馬券が外れたくらいのことはあったかも知れません。
 それがここに言う不運や祟りだというのなら蚊に刺されても怨念のせいとなります。
 と言う事で一先ず都市伝説は置いておくことにして、確かにこの詩は異様な雰囲気を醸し出してはいます。
 「トミノ」とは誰を、何を指すのか?
 姉はなぜ鞭でトミノを追うのか?
 妹が恋しいと泣くトミノは男なのか、女なのか?
 疑問に思うことはこの数行の中に山ほどあり、八十は何の解説も付していません。
 解釈は各人各様に分かれ、統一の見解など生まれるはずもありませんが、「祟り」の印象については「砂金」の「自序」にそのヒントはあるかと思います。
 彼はその中でこう記しています。

 「故国木田独歩氏が少年時の私に聴かされた言葉の中に『昔から人の死を描こうと企てた作家は多い、がいづれも其人物の死の前後の状態、若しくは其臨終の姿容を叙述するに止り、当の「死」其物を描き得た者は絶えて無い』と云ふのがあった。この言葉は今でも私の耳に強い響きとして残っているが、私が今日像現しようと努めてゐるのも、独歩氏のこの所謂「死」其物の姿に他ならぬ、即ち閃々として去来し、過ぎては遂に捉ふることなき梢頭の風の如き心象、迂遠な環境描写や、粗硬な説明辞を以ってしてはその横顔をすら示し得ない吾人が日夜の心象の記録を、出来る得るかぎり完全に作り置こうとするのが私の願ひである…」

 八十はこの詩集のみならず、「見知らぬ愛人」「美しき喪失」においても繰り返し死の心象を捉えようと試みています。
 「トミノ地獄」を読んだ読者が「死の心象」を無意識の中に感じ、それが「祟り」を生み出したとしたなら八十の試みは確かに実を結んだと言えるのでしょう。
 それからもうひとつ言わせていただけるなら、都市伝説の祟りとはそれを願う人が生みだしているものなのです。
 怖いもの見たさに祟りを願う連鎖から蜚語が流布された結果「祟り」が生じるのです。そうして集まった念が生みだすと言ってもいいのかもしれません。

 砂金(表紙) 詩集「砂金」(尚文堂、大正11年第11版)
 
 
 
 
 
 
 

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