J.L.Scott " WILD FLOWER CHILDREN " ‐ 20世紀初頭の挿絵 ‐

 現在、名前を憶えている人がどれくらいいるかはわかりませんが、ジャネット・ローラ・スコットはアール・デコを代表する挿絵画家のひとりでした。

 HAPPY ALL DAY THROUGH HAPPY ALL DAY THROUGH,01
 "HAPPY ALL DAY THROUGH"(Chicago Volland,1917)
 
 ジャネットは、ドイツ移民であるポール・フレデリック・ヴォーランドが1908年に創設したヴォーランド社に見いだされ、そこで挿絵を手掛ける一方で日本の浮世絵に出会い、強烈なデフォルメを施したジャポニズムの影響を受けました。
 構図的にはさほど斬新さは感じられませんが、多彩な花をモチーフとした妖精や小さな動物、こどもたちの姿は流麗でわかりやすい線で描かれています。それらに水彩を施した柔らかな画調は、晩年のジェシー・キングやアンリエット・ウィルビーク・ルメールを彷彿させるものがあります。
 そのわかりやすい画風を生かしてジャネットが手がけた挿絵の多くは大衆向けの児童書や「CHILD LIFE」のような子供向けの雑誌でした。

 childlife[1935] "CHILD LIFE"表紙(RAND M'NAILY&Co,1935))

 今回はエリザベス・ゴードンの詩画集「 WILD FLOWER CHILDREN 」を取り上げようと思います。

< Janet Laura Scott " WILD FLOWER CHILDREN " >

 WILD FLOWER CHILDREN [1918] 表紙(P.F.VollandCompany,CHICAGO,1918))

 初版は1918年、アメリカの P.F.Volland Company から発行されています。
 エリザベス・ゴードンの詩に合わせて83頁のすべてにカラーの挿絵が描かれ、表紙と見返しは多色刷り石版になっています。
 もとはオリジナルの函がついていましたが破損しやすく、今となっては函付きの完本を見つけるのはかなり困難で高価でもあります。
 
 WILD FLOWER CHILDREN [表見返し] WILD FLOWER CHILDREN [裏見返し] 表&裏見返し 

 エリザベス・ゴードンが野の花をモチーフとして作った詩に合わせて、ジャネットがその花を擬人化(妖精化)する形式で1ページ完結になっています。絵本として、こどもがどこから読んでも良いように作られています。

 WILD FLOWER CHILDREN [Pub] WILD FLOWER CHILDREN [扉&HEPATICA] 扉&HEPATICA

 パブリッシャー、扉絵のあとに、ここでは割愛しますがエリザベスの序がおかれていて、季節順に草花が紹介されて行きます。
 最初に登場する花は春一番乗りで咲く“HEPATICA”です。括弧書きで別の名称が付されていて“Hepatica Triloba”となっています。これは雪割草(Hepatica nobilis)のことです。

 「雪割草は朗らかで一番乗り、絶対に遅刻したりしないし、ちっとも不機嫌な顔もしないで、濃いライラックのドレスを着てやってくるの。そして、わたしたちに喜びと幸せを運んでくるのよ。」

 WILD FLOWER CHILDREN [トキワナズナ] INNOCENCE&PASQUE FLOWER

 「可愛いトキワナズナは早春にしずかにやってきます。菫色の上品な色合いにつつまれた甘い香りのする布をまとい、可愛いらしい憧れと一緒にやってくるのです。」

 “INNOCENCE”はトキワナズナのこと。ナズナとついていますがアブラナ科ではなく、アカネ科の植物です。日本では、別名を雛草とも言います。ちょうどひな祭りの頃に咲くことからついているのでしょう。学名を“Houstnia Caerulea"と言いますが Houstnia は植物学者・William Houstnへの献呈名、Caeruleaは「青色をした」という意味です。

 「セイヨウオキナグサは穏やかな日を待ったりはしないのです。コマドリが歌いだす前に、体を小さくこごめながら、毛皮に身を包んで咲いているのです。」

 “PASQUE FLOWER”はセイヨウオキナグサ、復活祭のころ紫色の花をつけるキンポウゲ科の花。花言葉は「何も求めない、清純な心、告げられぬ恋 」です。

 WILD FLOWER CHILDREN [露草] DAY FLOWE&BLUE SPRING DAISY

 「露草の服は、たった一日しかもたない青い服です。きっと露草のママはお洋服をつくるので大わらわです。」

 “Day Flower”は露草です。英名は、一日で花が萎れてしまうことからとられています。露草を乾燥させたものは「鴨跖草」(おうせきそう)と呼ばれ、下痢止め、解熱に使われます。わが国では、藍花、月草、蛍草などの別名を持っており、せがわ真子「花詩集」でもあったように染め物の下絵を描くための染料として用いられました。

 ムカシヨモギは言うの。
 「あんまり早く咲くと、私のフリルのついたラベンダー色のガウンでは寒すぎて凍えちゃう。だから5月か、6月になるまでじっと待ってるのよ。」

 “BLUE SPRING DAISY”はムカシヨモギというと馴染みのない気がしますがハルジョオンの仲間です。ハルジョオンと言えば「あの花か」と思い当たるでしょう。北米原産で大正時代に日本に渡来した外来植物。乾燥させてお茶にして飲めば、糖尿病の予防やむくみをとる薬にもなります。

 " WILD FLOWER CHILDREN "は、和書では出版されていませんが、洋書であれば2001年にDerrydale社から復刻版がでています。Amazonでも買うことができますし、洋書を扱っている書店でも手にいれることができます。

 WILD FLOWER CHILDREN [Derrydale] (Derrydale社、2001年)




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“ THE TEMPEST ”(Paul Woodroffe)-20世紀初頭の挿絵 -

 今回は“THE TEMPEST”を取り上げてみます。この本についてはエドマン・デュラックのものが有名ですが、そちらは翻訳本も出ており目にする機会も多いでしょうから、ポール・ウッドロフの挿絵の方をご紹介したいと思います。

 “ THE TEMPEST ”(1908年)

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 ( London:Chapman & Hall, HENRIETTA ST. COVENT GARDEN W.C.)

 “THE TEMPEST”は周知のとおりウィリアム・シェイクスピアの最晩年の戯曲です。初演は1611年でした。
 「真夏の夜の夢」と似たテーマを扱っていますが、一方は陽であり、他方は陰を帯びています。つまりコメディであった「真夏の夜の夢」とは対極の雰囲気を持つのが「テンペスト」です。なぜ同じ主題でこうも異なったのかについては多種多様な見解があります。ここでそれを論じようとは思いませんが代表的な説を掻い摘んでお話をしておきます。

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 エピローグの詩をみてみます。

 私の呪力はこれで破れた。
 残る力は現実のこの身にやどるわずかばかりのもの。
 公国は戻り、詐術者は許され、この空虚な島には残る意味もない。
 この身にはもはや使う妖精もいず、魔力もない。
 同朋たちの祈りの他には、絶望しか残されてはいない。
 祈りだけが天に届き、慈悲の女神をして、
 魔術を使い続けたこの身の罪を清めてくれるだろう。
 その罪を許すという慈悲をもって、
 哀れなこの身を救ってくだされ、どうかその心で…。

 続いて手短にこの作品が書かれた時代を一瞥してみましょう。
 エリザベスが逝去したのは1603年です。彼女は「処女王」「グロリアーナ」「妖精女王」などの冠名をもって讃えられていました。エリザベスの威光と共に騎士道精神が英国全土を覆い、まさに「栄光あるイングランド」の頂点とも言えました。しかし、その妖精の時代の終りは確実に近付いており、1599年にアイルランド九年戦争が勃発、1601年には前記の戦争遠征に失敗し失脚したロバート・デヴァルー(エセックス伯)の反乱など不穏な動きが続きました。

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 物語に登場するプロスペローは、ユークリッド幾何学者であり錬金術師であったジョン・ディーがモデルになっていると言われています。彼はアーサー王に仕えた魔法使いマーリンになぞられて「エリザベス女王のマーリン」とも呼ばれました。彼はエリザベスの死と共に失脚します。
 そのプロスペローがミランダとフェルディナンドの結婚式を認めたのちに魔法の杖を折り、魔法書を海に沈め、その魔力をすべて捨て去りますが、その心境はシェイクスピア自身の諦観だったのでしょう。
 シェイクスピアは自分の老いてゆく姿と女王の死と共に王室で必要とされなくなった錬金術。そういう時の流れを見て、妖精と魔法と夢とに満ちていた時代の終りを感じたのかもしれません。エリザベス時代の終焉はシェークスピア自身の終焉でもあったのです。彼が世を去ったのは「テンペスト」の初演から5年後でした。

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 この本の挿絵を描いたPaul Woodroffeについてご紹介しておきます。

 ポール・ウッドロフは、1875年にマドラスで生まれました。1890年初めにロンドンへ移住し本の挿絵とステンドグラスの技術を学びます。彼はストニーハースト・カレッジ(ランカシャー・イエズス会学校)で勉強し、後にブルームズベリーのスレード美術専門学校に進みました。1904年から1935年まで、彼はグロースターシャーのコッツウォルズにある小村チッピング・カムデンで過ごし、カトリック教会のために多くの挿絵とステンドグラス作品を制作しました。

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 彼の仕事はシェークスピア戯曲集、聖書物語、児童書、ローマの歴史書の挿絵が中心でした。その作品はラファエル前派に特有の線形と鮮やかな色彩を用い、描かれた人物はローマ・ギリシアの古代石彫刻を思い起こさせます。
 彼は同時代にはステンドグラス制作者としても著名であり、聖パトリック大聖堂(ニューヨーク)の聖母礼拝室のステンドグラスは代表作のひとつです。またアメリカの女優メアリ・アンダースンの私邸の屋根裏チャペルのために飾り窓の設計なども手掛けています。
 ウッドロフはアメリカでの芸術活動の後にウースターシャーに居を移し、1954年に亡くなっています。

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 この本には20枚のオフセットによる彩色挿絵と2曲の楽譜が挿入されています。付されている楽譜のうち最初の一曲をご紹介します。

 第一幕第2場、プロスペローの「もし言うことを聞かなければ痙攣を起し苦しませるぞ」との脅しに、こそこそと薪を取りに行くキャサリン。ちょうどそこへエアリエルが歌をうたいながら現れます。

 黄色い砂地に立ち、愛しき人と手を結び
 口づけを交わせば、波は静まる。
 踊れ、妖精よ、軽やかに。
 歌え、精霊よ、美しく。
 聞くが良い。聞くが良い。
 バウ!ワウ!
 あれは番犬の吠える声。
 聞くが良い。聞くが良い。
 あれは気取り屋の雄鶏の声。
 クックディルディルドゥ!

 新書館「テンペスト」 エドマン・デユラック 画、伊東杏里 訳 (新書館)








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PERRAULT'S FAIRY TALES (Honor Charlotte Appleton )-20世紀初頭の挿絵-

 僕としては意外でしたがテニエルよりもリクエストの多かったアップルトンの挿絵本を一冊取り上げます。

 1913年に刊行された「ペロー童話集」です。アップルトンの略歴は前回触れたので、今回は「ダンテの神曲」「ミルトンの失楽園」などで有名な19世紀末に活躍したポール・ギュスターヴ・ドレ(1832年1月6日– 1888年1月23日)の挿絵を何枚か交えてご紹介していきます。

 “PERRAULT'S FAIRY TALES” (1913年)

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 (London Simpkin,Marshall,Hamilton,KENT & Co, Ltd)

 ペローの童話集はグリムよりも前に編纂されていて、民間伝承を基礎とした物語集としては最も古いもののようです。このペローの成果が好評を得て、フランス・サロンでの朗読と言う枠から広がって行き、児童文学と言う一大事業への流れが生じたとも言われています。「マザー・グースの歌」(オールド・ナーサリー・ライム)の収集が始められるのもこの後になります。

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 アップルトンが挿絵を施したこの本に収録されているのは「眠りの森の美女」「赤ずきん」「青ひげ」「長靴をはいた猫」「 仙女たち」「シンデレラ 」「巻き毛のリケ」「親指太郎」の8篇、挿絵はフルカラー12枚です。口絵「七里の靴」(“ 親指太郎 ”より)に続いて扉と目次を挟んで「眠りの森の美女」です。

 dore 03 「眠りの森の美女」(P.G.Dore)

 この童話集はペローの原作通りではなく“S.R.Littlewood”によって再話がなされています。
 ペローの童話は子供向けとしては描写が不向きな部分があります。
 もちろん、この童話集は民間伝承をまとめて、読みやすくペローの手によって改作されたものではありますが、それでも若干ですが道徳的に憚られる部分があります。
 「赤ずきん」などは、一般的に知られているのは狼に食べられた後、助け出されることになっていますが、原作では食べられたままですし、間接的にですが赤ずきんが性的に狼を誘惑するような台詞もあります。またギュスターブ・ドレの「ペロー童話集」ではペローの描写通りに赤ずきんは裸で狼とベッドを共にしています。リトルウッドはそういった部分に多少手を加えました。
 
 perrault03 H.C.Appleton dore00 P.G.Dore

 「赤ずきん」の挿絵は表紙絵と同じものを用いています。アップルトンはここでは通説?通りに可愛い少女像で描いていますが、一世代前のギュスターブ・ドレの挿絵では原作を生かしてもう少しエロティックに表されています。
 次が「青ひげ」です。アニメ「Fate/Zero」で人気がでたサーヴァントのキャスターであり、ジャンヌ・ダルクの盟友でお馴染みのジル・ド・レーをモデルとした物語です。
 ドレの挿絵を見ると目つきが「Fate/Zero」のジルそのものです。これが原案かもしれないですね。隣の絵は同じくドレの「親指太郎」です。

 dore 05

 次は「長靴をはいた猫」と「仙女たち」です。
 
 perrault04

 「仙女たち」とタイトルをおくと「どんな話?」と思う方もあるかもしれません。粗筋を読めば「ああ、あの話か」と思い当たるでしょう。こんな話です…。

 昔あるところに母親と二人の娘がいました。母親は自分によく似ている長女ばかりをかわいがり、下の娘には辛くあたっていました。
 あるとても寒い日のことです。母親は下の娘に水をくむように命じました。下の娘が桶をもって井戸端に行くとボロをまとった女の人が立っていました。娘が水を汲んでいると「お水をわけてもらえませんか?」とその女性が話しかけてきました。娘は快く水を分けてあげると「なんと心優しい娘でしょう。お礼にこれから先、あなたが話せばその口からバラの花と宝石が飛び出すようにしてあげましょう」と言って魔法をかけてくれました。
 家に帰った娘は母親と姉に口から飛び出してきたバラの花と宝石を見せて、不思議な女の人の事を話しました。
 その話をしている間にも香り立つバラの花や色とりどりの宝石が口からこぼれました。
 母親と姉はその宝石をひろい集めました。そして姉は、「私も同じようにしてもらうわ」と言って井戸へ走って行きました。
 井戸へ行くと先ほどと同じようにボロを来た女性が立っていて、同じように話しかけてきました。
「すみませんが、お水を一杯、飲ませてもらえませんか?」
 ところが姉は浮浪者のようなその身なりを見て「おお、汚らしい!お前なんか、あっちへお行き!」と、ひしゃくで水をすくって女性の顔に浴びせました。すると女の人は姉を睨みつけて「なんと心の醜い娘でしょう。これから先、あなたが話せば毛虫や蟾蜍が口から飛び出すようにしてあげましょう」と呪いをかけて消えてしました。
 姉が「まってください」とあわてて言うと、その口から本当に毛虫や蟾蜍が次々と飛び出してきたのです。
 上の娘のその様子をみて怒った母親は、下の娘を家から追い出してしまいました。
 追い出された妹は森をさまよっていました。そこへひとりの王子が馬に乗って通りかかりました。
「お嬢さん、こんな深い森の中でどうしたのですか?」
 娘は泣きながら一部始終を話しました。そして、そう話す先から次々にバラの花や宝石がこぼれ出てきます。
 王子はその愛らしさに心惹かれて、娘を連れて帰り、結婚して幸せにくらしました。

 dore 02 「長靴をはいた猫」(P.G.Dore)

 アップルトンは「シンデレラ」に3枚の挿絵を置いています。

 perrault05

 場面は異なりますがドレも同じように3枚の挿絵を描いていますので見比べてください。

 dore 01

 最後は「巻き毛のリケ」と「親指太郎」です。
 「巻き毛のリケ」も少し馴染みがないかもしれないので手短にご紹介しておきます。

 ある国で王子が生まれました。見事な金色の巻き毛を持つ王子は「巻き毛のリケ」と呼ばれました。しかし、その王子は非常に醜い容貌をしていて王も妃も心を痛めていました。しかし、そこに妖精が現れて才知を授けるとともに、彼が愛した女性にその才知を分け与える力を与えました。
 また、別の国では二人の王女が生まれていました。ひとりは非常に醜いが才知に恵まれ、もうひとりは輝くばかりに美しいが非常に愚かなお姫様でした。そこにも妖精が現れて、賢いお姫様には愛した相手を賢くする力を、美しい王女には愛した相手を美しくする力が与えました。
 やがて年頃になり、醜いが賢い王子とふたりのお姫様が出会いました。
 美しいお姫様は、王子があまりに醜いため避けていましたが、その機知に富んだ話や優雅な物腰に次第に惹かれていきました。
 醜い王子は美しいお姫様を愛したのでお姫様はだんだん賢く思慮深い女性となり、美しいお姫様も王子を愛したので王子は美しい姿となり、2人は結婚して幸せに暮らしました。

 という話ですが、これって素直にハッピーエンドと言いにくくないですか?「醜くて賢いお姫差はどうなったんですか?」って突っ込みたくなります。なんでもうひとり「美しくて愚かな王子」を用意してくれなかったのでしょうね。そうすれば二組が幸せな結末を迎えられたのに(すみません、挿絵とは関係ないですね)。

 perrault06 「巻き毛のリケ」 perrault07 「親指太郎」

 おまけにウォルター・クレインのトイブックから「赤ずきん」の挿絵を添えておきます。

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Charles Heath Robinson (2) - 20世紀初頭の挿絵 -

 <Charles Heath Robinson> (1870 - 1937)

 “ The Secret Garden ”(1911年)

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(William Heinemann, London, 1911)

 1911年にWilliam Heinemann社から刊行されたギフト・ブックには、オリジナルで保護用の箱がついていました。現在流通している「The Secret Garden」の古書は箱無しのものが多く、非常に珍しいかと思います。
 挿絵は口絵を含み8枚です。それぞれのカラープレートは台紙に貼り付けられ、その上にキャプション付きの保護紙がついています。

 the secret garden 02 the secret garden 03 

 「The Secret Garden」(秘密の花園)は、1909年に発行されたフランシス・ホジソン・バーネットの小説です。初版ではマリア・カーク(Maria Kirk)が挿絵を描いています。現在では児童書のように扱われていますが、発刊当時はハイティーンから大人を対象にしたものでした。

 the secret garden 04
 
 カークの初版の絵も色彩豊かで見事ですが、チャールズはカークの絵とはまったく違った、抑えた水彩を生かして繊細にメアリや2人の子供、そして風景を描いています。その全体的な柔らかさはチャールズがこの小説を読む大人たちに向けて、何度も試作を重ねて描き上げたものです。

 NY Stokes Illustration by Maria Kirk
 ( New York:Storks,1909)
 
 チャールズの手がけた本は子供向けが大多数です。「秘密の花園」とパーシー・ビッシュ・シェリの詩集「センシティブ・プラント」は、彼の作品の中で大人向けに描かれた珍しいものと言えます。
 彼のプロフィールを「センシティブ・プラント」の挿絵(カラープレートとドローイング)を差し挟みながらご紹介します。

 “ The Sensitive Plant ” (1911年)

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 (William Heinemann, London, 1911)

 チャールズ・ヒース・ロビンソンは、1870年にロンドンで生まれました。彼の父は木版画家であり、祖父は1800年代中頃に急速に伸びてきた雑誌・新聞紙市場において挿絵の彫版家としてその黎明を支えました。ロビンソン一家の美術的な血統は、兄トーマス、弟ウィリアムと引き継がれ、兄弟3人それぞれが一時代を担う活躍を見せました。

 sensitive plant 02 sensitive plant 06

 チャールズは父の工房を手伝いながらハイスクールへ通い、卒業後は石版印刷の工房へ7年の契約で徒弟として入りました。働きながら夜間の美術学校へ通学し絵画を学ぶことは認められていましたが工房での仕事は多忙極まり、思うように通うことはできなかったようです。そんな中においても彼はロイヤル・アカデミーへの推薦を受け、入学を認められました。が、家計の事情から通学が困難になり、以後はほぼ独学で美術を学ぶことになります。彼は父や祖父が彫った木版の原板を見ながら、デザインに関する知識を学ぼうとしました。そんな彼に慶兆が現れます。1890年代に入って印刷に革新的な技術が登場したのです。写真製版(フォトグラビュール)です。それは今までのように原画を彫版技師がトレースし複製するのではなく、画家が描いたものをそのまま製版することができたのです。チャールズはそのフォトグラビュールの挿絵からビアズリー、クレインなどの線の造形を学び取ることに専心しました。

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 1895年、25歳の時にジョン・レーンからスティーブンソンの詩集「A Child's Garden of Verses」(London: John Lane, The Bodley Head)の挿絵を描く仕事がチャールズに回ってきました。ジョンはチャールズに指示を与えることなく自由に描かせました。それは100カットに及ぶインクでのドローイングでしたが、シンプル、かつ、斬新な構図は出版業界の注目を集めました(この本は1900年に入ってから出版元を「London, Longmans Green & Co., 」に変えて再版されています)。この成功は1899年にはロビンソン兄弟による「 Andersen's Fairy Tales」(London: J.M. Dent, 1899)の出版へと結びつきます。

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 1900年代に入ってからはフォトグラビュール、オフセットと新印刷技術の登場により、ギフトブックや児童書を中心に出版業界は隆盛を極めます。この技術革新はチャールズに恩恵を与え、彼の描くソフトな曲線と繊細な色彩、穏やかな子供たちの絵は一世を風靡しました。彼は「 Lullaby Land 」(1897)、「 Sintram and His Companions」 (1900),「Alice's Adventures in Wonderland 」(1907)、「 Grimm's Fairy Tales」 (1910)、「The Secret Garden 」(1911)と次々に豪華なギフトブックの装丁や挿絵を手掛けるようになりました。
 
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 生前の彼は倹約家で控えめな性格だったようです。彼はその収入を家族や兄弟姉妹の生活費に充て、彼自身は非常に質素な生活を送りました。そして多くの本が多色刷の絵から写真へと移り変わる中、彼の本に対する姿勢は大戦後も変わらず、写真ではなく絵画中心の、いわゆる「黄金時代の挿絵」を貫き通しました。
 家族や友人に愛されたチャールズは1937年、突然世を去ります。一説によれば心不全とも言われていますが、はっきりわかりません。享年66歳でした。

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 作家を紹介し足りない部分はありますが、これで挿絵の話は一応終わりにしておきます。仕事の整理のためにメモ代わりに始めたものが随分と長くなってしまいました。お付き合いいただきました方々に感謝申し上げるとともに、ご期待に応えられる内容ではなかったことを深くお詫び申し上げます。挿絵については、また気が向いた時に取り上げたいと思っています。
 

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Charles Heath Robinson (1) - 20世紀初頭の挿絵 -

 Charles Heath Robinson (1870 - 1937)

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 何事にも始まりと言うものがあります。
 僕の古書は洋書だけでも現在1000冊を優に超え、家中の邪魔者(特に僕の寝室と書斎を中心に)になっています。しかし、この邪魔者たちは、ある日突然に庭から発掘されたわけでも、異次元から湧き出したわけでもありません。僕が洋書にはまりこんだ理由が必然的にあるわけです。その話をしましょう。
 27歳の時にチェコ、ハンガリー、ベルギー、イギリスと3週間ほどかけて仕事で周りました。その最後の都市、ロンドンでの仕事帰りに通りがかった古書店の店先に、一枚のドローイングが飾られていました。鉛筆描きの地味な秋の妖精の絵。当然、当時は“Charles Heath Robinson”と言う名前は知りませんし、ケント紙の隅に書かれた擦れた文字など読みもしません。 ちょっと立ち止まって見はしましたが、その時の印象は「変わった絵だな」の一言でした。翌日の帰り(すでに夜)も同じ道を通りまして、明るく照らし出されたそのウィンドウの中にある絵を再度眺め入りました。と、急に「この絵、いいかも?」という感情が沸き起こり、古書店の扉を押して中に入りました。
 「すみません、外にある妖精のドローイングがほしいのですが」と中にいた青年に声をかけました。彼は鍵をもってきてウィンドウを開け絵を取り出しました。そして、僕の正面に絵をかざして話しかけてきました。
 「あなたはこの絵が誰のものだか知っていますか?」
 「いいえ、知りません。」
 「これはチャールズ・ヒース・ロビンソンといって20世紀初頭に活躍した挿絵画家のものです。チャールズの名を聞いたことは?」
 「まったくないです。チャップリンなら知っていますけど。」
 彼はきっとくだらない冗談が嫌いな性質だったのでしょう。眉をひそめて語気を強めながら会話を進めました。
 「センシティブ・プラントや秘密の花園の挿絵を見たことはないのですか?」
 「誰のですか?」
 「チャールズのです。」
 「たぶん、見たことはないと思います。」
 彼は呆れたようにため息をつくと、力を込めてさらに話します。
 「彼の弟はウィリアム・ヒース・ロビンソンです。多くの名作を作り出しました。ウィリアムならわかるでしょう?非常に有名ですから。」
 「ごめんなさい、まったく知りません。そんなに有名なんですか?」
 彼は両手を軽く天に向かって広げた後、僕に向かって「あなたはチャールズもウィリアムも知らない。それでもあなたはこの絵を買うのですか?」と詰問してきました。
 「ええ、できれば。」
 青年はしばらく黙りこんで絵を自分の方に向けて見つめていました。
 「あなたがいつか挿絵に興味をもった時に、この絵の価値がわかります。私はその日が一日も早く来るよう神に祈っておきます。」
 (あはは、それはお世話様です。お心遣いに感謝します…)と僕は胸中で呟きました。
 と、まあ、こんな経緯でドローイングを手に入れたわけです。決して安い買い物ではありませんでしたが、僕が過去に購入した品物のなかで満足の行くものの一つです。これを契機に挿絵本に興味をもち、陶磁器や音楽以外に、新たに収集品目を増やすことになりました。

 “ CHILD'S GARDEN OF VERSES ”
 Childs garden of verses 00 Childs garden of verses 01 
 (John Lane the Bodley Head, 1899)


 チャールズの経歴は後にして2冊の本を先にご紹介します。


 “ THE HAPPY PRINCE And Other Stories ”(1913年)

 The Happy Prince 00 The Happy Prince 01 The Happy Prince 02
 (DUCKWORTH & CO., COVENT GARDEN, LONDON)

 「THE HAPPY PRINCE 」は、オスカー・ワイルドの創作童話です。初版は1888年。チャールズが挿絵を施したNew Editinが発行されたのは1913年です。新版の初版には“ New Edition, reset. With illustration by Charles Robinson, published by arrengement with David Nutt by Duckyworth & Co.,1913 ”と扉裏に記載されています。
 収録されているのは「幸福の王子」のほか、「ナイチンゲールとバラの花」「わがままな大男」「忠実な友達」「すばらしいロケット」です。ワイルドには「若い王」「王女の誕生日」「漁師と魂」「星の子」と言う童話もありますがここには収録されてはいません。

 The Happy Prince 03

 オスカー・ワイルドと言えば「サロメ」「ドリアン・グレイの肖像」「スフインクス」などが有名ですが、児童文学作家としても名作を残しています。
 「幸福の王子」はその代表でしょう。
 2006年に曽野綾子さんが建石修志さんの挿絵で新訳版を出しています。そのあとがきで「どの作家にも、この一作を書き終えたら死んでもいい、と思う作品があるはずである。もし私が、オスカー・ワイルドなら『幸福の王子』はその作品だ。もっともいい加減な作家ほど、生涯にこの作品を完成させたら死んでもいいと思う小説が、四編も五編もできるという甘さがあるし、私はオスカー・ワイルドの研究家ではないので、何も言い切ることはできないが、この作品は世界の文学史のなかできらりと光る頂点に立つ短編であることは間違いない」と書いています。
 
 The Happy Prince 04

 僕にはそこまでの評価が「幸福の王子」にあるかどうかはわかりません。「わがままな大男」も好きですし、ちょっとダークですが「王女の誕生日」も面白いと思います。
 もし「サロメ」以外に知らない方がいましたら、ぜひ、読んでみてください。新潮文庫「幸福な王子」にはワイルドの9編の創作童話すべてが収められています。翻訳で意味が少し伝わりにくいところもありますけれどお手軽です。

 The Happy Prince 05 The Happy Prince 06


 “ The CHILDREN'S GARLAND of VERSE ”(1921年)

 Childrens Garland 00 Childrens Garland 01
 (1921 LONDON AND TORONT J.M.DENT & SONS LTD NEW YORK:E.P.DUTTON & CO,)

 「The CHILDREN'S GARLAND of VERSE 」(子供たちの花輪)と題されたこの本はグレイス・リースの韻律詩集です。グレイス・リースと言っても馴染みがない人も多いと思いますので簡単に説明をします。

 グレイス・リースは1865年にアイルランドに生まれました。彼女の父親は資産家でしたがギャンブル好きが高じて破産し、彼女は妹とともにロンドンに渡ります。ウィリアム・バトラー・イェイツの園遊会に招かれ、そこでアーネスト・パーシバル・リースと出会い、1891年に結婚しました。
 グレイスは非常に高い教養を備えており、執筆活動に力を入れました。彼女の最初の小説「メアリー・ドミニク」は、1898年に発表され、その後もエッセイや短編集などを出版し、それらは批評家の間で一風変わった面白い作品として好評価を得ていました。しかし1929年、彼女は夫とのアメリカの講義旅行の同行中にワシントンD.C.で死去しました。
 グレイスは自分の子供たち(息子と2人の娘)のために作った詩と優れた韻律詩とをまとめた本を出版しました。それが「The CHILDREN'S GARLAND of VERSE 」です。
 
 Childrens Garland 02 Childrens Garland 03

 「愛しい小川に その素足を踏み入れることを恐れないで
 ヒルや、イモリや、ヒキガルのことを考えないで
 考えれば彼らは足を噛むでしょう
 激しい流れはあなたを悲しませたり、泣かせたりはしません
 私とともに生きていると感じてください
 波は木を悩ませたりはしないのです」(川の神の歌)

 次はチャールズの代表作である「センシティブ・プラント」と「秘密の花園」を取り上げたいと思います。 

 



 

 

 

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