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A.M.Mucha “CLIO” ‐ 19世紀末の挿絵 ‐

 アルフォンス・マリア・ミュシャによるアナトール・フランスの「クリオ」の挿絵をとりあげます。あまりにも有名なのでどうしようかとも思っていたのですが、そういえばフランスの本は取り上げてなかったなと言うのと、ちょっと気が向いたので。

 表紙 
 (CALMANN LEVY,EDTEUR. 3,RUE AUBEE,3 1900)

 収録作品は「キメの歌うたい」「アトレバテスのコム」「ファリナータ・デリ・ウベルティ、或いは、内乱」「王は飲む」「ムイロン号」の5作品です。
 現在、翻訳版のミュシャの挿絵による「クリオ」は発行されていません。物語自体はアナトール・フランスのコントに含まれていますので読むだけでしたら、短篇集、或いは、コント集を探したほうが良いようです。手に入れやすいものとしては白水社「アナトール・フランス小説集第10巻」があります。ただしミュシャの挿絵は含まれていません。

 目次 見返し 目次、見返し

 初版は1900年にCALMANN LEVYから刊行。装丁は、皮張りの表紙にマーブルを模したリトグラフを施し、各ページは和紙(Japon)に印刷されています。多色刷リトグラフによる挿絵が口絵を含み13枚です。目次は巻末に付されています。
 書籍の題である「クリオ」は、ギリシャ神話に出てくるゼウスとムネーモシュネーの娘であり、文芸の女神九柱のうちの歴史をつかさどる女神クレイオーのことです(他の八柱は、カリオペー、エウテルペー、タレイア、メルポメネー、テルプシコラー、エラトー、ポリュムニアー、ウーラニアー)。それを受けて表題の序に「クリオの加護の下に」とあり、収録されている物語は歴史と英雄譚に関わっています。 

 口絵、キメの歌うたい キメの歌うたい挿絵 口絵、「キメの歌うたい」

 「キメの歌うたい」の2枚目の挿絵は一般に言われるミュシャらしさが出ています。歌うたいの老人が食事を済ませて泉へやってきて若い娘に出会う場面です。

 …ひとりの若い娘が頭の上に籠をひとつのせて、下着を洗いに泉のところへやってきた。娘ははじめ老人を胡散臭げに見た。しかし彼が木の琴を破れた上着の上に提げていて、老人であり、疲れ切っているのを見るや、恐るることなく近寄ってきた。そして突然に憐憫の情と尊敬の念とに打たれて、併せた二つの掌のうちに水を僅かばかりに汲み上げて、それで歌うたいの唇を潤してやった。…

 アトレバテスのコム アトレバテスのコム挿絵 「アトレバテスのコム」

 この本の中で最も長い物語となります。長いといっても全六章、翻訳で43頁なのですが、疲れました。何度、休憩したかわかりません。時にはまる1日放って別の小説を読んだりしていました。フランス語の読めない僕にはアナトール・フランスの物語自体が僕に合わないのか、それとも翻訳が合わないのかは、如何とも判断しかねますが、本音を言えばあまり面白いとは思えませんでした。

 アトレバテスのコム(コミウス)はカエサルが制圧したガリア人部族のうちのアトレバテス族の王であり、ガリア及びブリタンニアで王位を継承した人物です。
 ローマと同盟を結び統治にあたっていたコムですが、彼の暗殺を企てたカイウス・ヴォエルゼウス・クアドラトゥスに襲われ部下を失い、彼自身も深手を負います。その恨みからマルクス・アウレリウスと激しく敵対します。最後には敗れたとはいえ悔いない戦いをしたことから和睦を申し入れ、ローマに対する忠誠と人質を差し出すことになります。

 ファリータ・デリ・ウベルティ 「ファリナータ・デリ・ウベルティ、或いは、内乱」

 エンポリの駅を過ぎてレオナルド・ダ・ヴィンチ通りを北へ向かうとファリナータ・デリ・ウベルティの名を冠した広場にでます。
 ファリナータ・デリ・ウベルティは13世紀に実在したフィレンツェ・ギッベリーニ党の党首で、1248年グェルフィ党をフィレンツェより放逐しましたが、市民の反感にあいギッベリーニ党と共に郷土を追われます。1260年、シエナの王・マンフレッドの助力を得てモンタペルティの戦いで、再度、グェルフィ党を破りフィレンツェに帰還しました。
 物語は、帰還したファリナータが塔より市内を望み、フィレンツェを守るために犠牲を顧みずに戦った自分がなぜこうも人々に恨まれねばならないのかと、修道士のフラ・アンブロジオに打ち明けるという二人の会話で進行していきます。

 彼の評価に関しては様々あります。
 彼の死後、グェルフィ党が復権し墓を暴かれ異端の罪で遺体は火刑に処されてもいます。またダンテの神曲「地獄第十曲」にもファリナータ・デリ・ウベルティは地獄を恐れぬ者として登場しています。

 …彼は胸と額をもたげ起こして、あたかもいたく地獄を嘲るに似たりき…(地獄 第十曲)

 先の広場の名前は、モンタペルティの戦いの後にエンポリで開かれたギッベリーニ党会議においてフィレンツェの完全破壊が優位を占める中、彼が破壊反対の弁舌を奮い、これを阻止し街を救ったことから英雄として名がつけられました。
 どのような評価がくだったにしてもファリナータ・デリ・ウベルティがフィレンツェを救ったことは事実です。

 王は飲む 「王は飲む」

 僕にはわかりにくい物語でした。読み込んでいないせいもあります。短い物語なのですが一度読んだだけでもう充分という感じです。合わなかったんですね、たぶん。

 「王は飲む」とはトロイアの王の宴席における作法ですべての列席者はこの言葉を唱えて王を讃えねばなりません。挿絵2はその作法を破った小ピエロレを告発し取り押さえようとし、小ピエロレが短剣を抜いてそれに抵抗している場面です。
 ピエロレは逃亡に成功し追っ手を逃れ失踪します。その後にジャンヌ・ダルクの旗下の兵士として活躍し、騎士に昇進します。
 
 ムイロン号 「ムイロン号」

 1805年、ネルソン率いるイギリス艦隊にトラファルガーの海戦で破れた後のナポレオン・ボナパルトの物語です。
 ムイロン号とは、身を挺して司令官を守ったナポレオンの幕僚の名を戴いたフリゲート艦です。ナポレオンはこの艦にその忠心と勝利の奇跡を重ねていました。
 物語は遠征に迷いを抱く下士官のラヴァレットとナポレオンの会話を主体にしています。
 ナポレオンは信念と歴史を踏まえ「人間の一生とは何か?」とラヴァレットに問い、それは「一発の弾丸」だと言い切るのです。
 
 アトレバテスのコム・部分 「アトレバテスのコム」(部分)




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John Tenniel - 19世紀末の挿絵 -

  “ Aesop's Fables ” (1848年) 

 Aesop's Fables 1848
 (John Murray, London 1848)

 「テニエルの挿絵があれば載せて欲しい」、「鏡の国が見たい」とか、「アリス以外のもので何かあれば」と言うテニエル絡みのご希望をいただきましたので、彼の初期の挿絵本である1848年に発刊された「イソップ寓話」をご紹介します。
 出版は John Murray 社で、テニエルが挿絵を施した版は“ New Edition ”となっています。挿絵は全部数えたことはないのですが110枚ほどだと思います(挿絵の目次がありますので数えればいいだけの話ですけど)。すべて黒のペンで描かれ、銅版(エッチング)で印刷されています。

 最初の物語は「狐と葡萄」です。非常に短い話なのですが身につまされることしきりの心に痛い話かもしれません。ご存知の方が大多数だと思いますが、明治40年発行の合本版「新訳伊蘇普物語」(玄黄社、鐘美堂書店)から上田萬年の翻訳でご紹介しておきます。

 「空腹になった狐が、ふと葡萄畑を通りかかり、鈴なりに熟した葡萄を見て、幾度となく飛びあがって取ろうとしましたが、高くて達(とど)かず、憊れるばかりで、一粒も口へは入りませんでした。そこで狐は業を煮やし、「何だ、こんな青い酸っぱい葡萄を誰が食うものか。」

 Aesop's Fables 01

 この物語の教訓は「高望みをするな」と言うことです。
 ルイ18世統治下のフランスにおいて外相として活躍したシャルル=モーリス・ド・タレーランは「言語は思想を隠すために人間に供された」と言っていますが、ある意味においてそれは的を得ています。
 人は失敗や照れ隠しのために心にもないことやその場しのぎの理由づけなどで逃避しようとします。
 たとえば誰かに自分勝手に期待を寄せておいて、それが思い通りにならなかった時にその相手に悪口をついたり、実力もなく努力もせずに高望みをしておいて、それが無理だとわかると「やればできるんだけどね、もう飽きた」などと言ったりもします。
 挙句には人の不幸を願ったりしてしまうことすらあります。たとえば、ある中華屋で嫌な思いをして「こんな店に二度と来るもんか!潰れてしまえ!」などと。
 自分の矮小さ、卑屈さに気付くと自己嫌悪に陥りやるせなくなったりもします。でも、「それも人間」と開きなおることも必要なのかもしれません。だって、上の物語の狐は葡萄を取るために飛んだり跳ねたり一生懸命に、それこそヘトヘトになるまで頑張ったかもしれません。その努力を誰かが認めてあげるというのも大事だと思うのです。

 Aesop's Fables 02 

 話がそれました。テニエルの話をしましょう。
 テニエルは1820年にロンドンで生まれました。彼の母親はダンスの教師、父親はフェンシングの教官をしていました。テニエルは20歳の時、その父との練習試合で右目に剣が刺さり失明するという事故にあっています。
 彼は早くから美術を志し王立美術学校とクリップストーン・アート・ソサエティで基礎を学んでいます。1836年に英国美術協会に認められ初めて公の場において彼の油彩画が展示されました。
 1943年、ジョン・リーチの薦めでディケンズの“Christmas Books”(Chapman & Hall. Bradbury & Evans)のフロントピースの絵を描いています。
 さらに1845年にはウェストミンスター貴族院の「詩人の間」にあるジョン・ドライデンの詩「聖セシリア」のフレスコ画を制作しました。
 
 Aesop's Fables 03 Aesop's Fables 04 Aesop's Fables 05

 テニエルは美術の基礎を学校で学びましたがイラストや漫画、諷刺画については独力で学び、特に動物や植物のデッサンに励みました。その努力はダグラス・ジェロイドの目にとまり、イソップ寓話の挿絵を描く話が舞い込んできます。彼はそれを見事にものにして1948年にJohn Murray社から“ Aesop's Fables ”として刊行されました。この年、ディケンズの“The Haunted Man”の挿絵も手掛けています。
 1850年、パンチ誌を主催していたマーク・レモンからカトリック問題の対立で職を去ったリチャード・ドイルの後任として勧誘され、活躍の場を移しました。ずっと後のことになりますが、彼はそこでビスマルクの辞任にまつわるドイツのオットー首相を題材とした風刺漫画“ Dropping the Pilot ”(1891)を描き好評を得ることになります。

 Aesop's Fables 06 Aesop's Fables 07 Aesop's Fables 08
 
 パンチ誌での彼の絵はルイス・キャロルの目に留まり1866年「不思議の国のアリス」、1870年「鏡の国のアリス」と世界的なヒットを飛ばし、ジョン・テニエルの名を歴史に残したことは周知の事実です。
 1893年、英国王室より“ Sir ”の称号を授与されました。ルイス・キャロルと袂を分かった後も1901年に職を辞すまでパンチ誌で漫画を描き続けました。そして、1914年2月25日に亡くなっています。

 Aesop's Fables 10 Aesop's Fables 11

 この「イソップ寓話」の終章の物語は「粉屋と息子と驢馬」です。本書中、最も頁が費やされているものですが、これは本来「イソップ寓話」には含まれていず、先にご紹介した「新訳伊蘇普物語」を編纂した国文学者の上田萬年はこれを同書から外しています。簡単に粗筋をあげておきます。

 粉屋の親子がが隣町の市で驢馬を売るために驢馬を引いて歩いていた折、井戸端会議をしているおかみさん連中に出合い 、その驢馬連れの姿を揶揄されました。
 「ねえ、あの人たちは驢馬に乗らずに歩いているよ。何のための驢馬なのかね。おかしいったらありゃしない。」
 粉屋はそれを聞いて息子を驢馬に乗せました。
 それからまたしばらく行くと、今度は老人たちが世の流れについて議論しているところへやってきました。
 「あれを見なさい。わしの言うとおりじゃろう。最近は年寄りに敬意を払わず、若者が我先に楽をする世の中なのだ。年老いた父親を歩かせておいて、息子は驢馬に乗って怠けておる。」
それを聞いて今度は父親は息子を驢馬から下ろすと自分が驢馬に乗りました。またしばらく行くと彼らは母親と子供たちの集団に会いました。
 「可哀想に小さな息子は足を痛める思いをして歩いて行っているというのに、よく父親はすまし顔で驢馬に乗っている。なんて親なんだろう!」
 父親はそれを聞いて息子を自分の後ろに乗せて町へと入って行きました。 すると一人の男が近づいて話しかけてきました。
「これはあなた方の驢馬ですか?」
「そうです。大事な私の驢馬です。」
「だとしたら、なぜ、あなたは驢馬をいじめるのですか?驢馬が大切ならば、自分たちで驢馬を運んだ方がよいのに。」
 そう言われて粉屋の親子は驢馬から下りると、驢馬の脚を太い木の棒に括り付け肩に担いで橋までを運んで行きました。このおかしな親子を一目見ようと人だかりができ、集まった人々は腹をかかえて笑いました。
 驢馬は周囲の大きな笑い声に興奮して、縛っている縄から逃げようと暴れた結果、縄が切れて川に落ちて溺れ死んでしまいました。

 全ての人の期待に応えようとした結果、大切なものを失うという愚行を諭した物語です。周囲の期待の全てに応えるなど土台無理なことなのです。自分らしい価値観と自己貫徹の意志への教訓です。

 Aesop's Fables 09

 最後に“Good Words”の挿絵を一枚ご紹介します。「鏡の国のアリス」はまた別の機会にします。
 テニエルはここで“ The Way in the Wood ”と言う短編の挿絵を描いています。

 “ Good Words ” (1864年)
 The Way in the Wood 1864
(Individually published issue 1864)

 “ Good Words ”は個人誌として発行された50頁ほどの薄い冊子です。広告と読み切りの短編小説主体に編集されています。挿絵はすべて銅版画で、広告のカットを含めれば膨大な数が入っていますが、著名な挿絵画家としてはテニエル以外ではロバート・バーンズ他数名程度です。バーンズの挿絵は残っている作品がわりと少なく、ちょっと珍しいので2枚ですが載せておきます。

 Robert Barnes
 Illustration by Robert Barnes (1840~1893)

 ついでにアーサー・ラッカムのイソップも載せておきます。
 初版は1912年、挿絵はフルカラー13枚、セピアが53カット収録されています。初版を手にいれるのは少し難しいですが、ラッカムの絵を目的とするだけなら洋書としては現在も販売されていますので入手はしやすいです。

 Illustration by Arthur Rackham
 Heinemann 1912 Rackham 00 Heinemann 1912 Rackham01 Heinemann 1912 Rackham02
 (William Heinemann, London, 1912)





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Midsummer Night's Dream ( Ernest Nister) - 19世紀末の挿絵 -

 “ Midsummer Night's Dream ” (1880年頃)

 midsummer nights dream Nister 00 midsummer nights dream Nister 01 midsummer nights dream Nister 02
 (New York E. P. Dutton & Company Cica 1880)

 初版は“ Ernest Nister,London,1880 ”です。
 アーネスト・ニスター (Ernest Nister 1842-1909) は、19世紀末に活躍した仕掛け絵本作家二大巨匠のひとりです。ドイツからイギリスへ移住し、ロンドンに出版会社を設立して仕掛け絵本を中心に数多くの美しい絵本を製作しました。仕掛け絵本を含めその挿絵のほぼすべてが多色刷り石版画によっています。

THE LAND OF LONG AGO - A VISIT TO FAIRYLAND WITH HUMPTY DUMPTY (仕掛け絵本)
 THE LAND OF LONG AGO 00 THE LAND OF LONG AGO 01 THE LAND OF LONG AGO 02
 (Ernest Nister, E.P. Dutton & Co. 1898)
 
 今回取り上げるのは彼が得意とした「仕掛け絵本」ではなく、見事な多色刷り石版画(クロモリトグラフ)によって飾られた「Midsummer Night's Dream」です。
 表紙は白の皮にエンボス加工が施してあり、その凸部には金彩が塗られています。額装状に飾られた表紙の絵は絹に刷られて挟み込まれており、贅沢を極めた作りと言えるでしょう。
 僕が持っているものは米国版 Dutton社で刊行されたものです。英国で刊行された初版とまったく同じ装丁で作られています。

 midsummer nights dream Nister 04 midsummer nights dream Nister 03

 収録されている版画は表紙を含めて7枚です。そのほかにセピアで描かれたカットがほぼ全頁に描かれています。
 画家の名前は記載されていません。画上にもサインなどはありませんので詳細は不明です。ただ元になった絵はあります。それは18世紀末から19世紀初頭のイギリス人画家ジョン・ホップナーや新古典主義画家(アングルなど)の神話絵画から着想を得ているようです。

 midsummer nights dream Nister 05 midsummer nights dream Nister 06

 木版画や手彩色にはない石版画の顔料のもつ独特の光沢が油彩画のような艶やかさを与え、表面を滑らかに保つため写真のようにも見えます。
 人の肌の色、光の射し込みや叢、木陰の陰影などその再現性は同年代の挿絵本のなかでも飛びぬけたものがあります。
 仕掛け絵本の挿絵はニスター自身が描いたものが多く、その原版の大部分の制作も彼自身の手で行っています。この「Midsummer Night's Dream 」も彼がデザインしたものかもしれません。確たる根拠はありませんが。

 midsummer nights dream Nister 07 midsummer nights dream Nister 08

 「Midsummer Night's Dream 」については数えきれないほどの書籍が出版されています。V・フィンレイ、W・H・ロビンソン、A・ラッカムなどもそれぞれ特徴のある絵で名作を残していますが、「どれか一冊、美しい挿絵の本を」と言われたら僕は「Ernest Nister」を薦めると思います。

 midsummer nights dream Nister 09 

 挿絵本はぽつぽつと書き足していくことにします。テーマとかは何も決めずにその時、手に取った本を取り上げてみようかと思います。
 
 midsummer nights dream Nister 10 midsummer nights dream Nister 11
 


 

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Kate Greenaway (3) - 19世紀末の挿絵 -

  KATE GREENAWAY(1846-1901)

 クレインのところで参考に挙げましたケイト・グリーナウェイ“ MELCOMB MANOR A Family Chronicle ”の「すべての挿絵を載せて欲しい」とか、「初期の絵を見たい」とのリクエストがありましたので、補足として「AUNT LOUISA'S NURSERY FAVOURITE」とを併せてご紹介しておきます。

 両方ともグリーナウェイの本では稀観本に含まれるものです。これらの本で見られる彼女の絵は、後年のものとは顕かに異なっています。「Under The Window」以後に慣れている人には違和感が感じられるかもしれません。
 特に「AUNT LOUISA'S NURSERY FAVOURITE」の中の「Diamonds and Toads」の挿絵、これは最初期の彼女の彩色挿絵となります。全体的に線も表情も硬く感じられ、むしろ後年にはないダイナミックさが際立っています。しかし、この時点ではまだ彼女独自の画風といったものは確立されていないように見受けられます。

 “ AUNT LOUISA'S NURSERY FAVOURITE ”(1870年)

 NURSERY FAVOURITE Diamonds and Toads 01
 (London Frederick Warne, 1870)

 「AUNT LOUISA'S NURSERY FAVOURITE 」には、「Dick Whittington」「 Lily Sweetbriar and Uncle's Farm Yard」など伝承物語や韻律詩(叙事詩)が収録されており、それぞれ異なる挿絵画家により全24枚のクロモリトグラフが入っています。グリーナウェイが手がけた「Diamonds and Toads」の挿絵は6枚です。いずれもサインは入っていません。

 Diamonds and Toads 02 Diamonds and Toads 03

 この「Diamonds and Toads」ですが出版後に非常に高い評価を得て、この翌年1871年に単独で絵本として発刊されています。写真は1875年頃の再版のものです。

 Diamonds and Toads 1875 (New York : McLoughlin Bros)


 “ MELCOMB MANOR A Family Chronicle ”(1875年)
 
 MELCOMB MANOR A Family Chronicle 00 Melcomb Manor 01
 (London. BelfastMarcus Ward & Co. Royal Ulster Works)

 「MELCOMB MANOR A Family Chronicle」はギフトブックとして非常に豪華な作りになっています。挿絵には金銀がふんだんに使われ、背景の金色の部分にはスクリプションが織り込まれています。

 Melcomb Manor 02 Melcomb Manor 03 

 「AUNT LOUISA'S NURSERY FAVOURITE 」の5年後の出版となるわけですが、この頃の絵には輪郭に柔らかさが出てきて、人物の所作にも優雅さが感じられるようになります。 

 Melcomb Manor 04 Melcomb Manor 05 Melcomb Manor 06

 僕の個人的な感想ですが「Under The Window」以後のグリーナウェイよりも「PUCK AND BLOSSOM」(Marcus Ward, London 1874)、同時期に出版された「CRUISE IN THE ACORN」(London: Marcus Ward ,1875)、「Fairy Gifts or a Wallet of Wonders」(Griffith and Farran, UK,1875)や、以前取り上げた「The Quiver of Love」(Marcus Ward, London,1876)などの頃の方が好きです。

 mother goose 1881 Mother Goose
  (London: George Routledge and Sons,1881)

 しかしながら、これらの絵を見ていると構図や人物の描き方などで、クレインが「私に似せた…」と揶揄したのも何となくわかる気がします。
 彼女は一時期、他者との差別化について悩み、絵が描けなくなったことがあります。そして、その結果、「Under The Window」に見られた画風をもっと極端に表現することを選択しました。それは当時において目新しさを提供しポピュラリティの獲得に大いに役立ちました。そして、今日においてもその人気は衰えず支持されているのも事実です。しかし、広まり過ぎたため食傷気味になる傾向があることもまた否めないと思います。

 もう少し体調が回復したら、その他のリクエストにも(全部は無理ですが一部でも)お応えできればと思っています。

 

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Walter Crane (3) - 19世紀末の挿絵 -

 Walter Crane (1845 - 1915)

 ウオルター・クレインは1845年8月15日、イギリスのリヴァプールで生まれました。
 肖像画家であり、すぐれたミニアチュール画家でもあった父、トーマスから絵や版画について手ほどきを受けました。
 1859年から1962年までの間、彼は木版彫刻家のウィリアム・J・リントンの工房に徒弟として入ります。ここでダンテ・G・ロセッティやジョン・E・ミレーの作品の彫版に携わり、その美術デザインのセンスや技法を実践を通して学びました。クレインはここでの3年間について「デザイン、素材、製作法との必然的な関係について理解し修得することができた」と後述しています。
 1864年から1876年にかけはエドムンド・エヴァンズとルートリッジ&サンと組んでトイ・ブックスを刊行し大きな成功を収めます。この時期の彼の絵には、「カエルの王子さま」(1874年)に見られるように、その平面構成やデフォルメの仕方には浮世絵の影響が強く現れています。
 その後、社会主義運動に関わり、さらに美術家同盟(Art Workers Guild)やクレインが設立したアーツ・アンド・クラフツ展示協会のために精力的に活動しました。
 クレインは「装飾芸術家はできるだけ自然から離れて、自身の経験によって選び抜かれた形態を学ぶべきだ」とフランス的なアール・ヌーヴォに対する批判を踏まえた主張と実践をし、1889年には王立芸術大学の学長に就任しています。

 「カエルの王子様」や「The First of May: A Fairy Masque 」については後日ご紹介することにして、今回は「PAN-PIPES」と「A Flower Wedding」「Flowers From Shakespeare's Garden」を取り上げます。

 “PAN-PIPES. A book of old songs” (1883年)
 (George Routledge and Sons, 1883)

 panpipe 1881 panpipe contents panpipe00 02
 
 初版は1880年に発行されています。
 大判のこの本の中には52枚のカラー挿絵で飾られた楽譜があり、装飾的に非常に凝ったものになっています。
 1877年に出版された子供向け音楽譜集「Baby's Opera」のやや大人向けにあたります。

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 クレインは楽譜を装飾の中に織り込むことでまるでタペスリーの様に仕上げています。
 
 panpipe 17 panpipe 26 panpipe 50


 “A Flower wedding” (1905年)
 (Cassell & Company, London, 1905)

 a flower wedding a flower wedding 01

 「A Flower wedding」には、口絵を含む40枚のカラー挿絵が入っています。
 これは1888年の「Flower Feast」以来、クレインが取り組んできたデザイン構成の一連の作品のひとつです。
 花の3部作というと「Flower Feast」、「Queen Summer」(1889)、「Flowers From Shakespeare's Garden」が挙げられ,、見落とされがちになりますが、もう少し注目されても良い作品だと思います。

 a flower wedding 04 a flower wedding 15&28

 ここではトイブック・シリーズや「PAN-PIPES」で見られたような装飾は控えられて極めて簡素になり、言葉少なに語るような構成になっています。添えられたキャプションもクレインによるごく短い言葉のみで、後は読者側の歴史や文学などの知識と関心、それから想像力に委ねられた感があります。

 a flower wedding 34&37 a flower wedding 24&40

 ところで、アール・ヌーヴォと言えばフランスやユーゲントシュティールに代表されるオーストリアやチェコなどがあげられますが、その発祥はイギリスの新芸術の思想にありました。
 クレインにとってアール・ヌーヴォとは何だったのでしょう。なぜ、クレインはフランス的アール・ヌーヴォを批判したのでしょうか? 
 その答えの一部はこの作品の中に垣間見られます。
 アール・ヌーヴォは自然の曲線や自然物を取り入れることで装飾における自然回帰を促し、絵画や建築などを席巻した芸術運動ですが、イギリスにとってのアール・ヌーヴォの思想の原点は平面上の装飾、二次元の芸術ではなく、立体、特に建築を主眼に置いた三次元の芸術でした。
 フランス的アール・ヌーヴォに見られる無理に取り入れられた不自然な曲線は華麗にも見え目新しさを提供はしましたが、基本的な安定性に欠けていたのです。
 またクレインの目指す実践的な装飾芸術とは、美術としてばかりではなく実用性と耐用性をも具備していなくてはならないものでした。ですから絵本においても、文字、装飾を含めるのは当然として、そこに読者をも有機的に関連付けられるものでなくてはならなかったのだろうと思います。それ故の単純化、簡素化でした。
 そしてそのクレインの狙いは「Flowers From Shakespeare's Garden」で一応の集約を見たと言えます。


 “Flowers From Shakespeare's Garden” (1906年)
 (Cassell & Company, London, 1906)

 shakespere's garden  shakespere's garden 01

 「Flowers From Shakespeare's Garden」は次の献辞で始まっています。
 「ワーウィック侯爵夫人に捧げる。夫人の美しいイーストン・ロッジのイングリッシュ・ガーデンで、この本の想像力に満ちた構想が生まれたことに感謝を込めて。」

 shakspeare's garden 02-04 shakespere's garden 02&04  

 登場する花々の妖精は直接にはシェークスピアの物語に登場するわけではありません。
 シェークスピアの戯曲の中に隠喩として使用された花(或いは、花言葉)を重ね合わせることでクレインは独自の花の妖精の世界を創り上げました。
 本の構成も一連のストーリーがあってのものではなく、15の戯曲の場面をオムニバスで取り上げています。
 たとえば一番最初の絵は「ペルセポネの略奪」です。これは「冬物語」のワンシーン。
 19頁は「ハムレット」から、髪を乱して花に包まれたオフィーリアです。
 
 shakespere's garden 31&36 shakespere's garden 37&40

 31頁に描かれているのは麦撫子。「恋の骨折り損」第4幕第3場からとなっています。キャプションは「さあ、行きましょう!麦撫子を撒いても麦は収穫できません。」
 36頁は「ヘンリー五世」から「苺はイラクサの下で良く育つ。上等な果実は下等なものと植えると良く育ち、実も熟す。」
 37頁は「ヘンリー六世」、最後の40頁目は「トロイダスとクレシダ」です。

 これら一連のクレインの作品と表現は、チャールズ・H・ロビンソン、カイ・ニールセン、ウィルビーク・ル・メールなどに大きな影響を与えました。その影響は今日まで続いていると言っても決して過言ではありません。

 すみません、体調が悪く、かなりあっさりした回になってしまいました。
 とりあえずここで19世紀末の挿絵には区切りをつけます。クレインについては別の本を取り上げるときに改めて補足したいと思います。

 2006年にマール社から刊行された「シェイクスピアの花園」は原本の魅力を損なわない配慮がなされていて良い本だと思います。巻末に収録されている作品解説やクレインに関する説明も非常にわかりやすいです。
 シェイクスピアの花園(マール社)
 「シェイクスピアの花園」(マール社)

 

 



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