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音のない観覧車

 自分が観覧車になった夢をみた。
 客車を震わせながらゆっくりと回転し、幾通りかに重ねられたネオンを点滅させて、僕は夜のなかに立っていた。
 僕は自分がどんな形のネオンを灯しているのか分からずにいて、それがペンタグラムだったら良いと思っていたんだ。
 客車のひとつに見覚えのある顔を見つけた。
 大学時代と同じように大袈裟な身振り手振りを交えながら剽軽に話をしている。
 なんだ、元気じゃないか。あいつが死んだりなんかするものか。誰だ?僕に悪い冗談を聞かせたのは!
 彼の正面にボブカットの女性が座っている。振り向いてくれないので顔が見えない。僕は会ったことがないけれど、恐らくこの女性が彼の言っていた恋人なのだろう。確か美容師さんだったはず。
 声を聞き取れないのが残念。
 でも二人があまりに楽しそうにしているので、見ているだけの僕も愉快になり、そのために客車を数回ガタガタと揺すってしまった。怖がらせてしまったら済みません。
 それにしても若いなぁ、あの頃のままじゃないか。お前だったらやり直せるよ。何度でも。
 僕のなかにあるはずの小さな世界の音を、僕はどうしても拾うことが出来ない。
 サイレント映画のように大袈裟な表情を浮かべて、場面が重なりながら摩り替って行く。
 あちらにはアルバイトでお世話になった人たちがいて、今、笑いあって降りて行こうとしている。
 8時の辺りを登ってくるソフトクリームに唇をつけている女の子は、小学校の頃に隣に住んでいた子。遊びに誘いに来てくれたのに断ってしまってごめんね。本当は行きたかったんだけど恥ずかしくて、うんって言えなかったんだよ。
 いつの間にかすべての客車に人が乗っていて、その誰もに僕は懐かしみを感じた。
 ひとりひとりをきちんと思いだせもしないのに、彼らはちゃんと僕の箱のなかにいる。少しだけ痛みを伴うようにして。
 昇降地点の客車がガタンとした。
 誰かが乗り込んでくる。
 小さな男の子を連れた老人で、彼はとても背が高いように見えた。
 男の子にも老人にもどこで会ったのか覚えがない。
 老人は男の子を先に乗せると、見上げるように「やあ」と軽く手を上げてから後に続いた。
 その挨拶は僕に向けたものだったのか、夜空に向けたものだったのか、もうわからなくなっていた。
 どこかでお会いしましたか?
 お名前を教えて頂ければ助かります。
 あなただけが覚えているなんて不公平だと怒らないで下さい。
 僕も覚えていたかったのに違いないのです。
 けれど僕はもう大分歳をとってしまったので忘れっぽくなってしまったんです。
 お名前を思い出せれば、今度は僕があなたの覚えていない昔話を出来るかもしれません。
 そんな僕の声も届くことはない。
 誰かが乗り降りするために相応しい速さを保ちながら、何かに触れるために伸ばす腕も持たず、夜と海の間を僕は回り続ける。
 同じ高さと同じ低さの間で時々躓きながら。
 君は笑うかもしれないけれど、
 ある晩、僕は、音のない観覧車だった。
 



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テーマ : ひとりごと…雑記…きままに
ジャンル : 日記

思うこと

 朝、自分を目覚めさせるために一杯の紅茶を飲み、一日の終わりの溜め息を誤魔化すために珈琲を淹れる。
 そうして今日の出来事を思い返し指折り数えながら、この24時間が僕にとって長かったのか短かったのかを測る。
 左手の親指を折り、人差し指を折り、中指を折ろうとして躊躇いが吐息をつく、薬指が途中で動きを止める。こうして右手に移ることなく数え終わってしまう僕には何が残されたのだろうか。
 24日、鶯谷に店舗を移した古書ドリスで銅版画家の林由紀子さんにお会いし、ひとつ安堵した。少しお痩せになられたように見えたけれどお顔を直接拝見できたことが素直に嬉しかった。
 その同じ場所で偶然といったら失礼に当たるけれど、レイミア・プレスの江副さんにもお会いすることができた。江副さんが林さんをご心配なさる気持ちは僕以上であることはご様子から伺え、お二人が挨拶を交わされる姿を見ながら、いつまでもこの風景が場所を変えながら繰り返されるようにと願った。
 その前日の23日、昨年、何度も擦れ違いになって会えず終いだった長野順子さんを訪ねて大阪のワイアート・ギャラリーへ向かった。
 近隣で開催されていた個展ではお会いすることが出来なかったのに、こんな遠方でならそれが叶うこともあるのだとちょっと不思議に感じる。手の届くほんの少しの距離は案外に遠い。
 鶯谷で林さんにお会いした翌日、林さんからの封書が届いた。勿論、投函されたのは23日より以前で、僕がお送りした原稿の可否に関するお返事。
 知人から「蔵書票に関することを書いて欲しい」と頼まれて蔵書票そのものではなく林由紀子さんのことを取り上げたので、その記述内容を確認して頂いた。
 枝下さんが作ってくれた文集のおかげで幸か不幸か原稿を書く機会が多くなってきた。いずれも断りきれない人たちからのものなので引き受けはしたけれど、筆が遅々として進まない。僕はものを書くのがあまり好きではないし、固より得意でもない。思いついた時に書きたいように書いているのが相応しい。それと僕にはささやかな約束がある。
 原稿で収入を得ようとは思っていない。本来、無償で良いと思っている。書きたいものを書くのと、生活するためのものを書くのとは似ても似つかない。生計のために作文するなどその苦労を想像しただけで目眩がする。
 文筆家のすべてが文筆業に属しているわけではない。作業として書かれたものは作品たりえないただの商品に留まるものが多い。無名の個人が残した一通の手紙が如何なる文学作品より心を打つことがあり、稚児の片言に心の覆いを払われることもある。
 販売量の多かったものが名作秀作であると判定することは絶対に出来ない。内容の質よりも宣伝力による影響が大きすぎる。そういったものの多くは買われてはいくけれど読まれずに放置される。購入者は手に入っただけで満足する。そんな満足感を与えられると言うのも驚異のひとつには違いない。レジャーの一端として購入することがイベント、そんな楽しみ方も確かに存在する。日々の生活の中で快適な充足感を与えるためのアメニティ・グッズであると分けてしまえば疑問もない。
 孰れにしろ傾向を予測して意図的に生み出すと言うのは難しいもので格別な努力を要する。その辛苦を楽しめる、或は作業としてこなせる精神力が才能。経過を批判することなど他者には毛頭できない。批判を浴びるのは結果として形をとって世に出されたものの宿命であり、商業人としての認定証と引き換えになっている。公然ではあっても人目につかない場所でこうして無駄なものを自由に書ける自分は幸いだと思える。趣味で良かったとつくづく実感すると同時に、何で書いているのか?と疑問が堂々巡りをする。矛盾の迷宮。つまりは人中で吐くボヤキみたいなもので、聞かされる方々が被る迷惑に陳謝。
 今、地震が来ている。
 家が揺れて部屋が軋む。数秒から十数秒にしか過ぎない地球の痙攣が予期しえないエネルギーを生み出す。僕が全力で寝がえりをうったところでベッドから落ちるだけのこと、比べるべくもない。
 こんなに軽い命が長らえていて、要事を抱えた貴重な命が世を去ってゆく理不尽を誰に問えば良いのだろう。
 空虚を抱きながら命を無駄に過ごすことは最大の罪と言える。
 「お前には何もなかった。」
 70年でも80年でもただ時を散らしたに過ぎない人生は当に天罰。
 僕たちは時間の樹。限られた葉を散らし、裸樹が死の姿。立ち枯れの最期。場所を空けるためにブルドーザーに轢かれ砕かれる。
 何枚の葉を散らしたのか数えることもできず、その一枚を拾い上げることもできない。
 枝を離れた葉は瞬時に吸い込まれるように中空で消えてしまう。
 僕は思う。
 あとどれくらい君のことを考えれば終わりが来るのだろうか。
 もう10年も20年も考えなくてはならないとしたら、それは嫌だなと思う。
 僕は僕の跡に残るものを惜しむより、僕とともに消えてしまうものを愛しいと思う、そんな歳になった。
 地震が収まった後、ふと、あの揺れも夢だったのかも知れない、そんな気がした。

 



 
 
 

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蜩の道

 朝、目覚めたら窓を開ける。木犀の香りを織り込んだ風が僕をすり抜けて行く。北鎌倉に降り立った時のことが思い出され、秋は来ていると感じる。僕に触れて行くこの風は猜疑心を生まない。眼に映らないものの存在を信じられる瞬間はこんなところにもある。大切なものはいつも簡単で身近だけれど、それに気づく頃には手遅れになっていることのほうが多い。

 僕は一日を始動させるためにリビングに向かう。階段を降りるのが少し面倒くさい。熱のためか、痛みのためか、そのどちらのせいでもあり、そのどちらのせいでもないのだろう。単に気が進まないだけだ。この答えも常に単純であり続ける。テーブルに着き、良く冷えたオレンジジュースを一杯、友人から貰った琉球硝子のグラスに注ぐ。手作りの、歪で座りの悪い、無骨な円錐形の、黄色と青が流し込まれた沖縄の海と光をイメージさせる人間味のあるグラスだ。オレンジの匂いが散る。朝食代わりのそれを飲み干す。手帳を開いて予定を確認する。移動が多い。気が重くなる。電車やバスは苦手だ。中学にあがる頃まで僕は乗り物酔いが酷く、電車や車に乗っていられなかった。それが自律神経から来る病気だと医者に告げられた時、何となく安心した。今ではもう乗り物酔いに悩まされることはないが、他人と密着するような空間にいることが耐えられない。歩いて行くことのできる距離であるなら僕はそちらを選ぶ。けれど大抵は時間の制約がそれを許してはくれない。簡単な願いほど難しいものが多い。

 車窓を流れて行く僕とは無関係な生活のある景色を眺めていたら、薄汚れた麦わら帽子を思い出した。
 夏の日の、帰り道の出来事。なぜ僕は独りだったのだろう。どこまで歩いて行ったのか。恐らく迷子になっていた僕をその人が手を牽いてくれた。逆光の斜陽の中で失われてしまったその顔を僕は思い出せない。見知らぬ人だったのか、面識があったのかも覚えてはいないが、彼の言葉が断片として記憶に残っている。

 「重きほど頭を垂れる稲穂かなって言うのを知ってるだろう。あれは人にとって都合の良い言い方で謙虚さを表しているんだけど、稲穂たちはね、自分たちが土から生まれたことを忘れずにいて、大地に向かって精一杯に体を伸ばしているんだよ。故郷に帰りたくて帰りたくてそこが生きる場所だって知っているんだ。場所は違っても故郷っていうのはどこにでもある。憶えておくといいよ。」

 麦わら帽子を被っていたのは僕だったのか、彼だったのか。確かに夕方に近い時刻で、蜩が止むことなく鳴き続け、緩やかに湾曲した道の片側は雑木林で片側は田圃だった。道にそってひかれた水路は乾ききっていて覗き込むと小さな羽虫が一斉にこちらに向かって飛んできた。ひび割れて補修されることもないアスファルトには草が出鱈目なモザイク模様を仕切るように生え、車に轢かれた蟇蛙が張り付いていた。その人とは途中で別れた気がする。どこで別れたのか。どのあたりから陽は林の向うに沈んでしまったのか。
 7つ違いの当時中学2年だった従姉と合流して帰宅した。彼女が手を繋いでくれた時、僕は泣き出したような気がする。僕はずっと不安だった。そのくらい一人で歩いていたのかもしれない。家に着いた頃にはすっかり夜になり、世話になっていた叔父の家では騒ぎになりかけていたらしい。駐在に届けると言い出した叔父を叔母がもう少し待つように宥め、従姉妹が探しに出かけた。姉は小沼のある方へ、妹は駄菓子屋のある町の方へ向かったと後で聞いた。その従姉も、もういない。飲酒運転の車が大学に入りたての彼女の命を奪ってしまった。

 「蜩の道で立ち止まる人はきっと誰かを待っているんだよ。決して一緒に付いていってしまはないようにね。帰れなくなってしまうから。」

 それがその時に聞いた言葉と同じものであったのか、別の時のものであったのか今は記憶をたどることが出来ない。
 夏はいつしか過ぎて行く。その実感だけが幼い僕に刻まれた。

 僕はそろそろ記憶を捨てる時期に近づいている。僕は、僕のために遺書を書くことに決めた。

 
 

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リセット

 「あなた、そんなに苦しいのなら一緒に死んであげましょうか。」
 浸食する死の苦しみに悶える堀辰雄に向かい夫人はこう声をかけたそうです。
 それはたぶん深い愛情に基づいて発せられた言葉だったのでしょう。美しい愛の場面と捉え、感動を覚える人もいるかと思います。
 けれども僕にはそれが理解できない。
 僕は人間の情愛に理想を抱いていないのかもしれません。ですから、共に生きることに意味はあっても、共に死ぬことに意味はないと思ってしまうのです。まして、それが臨終の際にある病人を慰める手段になるとはどうしても思えません。

 人が他者を自己の相手と認識する最も強い感情はどのようなものなのでしょうか。
 愛情、友情、憐憫、憎悪、羨望、嫉妬、畏敬など様々なものがあります。そのどれが最も強い認識を生むのでしょうか。

 歌手の三波春夫さんが生前、こう話しておられました。
 「戦場で見も知らない相手と向かい合っていて、それが敵だと思い込まされる瞬間があります。それは隣にいた戦友が相手の弾丸に頭を打ちぬかれた時です。その瞬間に敵としての憎悪が生まれるのです。」

 中野重治は「子供と花」のなかで有島武郎の心中について、その死は恋愛の行き詰まりによって引き起こされたのではないという前提を置いて次のように述べています。
 「彼らは自己の芸術が自己の生活から切り離されたものとしては考えられなかった。自己の芸術の行き詰まりのなかに彼らは自己の生活の行き詰まりを感じた。その行き詰まりは芸術の改革によってではなく生活の改革によってのみ打開される。彼らは生活の改革をやろうとしてそれを自殺というかたちでやった。…」

 自殺が画期的な自己改革の手段であるはずはない。それは事実ではなく真実です。
 自殺という手段は生活の改革などではなく単純な撲滅行為でしかないが、敗者の意思は受け継がれることがある。そう言った影響があることを否定することはできません。中野重治はそれを指してある種の前進ではあると補足しています。

 自分をもっとも強い対象として相手に意識してもらうためには、どちらがより相手を苦しめることができるかという事実にあたらなくてはならないと僕は感じています。
 例えば恋愛は、相手を思うことで自分に慰めと喜びを与える、或いは相手に慰めと喜びを与えるというものではなく、自分が相手を思う事で、相手に自分を思わせることで、どれほどその相手を苦しめることができるかということなのではないかと。
 それが愛した相手に愛されることの現実と呼んだら卑屈にすぎるのでしょうか。

 自分が好きになった人に、自分を好きになってもらえる。それは確かに奇跡と呼ぶに相応しいものです。
 であれば、自分の人生をとめるのは自分が理想とする人に、理想とする形でとめてもらう。それはもっとも尊い奇跡なのではないでしょうか。その理想がある限り生きて行かれると言うのは逆説的にすぎますか?

 人間が無関係な他者を自分の対象として引き込む、最も強い感情は殺意なのです。その高揚が瞬間的であれ、継続的であれ、他者を自己の相手と最も強く認識させるのです。
 殺意を理想とした恋愛というものがあったことに気づかず稚拙な恋の熱だけを夢見ていた時代を、僕は今になって悔いています。
 僕にもう一度そんな風に信じられる機会が与えられるならば、恐らく以前よりはましな生き方ができると思うのです。


 


 

 

 

 
 
 
 

 

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「ル・プチ・パリジャン」のこと

 僕が蔵書票を本に貼る時、それは喪章か弔票のようであるかもしれません。或る少女が今でも手にしたかもしれない本を想像し、憧れて、遥かに時を経た今も呪縛として残っているものへの贖罪として貼り付けているのでしょう。

 現在、紙の書籍は低迷を極めていて、近い将来にはすべてデジタル化されてしまうのかも知れません。蔵書票もそれと運命を同じくし、デジタル・スタンプに形を変えてしまうとすれば、それは蔵書票の消滅を意味します。
 誤解を恐れない言い方をすれば、希望とは抗う意志のことだと僕は考えます。やがて消えてゆくものを少しでも留めたい、繋いで行きたいと言う気持ちもその一つでしょう。

 東京の曳舟に「ル・プチ・パリジャン」という所があります。古書を通じて装丁、挿絵、蔵書票など書籍に付随した芸術文化を次世代に伝えようとして奮闘しています。喫茶の形はとっていますがオーナーはそこを「書斎」と呼び、「ただ本を読みに来るだけでも良い」と、そういう場所です。

 「最も暗い時代においてさえ、人は何かしら光明を期待する権利を持つこと、こうした光明は理論や概念からというよりはむしろ少数の人がともす不確かでちらちら揺れる、多くは弱い光から発すること、またこうした人々はその生活と仕事のなかで、ほとんどあらゆる環境のもとで光をともし、その光は地上でかれらに与えられたわずかな時間を超えて輝くであろう…。」 

 これは阿部齎さんが翻訳したハンナ・アレント著「暗い時代の人々」の序にある言葉です。
 ここで引用するには大袈裟とも言えますが、もし本当に紙の文化が消失した未来が訪れた時には、ある種の感慨をもって読んでいただけるかもしれません。英雄になれずとも抗う心を持った人々が存在したという事実として。

 本というものは工芸、文化の結晶です。
 本文の内容は言うに及ばず、冊子の形状、材質、文字の形、色、配置、挿絵や装飾など凡そ手工芸と言われる要素総ての集積結果が書籍という形を作り上げています。
 しかもそれらは実感を伴っています。見た目、重さ、手触り、匂い、音。中には本を食べる方もいるかもしれませんが、あまり食用には向いていないようです。

 実体と実感を伴って存在するということは、記憶を共に担って行くことを意味しています。
 本を手に取ることは教養や話題づくりの範囲を超えて、人生に栞を挟み込むことに似ていると僕は感じています。
 そうした書籍全般の文化を伝えようとしているのがプチ・パリのオーナーである石川氏です。
 書籍は情報のための消耗品ではありません。
 本は重いし、場所を取ります。けれど本はただそこにあるのではありません。書棚にある本は、それを読んだ人の記憶と共にあるのです。他の誰に知られずとも。

 読み古された本たちは幾つもの記憶を挟み込みながら人の間を流れて行きます。
単なる資料ではなく友としての本に触れられるという大切さを顧みてください。あなたが手に取りたいと思い、ともに記憶を背負うもののために。手軽さよりもその実感ある存在を。誰でもないご自身が大切にしたいと思う物語と出合うために。そして一緒に過ごした人々の思い出と共に。

 僕は石川氏の運動を微力ながら応援して行きたいと思っています。実際には口惜しいことに、お役に立てることは何一つありはしないのだけれど。
 曳舟の書斎「ル・プチ・パリジャン」を訪ねて、知ることから始めてみませんか。僕たちが失ってきた文化や生物は、個人の不知を理由とする無関心が招いた結果であるものが多くを占めます。失ってからその存在を知ったものを指折り数えてみれば心に浮かび上がってくるでしょう。

 現在の関心の有無は別として、たとえ10分でも良いからここに立ち寄って頂きたいのです。直接触れなければ生まれて来ない関心があります。少し重い扉を押して足を踏み入れてください。それがあなたにとって長い付き合いとなる最初の10分間になってくれれば良いと願っています。
     
 LE PETIT PARISIEN

 〒131-0032 東京都墨田区東向島2-14-12
 Tel 03-6231-9961
  [OPEN] 13:00~18:00 19:00~24:00
 [定休日] 毎週木曜日


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