蜩の道

 朝、目覚めたら窓を開ける。木犀の香りを織り込んだ風が僕をすり抜けて行く。北鎌倉に降り立った時のことが思い出され、秋は来ていると感じる。僕に触れて行くこの風は猜疑心を生まない。眼に映らないものの存在を信じられる瞬間はこんなところにもある。大切なものはいつも簡単で身近だけれど、それに気づく頃には手遅れになっていることのほうが多い。

 僕は一日を始動させるためにリビングに向かう。階段を降りるのが少し面倒くさい。熱のためか、痛みのためか、そのどちらのせいでもあり、そのどちらのせいでもないのだろう。単に気が進まないだけだ。この答えも常に単純であり続ける。テーブルに着き、良く冷えたオレンジジュースを一杯、友人から貰った琉球硝子のグラスに注ぐ。手作りの、歪で座りの悪い、無骨な円錐形の、黄色と青が流し込まれた沖縄の海と光をイメージさせる人間味のあるグラスだ。オレンジの匂いが散る。朝食代わりのそれを飲み干す。手帳を開いて予定を確認する。移動が多い。気が重くなる。電車やバスは苦手だ。中学にあがる頃まで僕は乗り物酔いが酷く、電車や車に乗っていられなかった。それが自律神経から来る病気だと医者に告げられた時、何となく安心した。今ではもう乗り物酔いに悩まされることはないが、他人と密着するような空間にいることが耐えられない。歩いて行くことのできる距離であるなら僕はそちらを選ぶ。けれど大抵は時間の制約がそれを許してはくれない。簡単な願いほど難しいものが多い。

 車窓を流れて行く僕とは無関係な生活のある景色を眺めていたら、薄汚れた麦わら帽子を思い出した。
 夏の日の、帰り道の出来事。なぜ僕は独りだったのだろう。どこまで歩いて行ったのか。恐らく迷子になっていた僕をその人が手を牽いてくれた。逆光の斜陽の中で失われてしまったその顔を僕は思い出せない。見知らぬ人だったのか、面識があったのかも覚えてはいないが、彼の言葉が断片として記憶に残っている。

 「重きほど頭を垂れる稲穂かなって言うのを知ってるだろう。あれは人にとって都合の良い言い方で謙虚さを表しているんだけど、稲穂たちはね、自分たちが土から生まれたことを忘れずにいて、大地に向かって精一杯に体を伸ばしているんだよ。故郷に帰りたくて帰りたくてそこが生きる場所だって知っているんだ。場所は違っても故郷っていうのはどこにでもある。憶えておくといいよ。」

 麦わら帽子を被っていたのは僕だったのか、彼だったのか。確かに夕方に近い時刻で、蜩が止むことなく鳴き続け、緩やかに湾曲した道の片側は雑木林で片側は田圃だった。道にそってひかれた水路は乾ききっていて覗き込むと小さな羽虫が一斉にこちらに向かって飛んできた。ひび割れて補修されることもないアスファルトには草が出鱈目なモザイク模様を仕切るように生え、車に轢かれた蟇蛙が張り付いていた。その人とは途中で別れた気がする。どこで別れたのか。どのあたりから陽は林の向うに沈んでしまったのか。
 7つ違いの当時中学2年だった従姉と合流して帰宅した。彼女が手を繋いでくれた時、僕は泣き出したような気がする。僕はずっと不安だった。そのくらい一人で歩いていたのかもしれない。家に着いた頃にはすっかり夜になり、世話になっていた叔父の家では騒ぎになりかけていたらしい。駐在に届けると言い出した叔父を叔母がもう少し待つように宥め、従姉妹が探しに出かけた。姉は小沼のある方へ、妹は駄菓子屋のある町の方へ向かったと後で聞いた。その従姉も、もういない。飲酒運転の車が大学に入りたての彼女の命を奪ってしまった。

 「蜩の道で立ち止まる人はきっと誰かを待っているんだよ。決して一緒に付いていってしまはないようにね。帰れなくなってしまうから。」

 それがその時に聞いた言葉と同じものであったのか、別の時のものであったのか今は記憶をたどることが出来ない。
 夏はいつしか過ぎて行く。その実感だけが幼い僕に刻まれた。

 僕はそろそろ記憶を捨てる時期に近づいている。僕は、僕のために遺書を書くことに決めた。

 
 
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リセット

 「あなた、そんなに苦しいのなら一緒に死んであげましょうか。」
 浸食する死の苦しみに悶える堀辰雄に向かい夫人はこう声をかけたそうです。
 それはたぶん深い愛情に基づいて発せられた言葉だったのでしょう。美しい愛の場面と捉え、感動を覚える人もいるかと思います。
 けれども僕にはそれが理解できない。
 僕は人間の情愛に理想を抱いていないのかもしれません。ですから、共に生きることに意味はあっても、共に死ぬことに意味はないと思ってしまうのです。まして、それが臨終の際にある病人を慰める手段になるとはどうしても思えません。

 人が他者を自己の相手と認識する最も強い感情はどのようなものなのでしょうか。
 愛情、友情、憐憫、憎悪、羨望、嫉妬、畏敬など様々なものがあります。そのどれが最も強い認識を生むのでしょうか。

 歌手の三波春夫さんが生前、こう話しておられました。
 「戦場で見も知らない相手と向かい合っていて、それが敵だと思い込まされる瞬間があります。それは隣にいた戦友が相手の弾丸に頭を打ちぬかれた時です。その瞬間に敵としての憎悪が生まれるのです。」

 中野重治は「子供と花」のなかで有島武郎の心中について、その死は恋愛の行き詰まりによって引き起こされたのではないという前提を置いて次のように述べています。
 「彼らは自己の芸術が自己の生活から切り離されたものとしては考えられなかった。自己の芸術の行き詰まりのなかに彼らは自己の生活の行き詰まりを感じた。その行き詰まりは芸術の改革によってではなく生活の改革によってのみ打開される。彼らは生活の改革をやろうとしてそれを自殺というかたちでやった。…」

 自殺が画期的な自己改革の手段であるはずはない。それは事実ではなく真実です。
 自殺という手段は生活の改革などではなく単純な撲滅行為でしかないが、敗者の意思は受け継がれることがある。そう言った影響があることを否定することはできません。中野重治はそれを指してある種の前進ではあると補足しています。

 自分をもっとも強い対象として相手に意識してもらうためには、どちらがより相手を苦しめることができるかという事実にあたらなくてはならないと僕は感じています。
 例えば恋愛は、相手を思うことで自分に慰めと喜びを与える、或いは相手に慰めと喜びを与えるというものではなく、自分が相手を思う事で、相手に自分を思わせることで、どれほどその相手を苦しめることができるかということなのではないかと。
 それが愛した相手に愛されることの現実と呼んだら卑屈にすぎるのでしょうか。

 自分が好きになった人に、自分を好きになってもらえる。それは確かに奇跡と呼ぶに相応しいものです。
 であれば、自分の人生をとめるのは自分が理想とする人に、理想とする形でとめてもらう。それはもっとも尊い奇跡なのではないでしょうか。その理想がある限り生きて行かれると言うのは逆説的にすぎますか?

 人間が無関係な他者を自分の対象として引き込む、最も強い感情は殺意なのです。その高揚が瞬間的であれ、継続的であれ、他者を自己の相手と最も強く認識させるのです。
 殺意を理想とした恋愛というものがあったことに気づかず稚拙な恋の熱だけを夢見ていた時代を、僕は今になって悔いています。
 僕にもう一度そんな風に信じられる機会が与えられるならば、恐らく以前よりはましな生き方ができると思うのです。


 


 

 

 

 
 
 
 

 

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「ル・プチ・パリジャン」のこと

 僕が蔵書票を本に貼る時、それは喪章か弔票のようであるかもしれません。或る少女が今でも手にしたかもしれない本を想像し、憧れて、遥かに時を経た今も呪縛として残っているものへの贖罪として貼り付けているのでしょう。

 現在、紙の書籍は低迷を極めていて、近い将来にはすべてデジタル化されてしまうのかも知れません。蔵書票もそれと運命を同じくし、デジタル・スタンプに形を変えてしまうとすれば、それは蔵書票の消滅を意味します。
 誤解を恐れない言い方をすれば、希望とは抗う意志のことだと僕は考えます。やがて消えてゆくものを少しでも留めたい、繋いで行きたいと言う気持ちもその一つでしょう。

 東京の曳舟に「ル・プチ・パリジャン」という所があります。古書を通じて装丁、挿絵、蔵書票など書籍に付随した芸術文化を次世代に伝えようとして奮闘しています。喫茶の形はとっていますがオーナーはそこを「書斎」と呼び、「ただ本を読みに来るだけでも良い」と、そういう場所です。

 「最も暗い時代においてさえ、人は何かしら光明を期待する権利を持つこと、こうした光明は理論や概念からというよりはむしろ少数の人がともす不確かでちらちら揺れる、多くは弱い光から発すること、またこうした人々はその生活と仕事のなかで、ほとんどあらゆる環境のもとで光をともし、その光は地上でかれらに与えられたわずかな時間を超えて輝くであろう…。」 

 これは阿部齎さんが翻訳したハンナ・アレント著「暗い時代の人々」の序にある言葉です。
 ここで引用するには大袈裟とも言えますが、もし本当に紙の文化が消失した未来が訪れた時には、ある種の感慨をもって読んでいただけるかもしれません。英雄になれずとも抗う心を持った人々が存在したという事実として。

 本というものは工芸、文化の結晶です。
 本文の内容は言うに及ばず、冊子の形状、材質、文字の形、色、配置、挿絵や装飾など凡そ手工芸と言われる要素総ての集積結果が書籍という形を作り上げています。
 しかもそれらは実感を伴っています。見た目、重さ、手触り、匂い、音。中には本を食べる方もいるかもしれませんが、あまり食用には向いていないようです。

 実体と実感を伴って存在するということは、記憶を共に担って行くことを意味しています。
 本を手に取ることは教養や話題づくりの範囲を超えて、人生に栞を挟み込むことに似ていると僕は感じています。
 そうした書籍全般の文化を伝えようとしているのがプチ・パリのオーナーである石川氏です。
 書籍は情報のための消耗品ではありません。
 本は重いし、場所を取ります。けれど本はただそこにあるのではありません。書棚にある本は、それを読んだ人の記憶と共にあるのです。他の誰に知られずとも。

 読み古された本たちは幾つもの記憶を挟み込みながら人の間を流れて行きます。
単なる資料ではなく友としての本に触れられるという大切さを顧みてください。あなたが手に取りたいと思い、ともに記憶を背負うもののために。手軽さよりもその実感ある存在を。誰でもないご自身が大切にしたいと思う物語と出合うために。そして一緒に過ごした人々の思い出と共に。

 僕は石川氏の運動を微力ながら応援して行きたいと思っています。実際には口惜しいことに、お役に立てることは何一つありはしないのだけれど。
 曳舟の書斎「ル・プチ・パリジャン」を訪ねて、知ることから始めてみませんか。僕たちが失ってきた文化や生物は、個人の不知を理由とする無関心が招いた結果であるものが多くを占めます。失ってからその存在を知ったものを指折り数えてみれば心に浮かび上がってくるでしょう。

 現在の関心の有無は別として、たとえ10分でも良いからここに立ち寄って頂きたいのです。直接触れなければ生まれて来ない関心があります。少し重い扉を押して足を踏み入れてください。それがあなたにとって長い付き合いとなる最初の10分間になってくれれば良いと願っています。
     
 LE PETIT PARISIEN

 〒131-0032 東京都墨田区東向島2-14-12
 Tel 03-6231-9961
  [OPEN] 13:00~18:00 19:00~24:00
 [定休日] 毎週木曜日


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コーヒーでも飲みながら。

 6月の終わり頃でしたか、お世話になっておりますある方から「君の書いたものから抜き出して冊子にしようと思うのだが如何かな?」と言われました。
 また僕を揶揄っているのだな、と思い黙っていたら、今度はやけに具体的な話をしだし、そこで漸く状況を理解するに至りました。
 「駄目です。やめてください」と申し上げたのですが、「そう言われると思ってね、既に手配をしてしまったのだよ」と豪快にお笑いになられました。
 本当に日ごろからお世話になっておりますので、あまり強硬に出ることも叶わず、つまりはその方の米寿の記念文集として限定冊子で作ることになりました。
 掲載する文は僕が過去に書いたものから既に選び終えておられ、文集の題(副題も含めて)も決めていらっしゃいました。
 恐らく僕としては有り難いお話なのでしょうが、形になるというものは怖いもので、未だに困惑してはいます。
 文集の題は「日記抄」で、副題が「書棚に残された記憶のために」です。
 発行日はその方の誕生日に合わせられていましたので書き直す時間もなく、最低限の修正に留まりました。本来であれば幾つかを新たに書くべきものなのでしょうが…。
 経緯はどうであれ、それでも僕にとっては28年ぶり3度目の冊子となります。
 僕としては納得しているわけではありませんが、数年後に見返した時、その方に深い感謝の念を抱くかも知れません。

 話しは変わって、曳舟のル・プチ・パリジャンで、僕が微力ながら協力させていただきました「部外倉庫虫干し展」なる企画が開かれております。
 これは装幀に意匠を凝らした書籍や個性的な著作を展示したものです。普段はあまり直接には手にとる機会が少ない書籍たちです。

 詳細は、プチ・パリさんのサイト https://twitter.com/petit_paris_mas に掲載されています。参考にご覧になってみてください。

 それとこの企画に合わせてプチ・パリさんで8月18日の20時から、本をめぐる雑談会も予定されています。
 参加者は自由で特に難しい話はありません。本好きの人のための談話室みたいなものです。
 僕も行きますのでご都合が合えばお越しください。
 コーヒーでも飲みながら話をしませんか?

 無駄話をする時間も大切なものだと、この頃、頓に思います。
 以前は井戸端会議など時間の無駄という意識が強かったのですけどね。
 ゆるんだ時間の過ごし方と大切さを教えていただいた気がします。
 
 最後にいろいろな方にご助力をいただきました文集「日記抄」の写真をあげておきます。

 日記抄
 
 

 

 

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出梅

 誰かに宛てて手紙を書きたいと思いました。特に綴るようなことはないのだけれど。
 たぶん僕は疲れているのだと思います。疲れるような特別なことも、また、何もありはしないのに。
 携帯電話のバイブが着信を知らせてくれていますが、今は現実に存在する人たちの声を聞きたくありません。
 死者に語りかけることができるのなら、僕はきっといつでもそうします。
 静寂を作り出すことにいくら心を砕いても、どれほど耳を澄ましても、僕は望む声をきくことができないでいます。
 だから僕は想像をします。望む声を聞くために。
 君だったら、こう言ってくれるのではないかと。

 ベッドの周りに散らばった書籍の山は、行き場のない心の現れです。
 探しているものが見つからないのは、探しているものがわかっていないからなのだと、どこかで漸く気が付き始めた時、僕の足腰は弱り始めていて、先を行く学生に追いつくこともできなければ、後から来た子供たちに追い越されて行く、もう自分で思う通りの速度では体を動かせなくなっていました。
 
 九州地方の大雨を知らないかのように空梅雨となった関東地方が出梅し、水を求め喉を涸らしきった紫陽花が色を染めきることなく萎れて行きました。彼らは与えられた条件でしか生きられないし、それに対し反抗を述べることもできません。ただ自分たちに与えられた環境と結末とをゆっくりと受け入れるだけです。
 それは酷く残酷なように見えますが、僕はそれが彼らに与えられた才能だと思うことがあります。自分たちの置かれた環境で命を全うすること、その強さを誇ることのない彼らに心から敬意を払います。
 以前、公園の端に生えていた紫陽花の見事さに思わず手を合わせてお辞儀をしたことがあります。それを見ていた子供が「あのおじさん、変なことしてるよ。金魚のお墓でもつくったのかな」などと買い物途中に手を引く母親に話している声が聞こえました。
 昨日の花は今日の塵。
 全ての土は骸の果て。
 手で掬った時の土の香りが懐かしいと思えるのはそのためなのでしょう。

 田山花袋の「草みち」という短編の末尾にこんな科白があります。
 「そうした魂が再び墓の中から出て來ないとも限らないから・・・。そつとして置くに限る・・・。そつと・・・。」
 死者を驚かすことのないように、そして自分たちが再び同じ悔恨を背負わないように。

 祈る時は声を立てる必要はないのです。他の人に聞こえるように祈ることは、自分が「あなたより真剣に祈っているのですよ」という自己顕示にほかなりません。静かに凝縮させることのできる無音の祈りの方が余程真剣なものであるはずです。
 そして僕は先の科白のひとつ前に戻るのです。

 「不思議なものだな・・・・・、人間といふものは・・・・・。落附いて了へば、何でもないんだな。一生かかつて拭つても拭ひきれない泥を塗られたと思つたが、そんなことはなかつたんだな。」

 いつか僕が死ぬとき、そう言ってくれる人がいたら。
 手を取ってもらう必要はありません。僕を見下ろして、ただ「何でもなかったよ。大したことじゃなかった」と呟いてくれる人がいればいい。そんな最後が迎えられれば、僕の一生は失敗ではなかったと言える気がします。
 無から何かが生じて無に還る。結果から言えば、何も起きてはいなかったと、そんな一生であることが僕の望みです。

 眼も開き切れないほど強い照り返しの砂利道を歩いている時、無縁仏を祭ったお地蔵様の小さな祠の屋根に五十雀がさっと舞い降りてきて、辺りを一瞥すると短い鳴子笛のような声を残して飛び去って行きました。
 それは「こっちだよ」と僕を案内しているようにも見えたのです。

 流れる汗、白く光る砂利道、蒸し暑く重い空気、草の匂い、蝉時雨、風が立てる以外の動きがなくなった正午。
 もう夏ですね。


 
 

 
 
 
 
 
 

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