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エピソードα ~ Somewhere in Time ~

 深夜から降り出した雨が正午過ぎに漸くあがりました。
 明るさを取り戻した空を見上げると地平近くに、飛び立つために広げられた翼のような形の雲が目に映りました。
 変哲もない雲がその様に見えたのは、僕がそう見たかったからなのでしょう。
 人は見たいものを見ているのです。
 嫌悪すべきものも、畏怖させるものも、憧憬さえも、見ることができるのです。
 空に描かれた翼は誰のためだったのでしょうか。
 僕の翼ではないことは確かです。僕の翼であるのなら、それは剥ぎ取られた残骸であったということです。
 でも空にあったそれはあまりにも清らに映えていたので、君の翼の象徴であったと思います。

 この日、ブリジストン美術館で長く学芸員を勤められた金森さんが北鎌倉に開いた蔵書票ギャラリーをひと月振りに訪ねました。
 ひと月前は、ホームを降りると北鎌倉全体を木犀の香りの風が柔らかく包み込んでいたのに、それが記憶違いのように、町には枯れ葉の匂いがしていました。
 紅葉はまだ先のことながら、秋はこうして僕たちの周りに溢れていきます。

 金森さんのギャラリーは「青騎士」という名で、これはドイツ表現主義派を牽引したカンディンスキーとマルクが主催した機関誌から採られています。

 北鎌倉駅を降りて円覚寺前の通りを明月院方面に向かって歩いていくと三叉路が現れ、真直ぐ行けば建長寺、左に折れれば明月院。
 「青騎士」は左に折れて直ぐの右側にあります。
 丁度、ミュシャとアール・ヌーボーの蔵書票展をやっていました。
 小さいながらも展示されている作品の情報量は多く、特に僕の目を引いたのはスペインとイタリアの蔵書票です。
 イギリス、フランス、ドイツの作品は日本でも多く見かけますし、チェコの蔵書票は最近はよく取り上げられるようになりました。けれどスペインとイタリアの蔵書票はあまり目にする機会がありません。思えば古書大国である両国に優れた蔵書票作家がいるのは当然のこと。その当たり前のことを金森さんのギャラリーで拝見するまで気が付かなかったとは、僕は何という穴だらけなのでしょう。
 金森さんの蔵書票語りは親しみがあり、造詣に富み、エピソードも興味深く配置されています。
 訪れた際には、人懐こい笑みを絶やさない金森さんにぜひ声をかけてみてください。
 決して怖い人ではありません。ご安心を。
 こんな風に尋ねると面白いお話をしてくださるはずです。

 「この紋章を覆っている羊歯みたいなのは何ですか?」

 僕はここで栗田政裕さんが制作した蔵書票を1枚購入しました。
 それを包みながら金森さんは「めったに売れることがなくて」と笑います。
 多くの人に蔵書票を知ってもらいたいという気持ちだけでお作りになられたギャラリー。
 これもまた道楽なのでしょう。
 そして空間を維持するためのご苦労も大変なものと察せられます。
 
 ギャラリー「青騎士」を出て鎌倉に向かって歩き出し、途中の小道とも言えない本当に見落としてしまいそうな細い通路の奥にある喫茶店に立ち寄り、遅めのランチを食べたのですが、うっかりお店の名前を確認するのを忘れてしまいました。もう一度見つけるのは難しいかもしれませんね。そこもまた趣味のお店のようでしたから。

 夜、仕事の打ち合わせを藤沢で終わらせ、和田塚にあるペンションに宿を取りました。当夜のお客は僕を入れて3組5名。夕食は鎌倉まで出て小町通に入ってミルクホールのある路地の少し奥にある「梅の木」で摂りました。今年の7月にできた新しい店内は清潔感に溢れて、お店のスタッフも細やかに対応してくれました。

 宿に戻ってもなかなか寝付けない夜。
 面白くもないテレビを点け流して、鞄にいれておいた本を捲っては目を閉じるふりをする。
 眠れない理由は何なのでしょう。
 身体を右に左に転がしているうちに、滔々と朝が白み始めました。
 うとうとしたのは6時のニュースの最中、しばらくすると携帯のアラームが朝食の時間を教えてくれました。
 簡単な朝食を食べて宿を後にしたのが午前九時。
 江ノ電で一駅先、鎌倉。
 若宮大路の人込みを抜けて杉本寺の方へ歩を進め、「分かれ道」を折れて、知人のアトリエを訪ねました。
 通された部屋のなかが珍しくあまりにも整理されていたので驚いていると、彼は照れたように「今は何も作る気がしなくてね。だから座る場所があるんだ」と言いました。
 僕は彼に頼まれた書籍を渡し、彼はそれを確認すると「ありがとう」と言い、「今日は出かけちゃうけど、ゆっくりしていっていいよ。鍵はいつものようにポストに落としておいて」と紅茶を勧めてくれました。 
 彼が出て行った後、アトリエの広い陽だまりに残された僕は、片付いた机の上に持っていた太宰の「女生徒」を広げ数行目を落としました。

…箱をあけると、その中に、また小さい箱があつて、その小さい箱をあけると、またその中に、もつと小さい箱があつて、そいつをあけると、また、また、小さい箱があつて、その小さい箱をあけると、また箱があつて、さうして、七つも、八つも、あけていつて、たうとうおしまいひに、さいころくらゐの小さい箱が出て來て、そいつをそつとあけてみて、何もない、からつぽ、あの感じ、少し近い、パチツと眼がさめるなんて、あれは嘘だ、濁つて濁つて、そのうちに、だんだん澱粉が下に沈み少しづつ上澄が出來て、やつと疲れて眼がさめる。朝は、なんだか、しらじらしい。…

 そこまで読んでパタンと頁を閉じる。
 疲れているなと自分でも感じます。理由はありすぎてひとつひとつ数えきることはできません。
 小さなひとつも、大きなひとつも等しく僕を打ちのめします。理由の大小は僕を疲弊させる力に比例してはいないので。

 どうして僕はここにいるのだろう。

 背中にあたる日差しは大きく取られた窓から十分な暖かさを僕に与えてくれています。
 不意に「シスカ」という単語が頭に浮かびました。
 何であったか凝っと思い出そうと努めていると、君が本を読み上げる声が幻聴となって僕の記憶を開きました。

…シスカ、二十七里向ふに日ソ國境のある村だ。僕たちは随分北にやつて來たもんだ。こんなに北に來たけれど、ここはまだ僕を満足させない。土人の家にいつたつて、森永のチヨコレートがあるやうに、僕の眼の前には何時も愚劣な文明がちらついている。…

 シスカとは敷香と書く択捉にある村の名前で、僕は君が朗読した丸岡明の短編で初めて知ったものでした。
 けれど僕はそれ以上のことは今も知らないでいます。町の名前の載った小説しか僕の手の中にはないのです。

 僕はどの方向へ、どこまで行けば十分だと思えるのでしょうか。
 動きたくない気持ちと動かずにはいられない気持ちとがいつも反目しあっています。

 生きるということ自体が徴兵に取られることのようにも思えてしまうのです。

 そこから逃げる手立てはあるのでしょうか。
 丸谷才一の「笹まくら」は徴兵忌避者の話でしたね。
 主人公は現実には不可能であった徴兵忌避に成功しました。
 死を選ぶことなく生きることで逃亡を達成したのです。
 主人公は徴兵前に出会った女性との短い恋の日々を幸福の象徴として逃亡し続けました。
 それは絶対に讃えられることはなく、英雄であるはずもない生涯恥ずべき行為なのですが、自由を妨げられた人々が真に望んでいたことの唯一の成功であったのです。

…人殺しをしたくないための行為が別の人殺しをもたらす。…

 彼の逃亡は世情の矛盾に曝され続け、自分が生き残るために別の死をもたらしました。
 もし僕が今の「生」という徴兵から逃亡したとすれば、どういう矛盾と犠牲が生じるのでしょうか。

 僕以外いない静かなアトリエ。
 冷たい風の届かない偽装された陽だまり。
 ひょっとしたら僕も存在していないのかも知れないと思わせるその穏やかさの中で、僕は机の上の大切なものを囲い込むように腕を置き、そしてそれらを上半身で庇うように伏せました。
 僕は何を隠していたいのでしょう。
 思い出そうとすることにも疲れました。
 今は眠い、のです。 
 少しだけ眠らせてください。
 どんなに疲れていようとも、目が覚めたらきちんとここから出て、また歩き出します。
 そうしなければならない理由は、そうしたくない理由と同じ位にあるものですから。

 青騎士01 
 ≪ギャラリー青騎士≫
 神奈川県鎌倉市山ノ内186-3
 ℡ 0467(40)4110
 営業時間:10時~17時・木曜日定休

 女生徒 太宰治「女生徒」(砂子屋書房・初版)

 柘榴の芽 丸岡明「柘榴の芽」(日本文學社・初版)

 笹まくら 丸谷才一「笹まくら」(河出書房新社・限定版)






 


 
 
  

 

 
 
 
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ジャンル : 日記

おしゃべりの裏側…水曜荘趣味誌「寿多袋」

 このブログの裏話というか、そんな大層なものでもないんですけどね。始まりの話をちょっとしようかと。
 以前に友人知人の勧めもあって始めたという書き方をしたのですけど、それは間違いではないのですが、少し違ったところもありまして、それがずっと引っかかっていたんですよ。
 それを今さらつらつら書いてどうなるのかとね。あくまで僕自身の問題で、読む側にはなんの関係もありませんので、いい迷惑だろうなぁとも思ってはいます。
 まぁ、立ち止まるか否かは通行人の自由で、関所よろしく足止めをするわけではありませんので、こうして書かせていただくことにしました。

 寿多袋01

 このブログ、随分と前からやっていた気がするんですが、よく見たらまだ5年なんですね。7年くらいやっていた気がしていました。けれどよくよく考えれば、あの大震災直後から始めたわけですから、僕の年月の感覚が狂っていたってことなんでしょうね。
 後輩(といっても僕の歳の半分以下)の女の子と悪友に「一緒にやるんなら気楽でしょ?」ってな感じで言われて、あまりに迫ってくるもんですから断るに断れず書き出しました。
 この「一緒に」っていうのは文字通り「一緒に」でして、本でいうなら共著ということになりますね。「誰かが書きたい時に書けばいいよ」ってなことです。
 そうそう、悪友がこうも言ってましたね。
 「俺の教え子に読めるように書いてくれよなぁ。読ませるんだから。」

 寿多袋02

 記事は未公開を含めると362件あるんです。公開されているのは353件。その全部に近いものを僕が書いたわけですが・・・。
 僕は義務感が強い方なので放置っていうのが許せなかったんですよ。たとえばネトゲでもね。
 しかし最初と話が違うでしょ?一緒に書いてないし。彼らの記事はほとんど未公開になってるしね。下書きのままとか。

 ブログの最初の記事に「リハビリがてら」って書いたのですが、あながち誇張でもなかったんです。
 あの当時ね、僕は対人恐怖症というか、対人嫌悪症になっておりまして、人と会って話すということに嫌気が差してましてね。仕事でも最小限度で用件を伝えると、あとは「うるさい。黙れ」ってな具合だったんです。こちらも沈黙、あちらも沈黙。
 それを見かねて彼らが僕を焚きつけたんです。放っておくと「また引きこもっちゃう」みたいな。
 言葉というのは使ってないと使えなくなるんですよ。外に向かって出していないと書くこともままならないんです。
 でね、彼らから言われたから動いた。それは確かにそうなんですが、もうひとつ理由があるんです。いや、挙げ始めたら一つじゃ足らないんですが細かなものは省くことにしてね。
 先に"LE PETIT PARISIEN "のオーナーの石川さんが少し「水曜荘」のお話をされていましたが、その水曜荘主人である酒井徳男さんが出していた同人誌、それが動き出す気持ちを与えてくれたんです。

 寿多袋03

 この同人誌は、趣味誌「寿多袋」と名付けられていて非売品、会員配布のみで限定300部。ガリ版刷り。手作り装丁。
 昭和42年8月に創刊号が出され、主催者の酒井徳男さんが亡くなる直前に出された昭和45年1月の「三十號記念」が最後。同年2月に出された「別冊追悼号」を含めても全31冊です。
 僕は残念ながらこの31冊の「寿多袋」以外の酒井さんの本を持ってはいません。借りて読んだものはありますけど。
 その酒井さんがこの趣味誌のなかで「好きなものを書きたいように書いて、千人の知らない人に読んでもらうより、少なくても確実に読んでくれる人の手に渡った方が良い。そこに同人誌の楽しさがある」と言われているんですよ。
 それはね、僕たちが学生時代にやっていた同人誌作りや交換日記の記憶が数えきれないほど詰まっていた言葉だった。
 もちろん「寿多袋」ほど贅を凝らしたものではありませんでしたけど。
 この酒井さんの言葉を見直した時に、「もう一度、書いてみようか」という気持ちがおきて来たのです。

 寿多袋04

 創刊号の執筆者は、水曜荘主人(酒井徳男)、八木福次郎、蘭繁之、岩佐東一郎、酒井秀夫。版画を宮本匡四郎、蘭繁之。カットを酒井秀夫。次号以下では、田中冬二なども参加しています。
 しかも、冊子中に実物見本が貼られています。古銭、メンコ、鉄道乗車券、観劇割引券、写真等が印刷ではなく、実物です。
 会員の中には「いつ実物見本がつきるのかが楽しみ」などという人もいたとか。何しろ300冊分の実物見本を毎月用意するわけですからね。そう容易いことではないです。

 寿多袋10

 第参號にこんな前書きがあります。

 「夏よ、さようなら」 酒井徳男

 とうとう念願の素浪人になることができた。昭和十六年に国民新聞社に入社。軍艦マーチ華やかなりしころ、都新聞と統合、東京新聞となった。ここでちょっぴり人生の悲哀を感じたが、その次には、兵隊で、こんどはなンと大日本帝国の敗戦だ。それから二十年たったら、東京新聞と中日新聞の業務提携という名の吸収合併。
 いうなれば敗け、敗け、敗けの連続だが、この敗けが人生の味だ。白虎隊も、彰義隊も、新選組も、勝ちどうしだったらロマンにもならぬ。敗けの味が人生の味、人生の味が浪人の味で、こんなことでもなければ、念願を果たすこともできなかったはずだ。
 おう、東京新聞よ、グッド・バイ。 …

 寿多袋05

 酒井さんはこの趣味誌を出す前年、大病を患い死の淵を彷徨い、余命宣言を受けました。「寿多袋」を立ち上げて僅か2年半足らずで世を去ります。決して万全ではなかったはずなのに、このエネルギーの充実は何なのでしょう。そこに趣味人としての生き様を見たというには、あまりに凄まじい道楽人生です。
 水曜荘文庫での最後の著書「らくがき古書道楽」にはそうした彼の粋が詰め込まれています。酒井徳男という人の人生を思うとき、この本を読むと感動がこみ上げてきます。
 僕にはこんな超越した道楽の道は歩めはしないけれど、何もしないで終わることのないようにしたいとの気持ちは少しくらいはあります。
 そこで、やはり酒井徳男さんの言葉を創刊号からお借りします。

…生きている限りは、何かしてみたい。何もしたくない人も、むろんいる。私は何かしてみたいの部類に属する人間で、何かする、とは、私にとっては何かを書く、ということでもある。以後、水曜荘主人の個人趣味誌として、好き勝手なことを草して行こうと思う。何も彼も自由なようにみえて、真実、自由なものは、実は何一つない。自由とは心の中にのみある、と言った人もある。心の中でのみ自由をうたっても、それが声にも歌にも文章にもならなかったら、何にもなりはせぬ。自由は心の中にのみある、とは、自由はない、というのと同じではないか。
 私は、かねがね、好き勝手放題な文章を草し、それを書物のかたちにしてみたいと考えていた。これは、できそうで、なかなか実行困難なことであった。そういう志を持ってから二十数年が無為に過ぎてしまったのを以ってしても、いかに難事であるかがわかる。…

 そう、自由というのは伝えることができて初めて「自由」と言えるんです。誰かに伝えなくとも、自分に実感を与えられるものを自由と言うんです。
 僕はあの当時、きっと周りから見て不自由に見えていたのだろうと思うんです。だから、背中を、ド突かれた。
 そうして、つけてもらった勢いは時折減速してしまうけれど、止まるまでにはもう少しだけ時間がかかると思います。ですから、もうちょっとだけお付き合いしていただけるなら嬉しいです。

 ところで、先日ね、鎌倉に打ち合わせに行きまして、ついでに長らく不義理をしていた恩師の墓参をしてきました。その折、恩師の書庫から数冊、譲りうけたものがありますので、近いうちにご紹介します。



 
 
 

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キリギリス

 昔、昔のことです・・・。
 そう書いてしまうと本当にあったことでもなかったことのように響き、すべては遠い過去において終わってしまったかのように思えてきます。

 君は自分を「昔」に置いて話すことができますか。
 それは君にとってどんな意味をもつものなのでしょう。
 
 過去というアルバムにページの制限はありません。もちろん空白のページもありはしません。
 すべてのページに自分が綴られていて、それは存在した事実に他ならないのです。けれども残念なことにこのアルバムの最初から最後までを通してみることはできませんし、二度と開くことのできないページがあります。寧ろ開くことのできないページの方が多いのが真実です。
 開いてみるページは自分にとって傷になっていることか、都合の良いことが中心となります。
 そのどちらもが思い出になってしまった瞬間に、無意識に改ざんがなされてしまう。いなかったはずの人を自分の隣に座らせてしまうのです。
 難しいのは、自分にとって一番事実に近い傷になっていることが、自分が傷ついたことよりも、自分が背を向けてしまった過ちに対する傷であること、それに付きまとう悔恨なのです。

 球技大会の時に僕が壊してしまった君のカメラはどうしたのでしょう。せっかく撮ったフィルムが駄目になってしまい、僕は君の思い出を奪ったままで今日まで来てしまいました。
 なぜ、あの時、謝りに行かなかったのでしょう。起きてしまったことを恐れてその場から逃げることよりも、リフレインする過去の方がよほど辛いものだと、なぜ気づかなかったのでしょう。
 「ごめんね。大丈夫だった?」
 そんな簡単な言葉を言うことのできなかった僕が、あの時代の自分自身の悪意の象徴のように甦ってくるのです。
 そしてそれを誤魔化そうとしてあの魔法の言葉を冠頭に持ってくるのですが、自分のことである限りお伽噺にはなってくれはしないのです。

 君に昔話をします。面白くもない話で、興味もひかないでしょうけど。
 
 昔、昔のあるところに姑息な考えしか持たなかった貧弱なひとりの少年がいました。
 彼はいつも簡単な方が近道だと考え、地味で面倒で大切なことを避けて来たのです。
 何か問題が起こると、正面から向かい合うことはとても時間がかかるし疲れることなので、効率が良いという誤魔化しを使って先送りばかりを繰り返していました。
 彼は口がうまかったので周りの人たちもその時は何となく解決したかのように思えてしまったのです。
 でも、それは途方もない遠投の繰り返しのようなものでした。
 そう、足元の小石を拾って今の自分の位置からなるべく遠くへ投げるようなことだったのです。
 愚かなことに、自分の歩く速度があまりにも緩やかに思えていたので、道はすっかり平らかで邪魔なもののないように見えました。
 春から夏までは楽しいことが多くて、しかも夏休みは終わらないと思っていた彼は、間違いに気づかないまま、信じていたのです。
 「これが正解なんだよ。」
 けれど、その小さな塊たちは彼が見ていたよりもずっと先の方で積もって固まり、まったく別の大きな山になっていました。
 彼が呑気に歩いてそこまできた時には最初の元気は既になかったのものですから、山の斜面はきつく感じられますし、比較的新しく積もった小石たちは足を滑らせますし、何かに掴まろうとしてもしっかりした木の一本も生えてはいません。彼は小さな種を拾おうともしなかったので。
 彼はもう一度以前と同じことをしようとしました。
 けれど石をつまんで改めて遠くに投げようとしても肩はあがらなくなっていましたし、本当に道を塞いでいるものは掴むこともできない大地のように強靭な塊になっていたのです。
 彼は膝を折り地面に手をついた時、やっと自分の皺だらけになった手に気づきました。
 そこで力尽きたように座り込んだ彼は、アリとキリギリスの話を思い出していました。
 キリギリスがとても羨ましかったのです。
 同じように力尽き衰えるにしても、好きなことを力いっぱいやれたキリギリスは幸せだと思ったのです。
 冬の夕暮れが近づいてきました。
 「ああ、僕はこの山を越えることはできないな。冬の終わりをみることもない。」
 彼は最後に諦めて身を横たえ、これが自分を滅ぼすのだな、と思いながら目を閉じました。
 漸く彼はうっすらと自分の間違いに気づいたのです。
 彼を滅ぼした諦めが始まっていたのは、一番最初の小石を拾って投げた時だったことに。だからキリギリスを羨んだのだと。
 彼は誰も通りかからないその道で、誰の記憶にも残らないまま、自分の投げた小石のなかで塵のように溶けて行きました。
 そこでは冬はずっと冬のままで、花も咲きはしないのです。




 


 

 

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事実の傍らに

 たとえば、歩くということが事実を認識するためのものだとしたなら、僕は途切れることのない事実の傍らを常に歩いていて、無数の連続であるその事実が僕を捉えていたとしても、僕がその事実を捉えることはごく稀で、僕はそこにあったものを受け入れるでも拒絶するでもなく、無感覚にただ傍らを過ぎているだけなのです。

 たとえば、生きている世界は死ぬことができる世界なのだと言葉で表してはみても、田村隆一が綴ったように、死ぬことのできない世界は生きることもできない世界なのだという感覚は僕にはなくて、ここに言う「死ぬことのできない世界」というのは、理不尽と不信感とに埋め尽くされた現実の社会のことであって、結果、自分を「殺す」ことによってのみでしか自らの心の奥に葬られている死者を甦らせることはできないのだと、信じる弱さも、頼る強さも、持ち合わせてはないのです。

 氾濫する事実のなかを歩いている時、街路樹は、公園の樹木は、僕をどうみているのだろう。
 しっかりとした静けさをもって道行く人がその視界から消え去るまで見送っている樹々。
 僕はそんな樹々をきちんと見てあげているのだろうか。
 窓のない部屋と部屋のない窓との相似した、かつ、矛盾した、空間ともいえない「間」を持つ僕は、所詮は盲ているのだろうと思うのです。

 健全な精神などと声高らかに宣う人は必ず精神を病み切っている人だと思うのです。そうでなければ事実を殺すことに慣れ切っている人なのでしょう。

 ドアの先に部屋があるなんて誰が決めたのでしょう。
 ドアを開ければ外に出られるなんてどうして信じているのでしょう。
 そもそもドアというものを僕に教えてくれたのは誰なのでしょう。
 窓はいつも外を見せてくれているのに。

 君に詩を返します。
 君から借りたままになっている詩集から選んでみました。


 「木」 田村隆一

 木は黙っているから好きだ
 木は歩いたり走ったりしないから好きだ
 木は愛とか正義とかわめかないから好きだ

 ほんとうにそうか
 ほんとうにそうなのか

 見る人が見たら
 木は囁いているのだ ゆったりと静かな声で
 木は歩いているのだ 空にむかって
 木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ
 木は確かにわめかないが
 木は
 愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて
 枝にとまるはずがない
 正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸い上げて
 空に返すはずがない

 若木 
 老木

 ひとつとして同じ木がない
 ひとつとして同じ星の光のなかで
 目覚めている木はない
 
 木 
 僕はきみのことが大好きだ



 ゆったりとした静けさを失ってから僕はどれくらいの時間を過ごしてきたのでしょう。
 音楽がうねりをあげて、人声がそれに負けじと大きさをまして、それも届かないほどに、車の音が工場の音が得体の知れない機械の音が、僕の耳を塞いでしまうのです。 
 眠るような静けさを持つ煌く命を生きていけたらいい。
 鉱物のような規則正しい寡黙さでなくていいのです。そんな強靭さを求めているわけではないのです。
 虫が土にしっかりと爪を立てて生きているように、鳥が生まれながらに空を知っているように、そんな風にはなれないことは百も承知のうえです。
 ただ僕に触れるものが僕を怖がらないように生きていたいのです。
 わかってもらうことも、わかろうとすることも不必要な、お互いを単純に必要として受け入れられる生き方がしたいのです。

 そうでしたね、これは君が昔に言っていたことでした。
 恐らく僕は君をトレースしているのです。
 記憶はあの頃よりも確かなものとして君を鮮明に捉えてさせているから。

 今日のエピローグに添えて " Nu " (田村隆一)を。


 窓のない部屋があるように
 心の世界には部屋のない窓がある
 
  蜜蜂の翔音
  ひき裂かれる物と心の皮膚
  ある夏の日の雨の光り
  そして死せるもののなかに

 あなたは黙って立ち止まる
 まだはつきりと物が生まれない前に
 行方不明になったあなたの心が
 窓のなかで叫んだとしても
 
  ぼくの耳は彼女の声を聴かない
  ぼくの眼は彼女の声を聴く


  
 


 
 
 

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朝の目覚めの中で。

 ふらっと外に出てゆく僕に誰も行く先を問いはしない。
 日差しも風も穏やかで恐らく理想に近い晴天をこの世界に与えている。
 僕は眠っている。ずっと眠り続けている。
 常にコツコツコツと何かが外殻を突く音がしていて、それは祖父の部屋に懸かっていたゼンマイ仕掛けの振子時計のリズムに似ている。
 けれど君に会うために眠り続けなくてはならないので、僕は目を閉じ続ける。
 君の前でだけ僕は目覚めていればよい。きっと僕の世界はそれで十分だから。
 眠りのなかでも記憶は刻み続けられ、塵で覆われてゆく。
 食卓には乾ききって茶葉の色が染みついたティーカップ、トーストやベーコンエッグが乗せられていたはずのソーサー、食事の途中で無造作に投げ出されたフォークとナイフとスプーンは、ひっそりと柔らかな埃に包まれている。
 誰かが息でも吹きかければ傷跡のようにその軌跡がくっきりと現れるであろう。
 そこでやっと僕は自分の不自然さに気が付く。
 僕は部屋の外にでたはずなのに、また繰り返している。
 ドアを開けることと閉めることを反復し、いつか見た軍艦島の写真集の中を、廃墟を歩き続けている。
 紫陽花がダイニングの破れた硝子窓の間から部屋に忍び込もうとしている。
 もう夏は来ていたのだと知った。

 まるで耳元で囀ったかのようなウグイスの声で目が覚めました。窓から人に悟られぬように忍び込んだ光が僕の顔にまで届いていました。
 眠ったのはつい3時間ほど前。なのに随分と長い時間が経過したような気がして。
 ラジオの電源を入れると東京の貯水量が例年の60%だという現状や都知事の支離滅裂な記者会見の模様をダイジェストで流していました。
 最初に非を認めることをしないと窮地に追い込まれ立て直すことができなくなる良い見本、いや、晒し者になります。今はラジオで良かったと思います。映像が見えたなら、卑小な顔がさらに滑稽さを加え不快感を増して行くでしょうから。
 もう辞めてしまいなさい。醜態を晒してまでも手放せないメリットがその地位にあるということが政治的不信とあなたへの嫌悪感をさらに募らせているのですよ。ご自身が地位の外にいた時には見えていたはずのものでしょうに。
 ところで酷い冷害で米作が甚大な不作となり輸入米に頼ったのはどのくらい前でしたか。あの時、この国は不測の事態に対する備えなどしていないのだと教えられました。
 この国の建前主義は学習と反省というものを知らないようです。
 阪神淡路の時も東北の地震の時も国は歴史的震災であることを繰り返し、正当性を主張し続け、瓦礫の中で必死に作業をし続ける人々の姿がこの国の言い訳の白々しさをいっそう強調していました。
 幼稚園の迎えのバスを待っている子供たちが60歳になった時、この子たちが支払う介護保険料はいくらになっているのだろうか。そんなことが頭に浮かんで行きます。
 どうか静かに世界が終わりますように。
 祈りが届くのであれば僕はそう願うでしょう。

 松村栄子「至高聖所」を読み返しました。
 感情を素直に文章に記すことのできるこの人を凄いなと思います。多種多様な感情を書き尽くすことなど不可能なのだけれど、粗筋にも似た一番分かり易いものを取り出し文章にできる才能をうらやましいと思います。

…老人たちはいつも学生たちには聞き取りにくい言語でたがいにぼそぼそと語り合っていた。ときおり何かの加減で怒鳴っている老人もいる。その言葉は学生たちの言語とは決して噛み合わず触れ合うことなく擦れ違う。何か大きな音がしたといった反応しか学生は示さない。むしろ、何かの間違いで赤ん坊の泣き声などがすると、皆ぎょっとして振り返ったものだ。…

 生という神殿のうちには虚無を癒す至高聖所は存在するのでしょうか。眠りが死に対する現実の再生であるとするなら、目覚めるたびに人は新しい人でなければなりません。そうであることはたぶん人間にとって理想であるのです。

 人は容易く手の届くものに奇跡という賛辞を贈りません。
 都会には自然がないと嘆く人は自分が自然をいただいて生きていることに気づいてはいません。
 先日、銀座の個展で高橋真琴先生にお会いした際、先生は「おかげさまで生かされています」と笑顔をくださいました。
 素敵な言い方だな、と思います。
 野菜も魚も肉も自然の生命です。僕たちはそれを食して命を長らえているのです。
 けれども、誰しも手の届く自然に気づかずに、雄々しい山々に憧れ、高原の風を吸い込もうとし、海風を幸いとします。
 例えば、生まれてはじめて目の当たりにしたグランドキャニオンを奇跡だと快哉する。
 僕が摘まんだイチゴの一粒に同じものはない。それは十分に奇跡であるはずなのに感じることができないでいます。
 日常の小さな奇跡は、偶然と、同位のなかで軽視されてしまうのです。
 人間は欲張りなので。

 そしてまた僕は眠り続けます。現実という夢と目覚めという夢を見続けるために。
 君と同じ眠りの中で過ごすことができるのなら、それに増した奇跡はないと。

 

 

 

 
 
 

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