田久保英夫「解禁」

 ヴァン・ゴッホの「アルルの跳ね橋」でも、アルフレッド・シスレーの「ヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌの橋」でもその他何でもいいのですが、絵や写真、映画などで見た風景を実際に目の前にしたとき、「印象が違う」と感じたことはないでしょうか。時代の流れによる風景の変化云々ではなく、形や大きさ、彩りといった心の奥底に根付いたイメージが現実を否定、或いは、拒絶してしまうことがあります。そうした瞬間にであって初めて気づかされるのです。自分自身が渇いていることに。自分が望んでいたものは「自分が望むように自分を潤してくれるもの」であったことに。
 
 田久保英夫の小説に「解禁」という短篇があります。母が営む娼婦宿で起居する兄弟。兄はその年齢が考慮され遠方の親戚に遠ざけられますが、残された弟がそこで出会った「三千代」を通じて、次第に性と自我に目覚めて行く少年期の心理的過程を描いた物語です。
 彼は女性を「女」と捉えず「妓」、もしくは「GEIGI」と認識しています。そこに個の性はなく、職業としての性の認識が優先していたと言えるでしょう。彼はある日胸を病み、入院生活を余儀なくされます。そこで重い肺疾患で厭世的になった少年「宮内」と知り会い、一冊の画集を貰い受けました。彼の目を強烈に引き付けたのは「セント・リュシイの殉教」と言う一枚でした(セント・リュシイは、シラクサのルキアのことで、小説中には絵の作者などは示されていませんがダヴィデ・ギルランダイオの絵がもとになっているのではないかと僕は勝手に想像しています)。そこで描かれた聖女の苦悶と恍惚の表情は彼の心を魅了しました。
 ある夜、空襲警報が鳴る中で三千代を通じて彼が体験した性。そこには彼が望んでいた高揚も充足もなく、ただ失望感のうちに自分自身が欲していたものは性的な探検心ではなく、渇愛に基づく所有欲であったことに気づかされます。しかし娼妓である彼女を自己のものにすることは叶うはずもなく、その失望と葛藤は彼女を殉教させることへの欲望につながっていきます。この心理は金閣寺を燃やした青年僧・林承賢に通じるものがあるかもしれません。
 この小説の帯には「燃え盛る空襲の炎の影に、遂に迎えた性の解禁―少年の強烈しかもかなしい心理の衝撃を、鮮やかに跡づけた秀作」と書かれていますが、僕はこのアオリに異を感じています。少年が「解禁」したものは「性」ではなく、「自己愛」「渇愛」への明確な欲望でなかったのかと思うのです。単純に憧れ描いていた性の交わりとは少年にとっては「自分の愛する者が、当然に自分を愛してくれる」と言う所有欲の実現としての性行為であったのです。
 田久保英夫は詩人から転向した小説家らしく、心を砕き選び抜いた言葉を用いて非常に繊細に文章を組み立てています。

 昭和38年に新潮社より刊行された同書には「埠頭」「緑の年」が併録されています。

 「埠頭」は港湾の税関に勤める下級税官吏が、大手商社の羊毛の不正輸入を発見し、それをネタに同僚と組んで利益を得ようと目論む話です。しかし推理小説とか、企業小説の類ではありません。そういった要素は含まれてはいますが、根底は「罪」とその継承にあります。小説中に引用されている「それ一人の人の罪によりて罪は世に入り、また罪によりて死は世に入り、凡ての人、罪を犯しし故に凡ての人に及べり。律法のきたる前にも罪は世にあり、然れども律法なくば罪は認めらるることなし」(ボードレール、鈴木信太郎訳)に象徴されることになります。

 「緑の年」は地方出身の凡庸で真面目な青年が強盗殺人事件に巻き込まれ共に逃亡するはめに陥る話です。田久保英夫の処女作にあたります。
 青年は事件当初は強迫的な抑圧によって自由意志を奪われ逃走に加担しますが、その途上何度も脱出する機会を得ます。しかし青年は犯人たちと終始行動を共にし続け、その理由を彼は「自分一人きりになる恐怖」に見つけます。作為不作為によらず事件の一味ととして世間からとられた青年は、戻ることも交わることもできない「通常の社会」から隔たった存在になったと自分を認識し、自分を特別なものと知覚し卑下します。その弱さが強盗犯との同道へと結びつきました。しかし彼は逃げ続けることを通し自分が「闘争している」ことの自覚を生じます。このテーマは後に「遠く熱い時間」で再度取り上げられます。
 構成として粗い部分もありますが青年の心理は共感を得るものがあります。こういった心の動きを捉えた話での心理の変遷に無理がないというのは田久保英夫の小説の特徴だろうと思います。

 解禁 (新潮社、昭和38年初版)


 

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日常のなかで

 明け方から降り続いた雨と微熱が続く体から抜けない怠さに憂鬱な一日でした。
 「どうすればいいのか?」なんてことは自分でもわかりようもなく、とにかく滅入っている気分を外に出さないように努めて過ごした一日です。そうして一日が終わってみるとそれが余計に疲労を増加させ結果として自己嫌悪を引き出します。

 僕は自分のブログよりも他の方のブログを読むほうが好きで、当たり前ですがそこで気づかされることも多々あります。
 たとえば、仕事や健康のことでいっぱいになって足元だけを見て歩いていたらゴールデンウィークも終わり、思い返せば鯉幟を見た記憶さえありませんでした。
 僕の住んでいるところは田舎なので農家や古くからある商家の庭には毎年鮮やかに鯉幟が翻っています。そのはずなのですが今年はそんなことに目をやる余裕もなくなっていたのですね。とある方のブログで青空を泳ぐ姿を見て「明日からは一日一度は空を見上げて記憶に残そう」と思いました。

 空が曇っていると夜明けが遠く感じたり、日暮れが早く訪れるような気がします。心模様も同じでしょう。
 やはり他の方のブログですが小泉今日子さんの「優しい雨」を取り上げていました。その日その時に心に浮かぶ音楽があるというのは素敵だと思います。

 以前に("Littel Tokyo"をお出しになられた頃だっと記憶していますが)小田和正さんにお会いしたことがあり、その時に小田さんは次のようなことをおっしゃっていました。

 「音楽は美しくなければいけないと思っています。そのメロディだけではなく、歌詞においても心を和らげられるようなもの。悲しみを悲しみとして伝えること、愛しいを愛しいと感じ合うこと、その対象は違っても心を揺り動かす喜怒哀楽は変わらないと思うんです。だから優しくなくてはいけないし、美しくなければいけないと。それはバラードでなければいけないとか、そんな作曲の技術上のことではありません。テンポやリズムのような上辺だけではないもっと奥にある優しさや美しさを伝えられば理想的ですね。それが歌となって誰かの思い出のなかで息づいているというのは最高のことです。僕にとって本当に必要とされている音楽とはそういうものではないかと思うんです。」

 怒りや悲しみ、時には憎しみさえ音楽は伝える宿命をもっているかもしれません。けれども、その根底にあるのは、生きることへの希望であると思うのです。絶望を歌うのは聴いている人々に絶望をあたえるためではなく、その絶望の悲しみを分かち合うことによって「より佳く生きよう」という共鳴を力を生み出すことなのです。

 心を鷲掴みにするような刺激的な言葉や暴力的なもの、シュールなものは人の心を捕えやすいです。それらは「カッコいい」と受け取られがちなのです。怖いものみたさは誰しもがもっているものであろうし、危険なものや醜いものに魅了される弱さもあります。ですがファッションだけでは心の琴線に触れることはできないのです。
 
 日常の中にある優しい風景にもっと目を向けられれば自分も変われるのかもしれないと、おふた方のブログを読んでいて思いました。



 

 

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“ THE TEMPEST ”(Paul Woodroffe)-20世紀初頭の挿絵 -

 今回は“THE TEMPEST”を取り上げてみます。この本についてはエドマン・デュラックのものが有名ですが、そちらは翻訳本も出ており目にする機会も多いでしょうから、ポール・ウッドロフの挿絵の方をご紹介したいと思います。

 “ THE TEMPEST ”(1908年)

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 ( London:Chapman & Hall, HENRIETTA ST. COVENT GARDEN W.C.)

 “THE TEMPEST”は周知のとおりウィリアム・シェイクスピアの最晩年の戯曲です。初演は1611年でした。
 「真夏の夜の夢」と似たテーマを扱っていますが、一方は陽であり、他方は陰を帯びています。つまりコメディであった「真夏の夜の夢」とは対極の雰囲気を持つのが「テンペスト」です。なぜ同じ主題でこうも異なったのかについては多種多様な見解があります。ここでそれを論じようとは思いませんが代表的な説を掻い摘んでお話をしておきます。

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 エピローグの詩をみてみます。

 私の呪力はこれで破れた。
 残る力は現実のこの身にやどるわずかばかりのもの。
 公国は戻り、詐術者は許され、この空虚な島には残る意味もない。
 この身にはもはや使う妖精もいず、魔力もない。
 同朋たちの祈りの他には、絶望しか残されてはいない。
 祈りだけが天に届き、慈悲の女神をして、
 魔術を使い続けたこの身の罪を清めてくれるだろう。
 その罪を許すという慈悲をもって、
 哀れなこの身を救ってくだされ、どうかその心で…。

 続いて手短にこの作品が書かれた時代を一瞥してみましょう。
 エリザベスが逝去したのは1603年です。彼女は「処女王」「グロリアーナ」「妖精女王」などの冠名をもって讃えられていました。エリザベスの威光と共に騎士道精神が英国全土を覆い、まさに「栄光あるイングランド」の頂点とも言えました。しかし、その妖精の時代の終りは確実に近付いており、1599年にアイルランド九年戦争が勃発、1601年には前記の戦争遠征に失敗し失脚したロバート・デヴァルー(エセックス伯)の反乱など不穏な動きが続きました。

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 物語に登場するプロスペローは、ユークリッド幾何学者であり錬金術師であったジョン・ディーがモデルになっていると言われています。彼はアーサー王に仕えた魔法使いマーリンになぞられて「エリザベス女王のマーリン」とも呼ばれました。彼はエリザベスの死と共に失脚します。
 そのプロスペローがミランダとフェルディナンドの結婚式を認めたのちに魔法の杖を折り、魔法書を海に沈め、その魔力をすべて捨て去りますが、その心境はシェイクスピア自身の諦観だったのでしょう。
 シェイクスピアは自分の老いてゆく姿と女王の死と共に王室で必要とされなくなった錬金術。そういう時の流れを見て、妖精と魔法と夢とに満ちていた時代の終りを感じたのかもしれません。エリザベス時代の終焉はシェークスピア自身の終焉でもあったのです。彼が世を去ったのは「テンペスト」の初演から5年後でした。

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 この本の挿絵を描いたPaul Woodroffeについてご紹介しておきます。

 ポール・ウッドロフは、1875年にマドラスで生まれました。1890年初めにロンドンへ移住し本の挿絵とステンドグラスの技術を学びます。彼はストニーハースト・カレッジ(ランカシャー・イエズス会学校)で勉強し、後にブルームズベリーのスレード美術専門学校に進みました。1904年から1935年まで、彼はグロースターシャーのコッツウォルズにある小村チッピング・カムデンで過ごし、カトリック教会のために多くの挿絵とステンドグラス作品を制作しました。

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 彼の仕事はシェークスピア戯曲集、聖書物語、児童書、ローマの歴史書の挿絵が中心でした。その作品はラファエル前派に特有の線形と鮮やかな色彩を用い、描かれた人物はローマ・ギリシアの古代石彫刻を思い起こさせます。
 彼は同時代にはステンドグラス制作者としても著名であり、聖パトリック大聖堂(ニューヨーク)の聖母礼拝室のステンドグラスは代表作のひとつです。またアメリカの女優メアリ・アンダースンの私邸の屋根裏チャペルのために飾り窓の設計なども手掛けています。
 ウッドロフはアメリカでの芸術活動の後にウースターシャーに居を移し、1954年に亡くなっています。

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 この本には20枚のオフセットによる彩色挿絵と2曲の楽譜が挿入されています。付されている楽譜のうち最初の一曲をご紹介します。

 第一幕第2場、プロスペローの「もし言うことを聞かなければ痙攣を起し苦しませるぞ」との脅しに、こそこそと薪を取りに行くキャサリン。ちょうどそこへエアリエルが歌をうたいながら現れます。

 黄色い砂地に立ち、愛しき人と手を結び
 口づけを交わせば、波は静まる。
 踊れ、妖精よ、軽やかに。
 歌え、精霊よ、美しく。
 お聞きなさい。お聞きなさい。
 バウ!ワウ!
 あれは番犬の吠える声。
 お聞きなさい。お聞きなさい。
 あれは気取り屋の雄鶏の声。
 クックディルディルドゥ!

 新書館「テンペスト」 エドマン・デユラック 画、伊東杏里 訳 (新書館)







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草の生き方

 先だって奥多摩へ行ってきました。廃村を訪ねる道合にまばらに咲く野菫を見ていて島木健作の「運命の人」の小説家・秋山信吉の台詞を思い出しました。

 「くよくよして、考え込んでばかりゐたって仕方がないぢゃないか。つまらぬ人間に生まれたといふことは、自分には仕方がないことでもあるんだ。しかしさういふ人間は生きていってはならぬといふわけのものでもないだらう。つまらぬものにはつまらぬものの生き方が許されてゐるだろうに。いろんなしくじりを重ね、いろんなめにあいながら年をとって行くだけでいいんだ。世間にとって格別の意味のあるものだけが存在せねばならぬといふものではないんだ。何一つしとげえなかったよぼよぼの人生には、それはそれでまた相応しい風光がひらけてこないわけでもないだらう。」

 野に咲く草花にはその草花の生き方があるでしょう。
 その一輪がどう生きて、どう枯れたか、誰も気にもとめないでしょうし、また、かの草にしても自分が野の自然生態系にいかなる影響を与えてその一生を閉じるかなどとは考えてもいないことでしょう。
 咲く花は自分が咲くことに懸命であって、それがどんなに小さな範囲であってもそれだけで手一杯なのです。それは人も皆同じこと。

 宇宙の広さは計算できても心の広さを計算することはできないですし、その中に生じている様々な感情の大小も比べることはできません。

 自分には思いがつまった場所が、他の誰かには足をとめる価値もない場所かもしれません。他人には一笑にふされる出来事が自分を部屋に閉じ込めることもあります。

 僕はつまらない、取り柄のない人間です。僕には自分が考えているよりも才能はありませんし、そのための努力もしてきてはいないでしょう。でも、そのつまらない人生だって僕にしかできない生き方なのです。

 「運命の人」の中の登場人物のひとりである杉原がこんなことを言っています。

 「… こんなところでもなけりゃ場所は与えられはしないからな。しかしどこだっていいんだ、おれにはどんなところでもいい、先づ場所が与えられるといふことが必要だったんだから。わるい条件のところがむしろいいかも知れなかったんだ。」

 その場所にはその場所の生き方があります。
 時代を選べなかった以上、その時代を乗り切ることを楽しむ方法を探したいものです。僕は少なくとも過去においてもっとも悲惨な時代に生まれたというわけではないのだから、その恵まれた環境で僕なりのつまらない生き方をしていきたいと思います。

 つまらない草にもその草なりの意気地があります。そして、その草が生きるためには土壌があり、大気があり、水があり、日光があり、昆虫や鳥獣がいます。すべてが良好な関係であるはずはありませんが、その関わり合いを嘆かずに受け入れる強さが欲しいと思いますし、元来、生命にはその力があるはずなのです。きれいごとの戯言ですがそう信じなければ明日を今日にすることができません。

 「それはそれでまた相応しい風光がひらけてこないわけでもないだらう。」

 何かを待つことは必要なのです。








 

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七里ヶ浜

 思い出はランダムに現れる。「あの頃」と言う言葉ひとつでタイム・スリップを起こし、いくつもの「あの頃」へ心を引き戻していく。

 和賀江

 198X年、秋。

 「冬の気配がするね」と彼女は砂浜から拾い上げた貝殻に耳をつけて呟いた。
 まだ10月の半ば、初霜の季語にもまだ数日の間があり、冬の足音を聞くには少しばかり先取りがしすぎる。
 なのに彼女は「冬の気配がする」と言う。
 漱石の「こころ」で「先生」との出会いの場となった材木座海岸。
 長く伸びる海岸線のほぼ中央で東西に分けるようにして流れる滑川を境に、東側を材木座海岸、反対側を由比ガ浜と呼び、かつては鎌倉七座と言う商工組合のうちの材木座が置かれたことからこの名がついたらしい。
 少し先に行けば日本最古の人工島港「和賀江嶋」があるが、現在では僅かに不確かな石組を覗かせるだけでほとんど海面下になってしまっている。
 今はこれといってその名を忍ばせる風物もなく、夏には相応の賑わいを見せるのだろうけれど、波の音と風の音、時折名ばかりの国道を走り抜ける車くらいしかない寂れた成りをしていた。
 七里ガ浜、稲村ケ崎、腰越海岸など鎌倉には史跡、景勝地として有名な海岸は他にもある。しかし、彼女はここが一番好きなのだと言う。
 「特色がないって言われればそれまでだけれど、この閑散とした浜こそ鎌倉らしいとは思わない?」と笑った。
 この地に育った者だけがわかる感覚なのだろうか?
 貝殻を拾う隙間も無いような盛夏の江の島海岸ごときは僕も苦手ではある。しかし「材木座」という野暮ったい名よりも言葉の上っ面だけだと一笑にふされそうだが「秋深まる七里ガ浜」の方がロマンが香り立つ気がする。まして川向こうは和田義盛や静御前の怨念渦巻く由比ガ浜である。だがこれは明らかに僕の無知を曝け出した軽薄すぎる言い回しであったことに気づかされることになる。けれどもこの時は少なくとも二人で歩くにはそうした修飾も必要だろうと思った。
 僕は、他に比べれば話題に乏しいとも思えるこの海岸に立つ彼女の背中を目で追いながら、彼女の言う「鎌倉らしさ」をぼんやりと探してみた。
 不意に彼女が、「ねえ、手をつないで海をどこまで歩けるか試してみようか?」と振り向きざまに言った。
 その時、風と波が一瞬大きく鳴り、彼女の肩に掛かる真っ直ぐな髪と柔らかなレモン色のプリーツ・スカートを揺り動かした。控えめなフリルのついたシフォンブラウスは、真昼の光にそれ自体が輝きでもするかのごとく跳ねる様にその白さを尚一層際立たせた。
 「冗談だけど」と彼女は茶目っ気をだして微笑む。
 「たとえばね、入水自殺をした人の何人かは本当は死ぬつもりじゃなくて、どこまで二人で手を繋いでいられるかを試そうとして、うっかり死んじゃったんじゃないかなぁ。手が解けたら戻ろうねって打ち合わせをしていたけど失敗しちゃったみたいな。」
 彼女は持っていた貝殻を海に投げながらそう言い、僕は「そんなこともあるかもね」と腰越心中と呼ばれた事件、太宰の「道化の華」を頭の中に浮かべながら気のない相槌を返した。
 それから「確かに遠浅のこの浜はそうしたことに適しているかもしれない」とも思った。
 僕たちはゆっくりと浜辺を西に向かって歩き出した。
 「このまま歩ければ七里ヶ浜ね」と彼女は言った。
 彼女は2、3メートル先を歩いていく。僕は低く飛ぶ鴎と時折鋭い声を発する鳶やそれに追われる長元坊を見上げながら彼女に続いた。
 「同じ方向を見てどこまでも歩いていかれればいいのに。行先に迷うことなく、繋いだ手がほどけても、目指す場所が同じならきっと一緒にいられるのにね。」
 彼女は小さな白い巻貝を拾い上げながら言う。
 僕は咄嗟に「愛するということは見つめ合うことではなく、同じ方向を目指して行かれるかどうかである、って誰かが言ってたね」と、定かではないフレーズを記憶の中から拾い上げた。
 「それって正しくは、愛するということは互いに見つめ合うことではなく、二人がともに同じ方向を見つめることなのだ、ね。あなたの好きなサン・テグジュペリでしょう」と足を止めて振り返った。
 それからこうつぶやいた。
 「あなたは何を見ているの?」
 それは真剣な問いかけだったのか、それとも単純な文字通りの質問だったのか、それを彼女の表情から読み取ろうとして僕は彼女を見つめた。けれども真意を測ろうとするには僕はまだ子供で、その時には、答えをはぐらかすことしかできなかった。
 僕はこう答えた。
 「七里ヶ浜。」
 沖を行く船のセイルの白い輝きが幻のように波頭を滑って行き、海風は穏やかに僕たちの間を吹き抜けていった。
 彼女はほんのしばらく息を止めるようにしてから、小さいがよく通る声で歌いながら歩きだした。

 真白き富士の根 緑の江の島 仰ぎ見るも 今は涙
 帰らぬ十二の 雄々しきみたまに捧げまつる胸と心

 ボートは沈みぬ 千尋の海原 風も浪も 小さき腕に
 力もつきはて 呼ぶ名は父母 恨は深し 七里が浜辺

 み雪は咽びぬ 風さえ騒ぎて 月も星も影をひそめ
 みたまよ何処に迷いておわすか 帰れ早く 母の胸に…

 「この歌、知ってる?」
 「いや、初めて聴いた。何の歌?」
 「明治43年にね、実際にあった事件を悼んだ歌。逗子開成中学の学生12人が乗ったボートが七里ガ浜の沖合いで転覆して全員が亡くなったの。稲村ガ崎の海浜公園に海に向かって立つ二人の少年の像があるでしょう。あれはその慰霊碑なの。」
 「ごめん、それ覚えてない。ちゃんと見たことないかも。」
 僕はすまなそうに彼女を見た。しかし、彼女はそれを気にも止めていなかった。
 「大多数の人には関係ないし、昔のことだから、誰かが教えてくれないと意味不明な少年像で終わっても仕方ないかもね。私は自分の学校が関係していたから耳にする機会もあったし、何十周忌が忘れちゃったけど事故が起きた1月23日に慰霊の礼拝があったから。逗子開成と鎌女は兄妹校だったの。」
 そこで言葉を一度区切ってから、また話を続けた。
 「本当は舎管の先生の許可がないと駄目だったらしいんだけど、生憎、その日は同僚教師の送別会があって外出していたの。そこで、学校のボートを無断で持ち出して鳥を撃ちに行って事故に遭ったのよ。」
 「それって生徒が全面的に悪いんじゃないの。」
 「一般的にはそうね。でも、世間はそう見なかった。舎管の先生がいれば事故は起きなかったってね。そして一人の教師が責任を負わされて辞職させられたの。それが小説家、宮内寒彌のお父さん。」
 「宮内寒彌」と僕は頭の中の蔵書を検索しながら繰り返した。
 「彼のお父さんはね、彼に教科書以外の本を読むことを禁じたわ。文学の本を見つけられた時には目前で焚書の実演をされたみたい。宮内寒彌の『七里ヶ浜』にそういう場面があったもの。彼は早稲田大学に進学するまで文学を読む機会をあたえられなかった。そして、それが彼を小説家にしたのよ。ねえ、運命って信じる?」
 「僕は運命論者じゃないから。それに最初から決まってるなんて馬鹿馬鹿しい。」
 「でも、辿っていくとそこへ行き着くことってあるでしょう。」
 彼女は僕の目を覗き込むように言った。そして、後を続けた。
 「さっきの歌は『七里ヶ浜哀歌』って言うんだけど、うちの学校に居た三角錫子っていう先生が作詞したの。その女教師と宮内寒彌のお父さんはお見合いをするはずだった。でも、この事故でその話は立ち消えてお終い。と、同時に文学禁止の下地にもなったの。」
 「お見合いが流れたのは事情もあるだろうけど、文学は関係ないんじゃない?」
 「ねえ、何かに心を惹かれて、そこで生きてみたいって思ったことない?」
 僕はその質問に真摯に向き合えるほど人生経験があったわけではなく、それほど重い感慨に打たれたこともなかった。だから「本を見て、そこへ行ってみたいとは思ったことはあるかな」と答えた。彼女は「それも同じことなのかもね」と少し目を伏せた。
 「宮内寒彌のお父さんはね。徳富蘆花の『不如帰』を読んで逗子に来ようって思ったらしいの。悲恋物語の登場人物に共感して、その地で暮らしたいってね。物語への憧憬が現実の感情となってしまった。ひとつの文学小説が生きる場所を選ばせたのよ。そして、失敗してしまった。だから、彼のお父さんは感情に影響を与える文学を禁止した。」
 「物語の主人公に恋をしたり、無いはずの場所に憧れたり、人は架空の世界を感情の中で現実に移してしまえるってことだね。あこがれとも言うけど。」
 「そう、ね。蘆花の小説には現実のモデルがあったの。それも禍したのでしょうね。宮内寒彌はこの事故と自分の出生とを切り離すことができなかった。ううん、違うわね。事故があったから自分が存在したと考えたの。人間の誕生としても、小説家の誕生としても起点になったってね。ふたりともロマンティストだったのね。その他にも宮内寒彌はいくつかの運命的なつながりを感じていたみたいね。軍艦『松島』と生徒が乗っていた『箱根号』、『不如帰』の浪子のモデルになった大山信子と逗子。古戦場としての七里ヶ浜と祟りとかね。」
 そういって風に髪を抑えながら彼女は微笑んだ。
 僕は彼女を見つめながら、彼女の憧憬が、彼女がその先に見ているどんなものに重なっているのかを考えた。それから、彼女の言葉を思い返した。

 「同じ方向を見てどこまでも歩いていかれればいいのに。行先に迷うことなく、繋いだ手がほどけても、目指す場所が同じならきっと一緒にいられるのにね。」

 七里ヶ浜まではまだ距離があり、そこへ着くころには時計は午後2時を回るだろうと僕は思った。



 
 

 

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